2004/04/06

その67 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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 「ペンテコステ」についてもう少し書く。
 キリスト教には3大祭というのがあり、日程はこうなっている。

(1)クリスマス(キリスト降誕祭):12月25日
(2)イースター(復活祭):春分の日以降最初の満月のあと最初の日曜日
(3)ペンテコステ(聖霊降臨祭):イースター後の第7日曜日

(2)と(3)を見ると、日曜と日曜なんだから1週間×7で、ペンテコステはイースターの49日後にくる。
 お、「49」? しかしもうちょっと待ってほしい。

 祝祭日としてのペンテコステのもとになった出来事、復活して天に昇ったイエスが聖霊を降らせる大事件が起きたのは、もともとユダヤ教で五旬祭という祭日だった。この人たちには出エジプトを記念した「過越しの祭」があり、その日から50日後に行われるから「五旬祭」と呼ばれている。日数をかぞえるなら、イースターではなくこちらからかぞえるのが筋らしい。
 新訳聖書の「使徒言行録」2章1‐6節にはこうある(新共同訳)。
《五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、
彼らが座っていた家中に響いた。
 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現われ、一人一人の
上にとどまった。
 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、
ほかの国々の言葉で話しだした。
 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、
信心深いユダヤ人が住んでいたが、
 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、
自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった》

 せっかくなので、同じところを文語訳からも引く。
《五旬節の日となり、彼らみな一処に集ひ居りしに、
烈しき風の吹きたるごとき響、にはかに天より起りて、その坐する所の家に満ち、
また火の如きもの舌のやうに現れ、分れて各人のうへに止まる。
彼らみな聖霊にて満され、御霊の宣べしむるままに異邦の言にて語りはじむ。
 時に敬虔なるユダヤ人ら天下の国々より来りてエルサレムに住み居りしが、
この音おこりたれば群衆あつまり来り、おのおの己が国語にて使徒たちの語るを聞きて騒ぎ合ひ、》

 五旬祭(五旬節)、つまり過越しの祝いから50日めになって、神の言葉を語る「炎の舌」が現われた。
 ということは、どうだろう。エディパは真実が訪れるのを待ち、その啓示をあちこちに感じ取っているのだが、The Crying of Lot 49 というこのタイトルでは、「炎の舌」の到来に1日足りないのである(※)
 それではこの小説はどういう終わり方をするのか。啓示はともかく、だれがどのようにして、いかなる真実を教えてくれるのだろう。ページをめくればすぐにでも確かめられるが、そこまで進むのに50日がもう何セットかかるかは見当もつかない。

 以上、数十分前までちっとも知らなかったことをぬけぬけと書いた。いまだって聖書の引用前の数行はよくわかっていない。数のかぞえ方も合っているのかどうか、薄氷を何枚か踏み割った気がする。まったく、自分にも「炎の舌」がほしい。



(※)これは深読みでもこじつけでもなくて、エドワード・メンデルソンという人が40年ほど前に発表して以来、ほとんど定説になっているらしいLot 49 の「読み」の引き写しである。もちろん、「読み」なんだから、たとえ深読みでもこじつけでもかまわない。
 → Edward Mendelson"The Sacred, the Profane, and The Crying of Lot 49 "
Edward Mendelson編 Pynchon: A Collection of Critical Essays (1978)に収録)

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