2004/04/06

その64 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

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(1)小説の構成:出来事が配置されている順番
(2)出来事を時系列に沿って並べた順番

 (2)は実在しない、と前回書いた。理由は、小説の中にも流れているようにみえる(2)は、読者が(1)を読んだあとになってはじめて想像されるもので、「小説の中」にはないから、ということだった。

 では、(1)は「小説の中」にあるんだろうか。
 じつは(1)だって、想像されたものではないかと思う。小説に書いてあるままの順番、とは言っても、読者による理解を経て想定されるという点では、(1)も(2)と同じじゃないだろうか。

 どうも、「小説の中」にあるとされているものは、たいてい「小説を読んだ人の頭の中」にあるだけだ、と考えて当たらずとも遠からずな感じである。
 (1)が存在しているのも、「小説の中」ではなく「読者の中」なら、(2)が(1)を素材にした抽象物であるのと同様、(1)も何かの素材に基づいた抽象物ではないかと思う。

 だとすると、その素材、読者の中に(1)をつくるのは何か。
 小説において、「読み取って想像される」のではなく、「読まれる」ものは何なのか。つまり小説の中には何があるのか。

 それで思い至ったのは、小説には「中」なんてないんじゃないか、ということである。ただ紙の上に言葉が、文章が並んでいるだけのもの、それが小説ではないか。

 読者はページの上の言葉を見て、言葉のつながった文章を受け取る。そこから先、目の前の文章がどんな状況をつくるのか想像し、それらの出来事を自分になじみのある時間の順になぞらえてとらえていくという作業は、ぜんぶ、読者の中で行われる。
 小説には、言葉・文章だけが実在している――と思うのだがどうだろう。

 ここまで、まったく当たり前のことをわざわざ書いてきた気もするし(そうならいいなと思っている)、言葉よりも、もっと根っこに小説の素材を求められるのかもしれないという疑いも残っている。
 いっぽう、上記はまるで的外れかもしれず、何らかの理解(抽象化)を伴わずに言葉がそれだけで「ある」と言ってしまっていいのか、わからない。
 とはいえ、「ページの上に文字が印刷されてある」ことくらいは確かだと言いたい気持もあって、ああ、でも文字と言葉では意味合いが違うのか・・・。そもそも自分は、小説とそれ以外の文章表現の差をどう考えているのか・・・。

 というふうに、ここまでの足取りも相当におぼつかないし、これ以上は手に負えそうもないので、そろそろLot 49 に戻りたい。
『急使の悲劇』の開演である。

…続き

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