2004/04/06

その62 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


 それで『急使の悲劇』だが、話はまだ始まらない。

 この芝居は全部で五幕の構成になっているが、あらすじを説明する地の文は、一幕めの流れを語っている途中で「この出来事について○○は『××』と言ったが、それは第三幕でのことである」みたいな飛躍を平気でする。
 それに加えて、幕間のエディパの行動も挟み込まれるのだから、これをどんなふうにまとめていくのがいいかちょっと考えてしまった。

 もっとも、こんな語り方は特別めずらしいものではない。
 登場人物が演劇を見るシーンになると、その筋がはじめから順に、いっさい中断も省略もなく描かれる小説があったとしたら、きっと退屈だろう(その場合、それはむしろ何らかの狙いをもった手法と受け取られる気がする)。
 それはわかっているのだが、性格上、『急使の悲劇』の筋をいちどきちんと追ってみたい気持があった。
 そこでずいぶん前に、ノートを開いてあらすじをメモしつつ、飛躍してる箇所は本来の場所に戻して、地の文にまとめられている(編集されている)ものではなく、作中でエディパが観たままの筋を再現しようとした。というのも、

(1)小説の地の文があちこちを編集して読者に提示する筋の順番
(2)小説の中でエディパたちが観たはずの『急使の悲劇』の筋の順番

 このふたつのあいだにズレがあるのなら、そこに何かが隠されているかもしれないと勘ぐったからだった。
 そのときのノートがいま部屋のどこを探しても見つからないのだが、それはまあいい。作業を通して得られたのは、「『急使の悲劇』はもともとがこんがらがった芝居なので、地の文がいくらか余計に展開の順序を乱していても、そのせいで生まれるズレにはたいした意味がなさそうだ」、というつまらない感想でしかなかったからである。

 なので、この芝居について書いていくうえでは、ごく単純に地の文が語る通りにまとめていけばいいだろうと今では思っている。ただ、人名と人間関係は複雑なので適宜リストでも作りたい。
 ところが、上記のことをあらためて考えていたせいで(成果はなかったくせに)もっと小さなことが気になってしまった。『急使の悲劇』に入る前に、思いつきのメモをもうすこし続ける。

 結論からいうと、上のように(1)と(2)に分けたのは、この場合はたまたま意味がなかったというより、根本的に間違いだったんじゃないかと思うのだ。

…続き

コメント

非公開コメント