2004/08/19

04/08/19

実家は読売新聞をとっている。
朝刊の連載小説はニ本。宮本輝町田康
毎日読むような人は少ないだろうに、その二択か。
コントラストに感じ入り、一部持ってきたので引用してしまう。

8月14日(土)掲載分。

● 宮本輝「にぎやかな天地」 第103回
《(…)聖司のなかに「妙なる調和」という言葉が浮かんだ。そういう言葉以外に、「命」の凄さをあらわすことはできない気がした。
 だがその「命」という「妙なる調和」を乱そうとする力もまた絶えずうごめいているに違いない。
 有毒なものの侵入、天候不順、心身の疲れ……。
 他に何があるだろう。
 聖司は目を閉じて、思いつく言葉を組み合わせた。
 人間の命の妙なる調和を乱し、崩そうとするもの……。
 怒り、不安、恐怖、嘘、悲しみ、嫉妬、憎しみ、悪い政治、悪い思想……。
 もっと他にもたくさんありそうだ。
「世情の荒廃、人心の低劣化」
 聖司が声に出してつぶやくと、
「うん? 何?」
 と桐原が訊き返した。
「いや、なんでもない。ちょっと考え事をしとったんや」
「世情の荒廃がどないした? 人心の低劣化って何のこっちゃ?」
「ええ耳してるなァ。(…)》


● 町田康「告白」 第133回
《(…)百姓というのは偉いもの、と述懐する熊太郎の意識はもはや自分は百姓ではない地点まで後退していた。なんで後退したかというと深刻に悩みたくないからで、百姓が田を耕せないということはギタリストがギターを弾けないのと同じで本来であれば大問題である。しかしギタリストが津軽三味線を弾けないのは大した問題ではない。熊太郎はギタリストが試みに太棹を弾いてみたが思うように弾けず、「いっやー、三味線というのは難しいものですなあ」と明るく言っているような調子で、「いっやー、百姓仕事とは難しいものですなあ」と言ったのである。
 あかんではないか。
 そもそも熊太郎はちゃんとしようとしていたのではなかったのか。その決意は嘘だったのか、というとそれは嘘ではなかった。だから熊太郎は朝早くに起きて鍬を担いで田にやってきたのである。しかし、計算外だったのは、ちゃんとなった状態になるまでの時間である。
 熊太郎は自分さえちゃんとすればすべてちゃんとなると思っていた。自分がちゃんとすれば田などすぐ耕ると思っていた。(…)》

 あれ? 意外に違わなくないか?

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