--/--/--

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2005/07/06

ジョン・バース『ストーリーを続けよう』(1996)

ストーリーを続けよう
志村正雄訳、みすず書房(2003)

 連作短篇集。作者自身をモデルにしたとおぼしい中年夫婦が主要キャラで、全篇を通すとフラクタル構造が見えてくるという実験性が売り。自分には訳者の入念な解説なしではよくわかりませんでした。
 ただ、表題作「ストーリーを続けよう」には驚いた。

 子供を抱え、離婚調停に頭を悩ませるアリスは、飛行機で移動中に機内誌掲載の小説「静止画像」を読んでいる。この作中作の主人公は《彼女》で示され、それだけならよくあるタマネギ構造小説だが、語り手はアリスと《彼女》の不思議とよく似た状況を区別なく描写していく。
 するとどうなるか。
《アリス自身のライフ・ストーリーの中間休止において、たまたま「静止画像」に出くわし、《彼女》の窮地の叙述を読み進んで、作者が脇道へそれての話が進んでいるとき、ちょうど彼女は高度三万二〇〇〇フィートでDC-10に安全ベルトで固定されミシシピー河を越えつつある。》

 わかりづらくなるのである。
 というのも、この語り手には定位置がない。タマネギのいちばん外側から図式を説明しない。《彼女》の物語とアリスの物語という同心円でできた「ストーリーを続けよう」から、語りは同時に脱線するように見せて、自転する地球・それを含んで回転する太陽系・さらなる銀河系・銀河集団、それぞれがそれぞれの運動を続けるというイメージに、この作品をなぞらえてみせる。自在な語りの内にすべてがぐるぐるとうごめいて、おのずと美しいイメージが読者の中に生まれてしまう(加えて、人生をゼノンの矢に喩え静止画像の連なりとする手際も見事)。職人芸。なにしろ、後段で明かされるのだが、この語り手は「静止画像」を書いた作者でもあり、しかもアリスと現実に出遭うのだ! どうなってんだ。
 バースは小説と人生の両方を「ストーリー」という言葉にかけているみたいだが、こういうのはやはり年を取らないと書けないんだろうか。

 作中で「作者は」と言い出す小説はたいていつまらない。この短篇は、メタフィクションの名に値するほんのわずかな例ではないか。20世紀のディケンズをめざした物語原理主義者ジョン・アーヴィング(『ガープの世界』)は、かつてバースの複雑な小説を「大学院生しか読まない」と非難した。しかし、バースだって希代のストーリーテラーなのである。あとはもうちょっとわかりやすく書いてくれれば。

コメント

非公開コメント

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。