2019/08/06

内田百閒『第二阿房列車』(1954)

旺文社文庫(1979)


 こないだ『阿房列車』の感想を書いたとき、ぜひとも引用するつもりでし損なった箇所があったので、まずそこから書く。「鹿児島阿房列車 後章」、鹿児島で泊まった旅館の人に用意させたお弁当を、八代へ向かう車中で食べるところである。
《宿の女中が包んでくれた折をあけた。蓋を取つて見ると、驚いた事に鼓[つづみ]の形の握り飯が一ぱい詰まつて、阿房[あはう]が昼寝をした様に押しくら饅頭してゐるだけで、外の物はなんにも這入[はひ]つてゐない。これでは食べられはしない。きつとおかずは駅売りの物を何か買ふだらうと彼女が判断したのである。それにしても一寸[ちょっと]佃煮か漬け物を添へておいてくれればいいのに、それどころか、昨日宿で出した時は胡麻塩で結んであつたのが、今日は胡麻も掛かつてゐないすつぽろ飯である。
「これぢや食べられないね」
「はあ」
 山系君も感心して見てゐる。
 しかしながら、矢つ張り食べた。一旦そのつもりになつて催したから、思ひ止[とど]まつて蓋をするわけには行かない。山系にも因果をふくめて、是非食べる様すすめた。
 一つ口に入れて見たが、ろくろく塩味も利いてゐない。全くどうにもならない代物である。うまくなぞないのは勿論だが、一たび食べるときめた以上、その方針に従つて食べてしまふ。お茶でもあれば嚥[の]み込むけれど、それもない。山系が途中で投げ出すかも知れないから、さうさせない様に監視しながら、食べ続けた。
 八つか十這入つてゐたのだと思ふ。後に二つ残つてゐる。
「もう咽喉[のど]を通らない」
「もう駄目です」
 しかし残つた二つを窓から捨ててはいけない。さう云ふ事をすると目がつぶれる。大事にしまつて、八代の宿へ持つて行く事にした。
 汽車がもう一度鉄橋を渡つて球磨川の岸から離れ、それから八代駅についた。》『阿房列車』(旺文社文庫)pp153-4「鹿児島阿房列車 後章」*太字は引用者、以下同じ。

 同行者に「因果をふくめて」「監視しながら」食されるおにぎりが、この世界にはあるのだった。《阿房が昼寝をした様に押しくら饅頭してゐる》というあんまりな比喩や、《「これぢや食べられないね」》から《しかしながら、矢つ張り食べた。》への絶妙な呼吸などなど、ここのくだりは思い返すたび無限におかしい。
 あと、この引用の終わりにあるように、「これこれこういうことがあった(こういうものが見えた)、そして○○駅についた。」という書き方はこれまでも・これからもあちこちで繰り返され、そこに面白ポイントがあることが多い。それで引用が長くなるのはもう仕方がないじゃないかという気持で、続きは『第二阿房列車』(1954)に移る。
《これからその話をすると云つても、往復何の事故も椿事[ちんじ]もなく、汽車が走つたから遠くまで行き著き、又こつちへ走つたから、それに乗つてゐた私が帰つて来ただけの事で、面白い話の種なんかない。それをこれから、ゆつくり話さうと思ふ。抑[そもそ]も、話が面白いなぞと云ふのが余計な事であつて、何でもないに越した事はない。どうせ日は永いし、先を急ぐには及ばない。今のところ私は、差し当たつて外に用事はない。ゆつくりしてゐるから、ゆつくり話す。読者の方が忙しいか、忙しくないか、それは私の知つた事ではない。》p65「春光山陽特別阿房列車」

 百閒はこの巻で4本の阿房列車を走らせる。
 まず、「雪中新潟阿房列車」で雪の積もった新潟を訪ねる。帰ってすかさず、秋田県の横手へ行ったのが「雪解横手阿房列車」。それから京都へ向かったのは、山陽本線にデビューした特別急行列車の処女運転に招待されて始発の京都から終点の博多まで乗るためであり、せっかく博多まで行くのだからと、熊本県の八代へ足を伸ばして帰るのが「春光山陽特別阿房列車」。京都が始発だからまず京都へ行き(わからなくはない)、博多のついでで八代までとなると(わからない)、この旅行に「山陽」の名が付いている意味は…とこっちが悩んでしまうが、次の「雷九州阿房列車」ではタイトル通り、ふたたび東京の自宅から九州まで遠出する。事前に定めたスケジュールに従いあちらこちら回っていると、それがなぜか結果的に各所で猛威をふるう台風をことごとく避けるかたちになって何事もなく帰る。
 このうち横手と八代は『阿房列車』で行っているから再訪になる。こういうのを「曾遊の地」と呼ぶのを私はこの本で知った。八代は、最初に引用した、食べ切れなかった握り飯を持って行ったのが1回目で、この『第二阿房列車』では2回訪れるから都合3回、いつも同じ宿に泊まる。よほど気に入ったらしいがしかし、こんなふうにまとめて説明してどうなるというのか。なにしろ相手はこんなことを書く人である。
《外へ出たらすぐにタクシイの空車が来た。だから乗つたけれど、中央線の市ケ谷駅も四谷駅も近い。自動車に乗らなくても、電車で行けば東京駅の中まで這入る。二三年来の阿房列車の初めの内は、特別急行の一等車に乗る旅行でも、東京駅迄は電車で行つて、それが普通であつた。この頃はさうでない。大概タクシイで出掛ける様である。自動車に乗つたから贅沢だと云ふ事もないが、電車の料金より高いことは高い。だから無駄だと云ふ意味で無駄を排除しようと云ふ方へ、考へ方を向けるのはこの場合よくない。それを考へつめれば、阿房列車が成り立たない。つい自動車に乗る様になつたのは、往来に自動車の数が多くなつたからで、この責めは自動車の方にある。》p118「雷九州阿房列車」

《別府は温泉地であつて、この宿も勿論温泉旅館である。しかし私は温泉に這入りに来たのではない。何しに来たと云ふこともないが、温泉を目的にして来ない事だけははつきりしてゐる。しかし断じて温泉にはつからないと云ふ決心で来たわけでもない。普通の風呂のつもりで這入つてもいいし、又都合では這入らなくてもいい。もともと私は温泉場と云ふものが好きではないけれども、かうしてここへ来たのは、だれからもおどかされて来たのでなく、自分が来ようと思つた所へ来た迄であるから、自分で来ておいて、かう云ふ所はきらひだなどと考へるのはをかしい。だから一服して、落ちついて、ちつとも嫌つてはゐない。明日は一日ゆつくりして、明日の晩も泊まるつもりである。なぜ来たかと、追究する者はだれもゐない。》p163「雷九州阿房列車」

 同じ人がこういう景色をスケッチしているのも『阿房列車』と同じである。
《沿線の畑に麦が伸びかけてゐる。窓の外は全くの春景色である。さうして少し曇りかけて来た。広島で附け換へた機関車の白い煙が、竹藪の中へ這入つて、通過する迄、出て行かないし、消えもしなかつた。
 宮島の波の中のお鳥居が見えて、その後又暫らくの間海の景色が展[ひら]けたが、手前の島の上を越した沖の空は、次第に暗くなつてゐる。遠くの方は雨が降つてゐるかも知れない。》pp94-5「春光山陽特別阿房列車」

 ところで今回、最初の「雪中新潟阿房列車」で、大正12年(1923)の関東大震災よりも前のこととして回想される話がある。
 ――陸軍士官学校の教官だった百閒は出張を命じられ、本人としては京都へ行きたかったのに、決まった行き先は仙台だった。ぜんぜん違う。しかし京都はあきらめきれない。どうするか。東京から仙台まで行き、京都に寄って帰ればいい。
《それで鉄道地図を按じて、道順を研究した。仙台から常磐線で平へ出る。平から磐越東線で郡山に出て、磐越西線を通つて、新潟へ行く。新潟から北陸本線へ廻つて、富山、金沢、敦賀を通り、米原に出て京都へ行く。大変な廻り道の様だが、仙台から東京に帰り、東海道線で京都へ行くよりは、この道順の方が当時の里程の計算で二十哩[マイル]程近い事を知つた。だから、その方から考へても、仙台に出張した途中、京都へ寄つて来るといふ考へ方が成立する
[…]
 右の道順で京都へ行くとしても、もつと倹約する事は出来た。常磐線の平なぞへ行かないで、東北本線の郡山から磐越西線に乗る事にすればいい。仙台から平へ出て郡山へ行くのは三角形の二辺であり、すぐに郡山へ行けば、その一辺ですむ。従つて距離もそれだけ縮まり、さつき挙げた二十哩と云ふ数字がもつと多くなる。それを知つてゐながら平へ出たのは、一日の内に、太平洋岸の平から、日本海岸の新潟へ出て見たかつたのと、もう一つには、その少し前に開通した磐越東線と云ふ新線路を通りたかつたからである。阿房列車の病根は、何十年も前から兆してゐた事を自認する。》p10「雪中新潟阿房列車」

 狂気の沙汰だとわたしは思う。「狂気」の響きは強すぎるかもしれないが、その強さでもって《病根》を切り離すのではなく、鉄道が好き・汽車が好きという「日常」とこのような領域は地続きにつながっているらしいこと、人はわりと無造作にそんなところにも足を踏み入れるらしいこと、だから、そちらだけピックアップすると「狂気」に見える世界だってじつは日常の少し先(だったり内側だったり外側だったり)にふつうの顔で広がっているみたいだということがわたしは言いたかった。
 そしてまた、ここを引用する理由のもうひとつは、《仙台から常磐線で平へ出る。》《常磐線の平なぞへ行かないで》《太平洋岸の平から》という「[たいら]」がわたしの実家にほど近いからだった。
 震災より前となるとわたしの祖父も生まれておらず、その意味では、つながりを思い浮かべようにも浮かぶんだか浮かばないんだか曖昧になるくらい時代が遠くて想像のぜんたいがぼんやりしてしまうのに、ただ場所だけは、祖父やわたしが立って歩いたのと同じあたりだろうという点で確かな足場になるようで、でもその場所を、自分がいま読んでいる本を書いた昔の人が――しかも書いている時よりずっと前に――通過していたことも確かな出来事として感じられるかというとそれはそれでまた曖昧になるようで、あやふやなのと確かなのが混じった妙な気分にうっすら包まれる。

 それはともかく、上記の旅程が無茶なら(実際、無茶だと思う)いまの阿房列車も無茶だとはっきり再確認される(実際、無茶である)。そのうえで、以下のようにおとなしく座席に腰を下ろして発車を待つ様子や到着した宿での落ちついた様子が書かれると、かえって凄みがあるというのとも違い、ただ坦々と、おかしい。
《少し早目に乗り込んでゐて、さうして発車を待つ。なんにもする事はない。その間の時間が実にいい。神聖な空白である。見送りがあると、見送り人には顔があるから、その顔に拘束されてしまふ。又何か云ふから、発車まで受け答へをしてゐなければならない。動き出せば更[あらた]めて挨拶を要する。阿房列車が行くと云ふので、別れを惜しむなぞと云ふ心事は、人の心事でも自分の心事でも腑に落ちない。》p14「雷九州阿房列車」

《又火鉢の傍に戻つて、ぢつとしてゐる。ぢつとしてゐるより外に、ポーズの作り様がない。昨夜はホテルでよく寝て、今朝はゆつくり起きたから疲れてはゐないし、眠くもない。何でも出来るけれど、なんにもする事がない。昨日一日の車中にくらべて極楽である。八代へ来てよかつたと思ふ。
 夕方近くなつて、少し風が出たらしい。潮騒の様な音がする。しかし海は遠くて、波音が聞こえる筈はないので、松籟[しようらい]かも知れないと思ふ。その微かな響きを貫く様に、雨の中で鵯[ひよどり]の声がした。》p108「春光山陽特別阿房列車」

 こういうところを読んでいると、小さくて静かで何気ないことを書くのが百閒はうまい、みたいなことを言いそうになる。でも別にそこには限らずに、たまに出てくる「何気なくないこと」の描写だってもちろん、読み応えがある。寝台車の窓から、ふだんは縁のない壮大な景色を目撃するところ。
《どこだか解らない所で目がさめた。in bedで、寝たなりで、窓のカアテンを引き寄せて見たら、向うの遠い空の下の端が、灰色になりかけてゐる。もう駄目だと思つて、半身起き直つた。さうして煙草を吸つて、本式に目をさました。
 矢つ張り夜明けだつたので、段段に灰色が褪せて、地平線から赤い大きな朝暾[てうとん]が昇つて来た。私に取つては、実に驚天動地の椿事である。ああして、いろいろの事のある一日が始まるのかと、呆気に取られて、眺めた。
 向う側の寝床に山系がいつ迄も寝てゐるのは業腹だから、起こしてやつた。
 日の出ををがみなさいと云つたら、曖昧な返事をして起き出した。
「どこです、どこです」と云ふ。
 山系の窓のカアテンを引いたら、正面に真白い富士山が映つた。西の空にはまだ夜の尻尾の様な朦朧とした暗さが残つてゐる。その薄闇を裂く様に、白い富士山が聳えて、東天の旭日と向かひ合つた景色を、自分の方の窓と、代る代る見て見返つて、一日の朝は、かうしたものなのかと考へ直した。
 朝の富士山は白くて美しいばかりでなく、飛んでもなく大きなものだと云ふ事を思つた。
 段段に東京に近づき、朝の営みの町や村に、長い白煙の尾を投げながら、走り続けた。さうして、まだホームの屋根の下かげに、夜の色が残つてゐる上野に著いた。》p62「 雪解横手阿房列車」

「雷九州阿房列車」では、九州地方を蹂躙する台風のコースからつねに外れて漫遊する運のよさを発揮して、自分たちは無事でも、暴風雨の爪痕は目に入る。そんななかで阿蘇の山すそを通る。
《二十六の駅の真中辺りになる宮地駅に汽車が停まつた。手前のこちらの、屋根のないホームには、さらさらと明かるい雨が降り灑[そそ]いで、ホームの砂利を濡らしてゐるが、向うの山は霽[は]れかけてゐる。大きな箆[へら]でそいだ様なあざやかな山の皺が麓[ふもと]に走り、下の方の山肌は目がさめる様な緑の色を一面にひろげて、その上を帯になつた白い雲が流れてゐる。
 宮地を出て、次の波野駅へ行く間に大小無数の、数へ切れない程の滝を見た。絶壁に巨巌が聳え、その天辺[てつぺん]から恐ろしい勢ひで落下する十数丈の滝から、兵子帯[へこおび]ぐらゐの短かいのに至るまで、落ちて来る水は皆、赤黒い色の濁水である。ヨナを溶かして押し流してゐたのであらう。滝を囲んだまはりの崖には、庭師が手入れをしたかと思はれる様な、背の揃つた短かい青草が生え茂つてゐる。思ひ掛けない絶景に接し、車窓に向けた頸筋が痛くなる様であつたが、この無数の濁水の滝は多分、雨の為であつて、ふだんは水の落ちてゐないのもあるだらう。烈しい繁吹[しぶ]きを上げて山腹の岩を叩いた水が、勢ひが余つて線路を襲ふ様になり、私共の通つた後でこの線を不通にしたのではないかと思ふ。》p153「雷九州阿房列車」

 こういうスペクタクルは珍しい。そういえばこの『第二阿房列車』の旅をしていたころというのは、『東京焼盡』(1955)の原稿を整理していた時期と重なるのかもしれない。違うかもしれない。だからなんだというわけでもない。
 あと珍しいというか、1冊目の『阿房列車』との違いでいえば、本を出してこの鉄道旅行が知られるようになったためだろう、行く先々の駅や宿でその土地の記者からインタビュー(インタアヸウ)されることが何回かあった。
《若い新聞記者が、何となく遠い顔附きをした。
「阿房列車の取材ですか」
 知らないかと思つたら、そんな事を云ひ出した。
「それは家に帰つて、机の前に坐つてからの事で、今ここでかうして君のお相手をしてゐる事と丸で関係はない」
「でもさうなのでせう」
「さうでないと云ふ必要もないし、さうだと考へる筋もない。要するにそんな事は、後の話さ」
「さうですか」
「帰つてからの事だよ」
 そこいらで御免を蒙[かうむ]つた。》pp24-5「雪中新潟阿房列車」

 返事じたいは何となく予想される通りなんだけど、長い汽車旅のあとで疲れていても、楽しみにしている食事の前でも、インタビューじたいは(彼らも上司から命じられた仕事なんだろう、と事情を推しはかって)受けてあげる姿に「へえ」と思わされた。自分の我を通すのは当然ながら、相手には相手の我が別のものとしてあることもまた当然、みたいな。旅先の人が用意したイベントの予定が変わり、そちらに合わせてくれるよう頼まれて、むっとしながらも先方の好意なんだからと受け入れる場面もあった。まるで人格者である。
 しかしこの人格者が『阿房列車』から引き続き過敏に反応する状況があった。ふたりの人間が同じ方向をむいて横並びに座ること、これである。
《コムパアトの二重窓のカアテンを搾つた硝子[ガラス]越しに、綺麗な燈火が飛んで行くのが見える。八時半の夕食なら、家にゐるより早い。そろそろ始めよう。
 洗面台を食卓にして、その上に持参の御馳走を列[なら]べた。それに向かつて山系君と二人竝[なら]んで、ベツドの縁に腰を掛けると、二人共同じ方を向き、気違ひ同志が養生してゐる様な格好になるから、分別を要する。コムパアトに這入[はひ]つて食事をすると、いつもその問題がある。いつぞやはボイが空き箱を持つて来てくれて、それを腰掛けにした。汽車の中でそんな手頃の空き箱がいつでも間に合ふとは限らない。だから今度は絵かきの使ふ三脚を買つてきた。》p74「春光山陽特別阿房列車」

 そのこだわり(と比喩)は、ほんと何なんだ。とはいえこういった鋭敏な感性があってこその名文の数かずなのかもしれず、たとえば次のような観察眼はどうだ。そこに目を留め、しかもそれを「書くべきもの」として書くのである。
《「鳥海」の横手駅の停車時間は八分である。乗客が大勢降りてきて、一昨年[をととし]の秋私共が蕎麦の起[た]ち食ひをした売店の廻りに人垣をつくり、丼[どんぶり]を片手に持つて蕎麦のかけを食べてゐる。横目で見ながら駅長さんと竝[なら]んで通り過ぎる時、蕎麦の上に卵を掛けたのが目についた。朝の光りで、上に丸く乗つた、まだ潰さない黄身がきらきらと光つた様だつた。》p44「雪解横手阿房列車」

 いまのは目の例だが、耳の観察もある。京都駅の様子。
《早朝でも駅の中は人が混雑してゐる。東京駅よりは下駄の音が多い。それだけに、うるさい。》p79「春光山陽特別阿房列車」

 この時代にはそんな種類のうるささがあった、というのは考えたことがなかった。
「何気ないこと」であれ「何気なくないこと」であれ外界の観察も面白いが、自分の内側にある感覚を言葉にするときに百閒の文章は本領を発揮すると思う。感覚の言語化はなるべく引用したい。
 新潟の宿で深酒した翌日、起きると部屋ではお供の「ヒマラヤ山系」氏と、かつて大学で教えた学生で当地に在住の「状阡[じやうせん]」氏が将棋を指している。
《私は炬燵[こたつ]を横目に見て、端坐してゐる。将棋なぞ面白くもない。なぜと云ふに昨夜の飲み過ぎで、頭の奥とか胸の中とか、さう云ふ限られた所でなく、私の身のまはり一帯が陰鬱である。どつちが勝つてゐるのか、負けさうなのか知らないが、二人共六[む]づかしい顔をして、押し黙つてゐる。そこへ山系の迎への自動車が来たと知らせて来た。
 山系君があわてて支度をして出掛けた。管理局へ挨拶に行つたのである。その後で食ひさしの将棋を私がしやぶる事になつた。随分長い間掛かつて負けた。私が負けたのは、状阡が勝つただけの事だから構はないが、状阡が余り理詰めの手ばかり指すので、頭がこちこちになつて、座辺に揺曳[ようえい]する宿酔[ふつかゑひ]が凝固した様な気がした。
 ぢきに山系が帰つて来て、状阡が一先[ひとま]づ去つて、晩を待つ順序になつた。その間何も用事がないから、今日はお風呂へ這入[はひ]つた。尤[もつと]も用事がないと云ふのは、起きてから今迄だつて何も用事があつたわけでなく、これからもあるわけではないから、さう云つても意味はない。しかし用事がない間にも、まだもつと用事がないと云ふ境涯はある。「だからお風呂へ這入つた」と云ふ、その理詰めの考へ方がいけない。》pp26-7「雪中新潟阿房列車」

 感覚(宿酔)の言語化から、後半はどれほど理屈を遠ざけたいかという話にズレていくのがぜんぶ面白い。
 博多のホテルで朝食代わりにアイスクリームを食べるところは、観察と描写、感覚の言語化、「何してんだ」感そのほか、もろもろの要素が詰まって本書の白眉をなしている。
《暫[しば]らくしてボイが、珈琲とトーストと、別にアイスクリームを三人前運んで来た。その三つをみんな私の前に列[なら]べて、端のカツプから一匙ふくむ。大変うまい。昨夜もお酒の後でみんなで食べたが、昨夜のはクリーム・サンデエであつた。今朝のは、初めからボイに白いのを持つて来いと命じたから、三つ共白い。その色と、円く盛り上がつた肌が、朝の日をすがすがしくする。家にゐるとさう行かないが、旅行に出れば私はアイスクリームばかり食べてゐる。好きなのだらうと思ふけれど、どこがどういいのか、考へて見た事もない。味もよくわからない。味はひ分けたり、比較したりする事は丸で出来ない。ただ子供の時珍しかつた衛生元祖アイスクリン以来、いつでも、あれば食べたいと思ふ。
 一人前済まして、二つ目に掛かつた。もう大分口の中が冷たい。山系君はトーストをかじつてゐる。それに珈琲だけでは、彼はおなかがへらないかなと案じながら、二つ目の仕舞頃になつたら、少し口中が冷た過ぎて、もういいと思ひ出した。だから矢つ張り私が二つ、彼が一つで丁度よかつたのだが、食べないと云ふから仕方がない。そこで三つ目に匙を突つ込んだ。
 三つ目の半ば頃になると、口の中がしびれて、舌に感覚が無くなり、匙でしやくつて入れても、溶けて咽[のど]を流れるところしか感じない。味も解らず、特に冷たいと云ふ事もない。初めの内は冷たいのがすがすがしい気持であつたが、もう何ともない。さうして余りいい気持ではなくなつた。少し頭痛がする様でもある。
 […] 兎に角[とにかく]我慢して三つ目を綺麗に片づけた。第一、山系の前で残したりしては、沽券[こけん]にかかはる。冷え切つた口で煙草を吸ひ、暫らくさうしてゐたら、しびれが取れてもと通りになり、頭痛もなほつた。》pp102-3「春光山陽特別阿房列車」

 アイスクリームの見た目を描いて思い入れを語り、食べる際の感覚も巧みに言葉にしていった結果、山系氏のかじつてゐるトーストと珈琲まで大変おいしそうに見えてくるここのくだり、文章を使ったどんな技がかけられているのか何度読んでもよくわからない。ただ、読み返すたびトーストはいっそうカリカリに焼き上がり、熱くて黒い珈琲が鼻をくすぐるのである。百閒は、横目でも見ている。
 次は、横手の宿で大勢で楽しくお膳を囲んでいる最中、とつぜん猛烈な背中のかゆみに襲われるところ。手は届かない。まごの手までは持ってきていない。
《丁度その時、ここへ顔を出した宿の主人が、
「まごの手なら、帳場に御座います。今持つて来させませう」と云つた。
 大いによろこんで、流石[さすが]は横手の耆宿[きしゆく]だと云つたが、そんな宿があるものではない。だれにも解らなかつたから、いい工合にほつておいて、背中の痒[かゆ]い所が、まごの手の来るまで動かない様に、ひろがらない様に、丹田に力を入れて待つた。
 女中が来て、主人に何か云ふ。手に何も持つてゐない。主人が気の毒さうな顔をして、
「あつたのですけれど、ある筈なのですけれど、いくら探しても見つからないさうです」と云つた。
 それを聞いたら、さつきの倍の倍も痒くなつた。もう我慢が出来ない。どうしたらいいだらう。背中の真中に渦巻が出来て、ぐるぐる廻りながら、そこいらをくすぐる。
「駄目だ。もう、到底駄目だ」
 管理職の若いのが気の毒がつて、掻いて上げますと云ひ、すぐに手を突つ込んだ。宿屋のどてらだから、彼の手はらくに這入る。そこそこ、いやもつと奥の所と註文を出した。みんな杯の手を休めて、うまくそこへ行つたか知らと云ふ顔をして、見つめた。》p56「雪解横手阿房列車」

《背中の真中に渦巻が出来て、ぐるぐる廻りながら、そこいらをくすぐる。》にもほれぼれするんだけど、最後に《みんな杯の手を休めて、うまくそこへ行つたか知らと云ふ顔をして、見つめた。》と、みずからの感覚を見つめる自分の姿を見ている周囲の目まで視界に入っていることに舌を巻く。アイスクリームとトーストの関係に似ているかもしれない。
 周囲の目、というつながりで、京都-博多間を走る新急行に招待された際、広島駅での停車中に記者から受けたインタビューをぜんぶ書き写す。
《「大阪から乗られましたか」
「いや京都から」
「いかがです」
「何が」
「沿線の風景に就いて、感想を話して下さい」
「景色の感想と云ふと、どう云ふ事を話すのだらう」
「いいとか、悪いとか」
「いいね」
「しかしですね、今、日本は戦争か平和か、国会は解散かと云ふかう云ふ際に、この様な列車を走らせる事に就いては、どう思はれますか」
「そんな事の関聯で考へた事がないから、解らないね」
「更[あらた]めて考へて見て下さい」
「更めて考へたくない」
「国鉄のサアヸスに就いては、どうですか」
「サアヸスとは、どう云ふ意味で、そんな事を聞くのです」
「車内のサアヸスです」
「それは君、今日は普通の乗客でないのだから、いいさ」
「サアヸスはいいですか。いいと思はれますか」
「よくても、いいのが当たり前なんだ。よばれて来たお客様なのだから」
「広島へ行かれましたか」
「行つた」
「いつです」
「最近は一昨年」
「原爆塔を見られましたか」
「見た」
「その感想を話して下さい」
「僕は感想を持つてゐない」
「なぜです」
「あれを見たら、そんな気になつたからさ」
「その理由を話して下さい」
「さう云ふ分析がしたくないのだ。一昨年広島へ来た時の紀行文は書いたけれど、あの塔に就いては、一言半句も触れなかつた。触れてやるまいと思つてゐるから、触れなかつた」
「解りませんな」
「もういいでせう」
 漸く隣席から起ち上がつた。「お忙しい所を済みませんでした」と云つて向うへ行つた。》pp92-4「春光山陽特別阿房列車」

 原爆塔について《一言半句も触れなかつた。》は厳密には間違いじゃないかと思うが(前回、引用もした)、ここもあんまり予想から離れず、いかにも百閒ってこういう人であるよな、と納得させられるやり取りであるけれども、これはインタビュアーの書いた記事ではない。旅から帰ったあと、自宅の机で自分とまったく噛み合わない記者の質問のほうも百閒が書いていると考えると、いつもの自分を貫いているだけでなく、世間と自分の食い違いにも自覚的であることが(当たり前なんだけど、あらためて)よくわかる。『阿房列車』の書き出しを思い出してしまった――《阿房と云ふのは、人の思はくに調子を合はせてさう云ふだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考へてはゐない。》

 自他の区別が画然とあるし、自分が見る自分と他人が見る自分の両方が文章に入っていて、「それなのに」なのか、そもそも関連はないのか、随筆と小説の境界はあちこちで崩れる。というか両者は文章でつながっている。八代のお気に入りの宿で(「御当地さん」は女中のあだ名):
《明かるい内から始めて、いつ迄もお酒を飲んでゐた様だが、切り上げ時はよく解らない。山系君や御当地さんを相手に、何を論じてゐたかも記憶にない。ただ何だか知らないが、初めから仕舞までしやべり続けてゐた事だけは間違ひない。
 夜が更けてから、廊下のすぐ下の池の縁に、ちつとも動かない大きな螢が、いつ見ても同じ所でぴかりぴかり光つてゐるのが気になつた。螢の様な色で光るから螢だらうと思つたけれど、螢ではなかつたのか、それはわからない。親指の指の腹よりまだ大きかつた。かすかに赤味を帯びた緑色で、人の目を見返す様に光つた。後になつて、水伯[すゐはく]の目玉ではなかつたかと思ふ。》pp137-8「雷九州阿房列車」

 2度目の秋田県、横黒線沿線を眺めて:
《発車をするとぢきに山の間へ這入つた。積もつた雪の上に暗い雨が降つてゐる。一昨年の秋、一度往[い]つて返つただけの沿線の景色にすつかり馴染みが残つてゐる。山のたたずまひ、川の曲がり工合、一ぺん見ただけの所がこんなに記憶に残るものかと、不思議な気持がする。年が経てば、かう云ふのが夢の中の景色になつて、追つ掛けられると、この山のうしろへ逃げ込んだりするのだらう。今、うつつに見てゐる窓外の山の姿も、さう云へば夢の中の景色の様な気がしない事もない。
 黒沢近くの雪は、三米[メートル]、一丈と云ふ程の事はなかつたが、随分深い。駅に這入つて停まつたら今までの雨が霰[あられ]になつて、歩廊の踏みつけた雪の上に、小さな綺麗な玉が、ころころ転がつた。》pp58-9「 雪解横手阿房列車」

《年が経てば》と言うけど、この本よりもずっと若いころ、大正の終わりから昭和のはじめに書かれた『冥途・旅順入城式』所収の短篇の数かずで、わたしはこんな風景をいくつも読んだ気がする。
 若いうちから百閒じしんのなかにあり、ときどき小説のかたちで表現してもいた「夢に見るような風景」を、年を経てから自分の外に(実際の風景として)発見しているような気配があって、だとしたらこれは、創作する人にとって心象風景なるもののあり方は他人が考えるより入り組んでいることを示すのか、逆にずっと単純なことを示すのか、不思議な気持がする。

 趣味が引用であるため、これくらい引用しても、まだ付箋を貼った箇所の半分にもならない。ふつうの言葉でありながら百閒が使うと面白みが増す言葉がいくつかあって、そのひとつは「利口」だと思う。発車時刻よりだいぶ前に駅に着いたときには、こんな意見を述べている。
《かうして早手廻しにやつて来て、そのホーム迄出たけれど、実は行く所がない。行く所ではない、ゐる所がない。仕方がないから、帚[はうき]や塵取りを入れるらしい大きな木箱の蓋の上に手荷物を置き、それに靠[もた]れて煙草を吸つた。早からず遅からず、丁度いい工合に出て来ると云ふのは中中[なかなか][む]づかしいが、遅過ぎて乗り遅れたら万事休する。早過ぎて、居所がない方が安全である。しかしかう云ふ来方を、利口な人は余りしないと云ふ事を知つてゐる。汽車に乗り遅れる方の側に、利口な人が多い。p119「春光山陽特別阿房列車」

 謎すぎる断言だが、およそ待ち合わせに遅れたことがない(遅れることができない)わたしはこの考察に深く同意するものである。

 あとは百閒が故郷の岡山を書いているところをメモする。この『第二阿房列車』では2回、通過していた。
《空川[からかは]の百間川の鉄橋を過ぎ、旭川の鉄橋を渡つて、岡山へ著いた。いつでも岡山を通る時は、車外へ出て歩廊を歩いて見るのだが、今日は混雑しさうだから、よさうと思ふ。又新特急の処女運行だと云ふので、いろんな人が来てゐて、その中に知つた顔があると面倒である。座席にぢつとしてゐるに限る。さう思つてゐると、向うの窓をとんとん敲[たた]く者がある。大きな声で「栄あん、栄あん」と私の名を呼んでゐる。
 をさな友達の真さんがそこに起[た]つてゐる。
「わあ、ゐたゐた」
 しかし、この汽車に乗つてゐるのが、どうして解つたのか、解らない。
「そりや、あんた、こなひだ東京で会うた折、あんたがさう云うたがな」
 一緒にお酒を飲んだ時、さう云つたのだらう。しかし云つた覚えはない。
「覚えとらん。さう云うたかな」
「云うたから、知つとるんぢやがな。それ見られえ。ちやんと乗つて来とらあ。わつはは」
 これから博多、八代へ行くところなのに、東京へ持つて帰るお土産の大手饅頭を、箱入りと竹の皮包みと、私が時時夢に見る程好きな事を知つてゐるものだから、持ち重りがする位どつさり持つて来てくれた。饅頭に圧し潰されさうだが、大手饅頭なら潰されてもいい。昔の同じ町内で、私や真さんより少し歳下の保さんも来てくれた。歳下と云つても勿論大きなおやぢである。早咲きの桜の小枝を馬上杯に生けたのを持つて、車内へ這入り、私の座席の横に釣るしてくれた。桜の枝は博多のホテルまで持つて行き、馬上杯は東京へ持つて帰つた。
 三分停車で十一時四十七分、岡山を発車した。》pp90-1「春光山陽特別阿房列車」

《小さなテーブルの上の銀器や杯がいやに明かるくなつた頃、窓の外はもう暗かつた。岐阜大垣を過ぎて、いつ通つても雨が降つてゐる関ケ原、醒ケ井の辺りに今夜は雨が降つてゐたか、どうかも知らなかつた。
 いつ頃切り上げたのか覚えてゐないが、美しい雨滴の中に、京都駅の電燈が白く光つてゐるのを、カアテンをしぼつて眺めた事を考へると、その時はもうコムパアトに帰つてゐたのだらう。
 いつ、どの辺りで寝たかも判然しない。随分走つてから、しんとしたので目がさめた。汽車が停まつた儘[まま]、底の方へ沈んでいく様な気持がする。岡山であつた。深更一時半、ぢきに発車して、もとの通り走り出したら、又寝入つた。》pp133-4「雷九州阿房列車」

 たまたまなんだろうけど、にぎやかな岡山と、静かな岡山があった。そのどちらの場合も、百閒は汽車から降りることはしないのだけど。

 最後の最後に、この本でもっとも好きなところを引用して終わる。こんなに引用し、引用しきれなかったところもまだまだあるくせに、「もっとも好き」なものが選べるのかとわれながら思うが、それは迷いなく選べるのである。

《肉感の中で一番すがすがしい快感は空腹感である。その空腹感を味はひながら、晩のお膳を待つ。一日に一ぺん位お膳に向かつても、天を恐れざる所業ではないだらう。そこで成る可く[なるべく]御馳走が食べたい。それを楽しみに夕方の時を過ごす。》p34「雪中新潟阿房列車」

 ここを読むたび、次に自分が空腹になるときが楽しみになってしまう。たかだか100字ちょっとでこちらの肉体感覚のとらえ方を変えてしまう文章が、たしかにあるのだった。次は『第三阿房列車』です。


■ 旺文社文庫『第二阿房列車』(1979)目次:
雪中新潟阿房列車
 上野 新潟
雪解横手阿房列車
 上野 横手 横黒線 大荒沢
春光山陽特別阿房列車
 東京 京都 博多 八代
雷九州阿房列車 前章
 東京 八代
雷九州阿房列車 後章
 八代 熊本 豊肥線 大分
 別符 日豊線 小倉 門司

附録・鉄道唱歌
解説――遠回りの文学 長部日出雄
「第二阿房列車」雑記 平山三郎


*新潮文庫の『第二阿房列車』は、仮名づかい以外はこの旺文社文庫の本篇と同じものが入っているはず。この表紙はうらやましい。

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