2018/02/05

ポール・オースター『冬の日誌』(2012)

冬の日誌
柴田元幸訳、新潮社(2017)

《何といっても時間は終わりに近づいている。もしかしたらここは、 いつもの物語は脇へ置いて、生きていたことを思い出せる最初の日からいまこの日まで、この肉体の中で生きるのがどんな感じだったか、吟味してみるのも悪くないんじゃないか。》p3

 そんなこと言わないで! あ、いや、急すぎた。やり直す。
 せんじつ読んだ『孤独の発明』(1982)は、本格的に小説に向かう前のオースターが過去をふり返り、過去をふり返る行為についてあれこれ考えることでもって自分の足場を確かめようとする思弁的な本だった。それから30年後の『冬の日誌』では、60代の半ばにさしかかったこの作家がふたたび過去をふり返る。エッセイとしては長尺で、自伝としてはカジュアルなつくり。
 この2冊を続けて読むのはまったくオースターのあずかり知らないわたしのほうのめぐり合わせだが、せっかくなので比較すると、『孤独の発明』のとくに第二部「記憶の書」では、「実際に体験した自分の過去の話」と「それをもとに展開する思索」の分量の比が3:7くらいに感じられたのが、『冬の日誌』では9:1ぐらいになっている(どちらも体感)。この違いに、最初に引用した年齢からくる動機が直接反映していると言われたら、つい納得しかねない。
 エピソード重視であることと、わたしがオースターの熱心な読者ではぜんぜんないことを併せると、本書は“そんなに知らない作家が自分の半生を具体的に綴った文章の束”ということになる。それって面白く読めるのかハードルが高い気もするものの、かく言うわたしはSNS全盛の時代より前のブログ全盛の時代よりさらに前のウェブ日記全盛の時代から、夜な夜な、知り合いでもなんでもない赤の他人の日記を探してきては半年分まとめて読みふける数時間に無上の楽しみをおぼえていた人間なので、そんなハードルは下をくぐって通過していた。どなたかの参考になればと思う。
 半生のエピソードといっても時系列ではない。たとえば体に受けた傷の話であれば、子供のときからこんな怪我をした、こんな事故に遭ったなどの経験が、一見、思い出すままに語られる。選ばれる話題は雑多だが、いま例に挙げたような肉体的ダメージ・体にまつわる事柄が大まかな主題になっている。もちろん、体とはこの自分の体だから、体を語ることを通してみずからを語っていくのである。
《これこそ君の人生の物語である。道が二叉に分かれたところへ来るたびに、体が故障する。君の体は心が知らないことを知っているのであり、故障の仕方をどう選ぶにせよ(単核症、胃炎、パニック発作)、君の恐怖と内的葛藤の痛みをつねに体が引き受けてきたのであり、心が立ち向かえない――立ち向かおうとしない――殴打を体が受けてきたのだ。》pp63-4

 加えて、いまの引用に見られる通り、本書では語り手が「君は」の二人称で自分を指すスタイルが採られている。このことを、『孤独の発明』の第一部が「私は」の一人称、第二部が「彼は」の三人称を選んでいたことと考え合わせると面白い。
 自分を「君は」と呼べば、「私は」と呼ぶより距離ができるのでもっと詳しく“点検する”立場を取れるし、それでいて「彼は」と呼ぶより過去の自分を親密な態度で扱うこともできる。さらに同時に、「君は」「君は」と語られるたび、それはあくまでオースターのことだとわかっていても、読んでいるわたしがオースターから呼びかけられているような印象も毎回ほんの少しずつ残るため、積み重なるうち次第にこっちがオースター(語り手であり、語られる対象でもある)のほうに寄せられていく効果も感知された。100パーセント個人的な自分の話を他人に聞かせる・読ませるうえで、この人称遣いはとてもうまい。
 そんな巧みな語り口に乗せて、喧嘩のことや、スポーツのことなどなどが書かれていく。というか、思い出されていく。セクシャルな事柄も、初体験までのいきさつとか、いつどこでどんな娼婦を買ったかとか、かなり率直に綴っていくので「ほう」と思いながらついチラチラとGoogleで画像検索する誘惑に駆られるいっぽう、呑み込んでしまった鉛のように本書に沈んでいるのは2002年に亡くなった母親のことで、全篇を通し、あちらこちらで若かったころの母親の姿、老いてからの様子が都度都度のさまざまな感情とともに触れられている。
(これもまた、『孤独の発明』が実父の死から書かれたことと図らずも対照をなしている――などと捉えたらあんまり読者の勝手にすぎるだろうけれども)
[…] 病院に大急ぎで連れて行かれたことも頬を縫ってくれた医者のことも覚えていない。ほんとに上手なお医者さまだったのよ、と君の母親はいつも言っていた。初めての子供の顔半分が破りとられたのを見たトラウマは決して去らなかったから、母はそのことを何度も口にした。》pp8-9

《その朝のうちに君のブルックリンの家に電話してきた母の声は、恐怖の念に包まれていた。血がね、と母は君に言った。血が口から出ていて、血がそこら中にあったのよ。長年彼女を知ってきて初めて、母は正気を失っているように聞こえた。》p134

 とくべつ面白かったのは、生まれて以降、この本を書いている現在まで、自分が定住した場所を順に並べていった部分である。どんな場所でどんな暮らしをしていたかが、およそ50ページにわたって記述され、生家から学校の寮から粗末なアパートから次の粗末なアパートから何から何まで数え上げられて、暮らした住まいは22ヶ所に及ぶ。その多さにまずおどろくし(本はどうしたんだろう)、ひとつひとつの住居の間取りについて、周囲の環境について、そしてそこで起きた出来事と自分の心持について、引き出されてくる回想の鮮明さにもっとおどろかされた。
 ここの部分は本書では例外的に時系列でたどられており、これを簡単な年譜として押さえれば、『孤独の発明』で切れ切れに言及されるこの人のライフイベントもそれなりに整理して把握できそうだ。なにより、10代終わりからの10年あまりはリディア・デイヴィスが出たり引っ込んだりするので、オースターの自伝でありながらこの期間はダブル主人公ものとして読める(ただし、『孤独の発明』と同様、この本でもオースターは「リディア・デイヴィス」という名前は出していない。わたしの読み方が勝手なのである)。その七転八倒の生活が破綻したあとで出会い、再婚を決めた2番目の妻へのベタ惚れ具合も読みどころのひとつになっている。
《それまでずっと、君が女性に関して下した判断はすべて間違っていた。でもこの決断だけは間違っていなかった。》p181

 ほほえましい、すごくほほえましいけど、ちょっと今ここでリディア・デイヴィスに謝ってもらおうかとまた画像検索して言い聞かせたくなりながら、他人の人生をこうもたやすく物語として享受してしまうわたしのような人間がいるから時系列には危ういところがあるとあらためて思った。それから、悪いのは時系列ではなくわたしだと思った。

 いまの話を別にすると、この本を読んでいていちばん頻繁に、かついちばん強く感心するのは、「よくもそんなにたくさんのことを、そんなに細かくおぼえているよな」ということだった。
「よくそんなにおぼえているよな」は「よくそんなに思い出せるよな」と同じ意味である。でも、作者の思い出したことがそのままこちらの脳に注入されるわけはない。当たり前だがオースターは思い出しているだけでなく、思い出したことを書いている
 ここにある、「思い出す」と「書く」の関係がとても気になる。
 この本にぎっしり詰め込まれた、60年間のさまざまな風景の細部、出来事のディテール、人のことばの数々、感情の揺らぎのひとつひとつ、そういったすべての物事は、(1)まずオースターの頭の中にあって、(2)それが文章のかたちで表現されるという、一方通行のルートを経てページの上に印刷されているわけではないと思う。少なくとも、それだけではないと思う。
 おぼえていること・思い出したことを書く、というだけでなく、書くことによって思い出しているという逆のルート、書くことで、自分がおぼえているとは気付いていなかったことまで思い出すという相互関係もきっとあるはずだ。
 わたしが誰かに思い出ばなしをする場合を考えてみても、話しているうちにひとつの細部がほかの隠れていた細部を引き連れて立ち上がり、ぼんやりしていた部分に具体性が上塗りされて、あたかも話しはじめる前からそのままのかたちで頭の中にしまってあったと(そんなはずはないのに)錯覚しかねないことはしょっちゅうある。思い出は再現の過程で肉付けされ、肉付けされたあとでは元の姿は見えなくなる。
 ましてオースターは小説家である。実際に起きた、ありのままの事実を本人が思い出して文章にしているつもりでも、じつはそこに書く・語ることで思い出すというプロセスが含まれているのだとすれば、語りのプロの小説家であればこそ、書く側にとって、思い出を語ることと創作のあいだに、本人以外が想像するほどの違いはじつは無いのじゃないかということが気になるし、そこについてオースターじしんは何らかの自覚と企みを持っているのだろうかということも、さらにいっそう気になってくる。
[…] ピアノはもう何年も演奏されていなくて音程が狂っているので調律師に来てもらうことにした。翌日、盲目の男がやって来た(君はこれまで、盲目でないピアノ調律師にはまず出会ったことがない)。五十歳前後の太った人物で、顔はパン生地のように色白、目が上向きになって白目が露出していた。奇妙な人だ、と君は思ったがそれは目だけのせいではなかった。むしろその肌。漂白したような、ホコリタケを思わせる、ふわふわで押せば凹みそうな肌で、まるでどこか地下に棲んでいて顔にまったく光を当てていないかのように見えた。》pp64-3

《何分かが過ぎ、君の体も冷えてきておおむね正常な温度に下がったところで、タクシーが一台こっちへやって来るのが目に入ると同時に、一人の女性が歩いてくるのを君と君の妻は見た。若い、おそろしく背の高いアフリカ系の女性で、カラフルなアフリカの服に身を包み完璧に背筋の伸びた姿勢で歩き、胸に掛けたスリングの中では小さな赤ん坊が眠っていて、右手から重たい買物袋が下がり、左手からもうひとつ重い袋が下がり、三つ目の買物袋は何と頭に載っている。人間の優美さの具現化を自分が目のあたりにしていることを君は悟った。左右に揺れる腰のゆっくり滑らかな動き、その歩みのゆっくり滑らかな動き、一種の叡智と君には思える気品とともに荷を負っている女性、一つひとつの重さが均等に分配され、首と頭はまったく動かず、腕もまったく動かず、赤ん坊は母の胸ですやすや眠っている。一家の荷物をここまで運んでくるにあたり何とも見苦しい姿をさらしたばかりの君は、己のぶざまさを痛感し、自分には逆立ちしてもできっこないことに同じ人間がかくも見事に熟達しているのを見て畏怖の念を禁じえなかった。》pp160-1

 最初から頭にあったこと。書いているうちに思い出されたこと。思い出しているつもりで創作されたこと。創作するつもりで創作されたこと。どれもこれも、書かれてしまえば同じ文章なので読む側には区別がつかないが、それは文章表現の前提だから気にならない。繰り返すが、気になるのは、書く側にはどの程度区別がついているのか、そこを本人は意識できるのか、ということだ。
 なんとなれば、ある程度でも区別ができて意識もできるとしたら、その人はそのぶんだけ思い出をコントロールできることになるからで、思い出や記憶をコントロールできるなら、それはいまの自分をコントロールできることになるんじゃないかと思うからである。
 だが、そういうことについては『冬の日誌』には書かれていなかった。書かれていなかったが実践があった、とは言えるかもしれない。勝手すぎるかもしれない。

 最後にもうひとつ、この本をいちど読み終えてから発見があったので書いておく。
 たぶんオースターの愛読者なら「何をいまさら」なのだろうが、今回わたしが遅ればせながら気付き、気付けて本当によかったと思ったのは、“ポール・オースターが書いて柴田元幸が翻訳した文章は、朗読するととても気持がいい”ということである。
 もちろん、目で追っているだけでも文章がうまいのはわかる。能弁な回想を紡ぎ出す、観察の細やかさ。それを再現して伝える、作為は目立たないのに練りに練られた行文と、語彙の選択の確かさ。どれもしっかり、味わったつもりでいた。
 でも、『冬の日誌』のどこでもいい、ページを開いてひと掴みふた掴みのまとまりを声に出して読んでみると、次の言葉、次の行へとぐいぐい伸びていくピンと張った一本の筋が文章の内側からあらわれ、繊細な一文一文がたくましさをまとって自分の口から出てくる。ちょっと可笑しかったところを人に読んで聞かせようと軽いつもりで音読をはじめたのに、読み進めるうちに自分でびっくりした。
[…] そして、そう、君と君の恋人はその一年まさしくエストランジェだったのだが、パリの冷淡でピリピリした堅苦しさに較べればこの地方での暮らしは何と穏やかだったことか、南で暮らしたあいだみんな君たちにどれだけ温かく接してくれたことか、アシエ・ド・ポンピニョンなるありえない名前の堅苦しいブルジョワの夫婦ですら時おり隣り村のレギュスにある家に君たちを呼んでくれて一緒にテレビで映画を観たし、君たちの家から七キロ離れたオプスで知りあった人々もやはり友好的で、君たちはここへ週二度買い出しに行き、孤立した暮らしが何か月も続いてくるとこの人口三、四千の町がとてつもない大都会のように思えてきて、オプスには主だったカフェが二つしかなく一方は右翼カフェでもう一方は左翼カフェだったので君たちは左翼カフェに通い、社会主義者か共産主義者である常連の薄汚い農夫や機械工に歓迎され、この荒っぽくお喋りの地元民たちは若いアメリカ人エストランジェ二人をますます気に入ってくれて、君たちはそのカフェで彼らと一緒に一九七四年大統領選の結果もテレビで観て、ポンピドー死後のジスカール・デスタンとミッテランとの選挙戦に晩はいったん大いに盛り上がったものの最後は失望に終わり、誰もが酔っ払って喝采していたのが誰もが酔っ払って悪態をつき、加えてオプスには仲よくなった肉屋の息子がいて、君とほぼ同い歳で父親の店で働いていて行くゆくは家業を継ぐべく修行中だったが本人は写真にも熱心で腕もよく、その年はずっとダム建設で水中に埋もれる予定の小さな村の立ち退きと取り壊しを撮っていて、かくして悲痛な写真を撮る肉屋の息子と社会主義者/共産主義者カフェにたむろする酔っ払った男たちがいたわけだが、さらにはドラギニャンの歯科医もいて[…]pp74-5

[…] 数年前に、一家全員でオーロラを見に闇の中へわざわざ出ていったことがある。君がオーロラを見たのはあとにも先にもそのときだけで、それは忘れがたい、想像を絶する眺めだった。寒さの中に立ち、電気のような緑色の光を見上げる。夜の黒い壁を背に緑色にきらめく空の賑やかな眺めの壮大さには、それまでに見たどんな眺めも遠く及ばなかった。それにまた、雲のない澄んだ夜には、空一面に星がぎっしり、地平線から地平線まで並び、よそでは決して見られぬ無数の星がたがいに溶けあって濃密な水たまりを、頭上に浮かぶ白さの粥[ポリッジ]を形成する。そうした夜が明けると白い朝が、白い午後が続き、雪が降る――君の周りじゅうではてしなく雪が降り、君の膝まで達し、腰まで達し、小さかったころ君の母親の花壇にあって君の頭を越えたひまわりのようにますます高くなり、見たこともないほどたくさん雪が降って、突然君は九〇年代なかばのある瞬間を生き直している。君は妻と娘とともにクリスマス恒例のミネソタ巡礼に来ていて、吹雪の夜に車を運転中で、ミネアポリスにある妻の妹の家から、六十キロばかり離れたノースフィールドにある妻の両親の家へ向かっている。》pp186-7

 深く潜った記憶の中からこちらに向かって文章による回想をおこなう人たちが風景描写に秀でがちなのは、回想と風景に関係があるからなのか、あるとしたらどんな関係なのかについてはまたいつか考えたい。
 今度こそ本当に最後、もうひとつ書いておくと、時系列に従わない思い出の羅列のように見えるだけに、どうやって終わるのか予想がつかないこの『冬の日誌』は、これほどの言葉を操って文章を書ける人が、あるときある場所で――1978年12月の晩にマンハッタンの体育館で――およそまったく言葉が追いつかず、言葉で説明するのが不可能な出来事を目の当たりにし、しかしその言葉の無力を心底思い知らされたことによって書く人間として再生した体験を、かなり最後のほうに配置している。たいへん見事な構成だとおそれ入った。こう書いても何のことだかさっぱりだろうから、これは断じてネタバレではない。


*追記:
 上でも触れた、住居の変遷を順番に語ったあとで、移動についてもオースターは書いている。
《機内に乗り込むたびに君を包む、どこにもいないという不思議な感覚。時速八百キロで空間を運ばれていくことの非現実感。地面からあまりに離れているので、自分自身の現実性まで失われてくる気がする。あたかも自分が存在するという事実が、体から排出されていくように感じられるのだ。とはいえそれが家を離れる上で払う代価である。移動を続けるかぎり、家というここ[ヒア]とどこかよその場所というそこ[ゼア]のあいだに広がるどこでもないところ[ノーホエア]も、やはり君が住む場のひとつでありつづけるだろう。》pp104-5 *太字は引用者

 場所について、移動しているあいだの自分はここでもそこでもないどこでもないところにいる。これを場所ではなく、時間についても当てはめてみたらどうだろう。
 というのは、「思い出す」という行為の最中、記憶を呼び戻してしばらくその回想に浸っているあいだ、体はもちろんいまここにあっても、頭はここ(現在)でもなく、そこ(過去)でもない、やはりどこでもないところにいるかのように、頭の中がそういう場所になっているかのように、わたしは感じているからだ。
 自分が自由にあちこち歩き回れるような、現在でも過去でもない場所と時間をページの上に広げるために書かれた本として『冬の日誌』を読むことができると思う。

 さらにまた、話がずれるけど見つけたので書いておくと、ここそこをめぐる言葉は、『孤独の発明』の第一部でもオースターの父親について語られていた。
《自分がいまいる場所にいること、父にはそれがどうしてもできなかった。生涯にわたって、父はどこか別の場所にいた。ここそこのあいだのどこかに。ここにいることはけっしてなかった。そこにいることもけっしてなかった。》pp32-3

 ここそこ、およびどこでもないところに注目してオースターの小説作品を読んだらどんなことが言えたり言えなかったりするんだろうかと、読んでないくせに(読んでないからこそ)気になった。


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