2013/06/06

阿部和重『ピストルズ』(2010)

ピストルズ
講談社

《 What the world needs now
  Is love, sweet love
  It's the only thing
  That there's just too little of
  What the world needs now
  Is love, sweet love
  No, not just for some
  But for everyone 》

 せっかく単行本を買ったのに読まないでいるまま月日は流れ、いよいよ今月(2013年6月)の半ばには文庫になってしまうと知って急いで読んだ。するとたいへん楽しかったから、もっと早く読めばよかったと思われたことだった。
 そしてこの小説、急いで読もうとすればいくらでも急いで読めるつくりになっているのが何より不思議で面白かったのだが、その話をするにはまず内容を紹介しないといけない。どう考えても、帯の後ろ側にびっしり印刷してあるものがベストに見えるのでそのまま書き写す。
「若木[おさなぎ]山の裏手には、魔術師の一家が暮らしている――」
田舎町の書店主・石川は、とあるキッカケから町の外れに住む魔術師一家と噂される人々と接触する。その名は菖蒲[あやめ]。謎に包まれた一族の秘密を探るべく、石川は四姉妹の次女・あおばにインタビューを敢行するのだが……。そこで語られ始めたのは、一族の間で千年以上も受け継がれた秘術にまつわる、目眩めく壮大な歴史だった。史実の闇に葬り去られた神の町の盛衰とともに明かされていく一子相伝「アヤメメソッド」の正体と、一族の忌まわしき宿命。そして秘術の後継者で(後略

 いかにも、いかにも面白そうだし、波瀾万丈の物語が予想されるでしょう。でもこれは、同じ山形県の神町を舞台にして、暴力と陰謀と卑猥な言葉とあと薬物でいっぱいだった前作シンセミア(2003)とはかなり感じがちがう。暴力と陰謀とあと薬物にまつわる話には事欠かないのに、卑猥な言葉はほとんど出てこない。それは文章の書かれかたが大きくちがうということである。

 波瀾万丈のエピソードがてんこ盛りなのは期待以上でありながら、660ページを越える「大著」といってまちがいないこの小説の全篇は、どこまでも平坦で、作りもの臭い文章の連なりでもって押し通される。
 なぜそんなことになっているのか、一応の理由付けはあって、この小説の大半は、帯にあるようにひとりの登場人物が長々と語ったらしい話を別の登場人物があらためて文書化した体のパートと、聞き手当人が別に書いた手記のパートとでできている。
 そのため、採用されるのは物語というよりも回顧録や報告書めいた平熱の文章で、語りようによってはいくらでも盛り上がるだろうし、お涙頂戴にさえなるかもしれない出来事の数々が、あくまで坦々と綴られていく。
 ただし平坦と言ってもまるで平凡ではなく、よそで見たことのない言葉遣いや、見たことはあってもふつうそういう使いかたはしないだろう奇妙な用語法があちらこちらにちりばめられているせいで、いったん「なんか小説っぽくないぞ」と受け取っておきながら、読んでいくうちに「小説ではない文章としてはすごく変だから、やっぱりこれは小説なんだろう」と当然のところに戻ることになる。
 もちろん、実際にははじめから小説のつもりで読んでいる。このようなまわりくどい捉えかたはわざとらしい眉唾ものなのだけど、こんな遠回りを経由したときに、『ピストルズ』の正体がちょっとだけ見えてくる。
《毎年うちがにぎやかになりだすのは、降雪がなくなり、若木山公園のサクラが咲きはじめる、四月の半ばをすぎてからのことです。
 その時期のわが家では、「王女の誕生日」や「しゃべる花の庭」さながらの光景が、お天気のいい日にはしきりと見うけられるようになります――コツバメの鱗粉のきらめきにより、所々が華やかに装われたシバクサにとりかこまれ、モクレンのあまく清爽な香気にもくるまれて、蕾んでもいないオニユリや開花前のバラや咲き終わり間近のヒナギクたちがゆらゆらと揺れあって、かまびすしく談笑に耽るのです。
 けれどもそれはなにも、ムーサ気どりのあたしども四姉妹が、花壇の土をかためてことさらに寝心地を悪くしたり、横臥をやめた花々に対し、よもやま話に花を咲かせるよう無理強いしているわけではありません。》第二部 p118

 そういうものとして素直に読もうと思えば読めなくもないのかもしれないが、しかし、いちど「わざとらしい」と感じてしまうとそれ以降は「わざとらしさを隠そうともしていない」というふうにしか受け取れなくなるこんな調子を決して崩さないままえんえんと続いていく長大な聞き書きは、たいへん読みやすいものでありながら、まさに聞き書きに特有の、「語っている人間の肉声から膜を一枚隔てたように遠くなっているはずの距離」を巧みに描出する。
 この、書き言葉でしかありえない、絶妙に調整されたなめらかなギクシャクさとでも言えそうな書きっぷりとセットになった大きな特徴がもうひとつ、この小説の語りにはあって、それは「秘密を作るためではなく、秘密を明かすために語られている」ということだ。

 なぜこんなにも長いインタビューがなされ、手記が書き加えられるのか。それは、これまで隠されてきたさまざまな事実を、こちらに伝えるためである。
 菖蒲家の抱える宿命について、そのメンバーひとりひとりの来歴について、語り手は聞き手に向かって知っている限りのすべてをつまびらかにしようと決めており、喋る喋る、どんどん喋る。
 説明するために語っているから、文章はひたすら平明な方向にむかう。秘密が箱のようなものだとすれば、語り手は大小いくつもの箱を次から次にテーブルの上に乗せ、聞き手の目の前でパカパカ開けてみせる。思わせぶりな言い淀みや、「あとはわかってね」といった推測の強要は一切ない。ぜんぶ自分で喋る。だからこの点でも、ものすごく読みやすい。
 ある事柄を「それは後で」と先送りにすることはしばしばあるが、それだって、告白は線的に進めるしかなく、いちどにすべては語れないから話には順番をつける必要がある、という当然の事情によるために、読んでいる側ではフラストレーションを溜めるどころか、「もっと知りたい」「早く知りたい」という気持が加速されていく。
 
 そして、話を効率的に進めるためになら、もともとの語り手の声、もしくは書き手の文章の中に、もともとの語り手の声でも書き手の文章でもない声や文章――第三者の台詞、小説の外に実在するほかの文章、ネットからのコピペ(ググれば典拠のサイトがヒットする)などなど――もぽんぽん投げ入れることに、この小説はまったく、ためらいがない。
 それもこれも、隠すためではなく明かすために、閉じるためではなく開けるために、最短距離をとって語っているからだ。
《祖父は首を横にも縦にもふらず――即答する代わりに、滅多に見せたことのない笑みを浮かべてから、おもむろにこう言い返してきたのだそうです。
「その通りだが、しかしそれは、真実の半分しか言いあてちゃいない。ただまあ、残りの半分など言わずもがなであって、おまえには思いあたるふしがあるだろう。心あたりがないはずがない。とっくに気がついているくせに、貴様はすっとぼけていやがるわけだ」》第四部 p379

《じつは今夏、薊家にてご不幸があり、あたしはシュガーさんとつれだって六年ぶりに隠岐に赴いたのですけれども――そのおりにこちらの、風待ち海道倶楽部の編集によるガイドブック、『隠岐においでよ 隠岐島エコツーリズム OKI まるごとミュージアム』を地元の方にいただいてまいりました。この小冊子の七ページには、「隠岐の自然環境について」として、約六〇〇年前に起こった火山活動の結果がつぎのように書かれています。
「特に大規模な溶岩流は隠岐流紋岩(板状アルカリ流紋岩)で、島後の西半分の大部分を形成しており、厚い部分では400mにも達しています。この西海岸一帯の流紋岩は、阿蘇山で有名な外輪山にあたります。[…]第四部 p398

 平気で何でも取り込んで、平気で何でも開けていくようにチューニングの施されたこの人工的な文章の平坦さ・平明さは、むしろ過激なものとなる。
 つまり、過剰に読みやすい。急いで読もうとすれば、いくらでも急いで読める。ここに実現されているのは、そんな文章の書かれかたによって、読む側が「もっと知りたい」し「早く知りたい」し、この語り手の語ることならなんでも信用する姿勢になっているがゆえの読みやすさなのである。
 おかしい、こんなにも不自然なのにこんなにもスムーズに読める書きかたはぜったいおかしいよ、と内心つぶやきながら途中でやめられずにページをめくり続ける時間のどこかで、ついに文章の読みやすさが、読みやすさの域を越えているとまで感じることになる。
 そこで最大のおどろきが来る。
 なぜなら、小説のかなり早い段階から明らかにされていたのは、一二〇〇年の長きにわたって菖蒲家に伝わる秘術とは一種の催眠術・人心をコントロールする技だということであり、小説の外にいる読者のわたしが「読みやすさが域を越えている」とまで感じてしまうというのは、小説の中で何人もの人間たちが菖蒲家の秘術によって手も無く操られてしまうのと極めて似た事態のはずだと確信されるからだ。
 先々代・先代の使い手が、秘術をどのような場面でどのように活用してきたか。逆にその秘術のほうが使い手をどのように縛ってきたか。秘術をめぐる出来事の顛末こそが、語り手の伝えたがっている、これまで隠されてきた一族のいちばんの秘密であるのに、その秘密の一切がっさいを包み隠さず説明しようとする文章が、絶妙なギクシャクさと平明すぎる平明さでもって、こちらの読みかたをコントロールしようと働きかけてくる。
 これを「錯覚」とか「思い込み」だと判断する足場が、この小説の中にはない。だからこう言ってもいいだろう。秘術とは『ピストルズ』である。


*以下 付け足し

・メインとなる菖蒲家の外でも、面白いエピソードと登場人物は数多い。なかでも、映画監督とその連れの話が――それほど重要ではないと確言して差し支えないと思われるのに――妙に印象に残った。

・このことに言及するのが一部ネタバレではないかとおそれつつ申し添えると、『シンセミア』だけでなく『ニッポニア・ニッポン』(2001)と『グランド・フィナーレ』(2005)は先に読んだほうがいいような気がする、と書くつもりだったけれども、いま気が変わった。『ピストルズ』から読んでも面白いにちがいない。そのあとで上記2作を読んだ人の感想がぜひ聞いてみたい。

・菖蒲家の歴史を追っていくのは、上述の通り、長く続くあいだずっと楽しく飽きない道のりである。だがそれでも、左手の指に残りページの厚みを感じながら「えーーい 先代はいいっ! ×××を映せっ ×××の戦い振りを!!」と思ってしまうのが人情かもしれない。
 でも大丈夫だ。どれだけ期待を募らせても、かなり後半になっていよいよ作中へ登場するその人物の活躍は軽くそれを越えて、はなばなしく描かれる。このことだけは保証する。



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