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内田百閒『東京焼盡』(1955)

旺文社文庫(1984)

 昭和19年11月1日(水)から、翌20年8月21日(火)までの生活をしるした日記。このあいだ百閒は奥さんと共にずっと東京にとどまり、5月25日の夜には自宅を焼かれた。それからは、人の家の庭にあった3畳の小屋を借りて終戦までをやり過ごす。
《○ ナゼ疎開シナカツタト云フニ行ク所モ無カツタシ又逃ゲ出スト云フ気持ガイヤダツタカラ動カナカツタ
○ 何ヲスルカ見テヰテ見届ケテヤラウト云フ気モアツタ》
「序ニ代ヘル心覚」

 何を食べたか。何が起きて、何をした。会社に行った、 行けなかった。いつから下痢をしていつまで続いた。天気は何時までこうで、それからこう変わった。ラジオを誰にもらい、しかし壊れてしまった。周りの人間の様子。市街の変化。日記の記述は、なぜ、とあきれるほど細かい。
 なにより異様なのは警報の克明な記録で、警戒警報→空襲警報→空襲警報解除→警戒警報解除、と続く様子が、日によっては何回も、時刻付きで記される。どうやってメモしていたのかおどろきながら、いつのまにか、空襲という異常事態が日常に割り込み、「よく起こるもの」として日記に組み込まれていくのを、自然なこととして読みそうになっている。

 空襲があったから、今日は会社に行けなかった

 めまいがする。当然だ。そして、異常だ。そこに何度でもおどろいてしまう。生活は空襲も飲み込んで続く。よくある言い方だけど、ほんとうにそうなっている事態は、よくはない。
《ただ思ふ事は、寿命の縮まる様なこはい思ひをした後で、空襲警報が解除になり、ほつとした気持で今度もまた無事にすんだかと思ふ時、お酒か麦酒が有つたらどんなにいいだらうと云ふ事で、いつもそればつかり思ふなり。》4月4日

 年が明けてから、物資はいっそう乏しくなっていき、使い途のなくなったお金が余って、食べものはない。お酒がない、お酒が飲みたい、お酒を飲んだらうまかった。お酒がない(以下ループ)。拡大する空襲の被害は、百閒と、何かれとなく百閒の世話を焼いてくれる近辺の人たちのすぐそばにまで及ぶ。
《雙葉の一郭は大変な火勢にて、すつかり火の廻つた庇だか天井だか解らぬ大きな明かるい物が、燃えながら火の手から離れて空にふはりと浮かび、宙を流れる様に辷[すべ]つて、往来を越して土手に落ちた。土手も燃えてゐる。土手が燃えるかと更[あらた]めて感心した。アスフアルトの往来には白光りのする綺麗な火の粉が一面に敷いた様に散らかり、風の工合では吹き寄せられて一所にかたまつたり、又一ぱいに広がつたりしながら、きらきらと光つてゐる。道もせに散る花びらの風情である。[…] 大分寒くなつたが、雙葉の火に暫く向かつてゐると暖かくなる。》4月14日

 ああ、なぜいまそんな名文を、と小さくうめき、こちらまで胃が縮こまる感覚をおぼえながら、ますます強く思うようになるのは、はやく戦争終わってくれということで、この日記に書かれる人間たちが、つまり百閒と同様、この時代にたしかに息をして生活していた生身の人間たちが、親切な人もそうでない人も、なるべく死なずに済みますようにと願いながら、日記が8月15日まで進むのを待つようになる。
 そして気付くのは、百閒にしろほかの誰にしろ、ここに描かれている人たちは、家がなくなったり火から逃げたり、風呂に入れなかったり満足な食事もとれなかったりといった状況のもとで生きていたばかりか(それらは一応、ほんとうに一応だけど、想像はできる)、なんと、8月15日に戦争が終わることを知らないままで毎日を辛抱しているということだった。これにはちょっと呆然とする。
 もちろん、発表がどうあれ、首都もあちこちの都市もこんなに空襲を受けているんだから、戦局が思わしくないことは知られていただろう。覚悟を決めていた人だってずいぶんいただろう。でも、終わったあとから見ればこの上なくはっきり打ち立てられている「区切り」がいつ来るのかを、この人たちは、わかっていない。その心持ちばっかりは、うまく想像するのが難しい。しばらくがんばっても「こんな感じか?」と思えるようにはならなかった。
 だから、状況の内側で書かれたこの日記は、過去についての記録であるのと同時に、過去についての記録ではない。変なはなし、終わったあとから書かれるものは、次々にあたらしいものが出てそれより前のものを古びさせていくのに、「リアルタイムで書かれたもの」は、更新ができないためにこそ、古びないかのようだ。それはもしかすると、ないものはなくせない、という百閒の不思議な理屈とすこし似ているのかもしれない。
《忘れてゐる物なら焼けたも焼けないも同じ事である。又忘れてゐない物でも、有つた物が焼けて無くなつたのだが、無くなつたところから云へば有つた物も無かつた物も同じ事である。もともと無かつた物も焼いた事にしようと私が教へる。ピアノ三台、ソフア一組、電気蓄音機、合羽坂の時分から家内が欲しがつたのを許さなかつた電気アイロン、それから蒸籠、ミシン等、惜しい事にみんな焼いてしまつた、焼けたので無くなつた。もともと無かつたかも知れないが有つたとしても矢つ張り同じ事である。》7月1日

《岡山は六月二十九日の午前二時頃B29七十機の空襲を受けた。人死にが多かつたと云ふ話を聞いたが町は大体無くなつたのであらうと思ふ。[…] 些とも顧ない郷里ではあるが敵に焼き拂はれたと云う事になれば人竝[ひとなみ]以上の感慨もある。しかしどうせしよつちゆう行つたり来たりする所でもないとすれば記憶の中の岡山は亜米利加もB29も焼く事は出来ないのだから、自分の岡山は焼かれた後も前も同じ事であるかも知れない。》7月21日

 この『東京焼盡』、私はたまたま古本で安かった旺文社文庫版で読んだけど、中公文庫にも、ちくま文庫の百閒集成にもふつうに入っていた。たいして厚くないとはいえ、一気に読むものではないけれども(私は3ヶ月かけて読んだ)、日記の日付と実際の日付を合わせて読んだりしても面白いのじゃないかと無責任に思う。



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尾辻克彦『整理前の玩具箱』(1982)
整理前の玩具箱 (1982年)
大和書房


 尾辻克彦/赤瀬川原平の文章って何なんだろう。
 たとえば『芸術原論』(1988)という本のなかで、印象派の絵について書かれた部分がある。まず、《絵具を塗ることが一番楽しかったのは、やはり印象派の人々ではなかったかと思う。》としたあとに、こう続く。
《キャンバスにはいちおう風景や人物というものが描かれてはいるけど、それはただ絵具を塗る快感のための手続きである。それを塗る快感の残した痕跡が、結果として絵になっている。そう思えて仕方がない。だってそこに描かれているものは、何でもない風景ばかり。何でもない静物や人物ばかり。
 そのあとの「近現代」の絵画というのは、印象派と同じことはしていられないというわけで、テーマや工夫ばかりが開発されて、自意識が絵具の外に丸出しになってくる。思えば印象派の絵には、自我の蒸発という感覚さえ味わわされて爽快である。現代美術に魅力的な絵があるとすれば、それは必ず印象派の絵具と命脈がつながっているはずである。》pp72-3

 ひとつも難しい言葉を使っていないので、すらすら読めるが、すらすら読みながらおどろき、読み終えてまたおどろいて読み返す。どうしてこんなことを、ここまで簡素なふうに書けるのか。
 小説の場合も同じだ。前にも書いたのだけど、『父が消えた』(1981)をはじめて読んだときは本当にびっくりした。
《三鷹駅から東京発の電車に乗ると、ガタンといって電車が動いた。電車はどんどん動くので私は嬉しくなった。こんなこと、まったくいい歳をしてばかな話だけれど……。でもいつもと反対の電車に乗ると、よくこういうことがある。
 私はいままで、この三鷹駅からは東京「行き」の電車にばかり乗っていたのだ。だけど今日は三鷹駅から東京「発」の電車に乗って、八王子の墓地へ行ってくるのだ。電車はいつもの三鷹駅の固まった風景を、もう一枚めくるように動き出した。いつも見慣れていたつもりの風景が、どんどんめくられて通り過ぎて行く。珍しいことである。電車というのは反対に向かうとじつにどんどんと動くのだ。この電車が動くという感じが嬉しくなってくる。》

 日常的ではありながら、理屈をはみ出したところに生まれる不思議な感覚を、まったく日常的な言葉だけを使ってこんなにも的確にあらわせることに、つくづくおそれ入った。
 私が読んだなかでは、『国旗が垂れる』(1983)収録作のいくつかでは、日常的な言葉で的確に書きあらわすことにより、非日常的な出来事と感覚まで文章として定着させてしまう、一種の逆流まで起きていたおぼえがある。
 そこまでいかなくても、小説で新人賞をもらった短篇「肌ざわり」(1979)にしてからが、(これはたしか本人ものちにどこかで自慢していたけれど)冒頭がこうだった。
《本日は晴天である。カラリと晴れわたっている。》

 いや、いまのは例としてふさわしくなかったかもしれないが、すこしも飾らない言葉で、なんでも書きあらわすことができる、そんな気持にさせてくれる文章が尾辻/赤瀬川の書くものではあちこちに発見されるので、それを目当てに、私はこの人の本を年に1、2冊のペースで買ってきては、ちびちびとめくって面白がっている。

 それでさっきまで読んでいた『整理前の玩具箱』は、時事についての文章を集めた本だった。おもに1970年代後半から80年代はじめに連載として書かれたものがまとめられているから、内容としては昔のことに決まっているが(王貞治が現役である)、「古い」感じはぜんぜんしない。
 毎回、書くことを決めてから書き始めるのではなく、まず書き始めてから、続きをどうしていくか考えつつ書き進めるやりかたなのは読んでいてよくわかる。なるほど題材が古くなってもこのスタイルじたいは古くならない、とは説明がつけられる。
 でも、それだけではない。こんなことは証明のしようがないけれども、私が30年前にこの本を読んだとして、そのときに感じるのと同じ面白さを、いまの私はこの文章に感じていると思う。
《道路工事というのはいつもやたらと傲慢で派手なくせに、やめるときはいつも黙ってやめるんですね。予告もなしに、いつの間にかやめている。気がついたらもう普通の道路になっている。あれ? という感じ。だけどもう自動車なんていうのは、あれ? とも思わないで、当り前みたいなスピードでその道路を平気で走っている。そんなあなた、日露戦争なんて、昔の話ですよ、というような感じなのだ。それはそうだ。日露戦争なんて昔の話だ、と私も思う。だけど何か、こう、割り切れないものが残る。》p66

 ここで日露戦争をたとえに出してこれるのを何度でも「すごい」と言いたい。しかも、自分の受け取りかたを細かく振り返ると、「絶妙なたとえを出した」ことだけでなく、「ここに書いてもらったことではじめて、私はこのたとえが絶妙だと知った」のである。こういうことは、どうしてもメモしておきたい。

 つぎは千代の富士が出てきたころの話で(繰り返すが30年前である)、この力士が《今ノシて来ている》という勢いが、見ただけでわかってしまう不思議について。
《それは本人の表情だけでなくて、それを見る周りの反応の仕方にもあるのかもしれない。ウルフの勢いに、周りが感じ入っている。観衆の拍手のどこがどう違うのかわからないけど、その勢いがはっきりと観衆に反射していて、その反射して輝く観衆の勢いというものをまたウルフがはっきりと握りしめて、それがさらに自分の勢いとなって輝いている。それが口ではいえないけれど、とにかく見ていてわかってしまうのだ。おそば屋さんのテレビで見ている私にさえもその勢いというものが反射していて、その反射したものがテレビの中に返って行って、それをまたウルフが握りしめている。何だかそういう感じである。》pp40-1

《それが口ではいえないけれど、》と言いながら、こんなにも明晰に文章にできているじゃないか。そう思う。
 このような調子で、ホテルの火災事故について、日本の漁船が引き揚げて棄てた「新しいネッシー」について、インベーダーゲームについて、そのほか今ではちょっと見当がつかない時事風俗について、そして当時からしても10年前になる「横井庄一」が放っていた不吉な匂いについて、もろもろの考察が並べられており、文章のかたちで発揮されるこの人特有の観察眼を、丸1冊ぶん堪能できた。

 ところで、古本で買ったこの本には、こんな栞が挟まっていた。

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 この難解な写真とコピーを、尾辻/赤瀬川ならどのように読み取ってくれるだろう。そんなことを考えていた。
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