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読めるだけ読むM&D その4
Mason & Dixon

前回…] [目次

 右上に貼ってある書影はペーパーバック版のもので、何種類かあるうち唯一、ハードカバーに似せた表紙のものだ。私も最初はこれを買ったんだけど、単語の意味を書いたりするのに広い余白がほしくてハードカバーを買い直した(絶版だけど、Alibrisで100円ちょっと。送料足して1500円ぐらいだったと思う)。ペーパーバックがいろんな出版社から出るのと、たいていデザインがいまいちというのは、洋書初心者には謎です。


■ 第2章(pp12-3)

 イギリス。田舎の測量士であるディクスンが、王立天文台の助手であるメイスンに送った挨拶の手紙と、それに対するメイスンの返信。ディクスンは「自分は何も知らない田舎者で」、とメイスンにへりくだり、メイスンは「私なんかとても」とこれまたへりくだる。慇懃すぎてとても読みにくい。
 ともかく、一緒に仕事をするよう命じられてしまったので、仕方なく挨拶を交わしている感じ。こうやってお話の中に入っていくわけか。
 ふたりに課された任務は、金星の日面通過を観測するためスマトラまで行くことだった。無茶振りである。


■ 第3章(pp14-29)

(語り手であるチェリーコークは、メイスンとディクスンが初めて顔を合わせた場にはいなかった。あとで聞いた話を日誌に書き留めていて、それをもとに話をしているという枠がまた説明される。今後しばらく、そういう設定なんだと思われる)

 メイスンとディクスンがテーブルを挟んで向かい合っているのはポーツマスの港町、わいわいがやがや騒がしい酒場である。おのぼりさんなのできょろきょろしている様子のディクスンに対し、メイスンは陰があるというか、ちょっとどうかしていて、自分は公開処刑場に毎週通い、首吊り執行人とも親しくなったと自慢し(※ほぼ初対面での会話です)、あれは見るべきだからぜひ一緒に行こうなどとディクスンを誘う。

「田舎に帰って最初に訊かれるのは“死刑を見たか?”だろう」
「“都会もんの言葉がわかったか?”ですよ」

 いまいち、というかぜんぜん、噛み合っていない両者だが、夕闇の降りた酒場には灯りがともされ、肉を焼く煙がたなびいて、船員や娼婦たちの声、馬屋の物音、楽団の調べもにぎやかに、いつの時代を舞台にしても、まったく猥雑な酒場はピンチョンお気に入りの場所である。たしかデビュー作『V.』の最初からしてそんなシーンでした。
 その『V.』にも出てくる登場人物の先祖らしき人物がこの酒場におり、その男こそがメイスンとディクスンのこれから乗る船・シーホース号のえらい船員だったりするんだが、しかし、ここでいちばんインパクトのある登場人物が“喋る犬”なのはまちがいない。
 音楽に合わせて自分のテーマソングを歌い踊りながら登場したこの犬、飼い主のことを訊かれても「私は英国犬、何人も私を所有せぬ」とか答えてみせる。どうしてそんな犬種が生まれるにいたったのかというと、
 犬は食料として人間に飼われていた → 人間は人間を喰わない → 人間に近づけば喰われる危険は小さくなる → その方向で進化 → 喋る犬が誕生、だそうです。
 かくて彼らは尻尾を振るシュヘラザードとして、毎夜毎晩、人間に向かって人間性を説くんだとか。ガラの悪い船員になんか指いっぽん触れさせないこの英国犬、「いまは理性の時代だ」とか言って、自分という存在を禅の公案になぞらえたりもするんだが、それでも、闘鶏場の血の匂いには体が反応している。
 あと、明らかに若い女なのに老女のふりをしている占い師だとか、ひと癖もふた癖もありそうな人間いろいろに会ったのち、ふたりを乗せたシーホース号が出航するのは1761年1月9日(金)だった――

 そうとうに端折ったとはいえ、こんなにごちゃごちゃ書くつもりはなかったんだ(実物からすれば杜撰きわまりないうえ、絶対まちがえている)。読書日記も試行錯誤である。
 科学の徒であるはずのメイスンが、「死」とか「転生」なるものにひとかたならぬ興味を抱いているのがうかがえて、それはなぜなのか、この章の終わりのほうで説明されるんだけれどそれは書かないでおこう。センチメンタルな事情です。
…続き


・ふたりが観測に行かされる「金星の日面通過」について:

 調べたら、というかウィキペディアを見たらこういうことだった。そんな珍しい天文現象があるとさえ知らなかったので、2012年までおぼえておこうと思う。
 リンクをたどってこんなページに行くと、たしかに"The First Transit: 1761 June 6"というところに"Jeremiah Dixon & Charles Mason (Britain)"の項が立っていて、「おお、史実なのだな(そりゃそうだ)」とあらためて納得するのだけれども、史実だけに、そこにこのあとふたりを待つ展開もさらりと書いてあってどぎまぎしたのだった。
 調べるのもよしあしだ。いや、素材を知っておくのはぜったいにいいこと、それはまちがいないんだが、なにしろキリがないわけで、読書じたいも試行錯誤です。
読めるだけ読むM&D その3
Mason & Dixon

前回…] [目次

■ 第1章(pp5-11)
Snow-Balls have flown their Arcs, starr'd the Sides of Outbuildings, as of Cousins, carried Hats away into the brisk Wind off Delaware,-- the Sleds are brought in and their Runners carefully dried and greased, shoes deposited in the back Hall, a stocking'd-foot Descent made upon the great Kitchen, in a purposeful Dither since Morning, punctuated by the ringing Lids of various Boilers and Stewing-Pots, fragrant with Pie-Spices, peel'd Fruits, Suet, heated Sugar,-- (p5)

 前回、訳文を引用した冒頭部分の原文がこれ。ぱっと見で「ちょっと、変」と思うのは、妙に大文字が多いというところ。これはMason & Dixon が、18世紀の冒険小説を装って、擬古文で書かれているためらしい。当時の英語では、名詞の頭文字は大文字にされたとか。ドイツ語みたいだ(って、詳しいことは知らない)。読みにくいことこのうえない、と最初は辟易するが、それがどこまで大文字化のせいなのかは定かではない。というか関係ないと思う。

 時は1786年のクリスマス、場所はアメリカのフィラデルフィア。若いころからあちこち放浪してきたウィックス・チェリーコーク(Wicks Cherrycoke)おじさんが妹夫妻の家にやって来て、しばらく前から滞在している。泊めてもらうかわりに彼は、一家の子供たちに、自分の見聞きした面白話を物語る――
 これがMason & Dixon の、もっとも外側の枠らしい。
 おもては寒風吹きすさぶ真冬の銀世界だけれども、暖炉であたためられた家の中はたいへん居心地がよさそうだ。独立戦争からこっち、国は疲弊しているが、ここではテーブルはじめもろもろの家具調度品は磨き上げられて、食べ物も豊富にあるし、話を聞いてる双子の男の子(PittとPliny)は、おじさんが「犯罪の…」と言えば「はんざい!」と、「ロンドン塔に…」と言えば「ロンドンとう!」と声をそろえて力いっぱい反応するのがなんともかわいらしい。それをしっかり者の姉がたしなめる。

 なんだか、とても楽しそうな状況なのである。私も双子の男の子の隣に並んだつもりでこれからお話を聞いていくんだね……って、これでさえ書きすぎだ。私はあらすじなんかまとめないつもりでこの読書日記を書いていくんだった。ましてや、外の風景描写、「木々は、そのいちばん細い枝まで凍りついてキラキラ輝いていた」なんて部分がたまらんなあ、なんて細かいことまで触れていたらちっとも進まない。
 もとい、ウィックスおじさんがここにやって来たのは、古い仲間だったメイスン(Mason)の葬式に出席するためだった。いまでも毎日、お墓参りは欠かさない。おじさんは20年ばかり前、そのメイスンたちと一緒に「勇敢で、科学的で、しかもそのあとの戦争で無に帰してしまった大仕事」をしたという。
"we were putting a line straight through the heart of Wilderness, eight yards wide and due west, in order to separate two Proprietorships" (p8)

 名詞大文字化のルールがよくわからないので、もう気にしないことにする。
 ところで、「新潮」2010年5月号掲載のピンチョン鼎談で、柴田元幸はこんなことを言っていた。
柴田 […] 密度が濃い小説だから読むのに時間がかかるかなと思う反面、訳者としては『メイスン&ディクスン』は一気呵成に読んでほしいという願望がある。》p256

 それは、無理です!
…続き
読めるだけ読むM&D その2
Mason & Dixon

前回…] [目次

 これまでも何度か読書日記めいたものをやっては挫折しており、反省点がいくつかある。最大のものがこれだ。

 書くのに時間かかりすぎ。

 だいたい私は読むのが遅いのに、輪をかけて書くのが遅いんだから、今回のように時間が限られている場合には、そこをどうにかしなくてはいけない。なので、こんなことを考えた。

 (1)あらすじをまとめようとしない。
 (2)なるべく感想だけ書く。

 つまり、内容の説明をしようなんて思わない、ということだ。だって、人に説明できるくらいちゃんと読もうとしたら、いつまでたっても読めないもの。ここから次の方針が立つ。

 (3)わからなければ飛ばす。

 パラパラめくるに、Mason & Dixon はぜんぶで78章あるみたいなんだけど、1章につき、ひと言ふた言のつぶやき程度、感想を残していければそれでいいだろうと考えている(だいたい、目標は「はんぶん読む」ことだし)。私の好きな「本文からの引用」も、あんまりしないほうがよさそうだ。
 そうなると、自分の記録以外には何の役にも立たない、読書日記というよりむしろ、ただの感想の羅列を私はめざすことになる。何かしらの有益な情報を求め、検索でこのブログにたどり着いた方にはたいへん申し訳ないけれど、これだけは声を大にして言いたい。いいじゃないか、どうせ6月に翻訳が出るんだから
 ではどうしてそんなものをブログで書くのか、についてはおいおい弁解することになるかもしれないが、そんなことより大事なことをもうひとつ。

 (4)きっと途中で挫折する。

 もはやこれも方針である。
 そんなことを書いているうちにおどろくほど時間が過ぎていたので、さっさと第1章から読んでいきたい――とは言うものの、「新潮」2010年5月号のピンチョン特集では、各作品の書き出しが翻訳掲載されており、Mason & Dixon も冒頭だけは訳文がある(それも、“全小説”の第1弾だけあって、ほかの作品より量が多い)。
 さすがにこれだけは引用しておこうと思ったが、せっかくなので、その柴田元幸訳ではなく、12年前にほんのちょっとだけ世に出た、佐藤良明バージョンの冒頭訳を書き写す。
《雪の玉が弧を描き、離れ家の壁に星形の跡を刻した。従兄弟たちの体も雪玉の跡だらけ、帽子もデラウエアから吹きつける風の中へと飛ばされた――橇が家の中に運び入れられ、その底板がていねいに水を払われ油脂を塗られ、玄関の突き当たりに靴が置かれ、ストッキング足の騒々しい行進がキッチンへ続く。朝早くから間断なく続く子供たちの振動音に、煮立つ鍋やヤカンの蓋が呼応するキッチンは、パイのソースと剥いたフルーツ、牛の脂と熱した糖の香りでいっぱいだ……》

 これは、1998年に新潮社が“新潮クレスト・ブックス”をはじめる際に出した、『来たるべき作家たち』というムックに掲載されていたものだ→古本。佐藤良明は、そこで前年に発表されたMason & Dixon を紹介し、あのトマス・『重力の虹』・ピンチョンが、どれほど面白くて深い小説を書いたのか、ぞんぶんに楽しんでみせる文章を寄せていた。
 思えば私はそれを読んだとき(まだ佐藤訳『ヴァインランド』が出る半年も前)から10年以上、Mason & Dixon の翻訳刊行を待っていたわけで、それがあと、たったの2ヶ月半で出るのだから、ああ…、もう原書で無理しないで翻訳を待てばいいかな… いや、いやいやいや。
(なお、このときには、“『メイソン&ディクソン』は、佐藤良明・柴田元幸共訳の予定”だった)

 話を戻すと、上の引用の原文は、ここから4、5回クリックすれば見ることができる(米amazon)。見ればおそらく、その文字面に「おや」と思われるのではないだろうか。
…続き
のろまな子: 読めるだけ読むM&D その1

目次

 もう遅い。どうせ間に合わない。それはわかっているのである。

 トマス・ピンチョンの長篇小説Mason & Dixon (1997)は、あと2ヶ月半後の6月末に、柴田元幸による翻訳が新潮社から刊行される。
 “トマス・ピンチョン全小説”という企画の第1弾で、文芸誌「新潮」の2010年5月号にはピンチョン特集まで組まれているから、これはもうまちがいない。タイトルは「メイソン&ディクソン」ではなく、『メイスン&ディクスン』で決まりのようだ。

 この翻訳には相当な時間がかかっていて、たとえばこのブログでも、5年前にこんなことをメモっていた。2005年当時、「あと3年待つのかあ」と思った私は、「いや、もっと遅れるだろう」と予想、Mason & Dixon の原書を買ったのだった。3年、さらにプラスアルファの猶予があれば、もしかすると自分でも読めるんじゃないか。読めないにしても、全ページに目を通すくらいは。そんなふうに考えた。
 そして実際に「あと3年」より「もっと遅れ」たわけだが、いぜん私はMason & Dixon を読んでいない。何度か挑戦して、ぜんぶで773ページあるうちの、70ページくらいまではめくったんだけど、その程度で挫折している。10分の1以下である。
 この小説は、18世紀の後半、英国王立協会から派遣されたふたりのイギリス人(メイスン&ディクスン)が、独立前のアメリカで、のちに北部・南部を分ける境界線となる州の境を測定しようと奮闘する、波瀾万丈・抱腹絶倒の大陸横断歴史冒険物語だと紹介されているはずだが、たしか私の読めた範囲では、ふたりはまだアメリカに渡っていなかった。『罪と罰』で言えば、ラスコーリニコフが下見をしているあたりじゃないだろうか。

 訳書が出たら、この原書ハードカバーを読むことは、これから先、きっとないだろう。それはなんだかもったいない気がする。すごくする。なにしろ5年のあいだ、私の部屋に鎮座ましましていたのだから。
(参考までに画像を貼ろう。650ページ近くあってけっこう大きい『ヴァインランド』と較べても、このデカさと、この厚さである。日本ではなかなかお目にかかれない立派な体格だと思う)
 しかし、まず、私はろくに英語が読めないし、しかも相手はピンチョンだし、そのうえ(中略)……と、「6月末に刊行」との告知があった2月からウジウジ悩んでいたのだが、次第に、べつにぜんぶ読めなくてもいいじゃないか、と思うようになった。だって、読めないものは読めないんだもの。

 ・ぜったい読み終わらないが、気にしない。
 ・むしろ、読み終えようなんて思わない。
 ・翻訳が出たらそこから翻訳に切り替える。それでいいじゃないか。

 と、こういうことにして、ようやく、読書日記のようなものをはじめる気になった。ふと、2月からやっていれば期間は倍あったことになったのか、との思いがよぎったが、まあそれも気にしない。
 目標としては、あと2ヶ月半で全体のはんぶん、390ページを越えられれば充分だと考える。いや、それだって無理のある高望みだ。200ページでもいい。100ページ行かなかったとしても、それはそれである。だらだらと行く。
 そんなわけで、この日記のタイトルは、「読めるだけ読むM&D」ということにする。

…続き


Mason & DixonMason & Dixon
(1997/04/30)
Thomas Pynchon

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■ 目次: 読めるだけ読むM&D

 (1)あらすじをまとめようとしない
 (2)なるべく感想だけ書く
 (3)わからなければ飛ばす
 (4)きっと途中で挫折する

 こんな方針で、2010年4月中頃からThomas Pynchon Mason & Dixon (1997)の読書日記をやっています。ぜったい読み終わらないが、気にしない。
第1部(Latitudes and Departures):

その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 その9 その10 その11 その12 その13

第2部(America):

その14 その15 …


 内容については、あちこち確実にまちがっています


Mason & DixonMason & Dixon
(2004/01)
Thomas Pynchon

商品詳細を見る

↑これは現在手に入るペーパーバック版のひとつですが、私は読むのにハードカバー版を使っているため、引用などのページ数表記はズレているかもしれません。

■ アルファベット順、またはページ順の注釈はこちら
 (とてもかっこいい "Pynchon Wiki"の中にあります)
「生活考察」Vol.01(2010)


「生活考察」という雑誌が登場。作ってる方のブログはこちらで、どんな雑誌かも入手法もここに書いてあります。“ある種の”ライフスタイル・マガジン。

 ちょうど1年くらいまえ、「WALK」という雑誌で、20人あまりの執筆者全員から日記を募り、1冊がまるまるぜんぶ日記のかたまりになっているという号を面白く読みました→これ
 あれを編集された方の新雑誌がこの「生活考察」ということで、それにまたタイトルがタイトルなので、同様に日記・身辺雑記寄りのものを予想していたましたが、めくってみれば内容はいろいろ。
 生活書く人もいれば、生活について書く人もいて、前者は日記に近づくし、後者は、たとえば小澤英実さんのように、女性が仕事しながら生活することについての考察になる(「あたし、この戦争が終わったら……」)。さらには、赤羽のディープな漫画を描いている清野とおるさんへのインタビューまでありました(読んでなかったその漫画が読みたくなった)。

 どうしてこんなにバラエティー豊かな誌面ができたのかといえば、それは「生活」というくくりが巧みだからで、この雑誌を一冊読むだけでも、ヒトのする行動で「生活」から漏れるものはないと思わされます。
 いや、なんかちがうな。それを「生活」と見る視点さえあれば、ヒトのする行動は、およそ何でもこの枠ですくい取れる・だからすくい取ってみてよ、という依頼に執筆者がそれぞれ応えてみた、というか。応答のバラつきが読みどころです。

 日記、という話でいえば、すこし前の「新潮」2010年3月号が作家52人のリレー日記1年ぶんを掲載して話題になりました。私も読んだ。これについて、たしかネットのどこかで、あのリレー日記で読む価値があるのは×人だけ、というようなことを書いてる人がいて、それは日記の読みかたじゃないのでは、と首を傾げたのを思い出しました。その人は、赤の他人のウェブ日記を2年分まとめて読む、とかしたことないんじゃないかな。私は今もよくしています(って、いばることではない)。
 この興味が何に発するのかいまひとつ説明できないものの、「生活考察」今号で、そのような関心にいちばん引っかかってきたのは、栗原裕一郎さんの「超身辺雑記トムソン」でした(この人は「WALK」日記号でも、たしか自炊を中心に長大な日記を書いていて読み応えがあった)。
「スロークッカーと私」と題された今回の4ページでは、マイナーな調理器具・スロークッカーを説明し、欠点と利点、実際に使ってみた様子、と細々したことを書き、その歴史までまとめておきながら、せっかくなので最後に普段は作らない料理を、とスペインオムレツに挑戦した結果、これスロークッカーじゃなくてフライパンでよかったんじゃね? という感想で終わる。
 この、盛り上がらない感じが素晴らしいと思いました。これは日常だ。日常という生活。そこを書いていいんだ、というささやかなおどろき。

 それとやっぱり触れておきたいのは、福永信さんの「日付と時間のある文章」。これは福永さんが、「群像」の“創作合評”に参加した経験から舞台裏を説明したうえで(ゴシップ的な意味ではありません)、つぎに、最近そこで取り上げられた自作「一一一一」の読まれ方について意見する、そういう文章になっています。率直に言って「もっとちゃんと読み、もっとちゃんと論じてほしい」ということになり、ある評論家の姿勢に苦言が呈される。
《うまくいえないのなら、いえないままでいいんだから、読者は、その「うまくいえなさ」を鋭敏に読み取るものだから、それが読むことなのであって読まれる側が、流すことだけは、まずい。》

 この雑誌のなかでもかなり異色な文章ですが、小説家の「生活」の枠にはここまで入るんだな、と、考えてみれば当たりまえのことを思わされました。
 ……いや、なにより、その評論家のした読みまちがいと同じまちがいを、こないだ「一一一一」を読んだとき→これに私もしていたことを知らされ、申し訳なさで夜中にああ、とうめきました。失礼しました。

「生活考察」はネット通販のほか、一部書店でも買えるようです。もういちど貼る。次号も楽しみです。
11人いる(×2)

 紀伊國屋書店の新宿本店でやっている、ワールド文学カップというフェアが楽しい。どんなものかはリンク先を見てもらうとして、ブログのほうで紹介される「○○のベストイレブン」を見てるうちに、こちらの方もやってらっしゃるみたいに、自分でも作りたくなってきたので考えてみた。

 いちおう、選手は20世紀から選んだ。なぜそのセレクトか、あまり説明しないところに妙味があると思われますが、私はサッカーを知らないので想像でコメント。下線の選手は、ちょっとだけ詳しい紹介にリンク。
FW:ドナルド・バーセルミ『罪深き愉しみ』
   (変幻自在、理解できない脚さばき)
FW:イタロ・カルヴィーノ『レ・コスミコミケ』
   (同上)
MF:アドルフォ・ビオイ=カサーレスモレルの発明
   (創造的です)
MF:大江健三郎『洪水はわが魂に及び』
   (あえて『万延元年のフットボール』ではなく)
MF:フラン・オブライエンドーキー古文書
   (野生のポテンシャル)
MF:スティーヴ・エリクソン『Xのアーチ』
   (名前からして謎のパス)
DF:フアン・ルルフォペドロ・パラモ
   (死んでも立ち直る)
DF:ウラジーミル・ナボコフディフェンス
   (名前名前)
DF:ジーン・ウルフケルベロス第五の首
   (門番とあだ名されること必定)
DF:トマス・ピンチョン競売ナンバー49の叫び
   (祝文庫化。何となく足の速そうな名前なので駆けあがったり)
GK:ミロラド・パヴィチハザール事典
   (堅牢そうでも実は身軽。かつ3体に分身)

控えFW:佐藤亜紀『天使』
   (本気を出すとスタジアムが粉々に砕ける)
控えDF:ディーノ・ブッツァーティ『タタール人の砂漠』
   (ずっと控えでも怒らない)
控えGK:筒井康隆『虚航船団』
   (ハイブリッド・チャイルド)

監督:メルヴィル『白鯨』
   (自分以外はみんな雑魚だと思っています)

 ……無理して11人に絞る、というところに面白さがあると思われますが、がまんできずにもう1チーム作ってしまった。

 FW:ミハイル・ブルガーコフ巨匠とマルガリータ
 FW:ジョン・バース『酔いどれ草の仲買人』
 MF:リチャード・パワーズ舞踏会へ向かう三人の農夫
 MF:小島信夫『美濃』
 MF:ボリス・ヴィアン『北京の秋』
 MF:保坂和志『カンバセイション・ピース』
 MF:ティム・オブライエン『カチアートを追跡して』
 DF:レーモン・ルーセル『アフリカの印象』
 DF:スティーヴン・ミルハウザー『エドウィン・マルハウス』
 DF:マリオ・バルガス=リョサ『緑の家』
 GK:レーモン・クノー『はまむぎ』

 観客席:村上春樹『遠い太鼓』

 お粗末様でした。フェアの会場で無料配布されている冊子はすごく充実しているので気がつくと一読どころか再読・再々読してしまいます。
ブログのほうにPDF版もあり。なぜか、吉祥寺のブックス ルーエで階段踊り場にも置いてあるのを発見しました)
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