2010/02/07

岸本佐知子『ねにもつタイプ』(文庫版、2010)

ねにもつタイプ (ちくま文庫)
ちくま文庫

 3年前に単行本版が出てすぐに買い、繰り返し繰り返し読んで感想まで書いた→これ本でも、文庫化にあたって「微妙に増量」したとあれば買わないわけにはいかない。
 さっそく目次をながめ、どれが微妙な増量分なのか当てようとする → あきらめて巻末をめくり、追加されたタイトル(4本)を確認 → それをさがして読むんだが、パラパラしている最中に目についたものも読んでしまう → その前後も読んでしまう → 結局まるまる読み返している、ということになる。そして今回も満足した。というかひれ伏した。

 岸本佐知子の文章は、どこがどう面白いんだろう。
 この文庫本に入っているものは、1本1本の長さはほとんど同じだけど、組み立てはさまざまである。乱暴者をよそおい「これはこのパターン」と分類していっても、たとえば未読の人に面白さを伝えるうえで、あんまり意味はない気がする。ただの自己満足だ。
 だからここでは、私がいちばん好きなパターン、つまり「あるある」から始まって、気がつくとずっと遠いところに立っている、というかたちをひとつ、なぞってみたい――って、こちらのほうがさらに自己満足なのはわかっているが、しかし私は、この本に入っている「フェアリーランドの陰謀」という1本が本当にすごいと思うので、ただただ、ここに引用してみたいのだった。
(文庫版では59~62ページに相当。うち1ページは挿絵。つまりすごく短い)
 
 まず、キシモトさんは、「シャンプーとリンスをまちがえないよう入念に確かめて買ったのに、まちがう」、「パスタを太さに気をつけて選んだのに、まちがう」という出来事を並べ立て、なぜこのような出来事が起こってしまうのか原因をさぐる。でも答えはわかっている。妖精のせいだ
《妖精がボトルを手に取る一瞬だけ私の目をくらましたか、さもなければ後でこっそりすり替えたに違いないのだ。》

 これじたいは、ぜんぜん珍しくないだろう。むしろ「あるある」の範疇で、そうその通り、とさえ思う。そんな気持をくすぐってくれるだけでも面白いのだが、このようなふつうの発想を「進める」、「進めることができる」のが特異な点だと思われる。友達との予定を、いちど確認したうえでまちがえたとき、
《私は慄然となった。妖精の手口は確実に進化している。私の目を惑わせて「六日」を「八日」と読ませたのみならず、一時的に私の意識を占領し、耳と口を操って、偽りの台詞を言わせるという術をさえ弄したのだ。》

 ややハードボイルドなつぶやきである。内容はさしてハードボイルではないが、まだ「うんうん」とうなずきながら読んでいくと、こう続く。
《オーケイ。奴らは巧妙だ、それは認めよう。しかしいったい何のためにそのようなことをするのか。私をそのように困らせることによって、いったい彼らにどんな益があるというのか。
 最近では、妖精の姿が目に見えるように思える時がある。

 まったく自然なつながりのようにして、改行の瞬間、飛べるとは思えなかった境界線を飛び越えている。こうなったら、あとはキシモトさんの独擅場である。
《たとえば財布にたしかに入れおいたはずの札が消えているのに気づいた時、秘蔵の菓子が知らないうちに半分に減っているのに気づいた時、止めた覚えのない目覚まし時計が勝手に止められているのを見つけた時、そんな時に素早く頭をさっと横に動かすと、あわてて隠れる彼らの姿を、一瞬目の端に捉えたような気がすることがある
 いずれもっと速く頭を動かせるようになったら、連中をこの手で捕まえられるのではないかと私は思っている。》

 ここに「あるある」は、もうない。文が進むごとに境界線が飛び越され、妖精が実在してくる。私なんかは、飛び越されることによってはじめて、そこに境界線があったことと、この人にはそれが飛び越えられることを、あわせて知らされる。そして、飛び越すごとに紡ぎ出される文章が、じつに、ほんとうに、これっぽっちも立派ではない、というところが、すばらしいと思う。
《素早く逃げようとする、その足だか尻尾だかをあやまたず捕え、さんざんに脅しつけて、きっとどこかにあるに違いない彼らの国に案内させる。》

 このあと、もっと想像は進み、こちらの地面に降りてこないまま終わるのだけど、ひるがえって、はじめに自分も「あるある」と感じた思いつき、あれが本当にキシモトさんと共有できていたのかどうかが怪しくなっていることに気づく。この人は、もとから私とぜんぜん別のところを見ていたのではないかと思われて、今度はこちらが慄然とする。はしごを外される感覚。4ページで(うち1ページは挿絵!)ここまでしてしまう。

 似たような組み立てのものも、これとは異なり、いきなり遠いところから始まるものも、『ねにもつタイプ』には入っている。だけどまとめていえば、どの文章も最初から「ちがう」のだ、というのが、川上弘美さんの感想だった。
「ちがう」といえば、上の引用中、《秘蔵の菓子》も、これだけで余人の追随を許さない文字だと思う。

 もとの連載は筑摩書房のPR誌「ちくま」で粛々と続いている。つぎの1冊にまとまるのはまだ先だと思うが、それまではずっと、この本(と、『気になる部分』)を読んでいればよいので、私はそんなにつらくない。



気になる部分 (白水uブックス)気になる部分 (白水uブックス)
(2006/05)
岸本 佐知子

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