趣味は引用
「ニュータウン入口」(本公演 2007/09)
 9月23日の日曜日、宮沢章夫の遊園地再生事業団公演「ニュータウン入口 または私はいかにして心配するのをやめニュータウンを愛し土地の購入をきめたかを見にいった。14時からの回。これまで2度あったプレビューに続く、本公演。場所は三軒茶屋のシアタートラム




      遠くから声がする。

女たち  イスメネ。イスメネ。イスメネ。
イスメネ  声だ……。俺を呼んでる……、もう、そんな時間なのか? もう店が開くのか? もうバイトの時間か? ……それにしても、この石はいったいなんだ?

 引用してみてはじめて、「イスメネ」という語はキーボードでひどく打ちにくいことがわかった。
「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を読んでみる その56

[前回…]

 新登場のパニュルジュは、トルコ人に捕まっていたのを命からがら逃げ出してきたという。その顛末をパンタグリュエルたちに向かって嘘いつわりなく述べたのが第14章。
《トルコの田吾作野郎どものために、私は、まるで兎のように、脂肉まで添えられて串に刺されてしまいましたが》、というところからスタートする話のてんやわんや具合は、たしかに見どころ満載である。
 生きたまま火にかけられて、半分くらい焼けかかっていたパニュルジュが神様に助けを求めていると、祈りが通じたのか、焼肉番の男がとろとろ眠ってしまう。
 そこでパニュルジュは、燃木を歯で咥えて放り投げ、トルコ人の野営地に大火事を起こす。さすがに目を覚ました焼肉番が、パニュルジュを縛っていた綱をほどき、串から外して火中に投じようとしたところに上司である奉行[パシャ]が駆け込んできて、怒りのあまり、焼肉番のほうを殺す。
《その仔細はと申すに、奴めは、臍の少し上のところの右の胴腹にぐさりと鉄串を突き通され、肝臓第三葉部を貫かれましたが、更に上へぐっと突かれて、横隔膜に孔を開けられ、鉄串は、心臓の心嚢膜を通って、脊椎骨と左部肩胛骨の間の辺、肩の上へにょきりと突き出てしまったのでございますよ。》第14章 p112

 因果応報なのかどうか知らないが、一方のパニュルジュは、串から落っこちたものの、体に脂肉を巻きつけられていたおかげでダメージはなかった。そうこうしているうちにも火は燃え広がって奉行は大狂乱、いっそ自殺しようと思ってさっきの鉄串を今度は自分の心臓に突き立てようとする。
《そこで私は奴さんのところへ行って、こう申しました。
 「豚痴奇さん、そんなことをしていては、時間が無駄ですぜ。それじゃ、金輪際死ねませんからねえ。傷ぐらいなら、うまく附きましょうがね、しかし、それがもとで一生涯外科医の手にかかって苦しみますぜ。だが、もしよかったら、あたしが、今綺麗さっぱりと殺してあげましょうか。ちくりとも痛くないようにしてあげますぜ。これには腕に覚えがありますな。何しろ、あたしは何人も人を殺しましたが、お蔭様で相手は皆極楽往生してますとさ」と。
 「ああ、お願いじゃ!(と奴さんはぬかしましたな。)なあ、そうしてくれれば、わしの財布はさしあげるわい。[…]」》p113

 かくて奉行を首尾よく虐殺し、自分も半焦げのまま街道まで逃げ出すと、集まってきた人びとが水をかけてくれたので《非常に気持がよくなりました》。しかも串に刺されて焼かれていたために、持病だった坐骨神経痛がすっかり治ったのだそうである。
 そのあいだにも火事は大きくなって、二千軒以上の家屋に燃えうつり、全市をさながらソドムとゴモラのように焼いてしまう。これを丘の上から眺めやり、歓喜のあまり脱糞しながら快哉を叫んでいると、千三百十一頭以上もの犬が町からわんわんきゃんきゃん逃げてきて、こんがり焼けたパニュルジュの肉のにおいを嗅ぎつけ駆け寄ってくる。大ピンチ! だがパニュルジュはひらめいて、体についていた脂肉を犬の群に放り込む。途端に犬はそちらへ殺到し、パニュルジュそっちのけで格闘をはじめた。危機一髪。
《[…]こうやって元気よくぴんぴんと、危難を逃れ出たしだいでございますが、いやさ全く、焼肉料理万々歳でございますよ。》p117

 どうだろう、これ。引用した部分、太字にした部分、とりわけ脂肉をめぐる部分を見るにつけ、このすがすがしいほどのでたらめには、でたらめだからこそ実現しうる力強いスジがいっぽん通っているのをひしひしと感じるし、それこそパニュルジュを突き通していた鉄串のように本章をまっすぐ貫いているこのでたらめのスジのことを、虚構作品のリアリズムというんじゃないかとちょっと感動したのだった。いやさ全く、焼肉料理万々歳でございますよ。
 逃げてきた犬の数、「千三百十一頭以上」の「一」もいかしていると思う。

「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を読んでみる その55

[前回…]

 いまの私にはたいへんタイムリーで面白い、プレイ日記を見つけた。
 “DQ2をやってみる”「ca et la」より)

 この方はまったくの初めてではなかったようだけど、やはりロンダルキアへの洞窟では苦労したらしく、手描きのメモが涙を誘う(→「24」)。


 復帰。
 パリに滞在することになったパンタグリュエルは、熱心に勉強する。ガルガンチュワも、長い手紙をしたためて、ギリシヤ語、ヘブライ語、ラテン語にはじまる語学、自然科学、医学、とにかくあらゆる学問をするようはっぱをかける。とはいえ《賢者ソロモンの言えるがごとく、叡智は邪なる霊魂の裡[うち]に断じて宿るものにあらず、良心なき智識は霊魂の荒廃に外ならざれば、――そなたとしては、神に仕え、これを敬愛し、これを畏れ、何ごとにつけても神を念じ奉り》云々かんぬんと、念を押すことも忘れない。立派な父親だ。いまはもう500歳を越えているらしいけど、自分も若いころは猛烈に勉強したのを思い出したのかもしれない(→その21)。しかし手紙の文面は立派すぎて、いささか読みにくい。ぜんぶ「候文」ふうに訳してある。学識があるのもよしあしだ、という感想は、この手紙に対してだけでなく、次に登場するあたらしい男にもあてはまる。

 ある日、パンタグリュエルがお伴を連れてパリ市外を歩いていると、向こうからひとりの男がやってきた。
《この男は、押し出しも立派で体格好も優雅だったが、諸所ほうぼうに哀れにも手傷を負い、帯しろ解けといった風体なので、犬の群にでも襲われて逃げてきたのか、さもなくば、ペルシュ地方のおんぼろ姿の林檎摘み人足そっくりだ、と申してもよいように思われた。》第9章 pp72-3

 そこでパンタグリュエルは親切に声をかけるのだが、男の返事はこんなだった。
《Junker, Gott geb euch Glück unnd hail. Zuvor, lieber Juncker, ich las euch wissen, das da ihr mich von fragt, ist ein arm unnd erbarmglich Ding, unnd wer vil darvon zu sagen, welches euch verdruslich zu hoeren, unnd mir zu erzelen wer, wievol die Poeten unnd Orators vorzeiten haben gesagt in iren Sprüchen unnd Sententzen, das die Godechtnus des Ellends unnd Armuot vorlangs erlitten ist ain grosser Lust.》pp73-4

 ドイツ語だ。それではわかんないから、われわれにもわかる言葉で答えてくれよ、と要求すると、今度はまた別の外国語で返事がかえってくる。それではわかんないから…… という繰り返しがえんえん続き、相手の男の口から出るのは、イタリヤ語、スコットランド語、バスク語、オランダ語、イスパニヤ語、デンマーク語、ヘブライ語、古代ギリシヤ語、そしてラテン語。
(ご丁寧なことに、これらの答えはひとつひとつ原文で紹介され、そのそれぞれに、ちがった訛りのついた訳文が並べられている。さらには、ラブレーの作った架空言語にも訳文がついている
 噛み合わない、長い問答の末にパンタグリュエルは音をあげた。
《――これはどうも、(とパンタグリュエルは言った、)そなたはフランス語をしゃべられぬのかな?
 ――殿、幸いにしてよく語れまするが。(と相手の男は言った。)フランス語こそ、生れながら心得ましたる母なる言葉でございます。》p84

 こういう男をこそパンタグリュエルは殴るべきだと思うが、なぜかこのときは辛抱強く、それどころかこの男に惚れこんでしまう。で、使われる言葉こそバリエーションに富んではいても、男が言いたかったのは単純で、「ものすごく空腹なんで、食べ物と飲み物をください」ということだった。パンタグリュエルは喜んで男を宿まで連れ帰り、たらふく料理を与える。この男の名はパニュルジュといった。

「○○○○は ひらりと みをかわした!」
 きのうから続く日記。いつだって続き。

 ■ はじめてドラクエ II をした

「ツイン・ピークス」を見終え、9月になってからは、ドラクエをやっていた。「 I 」と「 II 」がいっしょに入っている、スーファミのリメイク版。これ自体が14年前のソフトだった。
 私は「目が悪くなる」という理由でファミコンを買ってもらえない子供だったので、ドラクエは「 I 」も「 II 」も「III」も「IV」もやれなかった。「ファミコンがあってもなくても、この子の目は悪くなる」との真理に達した親がスーファミは買ってくれたおかげで「V」だけやったが、正直、印象は薄い。高校のころ、ある友達からは「同い年なのにジョジョも読んでない、ドラクエに熱中したこともない、そんなお前はなんて貧しいやつなんだろう」と憐れまれた。
 そういうところにずっとコンプレックス(!)があるので、大学に入るのに上京するとき、件の「ドラクエ I ・ II 」を買い、入学式の前に「 I 」を終えて「 II 」をはじめ、でも途中でやめた(後述する)。

 今回、何年かぶりであらためて「 I 」をやり、「 II 」に移行して、こないだの週末に無事クリアした。いまどき、しかもはじめて「 II 」をやる人もあんまりいないと思うので、こういう事後報告ではなく、けなげな「ドラクエ II をやってみる日記」を書いてみようかとも思ったが、主人公3人に知り合いの名前をつけてしまったせいで、それも遠慮した。かつて上石神井に住んでいた後輩3人が、力を合わせて世界を救ったことになる。自分で勝手に名付けておきながら、釈然としない気持が残った。こんど会ったら、何かおごろうと思う。

 ゲーム歴がほとんどない私のなかには、「 II 」の難易度がどれくらいなのか判断する基準がない。「まあがんばりな、と放り出されている感」をひしひしと覚え、ゲームって(あるいは、当時のゲームって)こういうものだったのか、と新鮮な思いをした。なんというのだろう、目の前3メートルの距離に吊り下げられたニンジンを追って走らされる馬になったような気分を何度となく味わう。何をどうすれば先に進めるのか、皆目見当がつかないわけではないけれど、もうちょっとヒントがあってもいいんじゃないかとたびたび不安になった。
「どうして1メートルでも2メートルでもなく3メートルなんだろう。これでいいのか」と思いながらプレイしていたが、事実として、20年近く前には何百万という人間がしっかりニンジンを追いかけたのだから、きっとこのバランスでよかったんだ、私が甘いんだ、と考えるしかない。

 そういった、リアルタイムでプレイした人たちに義理立てするつもりで、探せばいくらでも見つかるにちがいない攻略サイトの世話にはならず、ノーヒントで進めようとまず決めた。しかし、ときには3メートルが10メートルに感じられることもあり、当時だってゲーム雑誌や口コミに助けられたりした人もいるだろうという気もしてきて、迷った末、「友達に聞くのは可」ということにした。ゲーム中、3人が船を手に入れたあたりだった。

 とはいえ、2007年のいまごろ「じつはドラクエ II をやってるんだけど」と話をもちかけても怪訝な顔をしない人間がいるだろうか。いや、いた。高校時代に私を憐れんだ、当の友達である。そして実際、連絡をとってみると、私のヌルい質問に彼はいつも的確なレスポンスを返してくれたのだった。
 スーファミのほかにゲームボーイも買ってもらえたので親に文句は言えないけれども、私にとって、ファミコンの話はほぼ神話である。以前から、横で交わされる話を聞いているときにもよく思っていたのだが、この友達に限らず、小学生のころから真剣にゲーム(=ファミコン)をやっていた人間には、単なる知識や経験では説明のつかない何かが蓄積されていると、あらためて感じた。何気ない言葉のはしばしに、自分にはない他人の思い入れを感じ取るのは面白い。
(例:「太陽の紋章が見つかりません」
   「ある限りの建造物に入って、やまびこの笛を吹け。
    言えるのはそれだけだ」)

 この友達は、高校卒業後、もう1人のやはり真剣にドラクエをやって成長した友達と2人で私の部屋に遊びに来て、やりかけていた「 II 」を「おれたちにちょっとやらせてみ」とプレイしはじめ、慣れないアルコールを摂取した私が速攻で寝てしまってからも、朝までコントローラーを握っていた。目を覚ました私がテレビの画面を眺めて「それ、どのへん?」と尋ねると、2人からは「最後のダンジョン。」との答えが返ってきた。「この角は右だよな」「そこに落とし穴が」などの会話を遠くに聞きながら、悲しい気持で私はもういちど眠り、起きて彼らを帰してから、スーファミを封印した。これまで私が「 II 」をやり直さなかったのは、こういう事情による。

 その最後のダンジョン、落とし穴と無限ループが続く、ロンダルキアへの洞窟は、スーファミ版だと「いちど落ちた落とし穴は、以後、表示されたままになる」ので、友達に言わせれば「それだけでも全体の難易度はずいぶん下がった」とのことなのだが、いや、表示されなかったらきっと私は挫折していただろう、と怖気をふるう。なお、ゲーム中でいちばんたいへんだったのは、この洞窟にある(それだけはヒントもらった)いなずまの剣をさがすことだった。エンディングを見て、とりあえずメールで報告した。

「おかげさまでクリアしました。しかしあんなにボコボコ落とし穴のある無茶なところを、小学生のきみらはよく乗り越えたもんだよね」
「あのフロアは、2×2を1ブロックとして見た場合、右上にしか落とし穴はない。先に言ったらつまらないので内緒にしてたが」

 さらりとかえってきたこの返事に、私は心の底から感動した。結局私は、ドラクエを面白がっているつもりで、この友達を面白がっていたのかもしれない。そして感動したまま、ヤフオクへ「III」のスーファミ版を探しにいった。



 追記1:
 ウィキペディアの記事で、私がそれなりに苦労したスーファミ版は、ファミコン版より「かなり楽」なものだったと思い知る。ファミコン版をクリアしたすべての人にあたまが下がる。
 → Wikipedia: 「ドラゴンクエストⅠ・Ⅱ」


 追記2:
 上に書いた友達の、これまでの活躍
 ・私に「怪奇大作戦」をすすめる 2006年4月
 ・私にジョジョを読ませる 2005年8月
 ・ほかの友達の結婚式に参加する 2005年3月

 *当然のことながら、彼はこのブログのことを知らない
警官の主食はドーナツ
 ここしばらくの日記をまとめて書く。項目はふたつしかない。

■ 「ツイン・ピークス」を見た

 7月の末から1ヶ月かけて、「ツイン・ピークス」を見た。17年くらい前のアメリカ製テレビドラマ。監督デイヴィッド・リンチ。(1)パイロット版+(2)本篇29話+(3)映画版=計26時間くらい。

 カナダとの国境にほど近い田舎町ツイン・ピークスで、高校生ローラ・パーマーの惨殺死体が発見される。FBIから派遣されてきたクーパー捜査官が地元警察と協力して犯人を捜すことになるのだが、それによって明らかになるのは、事件の真相よりも住人たちの隠れた関係や過去の事件・大小いろいろの出来事で、それもだんだん、暴かれることでややこしい影響をあちこちに生んでいく具合。さまざまな思惑のからんでくる捜査は進んでいるんだか戻っているんだか。本篇は、1~7話のファースト・シーズンと、8~29話のセカンド・シーズンからできている。
 毎話、メモ取りながら見ていたので、「ツイン・ピークスを見ている日記」でも書こうかと思ったが、どうやってもネタをばらすことになる気がして遠慮した。とはいえ、設定はやたら細かく入り組んでいるように見えるのに、緻密に作られた謎を堅実に解いていくという話ではぜんぜんなくて(クーパーの捜査法は「夢のお告げを待つ」である)、

 ・捜査するから謎が増える
 ・あと付けでどんどん設定を増やしている

 のが如実にうかがえるようになっていて興味深かった。いま思ったが、この2点は同じことじゃないか。畳む気のない風呂敷は広大で、結果、登場人物たちは緊迫しながら、作品としてはだらだらしている感じもずっと残る。それがマイナスに見えないのが不思議。セカンド・シーズンも後半になって、“いかんともしがたく”ほどけていく展開がまた面白かった。不倫コーヒー不倫変人、不倫チェリーパイ変人不倫、といった話である。

 1990、91年の作品なのに、本篇のセカンド・シーズンがDVDになったのは今年の6月なんだそうで、隣町のTSUTAYAだと、「まとめて借りろ。そして見ろ」といわんばかりに全9巻が幾セットも並んでいるのだが、うちの近所のレンタルビデオ屋では、歴史を感じさせる古びたビデオ版がずらりと置いてあったので(こっちだと全14巻になる)、私はそちらで見ていた。順番に借りていた1ヶ月のあいだ、ほかの巻が借りられていた形跡はゼロだった。
 店主のこだわりがときにうっとおしいほどあふれたそのビデオ屋では、本篇14巻のとなりにもう1本ビデオテープがあって、「こちらをまず御覧ください」というシールまで貼られていた。何もわからないまま指示に従ったところ、どうやらそれがパイロット版だったようで、ローラ・パーマー事件が発端から解決までざっと素描されており、たしかにこれを見ておかなくては本篇がさっぱり「?」だったと思われるから、ひそかに店主に感謝した(本篇の最初の数話からは極端に「説明」が省かれている)。むしろ、「謎」と「謎解き」と「でもわからない」の凝縮されたパイロット版だけでも人に勧めたい気持だ。
(ただし、パイロット版でおおまかに描かれる謎解きは、本篇では部分的にしか踏襲されず、だいぶ別の話にそれていく。そんなところも面白い)

 で、いちおうDVD版の1巻も借りて見ると、こちらにもちゃんとパイロット版が入っているのだけれども、それはわたしがビデオで見たのとはちがうバージョンだったので驚いた。謎解きは途中で止まり、よりスムーズに本篇につながるようになっている。パイロット版も2種類あるのか!
 そこでようやくDVDの公式サイトを見てみれば、「ゴールド・ボックス」だの「コレクターズ・エディション」だの映像特典だのヨーロッパ版だのトレーディング・カードだのの文字が踊り、つまり、何にしろ増殖させれば勝ちということかと思われた2007年の夏だった。

 意外に長くなったので、もうひとつ書くつもりだった「■ はじめてドラクエⅡをした」話はまた後日。
齋鹿逸郎という人がいた
 9月9日の日曜日は、目黒区美術館に行ってきた。楽しかったけど後悔もした。というのは、見に行った展覧会はその日が最終日で、見ている最中から「もういちど見に来たかった」と思ったからだった。

 目黒区美術館 《線の迷宮<ラビリンス>Ⅱ―鉛筆と黒鉛の旋律》
 2007(平成19)年7月7日(土)~9月9日(日)

 これは、鉛筆画の分野で現在活動中の日本人画家、9人の作品を集めた展覧会で、チケットを買って会場に入ると、鉛筆(と消しゴム)でどこまで細かく描き込めるか、みたいな作品ではじまり、やっぱりリアルを追い越してシュールの領域になだれ込んでいくのだけど、それはあくまでひとつの方向で、パリッとしたデザイン画や人物画など、9人みんなめざすところはちがって(←当たり前)それぞれがそれぞれに面白かった。

 なかでも関根直子という人の作品は、影とか光とか曖昧なものをもちろん細かく細かく描いているんだけど、近づけば1本1本の線は普通に目に見え、「これは絵だよ」「鉛筆で書いているよ」ということをたえず訴えかけてくるようで、「これを鉛筆で描いているとは信じられない!」みたいな超絶技巧より、こちらのほうが個人的には気に入った。もちろん、こっちはこっちで別種の技巧を駆使しているにちがいないんだけど、なんというか、絵の実物と、パンフにあった作者自身の言葉の合わせ技で、えらく腑に落ちたのだった。
《私は、鉛筆の表現を始めた頃より、描写するという思考から離れ、線で描くということに興味を持っていました。》

 1階から2階に上がり、あれこれ見ていって、いちばん奥にある、齋鹿逸郎という人の展示室に入った瞬間に仰天し、よく見ていっそうじわじわと仰天していった。
 この人の絵は、円とか四角とか太めの線とかそのほかさまざまな図形をびっしり組み合わせて紙を埋めたもので、ぱっと見では都市の航空写真だとか、ICの基盤だとか、腕時計のカバーを外したところだとかのように見えるのだけど、決してそのどれでもなく(というか、図形の組み合わせ以外の何ものでもなく)、そんな「よくわからない図形でびっしり」のよくわからない絵が、タテヨコに何十枚もくっつけられて、展示室の壁の正面、右側、左側の3方を、床から天井まで覆っている。はっきりした線で描かれた図形のかずかずが、見ても見てもなんだかわからいように集められていて、そのくせ整然とした印象も与えてくるのはどういうわけなのか、見ていくほどに気分が高揚した。
 文字通り広大な作品の部分部分によっては、上から何か塗ってあるのか、トーンがうっすら暗いところとそうでもないところがあり、あくまで平面的な部分と、同じく平面的でありながら、(具象でもないのに)なぜか遠近感をかんじさせる部分が混在していて、そういったちがいもいちいち面白い。天井の方は脚立でも持ってこなくては見えないから、「ああ、おれはこれをすみずみまで見たい、それもぜんぶいっぺんに見たい」ともどかしく思う一方、目に入る部分を一箇所ずつ見ていくからこそ面白いのだとも思われ、そしてそうやって見ていくあいだずっと、この図形を作者はひとつずつ描いていったんだよなと考え続けるわけでもあり、いくら見ていても飽きない。むしろもっと見ていたくなる。たとえば私は、右側の壁の中央のあたり、高さ1mくらいの部分にある、斜めに傾いた小さい長方形がタテとヨコにいくつか並んでいるところと、中央の壁の左端から2m、高さ1m50㎝のあたりにあるわりと円が多めの部分がとくに好きになったのだけれども、そもそも、このような感想の書き方をするしかない展示自体がどうかしている。
 すごく面白かった。それなのに会期は終わってしまった。そして、1928年生れの齋鹿逸郎は、今回の展示を楽しみにしながら、さる6月に急逝、と説明パネルに書いてあり、いままで名前も知らなかったことを残念に思うのといっしょに、この展示を常設にしてくれないものかと思った。
ここのリンク先にある作品でいえば、「no.8531」の絵にいちばん近いんだけど、今回の展示は、なんというか、「もっとくっきり」していて「余裕がある」気がした。実物はでかいからか)

 目黒区美術館はいろんな施設の集まった区民センターの一角にあり、日曜は天気もよかったので外のプールでは大人も子供もばしゃばしゃ泳いでいて気持よさそうだったが、帰る私も気持がよくなっていた。
「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を読んでみる その54

[前回…]

 うちの液晶モニターは、もう半年以上前から様子がおかしいのをだましだまし使っていたのだが、最近、本格的に耐えられない色調をかもし出すようになったので、いやいやながら買い換える。新品の電源を入れてびっくり。このブログ、こんな色だったのか。はじめて見た。もしかすると前のモニター、ブログはじめたときにはすでにおかしかったのではないか。

 他人に伝わらない私の驚愕をよそに、パンタグリュエルはすくすく育っていた。学問をする歳になると、お供といっしょにあちこちの学都を遍歴してまわることになる。
 そして各地で、大学生が先生を「生きながら火焙りにしてい」るの見たり、医学に興味を持ったり失ったり、法律の本は「素晴らしく威風堂々として高価な黄金の麗しい衣のようなものだが、うんこで縁飾りがしてある」と思ったり、あるいは、パリから来た、ラテン語交じりの“変体フランス語”で喋る学生に遭遇したりする。
《――[…]そのパリでだな、あんた方書生さんたちは何をして時間を過して居られる?
 すると、学生は答えた。
 ――我ラ旦明ニマタ暮陰ニ塞夸奈ノ流レヲ跨越シ、市里ノ衢巷衢涂ヲ徘徊シ、拉丁ノ辞薄ヲ弄舌シ、且ツハ佯リナキ真個ノ恋愛児トシテ、一切ヲ決裁シ一切ノ形相ヲ纒イ一切ヲ産ミナス女性ノ慇懃ヲ捕捉ス。時到レバ[宋加雅、馬康、屈得薩克、波旁、(具楽地寧)、有竜、(具留寧樽)ナドノ町ニアル]春鬻井魚洞ヲ訪イ、維那ノ恵ミニ羽化登仙シテ似指ヲバ、カノ温情ノ傾城ノ汚辱ガ丘ノ深宏ナル岩窟ニ潜入セシメ、次イデ松毬亭、城屋、馬革達雷那亭、牝騾馬亭ノゴトキ青旆掲グル料亭ニテ、旱芹ヲ挿メル羯ノ見事ナル肩肉ヲ餤ウ。[…]》第6章 pp48-9

 こういう返事にパンタグリュエルはブチ切れるのだが、いま引用した私もその気持は百パーセント理解する。書き写すのにえらく手間がかかった。本文ではこのうえルビも溢れかえっているのだが、もうそれはパス。
 しかしルビといえば、このすぐあともすごい。
 パンタグリュエルはパリに赴き、そこにあるサン・ヴィクトール図書館の蔵書に感歎するのだが、ここで列挙される架空の書名がいちいち凝っていて、その数はおよそ140。たとえば――
 『勇士の象睾丸』

 『陣痛に悩めるポワシー尼僧院の一尼僧に現れし聖女ジェルトリュード』

 『高砂屋嚢包[めでたきごしゅうぎのふくろづつみ]

 『戒鞭哀尻当[いましめのむちあわれしりにあたる]

 『恥哉靴底尻叩[はずかしやくつぞこにてしりをたたかれ]

 こんなのはまだかわいい方で、長大なものだと、これくらいになる。
偉名赫々タル両股法学博士銭掻盗郎先生著『継接肝要アコルソ法学註解迷言ニ関スル明晰無上ノ新論考』[プレクラリンミ・ユリス・ウトリウスクエ・ドクトリス・メーストル・ピロテイ・ラクエデナリ・デ・ボベリナンデイス・グロサエ・アクルシヤネ・バグエナウデイス・レベテイテイオ・エヌキデイルクリデイシマ]

 これ、ルビ打つ必要はあったんだろうか(そして、それを書き写す必要も)。
 なんだか徒労感に包まれたので、次回に続く。