趣味は引用
(無題)
 もう4年くらいずっと、好きで読んでいる日記より。

今週のゲスト

『上沼恵美子のおしゃべりクッキング』今週のゲストが彦摩呂さんなのだった。となれば料理を食べた後のコメントが気になるところ。毎日書き留めました。

月:さくら海老の卵焼き(和)
「さくら海老の恩返しやあ」

火:イカとキュウリの炒めもの(中華)
「イカの中国雑技団やあ」

水:さざえとカリフラワーのにんにく風味(洋)
「さざえのトランポリンやん」

木:くらげとウリの和えもの(中華)
「くらげとウリの二大政党や」
「ひと足早い、ウリの梅雨明け宣言や」

金:牛肉ロールのトマトポン酢(和)
「(おいしくて体が)震えますね。味のマナーモードや」

ありがとうございました。

 ありがとうございました。
「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を読んでみる  その27

[前回分…]

 またけったいな人物が登場する。
 急遽帰国の途についたガルガンチュワとその家臣たち一行は、道の途中で情報を仕入れ、まず古くからの友好国に潜り込み、そこからピクロコル軍の様子を探る偵察を出すことにした。そこで手を挙げたのがジムナストという男。彼が敵陣の方に向かうと、さっそく、略奪行為の真っ最中だった兵士たちに出会ってしまう。当然、なんだお前は、金を出せ、ということになる。そこでジムナストの発した第一声がなかなかふるっている。こう「叫んだ」という。
《──皆さん、私めは哀れな奴でごぜえますよ。どうかお助け下さいまし。》第34章 p166

 ジムナストは並みいる兵士の前で酒筒を取りだすとがぶがぶ飲んで見せ、敵の隊長にも勧める。
《──私は哀れな悪魔めでございますよ。》p167

 演技が堂に入っていたのかなんなのか、敵兵はこの自己紹介を半ば信じ、股袋の中から祈禱書を出す奴までいる始末。
《そこでジムナストは、馬からおりるような振りをして、馬の左腹にぶらさがったが、細身のバタルド刀を小脇に掻いこんだまま、鐙[あぶみ]革をくるりと回したかと思うと、馬の腹を潜って宙に飛びあがり、馬の頭に尻を向けて鞍の上へ両足揃えてしっかと立った。そして、こう言った。「この乗り方は逆手でござったな」と。》第35章 p168

 逆手がどうこう以前に、この男は何をしているのか。それからも馬の上でぐるぐる回転したり、親指だけで体を支えたり、飛んだり跳ねたりの大騒ぎ。敵兵があっけにとられていると見るや、突如、ジムナストは襲いかかる。
《馬からおりて剣の鞘を払い、なかでも一番強そうな奴原めがけてばさりばさりと撃ってかかり、これを打ち倒して屍の山を築いてしまったが、敵兵たちは、斬られたり刺されたり突かれたりしながらも、相手は餓えきった悪鬼だとばかり思いこんでいたから、誰一人として手向かうものはいなかった。》p170

 その発想はなかったわ、というようなトリッキーな戦法である。ところが意外と冷静にも、「向う見ずな行ないは決してとことんまでやり続けるものでない」とわかっているジムナストは、敵隊長の「胃の腑と結腸と腎臓の半分とをばっさり断ち割」って引きあげる。じっさい悪魔である。
 曲芸→虐殺のコンボで敵兵を圧倒したこの男の名前、“ジムナスト(Gymnaste)”とは、「体操の先生」の意味との由。ジャン修道士とコンビを組んでいただきたい。


たいそう

(写真は本文と関係ありません)

「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を読んでみる  その26

[前回分…]

 取り付く島もないピクロコルの返事をもって、ガレはグラングゥジエのところに帰る。そこで彼らは彼らで事情を調査して、自国の羊飼いとピクロコルの国の小麦煎餅売りとのあいだで起きたトラブルが原因だったと知る。でもはじめに手を出したのは先方のようだし、煎餅の代金も払ってある。よって、こっちに非はない。だが心の広いグラングゥジエはこう考えた。
《──たかが何枚かの小麦煎餅だけの問題ならば、向うの得心の行くようにしてやることにしよう。戦端を開くなどということは、気に染まぬこと、この上もない。》第32章 p154

 おわびのしるしに最上の材料を用いた小麦煎餅を山ほど作り、そればかりか「フィリップス金貨を七十万と三枚」給与して、怪我をした煎餅売りには土地まで与えることに決めた。これらの贈物を持って、再びガレがピクロコルのもとを訪れる。
《──おしゃべりは無用じゃ! (とピクロコルは言った。)奴らの持参したものを没収せい。
 そこで、金も小麦煎餅も牛も馬も奪いとってしまい、一言も言わずに使者たちを追い返し、あまり側へは近づくな、そのわけは明日教えてつかわすから、との捨台詞だけであった。》pp156-7

 かように悪役の道を邁進するピクロコルには、やはりあくどい家臣が何人もおり、そろって進言していわく──
・まず全軍を二分して、一方はグラングゥジエの軍を襲撃、これを壊滅せしめて金銀財宝を奪いとる
→そのあいだに別動隊はフランス全土を侵略し、スペイン、ポルトガルまで侵攻、ジブラルタル海峡を渡ってモロッコ、アルジェリアまで手中に収める。海岸沿いにイタリアも攻め落として教皇を脅かし、その勢いでギリシャ半島まで足を延ばしてトルコもアラビアも支配する
→グラングゥジエ軍を破った隊は引き続きオランダもドイツも征服し(中略)
→ブリテン諸島を含めたヨーロッパ全土をわがものにする

 お前はなんだ、子供か、というような領土拡大の野心を吹き込まれてその気になったピクロコルは、今回の戦役の発端が小麦煎餅4、5ダースだったことなど絶対忘れているだろう。「虎穴に入り過ぐる時には虎子も失う」といったまともな意見には、もはや聞く耳も持たない。
《――いざいざかかれ、(とピクロコルは言った、)万事取り急ぎ用意いたせい。者ども続けい、わしを思ってくれる者どもは!》p164

 しかし、まさにちょうど同じ頃、父王グラングゥジエからの急を知らせる手紙をパリで受け取ったガルガンチュワは、即座に馬に飛び乗ると、故郷をさして出発したのだった。

「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を読んでみる  その25

[前回…]

 グラングゥジエ王から派遣され、ピクロコル軍の立て籠もるラ・ローシュ・クレルモーの城にやってきてたウルリック・ガレは、ピクロコルが城門を開かないので外から演説をする。貴殿の横暴に、わがグラングゥジェは深く心を痛めている。古くからの友好国が、なにゆえこんなひどい真似をするのか。盟約とは何だったのか思い出してほしい――こんな感じで、ガレはその巧みな弁舌を十二分に発揮する。
《グラングゥジエ王ならびにその臣下の人々よりは、何ら損害も加えられず憤激の種も与えられず戦も挑まれざるにもかかわらず、一切の盟約を破棄し一切の友情を踏み躙り一切の立法を犯して、仇敵として我が主君の領土へ入寇されるとは、今や貴殿は、いかなる狂乱に取り憑かれて居られるのでしょうか? 樹てし誓言はいずこにござります? 条約はいずこ? 理法はいずこ? 人の道はいずこにござります? 神を恐れる心はいかがなされました? かくのごとき非業が、我々の行いに正しく褒賞懲罰を下し給う至高なる神及び不滅なる精霊の眼には映らぬと思召されますか? もし、かく思われるならば、これこそ誤謬と申すべきでありましょう。蓋し、一切の事象は、神のお裁きを受けるにいたるからでございます。》第31章 p150

 このような熱弁でもって滔々と訴えかけるのだが、だんだんピクロコルに説教をかましている格好になっていくのはいかがなものだろう。かくのごとき振舞いにはいずれ終末の訪れるのが世の理、栄枯盛衰の坂をあなたが勝手に転がり落ちるのは自由ですが、それにしたってうちの君主にまで危害を加える必要はなかったじゃありませんか。ま、もし、うちの国民の方に非があったと言うのなら、まず真相を究明してから抗議してもらえれば、うちの方でも御意向に沿うよう取り計らったものですのに。それがあなた、今回のやり方は何ですか。まるっきり「腹黒い暴君」じゃないですか。云々。
《即刻この地より引きあげ、道中騒擾狼藉は一切御無用、貴殿の領地へ戻られ、長くその地に止まられたく心得まするが、尚、我々の領土に加えられましたる損害の賠償として、ビザンチン貨幣千枚をお支払いあってしかるべく存じます。》p152

「腹黒い暴君」と呼ばれたピクロコルは、5ページになんなんとするガレの説得(糾弾)を、ひとことできっぱり拒絶する。
《「ほしければ取りにこい。取りにくるがよいぞ。これなる者どもは、見事な石臼や擂粉木[すりこぎ]を用意しとるぞ。小麦煎餅でも粉にしてやるわい」》第32章 p152

 きっぱりしてはいたが、言っていることは不明瞭だった。

「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を読んでみる  その24

[前回…]

 べ、別にサッカー見てて更新が滞ってるわけじゃないんだから! 誤解しないでよねっ!

 一気呵成に「乾喉国」へと攻め込んだレルネのピクロコル王は、一部の兵士が修道院で皆殺しにされているあいだに本土深く分け入ってラ・ローシュ・クレルモーなる城を落とし占領、そこを自分たちの城塞とした。ここでとつぜん話は戻る。
《その時、ガルガンチュワはパリにいて、身を打ちこんで佳き学芸を学んだり、肉体を練磨したりしていたのであるし、グラングゥジェのほうは夕飯の後、かっかと明るく見事に燃えあがる焔でふぐりを暖めたり、栗が焼けるのを待ちながら、炭火を掻いて先を焦がした棒で炉の灰へ何か書きなぐったり、妻を初め一家の者を相手に、昔々あるところにと、面白いお伽噺をしたりしていたのである。》第28章 p142

 のんきなグラングゥジエのところにようやく急を知らせる使いが駆けてくる。
 隣国の君主がおこなった暴虐非道に老王は驚きとまどう。というのも、ピクロコルは長年の友人だったからだが、自国の民を守るためにはみずからも戦いに出なくてはなるまいと腹を決める。
《「だがしかし、ありとあらゆる媾和の手段方法を試みた上でなければ、戦端は開くまいぞ。これがわしの決心じゃ。」》p144

 王は会議を召集し、ピクロコルに使者をやって事情の説明を聞いてくること、さらにパリからガルガンチュワを呼び戻すことを決定する。私はジャン修道士を連れてくればいいんじゃないかと思うのだが、それにだいたい、グラングゥジエだって巨人ではないか。しかし彼ら巨人の巨人性は、都合よく出たり消えたりするのを忘れてはいけない。風雲急を告げる展開に主人公がいなくては始まらない。
 そこで王はじきじきに息子ガルガンチュワ宛の手紙をしたため、それからウルリック・ガレなる知恵者をピクロコルのところに派遣した――のだが、だめだ、眠い。眠すぎる。みんなどうしてそんなにサッカーに詳しいんだ。

「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を読んでみる  その23

[前回…]

 自分の領民である小麦煎餅売りがボコボコにされた復讐に、全軍を率いて「乾喉国」に攻め込んだレルネのピクロコル王。その軍隊の行った略奪行為がどれほどすさまじいものだったかを物語る一文がある。
《折しも大方の家では、黒死病患者が出ていたにもかかわらず、彼らはところかまわずにはいりこみ、家のなかにあるものをすべて掠めさったが、誰一人として病にかかる危険に陥らなかったことは、まことに不思議ではある。》第27章 p134

 しかし、いま書き写していて気付いたが、すごいのはレルネ兵の暴虐ぶりよりもむしろ、「折しも大方の家では、黒死病患者が出ていた」という状況の方ではないか。ふつうの国なら存亡の危機なんだろうからまことに不思議ではある。
 ともあれ、伝染病をものとせずに乱暴狼藉を続ける敵兵の群れに、ひとり敢然と立ちあがる修道士がいた。名をジャン・デ・ザントムールという。年は若く元気溌剌、頭の回転も早くて勇気があり、要領もよければ知識もある。完全無欠の爽やか青年、みたいなジャン修道士が丈の長い法衣をかなぐり捨てて、十字架つきの棍棒を持って飛び出すと、その戦いぶりはこのように描かれる。
《こちらの奴らの脳味噌を押し潰したかと思うと、あちらの者の腕や脚をばへし折り、また向うにいる奴の首の椎骨をがたがたにし、腰骨を引き抜き、鼻をもぎ取り、眼玉を潰し、口を引き裂き、腔中深く歯をぶちこみ、肩甲骨をぐちゃぐちゃに砕き、雙の脚に脱疽のような傷をつけ、腿から大腿骨の頭をにょきりと飛び出させ、腕や臑の骨をば粉々にしてしまった。
[…]真正面から立ち向おうとする生命知らずの奴がいると、ジャン修道士は筋金入りの腕の偉力を発揮してみせた。と申すのは、相手の胸の前縦隔竇[ぜんしょうかくとう]や心臓あたりへ風孔を明けてしまったからだ。また他の奴原の助骨の間にひと突きくれて、胃の腑をでんぐり返しにしたので、あっという間もなくお陀仏になってしまった。またある奴らは、臍の辺を物凄い力で打ち破られて、臓物がにょろにょろ出る騒ぎ、また他の者どもは、ふぐりを貫いて直腸へずぶりと棍棒を刺し通されたりした。げに前代未聞の、世にも物恐ろしい光景ではあった。》pp138-9

 鬼だ。ラブレーはラブレーで、こんなところに解剖用語を織り交ぜて遊んでいる(ラブレーの本業は医者)。なにより恐ろしいのは、このジャン修道士が修道院から飛び出して行った理由というのが、敵兵たちに修道院の葡萄園を略奪された→「葡萄酒が飲めなくなるじゃないか」、それでキレたから、だったところである。そもそも突撃のかけ声がこんなだった。
《酒を好まれる皆の衆よ、いざ、いざ、いざ! 運在天じゃ、拙者について突撃めされい!》P137

 触らぬ神にたたりなし。あわれ敵兵は聖人への祈りの言葉とともに絶命する。あたりはさながら地獄絵図。修道院長はすべての修道士を連れて出て、かろうじてまだ息のある者らの懺悔を聴聞してつかわした。
《ところで、坊様方が懸命になって懺悔を聞いている間に、小僧たちがジャン修道士のいるところへ馳せつけてきて、何か手伝うことはないかと訊ねた。それに対しては、地面へへたばった奴らの喉笛を掻き切れと返事をした。しからばと、小僧たちは、だぶだぶ頭巾を間近の葡萄棚にひっかけて、既に僧ジャンに深手を加えられた奴らの素っ首を掻き切り、息の根を止め始めたのであった。さて刃物に何を用いたか、諸君は御存知であろうか? 可愛い小刀を使ったのであるが、これは、我が故郷の子供たちが胡桃の実を剥く時に使う玩具のような小型の庖丁であった。》p140 太字は引用者

 なんだか今日、まるっきり引用してばかりだが、最後はやはりこのお約束で〆だった。
《かくのごとくにして、僧ジャンの武勇によって、葡萄園へ侵入した敵軍の者どもは全部撃滅されてしまい、その数は、一万三千六百二十二人の多きにのぼったが、このなかに女や幼い子供たちがはいって居らぬことは、いつものことながら勿論である。》p141


柴田本
 あ。こんな本が出るのか。
柴田元幸編訳『どこにもない国 現代アメリカ幻想小説集』(松柏社)

現代アメリカ文学を数々の名訳で紹介し続ける柴田元幸氏が、過去20年くらいの間にアメリカで書かれた幻想小説のなかから9作品を厳選、翻訳した逸書。ニューヨーク州にあるトラクター博物館を訪れた農業史家ナイル・ミルナーの身に世にも不運なる怪事件が降りかかるベイカーの「下層土」。ある晩遊びに行った先でふと目を合わせただけの少年が、突然十五歳のコニーの家を訪れるオーツの「どこへ行くの? どこ行ってたの?」。<聞こ見ゆる深淵>の向かいにある終夜営業のコンビニで謎の人物バトゥと働くエリックが、ゾンビと奇妙なやり取りをするバトゥに、次第に恐怖を募らせてゆくケリー・リンクの「ザ・ホルトラク」。その他、エリック・マコーマック「地下堂の査察」、ピーター・ケアリー「“Do You Love Me?”」、ウィリアム・T・ヴォルマン「失われた物語の墓」、ケン・カルファス「見えないショッピング・モール」、レベッカ・ブラウン「魔法」、スティーヴン・ミルハウザー「雪人間」を収録。

 6/15発売。とりわけベイカーの短篇は読んでみたい。
 松柏社は、主にアメリカ文学の専門書を出している出版社(だと思う)。

 この本は「現代もの」に的を絞っているようだが、柴田元幸の念頭にあったのは志村正雄編訳『アメリカ幻想小説傑作集』(白水uブックス)ではないかと勝手に推測。こちらは19世紀のポーやホーソンといったスタンダードから、ポール・ボウルズなんかの変り種、そして無敵のドナルド・バーセルミまでも「幻想」ということで強引にくくった短篇集。書名の「傑作」に嘘はないです。


アメリカ幻想小説傑作集 アメリカ幻想小説傑作集
志村 正雄 (1985/10)
白水社

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「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を読んでみる  その22

[前回…]

 どうやら何の説明もないままに、話はいきなり前後している。
 第25章、「レルネの小麦煎餅売りたちとガルガンチュワの国の住民たちとの間に大論争が起こり、それが因[もと]で大戦争になったこと」から唐突に語られるのは、いまパリに滞在しているはずのガルガンチュワたちはおいといて、この巨人の故国近くで起きた争いごとの経過である。どこらへんでパリの話に戻ってくるのか、そもそも戻ってくるのか、一切不明のまま読み進めることにする。

 発端は、巨人国の羊飼たちのいる前を、近隣のレルネという村からきた小麦煎餅売りの一行が通りかかったことだった。「小麦煎餅」とは「小麦・卵・牛酪などで作った」一種のパン菓子、らしい。なんだろう、パンケーキみたいなものだろうか。朝食に葡萄と併せて食べると天来の美味、などとわざわざ書いてある。羊飼たちは売ってくれないかと丁寧に頼む。しかし煎餅売りは断って、あまつさえ――
《羊飼たちに罵詈讒謗の限りを尽し、彼らのことを、余計者、歯抜けのぱくぱく、赤毛の道化、助平の腎助だとか、糞たれ野郎、ごろつき、音無鑢[おとなしやすり]の猫被り、ぐうたら、へなちょこ、でぶ、大風呂敷、やくざの助、土百姓、青蠅、乞食野郎、大法螺吹き、にやけ若衆、いかさま、怠け者、悪党、薄のろ、キ印、馬鹿殿様、巫山戯[ふざけ]とんちき、自惚野郎、素寒貧のがたがた、糞飼野郎、うんこ番人などと呼ばわり、その他これに類した悪口雑言を吐いた上に、かてて加えて、貴様たちには、こういうおいしい小麦煎餅などを喰う資格はないが、籾殻混りのぼろ麵麭[パン]か、円い大きな黒麵麭[パン]くらいでありがたいと思うのが当然だ、などとも言った。》pp128-9

 言いすぎである。「うんこ番人」て何か。
 羊飼も言い返し、煎餅売りが先に手を出すも、いかんせんそこは羊飼たちのホームグラウンド。近所の農夫も加勢して、余所者の煎餅売り一同をこてんぱんに叩きのめしてから、金を払って(さらに胡桃と白葡萄をおまけに添えて)念願の小麦煎餅を奪い取った。村へ逃げ帰った煎餅売りたちは、お城に直行して城主ピクロコル第三世に駆け込み訴え。
 ピクロコルは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の羊飼たちを除かねばならぬと決意した。王は大急ぎで一軍を組織して、進軍を開始する。
《この前衛軍の兵数は、火銃兵が一万六千十四人と志願武士が三万五千十一人と算せられた。》第26章 p132

 軍兵たちは非道の限りを尽す。あらゆるものを見境なく破壊して、あらゆる家畜を掠め取り、あらゆる農作物をだめにする。農民たちは彼らに逆らうこともできない。
《人々はおのおの、狼藉を働かれながらも哀訴嘆願して、お互いに今までずっと仲のよい親切な近隣同士であったのだし、自分たちは皆さんに対して非道なことをしたり侮辱を加えたりしたことは決してなかった以上、突然このように無体ないじめ方をされるわけがないし、左様なことをする人々は、ほどなく神罰を蒙るだろうから、もっと血も涙もある取り扱いをしてもらいたいと言った。》p133

 そんな言葉にも聞く耳を持たない乱暴者たちの前に現れたのは、一軒の修道院、ひとりの修道僧であった。しかし、神に仕えるその男がこれから隣国の兵にもたらすのが果たして「神罰」なのかどうか、その点は大いに疑わしいのだった。

「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を読んでみる  その21

[前回…]

 ガルガンチュワの教育係たるポノクラートは、まず医者に頼み、薬の力でガルガンチュワの脳味噌を洗浄する。これによってむかし習い覚えた(役に立たない)物事はきれいさっぱり消え去った。それからあちこちの学者のところを連れまわされると、ガルガンチュワに猛烈な勉強欲が目覚め、《一日に一時間も無駄にしない》ことになる。朝4時に起きて聖書を読み、トイレのなかでも聖書を読み、様々な書物を暗誦して、道を歩いていてもポノクラートと議論を続ける。外の野原で体も鍛錬、食事の際にもテーブルに並んだもろもろの品物の特質や効能を学んだ。
《ガルガンチュワは、教えられたことを、しっかりと何もかも覚えてしまったので、その当時の医者で、その半分くらいも物を知っている人は見当たらぬほどであった。》第23章 p117

 以前は200を越えるゲームに興じた“かるた”を持ってきても、いまではそれを数学の勉強に使う。幾何学・天文学・音楽その他の学問についての理論と実践、馬術・武術・狩り・水泳に至るまで、右に出るものはないくらいにガルガンチュワは上達する。ラブレーは、思いつく限りの分野にわたる知識を習得した巨人としてガルガンチュワを造形しようとしているらしく、彼は操船術に絵画や彫刻、金銀の加工術から植物学までマスターし、しまいには香具師の口上まで学んだことになっている。
《かくのごとく、ガルガンチュワは指導されて行き、日一日と進歩の跡を見せたし、同じ年輩の良識を具えた若者が、こういう方法で育てられた場合に糧にできると思われるようなものを、彼も身につけたのであるが、こうした訓練は、初めのうちは、なかなかむつかしそうに見えはしたけれども、これを続けてやっているうちに、実に楽しくなり、重荷ではなくなり、面白くもなってきたのであって、学生の勉学と言わんよりも、むしろ王様の暇つぶしのお慰みと思われたしだいであった。》第24章 pp126-7

 例によってやりすぎ感あふれる列挙と、ガルガンチュワの言動を遠目に眺める描写の連続で2章が費やされるのだが、同じ過剰とはいえ、こういう「極端な優等生ぶり」が、「破天荒な自堕落ぶり」にくらべてあんまり魅力的に見えない(=はじけない)のはなぜだろうと思いつつ、続く第25章ではようやく派手な事件が起こるようなので期待したい。章題はこうなっている。
「レネルの小麦煎餅売りたちとガルガンチュワの国の住民たちとの間に大論争が起こり、それが因[もと]で大戦争になったこと」
 長いよ。

「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を読んでみる  その20

[前回…]

 そうだった。先週の土曜日(6/3)は、ひさびさに飲み会へ出かけていったのだった。誰もはじめからそんなつもりでいたわけではなかろうに、結果的には、集まった8人の各人が各様におのれの抱える不自由をさらけ出す5時間になっていた。
 んで、終電の近づいた人々が帰ったあと、残ったひとりが「そういえば」と持ちだしたのが、「ガルガンチュワ」のサイズ問題だったので驚いた。何度も書いているように、ガルガンチュワは巨人族の王子である。しかし、たとえば「その11」に出てくる侍女たち、彼女らもまた巨人なのだろうか、それとも普通の人間なのだろうかというご質問。

「乾喉国」の王グラングゥジエが巨人であること、である以上、王妃ガルガメルも巨人であることは、まちがいない。けれども、ガルガメルの出産に先立って宴会に集まった“町人・村人”や、“産婆”までが巨人とは思えない「その5」。巨人のまわりを普通サイズの人間がわらわら取り囲んでいる、という図が妥当だろう。巨人国近辺がみんな巨人村・巨人町ではないはずである。
 では“隣国の城主”はどうかといえば、グラングゥジエや幼いガルガンチュワと対等に喋っていることから、ここはどうしても彼らは巨人と同じサイズと考えなければ不自然な気がする「その12」
 そうすると、“お供の者”はどうなのか。いまガルガンチュワと一緒にパリにいて、これからも登場しそうなポノクラートやユーデモンのサイズはどうかと考えてみると、ガルガンチュワの乗って行った馬ばかりが「巨大だった」と書かれているのだから、お供は巨人ではない気がする「その16」。ここでも、王子であるひとりの巨人を中心に、その世話を焼くため普通サイズの人間がたくさん群れている、という図でいいと思う。
 しかし一方、あの侍女たちは、相手のガルガンチュワがいくら幼児期だったからといって、やっていることや話題にしていることからすれば、少なくともガルガンチュワを「普通よりはでかい赤ん坊」として扱える大きさでなければ釣りあわない。
 つらつら考えてみるに、結論はこうだ。

 周囲の人たちは、その時々の都合に合わせて、大きかったり小さかったりする

 そうとしか考えられないのだし、おそらく、同じ人間でも場合によってサイズは変わる。そして何より、これをいちばん先に書くべきだった気もするが、この『ガルガンチュワ物語』の「註」の部分、ごく最初のところには、こんなただし書きがついていたのだった。
《これらの巨人たち[※グラングゥジエ、ガルガンチュワ、未登場のパンタグリュエルのこと]の体軀の偉大さは、時々作者によって忘却されることがある。ラブレーが中世伝来の巨人伝説を用いて面白可笑しく物語を進める場合には、巨人たちは、巨人として描かれて、その驚天動地な振舞いに、我々は抱腹絶倒させられるが、作者が特定の主張を籠めた思想を展開し、少しも巨人の体軀を必要とせぬ場合には、いつの間にか巨人は常人並みの身丈に縮められる。全五巻の物語中、最初の二巻、即ち『第一之書ガルガンチュワ物語』及び『第二之書パンタグリュエル物語』よりも『第三之書』『第四之書』『第五之書』において、巨人王の巨人的描写は稀薄となっている。P262

 サイズ問題は、周囲の者たちだけの問題ではなかったのである。
 太字にした部分を読んで私はちょっと真剣に笑ってしまい、それと同時に厳粛な気持にもなったのだが(訳者が意図したかどうかは関係なく、私はこれを生真面目ギャグと呼びたい)、このような16世紀の物語を読むにあたっては、現代の小説に向かうのとはちがった態度が要求されるだろう。それがどんなものかと考えるつもりはしかし、あまりない。なんとなれば、読み続けていくうちに、おのずと私自身が作品に合わせて変わっていくんじゃないかと予想しているからで、そうでなかったら、どこにこのスローペースの意味があるだろう。

 ところで土曜日は、飲み会といいながら、私はまったくアルコールを摂取していない。最近はいつもそうで、はじめの1杯だけはお酒、というような言い訳めいた真似もしなくなった。おかげで飲み会の最中にひとり不機嫌になるほどの頭痛で苦しむこともなく、潮に流されるように眠り込んでしまうこともなく、始終調子がよかった。きっといいことである。問題は、そんな私の「ガルガンチュワとパンタグリュエル」感想は、作中で頻出するどんちゃん騒ぎに反応する部分を致命的に欠くのではないかということだった。ああ。

「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を読んでみる  その19

[前回…]

 パリの地で、ガルガンチュワの再教育が始まる。教師役を務めるのは、「その16」でいちど名前の出てきた、お供の家臣ポノクラート。しかしその前に、これまでガルガンチュワがどのような生活をして頭をボケさせてきたかが念入りに語られる。
《それから彼は、寝床のなかでしばらくの間、動物精気をいやが上にも旺盛ならしめるために、飛んだり跳ねたり転げまわったりした。次いで、季節季節に従って服装を整えたが、狐皮つきの毛ば立った荒目毛織布のだぶだぶした長い長衣を好んで着た。》第21章

 ゆっくり朝寝して、起きれば満腹になるまで飯を食べる。あらゆる種類の排泄行為をする。書物には集中できず、昼飯を腹一杯詰め込み、葡萄酒をがぶ飲みして、さいころやかるたで遊び呆ける。昼寝のあとでちょっとだけ勉強したかと思うと、今度はたらふく夕飯を食べている。そんな毎日が詳細に描かれるので、ポノクラートから「忌まわしい暮らし方」と評されるのもむべなるかな、と納得される。
 面白いのは、ガルガンチュワの生活じたいは怠惰で無為でいい加減なのに、それを説明する語り手の筆致は徹底的に律儀で事細かく、丁寧というより偏執的になっている点だ。ここには何かしらの倒錯がある。
 素朴に考えてみよう。説明や描写をしないことには、ガルガンチュワがどれほど自堕落に過ごしてきたかを語れない。何事かを書こうとする意志は、本来的に勤勉なものであり、怠惰・無為とは正反対を向いている。だから“怠け者を書く”という局面においては、書く側(律義者)/書かれる側(怠け者)が乖離する、としていいはずである。怠惰であることを描こうとしても、熱心になるほど怠惰から遠ざかる、はずである。
 ところが、この語り手はいつでも“説明しすぎる”。こんなに書いてしまったら、勤勉を通り越して狂気の沙汰じゃないかとあやぶまれるほどに(いや、たしかにどうかしてるよと確信されるほどに)、書いてしまう。何でもかんでも書く、できるかぎり書き尽くそうとする、その姿勢から、「こんなくだらないことを、微に入り細にうがち書いている」というおかしさが発生する。筆致の饒舌と対象の自堕落が、「無茶苦茶だ」という一点で合致するのだ。
《そして、彼は、腎臓を爽やかにするために、白葡萄酒を恐ろしいほどがぶがぶ飲んだ。それがすむと、季節季節に適ったお好みの料理を食べ、それから、お腹が張り切った時に喰うのをやめるのだった。
 酒を飲むことにかけては、終末[おわり]も規則[おきまり]も一向になかった。と申すわけは、ガルガンチュワの説に従えば、酒を飲む場合には、酒びたしになった上靴のコルク底が半尺くらいも膨れあがった時に甫めて[はじめて]飲酒の限界と極限があるというのである。》(同)

 どんなにしょうもないことでも、わざわざ書かれているからには、それは書かれるべき価値をもつ何事かであった。そう錯覚させることが、無駄な饒舌の功徳ではないかと思う。あるいはこう言えるかもしれない。くどくどくどくど書かれることで、ここでは、怠惰極まりないガルガンチュワの生活が、祝福されている。

 しかしこんな理屈は、実際に行われている描写の迫力の前では、およそどうでもいいのだった。たとえば第22章、「ガルガンチュワの遊戯」と題された一章でえんえんと列挙されるのは、かるた・さいころ・将棋・碁盤を用いてガルガンチュワがした遊びの数々の、名前だけである。その部分を以下にまるごと書き写す。どんな遊びなのか名前からでは推測できないという点ではどれも大同小異だが、「いくらなんでもそれは」と思われたネーミングだけ太字にしてみた。
《同色揃え、 四枚合わせ、 諸手取り、 奪い合い、 大勝利、 ラ・ピカルディー、 百点稼ぎ、 合戦、 乞食、 盗賊、 十点越し、 三十一、 揃いと続き、 三百点、 素寒貧、 宣言、 札めくり、 貧乏暇なし、 ランスクネ、 無一物、 話し合い、 続き札、 結婚、 一揃い、 拷問、 変り親、 色集め、 イスパニヤ加留多、 イタリヤ加留多、 大馬鹿三太郎、 当てはずれ、 責め苦、 父子代々、 幸運、 絵札揃え。
 指当て、 西洋将棋、 狐と牝鶏、 十字将棋、 白馬黒馬、 白駒、 点取り骰子、 三つ骰子、 戦争将棋、 よいとこどっこい、 ひっかけ、 女王、 スバラリノ、 進めや進め、 四隅積み、 打ち倒し、 神も仏もあるものかい、 相対死、 西洋碁、 ぶうぶう、 一番二番。
 短刀当て、 鍵投げ、 命中ごっこ、 丁か半か、 裏か表か、 小石遊び、 おはじき、 球打ち、 靴探し、 ふくろうごっこ、 兎狩り、 百足あそび、 小豚追い、 鵲[かささぎ]跳び、 角あそび、 飾り牛ごっこ、 鳥啼きあそび、 にらめっこ、 くすぐりっこ、 蹄鉄替え、 はいしい・はいしい、 走れよ子馬、 俺は坐った、 黄金髭あそび、 うらなりごっこ、 串抜き、 市あそび、 袋借り、 山羊だま打ち、 球当て、 マルセイユ無花果[いちじく]、 蠅追い、 盗賊退治、 狐の皮はぎ、 橇あそび、 脚相撲、 燕麦売り、 火吹きあそび、 かくれんぼ、 急ぎ裁判は死に裁判、 火箸抜き、 にせ百姓、 鶉あそび、 せむしごっこ、 みつかった上人、 つまみごっこ、 逆立ち、 尻蹴り、 トリオリ踊り、 輪飛び、 穴入れ、 ぎったんばったん腹合わせ、 桝あそび、 棒乗せ、 石蹴り、 受け取りごっこ、 火消しごっこ、 九柱戯、 棒倒し、 曲り球、 矢送り、 ローマ送り、 アンジュナール、 球なげ、 羽子突き、 鬼の居ない間に、 壺破り、 腕前しだい、 棒飛ばし、 杖あそび、 棒引き、 棒投げ、 行方不明、 棒送り、 針占い、 鼬ごっこ、 追い球、 城攻め、 列破り、 笑窪入れ、 独楽まわし、 喇叭独楽、 坊主独楽、 雷あそび、 びっくり仰天、 木の球取り、 梭[おさ]あそび、 尻ぺたたたき、 箒あそび、 コーム上人拝みまする、 鳶色油虫、 つかまえるぞ、 あばよ四旬節、 逆木あそび、 馬乗り、 狼行列、 組み打ち転げ、 槍取り、 枝ぶらんこ、 十三番目、 白樺あそび、 蠅叩き、 牛はもうもう、 伝令ごっこ、 蜂が刺した、 気違い、 橋くぐり、 目かくし鬼、 烏の石蹶り、 球飛ばし、 鬼ごっこ、 里あて、 間者ごっこ、蟇あそび、 球ころがし、 押しくら饅頭、 けん玉、 王様女王様、 商売当て、 左か右か、 種あそび、 お陀仏、 鼻叩き、 奥様の帽子洗い、 篩[ふるい]ふり、 麦蒔き、 大喰い、 風車、 ずいずいずころがし、 ぐるぐるめぐり、 狸釣り、 農夫ごっこ、 木兎あそび、 間抜けぼけ助、 逆様おんぶ、 梯子のぼり、 死んだ仔豚、 おけつの塩漬、 鳩が飛んだ、 三番目、 焚火飛び、 草叢飛び、 挟み鬼、 もういいかい、 財布はぶらぶら、 宝探し、 うしうし、 べっかんこう、 ぼ・ぼ・ば・ば・ば、 辛子つぶし、 あんよに注意、 またがっくり、 弓矢撃ち、 木馬あそび、 烏あそび、 凧あげ、 ちんちんもがもが、 首斬り、 鼻つまみ、 雲雀鳴き、 鼻弾き。》pp110-2

 計、217種類。

「ガルガンチュワとパンタグリュエル」を読んでみる  その18

[前回…]

 タイトルを書き、前回分へのリンクタグまで埋めたところでアレだが、ようやく文庫化なった森見登美彦『太陽の塔』が読み途中なので今日のラブレーはお休みにしたい。
 評判通りに切実な小説だと思われたことであるよ。

太陽の塔 太陽の塔
森見 登美彦 (2006/05)
新潮社

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