趣味は引用
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Steven Millhauser“Enchanted Night”(1999)
Enchanted Night (Vintage Contemporaries)
Vintage(2000)

 ミルハウザー、未訳の中篇。
 場所はアメリカ東部の郊外、季節は夏、月が煌々と照らす真夜中すぎの町が舞台になる。これといった筋立てはなく、まともな人間なら眠っているはずの時間に何らかの活動をしている人間たちの姿がばらばらに、短い章の積み重ねで描かれる。
ティム・オブライエン『世界のすべての七月』(2002)
世界のすべての七月
村上春樹訳、文藝春秋(2004)

《二〇〇〇年の七月七日、むしむしした金曜日の夜だった。
 戦争は終わり、情熱は意味のない観念論と化していた。》P17

 いつの戦争か?
 これがヴェトナム戦争なんである。
トーマス・マン『魔の山』(1924)
魔の山〈上〉
関泰祐・望月市恵訳、岩波文庫(上下巻、1988)

《食卓には、マーマレードと蜂蜜の壺、ミルクいりの米飯とオートミールの鉢、いりたまごと冷肉の皿が出ていた。バターはゆたかに出されていたし、鐘形のガラスのふたを取って、しっとりしたスイス産のチーズを切りとっている人もあった。そのほかに、新鮮な果物とほした果物をもった皿が、食卓の中央に置かれていた。》上P78

 時に1907年の夏、学校の卒業を間近に控え、就職も内定した青年ハンス・カストルプは、療養中の従兄を見舞うべく標高1600メートルの山上にあるサナトリアムを訪れるのだった。
ジョン・バース『ストーリーを続けよう』(1996)
ストーリーを続けよう
志村正雄訳、みすず書房(2003)

 連作短篇集。作者自身をモデルにしたとおぼしい中年夫婦が主要キャラで、全篇を通すとフラクタル構造が見えてくるという実験性が売り。自分には訳者の入念な解説なしではよくわかりませんでした。
 ただ、表題作「ストーリーを続けよう」には驚いた。
2005/07/01
 
 青山ブックセンターのイベントに行ってみた。柴田元幸トークショウ「古典アメリカ文学知ったかぶり」。

「20年近く前に書いた論文を本にするんだから、箸にも棒にもかからなかったらどうしようとおそるおそるゲラを読んだんだけど、なんか、昔の方がアタマよかったんじゃないかな。翻訳するときとは別の筋肉をちゃんと使っているというか」

というふうに、アメリカン・ナルシスの肝は19世紀のアメリカ小説を扱った部分にあるわけだが、その時期の作家たちを勉強していたころに好きで読んでいながら論文にはできなかった、ナサニエル・ホーソーンについて悔しい気持があったとのこと。だからなのか、この人の“The Wives of the Dead”という短篇を訳して朗読。

 ご本人がしばらく喋ったあとで会場から質問を受け付けていたが、おどろくほど話の通じない質問者がいて、なんだかぐったり疲れた(私は人間ができていないので「面白かった」とはとても書けません)。

 メモった「今後の出版予定」:
・ケリー・リンクの短篇をひとつ訳して、「新潮」の8月号か9月号に載せる
・スティーヴ・エリクソンの『アムネジア・スコープ』はもうすぐ出る
・海外文学についての、沼野充義との往復書簡集『200X年文学の旅』が作品社から出る(8月?)
トマス・ピンチョンのMason & Dixon は、ついに、「毎日1ページずつ訳す」体制が確立。いま100ページ弱まで進んだので、訳稿の完成まであと2年。ピンチョンに質問して訳文を直すのにもう1年。たぶん3年後には出る予定。

 ところで、この人の『生半可版 英米小説演習』(研究社)という本は、それこそ古典のホーソーン、メルヴィル、ポーから現代のオースターやミルハウザー、なぜかミロラド・パヴィチまでとりあげて、1作1作さわりの翻訳と解説をつけたすごく面白いつくりなので、今日のイベントに予約までしながら来れなかった某氏とかにはおすすめです(『メイソン&ディクソン』の部分訳もある、というかこの目次を見よ)。

生半可版 英米小説演習生半可版 英米小説演習
(1998/02)
柴田 元幸

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Mason & DixonMason & Dixon
(1998/04)
Thomas Pynchon

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