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四方田『空想旅行の修辞学』の続きというか

『空想旅行の修辞学』には、冒頭に解題ふうのエッセイが付いている、と書いた。
 論文を書いていた当時の関心を振り返り、それからこれまでの来歴を語るそのエッセイの書きぶりは、ありていに言って、非常にかっこいい。昨日、論文の生硬な文体がいい、と書いたが、それとまた別の才能なのか同じものなのか、なんにしろ、「ノスタルジックな調子」はつねに私のツボである。
《なるほど現在のわたしは、スウィフトに三年の間情熱を注ぎこんだ二十四歳のときのわたしとは決定的に異なっている。とはいうものの、両者の間に一度たりとも忘却の川が流れなかったことも事実であって、わたしは逸脱に逸脱を重ねながらも、つねに最初の著作であるこの短くない論文に、強い精神的絆を感じてきたのである。今、久しぶりに読み返す作業のなかにあって、わたしはかつての自分が慣れ親しんだ思考の経路が、周囲の風景を変えながらもいまだに自分の裡に流れていることを、ある共感をもって感じている。と同時に、それが現在の自分であるならけっして書くことのないはずの書物であるという事実をも、認めないわけにはいかない。》P16

 過去の自分をいくらか懐かしみながら、現在の自分とは別の、しかし切っても切れない他人として尊重するようなこの姿勢から、私はなんとなくトマス・ピンチョンを連想した。
 大作『重力の虹』のあと11年間にわたる沈黙を続けたこの作家は、1984年になって突如、習作時代に書いた短篇をそのまま収録した作品集『スロー・ラーナー』を出版した。冒頭には長い序文が書き下ろされていた。そこでピンチョンは、ざっくばらんな口調で思い出を開陳しながら、容赦なく自作の欠点をあげつらうのだが、それらを書いた過去の自分への共感までを隠そうとはしていない。
《いまやぼくは、その当時のぼくであった青年作家に関して、ある次元の明晰さに到達したふりをしている。というのが、この男をぼくの人生から締め出してすましているわけにも行かないのだ。しかし何らかの、今のところは未開発の科学技術を通じて、彼に今日出会うとしたら、何と安らいだ気持で彼に金を貸してやったり、それどころではない、通りへ出て行ってビールを飲みながら昔の話をしたりもすることだろう。》「スロー・ラーナー(のろまな子)序」志村正雄訳


スロー・ラーナー (ちくま文庫)スロー・ラーナー (ちくま文庫)
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トマス ピンチョン

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四方田犬彦『空想旅行の修辞学』(1996)
七月堂

《『旅行記』の全体意義とは、異化作用を通しての認識の更新であり、空想旅行はそのための準備仮説に他ならない。われわれの目的は異化の具体的様相の分析である。》P168
 
 矮人国と巨人国、浮島国に馬人国。スウィフト『ガリヴァー旅行記』は、名前だけならたぶん誰でも知っているし、一見子供向けかと思われがちでも読んでみれば無類に面白く、280年前に書かれた本なのに今でも本屋で簡単に手に入る。そんな古典を正面から取りあげたのが本書『空想旅行の修辞学』で、もともとは四方田犬彦が1978年に大学院に提出した修士論文だったという。執筆以来18年を経ての出版。だから本書はれっきとした学術論文であり、それでいて、小説のように興奮する読みものでもある。
「エターナル・サンシャイン」(2004)
ミシェル・ゴンドリー監督

 私は知らなかった。この映画は「切ないラブストーリー」として宣伝されていた。そうか。そう見ることもできたかもしれない。

 主人公ジョエルとその恋人クレメンタインが破局を迎える。ジョエルは速攻で後悔し、よりを戻そうとするが、それ以上に行動の早いクレメンタインは特殊な会社の提供する特殊な手術で彼についての記憶をすべて消去していた。事情を知ったジョエルは悲しみのあまり、自分の頭からも彼女の記憶を削除するよう同じ会社に依頼する。
 問題の手術の手順は単純明解だ。依頼者と技師は、あらかじめ綿密な面談によって消したい記憶のある場所を脳内に探し、「記憶図」を作成しておく。それから一晩、依頼者が自宅で眠っているあいだに、技師は機具を用いて記憶図の範囲内を削除する。朝が来て目を覚ました依頼者は、自分が手術を頼んだことさえ忘れている。おしまい。

 しかし手術が始まって、昏睡状態の意識の中、クレメンタインと一緒だった記憶が次々に消えてゆくのを目の当たりにしたジョエルは、やっぱり彼女(の思い出)を失いたくないと願い、手術が完遂されるのを阻もうとする。
 でもどうやって?
 記憶図の外に彼女(の思い出)を連れ出す=彼女と出遭うより前の記憶の中に彼女(の思い出)を逃がすことによって、である。
 はたしてこの抵抗は成功するのか――

 映画がここまで進んだあたりで猛烈に気になった。
 これは村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』にインスパイアされたんじゃないか。
 十数年前に英訳もされたあの小説は、特殊な脳手術を施された主人公の意識が暴走し、本人の自覚のないまま脳内の一部に籠城しようとする話だった。
 とはいえそれはどうでもいい。私には似たようなテーマを扱っているように見えただけである。けれどもそう見てしまった以上、興味の焦点も似たものになった。一言でいえばこうなる。脳内と現実はどのように関係するのか? よくある話ではある。

 映画は相当に時系列を組み替えて進行する。
 最初のうち混乱するものの、眠ったりさえしなければちゃんと呑み込めるよう親切に構成されている。だからそのうち完璧に辻褄が合うだろうと予想できて、それがまた不安にも変わる。
 というのは、映画が破綻なく完成することをもって、すべてがジョエルの脳内で完結するのを「いいこと」であるかのように見せてしまう予兆を感じてしまうからだ。
(『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』のある登場人物は、主人公の意識が完全に肉体と接続を断つことで生まれる精神のひきこもり状態を「不死」と呼ぶ。しかし主人公自身は、そんなもの全然ほしくない。彼にとってそれは外部と隔絶された「世界の終り」だからだ)

 ジョエルと、ジョエルの脳内に生きるクレメンタイン(の思い出)が、思惑通りに記憶図の外へ脱走できたとしても、それだけでは現実の2人に影響を与えることはありえないはずだ。たしかに一緒にいた日々は永遠のものになるだろう。でもそれをエターナルなサンシャインといってしまうのであれば、せっかく映画館まで足を運んだのに「部屋でネットでもしてろ」と言われて帰るようなものである。
「それはそれで歓迎すべき後ろ向き映画じゃないか」という声も頭の一部から聞こえてくるからこそ、そんな陰惨な終り方だったら喜ばずにがっかりしてみせようと私は自分に言い聞かせた。
 ――しかしながらこの映画は、そんな私の杞憂を越えて、前半でばらまいたピースをすべて拾ってからも、もう少し続くのである。

 ラストをどう受け取るかは人によって大きく違うだろう。私もしばらく考えてみたが、どう受け取ったとしても、上述の危惧が払拭されているのは間違いない。安心して振り返ってみれば、特定の記憶が消えていく様を映像化したシーンは見事だし、ジョエルとクレメンタインの2人以外の人間関係に盛り込まれたドラマにも見所がある(もしかするとそっちの方が……いや何でもない)。
 異様に凝っているくせに難解にならないこの脚本を書いたのは私が唯一名前を知っているチャーリー・カウフマンで、個人的には「マルコヴィッチの穴」よりずっといいと思った。「アダプテーション」と比べてどうかは、もう一度見てから考えたい。


落ちついて考えれば、「村上春樹もチャーリー・カウフマンも、P・K・ディックあたりから影響を受けた」と考えるのが妥当だと思う。


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 友達の結婚式から真夜中に部屋へ帰り、ぐっすり眠って目覚めた日曜の朝、小1時間電車を乗り継いで向かった先はJR船橋法典駅。中山競馬場で競馬をするのである。

「ぜひ競馬場に行こう、きみは競馬をやらなくちゃだめだ」とよくわからないことを言って私を誘ったのは競馬ファンの友達(一応、友達Cとする)で、こうやって引っ張られなければ一生行く気にもならないだろうから、「じゃあガイドしてください」とお願いしたのだった。

 臨時改札口の外で競馬新聞をにらみながら待っていた友達Cは、高校の頃から競馬場に通っていたらしいが、それは「馬を見たいから」であって、お金には頓着していない。だから場外馬券売り場など論外だし、1日で使う金額は合計しても1000円台だという。

「でもね、メインレースは大きく賭けるよ」
「ど、どれくらい?」
「500円」

 理想的なガイドである。

 中山競馬場は、広大な空間にエスカレーターがあり、無数のスクリーンと券売機が並ぶ前を人の波が行き来して、大きい駅の構内のようだった。建物は想像していたより遥かにきれいだが、そこにひしめく人間はわりと想像通りなのが楽しくて仕方がない。気持いいほどの喫煙無法地帯。子供を連れた親の外見なんかも想像通りといえば想像通りである。

「初歩的なレクチャーを受けながらパドックで馬を見る → 新聞やオッズをちょっと検討 → 馬券を購入 → レースを見る → 次の馬を見る」
 この繰り返しで昼過ぎの第6レースから12レースまで観戦。使ったお金の合計は1500円。最後のレースで670円が戻る。友達Cもほぼ同様。

 11レース目がいわゆる弥生賞だったらしく(知らずに行った)、友達Cの今日最大の目的も、ここに出場する〈ディープインパクト〉という馬を見ることなのだった。異様に前評判の高いこの馬は、最終コーナーを回ってからの直線で8頭を抜き優勝。「アラレちゃんかよ」と思ったが、たとえが古くて申し訳ない。友達Cは破格の700円を賭けていた(でも外れた)。

 ところで、馬の名前に「それはどうか」と言いたくなるものがあるのはよく知られている。今日見たなかでも、〈プリンセスモモコ〉〈オレハマッテルゼ〉など、かなりの「それはどうか」感だが、最も印象的なのはこれだった。

 〈グラビアタレント〉

「来ねえ、グラビアは来ねえ」。そう言ってどこかのおっさんは煙草をもみ消した。
続 05/03/05
朝…

 睡眠3時間半で出発した私が新幹線の中で読むのに持っていったのは、フィリップ・K・ディック『ドクター・ブラッドマネー』(創元SF文庫)だった。先月、出てすぐに買ったのにまだ読んでなかったからというほかに理由はなかったが、冒頭に「NASAのロケットで火星という新天地に出発する一組の夫婦」なんてのが登場するのでもしかすると今日にふさわしいのかもしれず、この本を選んだのは吉兆だったかもしれないと思う。
 数十ページ後、事情によりロケットは地球の軌道を回り続け、しかも妻は病死したので本を閉じる。何かもう1冊持ってくるべきだった。

 目的地が近づくと窓の外はまだ吹雪いていた。しかし、友達Bとタクシー代を折半して式場に着き、ロビーで時間を潰しているうちに雪はやんで、それどころか、チャペルでの式が終わり外に出ると、空は一転、晴れ渡っていたのだった。

「これはあれだな、披露宴で『二人の愛の力が天気を変えた』とスピーチするやつが絶対いるな」
「そんな嫌そうに言うなよ」

 披露宴は普通だった。祝辞がありウェディングケーキがありキャンドルサービスがあって、「Can You Celebrate?」があり「バンザイ」があり「さくらんぼ」があった。友人スピーチがありプレゼント贈呈があり初老の親戚が歌っている時間を使ってお色直しがあったし、ビールがありウィスキーがあり日本酒があるなかに幸い烏龍茶もあったが、後半になってようやく言葉を交わすことができた新郎たる友達Aはベロベロだった。ベロベロの新郎たる友達Aみずから、最後の挨拶で「雨降って地固まる」と言ってのけた。心底立派だと思った。

 その新郎たる友達Aが二次会の折りに隅のほうでこぼすところによれば、「式はやらなくていいよね」「うん」で入籍したのに、半年経ってから突如、おヨメさんが「やっぱりやりたい。どうしてもやりたい」と駄々をおこねになられたという。

「もうね、式のことではケンカばかり。やるって決めるまで、別れる別れないの大騒ぎが何度も。そういや、おれが泣いて許してもらったこともあった」
「ひゃあ」
「それがいつの話?」
「えっと、先月だな
「もう決まってたろ」
「今度はお前が駄々かよ」

 しんしんと冷える中、友達Bと駅に戻り、新幹線が動き出した途端に眠った。目が覚めたら東京だった。猛烈に「カリオストロの城」が見たくなった。



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「ご祝儀、つらいよねえ」
「おれキャッシングしちゃったよ」

 というわけで唐突に時は来た。
 これを書いているのは3月5日(土)の5:52AMで、更新したら部屋を出る。
 友達Aの結婚式なのだ。
 おととい立てた予定では、(1)一緒に招待されている友達Bの車に同乗して4日のうちに帰省 (2)それぞれ実家に一泊 (3)翌朝、高速バスに乗って式場のある街に向かうはずだったのだが、そこは一応北国であるから、昨日は東京よりずっと多くの雪が降っており、仕方なく当日朝に式場の街へ直行するよう変更したのだった。新幹線は高い。雪はまだやんでいないらしい。すべては、東京から遠いうえにわれわれの実家からも遠い妙な場所で職場結婚してしまった新郎たる友達Aが悪い。
 昨日の早朝、窓の外に降る雪を眺めながら電話した際に、友達Bは「お世辞でも『おめでとう』とは言いたくなくなってきた」と洩らしていた。式場近辺、日中の予想最高気温は3℃である。

 結婚式、披露宴、そのあとの二次会にも出るよう新郎たる友達Aに懇願された(しかも友達Bからの伝聞で)から、この部屋に帰ってくるのは今日の深夜になると思われる。そうか、今日行って今日帰ってくるんだ。更新はたぶん無理。
 ところで、ご祝儀は中身ばかりか外側もつらい。この世に筆ペンほど使いにくい筆記用具があるだろうか。習字教室に通っていた10歳当時の自分に墨と筆で代筆させたいくらいであった。しかも祝儀袋の短冊(というのか)は粗悪な紙質でやたらと滲むし、これでは、高校時代に私のノートを見て「なんか、子供が精いっぱい大人の字を真似したような筆跡だな」と評した新郎たる友達Aを見返すこともできそうにない、とかなんとか書いているうちに時間である。行ってきます。

…帰宅
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