2004/04/11

その119 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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 いっぽう、情報の理論でもエントロピーの考え方が使われようになった。こちらでも、エントロピーは「乱雑さ・でたらめさ」とされる。さらに、情報なんだから、これは「曖昧さ・不確定さ」ということにもなるらしい。
 そして、入門書を読んでみても言われていることがいまひとつ統一されているように見えないのである。こちらの理解不足にちがいないが、仕方ないからそのまま書いてみる。

 ふたつの情報源があるとする。片方は乱雑でごちゃごちゃで(エントロピーが大きい)、もう片方は整理されてシンプルにまとまっている(エントロピーが小さい)。
 この両者からどれだけの情報が出てきうるか考えると、ごちゃごちゃの前者から出てくるもののほうがバリエーションに富み、それに比べてシンプルな後者のほうは、出てくる結果の幅が狭いように思われる。
(サイコロを振るなら結果は6通りありえるが、コインを投げた結果は表・裏の2通りしかない。サイコロのほうが結果にばらつきがある)
 だから、エントロピーが大きい=情報量が大きいエントロピーが小さい=情報量が小さい、ということになる。この本にはそう書いてある。

 ところが、いま例に出した乱雑でごちゃごちゃの情報源と、整理されてシンプルな情報源を、そのままふたつの情報だととらえると、前者は曖昧で不確かなために何を言っているのかよくわからないから情報量が小さく、後者はすっきりまとまっているから言いたいことがよくわかり情報量が大きい、ということになる。
(なんだかさっきと逆である。「情報源」に目をつけるか、出てくる「情報」に目をつけるかのちがいなのだろうか)

 あるいは、こう考えたらどうなるか。
 乱雑でごちゃごちゃの情報源と、整理されてシンプルな情報源があって、そのそれぞれから何らかの結果がひとつ確定されたとする。前者のほうがどんな結果が出たのか可能性がいろいろあるだけに正解を絞るのはより難しく、後者は可能性が限られているぶん、より高い精度で正解を絞ることができる。
(サイコロを振ってどの目が出たか、よりも、コインを投げて表になったか裏になったか、のほうが当てやすい)

 より正しい答えに近づける情報のほうが情報として有用なわけだから、つまり情報量が大きいということになる、と考えると、乱雑でごちゃごちゃの(エントロピーが大きい)情報源は、曖昧で有用性が低い、つまり情報量が乏しい情報にしかならず、整理されたシンプルな(エントロピーが小さい)情報源は、大きな情報量をもった情報になると言える。
 だから、エントロピーが大きい=情報量が小さいエントロピーが小さい=情報量が大きいことになる。この本にはそう書いてある。
(こちらをもとにすると、先に書いたエントロピーが大きい=情報量が大きいエントロピーが小さい=情報量が小さいという、いまのと正反対に見える考え方は、このように換言されるとまで書いてあった―― 情報源が乱雑でごちゃごちゃで曖昧なほど、つまり、もとの状態のエントロピーが大きいほど、「確定された状態が何か」という情報の持っている情報量は大きい)

 情報源/情報/情報量という言葉をごたまぜにして使っているために、上に書いたことはよくわからなくなっているが、それは参考にした本2冊のせいではなく、この読書ノートを書いている人間の理解力と、まとめ力の不足のためである。とりあえずこう考えることにした:

 でたらめで曖昧で、どうなっているのかわからない状態があるとして、それに関する情報を得ることは、わからなさを減らすことになる。
 よりでたらめである状態をエントロピーが大きい、よりでたらめでない状態をエントロピーが小さい、と考えれば、情報の分野では、情報を得ることがエントロピーを減らすことになる
(逆に、情報が伝えられていく過程でノイズが混じり、不確定さが増え曖昧になっていくのは、エントロピーが大きくなると表現できる)

 前回、熱力学のところの最後に「エントロピーは概念だけど、量を計算する式だってできた」と書いた。そしてこちら、情報理論のほうでも、エントロピーの量を計算する式が作られた。両者とも対数を使い、エントロピーの量を S とすると

 S =K logW

 こんな感じにするそうで、式が似ていることをLot 49 のジョン・ネファスティスは「偶然」のひとことで片付けていたが、両分野は、取り扱う数の桁数に大きなちがいがあっても、同じ変化を別の面から見ているだけなのだ、という方向で考えるのがどうやら正しいらしい。
 そんなことについてあれこれ言うには、これだけでは何の説明にもなっていない上の式の K と W が、各々の分野で何を表しているのかをまとめるところから、いや、まとめられるよう勉強するところから始めないといけないはずだが、一応これくらいで小説に戻ることはできる。

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2004/04/11

その118 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)

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 エントロピーは、でたらめさ・乱雑さを測るものさし、というふうに説明されることが多い。
 この考え方がはじめに使われるようになったのは熱力学の分野だという。

 閉じた系の中で、温度が高いものと温度の低いものが接している場合、前者から後者へと次第に熱が移り、しまいには両方が同じ温度になる(熱平衡)。この熱が移動する方向は一方通行で、不可逆的である。
 温度差があればエネルギーを取り出せるけれども、放っておくと状態は熱平衡に向かい、温度差はなくなっていく。この変化を“エントロピーが増大していく”ととらえると、いろいろなことにうまく説明がつくようになった。でも、それがどうして「乱雑さ・でたらめさ」の増加なのか。

 温度が高いというのは分子の動きが激しいということ、低いというのは動きがおとなしいということで、ちがいがある。激しいにしろおとなしいにしろ、それぞれがそれぞれだけで集められていれば(温度が「高い」「低い」で区別されていれば)、ふたつのグループは整理されていることになる。そんなふうにはじめは分かれていたふたつのグループも、時間の経過とともに、乱雑に入り乱れていって、混ざりきった状態が熱平衡である。混ざったものは、自然には分かれていかない。
 外から手を加えない限り、でたらめでない状態(エントロピーが小さい)は、必ず、もっとでたらめな状態(エントロピーが大きい)に向かう。方向を逆にして、乱雑に動き回る分子の動きをそろえ、エネルギーに変えることはできない。

 これを確率の考え方から見ると、実現する確率が低い状態は、実現する確率がもっと高い状態へ移っていく、ということになる。「整然と区別されている状態」よりも、「乱雑に混ざっている状態」のほうがずっと場合の数が多いので、実現する確率が高い。そして、実現するのはつねに確率の高いほうである。“確率には勝てない”、というのと、上の“エントロピー増大の過程は不可逆的”というのは、同じことを言っている。
 ところで「その92」で、こういうメモをした。

■ 熱力学の第二法則
・持っているエネルギーのすべてを何か意味のある作業に使うことはできず、かならずエネルギーの一部を無駄に捨てなくてはならない
・分離の状態は、やがて混合という結果に追い込まれる

 エネルギーの総量は不変、という熱力学の第一法則だけから見ると可能であるように思える永久機関(熱機関から生まれたエネルギーをまたその機関を動かすのに使う)は、第二法則から否定される。エネルギーは、総量としては減らないが、しだいに使えないかたちに変わっていく。
 この第二法則が述べていることにはいろんな表し方があって、エントロピーの考え方を使った表現法もそのひとつ。使えるエネルギーは減っていく、という法則は、エントロピーは増えていく、とも言い換えられる。

 エントロピーは概念なので、顕微鏡でも見られないし、それじたいを測量することもできないけれど、これを使うと第二法則がうまく説明できるし、計算によって量を測る式だってできている。

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2004/04/11

その117 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

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 カリフォルニア州バークレーにあるジョン・ネファスティスのアパートで、〈ネファスティス・マシン〉を前に、発明家本人によるエントロピー講義が始まっている。
But it was too technical for her. She did gather that there were two distinct kinds of this entropy. One having to do with heat-engines, the other to do with communication. The equation for one, back in the '30's, had looked very like the equation for the other. It was a coincidence. The two fields were entirely unconnected, except at one point: Maxwell's Demon. (p84)

《しかし、エディパには、話があまりに専門的だった。確かにわかったのは、このエントロピーというものに、二種類あるということである。一つは熱機関と関係があり、もう一つはコミュニケーションと関係がある。一方の方程式は一九三〇年代にできたものだが、他方の方程式とじつに似ていた。偶然である。この二つの領域はまったく無関係であるが、一点において関係がある――〈マックスウェルの悪魔〉だ。》p129/p146

 この「エントロピー」をめぐる話のわかりにくさは、Lot 49 を構成する数かずの奇妙な謎の中でも独特のものだということになっている。
 というのは、ここには、エントロピーと〈マックスウェルの悪魔〉と〈ネファスティス・マシン〉の話じたいがそれぞれわかりにくいということと、それらの話がこの小説の中でどういう役割を果たしているのかがわかりにくいという、少なくとも二重のわかりにくさがあるからで、不透明な話ほど大事なものに見えるのはエディパも読者も同じである。

 いまあらためてこのあたりのページを読んでいて思うのは、文章に不思議な距離があるということだ。
 エントロピーについての知識を持ったネファスティスが、それを持たないエディパに向かって語る話のうち、彼女がかろうじて「こういうことか?」と理解できた内容だけが地の文に乗せて語られている。書きぶりは、そこに誤解が含まれていれば(読者に向かって)訂正を加えてくれる調子ではない
 ネファスティスじしんの言葉が出てきても、エディパには謎かけのようにしか受け取れないし、地の文の側でもやはり、それを解きほぐしてこちらの理解を助けてくれる様子はない。理解できないエディパの「理解できない!」という叫びはそのまま書かれる。
 ひどく率直で、だからこそ距離を感じる書き方だと思う。距離というのは、“ページの上に印刷されている文字面のうしろにあるはずの背景”から、自分が隔てられている感じのことだ。
 内容がよくわからないからここにはもっと説明があってもいいはずだ、ということだけはわかる、そんな種類の話が持ち出されて、しかし説明は与えられない。小説のこういう書かれ方は、エディパにも読者にも不親切に見える。
「いいのか、それで」と言いたくなるが、このネファスティスの部屋に来る前、スタンレー・コーテックスがはじめてマシンの話をした場面もそんな調子だった→その91

 エントロピーという奇妙な概念を扱った奇妙なマシンを扱いながら、理解と誤解をまぜこぜにし、説明をあえて自制したまま素っ気なく進む地の文。「それでいいのだ」と、たぶんピンチョンは思っている。
 だから次第に、この“解説を加えない”書き方は不親切というより勇気だと感じるようになったのだが、意図的にしろ結果的にしろ、そのせいで〈ネファスティス・マシン〉がいっそう「わけのわからない機械」としてこちらの気にかかるようになっている。
 小説がそんなふうにこちらを翻弄してくるために、注釈書でこの部分についた解説はP97からP111まで、15ページにも延びている(たぶん、全項目中で最長ではないか)。それを読むと、エントロピーについて、少なくとも「エディパよりはわかった」と言えるようになることはなる。
(「ひと通りわかった」とはとても言えない。「簡単には“ひと通りわかった”なんて言えない話であるよな」ということがわかる)

 だが、肝心のエディパがわかっていないのだから、こちらもわからないまま読むほうが、より彼女に近づけるのではないか、という気持も抜きがたいのである。
 エディパに近づくのはこの小説に近づくのと同じことだと思う。近づいて近づいて、できることならこの小説の内側に入れないものかと、ずっと考えている。それには、エディパの外にある知識は邪魔でしかない。
 いっぽう、エディパの持たない知識を集め、外側から彼女の立場を可能な限りよく見ていくことで小説に近づくアプローチもきっとある。小説はエディパではない。読書は外側から行われるが、十全な知識を持って向かえば、こちらと小説との段差は乗り越えられるのじゃないかとときどき本気で思っている。
 しかし、ここで迷ったところで、できることが増えるわけでも変わるわけでもない。結局のところ、エディパに乗り移るほどには読者としての立場を失えず、ついつい調べてしまった小説外の情報を書き込まずにはいられないくせに調べ尽くすこともできない、どっちつかずで中途半端のままページをめくり、キーボードを叩いている次第である。このおぼつかない足取りで、エディパのあとを追って行くほかない。
 へんなことを書いた。以後、数回に分けて書く「エントロピー」についての話は、まちがいだらけか、正誤の判断以前のものでしかないだろう。

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2004/04/11

その116 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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 まさかの永久機関〈ネファスティス・マシン〉を発明したジョン・ネファスティスの住所は電話帳に載っていた。
She then drove to a Pseudo-Mexican apartment house, looked for his name among the U.S. mailboxes, ascended outside steps and walked down a row of draped windows till she found his door. (pp83-4)

《それからメキシコ建築ふうのアパートに着いて、並んでいる郵便受けに彼の名前を探し、外の階段をのぼってカーテンのかかった窓の列に沿って歩き、ついに彼の部屋のドアを見つけた。》p128/p145

 ここで下線を引いた部分が、たんに"the mailboxes"ではなく"the U.S. mailboxes"(合衆国郵便)と詳しく書いてある点を注釈書は見逃さない。「その96」で、コーテックスとネファスティスは「WASTE印」の関係する何らかの通信方法を行っているのではないかとエディパはにらんでおり、それを確かめるのがバークレーまで来た目的のひとつだったのだ。
 ここでは公式な政府の郵便を使っているのがわかったが、地の文がそう強調するのはかえって思わせぶりに映るとも言える。

 装置の中にいる〈マックスウェルの悪魔〉と交信して箱の中の分子を選り分け、エネルギーがないところからそれを作り出し熱力学の第二法則を突破する。マシンの(むちゃくちゃな)原理は「その91」以降で大まかに紹介されていた。これからいよいよ実物がお目見えするわけである。
 Introducing herself, she invoked the name of Stanley Koteks. "He said you could tell me whether or not I'm a 'sensitive'." (p84)

《自己紹介してから、エディパはスタンレー・コーテックスの名前を出した。「あなたなら私が『霊能者』かどうか教えてくださるだろうって言われたんです」》p128/p145

 ここでいう "sensitive" が、マシンを動かすのに必要な、悪魔と交信できる「高い感度を持った人間」の意味であるのは「その93」で触れたとおりだが、
you could tell me whether or not I'm a 'sensitive'.

 この文字面だけ見ると、エディパはまるで「私が気にしすぎなのかどうか、ありもしない企みを妄想のかたちで感じ取りやすすぎるのかどうか、それをあなたが教えてくれるのではないですか」と期待を寄せているかのようで面白い。
 というのは、さっそく奥の仕事部屋からマシンを出してきたこの男じしんが紛れもないマッドサイエンティストで、自分の正気をはかる大事な判断を預けるうえで、不適格といったらこれほど不適格な人間もいないはずだからだ。視野狭窄のエディパはしかし、まだそんな雰囲気を「感じ取って」はいない。
 He began then, bewilderingly, to talk about something called entropy. The word bothered him as much as "Trystero" bothered Oedipa. (p84)

《すると、彼がエントロピーということについて話し出したので困ってしまった。エディパが〈トライステロ〉という言葉にこだわっているのと同じくらいに彼はエントロピーという言葉にこだわっていた。》p129/p146

 マシンをめぐる話がいっそうややこしくなるのはここからである。

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2004/04/11

その115 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)

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『急使の悲劇』本文の謎に捕まったエディパは、エモリー・ボーツに会うべくカリフォルニア大学へ突撃するが、ボーツ教授はもうこの大学にいなかった。いまはカリフォルニア州サン・ナルシソ市のサン・ナルシソ大学で教えているという。
 結局、またもこのサン・ナルシソという、ピアス・インヴェラリティ肝煎りの土地にすべてが集まっていく成り行きを、エディパは「当然」だと受け入れるようになっている。しかしここでは、いま28歳のはずのエディパが大学のキャンパスに足を踏み入れて、自分の学生時代とのギャップにおどろく、という出来事への寄り道がなされる。
 作中の「今」は60年代中頃のはず→その16なので、学生たちは活発に政治運動へコミットしている。エディパが学生だった、10年くらい前の「臆病」で「退屈」で「後退」していた時代とはまるで別の宇宙だと書いてある。
In another world. Along another pattern of track, another string of decisions taken, switches closed, the faceless pointsmem who'd thrown them now all transferred, deserted, in stir, fleeing the skip-tracers, out of their skull, on horse, alcoholic, fanatic, under aliases, dead, impossible to find ever again. (p83)

《別世界の話。別な軌道のパターンへと一連の別な決断が下され、転轍機のスイッチは切られ、かつてスイッチを入れた、顔なき転轍手たちが、いまはみなあわてふためいて転職し、脱走し、捜索を逃れ、発狂し、ヘロインに手を出し、アルコール中毒になり、狂信者になり、偽名を使い、死に、二度と見つけられなくなっている。》p128/pp144-5

 この陰惨なイメージをもたらした時代の背景は、あれとこれとそれ、と指さして示すには遠すぎるというのが正直なところだが、「時代は決定的に、不可逆的に変わった」、「エディパはデモには向かないが、戯曲のおかしな語句を追跡するのは上手である」ということが、変わる前の時代に対して、そしてエディパ当人に対しても、いくらか冷笑的な調子で語られているようなのはいちおうわかる。
 冷笑的という言葉がよくなければ、あたらしい世代が古い世代のことを、(時代の順番からすると逆なのだけど)大人が子供を見るような調子で語っている、という言い方にでもなるだろうか(このLot 49 が発表されたのは1966年で、いわば変革の渦中だったはずだ)。
 それで、と言おうか、それにもかかわらず、と言おうか、エディパは自分が得意であるところの調査を再開し、今度はジョン・ネファスティスの住居を訪ねる。

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2004/04/11

その114 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

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その83」でランドルフ・ドリブレットが『急使の悲劇』の台本にしたと言っていて、エディパも「その98」でザップフ古書店を訪れ入手した『ジェイムズ朝復讐劇』(ペーパーバック)ではこうなっていた:
No hallowed skein of stars can ward, I trow,
Who's once been set his tryst with Trystero.


いかに聖なる星の桛[かせ]といえども護れない――
ひとたびトライステロとの出会い[トライスト]を定められた者の運命[さだめ]

 いまエディパが手に取っている『フォード、ウェブスター、ターナー、ウォーフィンガー戯曲集』(ハードカバー、1957年刊)ではこうなっている:
No hallowed skein of stars can ward, I trow,
Who once has crossed the lusts of Angelo.


いかに聖なる星の桛[かせ]といえども護れない――
ひとたびアンジェロの欲望に逆らった者の運命[さだめ]

 2行めのズレはどうしたわけだろう。このハードカバーには、その部分に長い脚注がついていた。3点メモする。

(1)テキストは四つ折判(1687年刊)にのみ従う
(※「その100」でまとめたように、ペーパーバックでは「出版年不明の二つ折判からとった」と書いてあったから、ここでもうズレている。
 あのとき「一六八七年版の異文参照」と書き込まれていた、その異文がこの四つ折判のことだと思われる。異文を参照したら、目当ての語はそこに存在しなかった)

(2)このテキストとちがう二つ折判では、結びの行が削除されている
(削除? では、その二つ折判をもとにしたはずのペーパーバックの結びの行――Trystero―― は、いったいどこから持ってきたのか)

(3)さらに、『急使の悲劇』には「ホワイトチャペル版」(1670年頃)という信頼性に欠けるバージョンもあり、そっちだと結びの行はこうなっている:
This tryst or odious awry, O Niccolo,
この出会い[トライスト]をか、憎らしき歪みの、おお、ニコロ

 これでは苦しすぎるし意味も不明だ。しかし、ほかの注釈者の説ではこの行は、
This trystero dies irae....
このトライステロ、神くらき怒りの日・・・・・・

をもとにした語呂合わせだという。しかししかし、そうなると今度は「トライステロ(trystero)」という語の意味がわからない。とにかくホワイトチャペル版は信頼できない。

 ――ここまでが脚注の内容で、もうぐちゃぐちゃである。「二つ折判」「四つ折判」「ホワイトチャペル版」。ぜんぶ異同があるし、そのどこにも"Trystero"の語はなかったはずなのだ。
『急使の悲劇』の終盤で、アンジェロがしたためてニコロに渡した手紙が、ニコロの死後に発見されると内容が変わっているという“奇跡”が起きたこと→その77をも連想させる、テキストの謎の入り乱れ具合がここに発生している。
 その混乱の中で、肝心の「トライステロ」の語は行方不明になってしまった。あのときニコロを殺したのが「トライステロ」の刺客であるらしかったのに、舞台の上でたしかに発されたその語がどこから来たのか、さっぱりわからないのである。

 ハードカバー版にこの脚注を施したのは、カリフォルニア大学英文科のエモリー・ボーツ(Emory Bortz)教授だとはっきり書いてあったので、エディパは直接、この専門家に訊きに行くことにする。その反応は正しい。

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2004/04/11

その113 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次


 ホテルで案内された部屋には、レメディオス・バロの絵の複製が飾ってあった。「その9」からしばらく見たように、エディパにとっては呪いのように重要な画家である。
She fell asleep almost at once, but kept waking from a nightmare about something in the mirror, across from her bed. Nothing specific, only a possibility, nothing she could see. (p81)

《たちまちのうちに寝ついたが、何回も悪夢にうなされて目を覚ました。ベッドの向こうにある、鏡の中の映像に関係のある夢だった。特にこれという映像ではない。単なる可能性のようなもの、目に見えるようなものではなかった。》p124/p140

《鏡の中の映像》と言ったら自分の顔のはずである。だから志村氏は解注で、ここで壁に掛かっているバロの絵はこの出会い」(Encuentroじゃないかという説を紹介している。いっぽうで、その夢は《特にこれという映像ではない》、《目に見えるようなものではなかった》とも説明されている。彼女を脅かすのは可能性なのだ、と。
 探した末に見つかるのが自分の顔だったら、それは世界がすべて自分の織ったタペストリーでしかないと決めつける→その10のと同様、どこまでいっても「自分しかいない」孤独な状況である。それとも、彼女の敏感すぎるアンテナは、また別の状況のありうる可能性を、はっきりした自覚のないままに感じ取っているのだろうか。いずれにせよ不吉な予感(悪夢)であるのが気にかかる。

 ともあれ、ぐったり疲れたエディパは夫のムーチョとセックスしている夢を見て、いっそう疲れて目を覚ます。向かう先はレクターン出版社。

その100」でメモしたことをまとめ直すと、タンク劇場で見た『急使の悲劇』は『ジェイムズ朝復讐劇』というペーパーバックに入っていたが、それのもとであるハードカバー、『フォード、ウェブスター、ターナー、ウォーフィンガー戯曲集』を出しているのがこのレクターン出版社なのだった。
 すでにして相当ややこしいうえに、当の会社を訪ねてみると、その戯曲集は在庫が無く、エディパは会社から離れた倉庫の住所まで教えてもらってようやく手に入れる。彼女が調べたいのは、あの芝居の終わり近く、一度だけ「トライステロ」の語が発される箇所→その77だった。
She skimmed through to find the line that had brought her all the way up here. And in the leaf-fractured sunlight, froze.
 No hallowed skein of stars can ward, I trow, ran the couplet, Who once has crossed the lusts of Angelo.
 "No," she protested aloud, "'Who's once been set his tryst with Trystero.' "

《ぱらぱらとページを繰って、わざわざこんなところまで足をのばしてくる原因となった例の台詞を探した。見つけたとたん、木洩れ日の中で、体の凍りつく思いであった。
いかに聖なる星の桛[かせ]といえども護れない 」とその二行連句は始まる――「ひとたびアンジェロの欲望に逆らった者の運命[さだめ]
「違うわ」と彼女は声に出して異議をとなえた。「『ひとたびトライステロとの出会い[トライスト]を定められた者の運命は 』だわ」。》pp124-5/p141

 そう、語句がちがっているのである。ペーパーバックにあった「トライステロ」の語が、親本であるハードカバーには無かった。そんなことがありえるのか。

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2004/04/11

その112 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)

前回…] [目次


 第5章がはじまる。
 Though her next move should have been to contact Randolph Driblette again, she decided instead to drive up to Berkeley. She wanted to find out where Richard Wharfinger had got his information about Trystero. Possibly also take a look at how the inventor John Nefastis picked up his mail. (p80)

《エディパが次に打つ手はランドルフ・ドリブレットにもう一度連絡を取ることであったろうが、その代わりに車でバークレーまで行こうと決心した。リチャード・ウォーフィンガーがトライステロに関する情報をどこで手に入れたものか、知りたいと思った。ついでに発明家ジョン・ネファスティスがどんなふうにして郵便物を受け取るのか、見たいものだと思った。》p123/p139

 章のはじめのこういった語りかたも恒例になってきた。
 第3章→その41でも第4章→その89でも、いや、第2章→その17の冒頭でもすでに、章があらたまるたびにこの小説は、その時点でのエディパよりずっと先の、すべてを見通せる地点から、しかも彼女の探求の進めかたに評価を下すような距離を置いて、語りはじめるのだった。
 そして、そのような身ぶりを各章の冒頭でだけ見られる特徴として限定するのはむしろ不自然なので、全篇がじつはそのような場所から語られているととらえてもいいんじゃないかと、あたらしい章に入るたびにそのことを強く思い知らされながらここまで読んできた。
 だから、部分部分で時にはエディパの心内語を中継し、彼女のそばに寄り添う語り口が選ばれてはいても、それはそれとして、小説は主人公と別のところにいる、という気持がどうしても抜けない。次第に強くなる。

 そんな猜疑心を持って読んでいくのだが、しかし、この章もまた導入がすばらしく、まるまる2ページくらい引用したくなってしまう。つまりエディパばかりか、こちらもまったく、翻弄されているわけだ。
She purred along up the east side of the bay, presently climed into the Berkeley hills and arrived close to midnight at a sprawling, many-leveled, German-baroque hotel, carpeted in deep green, going in for curved corridors and ornamental chandeliers. A sign in the lobby said WELCOME CALIFORNIA CHAPTER AMERICAN DEAF-MUTE ASSEMBLY. Every light in the place burned, alarmingly bright; a truly ponderable silence occupied the building.(p80)

《低いエンジンの音を立ててサン・フランシスコ湾の東側を海岸ぞいに走って、まもなくバークレー丘陵地帯に入り、真夜中近くに、幾層にもなって不規則にひろがるドイツ・バロックふうのホテルに到着した。なかは深緑色のカーペット、曲がりくねった廊下、装飾的シャンデリアというスタイルのホテルだ。ロビーの標示には〈歓迎 アメリカ聾唖者カリフォルニア支部集会〉とあった。この場所の照明はどれも胸騒ぎを覚えるほど明るく輝いている。まことに重い沈黙が建物を占拠していた。》pp123-4/pp139-40

 押し黙ったホテルのドアをエディパは独りで開ける。そこはたまたま用意されていた、言葉の発されない場所である。
 抽象的な“真実”、いわば神の御言葉(Words)が、たしかに発されているのに自分の耳には聞こえていないのじゃないかとたびたびおそれる彼女→その19が到着する場所として、〈聾唖者の支部集会〉というのはあからさまなメタファーのようであり、あんまりあからさまにすぎるためにメタファーであることを突き抜け、いま実際にエディパが開けたドアのむこうにあらわれてしまったかのようである。
 メタファーが《曲がりくねった廊下》を通り、現実世界に顔を出した。そのすべてが小説である。めまいのする思いだ。
A clerk popped up from behind the desk where he'd been sleeping and began making sign language at her. Oedipa considered giving him the finger to see what would happen. But she'd driven straight through, and all at once the fatigue of it had caught up with her. (pp80-1)

《フロント・デスクのうしろで眠っていた受付係が起きあがり、身振りで話しかけてきた。エディパは手話で応じてようすを見ようかと思った。しかしここまでノン・ストップで車を飛ばして来たので、どっと疲れがまわってきた。》p124/p140

 いや、そしてエディパも何をしているんだと思うが、"giving him the finger"は「中指を立てる」という意味のはずで、これは佐藤訳(新潮社)で直っている。
《フロントデスクで眠っていた受付係がパッと目を覚まし、手話で話しかけてきた。こっちも中指で応えてやろうかと思ったが、そのとき急に彼女をノンストップの運転からくる疲れが襲った。》p126

 エディパは、受付係のもっとむこう、ここに〈聾唖者の支部集会〉を持ってきたこの小説の悪意に対して中指を立てようとしたのではないか、などと言いたくなってくる。

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2004/04/11

その111 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


 何世紀にもわたって〈テュルーン、タクシス〉の敵であり、そして切手を偽造してきた集団がいるのではないか、と2ページちょっとの間にまとめて喋ったあとで、コーエンは押し黙ってしまう。どうやら、自分の口から出た可能性におそれを抱いているようだ。
 W・A・S・T・Eの頭文字についてエディパが訊いても答えてくれず、そして丁寧に、こんなことまで書いてある。
She'd lost him. He said no, but so abruptly out of phase now with her own thoughts he could even have been lying. (p79)

《もう彼は手の届かないところへ行ってしまった。彼は、知りませんと言ったが、彼女じしんが考えていることとは、にわかに位相を異にしていたから、嘘をついているとも思われた。》p122/p137

 少し前にファローピアンに話を聞いたとき、彼も最後は曖昧に言葉を濁して逃げており→その105、エディパはエディパで徹底的に問い詰めることはできないでいたのだった。ここでもまた、彼女の聞いた話はウソかもしれない、と含みが残せるように登場人物の心理が調整してある。
 うまいんだけどずるいのじゃないかという読者の気持にお構いなく、コーエンはエディパのグラスにタンポポ酒を注ぎ足す。この酒は、季節がめぐってタンポポの咲く季節になると発酵を始めるという。「まるでタンポポに記憶があるみたいなんですよ」。
 No, thought Oedipa, sad. As if their home cemetery in some way still did exist, in a land where you could somehow walk, and not need the East San Narciso Freeway, and bones still could rest in peace, nourishing ghosts of dandelions, no one plow them up. As if the dead really do persist, even in a bottle of wine. (p79)

《ちがうわ、とエディパは思った。悲しかった。まるでタンポポのふるさとの墓地が何らかの形でいまも存在しているみたい、と言うべきだわ。どこか、ひとが、ともかく歩ける国、そうして東サン・ナルシソ高速道路などを必要としないところ、そうして骨がいまも安らかに眠っていて、タンポポの幽霊に養分を与え、骨を掘り起こす者などいない国で・・・・・・まるで死者がほんとうに生きつづけている、酒瓶の中にさえ生きつづけているみたい、と。》p122/pp137-8

 自分が今いる世界とは異なった、別の世界をエディパは幻視している。そんな場所が「あるみたい」、と。
 これを、可能性の中に潜む世界、ととらえれば、自分には触れられない真実→その107の属する世界や、あるいはそれこそ〈テュルーン、タクシス〉の敵が活動している世界といった、この章で急に活性化してきた“別世界”たちが思い浮かぶ。
 そして“別世界”が活性化するというのは、そういったものへのエディパの感度が強化されたということでもある。

 ともあれ、この玄妙な名文で第4章は終わる。WASTE印を落書きしていたコーテックスに始まり、史碑や指輪、そして何より偽造切手といった、具体的で手に取れる手掛かりが次々にエディパのもとへ集まってきて、それらの手掛かりが指し示すのは黒衣の集団、とまとめられそうである。
 それだけなら、どんどん謎を追いかけようと一直線に進んでいきそうなものなのに、並行してエディパの中では探求を探求として成り立たなくさせる変化も起きて、話を複雑にしている。何より、彼女じしんを複雑にしている。

その89」や「その100」では、「手掛かりを結ぶ秩序は(見つけるのではなく)私が自分で創るものだ」という覚悟が述べられていた。
 探求とは、たんなる宝探しのように自分と別のところに隠されている真相を発見するだけの行為にはとどまらない。真相は、主体的なコミットによって自分で創り出すものなのだとエディパの考えは深まり、そして彼女は迷いつつも、そこに自分を投じてやろうと決めたのだった。
 でもこれは、全面的なやる気の増進にはつながらない。「真相は自分が創るもの」という理解の裏返しというか、「その99」では「自分が探すせいで、何かがあることになってしまう」というおそれから、彼女が探求をためらう姿が描かれていた。
 さらに「その107」から「その108」になると、「いや、もともと真実なんて私の手には届かないものなのでは・・・」という極論、探求がスタートしたばかりにしてはあまりに早すぎて遠すぎるあきらめに、彼女は囚われかけている。
 これらの覚悟とためらいとあきらめは、順を追った心境の変化ではなく、3つが3つながら(そもそも3つとも分けられないかたちで)入り混じり、それで彼女の言動は細かく揺れ動いている。腰の定まらないそんな状態で行なわれるのが、エディパの探求である。

 探求を進める方向と、いわば探求を解体する方向。ふたつの方向を行き来する往復運動でLot 49 は進んでいくようだ。
 いま、一歩引いて考えてみると、なんとも不思議なやり方で動力を取り出してくる小説であるなあと感心するが、いっぽうで、主人公の心労は察するに余りある。
 小説はあと半分だ。

…続き

*上に引用した、エディパが夢みる別世界の部分を、原文と志村訳に佐藤良明訳(新潮社)を加えてもういちど貼る。
 No, thought Oedipa, sad. As if their home cemetery in some way still did exist, in a land where you could somehow walk, and not need the East San Narciso Freeway, and bones still could rest in peace, nourishing ghosts of dandelions, no one plow them up. As if the dead really do persist, even in a bottle of wine. (p79)

志村訳:《ちがうわ、とエディパは思った。悲しかった。まるでタンポポのふるさとの墓地が何らかの形でいまも存在しているみたい、と言うべきだわ。どこか、ひとが、ともかく歩ける国、そうして東サン・ナルシソ高速道路などを必要としないところ、そうして骨がいまも安らかに眠っていて、タンポポの幽霊に養分を与え、骨を掘り起こす者などいない国で・・・・・・まるで死者がほんとうに生きつづけている、酒瓶の中にさえ生きつづけているみたい、と。》p122/pp137-8

佐藤訳:《違うでしょ、エディパは悲しくなった。そうじゃなくて、タンポポの故郷だった墓地が、まるで今も存在しているみたいに、と言うべきよ。 みんなまだそこを歩けて、イースト・サン・ナルシソ・フリーウェイなど必要ない、骨たちも安らかに眠っていて、タンポポの蜜に滋養を与え、骨を掘り起こす人もいないみたいに――と言うべきでしょ。ワイン・ボトルの中でも死者は、死んだままでいられるみたいに、と。》p124
*太字は引用者

 太字にした箇所が、文字面の上では逆になっている。
 原文の"the dead really do persist"をどちらの意味でとるかのちがいなんだろうけれど、ここでは、“墓地に眠る骨が工事で掘り起こされているこの世界とは別の世界”が思い描かれているわけだから、埋められた骨が(タンポポ酒の中のタンポポのように)埋められたままでいられる → 死者が死んだままでいられる、ということで佐藤訳のほうがいいんじゃないかと思う。
《死んだままでいられる》は、そこだけ見るとちょっと強い気もするが、死者が何ものにも邪魔されることなく静かに死者のままでいられる、ということだろう。
 そしてこう考えてみると、志村訳の《死者がほんとうに生きつづけている》というのもやはり、死者がその状態のままであり続けるということを言わんとしているのじゃないだろうか。
2004/04/11

その110 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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 13世紀の終わりに活動を始め、ヨーロッパ随一の郵便組織だった〈テュルーン、タクシス〉の郵便喇叭を消音する、WASTEの喇叭。
 幾度となくエディパの前にあらわれたあのマークは、そのようなものなのではないか。そしてこのマークを持つ黒衣の集団が、ほかにも〈ウェルズ、ファーゴ〉や〈小馬速達便〉といった民間の郵便組織にも敵対していたことを示す手掛かりがエディパのもとに押し寄せるのが、この第4章だったわけである。

 コーエンが最初に見せてくれた切手に戻れば、〈小馬速達便〉をあしらった合衆国郵便の記念切手には、本来、透かしはない。ピアスが持っていたのは偽造切手だったのだ。
 切手の本物は、前回も貼ったがここで見ることができる。いまエディパの目の前にある切手はこれとそっくりで、しかし一点、はっきり違いがあり――
The picture had a Pony Express rider galloping out of a western fort. From shrubbery over on the right-hand side and possibly in the direction the rider would be heading, protruded a single, paintstakingly engraved, black feather. "Why put in a deliberate mistake?" he asked, ignoring --- if he saw it --- the look on her face. "I've come up so far with eight in all. Each one has an error like this, laboriously worked into the design, like a taunt." (p78)

《図案は、小馬速達便の騎手が西部の交易場から馬を飛ばして出て行くところだ。右側の茂みから、騎手が向かって行くと思われる方向に一枚、丹念に彫った黒い羽根が突き出ている。「なぜ、わざとこんな間違いを?」と彼は質問した。エディパの顔の表情を――見たとしても――無視していた。「これまでのところ、ぜんぶで八枚出てきました。どれにも、この手のエラーが入念に図案に入れてあります。嘲笑しているみたいです。」》p120/p135

「黒い羽根」といえば、数ページ前でトート氏から聞いた話→その102に出てきた重要アイテムだ。さらにほかの切手には文字の入れ換えもあって、それはエディパに、夫のムーチョから届いた手紙のスタンプにあった誤植のこと→その45を否応なく思い出させる。

 近年のもので入れ換えがあったのは1954年のリンカーン切手で、ほかは1893年までさかのぼるそうだから、時間の幅からいって個人の仕業とは考えにくい。だからコーエンは自然な推測として、これらの切手を偽造した者たちは〈テュルーン、タクシス〉と同じほどの伝統を持っているのではないかと述べる。
 可能性。自分たちの話の中から、歴史の裏側に謎の組織が存在するかもしれないという可能性が急に浮かび上がってきて、ふたりはしばし沈黙し、エディパはこれまでに見たWASTE印のことをすべて打ち明ける。
"Whatever it is," he hardly needed to say, "they're apparently still quite active."
 "Do we tell the government, or what?"
 "I'm sure they know more than we do." He sounded nervous, or suddenly in retreat. "No, I wouldn't. It isn't our business, is it?" (p79)
 
《「その印が何であれ」と彼は言わずもがなのことを言った――「彼らはどうやらまだ活動しているのでしょう」
「政府に報告したほうがいいのかしら?」
「政府はきっと私たちよりも知っているでしょう」その声は不安げというか、急に退却開始という調子だった。「いや、私なら報告しません。そんなことは私たちの知ったことじゃないわけですからねえ」》pp121-2/p137

 自分で言っておきながら、コーエンも退き気味(in retreat)である。これはエディパのあの「ためらい→その99と似たものかもしれない。
 名の通った郵便組織に対抗し、切手を偽造している「彼ら」とは何者なのか。そして何より、どうしてピアスはそんな切手を集めていたのか。

…続き