2004/04/10

その109 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)

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 ピアスの切手コレクションから、コーエンはエディパに使用済みの切手を見せる。1940年発行の、〈小馬速達便〉を記念する3セント切手。

ponyexpress_1940(ふたりが見ているのと同じ切手はPynchonWikiでも見ることができるし、もっと大きい画像がウィキメディア・コモンズにもあったので貼る)

"Look," he said, switching on a small, intense lamp, handing her an oblong magnifying glass.
 "It's the wrong side," she said, as he swabbed the stamp gently with benzine and placed it on a black tray.
 "The watermark."
 Oedipa peered. There it was again, her WASTE symbol, showing up black, a little right of center.
 "What is this?" she asked, wondering how much time had gone by. (p77)

《「ごらんください」と言って小型の強力ランプをつけ、彼女に楕円形の拡大鏡を手渡した。
「これじゃ裏側だわ」彼がベンジンで切手を軽く濡らして黒い皿の上に置いたときに、彼女はそう言った。
「その透かしです」
 エディパは凝視した。こんども、だ。例のWASTE印が中央より少し右寄りに黒く浮いている。
「これは何なの?」とききながら、どれくらいの時間が経過したのだろうかと思った。》pp118-9/p133

lot49 また、このマークがあったというのである。しかも今度は、合衆国郵便の切手に透かしとして描かれていた。正体は、切手のプロであるコーエンにも彼の同業者にもわからない。

 コーエンは次に別の切手を見せる。古いドイツの切手で、真ん中に「1/4」、上部に「Freimarke」、右側に「Thurn und Taxis(テュルーン・ウント・タクシス)」と銘がある。もちろん、『急使の悲劇』に出てきた大手郵便組織だ。
 その切手の実物を目の前に置いて、コーエンが解説を加える。1300年ごろから1867年にビスマルクに買い取られるまで、ヨーロッパの郵便事業はこの〈テュルーン・ウント・タクシス〉が一手に担っていたという→Wikipediaの項
Decorating each corner of the stamp, Oedipa saw a horn with a single loop in it. Almost like the WASTE symbol. "A post horn," Cohen siad; "the Thurn and Taxis symbol. It was in their coat of arms."
 And Tacit lies the gold once-knotted horn , Oedipa remembered. Sure. (p77)

《切手の四隅を飾っているのは、ひとつ輪の喇叭である。ほとんどWASTE印に近い。「郵便喇叭です」とコーエン――「テュルーン、タクシス家の印です。家紋の一部なのです」
 黄金のひとつ輪の喇叭はただ沈黙[しじま]、という台詞をエディパは思い出した。やっぱり。》p119/p134

 この切手もウィキメディア・コモンズにあった。拡大すると四隅を飾る“ひとつ輪の喇叭"まで確認できる。
Thurn_und_Taxis(筑摩の単行本でも文庫でも、この切手は「解注」に載っている。また、この喇叭や、当の〈テュルーン、タクシス家〉のサイトにでかでかとある喇叭によく似たマークは、いまの日本の住宅の郵便受けでもよく見かけるものである。ヨーロッパでは「郵便といったらひとつ輪の喇叭」、というくらいにこの家名と家紋がスタンダードになっていて、それがそのまま日本に持ち込まれたということだろうか。
 なお、〈テュルーン、タクシス〉の家紋そのものもやっぱりここにあるのだが、どの部分が喇叭なのかはよく見えない)

"Then the watermark you found," she said, "is nearly the same thing, except for the extra little doojigger sort of coming out of the bell."
 "It sounds ridiculous," Cohen said, "but my guess is it's a mute."
 She nodded. The black costumes, the silence, the secrecy. Whoever they were their aim was to mute the Thurn and Taxis post horn. (pp77-8)

《「すると、さっきの透かしは」とエディパは言った――「ほとんど同じものだけど、鐘形のところから出かかっているような感じの、ちょっとしたものが余計ね」
「ばかげていると思われるかもしれませんが」とコーエン――「私の推測では、それは消音器[ミュート]です」
 エディパはうなずいた。黒装束、沈黙、秘密主義。彼らが何者であったにせよ、目的はテュルーン、タクシスの郵便喇叭を消音することであった。》pp119-20/pp134-5
*太字は引用者

 強調せずにはいられない。たいへんなことになっている。

…続き


*ググっていて見つけた:
・〈テュルーン、タクシス〉を題材にした、ドイツ製のボードゲームがあるらしい。どれほど大手だったかわかろうというもの。
遊んだ方によるレビューもあった(「ボードゲーム・カードゲームの店 メビウスゲームズ」)。
2004/04/10

その108 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

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 (ここは前回の引用部分からつながって流れている)
In the space of a sip of dandelion wine it came to her that she would never know how many times such a seizure may already have visited, or how to grasp it should it visit again. Perhaps even in this last second --- but there was no way to tell. She glanced down the corridor of Cohen's rooms in the rain and saw, for the very first time, how far it might be possible to get lost in this. (p76)

《タンポポ酒を一口すするだけの時間にエディパが思ったことは、すでにいままでに何回そのような発作に見舞われているのか、次に見舞われたら、どのようにして掴まえたらよいのか、まるっきりわからないだろうということだった。ひょっとしたら、いま、この一秒間にも――だが、わかりようもない。エディパは雨の日のコーエンのアパートの続き部屋の通路を見はるかしながら、いまはじめて、このようにして果てもなく迷うことがありうることを知った。》pp117-8/p132

 手掛かりを探してあちこち動き回りながらエディパが求めているのは、気になる事物の意味を明らかにし、つながりのありそうな出来事のすべてに説明をつける、合理的な解答ではなかった
 表向きはそういうものを追っていても、事物のあいだのつながりは「自分で埋める」、意味は「自分で創る」ものだというのが彼女の自覚しているスタートラインのはずだった(→その89→その100)。

 それが、前回と今回の部分を読んでみると、エディパは「自分でつながりを創ろう」と思いながら、やっぱり自分の外に真実を求めていたように見える。
 あるいは、自分でつながりを創るといっても、そのつながりは、みずからの体を張った探求の報酬として、自分の外から自分のもとに真実として到来する――そのような期待のもとに「つながりを創る」行為をとらえているのかもしれない。
 いずれにしても重要なのは、エディパにとって真実とは“聖なる体験"で、それゆえ俗なる自分の知覚を越えるのじゃないか、というところまで彼女じしんが突き抜けてしまっていることだ。
 これから探求の果てに真実を体験しても、あとから確かめられないのは大きな問題だが、《すでにいままでに何回そのような発作に見舞われているのか》わからない、というのも問題だ。じつはもう真実は到来しているのかもしれない。そもそも、何を探すのか。
《いまはじめて、このようにして果てもなく迷うことがありうることを知った。》

 あらためて、この小説はこれからどうなるのだろう。
 探求物語としてのLot 49 は、「その89」で「私はひとつの世界を投射すべきか?」が出てきた時点で底が抜け、いまの“真実=聖なる体験=届かない”で、天井も開いてしまった。この小説の中に謎を閉じ込めておくのは、無理であるように思われる。

 しかし、こういったちゃぶ台返しが、さまざまな手掛かりの発見と並行して起きるのがこの第4章のめまぐるしさである。
 呆然とタンポポ酒をすするエディパ(それは読者の姿でもある)の前に、すかさず今度は、ごくふつうの意味で重要な手掛かりが――具体的で、世俗にまみれた小さな手掛かりが――コーエンから示されて、小説の軌道は再び“謎を追いかける”方向へ戻される。

…続き
2004/04/10

その107 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次


 独り者のコーエンは、エディパに自家製のタンポポ酒を出してくれる。タンポポは2年前に墓地で摘んだもので、その墓地はもう高速道路を作るために取り壊されてしまいましてね――

 たちまちエディパは「信号を識別」する。というのは、高速道路の建設会社が墓地を取り壊す際に、掘り起こした人骨を煙草会社にフィルターの材料として売る、という話を以前に聞いていた→その58からだ。つながりがある、と彼女には確信されるのだろう。
 だがあのときの会話では、「ピアスの場合は墓地ではなくて、イタリアの湖から引き揚げられた人骨を使っていた」と説明されていたのだから、この連想は、つながりと言ってもいわば“空白のつながり”のようなものである。それは、つながっているのかどうか。

 しかしそんな疑問を挟ませまいとするかのように、というよりはむしろ、ないつながりをつなげる理路を拓こうとするかのように、地の文は一気に畳みかける。今回と次回の引用文はひと続きであり、ひと続きであることに意味の大半がかかっているのだけど、長すぎるので2回に分けて読む。
She could, at this stage of things, recognize signals like that, as the epileptic is said to --- an odor, color, pure piercing grace note announcing his seizure. Afterward it is only this signal, really dross, this secular announcement, and never what is revealed during the attack, that he remembers. Oedipa wondered whether, at the end of this (if it were supposed to end), she too might not be left with only compiled memories of clues, announcements, intimations, but never the central truth itself, which must somehow each time be too bright for her memory to hold; which must always blaze out, destroying its own message irreversibly, leaving an overexposed blank when the ordinary world came back. (p76)

《事態がここまで進展して来ると、この種の信号を識別することができるようになっていた。癲癇患者に識別できると言われているのと同じだ――発作を予告する、ある種の匂い、色、澄んだ、突き刺すような装飾音などを。あとになってから憶えているのは、この信号だけ。信号とは、じつは無価値なかす、世俗的な予告であって、発作中に啓示されたものとは無関係である。エディパは、これが終わったとき(終わるものだとして)、自分にもまた、残っているものは手掛かり、予告、暗示などの記憶が集まっているだけで、中心にある真実そのものが残ることはないのではないかと思った。中心にある真実は、なぜか、いつ出現しても明かる過ぎて記憶に耐えない。いつだってパッと燃えあがって、そのメッセージを復元できないように破壊してしまい、日常的な世界が戻ってきたときに残っているのは露出過多のための白紙だけということになるのではないか。》p117/p132
*下線・太字は引用者

 たぶんここでは、小さな事物から啓示の予告を感じ取る → 啓示の到来 → 啓示が過ぎたあと、の3段階が語られている。
 はじめと終わりは世俗的=日常世界の出来事であり、ただ啓示だけが、そのような世界を離れた非日常、あるいは超常的なものである真実を一挙に開示する、とエディパは考えている――と地の文は語る。

 とつぜん手掛かりのほうで自分のところにやって来て、それで一瞬、真実を幻視しかける。次の瞬間、取り逃がした、と生々しく実感することにより、真実をもたらす啓示があったことが事後的に認知される。そんな経験をエディパは重ねてきた。
 それは感度強化ゆえの思い込みかもしれない、との含みを残す補足はこれまでも丁寧に施されていたが、ここでいよいよ、そんな真実は、はなから自分の手には掴めないものなのではないか、という地点にまで彼女は至っている。

 手掛かりも予告も、真実そのものとは無関係である、と地の文は言う。世俗の物事に囲まれて暮らすふつうの人間にとって、啓示を組み立てる素材は、些細でつまらない日常の事物に決まっている。それは「その3」で夫ムーチョの神経を苛んだ、中古車の車内に残された生活の残りかすと変わりがない。
 日常世界の手掛かりが、完全につながりの切れたところにある非日常の真実を示してくれたところで、生身の肉体を持って俗世に生きる人間の手には届きようがない。自分と真実とでは、属している場所がちがうのだ。
 だから、手掛かり(日常)の先にそんな真実(非日常)が本当に待っているとして、それを告げる啓示を感知したとしても、真実はその啓示を受けとった瞬間にのみ体験されるものとしてあるだけで、啓示が過ぎたあとには持ち帰れない。

 日常を“俗世"というならば、非日常は“聖"となる。聖なる体験は、保存することも、世俗の言葉に翻訳することもできない
 そうまとめればそんな気もしてくるが、この小説ではそれはどういうことになるのか。

…続き

*ところで、引用した原文中で1ヶ所だけ下線を引いた not を素直に取ると、たぶんおそらく原文は、訳文よりもうひとひねり遠回しではないかと思うのだが、それを組み入れると日本語はどう変わるのか、そもそもこの訳文にnotは入っていないのか、しばらく考えてもかえってどんどんわからなくなった。
2004/04/10

その106 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)

前回…] [目次

 If she'd thought to check a couple lines back in the Wharfinger play, Oedipa might have made the next connection by herself. As it was she got an assist from one Genghis Cohen, who is the most eminent philatelist in the L.A. area. (p75)

《ウォーフィンガーのあの劇の中の二行を調べる気になっていたら、エディパは次の結びつきをひとりで見つけたかもしれない。が、実状はジンギス・コーエンという、ロス・アンジェルス地区では最高の切手収集家の援助を受けた。》pp115-6/p130

 例によってエディパを先回りする思わせぶりな地の文が、あたらしい人物を連れてくる。ジンギス・コーエン(Genghis Cohen)は、ピアスの膨大な切手コレクションを査定して目録にまとめるためにメツガーが雇った切手のプロである。だいぶ前の第3章冒頭近く、「その44」で引用した部分の直前に、こういう文章があった。
Much of the revelation was to come through the stamp collection Pierce had left (p31)

《啓示の多くはピアスの残した切手のコレクションを通じてやってくることになる》p51/p57

 やっぱり、地の文はいつでも主人公より先にいて、自由自在に“予告”をし、読者を翻弄する。そして主人公は“予告”に気付くことさえできない。
 もうひとつ、いまの原文が英語としてどれくらい自然なのか不自然なのかわからないが、「啓示」を唯一無二の絶対の真理のようなものとしては全然とらえていない感じ(Much of the revelation)が面白いとあらためて思う。たくさんあるんだな、と。

 もとい、ある雨の朝、問題のコレクションを預けてあるコーエンが電話をかけてきて、「切手に変わった点があるので、来ていただけませんか」と主人公を呼ぶ。
 She was somehow sure, driving in on the slick freeway, that the "irregularities" would tie in with the word Trystero. […] now it came to her, as if the rain whispered it, that what Fallopian had not known about private carriers, Cohen might. (p75)

《エディパは滑らかな高速道路を疾走しながらも、なぜか「変わった点」というのがトライステロという単語に結びつくのだろうと思っていた。[…] いまは、ファローピアンが民間郵便配達組織について知らなかったことを、コーエンが知っているかもしれないという気持になっていた。まるで雨がそのことをそっと囁いてくれたかのようだ。》p116/p131

 もう書かれてもいないけれども、エディパの“感度強化"はますます進行中である。そして到着したコーエン宅の様子がまたすごい。
 When he opened the door of his apartment/office she saw him framed in a long succession or train of doorways, room after room receding in the general direction of Santa Monica, all soaked in rain-light. (pp75-6)

《コーエンがアパート兼事務所のドアを開いたとき、彼はいくつものドアが長く連続しているというか、長く行列になっているというか、ドアがいっぱい開いている、そのドア口の枠に囲まれて立っているのだった。部屋また部屋がほぼサンタ・モニカの方向につぎつぎ後退してつながっていて、すべてが雨の光に浸されている。》pp117-8/p131

 無限後退するミラーハウスのように見える部屋へと、エディパは足を踏み入れる。いったいだれが、こんなところで謎の答えに近づけると期待できるだろう。やりすぎといえばやりすぎなくらい、地の文は好き放題に書いている(「サンタ・モニカ」なんて、悪ノリして書いているようにしか見えない!)。
 こんな場所で、エディパはいよいよ巨大な手掛かりを示される。

…続き
2004/04/10

その105 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


〈テュルーン、タクシス〉。〈ウェルズ、ファーゴ〉。〈小馬速達便〉。どれもそれぞれの地域と時代でよく使われていた郵便組織である。そのことごとくを、黒衣の集団が襲った記録のようなものがある。
 これはいったいどういうことか。黒衣の集団とは何者か。私設郵便の歴史に詳しいファローピアンは、しかし、はかばかしい答えをエディパに与えてはくれない。
 黒衣の集団について、ファローピアンもまだ正体をつかんではいなかった。史碑の存在は知っており、彫られている内容について役所に問い合わせの手紙を出しているが返事はない。予想では、いつか返事が来るとしても、せいぜい古老からの聞き書き程度の当てにならない資料が届くぐらいが関の山だろうと言っている。
"[…] There's no way to trace it, unless you want to follow up an accidental correlation, like you got from the old man."
 "You think it's really a correlation?" She thought of how tenuous it was, like a long white hair, over a century long. Two very old men. All these fatigued brain cells between herself and the truth. (p74)

《「[…] 追跡する方法なんて、ないんです、あなたが爺さんからお聞きになった話のように、偶然の相関関係を追跡するしかありません」
「ほんとうに相関関係があるとお思い?」 相関関係と言っても何とかぼそいものだろうか。一本の長い白髪のようなものではないか、一世紀以上にわたる白髪一本。二人の非常な老人。自分と真実のあいだの数知れぬ疲弊した脳細胞。》p115/p129

 ものすごいことを言っている。
偶然の相関関係(an accidental correlation)を追跡するしかありません」とは、また次の偶然の一致が出てくるまで待つほかにやれることはありません、ということだ。
 何事かを探求している人間に対して、これはアドバイスになっているのだろうか。

 そしてエディパはといえば、そもそもの相関関係じたいを疑っている。いくつかの「郵便組織&黒衣の集団」というペアには、本当につながりがあるのかどうか。
 ここで彼女が気にしている「二人の非常な老人」は、〈小馬速達便〉の話をしてくれたトート氏と、その話を自分の体験談として彼に語った祖父のことである。手掛かりといっても、こんな老人の伝聞の伝聞が信頼できるものなのか。
 ファローピアンは反体制の人だから、民営の郵便を圧殺しようとした黒衣の集団を、北部連邦政府の手先ではないかと考えている。何にせよ郵便組織との関係はありそうだ。だが、それ以上はファローピアンは乗ってこない。コーテックスが落書きし、トート氏の祖父が持っていた指輪にも刻まれていた「WASTE印」を見せても反応は薄い。
 "It was in the ladies' room, right here in The Scope, Mike."
 "Women," he only said. "Who can tell what goes on with them?" (p75)

《「婦人用トイレに書いてあったのよ、この〈ザ・スコープ〉のトイレよ、マイク」
「女たち」と彼は言っただけであった――「女たちってのは何を考えているものやら」》p115/p130

 何も知らないようにも見えるし、知っていて隠しているようにも見える。しかしエディパがそれ以上問い詰める姿は書かれていない。ここでもまた、例の「ためらい→その99が働いたのかもしれない。

…続き
2004/04/10

その104 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次


 史碑を見つけ、トート氏から話を聞いて、それでエディパはファローピアンに会いに行くことにした――と書いてある。いつも〈ザ・スコープ〉という酒場で登場するファローピアンはアメリカの私設郵便について調べているので→その50、〈ウェルズ、ファーゴ〉社や〈小馬速達便〉の配達人を襲った黒衣の集団についても何か知っているんじゃないかと踏んだからだ。
 その推論はもっともだし、たしかにこれからファローピアンがエディパに向かって喋るわけだが、ここでいちどストップして、「その97」でちょっと触れた、時間の乱れについて書いておく。

その96」で、ファローピアンがコーテックスの素性を勘ぐるやりとりがあった。その次に、そもそもエディパがどうしてその夜〈ザ・スコープ〉に来たのかという説明があり、それは「ほかにもいくつかの啓示」があって、「郵便と、その配達方法」にかかわる「ひとつのパターン」が出現したからだ、と書いてあった。
(パターンというのは、「郵便配達と、それを襲う黒衣の集団がセットで出てくる」という“型”のことだろう)
 ということは、小説に書いてある順序

(A)
・ヨーヨーダイン社でのコーテックスとの会話
〈ザ・スコープ〉でのファローピアンとの会話
・史碑
・ザップフ古書店
・養老院でのトート氏との会話
〈ザ・スコープ〉でのファローピアンとの会話

となっており、ページの順に従うこの読書ノートでも、当然これらの出来事はこの順で書いてきた。そしてこの順番だと〈ザ・スコープ〉でファローピアンと話す場面は2回ある。
 いっぽう、本文にある「二、三日あと」や「次の日」など時間の前後をあらわす言葉や、それらほど具体的ではないにしても、啓示やパターンを発見してエディパの探求の動機が確固としたものになるという、より重要そうな成りゆきのつじつまが合うようにじっさいに物事の起きたはずの順序を組み立て直すと、それはこのようになる。

(B)
・コーテックスと話す
・史碑を見つける
・ザップフ古書店
・(次の日)養老院でトート氏と話す
   *史碑・古書店・養老院は2、3日でまわっている
・ これらの情報を持って〈ザ・スコープ〉でファローピアンと話す

 つまり、エディパはファローピアンと1回しか会っていないはずなのである。
 べつに矛盾があるわけではない。〈ザ・スコープ〉に行ったのは最後なんだけど、小説はまず最初にそれを書き、そこから数日間をふり返る格好で史碑から養老院までの出来事を示してから、もう一度〈ザ・スコープ〉に場面が戻ったところで時間の流れがもと通りになったと考えれば、(B)の順で起きたもろもろを(A)の順で配置した、というふうに整理はつく。

 でも、とてもそうは思えない、というのが読んでいるときの印象である。

その96」で見た1回めの〈ザ・スコープ〉でのファローピアンと、これから見る2回めの〈ザ・スコープ〉でのファローピアンは、話す様子がまるでちがっている。それに1回めでは、ファローピアンはエディパについてきたメツガーと口論するが、2回めではメツガーがいない(少なくとも、描かれない)というちがいもある。
 だから実感としては、組み立て直した(B)よりも(A)の小説に書いてある順序のまま、エディパは〈ザ・スコープ〉に2回行っていると受け取ったほうがすんなり読める。
 ただし、繰り返しになるが、史碑やトート氏の話から「啓示」「パターン」を見出したという理由ができたからこそ、エディパはファローピアンの意見を求めに〈ザ・スコープ〉へ行ったはずであり、この因果関係を動かすことはできない。やはり(B)が正しい。
 そういうわけで、出来事の順序がどうにもおかしいものになる。これが「その97」でちょっと書いておいた、時間の混乱である。

 この食いちがいを、どう頭に収めるか。ここまで悩んでおきながらかんたんに答えを出すと、それは、小説には(A)小説に書いてある順序だけがあり、そこから(B)じっさいに物事の起きたはずの順序を再構成しようとするのが間違いだ、というものである。
 身も蓋もないが、こういうことはこれまでにも何度か書いていた(→その63 →その70)。

 もう少し具体的に言えば、というか(B)をあきらめきれないので(A)に統合するかたちで言えば、エディパが〈ザ・スコープ〉に行ったのは、やはり最後のはずなのである。最後のはずなのだけれども、そのシーンは分裂して、史碑から養老院までの出来事の前にも配置されている。分裂しているから、同じ日なのにファローピアンの態度も、メツガーがいる/いないも、別になっている。
 おそらく、これでいいと思う。
 小説はこんなふうにも書かれうる。これをピンチョンの書き損じ、と読むのは、端的にもったいない。急いで読むと読み流してしまうが、よくよく読むと時間が乱れていることに気付いて混乱する。そんなおかしな書き方を選んだ効果として、まずはこちらの頭が乱れるという点を挙げたい。これは案外、小さくない効果だと思うのだ。

 次回、ファローピアンの話になる。

…続き
2004/04/10

その103 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)

前回…] [目次

 あちこちに足を運んで手掛かりを探すことにしたのは、たしかに自分の意志である。それはそうなのだけれども、いきなり、予想を越える何かが出てきそうな気配に包まれてしまって心の準備が追いつかない――おそらくエディパはそんな気持でいる。
 She looked around, spooked at the sunlight pouring in all the windows, as if she had been trapped at the center of some intricate crystal, and said, "My God."
 "And I feel him, certain days, days of a certain temperature," said Mr. Thoth, "and barometric pressure. Did you know that? I feel him close to me."
 "Your grandfather?"
 "No, my God." (p74)

《エディパはあたりを見まわした。窓という窓から射しこんでくる陽の光におびえた。まるで自分が入りくんだ形の水晶か何かのまんなかに入っている虫のような気がしたのである。「神さま」と言ってしまった。
「そうじゃ、感じるんじゃよ、一定の日になると、一定の温度の日」とトート氏は言った――「一定の気圧の日になると、のう。あんたにゃわかるかのう? 身近に感じるんじゃよ」
「お爺さんを?」
「いや、神さまじゃよ」》p114/pp128-9

 自分が「入りくんだ形の水晶か何か」にとらえられてしまっているような思いに襲われる、という書き方からここで連想されるのは、『急使の悲劇』の演出家であるドリブレットのことだ。エディパは楽屋で彼を見た瞬間、目を囲む「皺の網目」に絡め取られていた→その82。再掲する。
She couldn't stop watching his eyes. They were bright black, surrounded by an incredible network of lines, like a laboratory maze for studying intelligence in tears. They seemed to know what she wanted, even if she didn't. (p60)

《彼の目から視線をそらすことができない。きらきらと黒く、そのまわりは信じられないほどの皺の網目だ。まるで涙の中に入っている情報を研究するための実験室の紛糾した装置の迷路のようだ。彼女が知らなくとも、彼女が知りたいと思っていることを知っているような目であった。》p93/pp104-5

 さかのぼって考えれば、丘の上から見下ろした街並み→その18だったり、入り組んだ地図→その26だったりといった、エディパにとって“自分には読み取れないが、何か秘密を隠しているにちがいない”ように見える神聖文字の1バリエーションとして、あの「皺の網目」も映っていたのだった。

 いま彼女は、それまで外から眺めていたつもりの迷路の中に、とつぜん自分が放り込まれているようだ、と直覚する。
 そこでとっさに口を突いて出る言葉が「神さま」という、今回の最初に引用した部分になるわけだが、前々回で引いた台詞に引き続き、ここのトート氏との会話の流れもすばらしいと思う。
 陽当たりのよい養老院で、ひがなテレビを見ているらしい穏やかな老人の口から、手では触れられず目にも見えない存在を、自分のそばにたしかに「感じるんじゃよ」と語らせる。
 それはトート氏にとっては和やかな奇跡だろうが、その彼の話を聞いて、いま、やはり自分の手の届かない正体不明の存在を感じ始めたエディパのほうは、《窓という窓から射しこんでくる陽の光におびえ》ているのである。

 このトート氏について、前回までに書き落としていた点があった。それは彼が年季の入ったアニメ好きだということで、エディパとの会話でも、自分の見ていた夢と、古いアニメがごっちゃになっていた。
 黒い羽根をつけた偽インディアン、という重要な話をしていたときも、祖父から聞いた思い出話と、むかし見たアニメがまざってしまったと言っている。
"The anarchist is dressed all in black. In the dark you can only see his eyes. It dates from the 1930's." (p73)

《「アナーキストは真っ黒なものを着ておってな。暗闇の中ではアナーキストの目ばかりしか見えんのじゃよ。一九三〇年代にできた漫画でのう。」》p113/p127

 それは「ポーキー・ピッグ(Porky Pig)」という豚の男の子を主人公とするシリーズ中の1本で、“真っ黒な格好をしたアナーキスト"が出てくるとまで説明されているから、注釈書でも Pynchon Wiki でも、「The Blow Out」(1936)というエピソードだと同定されていた。探してみると、あっさりDailymotionで見つけてしまったのでそっと貼る。


Porky Pig - The Blow Out 投稿者 bugs-bunny1

 さて、どうだろう。前述の「暗闇の中ではアナーキストの目ばかりしか見えん」というのは、05:15あたりからのくだりにまちがいない。
 ピンチョンは1937年生まれなので、再放送で見たはずだ。それが子供のころなのか、じっさいにLot 49 を書き進めていた60年代半ばのころなのかはわからないが、どちらにしろソフト化されるような時代ではなかっただろうから、テレビで目にしただけの短篇アニメの一場面を、自分の作品に書き込むほど印象深く受け取っていたらしいことにはこちらも「そうだったのか」と不思議な気持をおぼえるし、いま、はからずも無造作に他人の思い出に触ってしまったようなとまどいを感じてもいる。

 夜の闇に乗じ、〈小馬速達便〉の配達夫に襲いかかる、黒衣の秘密集団。それだけでも不吉だし、加えてエディパにしても読者にしても、『急使の悲劇』でニコロを殺した禍々しい暗殺者と結びつけずにはいられない、そんな存在を作中に導き入れるにあたり、重ねられているイメージのひとつには、このアニメのアナーキストもいる。
(重ねているのはトート氏だけだ、という見方は、小説の外にあるこのアニメを作中の彼がはっきり指示して内外の結びつきを作ってしまっている以上、成り立たないと思う。それに、じつはエディパもこのアニメは見たことがあった、と書いてあるのだ)

 ここから先を読むうえで、この「The Blow Out」のことも忘れずにおきたい。

…続き

佐藤良明訳『競売ナンバー49の叫び』(新潮社)では上のトート氏(ソスさん)の言葉がこうなっており、
《「その、アナキスト連中がさ、みんな黒を着てるんだよ。三〇年代のやつだな。」》p115

” In the dark you can only see his eyes. ”の部分が落ちている。こういうのは珍しい。
2004/04/10

その102 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


 トート氏の話が続いている。彼の祖父は〈小馬速達便〉の配達人で、インディアン殺しを好む困った人物だったが、ほかにも、黒い格好をした者たちと戦ったのだという。
 "Dressed all in black," Oedipa prompted him.
 "It was mixed in so with the Indians," he tried to remember, "the dream. The Indians who wore black feathers, the Indians who weren't Indians. My grandfather told me. The feathers were white, but those false Indians were supposed to burn bones and stir the boneblack with their feathers to get them black. It made them invisible in the night, because they came at night." (p73)

《「真っ黒なものを着ていたんですね」とエディパが誘導する。
「それがインディアンの話とこんがらがってしもうてのう」と、思い出そうとしながら「夢の話じゃが。黒い羽根をつけたインディアン、インディアンではなかったインディアンなんだのう。爺さんが話してくれたもんじゃ。頭につける羽根は白いんじゃが、にせのインディアンたちは骨を焼いてのう、その骨炭を羽根でかきまわして黒くするんじゃ。そうすると夜目には見えなくなる、彼らは夜に襲撃してくるんじゃから。」》p113/p127

 黒い格好、というだけでも即座に連想が働くのに、さらに「骨炭で羽根を黒くする」という。これは当然、『急使の悲劇』で、悪役のアンジェロが殺した敵兵の骨炭をインクに加工して使っていたエピソードを思い起こさせる→その76。骨の炭は、さらにピアスの事業にまでつながる物品なのだ。

 その黒い格好をした者たちがインディアンでないならば、その正体はいったい何だったのか? エディパが訊ねると、トート氏は自分の持ち物袋から「鈍い金色の認印指輪」を取り出して見せる。
"My grandfather cut this from the finger of one of them he killed. Can you imagine a 91-year-old man so brutal?" Oedipa stared. The device on the ring was once again the WASTE symbol. (p74)

《「爺さんがこいつを、殺した彼らの中の一人の指から切り取ったんじゃ。九十一歳の爺さんにそんなむごいことができると思いなさらんじゃろ?」。エディパは凝視した。指輪の模様はまたしてもWASTE印であった。》p114/p128

 トイレの壁の伝言→その48、コーテックスの落書き→その90に続いて、WASTE印の指輪ときた。そして、それは〈小馬速達便〉を襲った黒い偽インディアンの持物であった。
“郵便組織に敵対する、黒衣の集団"として、次の3つが並ぶ。

(1)『急使の悲劇』の中で、大手郵便〈テュルーン、タクシス〉の格好をしたニコロを殺す、黒ずくめの暗殺者たち→その75
(2)運送会社〈ウェルズ、ファーゴ〉の郵便配達12人を虐殺した、黒衣の覆面強盗団→その98
(3)〈小馬速達便〉を襲撃する、黒い敵

(1)には「トライステロ」の名が与えられており、
(2)の残された手掛かりは頭文字「T」かもしれず、
(3)の指輪に刻まれたマーク(WASTE印)は、ふたつの落書きを通してすでにエディパの身辺に迫っている。

 いま、読者の感度はエディパと同調しているから、彼女の反応は自分のものとしてよくわかる。「震えあがる」のだ。

…続き
2004/04/10

その101 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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next day she drove out to Vesperhaven House, a home for senior citizens that Inverarity had put up around the time Yoyodyne came to San Narciso. In its front recreation room she found sunlight coming in it seemed through every window; (p72)

《次の日〈ヴェスパーヘイヴン養老院〉へ車で出かけた。この老人ホームはヨーヨーダイン社がサン・ナルシソ市に進出してきたころ、インヴェラリティが建てたものである。》p111/p125

 前回の引用部分から、改行もなく次の手掛かりへなだれ込む(本当はストップをかけたいがあとにする)。
 In its front recreation room she found sunlight coming in it seemed through every window; an old man nodding in front of a dim Leon Schlesinger cartoon show on the tube; (p72)

《建物の正面にある娯楽室に入ると、窓という窓から日の光が射し込んでいるように思われた。一人の老人が不鮮明なレオン・シュレジンガー漫画を放映しているテレビの前で居眠りしている。》p111/p125

 この老人はトート氏(Mr Thoth)といって、まどろみから覚め切らない頭でエディパを相手に話をしてくれる。何気なく書かれているがこれはすごいことだ。エディパが養老院に出向いただけで、手掛かりのほうから彼女のところにやって来るのだから。
 すでにじゅうぶん年を取ったトート氏の話は、さらに時をさかのぼる、彼の祖父のことだった。
"[…] Oh, the stories that old man would tell. He rode for the Pony Express, back in the gold rush days. His horse was named Adolf, I remember that" (p73)

《「[…] いやあ、この爺さんが聞かせてくれる話ときたら。爺さんは小馬速達便[ポニー・エクスプレス]の配達夫じゃった。ゴールド・ラッシュのころのことじゃよ。爺さんの乗っておった馬の名前はアドルフというた。いまでもその名前は覚えておるんじゃ。」》p112/p126

 小馬速達便。また郵便だ、と読者がここで感じる「!」を、次の行でエディパはそのまま引き受ける。両者の気持はぴったり重なり、その彼女の感覚は、「その93」で見た“感度強化"(sensitized)という言葉で説明されている。
 Oedipa, sensitized, thinking of the bronze marker, smiled at him as granddaughterly as she knew how and asked, "Did he ever have to fight off desperados?"
 "That cruel old man," said Mr Thoth, "was an Indian killer. God, the saliva would come out in a string from his lip whenever he told about killing the Indians. He must have loved that part of it." (p73)

《エディパは感度が強化された状態で、青銅の記念碑のことを思い出しながら、できるかぎり孫娘ふうにほほえみかけ、「命知らずの悪者を退治するなんてことはなかったの?」
「むごい爺さんでのう」とトート氏は言った――「インディアン殺しじゃった。いやあ、インディアンたちを殺した話になると決まって口からよだれを流しおってのう。そこのところを話すのが、こたえられんかったんじゃ」》p112/p126
*太字は引用者

 念のため、《青銅の記念碑》は「その98」で見つけた史碑のことで、1853年に〈ウェルズ、ファーゴ社〉の郵便配達人が黒衣の集団に襲われて死んだ史実を伝えていたのだった。
 いま、また別の郵便組織である〈小馬配達便〉が登場し、そこで働いていた人間(トート氏の祖父)はインディアンだけでなく別のものとも戦った――というふうに話が続いていくのだが、それは次回にする。
 ここでは、上で引用していなかったトート氏の味わい深い言葉を訳文だけ書き写しておきたい。
《「こんにちは」とエディパは言った。
「夢を見ていたのかいな」とトート氏はエディパに言った――「わしの爺さんの夢じゃ。えらく年を取った爺さんでのう、少なく見積ってもいまのわしくらい、九十一じゃが、そのくらいにはなっておった。わしは子どものころ、爺さんは生まれたときから九十一歳だったんやと思っとった。このごろは、わしが」と笑い声を出して「生まれたときからずっと九十一歳だったような気がしとるよ」》p112/p126

 Lot 49 を書いているとき、ピンチョンはまだ20代のはずだが、いったいどうしてこんな台詞が書けたのかと読み返すたびに思う。

…続き

*なお、ここで「トート氏」と表記されている人名(Mr Thoth)は、佐藤良明訳『競売ナンバー49の叫び』(新潮社)で「ソスさん」と直されている。
2004/04/10

その100 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)

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 エディパはモーテルに帰り、ザップフ古書店で買った『ジェイムズ朝復讐劇』をざっとめくってみる。『急使の悲劇』の第四幕で、1回だけ「トライステロ」の語が発される部分→その77を探すと、鉛筆で「一六八七年版の異文参照」と書き込みがしてあった。
In a way, it cheered her. Another reading of that line might help light further the dark face of the word. (p72)

《それを見てエディパの気持はいくらか明るくなった。その行の異文を読んだら、この単語の不可解な表情に光を当てる助けとなるかもしれないからだ。》p110/p124

 探求する気は満々なのである。だから前回の「ためらい」が余計奇異に映るのだ。
『ジェイムズ朝復讐劇』についてはもっとさまざまなことが書いてあり、これから異文をめぐる話がごちゃごちゃしたものになっていくのを予告しているようだから、ここでメモしておく。

・この本に収めたテキストは、出版年不明の二つ折り版からとられたものだと序文に書いてある
・しかし、その序文には署名がなく、だれが書いたか不明である
・このペーパーバックのもとであるハードカバーは、『フォード、ウェブスター、ターナー、ウォーフィンガー戯曲集』という大学教科書で、カリフォルニア州バークレー市にあるレクターン出版社から出たものだ(1957年刊)

 出版社がバークレーにあるのなら、直接自分で行ってみようとエディパは決める。というのは、この第4章のはじめでスタンリー・コーテックスから聞かされた〈ネファスティス・マシン〉、あの謎の装置の発明者であるジョン・ネファスティスもバークレーに住んでいるはず→その94だからである。会いに行くつもりなのだ。
 やはり彼女のやる気は充分で、どうしてそういう気持になったのか、前回見た史碑の発見に至る流れが説明されている。
 She had caught sight of the histrical marker only because she'd gone back, deliberately, to Lake Inverarity one day, owing to this, what you might have to call, growing obsession, with "bringing something of herself" --- even if that something was just her presence --- to the scatter of business interests that had survived Inverarity. (p72)

《彼女が史碑を見つけたのは、思案のあげく、ある日インヴェラリティ湖にもう一度行ったからで、それは、何と言うか、妄想とでも言うべきもの――インヴェラリティの死後に残った、あちこちに散らばっている事業に対して「自分の一部を差し出す」(たとえその一部というのが、ただそこへ行ってみるだけのことであるにしても)という妄想――のせいであった。残った事業に秩序を与えよう、いくつかの星座を創ってみよう、と思ったのだ。》p111/p125

 自分の一部を差し出して、ピアスの死後に残った事業に秩序を与えよう、とは、あちこちに散らばった手掛かりを自分の手と脚と目と耳と鼻を使って収集し、そこにつながりを見出そう、ということだ。星座を創る。これは第4章の冒頭、「その89」で引用した部分の語り直しである。再掲する。
  For one thing, she read over the will more closely. If it was really Pierce's attempt to leave an organized something behind after his own annihilation, then it was part of her duty, wasn't it, to bestow life on what had persisted, to try to be what Driblette was, the dark machine in the center of the planetarium, to bring the estate into pulsing stelliferous Meaning, all in a soaring dome around her? (p64)

《とりあえずエディパは遺言状をもっと綿密に読み返してみた。みずからが消滅したのち何か組織化されたものを残すというのが本当にピアスの意図したことだとすれば、残存しているものに命を与えること、ドリブレットと同じようなものになろうとすること、プラネタリウムのまんなかの黒い機械になって、ピカピカと脈動する星座のような〈意味〉に遺産を変えてしまうこと、自分を包んでそびえるドームの中のあらゆるものを扱うことこそ自分の義務の一部ではないか。》p99/p111

 あのときも書いたことだが、まず手掛かりを集め、集まったものに自分で意味を充填しようと彼女は考えている。ピアスの残した事物は、それだけでは死んだモノにすぎないが、モノとモノとのあいだに線を引き、つながりを創ることでそれらは息を吹き返すというのだ。

〈意味〉というつながりは、「見つける」のではなく「創る」ものであること。
 あるいは、「見つける」とは「創る」であること。

 この過程をエディパはわかっている。しかしこの自覚は、自分の体を使って調査を続ける探求者当人が持つのには、はたしてふさわしい資質なのだろうか。

…続き