2004/04/08

その111 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

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 何世紀にもわたって〈テュルーン、タクシス〉の敵であり、そして切手を偽造してきた集団がいるのではないか、と2ページちょっとでまとめて喋ったあとで、コーエンは押し黙ってしまう。どうやら、自分の口から出た可能性におそれを抱いているようだ。
 W・A・S・T・Eの頭文字についてエディパが訊いても答えてくれず、そして丁寧に、こんなことまで書いてある。
She'd lost him. He said no, but so abruptly out of phase now with her own thoughts he could even have been lying. (p79)

《もう彼は手の届かないところへ行ってしまった。彼は、知りませんと言ったが、彼女じしんが考えていることとは、にわかに位相を異にしていたから、嘘をついているとも思われた。》p122/p137

 少し前にファローピアンに話を聞いたとき、彼も最後は曖昧に言葉を濁して逃げており→その105、エディパはエディパで徹底的に問い詰めることはできないでいたのだった。ここでも、彼女の聞いた話はウソかもしれない、と含みが残せるように登場人物の心理が調整してある。
 うまいんだけどズルいのじゃないかという読者の気持にお構いなく、コーエンはエディパのグラスにタンポポ酒を注ぎ足す。この酒は、季節がめぐってタンポポの咲く季節になると発酵を始めるという。「まるでタンポポに記憶があるみたいなんですよ」。
 No, thought Oedipa, sad. As if their home cemetery in some way still did exist, in a land where you could somehow walk, and not need the East San Narciso Freeway, and bones still could rest in peace, nourishing ghosts of dandelions, no one plow them up. As if the dead really do persist, even in a bottle of wine. (p79)

《ちがうわ、とエディパは思った。悲しかった。まるでタンポポのふるさとの墓地が何らかの形でいまも存在しているみたい、と言うべきだわ。どこか、ひとが、ともかく歩ける国、そうして東サン・ナルシソ高速道路などを必要としないところ、そうして骨がいまも安らかに眠っていて、タンポポの幽霊に養分を与え、骨を掘り起こす者などいない国で・・・・・・まるで死者がほんとうに生きつづけている、酒瓶の中にさえ生きつづけているみたい、と。》p122/pp137-8

 自分が今いる世界とは異なった、別の世界をエディパは幻視している。そんな場所が「あるみたい」、と。これを、可能性の中に潜む世界、ととらえれば、自分には触れられない真実→その107の属する世界や、あるいはそれこそ〈テュルーン、タクシス〉の敵が活動している世界といった、この章で急に活性化してきた“別世界”たちが思い浮かぶ。
 そして“別世界”が活性化するというのは、そういったものへのエディパの感度が強化されたということでもある。

 ともあれ、この玄妙な名文で第4章は終わる。WASTE印を落書きしていたコーテックスに始まり、史碑や指輪、そして何より偽造切手といった、具体的で手に取れる手掛かりが次々にエディパのもとへ集まってきて、それらの手掛かりが指し示すのは黒衣の集団、とまとめられそうである。
 それだけなら、どんどん謎を追いかけようと一直線に進んでいきそうなものなのに、並行してエディパの中では、探求を探求として成り立たせなくする変化も起きて、話を複雑にしている。「手掛かりを結ぶ秩序は(見つけるのではなく)私が自分で創るものだ」→その100、「いや、そもそも真実なんて私には知覚できないものなのでは・・・」→その107~108

 探求を進める方向と、探求をいわば解体する方向。ふたつの方向を行き来する往復運動でLot 49 は進んでいくようだ。
 いま、一歩引いて読者として考えてみると、なんとも不思議なやり方で動力を取り出してくる小説であることだなあと感心するが、いっぽうで、主人公の心労は察するに余りある。
 小説はあと半分だ。

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2004/04/08

その110 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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 ヨーロッパ随一の郵便組織〈テュルーン、タクシス〉の郵便喇叭を消音する、WASTEの喇叭。幾度となくエディパの前にあらわれたあのマークは、そういうものではないか。そしてこのマークを持つ黒衣の集団が、ほかにも〈ウェルズ、ファーゴ〉や〈小馬速達便〉といった民間の郵便組織に敵対していたことを示す手掛かりがエディパのもとに押し寄せるのが、この第4章だったわけである。

 コーエンが最初に見せてくれた切手に戻れば、〈小馬速達便〉をあしらった合衆国郵便の記念切手には、本来、透かしはない。ピアスが持っていたのは偽造切手だったのだ。
 切手の本物は PynchonWikiのここで見ることができる。いまエディパの目の前にある切手はこれとそっくりなのだが、一点、はっきり違いがあって――
The picture had a Pony Express rider galloping out of a western fort. From shrubbery over on the right-hand side and possibly in the direction the rider would be heading, protruded a single, paintstakingly engraved, black feather. "Why put in a deliberate mistake?" he asked, ignoring --- if he saw it --- the look on her face. "I've come up so far with eight in all. Each one has an error like this, laboriously worked into the design, like a taunt." (p78)

《図案は、小馬速達便の騎手が西部の交易場から馬を飛ばして出て行くところだ。右側の茂みから、騎手が向かって行くと思われる方向に一枚、丹念に彫った黒い羽根が突き出ている。「なぜ、わざとこんな間違いを?」と彼は質問した。エディパの顔の表情を――見たとしても――無視していた。「これまでのところ、ぜんぶで八枚出てきました。どれにも、この手のエラーが入念に図案に入れてあります。嘲笑しているみたいです。」》p120/p135

 「黒い羽根」といえば、数ページ前でトート氏から聞いた話→その102に出てきた重要アイテムだ。さらにほかの切手には文字の入れ換えもあって、それはエディパに、「その45」でムーチョから届いた手紙のスタンプにあった誤植のことを否応なく思い出させる。
 近年のもので入れ換えがあったのは1954年のリンカーン切手→これで、ほかは1893年までさかのぼるそうだから、時間の幅からいって個人の仕業とは考えにくい。
 コーエンは一息に、これらの切手を偽造した者たちは〈テュルーン、タクシス〉と同じほどの歴史を持っているのではないかと示唆する。急に浮かび上がってきた謎の存在の可能性を前にふたりはしばし沈黙し、エディパはこれまでに見たWASTE印のことをすべて打明ける。
"Whatever it is," he hardly needed to say, "they're apparently still quite active."
 "Do we tell the government, or what?"
 "I'm sure they know more than we do." He sounded nervous, or suddenly in retreat. "No, I wouldn't. It isn't our business, is it?" (p79)
 
《「その印が何であれ」と彼は言わずもがなのことを言った――「彼らはどうやらまだ活動しているのでしょう」
「政府に報告したほうがいいのかしら?」
「政府はきっと私たちよりも知っているでしょう」その声は不安げというか、急に退却開始という調子だった。「いや、私なら報告しません。そんなことは私たちの知ったことじゃないわけですからねえ」》pp121-2/p137

 自分で言っておきながら、コーエンも退き気味(in retreat)である。これはエディパの「ためらい→その99と似たものかもしれない。
 名の通った郵便組織に対抗し、切手を偽造している「彼ら」とは何者なのか。そして何より、どうしてピアスはそんな切手を集めていたのか。

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2004/04/08

その109 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)

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 ピアスの切手コレクションから、コーエンはエディパに使用済みの切手を見せる。1940年発行の、〈小馬速達便〉を記念する3セント切手。
"Look," he said, switching on a small, intense lamp, handing her an oblong magnifying glass.
 "It's the wrong side," she said, as he swabbed the stamp gently with benzine and placed it on a black tray.
 "The watermark."
 Oedipa peered. There it was again, her WASTE symbol, showing up black, a little right of center.
 "What is this?" she asked, wondering how much time had gone by. (p77)

《「ごらんください」と言って小型の強力ランプをつけ、彼女に楕円形の拡大鏡を手渡した。
「これじゃ裏側だわ」彼がベンジンで切手を軽く濡らして黒い皿の上に置いたときに、彼女はそう言った。
「その透かしです」
 エディパは凝視した。こんども、だ。例のWASTE印が中央より少し右寄りに黒く浮いている。
「これは何なの?」とききながら、どれくらいの時間が経過したのだろうかと思った。》pp118-9/p133

lot49 また、このマークなのである。今度は合衆国郵便の切手に透かしとして印されていた。正体は、切手のプロであるコーエンにも彼の同業者にもわからない。

 コーエンは次に別の切手を見せる。古いドイツの切手で、真ん中に「1/4」、上部に「Freimarke」、右側に「Thurn und Taxis(テュルーン・ウント・タクシス)」と銘がある。もちろん、『急使の悲劇』に出てきた大手郵便組織だ。
 その切手の実物を目の前に置いて、コーエンが解説を加える。1300年ごろから1867年にビスマルクに買い取られるまで、ヨーロッパの郵便事業はこの〈テュルーン・ウント・タクシス〉が一手に担っていたという。
Decorating each corner of the stamp, Oedipa saw a horn with a single loop in it. Almost like the WASTE symbol. "A post horn," Cohen siad; "the Thurn and Taxis symbol. It was in their coat of arms."
 And Tacit lies the gold once-knotted horn , Oedipa remembered. Sure.

《切手の四隅を飾っているのは、ひとつ輪の喇叭である。ほとんどWASTE印に近い。「郵便喇叭です」とコーエン――「テュルーン、タクシス家の印です。家紋の一部なのです」
 黄金のひとつ輪の喇叭はただ沈黙[しじま]、という台詞をエディパは思い出した。やっぱり。》

 この切手はウィキメディア・コモンズにあった。拡大すると四隅を飾る“ひとつ輪の喇叭"が確認できる。

          Thurn und Taxis 1866 45
(筑摩の単行本でも文庫でも、この切手は「解注」に載っている。また、この喇叭や、当の〈テュルーン、タクシス家〉のサイトにでかでかとある喇叭によく似たマークは、いまの日本の住宅の郵便受けでもよく見かけるものである。ヨーロッパでは「郵便といったらひとつ輪の喇叭」、というくらいにこの家名と家紋がスタンダードになっていて、それがそのまま日本に持ち込まれたということだろうか。なお、〈テュルーン、タクシス〉の家紋そのものもウィキペディアに置いてあるのだが、どの部分が喇叭なのかはいまひとつよくわからない)

"Then the watermark you found," she said, "is nearly the same thing, except for the extra little doojigger sort of coming out of the bell."
 "It sounds ridiculous," Cohen said, "but my guess is it's a mute."
 She nodded. The black costumes, the silence, the secrecy. Whoever they were their aim was to mute the Thurn and Taxis post horn. (pp77-8)

《「すると、さっきの透かしは」とエディパは言った――「ほとんど同じものだけど、鐘形のところから出かかっているような感じの、ちょっとしたものが余計ね」
「ばかげていると思われるかもしれませんが」とコーエン――「私の推測では、それは消音器[ミュート]です」
 エディパはうなずいた。黒装束、沈黙、秘密主義。彼らが何者であったにせよ、目的はテュルーン、タクシスの郵便喇叭を消音することであった。》pp119-20/pp134-5

 強調せずにはいられない。たいへんなことになっている。

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2004/04/08

その108 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

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 (ここは前回の引用部分からつながって流れている)
In the space of a sip of dandelion wine it came to her that she would never know how many times such a seizure may already have visited, or how to grasp it should it visit again. Perhaps even in this last second --- but there was no way to tell. She glanced down the corridor of Cohen's rooms in the rain and saw, for the very first time, how far it might be possible to get lost in this. (p76)

《タンポポ酒を一口すするだけの時間にエディパが思ったことは、すでにいままでに何回そのような発作に見舞われているのか、次に見舞われたら、どのようにして掴まえたらよいのか、まるっきりわからないだろうということだった。ひょっとしたら、いま、この一秒間にも――だが、わかりようもない。エディパは雨の日のコーエンのアパートの続き部屋の通路を見はるかしながら、いまはじめて、このようにして果てもなく迷うことがありうることを知った。》pp117-8/p132

 手掛かりを探してあちこち動き回りながらエディパが求めているのは、気になる事物の意味を明らかにし、つながりのありそうな出来事のすべてに説明をつける、合理的な解答ではなかった。表向きはそういうものを追っていても、事物のあいだのつながりは「自分で埋める」、意味は「自分で創る」ものだというのが彼女の自覚したスタートラインであるはずだった(→その89→その100)。

 それが前回と今回の部分を読んでみると、エディパは「自分でつながりを創ろう」と思いながら、やっぱり自分の外に真実を求めていたように見える。
 あるいは、自分でつながりを創るといっても、そのつながりは、みずからの体を張った探求の報酬として、自分の外から自分のもとに真実として到来する――そのような事態として「つながりを創る」行為をとらえているのかもしれない。
 いずれにしても重要なのは、エディパにとって真実とは“聖なる体験"で、それゆえ俗なる自分の知覚を越えるのじゃないか、というところまで突き抜けてしまっていることだ。
 これから探求の果てに真実を体験しても、あとから確かめられないのは大きな問題だが、《すでにいままでに何回そのような発作に見舞われているのか》わからない、というのも問題だ。じつはもう真実は到来しているのかもしれない。そもそも、何を探すのか。
《いまはじめて、このようにして果てもなく迷うことがありうることを知った。》

 あらためて、この小説はこれからどうなるのだろう。
 探求物語としてのLot 49 は、「私はひとつの世界を投射すべきか?→その89の時点で底が抜け、いまの“真実=聖なる体験=届かない”で、天井も開いてしまった。この小説の中に謎を閉じ込めておくのは、無理であるように思われる。

 しかし、こういったちゃぶ台返しが、様々な手掛かりの発見と並行して起きるのがこの第4章のめまぐるしさである。
 呆然とタンポポ酒をすするエディパ(それは読者の姿でもある)の前に、すかさず今度は、ごくふつうの意味で重要な手掛かりが――具体的で、世俗にまみれた小さな手掛かりが――コーエンから示されて、小説の軌道は再び“謎を追いかける”方向へ戻される。

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2004/04/08

その107 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次


 独り者のコーエンは、エディパに自家製のタンポポ酒を出してくれる。タンポポは2年前に墓地で摘んだもので、その墓地はもう高速道路を作るために取り壊されてしまいましてね――

 たちまちエディパは「信号を識別」する。というのは、高速道路の建設会社が墓地を取り壊す際に、掘り起こした人骨を煙草会社にフィルターの材料として売る、という話を以前に聞いていた→その58からだ。つながりがある、と彼女には確信されるのだろう。
 だがあのときの会話では、「ピアスの場合は墓地ではなくて、イタリアの湖から引き揚げられた人骨を使っていた」と説明されていたのだから、この連想は、つながりと言ってもいわば“空白のつながり”のようなものである。それは、つながっているのかどうか。
 しかしそんな疑問を挟ませまいとするかのように、というよりはむしろ、ないつながりをつなげる理路を拓こうとするかのように、地の文は一気に畳みかける。今回と次回の引用文はひと続きであり、ひと続きであることに意味の大半がかかっているのだけど、便宜上2回に分けて読む。
She could, at this stage of things, recognize signals like that, as the epileptic is said to --- an odor, color, pure piercing grace note announcing his seizure. Afterward it is only this signal, really dross, this secular announcement, and never what is revealed during the attack, that he remembers. Oedipa wondered whether, at the end of this (if it were supposed to end), she too might not be left with only compiled memories of clues, announcements, intimations, but never the central truth itself, which must somehow each time be too bright for her memory to hold; which must always blaze out, destroying its own message irreversibly, leaving an overexposed blank when the ordinary world came back. (p76)

《事態がここまで進展して来ると、この種の信号を識別することができるようになっていた。癲癇患者に識別できると言われているのと同じだ――発作を予告する、ある種の匂い、色、澄んだ、突き刺すような装飾音などを。あとになってから憶えているのは、この信号だけ。信号とは、じつは無価値なかす、世俗的な予告であって、発作中に啓示されたものとは無関係である。エディパは、これが終わったとき(終わるものだとして)、自分にもまた、残っているものは手掛かり、予告、暗示などの記憶が集まっているだけで、中心にある真実そのものが残ることはないのではないかと思った。中心にある真実は、なぜか、いつ出現しても明かる過ぎて記憶に耐えない。いつだってパッと燃えあがって、そのメッセージを復元できないように破壊してしまい、日常的な世界が戻ってきたときに残っているのは露出過多のための白紙だけということになるのではないか。》p117/p132 *下線・太字は引用者

 たぶんここでは、小さな事物から啓示の予告を感じ取る → 啓示の到来 → 啓示が過ぎたあと、の3段階が語られている。はじめと終わりは世俗的=日常世界の出来事であり、ただ啓示だけがそのような世界を離れた、非日常、あるいは超常的なものである真実を一挙に開示する、とエディパは考えている――と地の文は語る。

 とつぜん手掛かりのほうで自分のところまでやって来て、そこから一瞬、真実を幻視しかける。取り逃がした、と生々しく実感することにより、真実をもたらす啓示があったことが事後的に認知される。そんな経験をエディパは重ねてきた。
 それは感度強化ゆえの思い込みかもしれない、との可能性を残す補足はこれまでも丁寧に施されていたが、ここでいよいよ、そんな真実ははなから自分の手には掴めないものなのではないか、という地点にまで彼女は至っている。
 手掛かりも予告も、真実そのものとは無関係である、と地の文は言う。世俗の物事に囲まれて暮らす普通の人間にとって、啓示を組立てる素材は、些細でつまらない日常の事物に決まっている。それは「その3」で夫ムーチョの神経を苛んだ、中古車の車内に残された生活の残りかすと変わりがない。日常世界の手掛かりが、完全につながりの切れたところにある非日常の真実を示しても、生身の肉体を持ち俗世に生きる人間には届きようがない。自分と真実とでは、属している場所が違うのだ。
 だから、手掛かり(日常)の先にそんな真実(非日常)が本当に待っているとして、それを告げる啓示を感知したとしても、真実はその瞬間にのみ体験されるものとしてあるだけで、啓示の過ぎたあとには持ち帰れない。

 日常を“俗世"というならば、非日常は“聖"となる。聖なる体験は、保存することも、世俗の言葉に翻訳することもできない。そうまとめればそんな気もしてくるが、この小説ではそれはどういうことになるのか。

…続き

(なお、引用した原文中で1ヶ所だけ下線を引いた not を素直に取ると、たぶんおそらく原文は訳文よりも、もう1段階、遠回しだったのではないかと思うのだが、修辞として日本語に加えることはできるだろうか。しばらく考えたが無理だった)
2004/04/08

その106 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)

前回…] [目次

 If she'd thought to check a couple lines back in the Wharfinger play, Oedipa might have made the next connection by herself. As it was she got an assist from one Genghis Cohen, who is the most eminent philatelist in the L.A. area. (p75)

《ウォーフィンガーのあの劇の中の二行を調べる気になっていたら、エディパは次の結びつきをひとりで見つけたかもしれない。が、実状はジンギス・コーエンという、ロス・アンジェルス地区では最高の切手収集家の援助を受けた。》pp115-6/p130

 例によってエディパを先回りする思わせぶりな地の文が、あたらしい人物を連れてくる。ジンギス・コーエン(Genghis Cohen)は、ピアスの膨大な切手コレクションを査定して目録にまとめるためにメツガーが雇った切手のプロである。だいぶ前の第3章冒頭近く、「その44」で引用した部分の直前に、こういう文章があった。
Much of the revelation was to come through the stamp collection Pierce had left (p31)

《啓示の多くはピアスの残した切手のコレクションを通じてやってくることになる》p51/p57

 やっぱり、地の文はいつでも主人公より先にいて、自由自在に“予告”をし、読者を翻弄する(そして主人公は“予告”に気付くことさえできない)。
 それはともかく、いまの原文が英語としてどれくらい自然なのか(不自然なのか)わからないが、「啓示」を唯一無二の絶対の真理のようなものとしては全然とらえていない感じが面白いとあらためて思う。

 もとい、ある雨の朝、問題のコレクションを預けてあるコーエンが電話をかけてきて、「切手に変わった点があるので、来ていただけませんか」。
 She was somehow sure, driving in on the slick freeway, that the "irregularities" would tie in with the word Trystero. […] now it came to her, as if the rain whispered it, that what Fallopian had not known about private carriers, Cohen might.

《エディパは滑らかな高速道路を疾走しながらも、なぜか「変わった点」というのがトライステロという単語に結びつくのだろうと思っていた。[…] いまは、ファローピアンが民間郵便配達組織について知らなかったことを、コーエンが知っているかもしれないという気持になっていた。まるで雨がそのことをそっと囁いてくれたかのようだ。》

 もはや書かれてもいないけれども、エディパの“感度強化"はますます進行中である。そして到着したコーエン宅の様子がまたすごい。
 When he opened the door of his apartment/office she saw him framed in a long succession or train of doorways, room after room receding in the general direction of Santa Monica, all soaked in rain-light. (pp75-6)

《コーエンがアパート兼事務所のドアを開いたとき、彼はいくつものドアが長く連続しているというか、長く行列になっているというか、ドアがいっぱい開いている、そのドア口の枠に囲まれて立っているのだった。部屋また部屋がほぼサンタ・モニカの方向につぎつぎ後退してつながっていて、すべてが雨の光に浸されている。》pp117-8/p131

 無限後退するミラーハウスのように見える部屋へと、エディパは足を踏み入れる。いったいだれが、こんなところで謎の答えに近づけると期待できるだろう。やりすぎといえばやりすぎなくらい、地の文は好き放題に書いている(「サンタ・モニカ」なんて、悪ノリで書いているようにしか見えない!)。
 こんな場所で、エディパはいよいよ巨大な手掛かりを示される。

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2004/04/08

その105 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


〈テュルーン、タクシス〉。〈ウェルズ、ファーゴ〉。〈小馬速達便〉。みんな民間の郵便組織である。そのことごとくを、黒衣の集団が襲った記録がある。
 これはいったいどういうことか。黒衣の集団とは何者か。私設郵便の歴史に詳しいファローピアンは、しかし、はかばかしい答えをエディパに与えてはくれない。
 黒衣の集団について、ファローピアンもまだ正体をつかんではいなかった。史碑の存在は知っており、彫られている内容について役所に問い合わせの手紙を出しているが返事はない。予想では、いつか返事が来るとしても、せいぜい史料が届くのが関の山で、その史料も「古老の記憶では」程度の当てにならないものでしかないだろうと言っている。
"[…] There's no way to trace it, unless you want to follow up an accidental correlation, like you got from the old man."
 "You think it's really a correlation?" She thought of how tenuous it was, like a long white hair, over a century long. Two very old men. All these fatigued brain cells between herself and the truth. (p74)

《「[…] 追跡する方法なんて、ないんです、あなたが爺さんからお聞きになった話のように、偶然の相関関係を追跡するしかありません」
「ほんとうに相関関係があるとお思い?」 相関関係と言っても何とかぼそいものだろうか。一本の長い白髪のようなものではないか、一世紀以上にわたる白髪一本。二人の非常な老人。自分と真実のあいだの数知れぬ疲弊した脳細胞。》p115/p129

 またものすごいことを言っている。「偶然の相関関係(an accidental correlation)を追跡するしかありません」とは、また次の偶然の一致が出てくるまで待つほかにやれることはありません、ということだ。何事かを探求している人間に対して、これはアドバイスになっているのだろうか。

 そしてエディパは、そもそもの相関関係を疑っている。いくつかの「私設郵便組織&黒衣の集団」というペアには本当につながりがあるのかどうか。ここで彼女が気にしている「二人の非常な老人」は、〈小馬速達便〉の話をしてくれたトート氏と、実際に黒衣の集団と戦ってトート氏に体験談を語った彼の祖父のことである。手掛かりといっても、こんな老人の伝聞が信頼できるものなのか。
 ファローピアンは反体制の人だから、民営の郵便を圧殺しようとした黒衣の集団を、北部連邦政府の手先ではないかと考えている。何にせよ郵便組織との関係はありそうだ。だが、それ以上はファローピアンは乗ってこない。コーテックスが落書きし、トート氏の祖父が持っていた指輪にも刻まれていた「WASTE印」を見せても反応は薄い。
 "It was in the ladies' room, right here in The Scope, Mike."
 "Women," he only said. "Who can tell what goes on with them?" (p75)

《「婦人用トイレに書いてあったのよ、この〈ザ・スコープ〉のトイレよ、マイク」
「女たち」と彼は言っただけであった――「女たちってのは何を考えているものやら」》

 何も知らないようにも見えるし、知っていて隠しているようにも見える。しかしエディパがそれ以上問い詰める姿は書かれていない。ここでもまた、例の「ためらい」が働いたのかも知れない。

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2004/04/08

その104 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次


 史碑を見つけ、トート氏から話を聞いて、それでエディパはファローピアンに会いに行くことにした――と書いてある。いつも〈ザ・スコープ〉という酒場で登場するファローピアンはアメリカの私設郵便について調べているから→その50、〈ウェルズ、ファーゴ〉社や〈小馬速達便〉の配達人を襲った黒衣の集団についても何か知っていそうに思われるからだ。
 その推論はもっともだし、たしかにこれからファローピアンがエディパに向かって喋るわけだが、ここでいちどストップして、「その97」でちょっと触れた、時間の乱れについて書いておく。

その96」で、ファローピアンがコーテックスの素性を勘ぐるやりとりがあった。その次に、そもそもエディパがどうしてその夜〈ザ・スコープ〉に来たのかという説明があり、それは「ほかにもいくつかの啓示」があって「郵便と、その配達方法」にかかわる「ひとつのパターン」が出現したからだと書いてあった(パターンというのは、「郵便配達&それを襲う黒衣の集団が、セットで出てくる」という“型”のことだろう)。
 ということは、小説に書いてある順序

(A) コーテックスに会う →(2、3日あとに)〈ザ・スコープ〉でファローピアンと会話 → 史碑を見つける → ザップフ古書店 →(次の日)養老院でトート氏と話す →〈ザ・スコープ〉でファローピアンと会話

となっており、〈ザ・スコープ〉でファローピアンと話す場面が2回ある。だが、実際に物事の起きた順序

コーテックスに会う→史碑を見つける → ザップフ古書店 →(次の日)養老院でトート氏と話す(ここまででコーテックスと会ってから2、3日)→〈ザ・スコープ〉でファローピアンと会話

であって、エディパはファローピアンと一度しか会っていない。(A)に出てくる1回めの〈ザ・スコープ〉のシーンは、2回めの〈ザ・スコープ〉を先取りして配置したものであり、そこから2、3日間を振り返るかたちで史碑~養老院までの出来事が語られて、そのあと〈ザ・スコープ〉に場面が戻ってきたところで時間の流れがもと通りになった、ということになりそうである。エディパの探求の動機づけや、啓示、パターンといった言葉のつじつまが合うように考えればそうなるはずだ。

 でも、読んでみた印象ではそうは思えないのである。

その96」で見た1回めの〈ザ・スコープ〉でのファローピアンと、これから見る2回めの〈ザ・スコープ〉でのファローピアンは、話す様子がまるでちがっている。それに1回めでは、ファローピアンはエディパについてきたメツガーと口論するが、2回めではメツガーがいない(少なくとも、描かれない)という違いもある。
 だから、じつは実際に物事の起きた順序も(A)と同じで、エディパは〈ザ・スコープ〉に2回行っている、ととったほうが、すんなり読めるのだ。
 ただし、よく読むと、(上のほうでも書いた通り)史碑やトート氏の話から「啓示」「パターン」を見出したという理由ができたからこそ、エディパは〈ザ・スコープ〉に行ったはずであり、この因果関係を動かすことはできない。すると時間の順序は整理できなくなる。
 これが「その97」で書いた、時間の混乱である。

 この食い違いをどう頭に収めるか。ここまで悩んでおきながら簡単に答えを出すと、それは、小説には小説に書いてある順序だけがあり、そこから実際に物事の起きた順序を再構成しようとするのが間違いだ、というものである。身も蓋もないが、こういうことはこれまでにも何度か書いていた(→その63 →その70)。

 もう少し具体的にいえば、エディパが〈ザ・スコープ〉に行ったのは、やはり最後のはずなのである。最後のはずなのだけれども、そのシーンは分裂して史碑~養老院の前にも配置されている。分裂しているから(同じ日なのに)ファローピアンの態度も、メツガーがいる/いないも、別になっている。おそらく、それでいいと思う。
 小説はそんなふうにも書かれうる。これをピンチョンの書き損じ、と読むのは、端的にもったいないと思う。急いで読むと読み流してしまうが、よくよく読むと時間が乱れていることに気付いて混乱する、そんなおかしな書き方を選んだ効果として、まずはこちらの頭が乱れるという点を挙げたい。これは案外、小さくない効果だと思うのだ。

 次回、ファローピアンの話になる。

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2004/04/08

その103 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)

前回…] [目次


 たしかに、手掛かりを探そうという自分の意志であちこちに足を運ぶことにしたつもりなのだが、予想を越える何かが出てきそうな予感にいきなり包まれてしまった――おそらくエディパはそんな気持でいる。
 She looked around, spooked at the sunlight pouring in all the windows, as if she had been trapped at the center of some intricate crystal, and said, "My God."
 "And I feel him, certain days, days of a certain temperature," said Mr. Thoth, "and barometric pressure. Did you know that? I feel him close to me."
 "Your grandfather?"
 "No, my God." (p74)

《エディパはあたりを見まわした。窓という窓から射しこんでくる陽の光におびえた。まるで自分が入りくんだ形の水晶か何かのまんなかに入っている虫のような気がしたのである。「神さま」と言ってしまった。
「そうじゃ、感じるんじゃよ、一定の日になると、一定の温度の日」とトート氏は言った――「一定の気圧の日になると、のう。あんたにゃわかるかのう? 身近に感じるんじゃよ」
「お爺さんを?」
「いや、神さまじゃよ」》p114/pp128-9

 自分が「入りくんだ形の水晶か何か」にとらえられてしまっているような思いに襲われる、という書き方から連想されるのは、『急使の悲劇』の演出家ドリブレットのことだ。エディパは楽屋で彼を見た瞬間、目を囲む「皺の網目」に絡め取られていた→その82。再掲する。
She couldn't stop watching his eyes. They were bright black, surrounded by an incredible network of lines, like a laboratory maze for studying intelligence in tears. They seemed to know what she wanted, even if she didn't. (p60)

《彼の目から視線をそらすことができない。きらきらと黒く、そのまわりは信じられないほどの皺の網目だ。まるで涙の中に入っている情報を研究するための実験室の紛糾した装置の迷路のようだ。彼女が知らなくとも、彼女が知りたいと思っていることを知っているような目であった。》p93/pp104-5

 さかのぼって考えれば、あの「皺の網目」は、丘の上から見下ろした街並み→その18や、入り組んだ地図→その26といった、エディパにとって“自分には読み取れないが、何か秘密を隠しているにちがいない”ように見える、神聖文字の1バリエーションとして映っていたのだった。
 いま彼女は、それまで外から眺めていたつもりの迷路の中に、とつぜん自分が放り込まれているのではないか、と気付く。
 そこでとっさに口を突いて出る言葉が「神さま」という、今回の最初に引用した部分になるわけだが、前々回で引いた台詞に引き続き、ここのトート氏との会話の流れもすばらしいと思う。
 陽当たりのよい養老院で、ひがなテレビを見ているらしいネジの緩んできた老人の口を通し、手で触れられず目に見えない存在を、自分のそばにたしかに「感じるんじゃよ」と語らせる。
 それはトート氏にとっては穏やかな奇跡だろうが、その彼の話を聞いて、いま、やはり自分の手の届かない正体不明の存在を感じ始めたエディパのほうは、《窓という窓から射しこんでくる陽の光におびえ》ているのである。

 このトート氏について、前回までに書き落としていた点があった。それは彼が年季の入ったアニメ好きだということで、エディパとの会話でも、自分の見ていた夢と、古いアニメがごっちゃになっていた。
 黒い羽根をつけた偽インディアン、という重要な話をしていたときも、祖父から聞いた思い出話と、むかし見たアニメがまざってしまったと言っている。それは「ポーキー・ピッグ」という豚の男の子を主人公とするシリーズ中の1本で、“真っ黒な格好をしたアナーキスト"が出てくるとまで説明されているから、注釈書でも Pynchon Wiki でも、「The Blow Out(1936)という作品だと同定されていた。探してみるとyoutubeで見つかった。もともとは白黒だったんだろうが、これである。




 さて、どうだろう。
 夜の闇に乗じ、〈小馬速達便〉の配達夫に襲いかかる、黒衣の秘密集団。そんな不吉な、そしてエディパにとっても読者にとっても、『急使の悲劇』でニコロを殺した禍々しい暗殺者と結びつけずにはいられない存在を導入するにあたり、重ねられているイメージは、これなのである。
(重ねているのはトート氏だけだ、という見方は、小説の外にあるこのアニメを作中の彼がはっきり指示して内外の結びつきを作ってしまっている以上、成り立たないと思う。それに、じつはエディパもこのアニメは見たことがあった、と書いてあるのだ)
 ここから先を読むうえで、この「The Blow Out」のことも忘れずにおきたい。

…続き
2004/04/08

その102 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


 トート氏の話が続いている。彼の祖父は〈小馬速達便〉の配達人で、インディアン殺しを好む困った人物だったが、ほかにも、黒い格好をした者たちと戦ったのだという。
 "Dressed all in black," Oedipa prompted him.
 "It was mixed in so with the Indians," he tried to remember, "the dream. The Indians who wore black feathers, the Indians who weren't Indians. My grandfather told me. The feathers were white, but those false Indians were supposed to burn bones and stir the boneblack with their feathers to get them black. It made them invisible in the night, because they came at night." (p73)

《「真っ黒なものを着ていたんですね」とエディパが誘導する。
「それがインディアンの話とこんがらがってしもうてのう」と、思い出そうとしながら「夢の話じゃが。黒い羽根をつけたインディアン、インディアンではなかったインディアンなんだのう。爺さんが話してくれたもんじゃ。頭につける羽根は白いんじゃが、にせのインディアンたちは骨を焼いてのう、その骨炭を羽根でかきまわして黒くするんじゃ。そうすると夜目には見えなくなる、彼らは夜に襲撃してくるんじゃから。」》p113/p127

 黒い格好、というだけでも即座に連想が働くのに、さらに「骨炭で羽根を黒くする」という。これは『急使の悲劇』で、悪役のアンジェロが殺した敵兵の骨炭をインクに加工して使っていたエピソードを思い起こさせる→その76。骨の炭は、さらにピアスの事業にまでつながる物品なのだ。
 その黒い格好をした者たちがインディアンでないならば、いったい何だったというのか? エディパが訊ねると、トート氏は自分の持ち物袋から「鈍い金色の認印指輪」を取り出して見せる。
"My grandfather cut this from the finger of one of them he killed. Can you imagine a 91-year-old man so brutal?" Oedipa stared. The device on the ring was once again the WASTE symbol. (p74)

《「爺さんがこいつを、殺した彼らの中の一人の指から切り取ったんじゃ。九十一歳の爺さんにそんなむごいことができると思いなさらんじゃろ?」。エディパは凝視した。指輪の模様はまたしてもWASTE印であった。》p114/p128

 トイレの壁の伝言→その48、コーテックスの落書き→その90に続いて、WASTE印の指輪ときた。そして、それは〈小馬速達便〉を襲った黒い偽インディアンの持物であった。
“郵便組織に敵対する、黒衣の集団"として、この3つが並ぶ。

(1)『急使の悲劇』の中で、大手郵便〈テュルーン、タクシス〉の格好をしたニコロを殺す、黒ずくめの暗殺者たち→その75
(2)運送会社〈ウェルズ、ファーゴ〉の郵便配達12人を虐殺した、黒衣の覆面強盗団→その98
(3)〈小馬速達便〉を襲撃する、黒い敵

(1)には「トライステロ」の名が与えられており、
(2)の残された手掛かりは頭文字「T」かもしれず、
(3)の指輪に刻まれたマーク(WASTE印)は、ふたつの落書きを通してすでにエディパの身辺に迫っている。

 いま、読者の感度はエディパと同調しているので、彼女の反応はよくわかる。「震えあがる」のだ。

…続き
2004/04/08

その101 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次

next day she drove out to Vesperhaven House, a home for senior citizens that Inverarity had put up around the time Yoyodyne came to San Narciso. In its front recreation room she found sunlight coming in it seemed through every window; (p72)

《次の日〈ヴェスパーヘイヴン養老院〉へ車で出かけた。この老人ホームはヨーヨーダイン社がサン・ナルシソ市に進出してきたころ、インヴェラリティが建てたものである。》p111/p125

 前回の引用部分から、改行もなく次の手掛かりへなだれ込む(本当はストップをかけたいがあとにしよう)。
 In its front recreation room she found sunlight coming in it seemed through every window; an old man nodding in front of a dim Leon Schlesinger cartoon show on the tube;

《建物の正面にある娯楽室に入ると、窓という窓から日の光が射し込んでいるように思われた。一人の老人が不鮮明なレオン・シュレジンガー漫画を放映しているテレビの前で居眠りしている。》

 この老人はトート氏(Mr Thoth)といって、まどろみから覚め切らない頭でエディパを相手に話をしてくれる。すごいことに、エディパは養老院に出向いただけで、手掛かりのほうから彼女のところにやって来るのである。
 すでにじゅうぶん年を取ったトート氏の話は、さらに時をさかのぼる、彼の祖父のことだった。
"[…] Oh, the stories that old man would tell. He rode for the Pony Express, back in the gold rush days. His horse was named Adolf, I remember that" (p73)

《「[…] いやあ、この爺さんが聞かせてくれる話ときたら。爺さんは小馬速達便[ポニー・エクスプレス]の配達夫じゃった。ゴールド・ラッシュのころのことじゃよ。爺さんの乗っておった馬の名前はアドルフというた。いまでもその名前は覚えておるんじゃ。」》p112/p126

 小馬速達便。また郵便だ。ここで読者の感じる「!」を、次の行でエディパはそのまま引き受ける。両者の気持はぴったり重なり、その彼女の感覚は、「その93」で見た“感度強化"(sensitized)という言葉で説明されている。
 Oedipa, sensitized, thinking of the bronze marker, smiled at him as granddaughterly as she knew how and asked, "Did he ever have to fight off desperados?"
 "That cruel old man," said Mr Thoth, "was an Indian killer. God, the saliva would come out in a string from his lip whenever he told about killing the Indians. He must have loved that part of it."

《エディパは感度が強化された状態で、青銅の記念碑のことを思い出しながら、できるかぎり孫娘ふうにほほえみかけ、「命知らずの悪者を退治するなんてことはなかったの?」
「むごい爺さんでのう」とトート氏は言った――「インディアン殺しじゃった。いやあ、インディアンたちを殺した話になると決まって口からよだれを流しおってのう。そこのところを話すのが、こたえられんかったんじゃ」》*太字は引用者

 念のため、《青銅の記念碑》は「その98」で見つけた史碑のことで、1853年に〈ウェルズ、ファーゴ社〉の郵便配達人が黒衣の集団に襲われて死んだ史実を伝えていたのだった。
 いま、また別の郵便組織・〈小馬配達便〉が登場し、そこで働いていた人間(トート氏の祖父)はインディアンだけでなく別のものとも戦った――というふうに話が続いていくのだが、それは次回にするとして、ここでは、上で引用していなかったトート氏の味わい深い台詞を訳文だけ書き写しておきたい。
《「こんにちは」とエディパは言った。
「夢を見ていたのかいな」とトート氏はエディパに言った――「わしの爺さんの夢じゃ。えらく年を取った爺さんでのう、少なく見積ってもいまのわしくらい、九十一じゃが、そのくらいにはなっておった。わしは子どものころ、爺さんは生まれたときから九十一歳だったんやと思っとった。このごろは、わしが」と笑い声を出して「生まれたときからずっと九十一歳だったような気がしとるよ」》

 Lot 49 を書いているとき、ピンチョンはまだ20代のはずだが、どうしてこんな台詞が書けたのかと読み返すたびに思う。

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