2004/04/06

その69 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

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『急使の悲劇』あらすじの続き。

 事態はアンジェロにとって、まったく望ましくない方向に動いている。殺したつもりだったニコロは、どこかで生きているのかもしれない。ジェンナーロに率いられたファッジオ側が攻めてくるかもしれない(加えて、半分たわむれに枢機卿を虐殺したのが法王にばれてしまったかもしれない)。
 そこでアンジェロは、まずジェンナーロを押しとどめるため手紙を書く。これまではなぜか外部の郵便組織を嫌い、通信は自分の部下に任せていたが、一刻も早くこちら側から和平を提案しなくてはならないこの重大事にあたり、もはや部下を当てにはできず、彼はとうとうヨーロッパ最大手の私設郵便〈テュルーン、タクシス〉(the Thurn and Taxis)の急使を呼びつけて手紙を託す。
 その急使がじつはニコロであることにアンジェロはもちろん気付いておらず、ニコロはニコロで、にわかに緊迫してきたファッジオ-スカムリア状勢も、アンジェロから預かって自分の懐に入れた手紙の内容もわかっていない。ただ与えられた業務として、ニコロは故国へ向かい馬を走らせる。
 盛り上がってきたところだが、問題の手紙を執筆中のアンジェロは、使っているインクについて謎めいた台詞をいくつも述べていたという。

「インクはフランス語で“アンカー”というが、われわれも“アンカー”(錨)を無限の淵から引き揚げた」
「このインクは、白鳥(羽ペン)でもヒツジ(羊皮紙)でもない獣から集めたものだ」

 云々。これもまた伏線らしい伏線である。
 
 さて、ニコロがスカムリアの宮廷を出た直後、アンジェロの忠実な部下ヴィットリオがやってきて、「あいつには、反逆の気配があります」と告げる。さらに、エルコーレに殺されていたドメニコ→その66のダイイングメッセージが発見されて、観客にははじめからわかっていたニコロの正体が、ようやく舞台の上でも暴かれる。
Angelo flies into an apoplectic rage, and orders Niccolo's pursuit and destruction. But not by his own men. (p55)

《アンジェロは癲癇の発作を起こしたように怒り、ニコロを追って殺せと命じる。ただし彼の部下が手を下すのではない。》p85/p96

 いよいよ不穏なことになってきた。

…続き

*「その65」でも書いたが、ヨーロッパ最大の郵便組織だった「テュルーン、タクシス」(the Thurn and Taxis)家は実在するものなので、当然Wikipediaにも項目がある
2004/04/06

その68 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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 ファッジオとスカムリアという2国の政争をめぐる『急使の悲劇』(リチャード・ウォーフィンガー作)のあらすじの続き。

 死んだと思われているファッジオの王子、という身分を隠して隣国スカムリアにいるニコロは、〈消えた近衛兵〉の話を聞く。かつて、自分の父(善人公爵)が暗殺される直前、ファッジオの精鋭部隊およそ50名が、国境近くで演習中にまるごと姿を消したという。当然、スカムリアの悪人公爵アンジェロがあやしい。
(この噂をニコロに伝えたのはヴィットリオという男で、アンジェロの郵便を受けもつ急使の1人だった。話を聞いて思わず「アンジェロの野郎・・・!」と口走ったニコロの様子から反逆のきざしを読み取っている。これも大事な伏線)

 策士エルコーレは暗躍を続け、アンジェロの甥であり、いまファッジオを乗っ取るために摂政をしているパスカーレをうまく騙して拷問・虐殺するのに成功。ここでファッジオ側にはジェンナーロというすぐれた人物が現れて、正統な王位継承者ニコロが帰ってくるまで、この国の政権をつかさどることになる。
 この合間にも露悪的なシーンが多く、休憩時間にはエディパもメツガーも幾分ぐったり気味である。しかし、そこで奇妙な不意打ちが起きる。
Oedipa headed for the ladies' room. She looked idly around for the symbol she'd seen the other night in The Scope, but all the walls, surprisingly, were blank. She could not say why, exactly, but felt threatened by this absence of even the marginal try at communication latrines are known for. (p53)

《エディパは婦人用化粧室へ向かった。彼女はぼんやりあたりを見まわして、先夜〈ザ・スコープ〉で見た印はないかと思ったが、驚いたことに、どの壁もブランクだった。なぜだか正確にはわからなかったが、便所はコミュニケーションの場として知られるのに、コミュニケーションの周縁的な試みさえ不在なのに威嚇を感じた。》p83/p93

 どこから突っ込んでいいのか迷うくらいに、すべてが間違っている。
「驚いたことに」「威嚇を感じた」。メッセージがないことさえ、ひとつのメッセージとしてエディパには届いている。そんなふうに受け取ってしまうまでに彼女の感覚は鋭敏さを増している。
 増しすぎた鋭敏さは狂気と区別がつかないと思うのだが、小説はまだその言葉は使わない。

…続き
2004/04/06

その67 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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 「ペンテコステ」についてもう少し書く。
 キリスト教には3大祭というのがあり、日程はこうなっている。

(1)クリスマス(キリスト降誕祭):12月25日
(2)イースター(復活祭):春分の日以降最初の満月のあと最初の日曜日
(3)ペンテコステ(聖霊降臨祭):イースター後の第7日曜日

(2)と(3)を見ると、日曜と日曜なんだから1週間×7で、ペンテコステはイースターの49日後にくる。
 お、「49」? しかしもうちょっと待ってほしい。

 祝祭日としてのペンテコステのもとになった出来事、復活して天に昇ったイエスが聖霊を降らせる大事件が起きたのは、もともとユダヤ教で五旬祭という祭日だった。この人たちには出エジプトを記念した「過越しの祭」があり、その日から50日後に行われるから「五旬祭」と呼ばれている。日数をかぞえるなら、イースターではなくこちらからかぞえるのが筋らしい。
 新訳聖書の「使徒言行録」2章1‐6節にはこうある(新共同訳)。
《五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、
彼らが座っていた家中に響いた。
 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現われ、一人一人の
上にとどまった。
 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、
ほかの国々の言葉で話しだした。
 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、
信心深いユダヤ人が住んでいたが、
 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、
自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった》

 せっかくなので、同じところを文語訳からも引く。
《五旬節の日となり、彼らみな一処に集ひ居りしに、
烈しき風の吹きたるごとき響、にはかに天より起りて、その坐する所の家に満ち、
また火の如きもの舌のやうに現れ、分れて各人のうへに止まる。
彼らみな聖霊にて満され、御霊の宣べしむるままに異邦の言にて語りはじむ。
 時に敬虔なるユダヤ人ら天下の国々より来りてエルサレムに住み居りしが、
この音おこりたれば群衆あつまり来り、おのおの己が国語にて使徒たちの語るを聞きて騒ぎ合ひ、》

 五旬祭(五旬節)、つまり過越しの祝いから50日めになって、神の言葉を語る「炎の舌」が現われた。
 ということは、どうだろう。エディパは真実が訪れるのを待ち、その啓示をあちこちに感じ取っているのだが、The Crying of Lot 49 というこのタイトルでは、「炎の舌」の到来に1日足りないのである(※)
 それではこの小説はどういう終わり方をするのか。啓示はともかく、だれがどのようにして、いかなる真実を教えてくれるのだろう。ページをめくればすぐにでも確かめられるが、そこまで進むのに50日がもう何セットかかるかは見当もつかない。

 以上、数十分前までちっとも知らなかったことをぬけぬけと書いた。いまだって聖書の引用前の数行はよくわかっていない。数のかぞえ方も合っているのかどうか、薄氷を何枚か踏み割った気がする。まったく、自分にも「炎の舌」がほしい。



(※)これは深読みでもこじつけでもなくて、エドワード・メンデルソンという人が40年ほど前に発表して以来、ほとんど定説になっているらしいLot 49 の「読み」の引き写しである。もちろん、「読み」なんだから、たとえ深読みでもこじつけでもかまわない。
 → Edward Mendelson"The Sacred, the Profane, and The Crying of Lot 49 "
Edward Mendelson編 Pynchon: A Collection of Critical Essays (1978)に収録)
2004/04/06

その66 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

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 いまや成人したニコロは、身分を隠したまま郵便組織〈テュルーン、タクシス家〉の一員となり、敵国スカムリアに滞在している。
 アンジェロは、料金格安・サービス迅速の〈テュルーン、タクシス〉をなぜか信用せず、通信には自分の使者しか使わない(※ここ、重要な伏線)
 ニコロが仲間と共にこの国にいるのはアンジェロを説得して契約を結ぶためだが、真の目的はもちろん、父の仇討ちである。

 いっぽう、併合をねらうアンジェロの次の算段は、ニコロ亡きあと(ほんとは自国へ営業に来てるわけだが)のファッジオで政権を掌握したパスカーレと公式な姻戚関係を作ることで、そのために自分の妹フランチェスカをパスカーレに嫁がせようとしている。
 ところが前回書いた通り、彼女はパスカーレの生みの母なのだから無理がある。息子との結婚をフランチェスカは拒むものの、どっちみち悪趣味なことに、彼女とアンジェロはむかしから近親相姦していたのだった。

 素直なニコロから身の上の秘密を告白された同僚・ドメニコは、あっさり友情を捨ててアンジェロに密告するため宮廷に急ぐが、公爵はちょうど(妹と)取り込み中。代わりに接見したのは行政補佐官エルコーレで、これも前述のように、彼こそがニコロを助けた策士だったから、うまくドメニコを騙して虐殺してしまう。王水をかけたり去勢したり、その様子が両人の口から事細かに説明されるらしい。
 エルコーレがドメニコから抜いた舌を剣に刺して火をつけ、思わせぶりな台詞を叫ぶところで第一幕が終わる。
[…] Descended this malign, Unholy Ghost,
  Let us begin thy frightful Pentecost. (p52)

[…]このようにして悪意の、聖ならざる聖霊は降りた
 さあ、おまえの恐ろしの聖霊降臨節[ペンテコステ]をはじめようp81/p91

ペンテコステ」とはキリスト教の復活祭(イースター)から7週間後の日曜で、聖霊が降りてきた記念の日のこと。
 訳注解説によれば、使徒ひとりひとりの上に炎のように分かれた舌が現われ、彼らを通し、さまざまな国の言葉で神の教えが語られたという。

 人間を越えた存在の持つ「炎の舌」が真実を語る、というイメージは、The Crying of Lot 49 というこの小説で主人公エディパの強迫観念になっている「真相の到来とその啓示(revelation)」に――たとえばここの後半に書いたようなかたちで――結びついている。

…続き
2004/04/06

その65 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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 具体的には「その61」からの続き。

 サン・ナルシソの〈タンク劇団〉による『急使の悲劇』(リチャード・ウォーフィンガー作)は、スカムリアとファッジオという隣りあった二国を舞台にした不気味な復讐劇である。
 娯楽作として書かれたらしいので、スカムリア=悪いほうファッジオ=よいほう、とはっきり分かれ、悪いほうがよいほうを乗っ取ろうとして仕掛けた権謀術数と、その両方の宮廷で行われる殺人・拷問が見せ場になっている(よいほうだって拷問するのである)。

あらすじの前に、主な登場人物:

●スカムリア            ○ファッジオ
・悪人公爵アンジェロ       ・善人公爵(故人)
・パスカーレ             ・ニコロ
・フランチェスカ
・エルコーレ             ・ジェンナーロ
・(アンジェロの郵便屋たち)

 ほかに〈テュルーン、タクシス家〉という郵便組織が出てくる。
 これは実在の家名で、15世紀にはヨーロッパ全域をカバーし、郵便の配達を請け負っていた。神聖ローマ帝国公認の郵便事業にまでなっている(→ご参考:公式サイト)。
 劇中ではとりあえず、ドメニコ、ヴィットリオという二人がここで働いている。

簡単な血縁表:

●スカムリア

  悪人公爵アンジェロ
     ┃兄            ○ファッジオ
     ┃妹
  フランチェスカ━━〈不倫〉━━善人公爵━━━┳━━(妻)
        母    ┃       父         ┃母
          子  ┃                 ┃子
           パスカーレ ←〈異母兄弟〉→ ニコロ

劇の背景:
 ファッジオを手中に収めようともくろむスカムリアの悪人公爵アンジェロは、下準備として自分の妹フランチェスカを善人公爵と不倫させ、パスカーレという私生児を生ませておいた。
 やがてアンジェロは善人公爵を巧みな手口で毒殺し、自分の意のままに動く甥のパスカーレがファッジオで幼い王子ニコロの摂政の座につくよう仕向けた。ニコロを殺し、パスカーレに実権を握らせて併合に近づけようというのである。
 で、少年ニコロは爆殺計画に巻き込まれるのだが、アンジェロの配下であるはずのエルコーレがファッジオの廷臣たちとひそかに手を結んでおり、この正統な王位継承者を、周囲には死んだと思わせたまま国外へ逃がすのに成功していた。

 それから10年ほど経ったのが『急使の悲劇』の「現在」になる。

…続き
2004/04/06

その64 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


(1)小説の構成:出来事が配置されている順番
(2)出来事を時系列に沿って並べた順番

 (2)は実在しない、と前回書いた。理由は、小説の中にも流れているようにみえる(2)は、読者が(1)を読んだあとになってはじめて想像されるもので、「小説の中」にはないから、ということだった。

 では、(1)は「小説の中」にあるんだろうか。
 じつは(1)だって、想像されたものではないかと思う。小説に書いてあるままの順番、とは言っても、読者による理解を経て想定されるという点では、(1)も(2)と同じじゃないだろうか。

 どうも、「小説の中」にあるとされているものは、たいてい「小説を読んだ人の頭の中」にあるだけだ、と考えて当たらずとも遠からずな感じである。
 (1)が存在しているのも、「小説の中」ではなく「読者の中」なら、(2)が(1)を素材にした抽象物であるのと同様、(1)も何かの素材に基づいた抽象物ではないかと思う。

 だとすると、その素材、読者の中に(1)をつくるのは何か。
 小説において、「読み取って想像される」のではなく、「読まれる」ものは何なのか。つまり小説の中には何があるのか。

 それで思い至ったのは、小説には「中」なんてないんじゃないか、ということである。ただ紙の上に言葉が、文章が並んでいるだけのもの、それが小説ではないか。

 読者はページの上の言葉を見て、言葉のつながった文章を受け取る。そこから先、目の前の文章がどんな状況をつくるのか想像し、それらの出来事を自分になじみのある時間の順になぞらえてとらえていくという作業は、ぜんぶ、読者の中で行われる。
 小説には、言葉・文章だけが実在している――と思うのだがどうだろう。

 ここまで、まったく当たり前のことをわざわざ書いてきた気もするし(そうならいいなと思っている)、言葉よりも、もっと根っこに小説の素材を求められるのかもしれないという疑いも残っている。
 いっぽう、上記はまるで的外れかもしれず、何らかの理解(抽象化)を伴わずに言葉がそれだけで「ある」と言ってしまっていいのか、わからない。
 とはいえ、「ページの上に文字が印刷されてある」ことくらいは確かだと言いたい気持もあって、ああ、でも文字と言葉では意味合いが違うのか・・・。そもそも自分は、小説とそれ以外の文章表現の差をどう考えているのか・・・。

 というふうに、ここまでの足取りも相当におぼつかないし、これ以上は手に負えそうもないので、そろそろLot 49 に戻りたい。
『急使の悲劇』の開演である。

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2004/04/06

その63 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次


(1)小説の地の文があちこちを編集して読者に提示する筋の順番
(2)小説の中でエディパたちが観たはずの『急使の悲劇』の筋の順番

 前回、こういう区別を考えていた。
 このふたつを小説一般に拡大してみることができると思う。

(1)小説をページ順にめくっていった時に出来事の配置されている順番
   つまり、小説の構成されている順番
(2)それを〈過去→現在→未来〉の時間軸に沿って並べ直した順番
   つまり、物事が起きた本来の順番

 このふたつについて、日ごろの自分はなんとなく、まず(2)があって、そこにいろいろ手が加えられ(構成)、結果的に(1)として提示されている、というふうにとらえているフシがある。
 言い換えれば、「小説の表面にはあらわれていなくても、下とか奥とか、どこかに(2)の順番があり、それに基づいて(1)はできている」と思っているような気がする。

 素朴に考えて、これは順序が逆だろう。

 小説は、ただ(1)の順番で書かれているだけだ。読者が読むのは、あくまで「何らかの作為(または無作為)によって、時系列をさまざまにいじられた出来事の連なり」としての(1)である。
「本来の時間の流れに沿った順番」として想定される(2)は、それこそ、できあがった小説をもとにあとから想定されるだけのもので、「本来」も何も、小説のどこにも書かれていない以上、実在しない。

 時間がいったりきたりする小説を読みながら首をひねり頭をしぼり、メモまで書いて(2)を完成させ、「あ、こうなっていたのか!」とおどろくのは楽しいし、作品を読むのに役に立つこともたまにはあるが、その作業は、時間の流れの再構成ではなく、創造だと思う(もともとないものを構成はできない)。

(もしかすると、小説を書いている作り手の手元には年表のような「本来の」タイムスケジュールがあり、そこからむかしの出来事や先の事件を取り出してより大きな効果を生むように配置し、作品を構成していることもあるのかもしれない。
 だが、だとしても、受け手の前にあるのは作品・小説だけなのだから、「作者のことはどうでもいいじゃないか」と言いたい)

 読者は目に見える具体的な(1)から目に見えない(2)をつくる。(2)は、どうしたって二次的なもの、抽象物である。
 小説の中の世界にも(2)の時間が流れていると考えるのは、誤解というか錯覚だろう。(2)があるのはせいぜい「読者の中」のはずだ。「小説の中」には(1)しかない。

 ところが、いま書いた「小説の中には(1)しかない」というのも、まだ間違いを含んでいる考え方のような気がしてきた。

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2004/04/06

その62 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


 それで『急使の悲劇』だが、話はまだ始まらない。

 この芝居は全部で五幕の構成になっているが、あらすじを説明する地の文は、一幕めの流れを語っている途中で「この出来事について○○は『××』と言ったが、それは第三幕でのことである」みたいな飛躍を平気でする。
 それに加えて、幕間のエディパの行動も挟み込まれるのだから、これをどんなふうにまとめていくのがいいかちょっと考えてしまった。

 もっとも、こんな語り方は特別めずらしいものではない。
 登場人物が演劇を見るシーンになると、その筋がはじめから順に、いっさい中断も省略もなく描かれる小説があったとしたら、きっと退屈だろう(その場合、それはむしろ何らかの狙いをもった手法と受け取られる気がする)。
 それはわかっているのだが、性格上、『急使の悲劇』の筋をいちどきちんと追ってみたい気持があった。
 そこでずいぶん前に、ノートを開いてあらすじをメモしつつ、飛躍してる箇所は本来の場所に戻して、地の文にまとめられている(編集されている)ものではなく、作中でエディパが観たままの筋を再現しようとした。というのも、

(1)小説の地の文があちこちを編集して読者に提示する筋の順番
(2)小説の中でエディパたちが観たはずの『急使の悲劇』の筋の順番

 このふたつのあいだにズレがあるのなら、そこに何かが隠されているかもしれないと勘ぐったからだった。
 そのときのノートがいま部屋のどこを探しても見つからないのだが、それはまあいい。作業を通して得られたのは、「『急使の悲劇』はもともとがこんがらがった芝居なので、地の文がいくらか余計に展開の順序を乱していても、そのせいで生まれるズレにはたいした意味がなさそうだ」、というつまらない感想でしかなかったからである。

 なので、この芝居について書いていくうえでは、ごく単純に地の文が語る通りにまとめていけばいいだろうと今では思っている。ただ、人名と人間関係は複雑なので適宜リストでも作りたい。
 ところが、上記のことをあらためて考えていたせいで(成果はなかったくせに)もっと小さなことが気になってしまった。『急使の悲劇』に入る前に、思いつきのメモをもうすこし続ける。

 結論からいうと、上のように(1)と(2)に分けたのは、この場合はたまたま意味がなかったというより、根本的に間違いだったんじゃないかと思うのだ。

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2004/04/06

その61 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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 エディパとメツガーは、『急使の悲劇』という演劇を観に行く。

 二人の本来の目的はピアス・インヴェラリティの遺産を調べて整理することのはずなのに、なんでそんなことをしているのかというと、その前日に湖へ遊びに出かけたとき「湖に沈められた死体・骨」という話を聞き(from ディ・プレッソ)、それがこの劇の内容と似ているという情報を得て(from ザ・パラノイド)、エディパの好奇心が刺激されたからだった。
 湖の骨がピアスの事業と関係があった以上、エディパは彼の遺産に関わりがありそうなものは何でも調べる熱意をもっているとも言えるわけだが、こんなにもやる気に満ちているのは、遺産の執行人として責任感が強いからというよりも、性格的に彼女が「何事によらず、つながりがあるならそれを知りたい」と欲している人間だからだろう。これはこれで熱意であるにせよ、遺産執行人としてはだんだんルートを外れてきている。
(メツガーは弁護士なんだから遺産調査についてエディパより責任があるはずで、だからこそ観劇に乗り気ではない。こっちのほうがまともなのである)

『急使の悲劇』は、サン・ナルシソで活動する〈タンク劇団〉なるグループによって公演中である。オリジナルの作者はリチャード・ウォーフィンガーというステュアート朝時代のイギリス人。ステュアート朝は1603年に始まり、ジェイムズ1世からチャールズ1世と続いて1642年に清教徒革命を引き起こす。この劇作家はシェイクスピア(1564~1616)とだいたい同時代か、少しあとに活動したことになる。

 もともとが小さな劇場なのに、客席は閑散としていた。しかしエディパの見るところ、役者の衣装も照明も凝っているし、ウォーフィンガーの想像力は、執筆当時にはまだ起こっていない革命の前兆となる禍々しい雰囲気を知らずとはらんでいるかのようだった、という。
Oedipa found herself after five minutes sucked utterly into the landscape of evil Richard Wharfinger had fashioned for his 17th-century audiences […] (p49)

《エディパは開演五分後には、邪悪なリチャード・ウォーフィンガーが十七世紀の観客のために作りあげた風景の中に完全に吸いこまれていた。》p78/p87

 そんなわけで、これから数回はエディパと共に『急使の悲劇』の筋を見ていくことになる。

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2004/04/06

その60 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

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 湖に沈められた、一個中隊の死体。〈ザ・パラノイド〉の少年少女は、この話が『急使の悲劇』という演劇に似ている、と言い出した。

 自分で喋っておきながら「盗み聞きしてたな」と怒り出すディ・プレッソだったが、彼を追っていたマフィアたちが湖をモーターボートでやってくるのを見て「おれは逃げる」と言い残し、ひとりボートに戻り大慌てで島を去る。
 唐突に現われたディ・プレッソ、湖と骨の情報を伝えて唐突に退場である。

 そんなわけで、エディパとメツガー、〈ザ・パラノイド〉たちは、島に置き去りにされてしまった。日が暮れて自警団が助けに来てくれるまで、彼らはマリファナ煙草を吸いながら歌をうたったりして過ごす。〈ザ・パラノイド〉のスタンダードはマリファナで、どんなフィルターであれ、ふつうの煙草は吸わないんだそうである。子供のくせに、というか何というか。

 それはともかく、気になるのは『急使の悲劇』のことである。
[…] and hearing the plot of The Courier's Tragedy, by Richard Wharfinger, related near to unintelligible by eight memories unlooping progressively into regions as strange to map as their rising coils and clouds of pot smoke. It got so confusing that next day Oedipa decided to go see the play itself, and even conned Metzger into taking her. (p49)

[…]『急使の悲劇』の筋を聞いたりしていた。それはリチャード・ウォーフィンガーの作品なのだが、八人の記憶によって語られるうちに、次第に輪がほどけてしまい、彼らが吸っているマリファナの煙の、立ちのぼって行く輪や雲と同じように、とらえどころのないものになり、意味不明というに近いものになってしまった。その筋があまりに混乱したので、次の日エディパはその芝居を見に行くことにし、メツガーを説き伏せて、連れていってもらう手はずをととのえた。》p77/pp86-7

 翌日、エディパは興味津々で、メツガーは嫌々ながら、劇場に赴く。
 しかし実際に観劇しても、劇の筋はかなり込み入っており、それ以上に、筋を伝える地の文の語りは「あまりに混乱」しているのだった。

…続き