2004/04/06

その69 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

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『急使の悲劇』あらすじの続き。

 事態はアンジェロにとって、まったく望ましくない方向に動いている。殺したつもりだったニコロは、どこかで生きているのかもしれない。ジェンナーロに率いられたファッジオ側が攻めてくるかもしれない(加えて、半分たわむれに枢機卿を虐殺したのが法王にばれてしまったかもしれない)。
 そこでアンジェロは、まずジェンナーロを押しとどめるため手紙を書く。これまではなぜか外部の郵便組織を嫌い、通信は自分の部下に任せていたが、一刻も早くこちら側から和平を提案しなくてはならないこの重大事にあたり、もはや部下を当てにはできず、彼はとうとうヨーロッパ最大手の私設郵便〈テュルーン、タクシス〉(the Thurn and Taxis)の急使を呼びつけて手紙を託す。
 その急使がじつはニコロであることにアンジェロはもちろん気付いておらず、ニコロはニコロで、にわかに緊迫してきたファッジオ-スカムリア状勢も、アンジェロから預かって自分の懐に入れた手紙の内容もわかっていない。ただ与えられた業務として、ニコロは故国へ向かい馬を走らせる。
 盛り上がってきたところだが、問題の手紙を執筆中のアンジェロは、使っているインクについて謎めいた台詞をいくつも述べていたという。

「インクはフランス語で“アンカー”というが、われわれも“アンカー”(錨)を無限の淵から引き揚げた」
「このインクは、白鳥(羽ペン)でもヒツジ(羊皮紙)でもない獣から集めたものだ」

 云々。これもまた伏線らしい伏線である。
 
 さて、ニコロがスカムリアの宮廷を出た直後、アンジェロの忠実な部下ヴィットリオがやってきて、「あいつには、反逆の気配があります」と告げる。さらに、エルコーレに殺されていたドメニコ→その66のダイイングメッセージが発見されて、観客にははじめからわかっていたニコロの正体が、ようやく舞台の上でも暴かれる。
Angelo flies into an apoplectic rage, and orders Niccolo's pursuit and destruction. But not by his own men. (p55)

《アンジェロは癲癇の発作を起こしたように怒り、ニコロを追って殺せと命じる。ただし彼の部下が手を下すのではない。》p85/p96

 いよいよ不穏なことになってきた。

…続き

*「その65」でも書いたが、ヨーロッパ最大の郵便組織だった「テュルーン、タクシス」(the Thurn and Taxis)家は実在するものなので、当然Wikipediaにも項目がある
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2004/04/06

その68 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次


 ファッジオとスカムリアという2国の政争をめぐる『急使の悲劇』(リチャード・ウォーフィンガー作)のあらすじの続き。

 死んだと思われているファッジオの王子、という身分を隠して隣国スカムリアにいるニコロは、〈消えた近衛兵〉の話を聞く。かつて、自分の父(善人公爵)が暗殺される直前、ファッジオの精鋭部隊およそ50名が、国境近くで演習中にまるごと姿を消したという。当然、スカムリアの悪人公爵アンジェロがあやしい。
(この噂をニコロに伝えたのはヴィットリオという男で、アンジェロの郵便を受けもつ急使の1人だった。話を聞いて思わず「アンジェロの野郎・・・!」と口走ったニコロの様子から反逆のきざしを読み取っている。これも大事な伏線)

 策士エルコーレは暗躍を続け、アンジェロの甥であり、いまファッジオを乗っ取るために摂政をしているパスカーレをうまく騙して拷問・虐殺するのに成功。ここでファッジオ側にはジェンナーロというすぐれた人物が現れて、正統な王位継承者ニコロが帰ってくるまで、この国の政権をつかさどることになる。
 この合間にも露悪的なシーンが多く、休憩時間にはエディパもメツガーも幾分ぐったり気味である。しかし、そこで奇妙な不意打ちが起きる。
Oedipa headed for the ladies' room. She looked idly around for the symbol she'd seen the other night in The Scope, but all the walls, surprisingly, were blank. She could not say why, exactly, but felt threatened by this absence of even the marginal try at communication latrines are known for. (p53)

《エディパは婦人用化粧室へ向かった。彼女はぼんやりあたりを見まわして、先夜〈ザ・スコープ〉で見た印はないかと思ったが、驚いたことに、どの壁もブランクだった。なぜだか正確にはわからなかったが、便所はコミュニケーションの場として知られるのに、コミュニケーションの周縁的な試みさえ不在なのに威嚇を感じた。》p83/p93

 どこから突っ込んでいいのか迷うくらいに、すべてが間違っている。
「驚いたことに」「威嚇を感じた」。メッセージがないことさえ、ひとつのメッセージとしてエディパには届いている。そんなふうに受け取ってしまうまでに彼女の感覚は鋭敏さを増している。
 増しすぎた鋭敏さは狂気と区別がつかないと思うのだが、小説はまだその言葉は使わない。

…続き
2004/04/06

その67 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次


 「ペンテコステ」についてもう少し書く。
 キリスト教には3大祭というのがあり、日程はこうなっている。

(1)クリスマス(キリスト降誕祭):12月25日
(2)イースター(復活祭):春分の日以降最初の満月のあと最初の日曜日
(3)ペンテコステ(聖霊降臨祭):イースター後の第7日曜日

(2)と(3)を見ると、日曜と日曜なんだから1週間×7で、ペンテコステはイースターの49日後にくる。
 お、「49」? しかしもうちょっと待ってほしい。

 祝祭日としてのペンテコステのもとになった出来事、復活して天に昇ったイエスが聖霊を降らせる大事件が起きたのは、もともとユダヤ教で五旬祭という祭日だった。この人たちには出エジプトを記念した「過越しの祭」があり、その日から50日後に行われるから「五旬祭」と呼ばれている。日数をかぞえるなら、イースターではなくこちらからかぞえるのが筋らしい。
 新訳聖書の「使徒言行録」2章1‐6節にはこうある(新共同訳)。
《五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、
彼らが座っていた家中に響いた。
 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現われ、一人一人の
上にとどまった。
 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、
ほかの国々の言葉で話しだした。
 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、
信心深いユダヤ人が住んでいたが、
 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、
自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった》

 せっかくなので、同じところを文語訳からも引く。
《五旬節の日となり、彼らみな一処に集ひ居りしに、
烈しき風の吹きたるごとき響、にはかに天より起りて、その坐する所の家に満ち、
また火の如きもの舌のやうに現れ、分れて各人のうへに止まる。
彼らみな聖霊にて満され、御霊の宣べしむるままに異邦の言にて語りはじむ。
 時に敬虔なるユダヤ人ら天下の国々より来りてエルサレムに住み居りしが、
この音おこりたれば群衆あつまり来り、おのおの己が国語にて使徒たちの語るを聞きて騒ぎ合ひ、》

 五旬祭(五旬節)、つまり過越しの祝いから50日めになって、神の言葉を語る「炎の舌」が現われた。
 ということは、どうだろう。エディパは真実が訪れるのを待ち、その啓示をあちこちに感じ取っているのだが、The Crying of Lot 49 というこのタイトルでは、「炎の舌」の到来に1日足りないのである(※)
 それではこの小説はどういう終わり方をするのか。啓示はともかく、だれがどのようにして、いかなる真実を教えてくれるのだろう。ページをめくればすぐにでも確かめられるが、そこまで進むのに50日がもう何セットかかるかは見当もつかない。

 以上、数十分前までちっとも知らなかったことをぬけぬけと書いた。いまだって聖書の引用前の数行はよくわかっていない。数のかぞえ方も合っているのかどうか、薄氷を何枚か踏み割った気がする。まったく、自分にも「炎の舌」がほしい。



(※)これは深読みでもこじつけでもなくて、エドワード・メンデルソンという人が40年ほど前に発表して以来、ほとんど定説になっているらしいLot 49 の「読み」の引き写しである。もちろん、「読み」なんだから、たとえ深読みでもこじつけでもかまわない。
 → Edward Mendelson"The Sacred, the Profane, and The Crying of Lot 49 "
Edward Mendelson編 Pynchon: A Collection of Critical Essays (1978)に収録)
2004/04/06

その66 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


 いまや成人したニコロは、身分を隠したまま郵便組織〈テュルーン、タクシス家〉の一員となり、敵国スカムリアに滞在している。
 アンジェロは、料金格安・サービス迅速の〈テュルーン、タクシス〉をなぜか信用せず、通信には自分の使者しか使わない(※ここ、重要な伏線)
 ニコロが仲間と共にこの国にいるのはアンジェロを説得して契約を結ぶためだが、真の目的はもちろん、父の仇討ちである。

 いっぽう、併合をねらうアンジェロの次の算段は、ニコロ亡きあと(ほんとは自国へ営業に来てるわけだが)のファッジオで政権を掌握したパスカーレと公式な姻戚関係を作ることで、そのために自分の妹フランチェスカをパスカーレに嫁がせようとしている。
 ところが前回書いた通り、彼女はパスカーレの生みの母なのだから無理がある。息子との結婚をフランチェスカは拒むものの、どっちみち悪趣味なことに、彼女とアンジェロはむかしから近親相姦していたのだった。

 素直なニコロから身の上の秘密を告白された同僚・ドメニコは、あっさり友情を捨ててアンジェロに密告するため宮廷に急ぐが、公爵はちょうど(妹と)取り込み中。代わりに接見したのは行政補佐官エルコーレで、これも前述のように、彼こそがニコロを助けた策士だったから、うまくドメニコを騙して虐殺してしまう。王水をかけたり去勢したり、その様子が両人の口から事細かに説明されるらしい。
 エルコーレがドメニコから抜いた舌を剣に刺して火をつけ、思わせぶりな台詞を叫ぶところで第一幕が終わる。
[…] Descended this malign, Unholy Ghost,
  Let us begin thy frightful Pentecost. (p52)

[…]このようにして悪意の、聖ならざる聖霊は降りた
 さあ、おまえの恐ろしの聖霊降臨節[ペンテコステ]をはじめようp81/p91

ペンテコステ」とはキリスト教の復活祭(イースター)から7週間後の日曜で、聖霊が降りてきた記念の日のこと。
 訳注解説によれば、使徒ひとりひとりの上に炎のように分かれた舌が現われ、彼らを通し、さまざまな国の言葉で神の教えが語られたという。

 人間を越えた存在の持つ「炎の舌」が真実を語る、というイメージは、The Crying of Lot 49 というこの小説で主人公エディパの強迫観念になっている「真相の到来とその啓示(revelation)」に――たとえばここの後半に書いたようなかたちで――結びついている。

…続き
2004/04/06

その65 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次


 具体的には「その61」からの続き。

 サン・ナルシソの〈タンク劇団〉による『急使の悲劇』(リチャード・ウォーフィンガー作)は、スカムリアとファッジオという隣りあった二国を舞台にした不気味な復讐劇である。
 娯楽作として書かれたらしいので、スカムリア=悪いほうファッジオ=よいほう、とはっきり分かれ、悪いほうがよいほうを乗っ取ろうとして仕掛けた権謀術数と、その両方の宮廷で行われる殺人・拷問が見せ場になっている(よいほうだって拷問するのである)。

あらすじの前に、主な登場人物:

●スカムリア            ○ファッジオ
・悪人公爵アンジェロ       ・善人公爵(故人)
・パスカーレ             ・ニコロ
・フランチェスカ
・エルコーレ             ・ジェンナーロ
・(アンジェロの郵便屋たち)

 ほかに〈テュルーン、タクシス家〉という郵便組織が出てくる。
 これは実在の家名で、15世紀にはヨーロッパ全域をカバーし、郵便の配達を請け負っていた。神聖ローマ帝国公認の郵便事業にまでなっている(→ご参考:公式サイト)。
 劇中ではとりあえず、ドメニコ、ヴィットリオという二人がここで働いている。

簡単な血縁表:

●スカムリア

  悪人公爵アンジェロ
     ┃兄            ○ファッジオ
     ┃妹
  フランチェスカ━━〈不倫〉━━善人公爵━━━┳━━(妻)
        母    ┃       父         ┃母
          子  ┃                 ┃子
           パスカーレ ←〈異母兄弟〉→ ニコロ

劇の背景:
 ファッジオを手中に収めようともくろむスカムリアの悪人公爵アンジェロは、下準備として自分の妹フランチェスカを善人公爵と不倫させ、パスカーレという私生児を生ませておいた。
 やがてアンジェロは善人公爵を巧みな手口で毒殺し、自分の意のままに動く甥のパスカーレがファッジオで幼い王子ニコロの摂政の座につくよう仕向けた。ニコロを殺し、パスカーレに実権を握らせて併合に近づけようというのである。
 で、少年ニコロは爆殺計画に巻き込まれるのだが、アンジェロの配下であるはずのエルコーレがファッジオの廷臣たちとひそかに手を結んでおり、この正統な王位継承者を、周囲には死んだと思わせたまま国外へ逃がすのに成功していた。

 それから10年ほど経ったのが『急使の悲劇』の「現在」になる。

…続き
2004/04/06

その64 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


(1)小説の構成:出来事が配置されている順番
(2)出来事を時系列に沿って並べた順番

 (2)は実在しない、と前回書いた。理由は、小説の中にも流れているようにみえる(2)は、読者が(1)を読んだあとになってはじめて想像されるもので、「小説の中」にはないから、ということだった。

 では、(1)は「小説の中」にあるんだろうか。
 じつは(1)だって、想像されたものではないかと思う。小説に書いてあるままの順番、とは言っても、読者による理解を経て想定されるという点では、(1)も(2)と同じじゃないだろうか。

 どうも、「小説の中」にあるとされているものは、たいてい「小説を読んだ人の頭の中」にあるだけだ、と考えて当たらずとも遠からずな感じである。
 (1)が存在しているのも、「小説の中」ではなく「読者の中」なら、(2)が(1)を素材にした抽象物であるのと同様、(1)も何かの素材に基づいた抽象物ではないかと思う。

 だとすると、その素材、読者の中に(1)をつくるのは何か。
 小説において、「読み取って想像される」のではなく、「読まれる」ものは何なのか。つまり小説の中には何があるのか。

 それで思い至ったのは、小説には「中」なんてないんじゃないか、ということである。ただ紙の上に言葉が、文章が並んでいるだけのもの、それが小説ではないか。

 読者はページの上の言葉を見て、言葉のつながった文章を受け取る。そこから先、目の前の文章がどんな状況をつくるのか想像し、それらの出来事を自分になじみのある時間の順になぞらえてとらえていくという作業は、ぜんぶ、読者の中で行われる。
 小説には、言葉・文章だけが実在している――と思うのだがどうだろう。

 ここまで、まったく当たり前のことをわざわざ書いてきた気もするし(そうならいいなと思っている)、言葉よりも、もっと根っこに小説の素材を求められるのかもしれないという疑いも残っている。
 いっぽう、上記はまるで的外れかもしれず、何らかの理解(抽象化)を伴わずに言葉がそれだけで「ある」と言ってしまっていいのか、わからない。
 とはいえ、「ページの上に文字が印刷されてある」ことくらいは確かだと言いたい気持もあって、ああ、でも文字と言葉では意味合いが違うのか・・・。そもそも自分は、小説とそれ以外の文章表現の差をどう考えているのか・・・。

 というふうに、ここまでの足取りも相当におぼつかないし、これ以上は手に負えそうもないので、そろそろLot 49 に戻りたい。
『急使の悲劇』の開演である。

…続き
2004/04/06

その63 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次


(1)小説の地の文があちこちを編集して読者に提示する筋の順番
(2)小説の中でエディパたちが観たはずの『急使の悲劇』の筋の順番

 前回、こういう区別を考えていた。
 このふたつを小説一般に拡大してみることができると思う。

(1)小説をページ順にめくっていった時に出来事の配置されている順番
   つまり、小説の構成されている順番
(2)それを〈過去→現在→未来〉の時間軸に沿って並べ直した順番
   つまり、物事が起きた本来の順番

 このふたつについて、日ごろの自分はなんとなく、まず(2)があって、そこにいろいろ手が加えられ(構成)、結果的に(1)として提示されている、というふうにとらえているフシがある。
 言い換えれば、「小説の表面にはあらわれていなくても、下とか奥とか、どこかに(2)の順番があり、それに基づいて(1)はできている」と思っているような気がする。

 素朴に考えて、これは順序が逆だろう。

 小説は、ただ(1)の順番で書かれているだけだ。読者が読むのは、あくまで「何らかの作為(または無作為)によって、時系列をさまざまにいじられた出来事の連なり」としての(1)である。
「本来の時間の流れに沿った順番」として想定される(2)は、それこそ、できあがった小説をもとにあとから想定されるだけのもので、「本来」も何も、小説のどこにも書かれていない以上、実在しない。

 時間がいったりきたりする小説を読みながら首をひねり頭をしぼり、メモまで書いて(2)を完成させ、「あ、こうなっていたのか!」とおどろくのは楽しいし、作品を読むのに役に立つこともたまにはあるが、その作業は、時間の流れの再構成ではなく、創造だと思う(もともとないものを構成はできない)。

(もしかすると、小説を書いている作り手の手元には年表のような「本来の」タイムスケジュールがあり、そこからむかしの出来事や先の事件を取り出してより大きな効果を生むように配置し、作品を構成していることもあるのかもしれない。
 だが、だとしても、受け手の前にあるのは作品・小説だけなのだから、「作者のことはどうでもいいじゃないか」と言いたい)

 読者は目に見える具体的な(1)から目に見えない(2)をつくる。(2)は、どうしたって二次的なもの、抽象物である。
 小説の中の世界にも(2)の時間が流れていると考えるのは、誤解というか錯覚だろう。(2)があるのはせいぜい「読者の中」のはずだ。「小説の中」には(1)しかない。

 ところが、いま書いた「小説の中には(1)しかない」というのも、まだ間違いを含んでいる考え方のような気がしてきた。

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2004/04/06

その95 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次


 ジョン・ネファスティスの連絡先をめぐる、エディパとコーテックスの会話の続き。
 She took a chance: "Then the WASTE address isn't good any more." But she'd pronouced it like a word, waste. His face congealed, a mask of distrust. "It's W.A.S.T.E., lady," he told her, "an acronym, not 'waste,' and we had best not go into it any further." (pp69-70)

《エディパは思い切って言う――「じゃWASTEの宛名ではだめなのね」。しかし彼女はそれを一語のように「ウェイスト」と発音してしまった。彼の顔がこわばり、不信の表情だ。「ダブルユー・エー・エス・ティー・イーだよ、奥さん」と彼は言った――「頭文字の組み合わせだよ、『ウェイスト』じゃないよ、こんな話はこれ以上深入りしないでおこう」》pp107-8/p121

 復習する。
 エディパは、少し前にヨーヨーダイン社近くの酒場〈ザ・スコープ〉で、トイレの壁に謎のマークとメッセージ(“カービーにご連絡を。ただしWASTEを通じて。”)を見ていた→その48。いま、社内でそれと同じマークを封筒に描いていたのがこのコーテックスである。
 彼がエディパに気を許し、〈ネファスティス・マシン〉のことを大いに語ってくれたのは、最初に“カービー”の名を出したおかげだっただろう。「その90」の時点ではわからなかったが、コーテックスはあのとき彼女を“通じる人間”だと誤解したのだ。
 ところが、前回見たように、「私書箱五七三」がエディパには通じない。コーテックスとしては、この女は本当に“通じる人間”なのかと――つまり、自分たちの仲間なのかと――疑わしくなってくる。そこにきて、上の言い間違いである。コーテックスの信用を取り戻そうとしたエディパの、痛恨のミスだった。彼は完全に突き放す。
 "I saw it in a ladies' john," she confessed. But Stanley Koteks was no longer about to be sweettalked.
 "Forget it," he advised; opened a book and proceeded to ignore her.

《「じつは、それ、婦人用トイレで見たのよ」と彼女は告白した。しかしスタンレー・コーテックスはもう甘い言葉に乗ってきそうもない。
「そのことは忘れなよ」と彼は忠告して本を開き彼女を無視する態度に出た。》

 正直に白状しても、(もちろん)だめだった。コーテックスとの会話はここで閉じる。それでも、こんなにもきっぱりと彼から拒絶されたことにより、あの輪と三角形と台形でできたマークと「WASTE」なるものに関して秘密を共有する者たちがいるらしいということが、エディパにも読者にも伝わった。

…続き
2004/04/06

その94 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)

前回…] [目次


〈ネファスティス・マシン〉の発明者であるジョン・ネファスティス(←くどい)は、装置を動かすのに必須の"Sensitives"(高感度人間)はなかなかいないと言っているんだ―― そうコーテックスはエディパに語る。
 引き気味のエディパが、会話を切り上げるための方便として「じゃあ、私は"Sensitives"になれるかしら」と口にすると、意外にもコーテックスは「試してみたければ手紙を書けばいい」と応じ、前のめりにネファスティスの連絡先を教えようとする。
私書箱五七三」、というコーテックスの言葉をメモするためにエディパは手帳を開いた。そのページには、「その89」で触れた、あの奇妙なマークと彼女の決意表明、「私は一つの世界を投射すべきか?」(Shall I project a world? )が書き記されていた、という記述はあまりに絶妙であまりにわざとらしく、読み返すたびにほれぼれしてしまう。
 まさにいま、2人の会話に生じるズレから別の世界が浮かびあがるのを、エディパも読者も目撃することになるからだ。
 "In Berkeley."
 "No," his voice gone funny, so that she looked up, too sharply, by which time, carried by a certain momentum of thought, he'd also said, "In San Francisco; there's none--" and by then knew he'd made a mistake. "He's living somewhere along Telegraph," he muttered. "I gave you the wrong address." (p69)

《「バークレー市の私書箱ね」
「いや」という彼の声が変なのでエディパは顔をあげたが、その反応は目立ち過ぎた。そのときには、彼も一種の、思考のはずみがついていて「サン・フランシスコ市の私書箱だ。ないんだよ、その――」と、そこまで言ってから間違いを犯していたことに思い当たる。「テレグラフ通りのどこかに住んでいるんだ」と彼はつぶやく。「さっきの宛名は違っていた」》p107/p120

 このやりとりはわかりにくい。大まかには、2人のあいだに齟齬があったということだが、感度を強化して細かく見る。
 コーテックスは「私書箱五七三」とだけ口にした。エディパとしては、最初にネファスティスの名前が出たとき、彼がバークレーに住んでいると聞いていたから、それは当然、「宛先が“バークレー市の私書箱五七三”ってことね」、と確認している。
 それに対してコーテックスは、会話の勢いがついているため「いや、バークレーじゃなくてサン・フランシスコだよ、だってほら、ないんだから――」とまで言ったところで《間違いを犯していたことに思い当たる》。そして慌てて「私書箱五七三」を取り消した。
 何がないのか、コーテックスは何を間違ったのか。

 おそらく「私書箱五七三」は、通じる者たちのあいだでは、市の名前などを示すほかの情報がなくても、それだけで通用する番号なのではないか。コーテックスはエディパを“通じる人間”だと勘違いして(あるいは、ついうっかりして)その番号を伝えてしまった。
 しかし、実際には“通じる人間”ではなかったエディパは、通常の考え方で宛先を確認しようとした。それでコーテックスは、「そうじゃないだろ、あの番号はあの番号だけ、ほかに余計な情報はないんだからさあ」とまで言ってしまってから、そもそも“通じない人間”にはあの番号を教えてはいけなかったと思い当たり、わざとらしくも「さっき言った私書箱五七三ってのは間違いだったよ、うん」と苦しい言い訳をしたのである。

 そう考えてみてすぐに出てくる疑問は、このコーテックスという男、大企業ヨーヨーダイン社で働いている技師の正体は何なのか、ということだ。エディパの知っているふつうの郵便で使われる宛先とは別の番号で連絡をとることができる、“通じる人間たち”。それはいったい何者なのか。
 エディパにはそこをぜひ突っ込んでほしいが、上の引用に続く会話で、今度は彼女が間違いを犯す。

…続き
2004/04/06

その62 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


 それで『急使の悲劇』だが、話はまだ始まらない。

 この芝居は全部で五幕の構成になっているが、あらすじを説明する地の文は、一幕めの流れを語っている途中で「この出来事について○○は『××』と言ったが、それは第三幕でのことである」みたいな飛躍を平気でする。
 それに加えて、幕間のエディパの行動も挟み込まれるのだから、これをどんなふうにまとめていくのがいいかちょっと考えてしまった。

 もっとも、こんな語り方は特別めずらしいものではない。
 登場人物が演劇を見るシーンになると、その筋がはじめから順に、いっさい中断も省略もなく描かれる小説があったとしたら、きっと退屈だろう(その場合、それはむしろ何らかの狙いをもった手法と受け取られる気がする)。
 それはわかっているのだが、性格上、『急使の悲劇』の筋をいちどきちんと追ってみたい気持があった。
 そこでずいぶん前に、ノートを開いてあらすじをメモしつつ、飛躍してる箇所は本来の場所に戻して、地の文にまとめられている(編集されている)ものではなく、作中でエディパが観たままの筋を再現しようとした。というのも、

(1)小説の地の文があちこちを編集して読者に提示する筋の順番
(2)小説の中でエディパたちが観たはずの『急使の悲劇』の筋の順番

 このふたつのあいだにズレがあるのなら、そこに何かが隠されているかもしれないと勘ぐったからだった。
 そのときのノートがいま部屋のどこを探しても見つからないのだが、それはまあいい。作業を通して得られたのは、「『急使の悲劇』はもともとがこんがらがった芝居なので、地の文がいくらか余計に展開の順序を乱していても、そのせいで生まれるズレにはたいした意味がなさそうだ」、というつまらない感想でしかなかったからである。

 なので、この芝居について書いていくうえでは、ごく単純に地の文が語る通りにまとめていけばいいだろうと今では思っている。ただ、人名と人間関係は複雑なので適宜リストでも作りたい。
 ところが、上記のことをあらためて考えていたせいで(成果はなかったくせに)もっと小さなことが気になってしまった。『急使の悲劇』に入る前に、思いつきのメモをもうすこし続ける。

 結論からいうと、上のように(1)と(2)に分けたのは、この場合はたまたま意味がなかったというより、根本的に間違いだったんじゃないかと思うのだ。

…続き
2004/04/06

その93 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


(再び): ただの空気しかないところから、温度差を作りエネルギーを取り出してしまう〈マックスウェルの悪魔〉。それを組み込んだ永久機関〈ネファスティス・マシン〉を動かすためには、もうひとつ必要なものがあるという。

 人間が、マシンに貼ったマックスウェルの写真をじっと見つめ、箱の中の悪魔と交信すること。

 ちょっと意味がわからないと思う。だがそのようにコーテックスは説明している。エディパはそっとあたりの様子をうかがい、自分を取り巻く世界のほうがどうかしてしまったのではないことを確認している。
all with Yoyodyne was normal. Except right here, where Oedipa Maas, with a thousand other people to choose from, had had to walk uncoerced into the presence of madness. (p69)

《ヨーヨーダイン社は万事が正常である。正常でないのはここ、エディパ・マースが千人もいる中から選りに選って、強制されたわけでもないのに辿りついて狂気と向かい合っているこの場所だけである。》p107/p120

 マックスウェルの悪魔だったら、自分で基準を持って分子を「選り分ける」ことができるのに、主人公エディパの場合は、無意識的に「選ぶ」相手がたいてい正常ではない人間ばかりになってしまう、彼女にはそんな習性がある、とでも言いたいような書きぶりだ。
 そして当のコーテックスが付け足すには、だれでもマックスウェルの悪魔と意思の疎通ができて、〈ネファスティス・マシン〉を動かすことができるというわけではない
 "Only people with the gift. 'Sensitives,' John calls them."

《「資質のあるひとだけさ。『霊能者』ってジョンは呼んでるけど」》

「霊能者」と言われてしまったらはっきりオカルトの領域だが、原語の "Sensitives" であれば、まだもう少しだけ、こちら側に踏みとどまっている気がする。ふつうの人よりも敏感に何かを感じ取る能力を有する人間になら、〈ネファスティス・マシン〉を作動させることができる。少なくとも、発明者ジョン・ネファスティスと支持者コーテックスは、そういう原理を信じているようだ。
 もっとも、この小説でこれまで"sensitiveである"と形容されたことのある人物として思い出されるのは、やはりちょっとどうかした方向に半歩踏み出しかけているエディパの夫、ムーチョ・マースであることからすると、「危ないんじゃないか」という印象はいささかも減ずるものではない。
(小説冒頭近く、「その3」で引用した部分の直前で、ラジオ局の仕事から帰ってきたムーチョが仕事の意義について怒濤のように愚痴り出すと、エディパは"You're too sensitive."「あなた、感じすぎよ」となだめていた)

 そしてまた、そのムーチョから届く手紙の誤植が意味ありげに映って気になったり、酒場のトイレの落書きが何か秘密を隠していると直覚したりといった、周囲の出来事から勝手に啓示の気配を感じ取るエディパ自身の姿もまた、"sensitized"(感度が強化された状態)というふうに語られていたことに思いを致すと、Lot 49 において"sensitive"であるとは、自分で紡いだ妄想の世界にのめり込んだ状態へと限りなく接近していく傾向のことではないかという予感もないではない。
 ムーチョ・・・エディパ・・・〈ネファスティス・マシン〉・・・さらには・・・、とつながっていく"sensitive"の連鎖が大いに気になってきた(sensitized!)が、ここで紹介されたマシンの実物がエディパの前に登場するには、まだもうしばらく待たなくてはならない。

 なお、『逆光(2006)の翻訳者である木原善彦氏のピンチョン論『トマス・ピンチョン 無政府主義的奇跡の宇宙』(2001)では、この〈ネファスティス・マシン〉を鍵としてLot 49 が解読されており、そこでは"Sensitives"は、「高感度人間」と訳されていた(p48)。「霊能力者」よりずっといいと思うのだが、この木原説を紹介するのも、マシンの実物が出てからのほうがいいだろう。
 今ここでは、“James Clerk Maxwell”で画像検索をした結果を上からずっと眺めていくと、じわじわ怖くなってくる、とだけ書き足しておく。

…続き


トマス・ピンチョン―無政府主義的奇跡の宇宙
木原 善彦
京都大学学術出版会
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2004/04/06

その92 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次


 ただの空気しかないところから、温度差を作りエネルギーを取り出してしまう〈マックスウェルの悪魔〉。それを組み込んだ永久機関〈ネファスティス・マシン〉を動かすためには、もうひとつ必要なものがあるという。
 ・・・だがその前に書いておくと、このマシンがすごいのは、熱力学の第二法則を堂々と破っているからだと説明されている。いちおう、少しだけメモ。
(以下のまとめ方には確実に間違いが含まれているので、もっと正しく、かつ簡明な説明が見つかったら、どんどん差し替えたい)


■ 熱力学の第一法則
・エネルギーには様々な種類があり、形態が移り変わっていくことはあっても、全体としての量は常に一定である(エネルギー保存則)
・「ない」ところからエネルギーは取り出せない、無から有は作り出せない

 たしかに学校で習ったおぼえがある。これに比べると第二法則は難しい気がする。


■ 熱力学の第二法則
・持っているエネルギーのすべてを何か意味のある作業に使うことはできず、かならずエネルギーの一部を無駄に捨てなくてはならない
 (この本にあった表現)
・分離の状態は、やがて混合という結果に追い込まれる
 (この本にあった表現)

 ネファスティス・マシンの中では、悪魔が「速い分子」と「遅い分子」を選り分けるだけで熱機関を動かすことができるから、エネルギーが無駄にならず、意味ある作業に使われていることになる。
 それに、「速い分子」と「遅い分子」がごちゃごちゃになっているはじめの状態(混合)から、両者の選り分けられた状態(分離)にすることができるというのは、“分離 → 混合”という、一方通行であるはずの変化に真っ向から逆らっていることになる。
Since the Demon only sat and sorted, you wouldn't have put any real work int the system. So you would be violating the Second Law of Thermodynamics, getting something for nothing, causing perpetual motion. (p68)

《悪魔は坐って選り分けるだけだから、この系に真の仕事を何も加えたことにはならない。ということは、熱力学の第二法則を破って、無から有を生じさせ、永久運動をひきおこしていることになる。》p106/p119

 しかしエディパには、いまひとつそのすごさが伝わっていない。
 "Sorting isn't work?" Oedipa said. "Tell them down at the post office, you'll find yourself in a mailbag headed for Fairbanks, Alaska, without even a FRAGILE sticker going for you."
 "It's mental work," Koteks said, "But not work in the thermodynamic sense." He went on to tell how the Nefastis Machine contained an honest-to-God Maxwell's Demon.

《「選り分けるのは仕事じゃないの?」とエディパは言った。「そんなことを郵便局で言ってごらんなさい。郵便袋に詰めこまれてアラスカのフェアバンク行きよ、〈こわれもの注意〉の貼り紙もつけてはくれないわ」
「それは頭脳労働だけど」とコーテックス――「熱力学的な意味での仕事じゃないんだ」 彼は話を続けて〈ネファスティス・マシン〉に正真正銘の〈マックスウェルの悪魔〉が入っていることを説明した。》

 まだこれだけでは説明は終わらない。あらためて、装置を動かすには、もうひとつ必要なものがあるという。

…続き
2004/04/06

その91 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び (ちくま文庫)

前回…] [目次


 スタンリー・コーテックスは、〈ネファスティス・マシン〉の設計図を取り出して、その原理と働きをエディパに説明する。マシンの実物はこの場にはない。
From a drawer he produced a Xeroxed wad of papers, showing a box with a sketch of a bearded Victorian on its outside, and coming out of the top two pistons attached to a crankshaft and flywheel. (p68)

《引出しからゼロックスで複写した書類の束を出したが、図面には、外側に、顎ひげを生やしたヴィクトリア朝の人物のスケッチのついた箱があり、箱の上部には二つのピストンがクランク軸とはずみ車につながっている。》p105/p118

 説明のほとんどは、エディパとコーテックスの会話を通してではなく、それをまとめた地の文によってなされている。しかし地の文といっても、エディパの理解に寄りそった文章になっているので、マシンの仕組みについて、曖昧なとらえ方、間違った理解が含まれかねないという点には注意が必要になるはずである。
 逆にいえば、エディパの誤解と、それをそのまま受け取ってしまう読者への誤解の伝播をおそれないという意味で、ピンチョンはずいぶん勇気のいる書き方をしていると思う。
 そのような面もあり、小説に描かれた装置の説明をあらためて説明していくのはややこしく、本当は『急使の悲劇』の内容をまとめる(「その61」から21回かかった)のと同じくらい難しい。とはいえ、自分に読めるように読んだ内容をメモするのがこの読書ノートであるから、読めるように読んでメモするだけである。以上は不要な前置きだった。

 それでネファスティス・マシンだが、上の引用にもあるように、基本的には箱の形状をしている。
 箱の中では、たくさんの分子がそれぞれでたらめなスピードででたらめな方向に飛び交っている。こう書くと何か特別な感じがするが、これは箱の外、ふつうの空間とまったく同じ状態である。
 ただし、この箱の内部には、〈マックスウェルの悪魔〉と呼ばれる極小の知的生命体が鎮座ましましている。悪魔は、なにしろ悪魔であるから、自分の周囲を飛び交っている分子を、スピードの「速い分子」と「遅い分子」に選り分ける(sort out)ことができる。
 それがこの悪魔の唯一の能力で、ほかに悪魔らしいことは何もできないのだが、分子の速い/遅いは、エネルギーの多い/少ないの言い換えであるから、悪魔が選り分けを続けていくうちに、速い分子だけが集まった区域(=温度が高い)と、遅い分子だけが集まった区域(=温度が低い)ができることになる。つまり、装置の内部に温度差が生まれる。
 そして温度差さえあれば、それを利用して熱機関を動かすことができる(=箱から突き出たピストンを上下動させることができる)わけである。

 このとき悪魔は、(1)箱の内部にいて、(2)分子を選り分けている。ここが大事なところで、これだけだと、熱力学的には何の仕事もしていないことになるらしい。外部からエネルギーを持ってきているわけでもないのに、ピストンは動き続ける。だからこれは永久機関だ

  ○  ○  ○

 この装置のキモである〈マックスウェルの悪魔〉を考案したのは、実在の科学者、ジェイムズ・クラーク・マックスウェルである。悪魔がどのようにして分子を“選り分ける”のかは、ふつうこのように解説される:

 箱の内部には、真ん中にしきりの壁があって、空間をふたつの部屋に分けている。しきりには、分子だけが通り抜けられる小さな穴と、それを開閉する扉が付いている。
 悪魔はこの扉のそばにぴったり貼りついており、速い分子が左の部屋から右の部屋に入ろうとすると扉を開ける(右から左に入りそうな場合は閉める)。逆に、遅い分子が右の部屋から左の部屋へ入りそうなときも扉を開ける(左から右へ入ろうとする場合は閉める)。
 この開閉を続けていくうちに、右の部屋は速い分子だけが集まって温度が上がり、左の部屋には遅い分子だけが集まって温度が下がる。めでたく温度差が生まれ、エネルギーが取り出される(熱機関が運動する)。

  ○  ○  ○

 当然のことながら、マックスウェルにとって悪魔は仮想上の存在だった。しかし、その悪魔が本当に入っているのが〈ネファスティス・マシン〉で、装置の外側には、このマックスウェルの顔写真が貼ってあるという。繰り返すが、いまエディパが目にしているのは設計図だけで、実物はここにはない。

 まだこれだけでは説明は終わらない。装置を動かすには、もうひとつ必要なものがあるという。

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2004/04/06

その90 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


 エディパは、ヨーヨーダイン社の株主総会に出かけていく。ヨーヨーダインは、ピアスがサン・ナルシソに誘致した巨大企業だった→その20
 ふざけた社歌・愛唱歌が何曲も斉唱されるのを聞いたあと、工場見学ツアーの最中に、エディパはひとりだけはぐれて迷子になってしまう。
 どの方向にどれだけ歩いても、あたりは白っぽい床と壁が続くばかり、蛍光灯に照らされたオフィスで自分の仕事に取り組む技師たちはこちらを見向きもしない。軽いパニックに襲われかけたエディパがしまいに行き当たったのは、まだこの工場で働くほどの歳には見えない、童顔の男だった。
As it turned out he wasn't working, only doodling with a fat felt pencil this sign: (p67)

《じっさい働いてはいなかった。太いフェルト・ペンでこんな印を落書きしているだけだった――》p103/p116

          lot49

ザ・スコープ〉のトイレで目にしたのと同じなのである。
 偶然の一致に打たれたエディパは、あのときマークといっしょに書いてあったメッセージ(“カービーにご連絡を。ただしWASTEを通じて。”)も思い出し、落書きをしていた男に、「カービーに言われて来たんだけど」と嘘をついて声をかける。
 彼の名はスタンリー・コーテックス(Stanley Koteks)。落書きしていた封筒は、素早く引き出しに隠してしまった。エディパは当然、マークのことを訊きたい。でも彼が素直に答えてくれるとは(なぜか)思えない。そのため遠回りなやりとりが続く。

 コーテックスの話では、ヨーヨーダイン社は社員が個人で特許を持つのを禁止している。技術者である彼はそこに不満のようで、チームワークなんかで創造力が発揮されるわけがない、と持論をぶつ。「あんなの、責任を逃れる方策でしかないよ」。
 そしてコーテックスは、こんな時代でも独創性を持っている真の発明家として、バークレーに在住のジョン・ネファステスなる男の名前を口に出し、その彼の手になる発明品〈ネファスティス・マシン〉の話をはじめる。

…続き


 ・・・およそどうでもいい話だが、コーテックスが問題のマークをフェルト・ペンで「落書きしている」引用部分で目にした単語、doodlingという語の見た目があまりに気に入ったので、それをこのブログでの名前にしている。本当にどうでもいい話であった。
2004/04/06

その61 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次


 エディパとメツガーは、『急使の悲劇』という演劇を観に行く。

 二人の本来の目的はピアス・インヴェラリティの遺産を調べて整理することのはずなのに、なんでそんなことをしているのかというと、その前日に湖へ遊びに出かけたとき「湖に沈められた死体・骨」という話を聞き(from ディ・プレッソ)、それがこの劇の内容と似ているという情報を得て(from ザ・パラノイド)、エディパの好奇心が刺激されたからだった。
 湖の骨がピアスの事業と関係があった以上、エディパは彼の遺産に関わりがありそうなものは何でも調べる熱意をもっているとも言えるわけだが、こんなにもやる気に満ちているのは、遺産の執行人として責任感が強いからというよりも、性格的に彼女が「何事によらず、つながりがあるならそれを知りたい」と欲している人間だからだろう。これはこれで熱意であるにせよ、遺産執行人としてはだんだんルートを外れてきている。
(メツガーは弁護士なんだから遺産調査についてエディパより責任があるはずで、だからこそ観劇に乗り気ではない。こっちのほうがまともなのである)

『急使の悲劇』は、サン・ナルシソで活動する〈タンク劇団〉なるグループによって公演中である。オリジナルの作者はリチャード・ウォーフィンガーというステュアート朝時代のイギリス人。ステュアート朝は1603年に始まり、ジェイムズ1世からチャールズ1世と続いて1642年に清教徒革命を引き起こす。この劇作家はシェイクスピア(1564~1616)とだいたい同時代か、少しあとに活動したことになる。

 もともとが小さな劇場なのに、客席は閑散としていた。しかしエディパの見るところ、役者の衣装も照明も凝っているし、ウォーフィンガーの想像力は、執筆当時にはまだ起こっていない革命の前兆となる禍々しい雰囲気を知らずとはらんでいるかのようだった、という。
Oedipa found herself after five minutes sucked utterly into the landscape of evil Richard Wharfinger had fashioned for his 17th-century audiences […] (p49)

《エディパは開演五分後には、邪悪なリチャード・ウォーフィンガーが十七世紀の観客のために作りあげた風景の中に完全に吸いこまれていた。》p78/p87

 そんなわけで、これから数回はエディパと共に『急使の悲劇』の筋を見ていくことになる。

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2004/04/06

その89 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次


 第4章冒頭:
 Though she saw Mike Fallopian again, and did trace the text of The Courier's Tragedy a certain distance, these follow-ups were no more disquieting than other revelations which now seemed to come crowding in exponentially, as if the more she collected the more would come to her, until everything she saw, smelled, dreamed, remembered, would somehow come to be woven into The Tristero. (p64)

《マイク・ファローピアンにはまた会ったし、『急使の悲劇』のテクストをある程度までたどりもしたが、こういう追跡調査が胸騒ぎさせるのは、ほかの啓示と同程度で、数々の啓示がいまや指数関数的に殺到し、集めれば集めるほど多くのものがやってくるという感じになり、ついには見るもの、嗅ぐもの、夢みるもの、思い出すもの、一つとしてどこかで〈ザ・トライステロ〉に織りこまれないものはなくなってしまった。》p99/p111

 第3章の冒頭に較べると、この書き出しには、あれほどの強引さは感じない。小説がレールに乗って、あるいはレールに乗ったことにされて、動き出している。何が語られているかといえば、エディパの探求である。
 そんなことしたって意味はないよ、とドリブレットから釘を刺された探求を彼女は進める、すると啓示が次々に到来し、あらゆる事物と現象がトライステロなるものを形成するするようになっていった、と、この冒頭は一息に語る。何もかも「トライステロに織りこまれる」(come to be woven into The Tristero)という言い方が、レメディオス・バロの「大地のマントを織りつむぐ」を踏まえていることもまちがいない。
 ――こう書いてみて、「やっぱり、この書き出しも強引じゃないか」と考え直した。圧縮することにより、文章を速くする。その速度で一気に「こういうことになった」まで駆け抜けるので、読む側では「そういうことになったのか」と受け入れるしかない。こちらとしても、はやく先に進みたいという気持でいることが(だれだってそうだろう)、小説の側からうまく利用されている感じだ。

 ドリブレットからの注意はエディパの好奇心を止めはしない。逆だった。彼の言ったことを彼女なりに咀嚼した結果が、本格的な探求のスタートだったのである。
  For one thing, she read over the will more closely. If it was really Pierce's attempt to leave an organized something behind after his own annihilation, then it was part of her duty, wasn't it, to bestow life on what had persisted, to try to be what Driblette was, the dark machine in the center of the planetarium, to bring the estate into pulsing stelliferous Meaning, all in a soaring dome around her?

《とりあえずエディパは遺言状をもっと綿密に読み返してみた。みずからが消滅したのち何か組織化されたものを残すというのが本当にピアスの意図したことだとすれば、残存しているものに命を与えること、ドリブレットと同じようなものになろうとすること、プラネタリウムのまんなかの黒い機械になって、ピカピカと脈動する星座のような〈意味〉に遺産を変えてしまうこと、自分を包んでそびえるドームの中のあらゆるものを扱うことこそ自分の義務の一部ではないか。》

 ドリブレットと同じように、プラネタリウムの映写機になってみよう。ピアスの遺産にまつわる物事のあいだに何かつながりがあるならば、そのつながりを示す手掛かりを拾いに行く。しかしそれだけでは死んだ証拠を寄せ集めることにしかならないから、それに自分で意味を充填してみよう。おそらく、そこまでしてはじめて、ピアスが残した(かもしれない)ものが、「何か組織化されたもの」(an organized something)としてあらわれる。

 エディパがめざす方向は、このようなものだ。なぜか、あれだけ「よしておきなよ」と言っていたドリブレットに背中を押してもらった格好である。そしてこの部分の書かれ方が、“あらかじめ隠されてある何かを、エディパがあとから発見する”、というかたちではなく、“エディパの積極的な関与によって、はじめて「隠された何か」が生まれ、発見が成立する”という、この小説の事情を示していると思う。そこには、“発見からさかのぼって、それに先立つ探求が事後的に構成される”様子も含まれるだろう。

 エディパのやろうとしていることは、夜空に点在する星を見つけるだけでなく、見つけた星を線でつないで星座を創ることに似ている。星は実在する。線は自分で引くものだ。そして星にしたって、見つけられるのは自分の目で見えるぶんだけである。
 彼女は手帳を開き、以前〈ザ・スコープ〉という酒場のトイレで写した謎のマーク→その48の下に、こう書き記す。
Shall I project a world?

《「私は一つの世界を投射すべきか?」》

 いちおうは疑問形であるものの、すでにエディパは歩き出している。彼女は一つの世界を投射するつもりだ。つまりこの小説で、“探求-発見”は、“創造”に近くなる。ここにはっきり、エディパの筆跡で、そう書いてある。

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2004/04/06

その60 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


 湖に沈められた、一個中隊の死体。〈ザ・パラノイド〉の少年少女は、この話が『急使の悲劇』という演劇に似ている、と言い出した。

 自分で喋っておきながら「盗み聞きしてたな」と怒り出すディ・プレッソだったが、彼を追っていたマフィアたちが湖をモーターボートでやってくるのを見て「おれは逃げる」と言い残し、ひとりボートに戻り大慌てで島を去る。
 唐突に現われたディ・プレッソ、湖と骨の情報を伝えて唐突に退場である。

 そんなわけで、エディパとメツガー、〈ザ・パラノイド〉たちは、島に置き去りにされてしまった。日が暮れて自警団が助けに来てくれるまで、彼らはマリファナ煙草を吸いながら歌をうたったりして過ごす。〈ザ・パラノイド〉のスタンダードはマリファナで、どんなフィルターであれ、ふつうの煙草は吸わないんだそうである。子供のくせに、というか何というか。

 それはともかく、気になるのは『急使の悲劇』のことである。
[…] and hearing the plot of The Courier's Tragedy, by Richard Wharfinger, related near to unintelligible by eight memories unlooping progressively into regions as strange to map as their rising coils and clouds of pot smoke. It got so confusing that next day Oedipa decided to go see the play itself, and even conned Metzger into taking her. (p49)

[…]『急使の悲劇』の筋を聞いたりしていた。それはリチャード・ウォーフィンガーの作品なのだが、八人の記憶によって語られるうちに、次第に輪がほどけてしまい、彼らが吸っているマリファナの煙の、立ちのぼって行く輪や雲と同じように、とらえどころのないものになり、意味不明というに近いものになってしまった。その筋があまりに混乱したので、次の日エディパはその芝居を見に行くことにし、メツガーを説き伏せて、連れていってもらう手はずをととのえた。》p77/pp86-7

 翌日、エディパは興味津々で、メツガーは嫌々ながら、劇場に赴く。
 しかし実際に観劇しても、劇の筋はかなり込み入っており、それ以上に、筋を伝える地の文の語りは「あまりに混乱」しているのだった。

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