2004/04/05

その59 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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 第二次大戦中の1943年、イタリアにある〈憐れみの湖[ラーゴ・ディ・ビエタ]〉で、アメリカ軍の中隊がひとつ、全滅した。
 彼らが追いつめられた湖の岸辺には絶壁がそびえ立ち、その上からドイツ軍が激しい銃撃を浴びせる。通信は届かず、援軍はない。敵の爆撃機までが掃射に飛んでくるし、湖は凍るように冷たかった。逃げ場のないアメリカ兵は、それでも数週間ほど粘ったというが、
But they died, everyone, dumbly, without a trace or a word. (p47)

《しかし、彼らは死んでしまった。一人のこらず、黙って、何の跡もなく、何の言葉も残さずに。》p74/p83

 ドイツ軍は彼らの死体と装備のすべてを湖の底に沈めた。

 この時、ドイツ軍のイタリア部隊としてその場にいたのがトニー・ジャガーで、戦争が終わったのちの50年代になってから、仲間と共に骨を引き揚げることになる。
 動機は複雑で、〈憐れみの湖〉を訪れるアメリカ人観光客の関心を引こうとしたとか、そのころ本土で死者崇拝熱が高まりつつあったとか、政府が死体の回収されない戦死者に注意を向けるかもしれないという期待だとか、種々の思惑からトニー・ジャガーはこの骨が「売れる」と判断、〈コーサ・ノストラ〉を通し、人骨をアメリカに運び出した。
 結局、骨はしばらくのあいだ肥料会社の倉庫に眠っていたのだが、そこに煙草会社が目をつけて、フィルター用に買い取ったらしい。

 遺産を管理するメツガーに言わせると、ピアスが株を所有していたのは煙草会社そのものではなく、フィルターの開発会社なので、人骨への支払いに責任はない。しかし弁護士ふたりの議論が始まる前に、〈ザ・パラノイド〉の連中が後ろから口を挟む。
“this all has a most bizarre resemblance to that ill, ill Jacobean revenge play we went to last week.”
The Courier's Tragedy,” said Miles, “she's right. The same kind of kinky thing, you know. Bones of lost battalion in lake, fished up, turned into charcoal--” (p48)

《「いまの話、先週見に行った、あの、十七世紀はじめの、ビョーキのビョーキの復讐劇に気味の悪いほど似ていない?」
「『急使の悲劇』か」とマイルズが言った――「そのとおり。同じように異常だよな。消えた軍隊の骨が湖に沈んでいるのを引き揚げて、炭にして――」》p76/p85

 こうしてまた、ひとつの話から別の話へと、つながりが発見される。

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2004/04/05

その58 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

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 ボートが動き出す直前、グレーのスーツとサングラスを身につけた男二人が遠くからディ・プレッソを見つけて向かってくる。間一髪、ディ・プレッソを乗せたボートが岸を離れる頃には、追手の数はさらに増えている。これは映画の撮影ではない。
 彼は事情を説明する。実はここでもピアス・インヴェラリティに結びつく出来事が起こっていた。

 弁護士から俳優になったはずのディ・プレッソは、最近また弁護士の仕事も再開し、トニー・ジャガーなる人物の依頼を受けていた。この男は、〈コーサ・ノストラ〉というイタリア系のマフィア型犯罪組織の大物である。
 ピアスが関係していた煙草会社は、フィルターに高級な骨炭を使用していた→その28。その原料になる骨を提供したのは〈コーサ・ノストラ〉だったのに、ピアスは代金を支払わなかったとしてトニー・ジャガーは訴訟を起こす。
 ディ・プレッソはこのマフィア側の弁護士だったのだが、裁判の雲行きがあやしくなったので逃げ出したという。つまり依頼人に追われているのだ。エディパはあきれる。

 話の途中でボートは湖中央の小島に着いた。日のあたるホールの屋上に毛布を広げて酒を飲みながら、大人3人の情報交換は続き、〈ザ・パラノイド〉の子供たちは子供たちで遊んでいる。
 メツガーの明かすところによれば、フィルターの骨炭は人骨から作られている。高速道路の建設会社が、取り壊した墓地から集めた骨を売りつけるのがどうやら一般的であるらしい。
 ただし、〈コーサ・ノストラ〉のルートは別だった。
 彼らはイタリアにある湖から大量の人骨を引き揚げて、アメリカに持ち込んだ。いまエディパたちのいる湖の底に、ダイバーの目を楽しませる小道具として沈められている骨もじつはその一部なのだとディ・プレッソは語る。

 では、そもそも、そのイタリアの人骨は何なのか。だれの骨で、どうしてそこにあったのか。話は20年ばかり過去にさかのぼる。

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2004/04/05

その57 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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 やたらと〈トライステロ〉なるもののイメージを盛り上げ、その登場は演芸のようで、はじまりは歴然としていた――とする地の文。ではそれはどのような登場だったのか。
 読んでみると、お世辞にも「歴然と」はしていないと思うのだがどうか。

 生前のピアス・インヴェラリティがよその州でしていた事業について法的な事務手続きがなされるのを待つあいだ、エディパとメツガーは、マイルズはじめ〈ザ・パラノイド〉の少年たち、および彼らのガールフレンド数名と連れ立ってピクニックへ出かける。
 目的地は〈ファンゴーソ礁湖〉といって、ピアスが亡くなるまえ最後に開発していた造成地である。「礁湖」という言葉は見慣れないが、環礁に囲まれた海面、でいいようだ。
 車を走らせながら、エディパは海のことを考える。人間が海べりで何をしても、太平洋は汚されず完全なものとしてある、とか、人間の行う開発に対して海は救済になる、みたいなことを彼女は信じているらしい。

 それはともかく、到着した湖は「インヴェラリティ湖」と名付けられている。その真ん中には円形の島があって、ホールが建っている。湖の底には、円柱や壁の破片やガリオン船、本物の人骨、貝殻などがダイバーを楽しませるために沈められているのだと、かつてメツガーが説明していた→その26。これは人工の湖なのだ。
 車から降りたエディパたちは、食べ物や飲み物を入れたバスケットを手に湖岸を歩く。〈ザ・パラノイド〉の面々が桟橋につながれているボートを盗もうと提案し、さっそく一台のモーターを回した瞬間、別のボートの中から青いポリエチレンの防水シートをかぶった人物が立ち上がり、発した言葉は「ベイビー・イゴール、助けてくれ」。
 子役をしていた頃の芸名→その22で呼びかけられたメツガーは、嬉しくなさそうに答える。「マニー・ディ・プレッソじゃないか」。

 この名前は、やはりモーテルの場面で一度出ている→その27。メツガーの友人で、子役から弁護士になった彼とは反対に、弁護士から役者に転身したという男だ。
「見張られている」と言うディ・プレッソはこちらにやってきて、今まさに盗もうとしていたボートへいっしょに乗りこむ。また厄介そうな人間が増えてしまった。

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2004/04/05

その56 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

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〈トライステロ〉はまだ登場していない、ということを何度でも強調したい。

 まだ登場していない、つまり実体のないものをこんなに思わせぶりに予告して不吉なイメージで描くのは、相当奇妙な書き方にみえる。実体よりもイメージが先行して小説の中に現われているのだ。

 しかし落ち着いて考えると、予告だろうがイメージだろうが、〈トライステロ〉という言葉が記されている以上、まさにここで〈トライステロ〉なる存在が生まれていると見ることもできる。
 だいたい、すべてが言葉でつくられる小説という虚構において、実体を示す文章とイメージだけを示す文章とで、どれほどのちがいがあるだろう。
 そうすると、この〈トライステロ〉の書かれ方は、奇妙でもなんでもない当たり前のものになる。

〈トライステロ〉という名前が置かれた瞬間から、〈トライステロ〉は存在を始めている、という説明がもし意味ありげに見えるとしたら、それはたんにこの書き方がものものしくなってしまっているからでしかなくて、本当は平凡なことだ。
 エディパにしても、ページの上に「エディパ」という名前が置かれた瞬間、このキャラクターが存在を始めているのと同じことだと考えれば、どこまでもふつうの現象のはずである。
「あらかじめ存在しているものを、言葉が記述する」だけでなく、「ものは言葉によって書かれることで存在を始める」とする考え方はべつに珍しくない。それに何より小説では、言葉で書かれるより前から「あらかじめ存在」しているものなんか、ない。
 まだ実体のない何かを、あるイメージを生む言葉の連なりで、つまり文章で、描く。すると、そのようなイメージを持つものとして、その何かが小説の中に(読者の中に?)定着する。

〈トライステロ〉が徐々に姿を見せてくるのは、舞台上の演芸(performance)になぞらえられていた。踊り子が服を脱ぐようにして――というイメージを伝える文章は、それじたいが〈トライステロ〉の存在を生む、文章のパフォーマンスである。
 これからも〈トライステロ〉をめぐる文章は地の文に数多く登場し、噂が語られ、少しずつ「どうやらこういうものらしい」という像がエディパのなかで結ばれる。
 では、その実体はいつ現れるのか
 そこを読みとるのがLot 49 を読むことである。だからこれからも、〈トライステロ〉という語が出るたびに、細かくしつこく引用しながら観察しようと思う。
The beginning of that performance was clear enough. (p40)

《その演芸のはじまりは歴然としていた。》p65/p72

ということで、話は続く。

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2004/04/05

その55 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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 前回、長々と引用した、「こうやって〈トライステロ〉は現われてきた」とする語り口を見る。

 エディパが観客になった「演芸」の舞台で、踊り子が特別サービスで衣装を順に取り去り、次第に「凄まじい裸身」をあらわにする、そんなふうにして正体を明かしはじめた〈トライステロ〉は、そのままそっと去って行くのか、それとも、
《ぎらぎらした目をエディパに据え、微笑は悪意に満ちた、非情なものとなり、人のいなくなった席の列に一人座っている彼女に向かって、およそ聞きたいと思わないような言葉を発しはじめるのだろうか?》pp64-5/p72

 何度も繰り返すが、ここまで、〈トライステロ〉が何なのかわかるよう書かれた部分はひとつもない。「これから現われるもの」として予告されただけだ→その40。この文章も同様に、まだ見ぬ〈トライステロ〉がどんなものかを思わせぶりに示すだけである。

 喩えとしてストリッパーのイメージが使われているのは、酔っ払ったエディパとメツガーがしていたストリップごっこからつながっている→その31
 もっとさかのぼれば、そこのモーテルにあったニンフ像のまとっている衣装が送風装置でめくれあがり、体があらわになるのを「reveal」という言葉で描いていた(→その20のも、ここにある《〈ザ・トライステロ〉がその凄まじい裸身となって正体を示す(The Tristero could be revealed in its terrible nakedness)》という表現に類似している。

「revelation(啓示)」は、探求の末に見つけ出されるはずのものとして設定されるいっぽうで、突然あちらから訪れてくるものとしても説明されていた→その19
 エディパが聞きたいと願いながらまだ聞こえない声、神の御言葉、それが「啓示」であるとするならば、いまここで、〈トライステロ〉がもたらすことになるのかもしれないとほのめかされる「言葉」、それこそが彼女の求めるものになるのだが、そこのところのイメージは、いつのまにか不穏なものに成り変わっている。
《彼女に向かって、およそ聞きたいと思わないような言葉を発しはじめるのだろうか?》

 知らないほうがいい真実、そんなものがこれからエディパを襲うことになる――と、疑問形であってもこの文章ははっきり告げている。そして、それを媒介するのが〈トライステロ〉だということになるだろう。
 でも、それは何なのだ。

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2004/04/05

その54 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

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So began, for Oedipa, the languid, sinister blooming of The Tristero. Or rather, her attendance at some unique performance, prolonged as if it were the last of the night, something a little extra for whoever'd stayed this late. As if the breakaway gowns, net bras, jeweled garters and G-strings of historical figuration that would fall away were layered dense as Oedipa's own street clothes in that game with Metzger in front of the Baby Igor movie; as if a plunge toward dawn indefinite black hours long would indeed be necessary before The Tristero could be revealed in its terrible nakedness. Would its smile, then, be coy, and would it flirt away harmlessly backstage, say good night with a Bourbon Street bow and leave her in peace? Or would it instead, the dance ended, come back down the runway, its luminous stare locked to Oedipa's, smile gone malign and pitiless; bend to her alone among the desolate rows of seats and begin to speak words she never wanted to hear? (p39-40)

《このようにして、エディパにとって、〈ザ・トライステロ〉はゆっくりと不吉に花ひらきはじめた。いや、むしろ、エディパがどこかのユニークな演芸を見に行って、それがその夜の最終公演かと思われるほどに長引き、そんな遅い時間まで残っている客のために、ちょっとばかり特別サービスをしてくれたようなものだと言おう。まるで紐を一つ引っぱれば分解して落ちるガウン、網目のブラジャー、宝石をちりばめたガーター、バタフライなど、人間の形をした「歴史」が身につけた、たちまち落ちるような品々は厚く層をなしていて、あの、ベイビー・イゴール映画の前でメツガーとやったゲームの、エディパが着ていた数々の衣裳のようなのだ。まるで暁をめがけて飛びこむようなもの、〈ザ・トライステロ〉がその凄まじい裸身となって正体を示すまでには、いつ明けるとも知れぬ暗闇の時間が必要だというふうである。正体をあらわしたとき、害をなすことなく、たわむれながら舞台裏へ引っこんで行き、ニュー・オーリンズのフレンチ・クォーター、バーボン通りふうのお辞儀をして「おやすみなさい」と、エディパをそっと、そのままにして消えるだろうか? それとも、そうならないで、踊りが終わると、花道を戻ってきて、ぎらぎらした目をエディパに据え、微笑は悪意に満ちた、非情なものとなり、人のいなくなった席の列に一人座っている彼女に向かって、およそ聞きたいと思わないような言葉を発しはじめるのだろうか?》pp64-5/pp71-2

 この文章は何を書いているのだろうか?

〈トライステロ〉という言葉そのものは、以前、「その41」から「その43」までで見た、第3章の冒頭で初登場していた。上記の引用部分が本書2回めの登場である。1回めもいきなりだったが、今度もいきなりだ。
 ここまで何の説明もなかったにもかかわらず、
《このようにして、エディパにとって、〈ザ・トライステロ〉はゆっくりと不吉に花ひらきはじめた。》

ということは、第3章の冒頭からここまでのあいだに〈トライステロ〉について何らかの情報が出ていたことになる。こう書かれてあったら、そう受け取るしかない。
 そしてここまでに出てきた何らかの組織についての情報は、

・〈ピーター・ピングイッド協会〉
・落書きで示される「WASTE

 このふたつしかない。
 では、上に長々と引用した文章は、このどちらかが、あるいは両方が、きっとこのあと出てくるのだろう〈トライステロ〉につながるという、いわば予告の文章なのだろうか。
 しかし3章冒頭と同様、ここでも、この文章じたいがゴテゴテと凝った書き方をされており、この凝り方によって、さらに多くのことをこちらに伝えてくるように見えるのである。

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2004/04/05

その53 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次


 前回まで〈ザ・スコープ〉というバーのシーンだった。
 ここでエディパは、ファローピアンたち〈ピーター・ピングイッド協会(PPS)〉という組織が、政府の正規ルートを介さない郵便で通信を行っているのを見た→その49。その合間に彼女は、女子トイレで謎のマークと「WASTE」という言葉も目にしている→その48
カービーにご連絡を。ただしWASTEを通じて。p61/p68

 このメッセージから推測すると、「WASTE」というのも何らかの通信機関や通信手段ではないかという気がする。
 ただし、ファローピアンはこの「WASTE」について何も言及していないし、本文にも、これとPPSとの関係(あるいは無関係)を示すような文章は一切なかった。
〈ザ・スコープ〉はPPSの会員であるヨーヨーダイン工場員のたまり場なのだが、この落書きにファローピアンたちが気付いているのかは不明である。もちろん、PPSのだれかがこれを書いた可能性もある。

 そこから章が変わるわけでもなく、1行分の空白が開くわけでもなく、ただふつうの改行をしただけで、このLot 49 という小説は、不思議な語りを繰り出してくる。第3章の冒頭と同じくらい「仕掛けてきた」感の強いその文章をここに引用したいが、それは非常に長いので、次回にまわすことにする。

 そうだ、この読書ノートは、いつのまにか50回を越えていたのだった。

 はじめた頃は「タイトルが“49”だからちょうど49回で終わったらきれいだろうな」と小賢しく計算していたのだが、いまだに原書で全152ページ中の39ページまでしか進んでいないのだから、自分の性格をまったくわかっていなかったとしか言いようがない(訳書だと229ページ中の64ページまで)。
 内容はともかく、更新それじたいを生存確認としてお使いください。

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2004/04/05

その52 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


 ところで、〈ザ・スコープ〉のシーンが始まるときにも、このバーを見つけたのはムーチョから手紙が来たのと同じ日だったかもしれない、などと曖昧な書かれ方がされていた→その45
 できることなら小説内の出来事すべてを起きた時間順に並べ直した一覧表を作ってみたい自分としては、「わざと時系列がわからなくなるようにこんな書き方がされているんだ」と考えるが、店内のシーンが終わるときにもまた、《もっとも、この夜は、そこまで彼女に対して押し進めたことは言わなかったが》と、時間を確定できなくする書き方がされていたことになる。
 このバーは小説の時間を乱す場所なのか。たしかに、酒で時間を乱している人はよく見るけれども。

■ 思いつきをもうひとつ:

〈協会〉の通信活動の背景をなす私設郵便史を研究していることから考えると、エディパたちに気さくに話しかけてきたファローピアンという男は、意外と〈協会〉の中心にいる人物なのかもしれない(そうではないかもしれない。書いていない)。

■ もうひとつ:

 前々回にもリンクを貼った、合衆国郵便のサイトにある歴史のページを眺めていたら、「郵便の再編」というトピックが目についた。もちろん、小説にあった事業の独占化なんてものではなく、南北戦争から100年あまりあとにあった構造改革である。
 その結果、アメリカの「Post Office Department(郵政省)」は1971年に廃止されて、「United States Postal Service(米国郵政公社)」になったという(訳語は辞書から引き写し)
 Lot 49 の出版は1966年だから、小説のなかで「米国の郵便」「政府の郵便」「正規の郵便」とされているのは前者だった。21世紀のいまとは、組織がちがうのだ。
(原書ではたしか「Post Office Department」なんて表記はなしに「US mail」などと書かれていた気がするが、あまり自信はない)

 さっきのページの前段を見て、1971年の大きな改革に至る動きが始まったのがやはり1966年だったというところに勝手な「符合」を見てよろこぶような人間が書いているのだから、このピンチョン読書ノートはほんとうに信用できるものではないと思う。

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2004/04/05

その51 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次


「権力」「抑圧」「対抗」と、ファローピアンの説明した内容はかなりストレートだが、この説明の示され方にはいくらかのひねりが加えられている。前回引いた部分を含めて、そのひねられ具合を見ておきたい。
He saw it all as a parable of power, its feeding, growth and systematic abuse, though he didn't go into it that far with her, that particular night. (p39)

[ファローピアンは主張する、]それはすべて権力の譬えばなしなのだ、権力が授乳期、成長期を経て組織的濫用にいたるという譬えばなしだと。もっとも、この夜は、そこまで彼女に対して押し進めたことは言わなかったが。》p63/p71

 ということは、読者に伝えられたファローピアンの主張(前回まとめた内容)を、エディパは彼にはじめて会ったこの時点ではまだ知らないのである。
 この晩彼女の記憶に残ったのは、彼の体型とか整った鼻の形とか、そんなことでしかなかった、といって〈ザ・スコープ〉のシーンは終わる。

「作中で示されたこと」と、「作中人物であるエディパが知っていること」に、ずいぶん開きがある、とはこれまでも何度か書いたことだが、繰り返すと、このLot 49 では、エディパと地の文のあいだにあるズレ(どんな小説にだってあるはずのズレ)が、しきりに強調されているように見える。
 言い換えると、作中人物とは別の次元にある「語り」の自己主張が激しいのだ。

「作中で示されたこと=小説が語っていること=書いてあること」をぜんぶ読む読者のわれわれは、それらの情報の限られた一部分しか知らない作中人物・エディパと同じところには立っていない。
 引用部分から、読者はファローピアンの唱えるところの被抑圧史観を知り、同時に、「エディパはこの考え方をまだ知らないんだな、すると彼女はこの後また彼に会って話をし、そのうち教えられるんだな」というふうにズレを意識させられる。
 しかし、「書いてあること」をなるべく取りこぼさないように追いかけながら、並行して「エディパの知っていること/知らないこと」を分類しつつ読み進めるのは、なかなか難しい。そんなことは無理なんじゃないかという気もする。
 なぜなら、「ページの上に書いてあってエディパも知っていること」も「ページの上に書いてはあるけどエディパはまだ知らないこと」も、どちらも等しく文章で書かれている以上、エディパならざる読者は、書かれてあることは、書かれてある順に、なんでも受け取ってしまうものだから。

 ファローピアンの説をエディパはこの夜ではなくいつ知ったのか、それはおそらくどうでもいい。《もっとも、この夜は、そこまで彼女に対して押し進めたことは言わなかったが。》という断り書きがここに付け足されている理由は、ズレの強調以外にはないように思う。

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2004/04/05

その50 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

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 そもそもファローピアンは、合衆国における私設郵便の歴史を調べているアマチュア学者なのだった。それについての本まで執筆中だという彼は、エディパとメツガーに簡単なレクチャーをしてくれる。
 まずはこうだ――南北戦争と郵便制度の改革には、つながりがある。

 政府は19世紀の中頃から法律の制定を繰り返し、それまで独自に展開していた多くの私設郵便、つまり民間の郵便組織を破綻に追い込んだ。
「政府」とは、もちろんその後の南北戦争における北部連邦政府で、1861年に南部との戦いが始まると、私設郵便に対する抑圧はいっそう激しさを増したという。
 これはただの偶然ではない、とファローピアンは言う。合衆国を再編する流れのなか、郵便を独占事業にしようともくろんだ政府が、「改革」の名のもとで私設郵便を潰しにかかったのだ。
He saw it all as a parable of power, its feeding, growth and systematic abuse[…] (p39)

《それはすべて権力の譬えばなしなのだ、権力が授乳期、成長期を経て組織的濫用にいたるという譬えばなしだと。》p63/p71

 あるとき突然「違法」とされた私設郵便を、権力から一方的な抑圧を受ける側の典型としてとらえる。虐げられる彼らの歴史は、裏返せば、虐げる権力の歴史である。だからこそ、いま〈協会〉の行っている「合衆国郵便を使わない手紙のやり取り」が、政府への対抗活動になるのだ。

 とはいえ、ピーター・ピングイッドにまつわる史実についても微妙に間違っていた→その46ように、注釈書によれば、この「抑圧の歴史」も大づかみすぎて正確ではないということになる。
 しかしながら、政府による改革が必然的に私設組織の抑圧を伴ったという基本図式に間違いがない以上、〈協会〉のやっていることは(実効性はともかく)意義があるように見えなくもない。

 そう考えてみると、いまさっき行ってみた合衆国郵便のサイトにある、「郵便の歴史」――当然、抑圧についてはひと言もなしに改革を語る、政府の側から見た歴史――が、うしろで暴虐をふるいながらおもて向きはもっともらしい顔をしている「権力」に見えてくるのだから、なんというか、自分はあまりにも人の影響を受けやすいと思った。こういう人間がいちばん危ない。何の話だ。

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