2004/04/04

休憩

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回:「その67」へ


 トマス・ピンチョンのThe Crying of Lot 49 を、翻訳とつき合わせてなるべく細かく読んでみよう。せっかくだから、その過程をなるべく細かく文章にしてみよう。
 ずっと前にそんな動機から始めたこの読書日記は、“しつこいのに、根気がない”という性格のため、「その67」、小説の第3章で主人公たちが演劇を観ている最中という、えらい中途半端なところで中断してから何年も放置していましたが、それは“根気がないのに、しつこい”ということでもあるので、再開することにしました。
             →これまでの「目次

 きっかけは、2011年7月末に、新潮社「トマス・ピンチョン全小説」の1巻としてLot 49 の新訳『競売ナンバー49の叫び』が出ることです。
(*6月刊の予定だったのが1ヶ月延期になったそうです)

 原書をめくりながらとはいえ、志村正雄訳の『競売ナンバー49の叫び』にべったり依存しているこの読書日記は、佐藤良明さんの手になる新訳が出たあとでは、再開するタイミングが二度となくなってしまうのではないか。それは明らかに一方的な気のせい、あるいは思い込みの類ですが、せっかくそのような「なにか、もったいない」気分になったことは確かなので、この、ウサギとカメの故事でいえば「カメが昼寝した」ような読書ノートの続きを書いてみます。

 中断してから今日までのあいだにあった変化:

(1)筑摩書房の志村訳『競売』が、ちくま文庫に入った

 この読書日記では、西武新宿線新井薬師駅近くの古本屋で買った、黄ばんだ表紙の単行本をずっと使ってきたのでこれからも使い続けますが、文庫に入った以上、あたらしく単行本を買って読む人はほとんどいなくなるはず。なので、引用する際、以後は単行本版と文庫版のページ数を並記します。

(2)注釈書に新版が出た

 ときどき参照していた注釈書、A Companion to The Crying of Lot 49 に、増補を加えた第2版が出ていた(→これ)。思わず買いましたが、どれくらい使うかはわかりません。前より表紙がかっこよくなったのはまちがいない。
 いや、そんなことよりも、

(3)ネットで得られる情報が、莫大に増えた

 なにしろ中断前は、ウィキペディアも、ピンチョンWiki内のLot 49 ページもなかった(たぶん)。きりがないので、ほどほどに見ます。

 書いている当人以外にはどうでもいいことですが、「その67」までのぶんは、今のこのFC2ブログではなく、1回の文字数に1000字の制限があった、別のウェブ日記を使っていました(このブログを始めるときにぜんぶ移した)。
 これから先の再開分は、文字数制限がないだけに以前より引用が増え、いっそう長くなる、という変化が起こるのじゃないかとおそれています。

 更新は日付に従わず、何回分かまとめて過去ログに追加するかたちにしようかと考えています(たぶんツイッターでお知らせ)。
 はたして、新訳の刊行までにどこまで進むのか。最後まで終わるとはどうにも思えず、では、終わらなかったら新訳に乗り換えるのか。さっぱりわからないまま、この文章を書きました。
2011年5月5日記

 →続き:「その68」へ


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2004/04/04

その49 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次


 トイレの壁で「WASTE」という謎の言葉と謎のマークに出遭ったエディパが席に戻ってみると、郵便配達夫から手紙を受け取っていたファローピアンが決まりの悪そうな顔をしている。手にした封筒には、合衆国郵便の消印の代わりに「PPS」というスタンプが押されていて、〈ピーター・ピングイッド協会 the Peter Pinguid Society〉の略称なのがわかる。「まずいところを見られてしまったなあ」。
“Of course,” said Metzger. “Delivering the mail is a government monopoly. You would be opposed to that.”
Fallopian gave them a wry smile. “It's not as rebellious as it looks. We use Yoyodyne's inter-office delivery. On the sly.[…](p38)

《「そりゃそうだ」とメツガー。「郵便の配達は政府の独占事業だもの。きみたちは、それに反対することになる」
 ファローピアンは二人に向かって苦笑した。「みかけほど反抗的なものじゃないんです。ヨーヨーダインの社内便を利用しているんですよ。こっそりとね。[…]」》p62/p69

 これが〈協会〉の活動だった。つまり、私設郵便である。
 産業資本主義の権化であるような巨大企業・ヨーヨーダイン社の社内便を悪用し、勝手に郵便をやり取りすることで、政府の郵便制度を侵犯してしまう。ささやかながら、これは反体制的活動なのだ。
 ここサン・ナルシソ支部をモデルにして〈協会〉の各地支部で活動が展開されていくらしいが、そのくせファローピアンは言い訳がましい。なぜか。
 理由はある。いま現在、この仕組みを使ってどのような通信が行われているのかというと、利用の大半を占めるのはべつだんテロ計画でも政府を窮地に追い込む機密の漏洩でもなく、「お元気ですか?」程度のどうでもいい連絡なのである。
“To keep it up to some kind of a reasonable volume, each member has to send at least one letter a week through the Yoyodyne system. If you don't, you get fined.” (p39)

《「主義を何とか、まずまずの存在にしておくために、会員は少なくとも週一回、ヨーヨーダインの組織を通じて手紙を送らなければならないことになっています。そうしないと罰金を取られるんです」》p63/p70

 制度がまずあり、それを維持するために、内容がなくても通信を行わなくてはならない。メッセージではなく、メッセージを伝達する行為だけが重要になった倒錯気味の現状をファローピアンは恥じているように見える。
 では、その主義とやらのよってきたる理念とはいったいどんなものなのか。そういった話になると、彼はがぜん雄弁になるのだった。こういう人はよくいます。

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2004/04/04

その48 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


 エディパの入ったトイレの壁には、卑猥な落書きにまじって次のメッセージが書かれていたのだった。落書きは落書きだが、きっちりした字だったという。
“Interested in sophisticated fun? You, hubby, girl friends.
The more the merrier. Get in touch with Kirby, through
WASTE only, Box 7391, L.A.”
(p38)

洗練されたお遊びはいかが? あなたも、ご主人も、ガールフレンドも。
人数が多ければ、それだけ楽しくなります。カービーにご連絡を。
ただしWASTEを通じて。ロス・アンジェルス私書箱7391
p61/p68

WASTE」とは何なのか、今のエディパにはわからない。ゴミ?
 そしてメッセージの下には、これまで見たことのない印が薄く鉛筆で書かれていた。輪と三角形と台形の組合せでできているそのマークは、こんなものである。
          lot49

 マークはともあれ、メッセージの内容を勘繰ると、なんとなくいかがわしい雰囲気が感じられなくもないが、エディパはなぜだか、そういうものではないんじゃないかと思う。
 何らかの組織からの誘い。ではこのマークは、そのグループのシンボルなのか。彼女はペンと手帳を取り出し、この落書きをメモして、「秘密文字(hieroglyphic)だわ」、と嘆息する。
 以前、丘の上からサン・ナルシソを眺めたとき、街並みが「意味を秘めた神聖文字のようなパターン」として感じられた→その18のと同様に、この落書きされたマークも、エディパの目には「何か、自分にはわからない秘密の意味」を隠した暗号として映るのだった。

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2004/04/04

その47 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次


 それでは、〈ピーター・ピングイッド協会〉はどんな活動を行っているのか?
 バーにたむろするファローピアンたち〈協会〉メンバーにとって大事なのは、ピングイッドが歴史上はじめて、アメリカ×ロシアの衝突による波をかぶった「犠牲者」だという点である。
“that was the very first military confrantation between Russia and America. Attack, retaliation, both projectiles deepsixed forever and the Pacific rolls on. But the ripples from those two splashes spread, and grew, and today engulf us all.” (p36)

《「これこそロシアとアメリカの最初の軍事的対決だったのです。攻撃、報復、両軍の砲弾は永久に海に沈み、太平洋は今日も渦まく。けれども、この二隻の船の飛沫から生じた波紋はひろがり、大きくなり、今日ぼくたちぜんぶを巻きこんでいるのです」》p58/p65

 このように、物事を過去からいきなり現在にまで波及させる語り口はいかにもピンチョンらしいが、続くファローピアンとメツガーの会話をみても、〈協会〉が右翼っぽい左翼なのか、左翼がかった右翼なのかはよくわからない(「極右の反共団体の方がぼくらよりよっぽど左翼的だ」みたいな台詞がある)。
 どうも反共的ではあるのだが、産業資本主義の根っこにも共産主義と同じおぞましさがあるとするピングイッドの精神を汲んで、そちらにも反対するらしい。
 ともあれエディパをおどろかせたのは、軍を辞めたピングイッドが「カリフォルニアで土地の投機」をして儲けた、という後日談だった。これは皮肉なだけでなく、あのピアス・インヴェラリティのやったこととまったく同じなのである。またもや符合があらわれた。
 そのとき急に店内がざわめく。見ると、やって来たのは革の郵便袋をかついだ肥った男。
“Mail call,” people were yelling. […] The fat kid, looking harassed, climbed up on the bar and started calling names and throwing envelops into the crowd. (p37)

《「郵便召集」とひとびとは叫んでいた。[…]肥った青年は、うるさそうにしながらカウンターの上に登り、名前を呼んでは封筒を群集に投げ渡しはじめた。》p60/p67

 こんな夜中に郵便配達があるはずがないし、もっとおかしなことに、この配達夫はヨーヨーダイン社の社章を付けている。
 じつはこれこそが〈協会〉の活動の一環なのだが、その意味と意義を教えてもらう前にエディパはいったんトイレに入り、そこで〈協会〉以上に不思議なしるしを見つけることになる。

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2004/04/04

その46 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


 電子音楽の流れる〈ザ・スコープ〉の店内でエディパとメツガーに話しかけてきたのは、マイク・ファローピアンと名乗る青年だった。彼は、自分が入っている〈ピーター・ピングイッド協会〉なる組織についてまくしたてる。
 これはどんな集団なのか? ありそうなのは左翼グループか宗教団体だが、ファローピアンがまず語るのは、組織名になったピーター・ピングイッドという人物の物語である。

 およそ100年前の1863年、南北戦争に敗れた南部連合の軍艦ディスグラントルド号を指揮していたピーター・ピングイッドは、南部の独立を図って戦争に第二戦線を開くため、アメリカ東海岸からぐるっとケープ岬を回りサンフランシスコを攻撃するというむちゃくちゃな作戦行動に出る。
 1年後、南海岸にたどりついたディスグラントルド号を待っていたのは、ロシア皇帝ニコライ二世から派遣された極東艦隊だった。産業資本主義をめざすアメリカ北部と、奴隷廃止論のロシアが秘密裏に軍事同盟を結んでいたらしい。
 両軍の遭遇した1864年3月9日、正確に何が起こったのかは伝えられていない。どちらかから発砲があったかもしれないし、それならきっと応戦もあったにちがいない。アメリカ側では、翌朝になるとロシア艦は消えていたということになるし、ロシア軍の記録では、姿を消したのはピングイッドのディスグラントルド号だったということになる。

「どっちでもいいことですよ」とファローピアンは言う。都合よく過去を作ってピングイッドを英雄にするのは〈ピーター・ピングイッド協会〉の主旨ではないらしい。
 ではこの組織は何をする団体なのか――それは次回に譲るとして、この「細かい歴史はどうでもいい・曖昧なままそれとして受け入れる」という姿勢は面白い。
 たとえば、上の話に出てくるニコライ二世が皇帝になったのは1894年で、1863~4年当時にその位にあったのはアレクサンドル二世である。もっともらしく歴史を物語ったうえで、「歴史の記述は頼りにならない」とうそぶく当人のファローピアンが間違えているのだから、これはほんとに頼りにならない。
(自分がこれに気付いたのは高校で世界史を選択していたから……ではなく、訳書の「解注」で志村正雄氏がちゃんと指摘してくれているからである。まったくありがたい)

…続き

*ディスグラントルド号とロシア極東艦隊の、どちらが先に攻撃を仕掛けたかわからないという点について注釈書で紹介されているのは、この部分が、アメリカがヴェトナムに軍事介入する口実にしたトンキン湾事件(1964年)の胡散臭さを皮肉っているのではないかという意見である(pp60-1)。そう言われたら、もうそうとしか見えない。
2004/04/04

その45 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次

It might have been an intuition that the letter would be newsless inside that made Oe look more closely at its outside, when it arrived. (p33)

《ムーチョの手紙がついたとき、エディパが手紙の外側をていねいに眺めたのは、内容に変わったことはあるまいという直観のせいだったろうか。》p54/p60

 ふつうの封筒と切手で、消印の横に政府の標語がスタンプされている。

「わいせつな郵便を受け取った場合は最寄りのPotsmasterに届け出ること」

 本来なら「郵便局長(Postmaster)」とあるべきところが、Potsmasterになっている。これでは「食器洗い係」だし、ことによると「マリファナの吸い方を教えてくれる人」になるという。
 なるほど政府も誤植をやるか、とはメツガーの感想で、実際、どうということのないミスのようだが、地の文は、「直観でこれに気付いたからこそ、エディパの感度はますます強化されるようになった」という語り方をする。
 そのくせこの地の文は、同じように重要であるらしい出来事(同じように重要であることにしたいらしい出来事)のあった時間については明言を避けている。
It may have been that same evening that they happened across The Scope, a bar out on the way to L.A., near the Yoyodyne plant. (p33)

《その同じ日の晩だったかもしれない。二人は偶然に〈ザ・スコープ〉――ロス・アンジェルスに向かう途中の、ヨーヨーダイン工場の近くにあるバー ――を見つけたのだ。》p54/p61

 また「だったかもしれない(may)」だ。ときに今後の展開を大胆に予告し、それによって物事をそちらへ誘導するような地の文の語りは、いっぽうで、こんなふうにとぼけてみせる。
 手紙とバーと、どちらが先だったか忘れてしまったのはエディパである。彼女の記憶があやふやなだけだ。そこを地の文は「同じ日だったかもしれない」として、正解を教えずに進む。だから読者が受け取る情報もあやふやなままである。
 くだんのバーは、ヨーヨーダイン工場に勤める作業員の溜まり場になっていた。よそ者のエディパとメツガーは彼らの注視のなか店内を進む。
There was this je ne sais quoi about the Scope crowd: they all wore glasses and stared at you, silent. (p34)

《〈ザ・スコープ〉に集まったひとびとには何だか、いわく言いがたい雰囲気があるのだ。みんな眼鏡をかけていて、こちらを黙ってじっと見つめていた。》p55/p62

 この店で、二人はあらたな人物に出遭う。

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2004/04/04

その44 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


 物事のつじつまが妙に合っている、合いすぎている、というのがエディパの気にかかることだった。それで彼女は、周囲で啓示が進行しているように感じる。
 啓示(revelation)が進行中、というのもよくわからないが、陰謀が動いているのをこちらに気付かせるヒントがちらつく、といったことだろうか。そして、それらの啓示の多くは、ピアスの切手コレクションを通してやってきたという。

 ピアスは切手の収集マニアだった。
 何千という小さな図柄は愛人だったエディパの代用ともなり、ピアスは彼女のことさえ忘れてその世界に没入することができた。そこまで魅了されてしまうものなのか、エディパにはその情熱が理解できなかった。いまや遺言の執行人にされてしまった彼女にとって、遺された膨大な数の切手は、すべて目録に整理して1枚1枚評価額を調べる必要がある頭痛の種に過ぎない。
Yet if she hadn't been set up or sensitized, first by her peculiar seduction, then by the other, almost offhand things, what after all could the mute stamps have told her [・・・] (pp31-2)

《しかし、まずあの奇妙な情事によって、さらには、ほかの、ほとんど偶然の出来事によって、彼女の受け入れ態勢が整うというか、感度強化がおこなわれているというか、そういうことがなければ、何と言ったって物言わぬこの切手たちに何が語れたと言えるだろう?》p52/58

 不自然なくらい論理的に整合する出来事にぶつかり、「裏に陰謀があるのではないか」と疑いの目で物事を見るようになる。それが“感度の強化された状態”(sensitized)だとすると、はたから見たとき、いまひとつ被害妄想と区別がつかない。

 感度強化のきっかけのひとつはムーチョの手紙だった――というのに事寄せて、エディパとムーチョのマース夫妻のありようが挿入される。
 サン・ナルシソへと出発して以来、エディパは義務的に週に2通、手紙を出していた。メツガーとの不倫は伝えていないが、それは、伝えなくてもなぜだかムーチョには通じているのではないか、と感じたからだという。
 ムーチョはムーチョで以前から10代の女の子に執着があり、何人かと法に触れかねない関係をもったのをエディパは知っている。ただし、どうするつもりなのか問うことまではできないでいる。行き詰まりになるのがこわい、ということからくる自主規制こそが夫婦間ではたらく道徳であるらしい。

 エディパの泊まっているモーテルに届いたムーチョからの手紙には、特に内容のあることは書かれていなかった。しかし彼女は直観で、中身ではなく封筒に変わった点があるといきなり気付く。

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2004/04/04

その43 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次


(1)語りの声・地の文は、すべてを知っている時点から語る
  (今後の展開をちらちら予告するように情報が小出しにされる)

(2)語りの声は、起こった出来事(起こる出来事)を関係付けて整理する
  →読者が知るようになる小説の内容は語りによって構成されたもの

 ふたつの前提はどちらもしごく当然のことで(だから前提という)、事実、多くの小説はこれらを踏まえて書かれ、読まれているにちがいないが、それなのにあらためてこのように取り出してみると、語りというのがずいぶん不自然なはたらき方をして小説をつくっているように思えてくる。
 ストーリーの展開に読者を引き込んでページをめくらせる上手な小説は、こういう不自然さをできるだけ隠そうとするだろう。もちろん、これらがどんな小説にもついてまわる「しごく当然」な不自然さである以上、隠しきるのは困難で、だからそれを不自然だと気付かせない方向に努力が注がれるのではないかと思う。

 それなのにピンチョンは、この第3章冒頭で、これらの不自然さをわざわざ見せつけ、読者が「語りの前提」を意識するように語っている。こうもあからさまに仕掛けられれば、鈍感な人間でもさすがにつまずいて「なんか変」と気付くことになる。上手な小説を読み慣れた読者であれば、なおさら引っかかりを感じるだろう。

 ここまで「不自然」「不自然」と言ってきたが、この「語りのもつ不自然さ」は、「小説のつくりものくささ」と言い換えることができる。
 しかし、あなたの読んでいるこの物語はつくりものですよ、みたいな言わずもがなのメッセージを伝えるためにピンチョンが変な書き方をしていると考えるのは、いくらなんでもつまらない。
 ここでは、これまで3回にわたって述べてきた「つくりものくささの強調」が、第3章の冒頭、長めとはいえわずか数行しかないたった一文きりの仮定法の中で、折れ曲がった急な階段を駆けあがるように達成されていること、すなわちピンチョンの文章の速さ、スリリングさそれじたいに見惚れていればいいような気がする。
 これからも不意をついて繰り出されてくるだろうそういった文章にいちいちつまずき、ためつすがめつしながら並べていくうちに、この作家独特の書法が浮かんでくるかもしれない。これは期待である。
 Things then did not delay in turning curious. If one object behind her discovery of what she was to label the Tristero System or often only The Tristero (as if it might be something's secret title) were to bring to an end her encapsulation in her tower, then that night's infidelity with Metzger would logically be the starting point for it; logically. (p31)

《それ以後、事態は遅滞なく奇妙な方向へと発展することになった。エディパが〈トライステロ・システム〉あるいは、しばしば単に〈ザ・トライステロ〉と(まるで何かの秘密の暗号であるかのように)呼ぶようになるものを発見した背後に一つの目的があって、それが彼女の塔に幽閉されている状態に終止符を打つことであると想定するならば、あの夜のメツガーとの不倫こそ論理的にはその出発点になると言えよう――論理的には。》p51/p57

 読者はこの冒頭でTristeroという言葉を押し付けられ、そういうものがこれから出てくると強引に知らされた。しかしエディパはまだ知らない。Lot 49 で彼女がはじめて〈トライステロ〉という名前に出遭うのは、ここから27ページもあとなのである。

…続き
2004/04/04

その42 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


「彼女が〈トライステロ〉の名で呼ぶようになるものを発見したうしろにある目的が塔の幽閉を終わらせることであるならば、」

 という仮定についての続き。

 たいていの小説と同様、Lot 49 は過去形で書かれている。ただし、主人公の発見するものを、彼女に寄り添って徐々に明らかにする(文章にする)というふつうの語りを、この小説の地の文はしていない。見てのとおり、あとの展開をエディパの行動に先んじて読者に知らせてしまう。
 それによって、過去形である意味が、たんに最も無難な叙述スタイルであることを越えてはっきりしてくる。すなわち、この小説の語り手は(あるいは「語り」そのものでもいいんだけど)、すべてが終わった時点から振り返るようにしてエディパの探求を語っているというズレ、「時差」が印象づけられるのである。
 時差というのは知識の差である。
 のちに起きる出来事を予告する(「呼ぶようになる」)地の文、つまりこの小説の文章を繰り出してくる語り手は、主人公よりずっと先にいて、これから彼女の身にどんなものごとが降りかかるか知っている。この仮定は、そのような当たり前すぎてふだんは意識されにくい前提を、わざわざひけらかしている。

 引用部分の後半、仮定から出てくる帰結はどうなっていたか。志村訳だけ再掲する。
《[エディパが〈トライステロ〉と]呼ぶようになるものを発見した背後に一つの目的があって、それが彼女の塔に幽閉されている状態に終止符を打つことであると想定するならば、あの夜のメツガーとの不倫こそ論理的にはその出発点になると言えよう――論理的には。》p51/p57

 これは仮定に基づく一方的な推論(「想定するならば」→「言えよう」)なので、読んでいるこちらには、どうして「論理的」なのかわからないはずである。それでも、地の文は論理的だと言っている。
 もちろん、自分は何もうがった読み方はしていないし、それどころか、できる限り素直に素朴に読もうとしているだけだ。それで思うのだが、塔からの解放と不倫が論理的なつながりをもつのは、地の文が「論理的だ」と言っているから、という以外に理由はないのではないか。
 語りの声(ここでは地の文のかたちをとっている)以外に、小説の中には何もないのだから、語られていることをそのまま受け取るしかない。
 小説の語りは、語っているその通りに世界をつくりあげる。これもまた、当たり前すぎる前提である。

…続き
2004/04/04

その41 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次


 第3章冒頭:
 Things then did not delay in turning curious. If one object behind her discovery of what she was to label the Tristero System or often only The Tristero (as if it might be something's secret title) were to bring to an end her encapsulation in her tower, then that night's infidelity with Metzger would logically be the starting point for it; logically. (p31)

《それ以後、事態は遅滞なく奇妙な方向へと発展することになった。エディパが〈トライステロ・システム〉あるいは、しばしば単に〈ザ・トライステロ〉と(まるで何かの秘密の暗号であるかのように)呼ぶようになるものを発見した背後に一つの目的があって、それが彼女の塔に幽閉されている状態に終止符を打つことであると想定するならば、あの夜のメツガーとの不倫こそ論理的にはその出発点になると言えよう――論理的には。》p51/p57

 この書き出しはかなり大胆で、読み返すほどに「ピンチョンが仕掛けてきた」と感じ、うれしくなってしまう。
 2つめの文章、“If one object...”から最後の“...starting point for it; logically.”まで続く長い一文で、何が起きているか。

‘If ……, ~~’なら「もし……ならば、~~だろう」の仮定法過去だが、ここでは前半の仮定のIf 節(……)がずいぶん長く、thenから先が後半の節(~~)になる。
 If 節の骨格は、「もし彼女の発見のうしろにある目的が塔での幽閉を終わらせることであるならば」というシンプルなものである(塔に幽閉されているというのが、単調な日常に囚われ身動きできないエディパの自己イメージだった)。仮定の内容を入り組んだものにしているのは、途中でいきなり入ってくる〈トライステロ〉という名前だ。

 Tristeroという語はここではじめて出てきた。
 Lot 49 の語りは、説明なしで地の文に未知の名前を投げ入れ、そのうえ同時に、それはエディパがこれから発見し、この名で呼ぶようになるものだと一息に告げてしまう。そこでIf 以下の前半部は、

「彼女が〈トライステロ〉の名で呼ぶようになるものを発見したうしろにある目的が塔の幽閉を終わらせることであるならば、」

というふうになる。
 地の文は、仮定の中でこのあとの展開を予告し、読者に押し付ける。「そうなのか」と受け入れるしかない。

 この強引な語り方による効果として、地の文とエディパのあいだにギャップができる――というか、もとからあるギャップが強調される。

…続き
2004/04/04

その40 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

前回…] [目次


 実際にあるのかどうかもわからない“あらかじめ決まっているものごと”を、勝手に「ある」と設定したうえで、それを自分は知ることができない、と脅威を感じるエディパ。
 そんな人間が、自分は「まるで知らない」、相手は「十全に知っている」映画の筋をネタにした賭けに乗ったのは、しかもその不公平を踏まえて乗ったのは、面白い。作中では酒のせいになっているが、小説の悪意を感じる。
 そして結果は、見事に騙されるに終わったのだった→その36

 エディパには、おそれながらも“知らないこと”へ近付いてしまう心性でもあるのだろうか。それを好奇心と呼ぶならば、彼女は好奇心のせいで返り討ちにあったことになる。エディパは、自分の知らないことを知っている人間に挑戦し、渡りあおうとして、あっさり手玉にとられた。

 繰り返しになるが、陰謀があったのかどうかはまだわからない。
 どれぐらいわからないかというと、

(1)大きな力をもつ第三者がメツガーを差し向け、テレビも細工してこの男の出演した映画を流し、エディパを陥れようとねらう、組織的な陰謀があったのかどうか(しかし何のために?

(2)または、メツガーがこの夜の出来事ぜんぶをみずから仕組んでエディパをものにしようとしたのかどうか、つまり個人的な陰謀があったのかどうか

(3)そして、陰謀などいっさいなく、すべてはただの偶然だったのかどうか

 これらすべてがもうみんな、わからない。だから、陰謀は実在するともしないとも明言されていない、と前回書いた。
 だが、「陰謀があるかもしれない」と小説に書いてあれば、「陰謀があるらしい」と受け取って読んでしまうのがふつうの反応ではある。なにもこの読書ノートでは、ふつうの反応を抑えてアクロバティックな読み方をしようとは思っていない(単純に、できない)。

 最後に付け足しておくと、ここまで「陰謀」「陰謀」と繰り返してきたその言葉が、原文では‘plot’である点はいくらか気にかかる。
 plot は「陰謀」であり「策略、計画」だが、おなじように、「小説や劇の筋、構成、組み立て」でもある。英語で読む人のなかでは、この2種類の意味は重なっているのではないか。
 そして、「自分のまわりに陰謀(plot)があるのでは?」というエディパの疑いについていえば、彼女が小説という虚構の登場人物である以上、彼女を取り巻く周囲のすべては'plot'なのである。

 次回から第3章。

…続き