2004/04/03

その39 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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■ 第2章で考えた

 探求を始めたエディパ。ピアスが遺したものの全体像はまださっぱりつかめない。
 しかしテレビのCMとメツガーの説明によれば、遺産はどうやら地所や会社のかたちでサン・ナルシソ一帯に広くゆきわたっているらしい。

 この章のエディパは、“あらかじめ決まっているものごと”を“何者かの陰謀”として感知し、おそれるが、それは彼女じしんの被害妄想なのかもしれない。
 いっぽうで彼女は、その“あらかじめ決まっているものごと”のひとつである映画の筋を使って弄ばれてしまった。もうちょっと詳しく書いておく。

 ○ ○ ○

 ものごとのうしろに“すでに決まっているプログラム”とか、“あらかじめ秘められた意味”があるのでは? と感じるエディパは、そういったものそのものよりも、むしろそれが自分には見えないという点に脅威をおぼえる→その30
“計画”や“隠された意味”へのこの過敏な反応が、「自分のまわりには何か陰謀があるんじゃないか」という疑いにつながる。たしかに、元俳優が部屋にやってきた夜にその出演作をテレビで見ることになるという状況は、「すごい偶然だ」と片付けられるものではない。疑う理由はあった→その22
 注意すべきは、この「陰謀があるんじゃないか」という疑いが、疑い以上のものにならず、いまのところエディパの思い込み・被害妄想に発するものとして読めるように書かれていることだろう。

 だからここまでで言えるのは、エディパは“何者かの陰謀”を妄想のかたちで感じ取っている、ということになる。
 エディパは自分の妄想のうちに“何者かの陰謀”をつくりあげている、とまで言い切ったらいきすぎである。陰謀は、実在するとは書かれていないが、実在しないとも書かれていない。どちらか判断するのはまだ早い。

 自分の知らない“あらかじめ決まっているもの”をおそれるエディパが、映画の終わり方について賭けをするにいたる展開は、ひどく皮肉に見える。映画の筋は、それこそ「もうできあがっている」からだ。そこはエディパも意識していたはずである→その27
 しかもこの場合、賭けをする相手のメツガーは、当の映画をよく知っている。メツガーは知っていて、エディパは知らない。この対比は何度か強調されていた→その25その26

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2004/04/03

その38 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

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■ 第2章で起きたこと:

 ピアスの遺産を調べるためサン・ナルシソにやってきたエディパは、街の眺望に「隠された意味」があると啓示を受けるが、それが何かはわからない。
 ピアスの遺言書を作成した弁護士メツガーが、夜、モーテルに訪ねてきた。テレビをつけると、子役時代のメツガーが出演した戦争映画が放映されている。この偶然から、エディパは自分に向けて仕掛けられた「陰謀」の気配を感じ取るものの、証拠はない。
 映画の筋を当てる賭けをしようというメツガーの提案に、エディパは乗る。当の映画はフィルムの順番が狂っており、ここにも彼女は陰謀の気配を感じる。ストリップめいたお遊びを経て、結局エディパはメツガーの思惑通りに彼と寝てしまう。直後、彼女は自分が賭けには勝っていたと知らされるのだった。

■ 第2章で起きたこと(リンク):

 ピアスの遺産を調べるためサン・ナルシソにやってきたエディパは、街の眺望に「隠された意味」があると啓示を受けるが、それが何かはわからない
 ピアスの遺言書を作成した弁護士メツガーが、夜、モーテルに訪ねてきた。テレビをつけると、子役時代のメツガーが出演した戦争映画が放映されている。この偶然から、エディパは自分に向けて仕掛けられた「陰謀」の気配を感じ取るものの、証拠はない。
 映画の筋を当てる賭けをしようというメツガーの提案に、エディパは乗る。当の映画はフィルムの順番が狂っており、ここにも彼女は陰謀の気配を感じる。ストリップめいたお遊びを経て、結局エディパはメツガーの思惑通りに彼と寝てしまう。直後、彼女は自分が賭けには勝っていたと知らされるのだった。

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2004/04/03

その37 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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 ピンチョンのLot 49 再読は第2章まで終わったが、「小説の語り手なるものについてちょっと勉強してみたい」などと書いたのがよくなかった。
 あれから何冊か本を読み――というならまだしも、そういう本はなかなか読み進まないし、このままではいっこうにピンチョンへ戻れないので、即物的に再開する。

第2章までのまとめ:

■ 人物

エディパ・マース Oedipa Maas:
主人公。神経症の気がある郊外の主婦。28歳。ピアスの遺産を調べるためにひとりやってきたサン・ナルシソの街でメツガーと不倫。

ピアス・インヴェラリティ Pierce Inverarity:
死んだ大実業家。サン・ナルシソを根城にしていた。かつて付き合っていたエディパに遺産の処理を任せる旨の遺書をのこす。この男の死によって小説は始まった。

メツガー Metzger:
弁護士。ピアスの遺書を作成した縁で遺言の共同執行人になっており、エディパと行動することになる。むかしは映画の子役だった(芸名はベイビー・イゴール)。モーテルの部屋で自分の出演した映画が流れるというあんまりな偶然が第2章のメインになる出来事だった。

マイルズ Miles:
サン・ナルシソでエディパが投宿するモーテル、〈エコー屋敷〉の管理人。とはいえ16歳の少年で、ビートルズをコピーしたような「ザ・パラノイド」なるバンドを仲間たちと組んでいる。

ムーチョ・マース Mucho Maas:
エディパの夫。本名はウェンデル。エディパに置いていかれた。以前勤めていた中古車販売店にトラウマをもつ。いまはラジオのDJ。


■ 舞台

サン・ナルシソ市 San Narciso:
アメリカ西海岸、ロス・アンジェルスの近くに設定された架空の街。
ピアスの活動のスタート地点であり、拠点だったが、街じたいにはこれといった特徴がなく、カリフォルニアのどこにでもある平凡な場所ということになっている。
街並みは人工的で不自然だとエディパは感じる。産業の中心は巨大企業・ヨーヨーダイン社の宇宙開発部門(それって平凡だろうか?)。この会社の誘致にはピアスも一枚かんでいたらしい。

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2004/04/03

その36 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

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 二人の見つめるテレビの中で、潜水艦は激しい攻撃を受ける。艦内は浸水し、愛犬が溺れる。子役時代のメツガーが演じる男の子は、機械のショートで感電し、悲鳴をあげ事切れる。父親がお別れの演説をする。エンドマーク。映画は終わる。
 三人は助からなかった。エディパの予想が当たった。
Oedipa had leaped to her feet and run across to the other wall to turn and glare at Metzger. "They didn't make it!" she yelled. "You basterd, I won."
"You won me," Metzger smiled. (p30)

《エディパは飛びあがって、向こう側の壁まで走って行き、振り向いてメツガーを睨みつけていた。「助からなかったじゃないの!」と彼女は叫んだ――「ひどいわ、私の勝ちよ」
「きみは、ぼくを勝ち取った」とメツガーが微笑した。》p49/p56

その32」では自分からメツガーにのしかかっていったように見えるわけだが、彼の望み通りに動いてしまったあとで、エディパは自分が賭けに勝っていたと知る。もう遅い。賭けには勝って勝負に負けた。早い話が、ていよくやられちゃった、みたいな書きぶりである。

 映画は生中継ではない。見はじめた時点で(いや、見はじめる前から)ラストまでできあがっている。その筋書きをメツガーは知っていた(なにしろ出演している)。
“すでに完成しているもの、おしまいまで決定されているもの”を使って、エディパは弄ばれてしまったようなものだろう。自分の知らないこと(映画の展開)について、知っている人間と賭けをするから、賭けができるなどと思うから→その27、手ひどいしっぺ返しを受ける。

 メツガーは何度となく「死ぬ前のピアスがきみをどう言っていたか知りたくないかな」ともちかけ、その度にエディパは「知りたくないわ」と突っぱねていた。
"What did Inverarity tell you about me," she asked finally.
"That you wouldn't be easy."
She began to cry.
"Come back," said Metzger. "Come on."
After awhile she said, "I will." And she did. (p30)

《「インヴェラリティは私のことを何て言ったの」とうとうきいてしまった。
「きみをものにするのは容易じゃないって」
 彼女は声をあげて泣き出した。
「こっちへおいで」とメツガー ――「さあ」
 しばらくしてから彼女は「ええ」と言った。そして彼の言葉に従った。》p50/p56

 第2章はこれで終わり、次の章から二人は行動を共にすることになる。

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2004/04/03

その35 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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 これまで、何も調べずに小説の「語り手」、「信頼性」などと書き飛ばしていたので、何かものすごくまちがったことを書いたり、嘘をついてしまったような気がしてならない。泥縄でもちょっと勉強したほうがいい気がしてきたが、じつはあと1ページで第2章が終わるので、先にそこまで読んでしまうことにする。

 ○ ○ ○

She awoke at last to find herself getting laid (p29)

《ようやく目が覚めるとセックスが始まっていた。》p48/p54
「目が覚めると」ということは、やはりさっきまで眠っていたのか。ならどうして、“She may have fallen asleep”(眠ってしまったかもしれない)なんて書いたのか。
 ともあれ、ことの最中もエディパは、部屋の外で演奏しているバンドのギターの本数をかぞえたり、まるで他人事のようである。バンドがヒューズを飛ばしてしまい、
Her climax and Metzger's, when it came, coincided with every light in the place, including the TV tube, suddenly going out, dead, black. It was a curious experience. (pp29-30)

《彼女のクライマックスとメツガーのクライマックスが来たときと、テレビをはじめこの場所のあらゆる電灯が急に消えて真の闇になったときと、いっしょだった。奇妙な体験だ。》p49/p55

 電気が戻るとテレビの映画は終わりかけていた。そうだ、そもそもエディパはメツガーに誘われて、彼が子役で出演している映画を見ながら、その展開を当てる賭けをしていたのだった→その27
 父親と子供、その愛犬が乗った潜水艦は、無事目的地にたどりつけるか? エディパは、「こういう映画はみなハッピー・エンドだ」と考えながらも、なぜか「三人は助からない」ほうに賭けていた→その28

 もし三人が助かったらメツガーの勝ちで、その場合エディパは彼に「何でも好きなものを」あげる約束だったのだが、しかし、酒を飲み過ぎたせいか、夜中にわきあがる感傷に飲まれたせいか、あるいはその両方のせいか、彼女はなかば自分からすすんでこういう状況に立ちいたる。
 映画の結末を待たずに、メツガーは欲しいものを手に入れてしまった。

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2004/04/03

その34 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

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 何人もの登場人物が関わる状況の展開してゆく様子を三人称で描く。そんな小説の土台にあるのは「語りの信頼性」だろう(だからこそ、一人称の小説では「語られていることはどこまで本当か」が真っ先に問題になる――と思う)。
She may have fallen asleep
《眠ってしまったかもしれない

 書いてあることが事実かどうかわからないとする、この「かもしれない」(may)が最初のほころびになって、小説の織物がみんなほどけてしまう。極端に言えばそういうことにだってなりうる。

 エディパにはムーチョという亭主がいると書いてあったけど、それは事実か? エディパが死んだピアスの遺言状を受け取ったのは本当か? エディパがエディパという名前なのは信用していいのか?

 入れようと思えばどこにだってツッコミを入れられるようになる。
 もちろん、そのような形式の崩壊じたいを目標にした小説もあるだろう。しかし、ひとまずかっちりした探求小説の枠組みで動いていると見えるLot 49 を、そういう「いかにも前衛してみました」小説としてとらえるのは適当ではないように思う。
(そう思う理由は身も蓋もない。自分はこの作品を最後まで読んでいるので、ラストにいたってもその類の崩壊は起こらないのを知っているからである)

 逆に考えてみると、このような「事実なのかどうかわからない記述」――「書いてあることが事実かどうか定かではないとする記述」を挿むことによってピンチョンは、この小説をただの探求物語からわずかにずらそうとしているのかもしれない。そのためにスタートしてから約30ページ付近でレールに異物を置いたのだとすれば、そこから引き出せるメッセージは次のようなものになるだろうか。

「おれは事実だけを語っているわけではない、小説の中で起こっている出来事をストレートに過不足なく報告しているだけではないよ」

 いま書いてみて、これは作者ピンチョンの声というよりも、小説Lot 49 の声と言わないといけない気がした。

 ときどき、信用できないことまで語られる小説。たまに地の文が、起きたこと以上のことも伝えてくる小説。
 Lot 49 はそんな小説かもしれないと疑いながら読み進める必要があるように思う。ほかのことならいざしらず、小説を読むときにはどれだけ慎重になっても慎重すぎるということはないはずだ。

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2004/04/03

その33 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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so weak she couldn't help him undress her; it took him 20 minute, rolling, arranging her this way and that […] She may have fallen asleep once or twice. (p29)

《まったく力が抜けてしまって、彼が服をぬがせようとするのに手を貸すこともできない。二十分かかった。彼女の体をころがし、あっちに向け、こっちに向け[…] 。そのあいだ一度か二度は眠ってしまったかもしれない。》p48/p54

 ちょっとストップ。おかしい。
 そんな時に眠るなよ、というのではなくて(眠気は何ものにも勝る)、おかしいのは
She may have fallen asleep
《眠ってしまったかもしれない

という部分である。
 ここはエディパじしんの内省でも回想でもない、ただの地の文のはずである。小説の基盤になる語りだ。それが「かもしれない(may)」と不確かな言いまわしになっている。
 たとえば、エディパの部屋にメツガーという男が「来た」。映画が「始まった」。スプレー缶が「ぶつかって」洗面台の鏡が「割れた」。ぜんぶ本当に起きたことだ。それなのにここだけ、「眠ってしまったかもしれない」と語られる。どういうことだろう。

 Lot 49 の注釈書であるCompanion の著者もこの部分に目をとめて、《語りの声が信頼できなくなり、小説に書かれていることを受け入れていいのかそうではないのか判然としなくなる、ここはそういう瞬間のひとつである》、みたいな意見を紹介している(p51)

「あったかもしれないし、なかったかもしれない」、そんなことを事実(「あった」)の描写のあいだに挿入するのは変である。
 なぜなら、これをそのまますべて許容してしまうと――つまり、この小説では「あったかもしれないし、なかったかもしれない」ことも語られている、としてしまうと――Lot 49 ぜんたいの語りが信用できなくなってしまうからだ。

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2004/04/03

その32 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

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She shut the door behind her and took the occasion to blunder, almost absently, into another slip and skirt, as well as a long-leg girdle and a couple pairs of knee socks. It struck her that if the sun ever came up Metzger would disappear. She wasn't sure if she wanted him to. (p29)

《背後のドアを閉めて、まごつきながら、ほとんど無意識のうちに、もう一枚スリップとスカートと、それに長い、太腿まで入るガードルと膝まで来るソックスを二足、身につけた。日がのぼったらメツガーは姿を消してしまうんだと、ふと思った。それを望んでいるのかどうか、わからなかった。》p47/p54

 ゲームに勝つためにエディパはさらに服を着こんだ。しかし彼女の気持は逆の方向に動きはじめている。部屋に戻るとメツガーは下着姿で眠っていた。
With a cry Oedipa rushed to him, fell on him, began kissing him to wake him up. His radiant eyes flew open, pierced her, as if she could feel the sharpness somewhere vague between her breasts. She sank with an enormous sigh that carried all rigidity like a mythical fluid from her, down next to him[…] (p29)

《叫び声をあげてエディパは彼に突進し、その上に倒れ、キスをして彼の目を覚まそうとかかった。メツガーの輝く目がぱっと開いて彼女を突き刺した。何となく乳房のあいだが、どこか、きりきり痛む思いだった。大きな溜息をついてくずれおれると、ぎごちなく硬いものがみな神秘な液体か何かになって流れ去ったように、彼のわきに横たわった。》p48/p54
太字は引用者

 メツガーの視線に突き刺され、それまでこの男に対して抱いていた警戒心やら何やらが心の中からすべて出て行ってしまうさまを描くのに、上で太字にした部分はとてもうまいと思ったのだが、なんだか野暮な感想である(ちなみにテレビの映画では、敵味方の兵士たちが視線どころか銃剣を突いたり刺したりして戦っていた。あからさまといえばえらくあからさまだ)。
 メツガーは何十枚にもなるエディパの服を脱がせにかかる。

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追記:
 ここで「とてもうまい」と書いた引用部分は、佐藤良明訳『競売ナンバー49の叫び』(新潮社、2011)ではいっそううまい。うまいというか、ただもう、すごい。
《エディパも雄叫びを上げて突撃をかけた。彼の上に飛び乗ってキスをすると、目覚めたメツガーのギラリとした視線が飛び出て、彼女を貫いた。両胸のあいだのどこかに、その鋭さがチクリと刺して、彼女が大きく息を吐くと、それと一緒に体の中から、今まで堅く守ってきたすべてが溶け出し、神話の世界か何かのように流れ出して、彼女はぐにゃりと、メツガーの脇に倒れ込んだ。》p50

《その鋭さがチクリと刺して》とか、《彼女はぐにゃりと》といった、言葉を補って訳しているように見える部分が、原文と訳文を何度も読み比べると「たしかにそう書いてある」と納得できるところまで読者を連れて行ってくれる。エディパじゃないけど大きなため息が出てしまう。もうどうにでもしてほしい
 こういった、原文より一歩踏み込みすぎているようでじつはしっかり踏みとどまっている訳文の確かさについて、2011年に『V.』の新訳(小山太一+佐藤良明訳)が出たときにこういう文章を書いた。→「モンダウゲンと巻きひげの話」
2004/04/03

その31 ― ピンチョン Lot 49

The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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 エディパは映画の質問を始める。
 ベイビー・イゴールはあの潜水艦でトルコに行ったのか?
 「ノー」 → イヤリングの片方。
 別の潜水艦で行ったのか?
 「ノー」 → イヤリングのもう片方。
 では陸路で行ったのか?
 「そうかもしれない」 → 次のイヤリングの片方。
"Another earring?" said Metzger.
"If I answer that, will you take something off?"
"I'll do it without an answer," roared Metzger, shucking out his coat. (p28)

《「また、イヤリングかい?」とメツガーは言った。
「その質問に答えたら、あなたも何か取る?」
「答えなくても取るよ」とメツガーは大声で言って上衣をぬいだ。》p47/p52

 ゲームは進行し、エディパは身につけている物をひとつずつ外す。
 ところで、探求というものが、まわりの余計なものを取り除いて中心にある真相をめざす行為であるならば、このお遊びのストリップごっこもまた、「徐々に核心に近づく」点で探求と同じパターンにのっとっていると言える。
 しかし、イヤリングを取ってもブレスレットを外しても、メツガーはもうズボンを穿いていないのに対して、エディパはちっとも裸には近づかない。すでに彼女が巻き込まれてしまった探求、ピアスの遺産をめぐる旅の進みゆきを暗示しているようでもある。
Things grew less and less clear. At some point she went into the bathroom, tried to find her image in the mirror and couldn't. She had a moment of nearly pure terror. Then remembered that the mirror had broken and fallen in the sink. "Seven years' bad luck," she said aloud. "I'll be 35." (p29)

《ものがみな鮮明度をうしなって行った。ある時点で化粧室へ行って、鏡にうつった姿を見ようとしたが見つからなかった。一瞬、恐怖の極限と言ってよかった。それから鏡がこわれて洗面台に落ちたことを思い出した。「悪運は七年つづく、か」と声に出して言う――「そうしたら私、三十五になっちゃう」》p47/pp53-4

 ここではじめてエディパの年齢がわかった。28歳。
 しばらく前に、この小説の舞台が何年なのか考えてみた→その1316。答えは「よくわからない」だったが、ここでピンチョンが1937年生まれだという事実から、仮にエディパを自分と同じ年齢に設定したとすると、作中の「現在」は1965年ということになる。もちろんこれも推測にすぎない。

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2004/04/03

その30 ― ピンチョン Lot 49

競売ナンバー49の叫び

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or something fast enough, God or a digital machine, might have computed in advance the complex web of its travel […] (p25)

《あるいは何かすばやいもの、神か、デジタル・コンピューターかがあらかじめ、この複雑な飛行の網を算出してあるのか。》p42/p47

 重ね着しすぎて起きあがれなくなったエディパの上をスプレー缶がうなりをあげて飛び回るのだからドタバタなシーンにはちがいないが、彼女が考えたのはこんなことだった。
あらかじめ定められたもの”に、エディパは過敏に反応する。これは今の彼女が、映画の“もうできあがっている”筋を推測して賭けるように強制される役回りであることともつながっているだろう。
 さらに言えば、丘の上から見た街の眺めやトランジスタの基盤、または湖の地図になにか隠された意味があって、それらは自分に読み取られるのを待っている、ととらえる考え方もこれに似ていると思う。

 エディパは、対象のうしろに“すでに決まっているプログラム”とか“あらかじめ秘められた意味”があると感じ取り(あるいは思い込み)、それが自分には見えない、という点に脅威をおぼえている。
「計画」への過剰な反応。勝手な強迫観念かもしれないし、そうでないかもしれない。わからないまま小説は進む。なにしろ彼女は「酔っている」。
(なお、仮にスプレー缶が飛ぶとして、缶の内圧や内容物の量や周囲の環境のデータをどれだけ細かく集めても軌跡を計算で予想するのは不可能であることを明らかにしたのがLot 49 の出た1966年以降の科学じゃないかと思うが、よく知らない)

 バスルームの鏡を粉々に砕いてなおも飛び続けたスプレー缶は、中身がなくなってようやく落ちる。
 この大騒ぎに、モーテルの管理人である少年が仲間と顔を出す。めちゃくちゃになった部屋にたちこめるスプレーの霧。床に伏せた成人男女の片方は着ぶくれした雪だるま。この状況を見て洩らされる感想は、「ロンドンから来たんですか」「そういうのロンドンの流行?」。
 バンドを組んでいる彼らが外で歌う曲をBGMにして、メツガーとエディパは気を取り直し、〈ボッティチェリ式ストリップ〉を再開する。さすがは大人の二人である。

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