趣味は引用
その67 ― ピンチョン Lot 49
The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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 「ペンテコステ」についてもう少し。
 キリスト教には3大祭というのがあり、日程はこうなっている。

(1)クリスマス(キリスト降誕祭):12月25日
(2)イースター(復活祭):春分の日以降最初の満月のあと最初の日曜日
(3)ペンテコステ(聖霊降臨祭):イースター後の第7日曜日

(1)と(2)を見ると、日曜と日曜なんだから1週間×7で、ペンテコステはイースターの49日後にくる。
 お、「49」? しかしもうちょっと待ってほしい。

 祝祭日としてのペンテコステのもとになった出来事、復活して天に昇ったイエスが聖霊を降らせる大事件が起きたのは、もともとユダヤ教で五旬祭という祭日だった。この人たちには出エジプトを記念した「過越しの祭」があり、その日から50日後に行われるから「五旬祭」と呼ばれている。
 新訳聖書の「使徒言行録」2章1‐6節にはこうある(新共同訳)。
《五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、
彼らが座っていた家中に響いた。
 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現われ、一人一人の
上にとどまった。
 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、
ほかの国々の言葉で話しだした。
 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、
信心深いユダヤ人が住んでいたが、
 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、
自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった》

 せっかくなので、同じところを文語訳からも引く。
《五旬節の日となり、彼らみな一処に集ひ居りしに、
烈しき風の吹きたるごとき響、にはかに天より起りて、その坐する所の家に満ち、
また火の如きもの舌のやうに現れ、分れて各人のうへに止まる。
彼らみな聖霊にて満され、御霊の宣べしむるままに異邦の言にて語りはじむ。
 時に敬虔なるユダヤ人ら天下の国々より来りてエルサレムに住み居りしが、
この音おこりたれば群衆あつまり来り、おのおの己が国語にて使徒たちの語るを聞きて騒ぎ合ひ、》

 五旬祭(五旬節)、つまり過越しの祝いから50日めになって、神の言葉を語る「炎の舌」が現われた。
 ということは、どうだろう。エディパは真実が訪れるのを待ち、その啓示をあちこちに感じ取っているのだが、The Crying of Lot 49 というこのタイトルでは、「炎の舌」の到来に1日足りないのである(※)
 それではこの小説はどういう終わり方をするのか。啓示はともかく、誰がどのようにして真実を教えてくれるのだろう。ページをめくればすぐに確かめられるが、そこまで進むのに50日がもう何セットかかるのかは見当もつかない。

 以上、数十分前までちっとも知らなかったことをぬけぬけと書いた。いまだって聖書の引用前の数行はよくわかっていない。数のかぞえ方も合っているのかどうか、薄氷を何枚か踏み割った気がする。まったく、自分にも「炎の舌」がほしい。



(※)これは深読みでもこじつけでもなくて、エドワード・メンデルソンという人が25年ほど前に発表して以来、ほとんど定説になっているらしいLot 49 の「読み」の引き写しである。もちろん、「読み」なんだから、たとえ深読みでもこじつけでもかまわない。
その66 ― ピンチョン Lot 49
競売ナンバー49の叫び

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 いまや成人したニコロは、身分を隠したまま郵便組織〈テュルーン、タクシス家〉の一員となり、敵国スカムリアに滞在している。
 アンジェロは、料金格安・サービス迅速の〈テュルーン、タクシス〉をなぜか信用せず、通信には自分の使者しか使わない(※ここ、重要な伏線)
 ニコロが仲間と共にこの国にいるのはアンジェロを説得して契約を結ぶためだが、真の目的はもちろん、父の仇討ちである。

 いっぽう、併合を狙うアンジェロの次の算段は、ニコロ亡きあと(ほんとは自国へ営業活動に来てるわけだが)のファッジオで政権を掌握したパスカーレと公式な姻戚関係を作ることで、そのために自分の妹フランチェスカをパスカーレに嫁がせようとしている。
 ところが前回書いた通り、彼女はパスカーレの生みの母なのだから無理がある。息子との結婚をフランチェスカは拒むものの、どっちみち悪趣味なことに、彼女とアンジェロはむかしから近親相姦していたのだった。

 素直なニコロから身の上の秘密を告白された同僚・ドメニコは、あっさり友情を捨ててアンジェロに密告するため宮廷に急ぐが、公爵はちょうど(妹と)取り込み中。代わりに接見したのは行政補佐官エルコーレで、これも前述のように、彼こそがニコロを助けた策士だったから、うまくドメニコを騙して虐殺してしまう。王水をかけたり去勢したり、その様子が両人の口から事細かに説明されるらしい。
 エルコーレがドメニコから抜いた舌を剣に刺して火をつけ、思わせぶりな台詞を叫ぶところで第一幕が終わる。
[…] Descended this malign, Unholy Ghost,
  Let us begin thy frightful Pentecost. (p52)

[…]このようにして悪意の、聖ならざる聖霊は降りた
 さあ、おまえの恐ろしの聖霊降臨節[ペンテコステ]をはじめようp81/p91

ペンテコステ」とはキリストの復活祭(イースター)から7週間後の日曜で、聖霊が降りてきた記念の日のこと。
 訳注解説によれば、使徒ひとりひとりの上に炎のように分かれた舌が現われ、彼らを通し、さまざまな国の言葉で神の教えが語られたという。

 人間を越えた存在の持つ「炎の舌」が真実を語る、というイメージは、The Crying of Lot 49 というこの小説でエディパの強迫観念になっている「真相の到来とその啓示(revelation)」に――たとえばここの後半に書いたようなかたちで――結びついている。

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その65 ― ピンチョン Lot 49
The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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 具体的には「その61」からの続き。

 サン・ナルシソの〈タンク劇団〉による『急使の悲劇』(リチャード・ウォーフィンガー作)は、スカムリアとファッジオという隣りあった二国を舞台にした不気味な復讐劇である。
 娯楽作として書かれたらしいので、スカムリア=悪いほうファッジオ=よいほう、とはっきり分かれ、悪いほうがよいほうを乗っ取ろうとして仕掛けた権謀術数と、その両方の宮廷で行われる殺人・拷問が見せ場になっている(よいほうだって拷問するのである)。

あらすじの前に、主な登場人物:

●スカムリア            ○ファッジオ
・悪人公爵アンジェロ       ・善人公爵(故人)
・パスカーレ             ・ニコロ
・フランチェスカ
・エルコーレ             ・ジェンナーロ
・(アンジェロの郵便屋たち)

 ほかに〈テュルーン、タクシス家〉という郵便組織が出てくる。
 これは実在の家名で、15世紀にはヨーロッパ全域をカバーし、郵便の配達を請け負っていた。神聖ローマ帝国公認の郵便事業にまでなっている。
 劇中ではとりあえず、ドメニコ、ヴィットリオという二人がここで働いている。

簡単な血縁表:

●スカムリア

  悪人公爵アンジェロ
     ┃兄            ○ファッジオ
     ┃妹
  フランチェスカ━━〈不倫〉━━善人公爵━━━┳━━(妻)
        母    ┃       父         ┃母
          子  ┃                 ┃子
           パスカーレ ←〈異母兄弟〉→ ニコロ

劇の背景:
 ファッジオを手中に収めようと目論むスカムリアの悪人公爵アンジェロは、下準備として自分の妹フランチェスカを善人公爵と不倫させ、パスカーレという私生児を生ませておいた。
 やがてアンジェロは善人公爵を巧みな手口で毒殺し、自分の意のままに動くパスカーレがファッジオで幼い王子ニコロの摂政の座につくよう仕向けた。ニコロを殺し、自分の甥(この関係は非公式なので表には出せないが)に実権を握らせて併合に近づけようというのである。
 で、少年ニコロは爆殺計画に巻き込まれるのだが、アンジェロの配下であるはずのエルコーレがファッジオの廷臣たちとひそかに手を結んでおり、この正統な王位継承者を、周囲には死んだと思わせたまま国外へ逃がすのに成功していた。

 それから10年ほど経ったのが『急使の悲劇』の「現在」になる。

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その64 ― ピンチョン Lot 49
競売ナンバー49の叫び

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(1)小説の構成:出来事が配置されている順番
(2)出来事を時系列に沿って並べた順番

 (2)は実在しない、と前回書いた。理由は、小説の中にも流れているようにみえる(2)は、読者が(1)を読んだあとになってはじめて想像されるもので、「小説の中」にはないから、ということだった。

 では、(1)は「小説の中」にあるんだろうか。
 実は(1)だって、想像されたものではないかと思う。小説に書いてあるままの順番、とは言っても、読者による理解を経て想定されるという点では(1)も(2)と同じじゃないだろうか。

 どうも、「小説の中」にあるとされているものは、たいてい「小説を読んだ人の頭の中」にあるだけだ、と考えて当たらずとも遠からずな感じである。
 (1)が存在しているのも、「小説の中」ではなく「読者の中」なら、(2)が(1)を素材にした抽象物であるのと同様、(1)も何かの素材に基づいた抽象物ではないかと思う。

 だとすると、その素材、読者の中に(1)をつくるのは何か。
 小説において、「読み取って想像される」のではなく、「読まれる」ものは何なのか。つまり小説の中には何があるのか。

 それで思い至ったのは、小説には「中」なんてないんじゃないか、ということである。ただ紙の上に言葉が、文章が並んでいるだけのもの、それが小説ではないか。

 読者はページの上の言葉を見、言葉のつながった文章を読む。そこから先、目の前の文章がどんな状況をつくるのか想定し、それらの出来事を自分になじみのある時間の順になぞらえてとらえるという作業は、ぜんぶ読者の中で行われる。
 小説には、言葉・文章だけが実在している――と思うのだがどうだろう。

 ここまで、まったく当たり前のことをわざわざ書いてきた気もするし(そうならいいなと思っている)、言葉よりも、もっと根っこに小説の素材を求められるのかもしれないという疑いも残っている。
 いっぽう、上記はまるで的外れかもしれず、何らかの理解(抽象化)を伴わずに言葉がそれだけで「ある」と言ってしまっていいのか、わからない。
 とはいえ、「ページの上に文字が印刷されている」ことくらいは確かだと言いたい気持もあって、ああ、でも文字と言葉では意味合いが違うのか・・・。そもそも自分は、小説とそれ以外の文章表現の差をどう考えているのか・・・。

 というふうに、ここまでの足取りも相当におぼつかないし、これ以上は手に負えそうもないので、そろそろLot 49 に戻りたい。『急使の悲劇』の開演である。

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その63 ― ピンチョン Lot 49
The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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(1)小説の地の文があちこちを編集して読者に提示する筋の順番
(2)小説の中でエディパたちが観たはずの『急使の悲劇』の筋の順番

 前回、こういう区別を考えていた。
 このふたつを小説一般に拡大してみることができると思う。

(1)小説をページ順にめくっていった時に出来事の配置されている順番
   つまり、小説で構成されている順番
(2)それを〈過去→現在→未来〉の時間軸に沿って並べ直した順番
   つまり、物事が起きた本来の順番

 このふたつについて、日頃の自分はなんとなく、まず(2)があって、そこにいろいろ手が加えられ(構成)、結果的に(1)として提示されている、というふうにとらえているフシがある。
 言い換えれば、「小説の表面にはあらわれていなくても、下とか奥とか、どこかに(2)の順番があり、それに基づいて(1)はできている」と思っているような気がする。

 素朴に考えて、これは順序が逆である。

 小説は、ただ(1)の順番で書かれているだけだ。読者が読むのは、あくまで「何らかの作為(または無作為)によって、時系列を様々にいじられた出来事の連なり」としての(1)である。
「本来の時間の流れに沿った順番」として想定される(2)は、それこそ、できあがった小説をもとにあとから想定されるだけのもので、「本来」も何も、小説のどこにも書かれていない以上、実在しない。

 時間がいったりきたりする小説を読みながら首をひねり頭をしぼり、メモまで書いて(2)を完成させ、「あ、こうなっていたのか!」とおどろくのは楽しいし、作品を読むのに役に立つこともたまにはあるが、その作業は時間の流れの再構成ではなく、創造だと思う(もともとないものを構成はできない)。

(もしかすると、小説を書いている作り手の手元には「正しい」年表があり、そこからむかしの出来事や先の事件を取り出して効果を生むように配置し、作品を構成していることもあるかもしれない。
 だが、だとしても、受け手の前にあるのは作品・小説だけなのだから、「作者のことはどうでもいいじゃないか」と言いたい)

 読者は目に見える具体的な(1)から目に見えない(2)をつくる。(2)は、どうしたって二次的なもの、抽象物である。
 小説の中の世界にも(2)の時間が流れていると考えるのは、誤解というか錯覚だろう。(2)があるのはせいぜい「読者の中」のはずだ。「小説の中」には(1)しかない。

 ところが、いま書いた「小説の中には(1)しかない」というのも、まだ間違いを含んでいる考え方のような気がしてきた。

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その62 ― ピンチョン Lot 49
競売ナンバー49の叫び

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 それで『急使の悲劇』だが、話はまだ始まらない。

 この芝居は全部で五幕の構成になっていて、あらすじを説明する地の文は、一幕目の流れを語っている途中で「この出来事について○○は『××』と言ったが、それは第三幕でのことである」みたいな飛躍を平気でする。
 それに加えて、幕間のエディパの行動も挟み込まれるのだから、これをどんなふうにまとめていくのがいいかちょっと考えてしまった。

 もっとも、こんな語り方は特別めずらしいものではない。
 登場人物が演劇を見るシーンになると、その筋がはじめから順に、いっさい中断も省略もなく描かれる小説があったとしたら、きっと退屈だろう(その場合、それはむしろ何かの狙いをもった手法と受け取られる気がする)。
 それはわかっているのだが、性格上、『急使の悲劇』の筋をいちどきちんと追ってみたい気持があった。
 そこでずいぶん前に、ノートを開いてあらすじをメモしつつ、飛躍してる箇所は本来の場所に戻して、地の文にまとめられている(編集されている)ものではなく、作中でエディパが観たままの筋を再現しようとした。というのも、

(1)小説の地の文があちこちを編集して読者に提示する筋の順番
(2)小説の中でエディパたちが観たはずの『急使の悲劇』の筋の順番

 このふたつのあいだにズレがあるのなら、そこに何かが隠されているかもしれないと勘繰ったからだった。
 そのときのノートがいま部屋のどこを探しても見つからないのだが、それはまあいい。作業を通して得られたのは、「『急使の悲劇』はもともとがこんがらがった芝居なので、地の文がいくらか余計に展開の順序を乱していても、そのせいで生まれるズレにはたいした意味がなさそうだ」、というつまらない感想でしかなかったからである。

 なので、この芝居について書いていくうえでは、ごく単純に地の文が語る通りにまとめていけばいいだろうと今では思っている。ただ、人名と人間関係は複雑なので適宜リストでも作りたい。
 ところが、上記のことをあらためて考えていたせいで(成果はなかったくせに)もっと小さなことが気になってしまった。『急使の悲劇』に入る前に、思いつきのメモをもうすこし続けたい。

 結論からいうと、上のように(1)と(2)に分けたのは、この場合はたまたま意味がなかったというより、根本的に間違いだったんじゃないかと思うのだ。

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その61 ― ピンチョン Lot 49
The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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 エディパとメツガーが、『急使の悲劇』という演劇を観に行く。
 二人の本来の目的は遺産の調査と整理のはずなのに、なんでそんなことをしているのかというと、その前日に湖へ遊びに出かけたとき「湖に沈められた死体・骨」という話を聞き(from ディ・プレッソ)、それがこの劇の内容と似ているという情報を得て(from ザ・パラノイド)、エディパの好奇心が刺激されたからだった。
 湖の骨がピアス・インヴェラリティの事業と関係があった以上、エディパは彼の遺産に関わりがありそうなものは何でも調べる熱意をもっているとも言えるわけだが、こんなにもやる気に満ちているのは、遺産の執行人として責任感が強いからというよりも、もともと彼女が「何事によらず、つながりがあるなら知りたい」と欲している人間だからだろう。これはこれで熱意であるにせよ、遺産執行人としてはだんだんルートを外れてきている。
(メツガーは弁護士なんだから遺産調査についてエディパより責任があるはずで、だからこそ観劇に乗り気ではない。こっちのほうがまともなのである)

『急使の悲劇』は、サン・ナルシソで活動する〈タンク劇団〉なるグループによって公演中である。オリジナルの作者はリチャード・ウォーフィンガーというステュアート朝時代のイギリス人。ステュアート朝は1603年に始まり、ジェイムズ1世からチャールズ1世と続いて1642年に清教徒革命を引き起こす。この劇作家はシェイクスピア(1564~1616)とだいたい同時代か、少しあとに活動したことになる。

 もともとが小さな劇場なのに、客席は閑散としていた。しかしエディパの見るところ、役者の衣装も照明も凝っているし、ウォーフィンガーの想像力は、執筆当時にはまだ起こっていない革命の前兆となる禍々しい雰囲気を知らずとはらんでいるかのようだった、という。
Oedipa found herself after five minutes sucked utterly into the landscape of evil Richard Wharfinger had fashioned for his 17th-century audiences […] (p49)

《エディパは開演五分後には、邪悪なリチャード・ウォーフィンガーが十七世紀の観客のために作りあげた風景の中に完全に吸いこまれていた。》p78/p87

 そんなわけで、これから数回はエディパと共に『急使の悲劇』の筋を見ていくことになる。

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その60 ― ピンチョン Lot 49
競売ナンバー49の叫び

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 湖に沈められた、一個中隊の死体。〈ザ・パラノイド〉の少年少女は、この話が『急使の悲劇』なる演劇に似ている、と言い出した。

 自分で喋っておきながら「盗み聞きしてたな」と怒り出すディ・プレッソだったが、彼を追っていたマフィアたちが湖をモーターボートでやってくるのを見て「おれは逃げる」と言い残し、ひとりボートに戻り大慌てで島を去る。
 唐突に現われたディ・プレッソ、湖と骨の情報を伝えて唐突に退場である。

 そんなわけで、エディパとメツガー、〈ザ・パラノイド〉たちは、島に置き去りにされてしまった。日が暮れて自警団が助けに来てくれるまで、彼らはマリファナ煙草を吸いながら歌をうたったりして過ごす。〈ザ・パラノイド〉のスタンダードはマリファナで、どんなフィルターであれ、ふつうの煙草は吸わないんだそうである。子供のくせに、というか何というか。

 それはともかく、気になるのは『急使の悲劇』のことである。
[…] and hearing the plot of The Courier's Tragedy, by Richard Wharfinger, related near to unintelligible by eight memories unlooping progressively into regions as strange to map as their rising coils and clouds of pot smoke. It got so confusing that next day Oedipa decided to go see the play itself, and even conned Metzger into taking her. (p49)

[…]『急使の悲劇』の筋を聞いたりしていた。それはリチャード・ウォーフィンガーの作品なのだが、八人の記憶によって語られるうちに、次第に輪がほどけてしまい、彼らが吸っているマリファナの煙の、立ちのぼって行く輪や雲と同じように、とらえどころのないものになり、意味不明というに近いものになってしまった。その筋があまりに混乱したので、次の日エディパはその芝居を見に行くことにし、メツガーを説き伏せて、連れていってもらう手はずをととのえた。》p77/pp86-7

 翌日、エディパは興味津々で、メツガーは嫌々ながら、劇場に赴く。
 しかし実際に観劇しても、劇の筋はかなり込み入っており、それ以上に、筋を伝える地の文の語りは「あまりに混乱」しているのだった。

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その59 ― ピンチョン Lot 49
The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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 第二次大戦中の1943年、イタリアにある〈憐れみの湖〉[ラーゴ・ディ・ビエタ]で、アメリカ軍の一中隊が全滅した。
 彼らが追いつめられた湖の岸辺には絶壁がそびえ立ち、その上からドイツ軍が激しい銃撃を浴びせる。通信は届かず、援軍はない。敵の爆撃機までが掃射に飛んでくるし、湖は凍るように冷たかった。逃げ場のないアメリカ兵は、それでも数週間ほど粘ったというが、
But they died, everyone, dumbly, without a trace or a word. (p47)

《しかし、彼らは死んでしまった。一人のこらず、黙って、何の跡もなく、何の言葉も残さずに。》p74/p83

 ドイツ軍は彼らの死体と装備のすべてを湖の底に沈めた。

 この時、ドイツ軍のイタリア部隊としてその場にいたのがトニー・ジャガーで、戦争が終わったのちの50年代になってから、仲間と共に骨を引き揚げることになる。
 動機は複雑で、〈憐れみの湖〉を訪れるアメリカ人観光客の関心を引こうとしたとか、そのころ本土で死者崇拝熱が高まりつつあったとか、政府が死体の回収されない戦死者に注意を向けるかもしれないという期待だとか、種々の思惑からトニー・ジャガーはこの骨が「売れる」と判断、〈コーサ・ノストラ〉を通し、人骨をアメリカに運び出した。
 結局、骨はしばらくのあいだ肥料会社の倉庫に眠っていたのだが、そこに煙草会社が目をつけて、フィルター用に買い取ったらしい。

 遺産を管理するメツガーに言わせると、ピアスが株を所有していたのは煙草会社そのものではなく、フィルターの開発会社なので、人骨への支払いに責任はない。しかし弁護士ふたりの議論が始まる前に、〈ザ・パラノイド〉の連中が後ろから口を挟む。
“this all has a most bizarre resemblance to that ill, ill Jacobean revenge play we went to last week.”
The Courier's Tragedy,” said Miles, “she's right. The same kind of kinky thing, you know. Bones of lost battalion in lake, fished up, turned into charcoal--” (p48)

《「いまの話、先週見に行った、あの、十七世紀はじめの、ビョーキのビョーキの復讐劇に気味の悪いほど似ていない?」
「『急使の悲劇』か」とマイルズが言った――「そのとおり。同じように異常だよな。消えた軍隊の骨が湖に沈んでいるのを引き揚げて、炭にして――」》p76/p85

 こうしてまた、ひとつの話から別の話へと、つながりが発見される。

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その58 ― ピンチョン Lot 49
競売ナンバー49の叫び

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 ボートが動き出す直前、グレーのスーツとサングラスを身につけた男二人が遠くからディ・プレッソを見つけて向かってくる。間一髪、ディ・プレッソを乗せたボートが岸を離れる頃には、追手の数はさらに増えている。これは映画の撮影ではない。
 彼は事情を説明する。実はここでもピアス・インヴェラリティに結びつく出来事が起こっていた。

 弁護士から俳優になったはずのディ・プレッソは、最近また弁護士の仕事も再開し、トニー・ジャガーなる人物の依頼を受けていた。この男は、〈コーサ・ノストラ〉というイタリア系のマフィア型犯罪組織の大物である。
 ピアスが関係していた煙草会社は、フィルターに高級な骨炭を使用していた→その28。その原料になる骨を提供したのは〈コーサ・ノストラ〉だったのに、ピアスは代金を支払わなかったとしてトニー・ジャガーは訴訟を起こす。
 ディ・プレッソはこのマフィア側の弁護士だったのだが、裁判の雲行きがあやしくなったので逃げ出したという。つまり依頼人に追われているのだ。エディパはあきれる。

 話の途中でボートは湖中央の小島に着いた。日のあたるホールの屋上に毛布を広げて酒を飲みながら、大人3人の情報交換は続き、〈ザ・パラノイド〉の子供たちは子供たちで遊んでいる。
 メツガーの明かすところによれば、フィルターの骨炭は人骨から作られている。高速道路の建設会社が、取り壊した墓地から集めた骨を売りつけるのがどうやら一般的であるらしい。
 ただし、〈コーサ・ノストラ〉のルートは別だった。
 彼らはイタリアにある湖から大量の人骨を引き揚げて、アメリカに持ち込んだ。いまエディパたちのいる湖の底に、ダイバーの目を楽しませる小道具として沈められている骨もじつはその一部なのだとディ・プレッソは語る。

 では、そもそもそのイタリアの人骨は何なのか。だれの骨で、どうしてそこにあったのか。話は20年ばかり過去にさかのぼる。

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その57 ― ピンチョン Lot 49
The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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 やたらと〈トライステロ〉なるもののイメージを盛り上げ、その登場は演芸のようで、はじまりは歴然としていた――とする地の文。ではそれはどのような登場だったのか。
 読んでみると、お世辞にも「歴然と」はしていないと思うのだがどうか。

 生前のピアス・インヴェラリティがよその州でしていた事業について法的な事務手続きがなされるのを待つあいだ、エディパとメツガーは、マイルズはじめ〈ザ・パラノイド〉の少年たち、および彼らのガールフレンド数名と連れ立ってピクニックへ出かける。
 目的地は〈ファンゴーソ礁湖〉といって、ピアスが亡くなるまえ最後に開発していた造成地である。「礁湖」という言葉は見慣れないが、環礁に囲まれた海面、でいいようだ。
 車を走らせながら、エディパは海のことを考える。人間が海べりで何をしても、太平洋は汚されず完全なものとしてある、とか、人間の行う開発に対して海は救済になる、みたいなことを彼女は信じているらしい。

 到着した湖は「インヴェラリティ湖」と名付けられている。その真ん中には円形の島があって、ホールが建っている。湖の底には、円柱や壁の破片やガリオン船、本物の人骨、貝殻などがダイバーを楽しませるために沈められているのだと、かつてメツガーが説明していた→その26。これは人工の湖なのだ。
 車から降りたエディパたちは、食べ物や飲み物を入れたバスケットを手に湖岸を歩く。〈ザ・パラノイド〉の面々が桟橋につながれているボートを盗もうと提案し、さっそく一台のモーターを回した瞬間、別のボートの中から青いポリエチレンの防水シートをかぶった人物が立ち上がり、発した言葉は「ベイビー・イゴール、助けてくれ」。
 子役をしていた頃の芸名→その22で呼びかけられたメツガーは、嬉しくなさそうに答える。「マニー・ディ・プレッソじゃないか」。

 この名前は、やはりモーテルの場面で一度出ている→その27。メツガーの友人で、子役から弁護士になった彼とは反対に、弁護士から役者に転身したという男だ。
「見張られている」と言うディ・プレッソはこちらにやってきて、今まさに盗もうとしていたボートへいっしょに乗りこむ。また厄介そうな人間が増えてしまった。

…続き
その56 ― ピンチョン Lot 49
競売ナンバー49の叫び

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〈トライステロ〉はまだ登場していない、ということを何度でも強調したい。
 まだ登場していない、つまり実体のないものをこんなに思わせぶりに予告して不吉なイメージで描くのは、相当奇妙な書き方にみえる。実体よりもイメージが先行して小説の中に現われているのだ。

 しかし落ち着いて考えると、予告だろうがイメージだろうが、〈トライステロ〉という言葉が記されている以上、まさにここで〈トライステロ〉なる存在が生まれていると見ることもできる。
 だいたい、すべてが言葉でつくられる小説という虚構において、実体を示す文章とイメージを示す文章とで、どれほどのちがいがあるだろう。
 そうすると、この〈トライステロ〉の書かれ方は、奇妙でもなんでもない当たり前のものになる。

〈トライステロ〉という名前が置かれた瞬間に〈トライステロ〉は存在を初めている、という言い方がもし意味ありげに見えるとしたら、それはたんにこの書き方がものものしくなってしまっているからであって、本当は平凡なことだ。
 エディパにしても、ページの上に「エディパ」という名前が置かれた瞬間、このキャラクターが存在を始めているのと同じことだと考えれば、どこまでもふつうの現象である。
「あらかじめ存在しているものを、言葉が記述する」だけでなく、「ものは言葉によって書かれることで存在を始める」とする考え方はべつに珍しくない。まだ実体のない何かを、あるイメージで描く。すると、そのようなイメージを持つものとして、その何かが小説の中に(読者の中に?)定着する。

〈トライステロ〉が徐々に姿を見せてくるのは、舞台上の演芸(performance)になぞらえられていた。踊り子が服を脱ぐようにして、というイメージを描く文章は、それじたいが〈トライステロ〉の存在を生む、文章のパフォーマンスである。これからも〈トライステロ〉をめぐる文章は地の文に数多く登場し、噂が語られ、少しずつ「どうやらこういうものらしい」という像がエディパのなかで結ばれる。
 では、その実体はいつ現れるのか。そこを読みとるのがLot 49 を読むことである。だからこれからも、〈トライステロ〉という語が出るたびに、細かくしつこく引用しながら観察しようと思う。
The beginning of that performance was clear enough. (p40)

《その演芸のはじまりは歴然としていた。》p65/p72

ということで、話は続く。

…続き
その55 ― ピンチョン Lot 49
The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

前回…] [目次


 前回、長々と引用した、「こうやって〈トライステロ〉は現われてきた」とする語り口を見る。

 エディパが観客になった「演芸」の舞台で、踊り子が特別サービスで衣装を順に取り去り、次第に「凄まじい裸身」をあらわにする、そんなふうにして正体を明かしはじめた〈トライステロ〉は、そのままそっと去って行くのか、それとも、
《ぎらぎらした目をエディパに据え、微笑は悪意に満ちた、非情なものとなり、人のいなくなった席の列に一人座っている彼女に向かって、およそ聞きたいと思わないような言葉を発しはじめるのだろうか?》

 何度も繰り返すが、ここまで、〈トライステロ〉が何なのかわかるよう書かれた部分はひとつもない。「これから現われるもの」として予告されただけだ→その40。この文章も同様に、まだ見ぬ〈トライステロ〉がどんなものかを思わせぶりに示すものである。

 喩えとしてストリッパーのイメージが使われているのは、酔っ払ったエディパとメツガーがしていたストリップごっこからつながっている→その31
 もっとさかのぼれば、そこのモーテルにあったニンフ像のまとっている衣装が送風装置でめくれあがり、体があらわになるのを「reveal」という言葉で描いていた(→その20のも、ここでの「凄まじい裸身」が見えてくる、という喩えに類似している。

「revelation(啓示)」は、探求の末に見つけ出されるはずのものとして設定されるいっぽうで、突然あちらから訪れてくるものとしても説明されていた→その19
 エディパが聞きたいと願いながらまだ聞こえない声、神の御言葉、それが「啓示」であるとするならば、いまここで〈トライステロ〉がもたらすのかもしれないとほのめかされる「言葉」、それこそが彼女の求めるものになるのだが、そこのところのイメージはいつのまにか不穏なものに成り変わっている。
《彼女に向かって、およそ聞きたいと思わないような言葉を発しはじめるのだろうか?》

 知らないほうがいい真実、そんなものがこれからエディパを襲うことになる、と、疑問形であってもこの文章ははっきり告げている。そしてそれを媒介するのが〈トライステロ〉ということになるだろう。
 でも、それは何なのだ。

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その54 ― ピンチョン Lot 49
競売ナンバー49の叫び

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So began, for Oedipa, the languid, sinister blooming of The Tristero. Or rather, her attendance at some unique performance, prolonged as if it were the last of the night, something a little extra for whoever'd stayed this late. As if the breakaway gowns, net bras, jeweled garters and G-strings of historical figuration that would fall away were layered dense as Oedipa's own street clothes in that game with Metzger in front of the Baby Igor movie; as if a plunge toward dawn indefinite black hours long would indeed be necessary before The Tristero could be revealed in its terrible nakedness. Would its smile, then, be coy, and would it flirt away harmlessly backstage, say good night with a Bourbon Street bow and leave her in peace? Or would it instead, the dance ended, come back down the runway, its luminous stare locked to Oedipa's, smile gone malign and pitiless; bend to her alone among the desolate rows of seats and begin to speak words she never wanted to hear? (p39-40)

《このようにして、エディパにとって、〈ザ・トライステロ〉はゆっくりと不吉に花ひらきはじめた。いや、むしろ、エディパがどこかのユニークな演芸を見に行って、それがその夜の最終公演かと思われるほどに長引き、そんな遅い時間まで残っている客のために、ちょっとばかり特別サービスをしてくれたようなものだと言おう。まるで紐を一つ引っぱれば分解して落ちるガウン、網目のブラジャー、宝石をちりばめたガーター、バタフライなど、人間の形をした「歴史」が身につけた、たちまち落ちるような品々は厚く層をなしていて、あの、ベイビー・イゴール映画の前でメツガーとやったゲームの、エディパが着ていた数々の衣裳のようなのだ。まるで暁をめがけて飛びこむようなもの、〈ザ・トライステロ〉がその凄まじい裸身となって正体を示すまでには、いつ明けるとも知れぬ暗闇の時間が必要だというふうである。正体をあらわしたとき、害をなすことなく、たわむれながら舞台裏へ引っこんで行き、ニュー・オーリンズのフレンチ・クォーター、バーボン通りふうのお辞儀をして「おやすみなさい」と、エディパをそっと、そのままにして消えるだろうか? それとも、そうならないで、踊りが終わると、花道を戻ってきて、ぎらぎらした目をエディパに据え、微笑は悪意に満ちた、非情なものとなり、人のいなくなった席の列に一人座っている彼女に向かって、およそ聞きたいと思わないような言葉を発しはじめるのだろうか?》pp64-5/pp71-2

 この文章は何を書いているのだろうか?

〈トライステロ〉という言葉は、以前、「その41」から「その43」までで見た、第3章の冒頭に初登場していた。上記の引用部分が本書2回めの登場である。1回めもいきなりだったが、今度もいきなりだ。
 ここまで何の説明もなかったにもかかわらず、
《このようにして、エディパにとって、〈ザ・トライステロ〉はゆっくりと不吉に花ひらきはじめた。》

ということは、第3章の冒頭からここまでのあいだに〈トライステロ〉について何らかの情報が出ていたことになる。こう書かれてあったら、そう受け取るしかない。
 そしてここまでに出てきた何らかの組織についての情報は、

・〈ピーター・ピングイッド協会〉
・落書きで示される「WASTE

 このふたつしかない。
 では、上に長々と引用した文章は、このどちらかが、あるいは両方が、このあと出てくるのだろう〈トライステロ〉につながるという、いわば予告の文章なのだろうか。
 しかし3章冒頭と同様、ここでも、この文章じたいがゴテゴテと凝った書き方になっており、この凝り方によって、さらに多くのことをこちらに伝えてくるように見えるのである。

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その53 ― ピンチョン Lot 49
The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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 前回まで〈ザ・スコープ〉というバーのシーンだった。
 ここでエディパは、ファローピアンたち〈ピーター・ピングイッド協会(PPS)〉という組織が、政府の正規ルートを介さない郵便で通信を行っているのを見た。その合間に彼女は、女子トイレで謎のマークと「WASTE」という言葉も目にしている→その48
カービーにご連絡を。ただしWASTEを通じて。

 このメッセージから推測すると、「WASTE」というのも何らかの通信機関や通信手段ではないかという気がする。
 ただし、ファローピアンはこの「WASTE」について何も言及していないし、本文にもこれとPPSとの関係(あるいは無関係)を示すような文章は一切なかった。
〈ザ・スコープ〉はPPSを構成するヨーヨーダイン工場員のたまり場なのだが、この落書きにファローピアンたちが気付いているのかは不明である。もちろん、PPSの誰かがこれを書いた可能性もある。

 そこから章が変わるわけでもなく、1行分の空白が開くわけでもなく、ただふつうの改行をしただけで、このLot 49 という小説は、不思議な語りを繰り出してくる。第3章の冒頭と同じくらい「仕掛けてきた」感の強いその文章をここに引用したいが、それは非常に長いうえ途中で切ってしまっては意味がなくなるものなので、次回、引用することにする。

 そうだ、この読書ノートは、いつのまにか50回を越えていたのだった。

 はじめた頃は「タイトルが“49”だからちょうど49回で終わったらきれいだろうな」と小賢しく計算していたのだが、いまだに原書で全152ページ中の39ページまでしか進んでいないのだから、自分の性格をまったくわかっていなかったとしか言いようがない(訳書だと229ページ中の64ページまで)。
 内容はともかく、更新それ自体を生存確認としてお使いください。

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その52 ― ピンチョン Lot 49
競売ナンバー49の叫び

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 ところで、〈ザ・スコープ〉のシーンが始まるときにも、「このバーを見つけたのはムーチョから手紙が来たのと同じ日だったかもしれない」などと曖昧な書かれ方がされていた→その45
 できることなら小説内の出来事すべてを起きた時間順に並べ直した一覧表を作ってみたい自分としては、「わざと時系列がわからなくなるようにこんな書き方がされているんだ」と考えるが、店内のシーンが終わるときにもまた、《もっとも、この夜は、そこまで彼女に対して押し進めたことは言わなかったが》と、時間を確定できなくする書き方がされていたことになる。
 このバーは小説の時間を乱す場所なのか。たしかに、酒で時間を乱している人はよく見る。

■ 思いつきをもうひとつ:

〈協会〉の通信活動の背景をなす私設郵便史を研究していることから考えると、エディパたちに気さくに話しかけてきたファローピアンという男は、意外と〈協会〉の中心にいる人物なのかもしれない(そうではないかもしれない。書いていない)。

■ もうひとつ:

 前々回にもリンクを貼った合衆国郵便のサイトを眺めていたら、「郵便の再編」というトピックが目についた。もちろん、小説にあった事業の独占化なんてものではなく、南北戦争から100年あまりあとにあった構造改革である。
 →http://about.usps.com/publications/pub100/pub100_036.htm

 アメリカの「Post Office Department(郵政省)」は1971年に廃止されて「United States Postal Service(米国郵政公社)」になったという(訳語は辞書から引き写し)
 Lot 49 の出版は1966年なので、小説のなかで「米国の郵便」「政府の郵便」「正規の郵便」とされているのは前者だった。21世紀のいまとは組織がちがうのだ。
(原書ではたしか「Post Office Department」なんて表記はなしに「US mail」などと書かれていた気がするが、あまり自信はない)

 さっきのページの前後を見て、1971年の大きな改革に至る動きが始まったのがやはり1966年だったというところに勝手な「符合」を見てよろこぶような人間が書いているのだから、このピンチョン読書ノートは本当に信用できるものではないと思う。

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その51 ― ピンチョン Lot 49
The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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「権力」「抑圧」「対抗」と、ファローピアンの説明した内容はかなりストレートだが、この説明の示され方にはちょっとひねりが加えられている。前回引いた部分を含めて、そのひねられ具合を見ておきたい。
He saw it all as a parable of power, its feeding, growth and systematic abuse, though he didn't go into it that far with her, that particular night. (p39)

[ファローピアンは主張する、]それはすべて権力の譬えばなしなのだ、権力が授乳期、成長期を経て組織的濫用にいたるという譬えばなしだと。もっとも、この夜は、そこまで彼女に対して押し進めたことは言わなかったが。》p63/p71

 ということは、読者に伝えられたファローピアンの主張(前回まとめた内容)を、エディパは彼にはじめてあったこの時点ではまだ知らないのである。
 この晩彼女の記憶に残ったのは、彼の体型とか整った鼻とか、そんなことでしかなかった、といって〈ザ・スコープ〉のシーンは終わる。

「作中で示されたこと」と、「作中人物であるエディパが知っていること」に、ずいぶん開きがある、とはこれまでも何度か書いたことだが、繰り返すと、このLot 49 では、エディパと地の文のあいだにあるズレ(どんな小説にだってあるはずのズレ)が、しきりに強調されているように見える。
 言い換えると、作中人物とは別の次元にある「語り」の自己主張が激しいのだ。

「作中で示されたこと=小説が語っていること=書いてあること」をぜんぶ読むわれわれは、それらの情報の限られた一部分しか知らない作中人物・エディパと同じところには立っていない。
 引用部分から、読者はファローピアンの唱えるところの被抑圧史観を知り、同時に、「エディパはこの考え方をまだ知らないんだな、すると彼女はこの後また彼に会って話をし、そのうち教えられるんだな」というふうにズレを意識させられる。
 しかし、「書いてあること」を追いながら「エディパの知っていること/知らないこと」を分類しつつ読み進めるのはなかなか難しい。そんなことは無理なんじゃないかという気もする。どちらも等しく文章で書かれている以上、エディパならざる読者は、書かれてあることは、書かれてある順に、なんでも受け取ってしまうものだから。

 ファローピアンの説をエディパはこの夜ではなくいつ知ったのか、それはおそらくどうでもいい。《もっとも、この夜は、そこまで彼女に対して押し進めたことは言わなかったが。》という断り書きがここに付け足されている理由は、ズレの強調以外にはないように思う。

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その50 ― ピンチョン Lot 49
競売ナンバー49の叫び

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 そもそもファローピアンは、合衆国における私設郵便の歴史を調べているアマチュア学者なのだった。それについての本まで執筆中だという彼は、エディパとメツガーに簡単なレクチャーをしてくれる。
 まずはこうだ。南北戦争と、郵便制度の改革にはつながりがある。

 政府は19世紀の中頃から法律の制定を繰り返し、それまで独自に展開していた多くの私設郵便、つまり民間の郵便組織を破綻に追い込んだ。
「政府」とはもちろんその後の南北戦争における北部連邦政府で、1861年に南部との戦いが始まると、私設郵便に対する抑圧はいっそう激しさを増したという。
 これはただの偶然ではない、とファローピアンは言う。合衆国を再編する流れのなか、郵便を独占事業にしようと目論んだ政府が、「改革」の名のもとで私設郵便を潰しにかかったのだ。
He saw it all as a parable of power, its feeding, growth and systematic abuse[…] (p39)

《それはすべて権力の譬えばなしなのだ、権力が授乳期、成長期を経て組織的濫用にいたるという譬えばなしだと。》p63/p71

 あるとき突然「違法」なものにされた私設郵便を、権力から一方的な抑圧を受ける側の典型としてとらえる。虐げられる彼らの歴史は、裏返せば、権力の歴史である。だからこそ、いま〈協会〉の行っている「合衆国郵便を使わない手紙のやり取り」が、政府への対抗活動になるのだ。

 とはいえ、ピーター・ピングイッドにまつわる史実についても微妙に間違っていた→その46ように、この「抑圧の歴史」も、注釈書によれば、大づかみすぎて正確ではないということになる。
 しかしながら、政府による改革が必然的に私設組織の抑圧を伴ったという基本図式に間違いがない以上、〈協会〉のやっていることは(実効性はともかく)意義があるように見えなくもない。

 そう考えてみると、いまさっき行ってみた合衆国郵便のサイトにある、「郵便の歴史」――当然、抑圧についてはひと言もなしに改革を語る、政府の側から見た歴史――が、うしろで暴虐をふるいながらおもて向きはもっともらしい顔をしている「権力」に見えてくるのだから、なんというか、自分はあまりにも人の影響を受けやすいと思った。こういう人間がいちばん危ない。何の話だ。

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その49 ― ピンチョン Lot 49
The Crying of Lot 49 (Perennial Classics)

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 トイレの壁で「WASTE」という謎の言葉と謎のマークに出遭ったエディパが席に戻ってみると、郵便配達夫から手紙を受け取っていたファローピアンが決まりの悪そうな顔をしている。手にした封筒には、合衆国郵便の消印の代わりに「PPS」というスタンプが押されていて、〈ピーター・ピングイッド協会 the Peter Pinguid Society〉の略称なのがわかる。「まずいところを見られてしまったなあ」。
“Of course,” said Metzger. “Delivering the mail is a government monopoly. You would be opposed to that.”
Fallopian gave them a wry smile. “It's not as rebellious as it looks. We use Yoyodyne's inter-office delivery. On the sly.[…](p38)

《「そりゃそうだ」とメツガー。「郵便の配達は政府の独占事業だもの。きみたちは、それに反対することになる」
 ファローピアンは二人に向かって苦笑した。「みかけほど反抗的なものじゃないんです。ヨーヨーダインの社内便を利用しているんですよ。こっそりとね。[…]」》p62/p69

 これが〈協会〉の活動だった。つまり、私設郵便である。
 産業資本主義の権化であるような巨大企業・ヨーヨーダイン社の社内便を悪用し、勝手に郵便をやり取りすることで、政府の郵便制度を侵犯してしまう。ささやかながら、これは反体制的活動なのだ。
 ここサン・ナルシソ支部をモデルにして〈協会〉の各地支部で活動が展開されていくらしいが、そのくせファローピアンは言い訳がましい。なぜか。
 理由はある。いま現在、この仕組みを使ってどのような通信が行われているのかというと、利用の大半を占めるのはべつだんテロ計画でも政府を出し抜く機密の漏洩でもなく、「お元気ですか?」程度のどうでもいい連絡なのである。
“To keep it up to some kind of a reasonable volume, each member has to send at least one letter a week through the Yoyodyne system. If you don't, you get fined.” (p39)

《「主義を何とか、まずまずの存在にしておくために、会員は少なくとも週一回、ヨーヨーダインの組織を通じて手紙を送らなければならないことになっています。そうしないと罰金を取られるんです」》p63/p70

 制度がまずあり、それを維持するために、内容がなくても通信を行わなくてはならない。メッセージではなく、メッセージを伝達する行為だけが重要になった倒錯気味の現状をファローピアンは恥じているように見える。
 それでは、その主義とやらのよってきたる理念とはどういうものなのか。そういう話になると、彼はがぜん雄弁になるのだった。

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その48 ― ピンチョン Lot 49
競売ナンバー49の叫び

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 エディパの入ったトイレの壁には、卑猥な落書きにまじって次のメッセージが書かれていたのだった。落書きは落書きだが、きっちりした字だったという。
“Interested in sophisticated fun? You, hubby, girl friends.
The more the merrier. Get in touch with Kirby, through
WASTE only, Box 7391, L.A.”
(p38)

洗練されたお遊びはいかが? あなたも、ご主人も、ガールフレンドも。
人数が多ければ、それだけ楽しくなります。カービーにご連絡を。
ただしWASTEを通じて。ロス・アンジェルス私書箱7391
p61/p68

WASTE」とは何なのか、今のエディパにはわからない。ゴミ?
 そしてメッセージの下には、これまで見たことのない印が薄く鉛筆で書かれていた。輪と三角形と台形の組合せでできているそのマークは、こんなものである。
          lot49

 マークはともあれ、メッセージの内容を勘繰ると、なんとなくいかがわしい雰囲気が感じられなくもないが、エディパはなぜだか、そういうものではないんじゃないかと思う。
 何らかの組織からの誘い。ではこのマークは、そのグループのシンボルなのか。彼女はペンと手帳を取り出し、この落書きをメモして、「秘密文字(hieroglyphic)だわ」、と嘆息する。
 以前、丘の上からサン・ナルシソを眺めたとき、街並みが「意味を秘めた神聖文字のようなパターン」として感じられた→その18のと同様に、この落書きされたマークも、エディパの目には「何か、自分にはわからない秘密の意味」を隠した暗号として映るのだった。

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