2019/08/06

内田百閒『第二阿房列車』(1954)

旺文社文庫(1979)


 こないだ『阿房列車』の感想を書いたとき、ぜひとも引用するつもりでし損なった箇所があったので、まずそこから書く。「鹿児島阿房列車 後章」、鹿児島で泊まった旅館の人に用意させたお弁当を、八代へ向かう車中で食べるところである。
《宿の女中が包んでくれた折をあけた。蓋を取つて見ると、驚いた事に鼓[つづみ]の形の握り飯が一ぱい詰まつて、阿房[あはう]が昼寝をした様に押しくら饅頭してゐるだけで、外の物はなんにも這入[はひ]つてゐない。これでは食べられはしない。きつとおかずは駅売りの物を何か買ふだらうと彼女が判断したのである。それにしても一寸[ちょっと]佃煮か漬け物を添へておいてくれればいいのに、それどころか、昨日宿で出した時は胡麻塩で結んであつたのが、今日は胡麻も掛かつてゐないすつぽろ飯である。
「これぢや食べられないね」
「はあ」
 山系君も感心して見てゐる。
 しかしながら、矢つ張り食べた。一旦そのつもりになつて催したから、思ひ止[とど]まつて蓋をするわけには行かない。山系にも因果をふくめて、是非食べる様すすめた。
 一つ口に入れて見たが、ろくろく塩味も利いてゐない。全くどうにもならない代物である。うまくなぞないのは勿論だが、一たび食べるときめた以上、その方針に従つて食べてしまふ。お茶でもあれば嚥[の]み込むけれど、それもない。山系が途中で投げ出すかも知れないから、さうさせない様に監視しながら、食べ続けた。
 八つか十這入つてゐたのだと思ふ。後に二つ残つてゐる。
「もう咽喉[のど]を通らない」
「もう駄目です」
 しかし残つた二つを窓から捨ててはいけない。さう云ふ事をすると目がつぶれる。大事にしまつて、八代の宿へ持つて行く事にした。
 汽車がもう一度鉄橋を渡つて球磨川の岸から離れ、それから八代駅についた。》『阿房列車』(旺文社文庫)pp153-4「鹿児島阿房列車 後章」*太字は引用者、以下同じ。

 同行者に「因果をふくめて」「監視しながら」食されるおにぎりが、この世界にはあるのだった。《阿房が昼寝をした様に押しくら饅頭してゐる》というあんまりな比喩や、《「これぢや食べられないね」》から《しかしながら、矢つ張り食べた。》への絶妙な呼吸などなど、ここのくだりは思い返すたび無限におかしい。
 あと、この引用の終わりにあるように、「これこれこういうことがあった(こういうものが見えた)、そして○○駅についた。」という書き方はこれまでも・これからもあちこちで繰り返され、そこに面白ポイントがあることが多い。それで引用が長くなるのはもう仕方がないじゃないかという気持で、続きは『第二阿房列車』(1954)に移る。
《これからその話をすると云つても、往復何の事故も椿事[ちんじ]もなく、汽車が走つたから遠くまで行き著き、又こつちへ走つたから、それに乗つてゐた私が帰つて来ただけの事で、面白い話の種なんかない。それをこれから、ゆつくり話さうと思ふ。抑[そもそ]も、話が面白いなぞと云ふのが余計な事であつて、何でもないに越した事はない。どうせ日は永いし、先を急ぐには及ばない。今のところ私は、差し当たつて外に用事はない。ゆつくりしてゐるから、ゆつくり話す。読者の方が忙しいか、忙しくないか、それは私の知つた事ではない。》p65「春光山陽特別阿房列車」

 百閒はこの巻で4本の阿房列車を走らせる。
 まず、「雪中新潟阿房列車」で雪の積もった新潟を訪ねる。帰ってすかさず、秋田県の横手へ行ったのが「雪解横手阿房列車」。それから京都へ向かったのは、山陽本線にデビューした特別急行列車の処女運転に招待されて始発の京都から終点の博多まで乗るためであり、せっかく博多まで行くのだからと、熊本県の八代へ足を伸ばして帰るのが「春光山陽特別阿房列車」。京都が始発だからまず京都へ行き(わからなくはない)、博多のついでで八代までとなると(わからない)、この旅行に「山陽」の名が付いている意味は…とこっちが悩んでしまうが、次の「雷九州阿房列車」ではタイトル通り、ふたたび東京の自宅から九州まで遠出する。事前に定めたスケジュールに従いあちらこちら回っていると、それがなぜか結果的に各所で猛威をふるう台風をことごとく避けるかたちになって何事もなく帰る。
 このうち横手と八代は『阿房列車』で行っているから再訪になる。こういうのを「曾遊の地」と呼ぶのを私はこの本で知った。八代は、最初に引用した、食べ切れなかった握り飯を持って行ったのが1回目で、この『第二阿房列車』では2回訪れるから都合3回、いつも同じ宿に泊まる。よほど気に入ったらしいがしかし、こんなふうにまとめて説明してどうなるというのか。なにしろ相手はこんなことを書く人である。
《外へ出たらすぐにタクシイの空車が来た。だから乗つたけれど、中央線の市ケ谷駅も四谷駅も近い。自動車に乗らなくても、電車で行けば東京駅の中まで這入る。二三年来の阿房列車の初めの内は、特別急行の一等車に乗る旅行でも、東京駅迄は電車で行つて、それが普通であつた。この頃はさうでない。大概タクシイで出掛ける様である。自動車に乗つたから贅沢だと云ふ事もないが、電車の料金より高いことは高い。だから無駄だと云ふ意味で無駄を排除しようと云ふ方へ、考へ方を向けるのはこの場合よくない。それを考へつめれば、阿房列車が成り立たない。つい自動車に乗る様になつたのは、往来に自動車の数が多くなつたからで、この責めは自動車の方にある。》p118「雷九州阿房列車」

《別府は温泉地であつて、この宿も勿論温泉旅館である。しかし私は温泉に這入りに来たのではない。何しに来たと云ふこともないが、温泉を目的にして来ない事だけははつきりしてゐる。しかし断じて温泉にはつからないと云ふ決心で来たわけでもない。普通の風呂のつもりで這入つてもいいし、又都合では這入らなくてもいい。もともと私は温泉場と云ふものが好きではないけれども、かうしてここへ来たのは、だれからもおどかされて来たのでなく、自分が来ようと思つた所へ来た迄であるから、自分で来ておいて、かう云ふ所はきらひだなどと考へるのはをかしい。だから一服して、落ちついて、ちつとも嫌つてはゐない。明日は一日ゆつくりして、明日の晩も泊まるつもりである。なぜ来たかと、追究する者はだれもゐない。》p163「雷九州阿房列車」

 同じ人がこういう景色をスケッチしているのも『阿房列車』と同じである。
《沿線の畑に麦が伸びかけてゐる。窓の外は全くの春景色である。さうして少し曇りかけて来た。広島で附け換へた機関車の白い煙が、竹藪の中へ這入つて、通過する迄、出て行かないし、消えもしなかつた。
 宮島の波の中のお鳥居が見えて、その後又暫らくの間海の景色が展[ひら]けたが、手前の島の上を越した沖の空は、次第に暗くなつてゐる。遠くの方は雨が降つてゐるかも知れない。》pp94-5「春光山陽特別阿房列車」

 ところで今回、最初の「雪中新潟阿房列車」で、大正12年(1923)の関東大震災よりも前のこととして回想される話がある。
 ――陸軍士官学校の教官だった百閒は出張を命じられ、本人としては京都へ行きたかったのに、決まった行き先は仙台だった。ぜんぜん違う。しかし京都はあきらめきれない。どうするか。東京から仙台まで行き、京都に寄って帰ればいい。
《それで鉄道地図を按じて、道順を研究した。仙台から常磐線で平へ出る。平から磐越東線で郡山に出て、磐越西線を通つて、新潟へ行く。新潟から北陸本線へ廻つて、富山、金沢、敦賀を通り、米原に出て京都へ行く。大変な廻り道の様だが、仙台から東京に帰り、東海道線で京都へ行くよりは、この道順の方が当時の里程の計算で二十哩[マイル]程近い事を知つた。だから、その方から考へても、仙台に出張した途中、京都へ寄つて来るといふ考へ方が成立する
[…]
 右の道順で京都へ行くとしても、もつと倹約する事は出来た。常磐線の平なぞへ行かないで、東北本線の郡山から磐越西線に乗る事にすればいい。仙台から平へ出て郡山へ行くのは三角形の二辺であり、すぐに郡山へ行けば、その一辺ですむ。従つて距離もそれだけ縮まり、さつき挙げた二十哩と云ふ数字がもつと多くなる。それを知つてゐながら平へ出たのは、一日の内に、太平洋岸の平から、日本海岸の新潟へ出て見たかつたのと、もう一つには、その少し前に開通した磐越東線と云ふ新線路を通りたかつたからである。阿房列車の病根は、何十年も前から兆してゐた事を自認する。》p10「雪中新潟阿房列車」

 狂気の沙汰だとわたしは思う。「狂気」の響きは強すぎるかもしれないが、その強さでもって《病根》を切り離すのではなく、鉄道が好き・汽車が好きという「日常」とこのような領域は地続きにつながっているらしいこと、人はわりと無造作にそんなところにも足を踏み入れるらしいこと、だから、そちらだけピックアップすると「狂気」に見える世界だってじつは日常の少し先(だったり内側だったり外側だったり)にふつうの顔で広がっているみたいだということがわたしは言いたかった。
 そしてまた、ここを引用する理由のもうひとつは、《仙台から常磐線で平へ出る。》《常磐線の平なぞへ行かないで》《太平洋岸の平から》という「[たいら]」がわたしの実家にほど近いからだった。
 震災より前となるとわたしの祖父も生まれておらず、その意味では、つながりを思い浮かべようにも浮かぶんだか浮かばないんだか曖昧になるくらい時代が遠くて想像のぜんたいがぼんやりしてしまうのに、ただ場所だけは、祖父やわたしが立って歩いたのと同じあたりだろうという点で確かな足場になるようで、でもその場所を、自分がいま読んでいる本を書いた昔の人が――しかも書いている時よりずっと前に――通過していたことも確かな出来事として感じられるかというとそれはそれでまた曖昧になるようで、あやふやなのと確かなのが混じった妙な気分にうっすら包まれる。

 それはともかく、上記の旅程が無茶なら(実際、無茶だと思う)いまの阿房列車も無茶だとはっきり再確認される(実際、無茶である)。そのうえで、以下のようにおとなしく座席に腰を下ろして発車を待つ様子や到着した宿での落ちついた様子が書かれると、かえって凄みがあるというのとも違い、ただ坦々と、おかしい。
《少し早目に乗り込んでゐて、さうして発車を待つ。なんにもする事はない。その間の時間が実にいい。神聖な空白である。見送りがあると、見送り人には顔があるから、その顔に拘束されてしまふ。又何か云ふから、発車まで受け答へをしてゐなければならない。動き出せば更[あらた]めて挨拶を要する。阿房列車が行くと云ふので、別れを惜しむなぞと云ふ心事は、人の心事でも自分の心事でも腑に落ちない。》p14「雷九州阿房列車」

《又火鉢の傍に戻つて、ぢつとしてゐる。ぢつとしてゐるより外に、ポーズの作り様がない。昨夜はホテルでよく寝て、今朝はゆつくり起きたから疲れてはゐないし、眠くもない。何でも出来るけれど、なんにもする事がない。昨日一日の車中にくらべて極楽である。八代へ来てよかつたと思ふ。
 夕方近くなつて、少し風が出たらしい。潮騒の様な音がする。しかし海は遠くて、波音が聞こえる筈はないので、松籟[しようらい]かも知れないと思ふ。その微かな響きを貫く様に、雨の中で鵯[ひよどり]の声がした。》p108「春光山陽特別阿房列車」

 こういうところを読んでいると、小さくて静かで何気ないことを書くのが百閒はうまい、みたいなことを言いそうになる。でも別にそこには限らずに、たまに出てくる「何気なくないこと」の描写だってもちろん、読み応えがある。寝台車の窓から、ふだんは縁のない壮大な景色を目撃するところ。
《どこだか解らない所で目がさめた。in bedで、寝たなりで、窓のカアテンを引き寄せて見たら、向うの遠い空の下の端が、灰色になりかけてゐる。もう駄目だと思つて、半身起き直つた。さうして煙草を吸つて、本式に目をさました。
 矢つ張り夜明けだつたので、段段に灰色が褪せて、地平線から赤い大きな朝暾[てうとん]が昇つて来た。私に取つては、実に驚天動地の椿事である。ああして、いろいろの事のある一日が始まるのかと、呆気に取られて、眺めた。
 向う側の寝床に山系がいつ迄も寝てゐるのは業腹だから、起こしてやつた。
 日の出ををがみなさいと云つたら、曖昧な返事をして起き出した。
「どこです、どこです」と云ふ。
 山系の窓のカアテンを引いたら、正面に真白い富士山が映つた。西の空にはまだ夜の尻尾の様な朦朧とした暗さが残つてゐる。その薄闇を裂く様に、白い富士山が聳えて、東天の旭日と向かひ合つた景色を、自分の方の窓と、代る代る見て見返つて、一日の朝は、かうしたものなのかと考へ直した。
 朝の富士山は白くて美しいばかりでなく、飛んでもなく大きなものだと云ふ事を思つた。
 段段に東京に近づき、朝の営みの町や村に、長い白煙の尾を投げながら、走り続けた。さうして、まだホームの屋根の下かげに、夜の色が残つてゐる上野に著いた。》p62「 雪解横手阿房列車」

「雷九州阿房列車」では、九州地方を蹂躙する台風のコースからつねに外れて漫遊する運のよさを発揮して、自分たちは無事でも、暴風雨の爪痕は目に入る。そんななかで阿蘇の山すそを通る。
《二十六の駅の真中辺りになる宮地駅に汽車が停まつた。手前のこちらの、屋根のないホームには、さらさらと明かるい雨が降り灑[そそ]いで、ホームの砂利を濡らしてゐるが、向うの山は霽[は]れかけてゐる。大きな箆[へら]でそいだ様なあざやかな山の皺が麓[ふもと]に走り、下の方の山肌は目がさめる様な緑の色を一面にひろげて、その上を帯になつた白い雲が流れてゐる。
 宮地を出て、次の波野駅へ行く間に大小無数の、数へ切れない程の滝を見た。絶壁に巨巌が聳え、その天辺[てつぺん]から恐ろしい勢ひで落下する十数丈の滝から、兵子帯[へこおび]ぐらゐの短かいのに至るまで、落ちて来る水は皆、赤黒い色の濁水である。ヨナを溶かして押し流してゐたのであらう。滝を囲んだまはりの崖には、庭師が手入れをしたかと思はれる様な、背の揃つた短かい青草が生え茂つてゐる。思ひ掛けない絶景に接し、車窓に向けた頸筋が痛くなる様であつたが、この無数の濁水の滝は多分、雨の為であつて、ふだんは水の落ちてゐないのもあるだらう。烈しい繁吹[しぶ]きを上げて山腹の岩を叩いた水が、勢ひが余つて線路を襲ふ様になり、私共の通つた後でこの線を不通にしたのではないかと思ふ。》p153「雷九州阿房列車」

 こういうスペクタクルは珍しい。そういえばこの『第二阿房列車』の旅をしていたころというのは、『東京焼盡』(1955)の原稿を整理していた時期と重なるのかもしれない。違うかもしれない。だからなんだというわけでもない。
 あと珍しいというか、1冊目の『阿房列車』との違いでいえば、本を出してこの鉄道旅行が知られるようになったためだろう、行く先々の駅や宿でその土地の記者からインタビュー(インタアヸウ)されることが何回かあった。
《若い新聞記者が、何となく遠い顔附きをした。
「阿房列車の取材ですか」
 知らないかと思つたら、そんな事を云ひ出した。
「それは家に帰つて、机の前に坐つてからの事で、今ここでかうして君のお相手をしてゐる事と丸で関係はない」
「でもさうなのでせう」
「さうでないと云ふ必要もないし、さうだと考へる筋もない。要するにそんな事は、後の話さ」
「さうですか」
「帰つてからの事だよ」
 そこいらで御免を蒙[かうむ]つた。》pp24-5「雪中新潟阿房列車」

 返事じたいは何となく予想される通りなんだけど、長い汽車旅のあとで疲れていても、楽しみにしている食事の前でも、インタビューじたいは(彼らも上司から命じられた仕事なんだろう、と事情を推しはかって)受けてあげる姿に「へえ」と思わされた。自分の我を通すのは当然ながら、相手には相手の我が別のものとしてあることもまた当然、みたいな。旅先の人が用意したイベントの予定が変わり、そちらに合わせてくれるよう頼まれて、むっとしながらも先方の好意なんだからと受け入れる場面もあった。まるで人格者である。
 しかしこの人格者が『阿房列車』から引き続き過敏に反応する状況があった。ふたりの人間が同じ方向をむいて横並びに座ること、これである。
《コムパアトの二重窓のカアテンを搾つた硝子[ガラス]越しに、綺麗な燈火が飛んで行くのが見える。八時半の夕食なら、家にゐるより早い。そろそろ始めよう。
 洗面台を食卓にして、その上に持参の御馳走を列[なら]べた。それに向かつて山系君と二人竝[なら]んで、ベツドの縁に腰を掛けると、二人共同じ方を向き、気違ひ同志が養生してゐる様な格好になるから、分別を要する。コムパアトに這入[はひ]つて食事をすると、いつもその問題がある。いつぞやはボイが空き箱を持つて来てくれて、それを腰掛けにした。汽車の中でそんな手頃の空き箱がいつでも間に合ふとは限らない。だから今度は絵かきの使ふ三脚を買つてきた。》p74「春光山陽特別阿房列車」

 そのこだわり(と比喩)は、ほんと何なんだ。とはいえこういった鋭敏な感性があってこその名文の数かずなのかもしれず、たとえば次のような観察眼はどうだ。そこに目を留め、しかもそれを「書くべきもの」として書くのである。
《「鳥海」の横手駅の停車時間は八分である。乗客が大勢降りてきて、一昨年[をととし]の秋私共が蕎麦の起[た]ち食ひをした売店の廻りに人垣をつくり、丼[どんぶり]を片手に持つて蕎麦のかけを食べてゐる。横目で見ながら駅長さんと竝[なら]んで通り過ぎる時、蕎麦の上に卵を掛けたのが目についた。朝の光りで、上に丸く乗つた、まだ潰さない黄身がきらきらと光つた様だつた。》p44「雪解横手阿房列車」

 いまのは目の例だが、耳の観察もある。京都駅の様子。
《早朝でも駅の中は人が混雑してゐる。東京駅よりは下駄の音が多い。それだけに、うるさい。》p79「春光山陽特別阿房列車」

 この時代にはそんな種類のうるささがあった、というのは考えたことがなかった。
「何気ないこと」であれ「何気なくないこと」であれ外界の観察も面白いが、自分の内側にある感覚を言葉にするときに百閒の文章は本領を発揮すると思う。感覚の言語化はなるべく引用したい。
 新潟の宿で深酒した翌日、起きると部屋ではお供の「ヒマラヤ山系」氏と、かつて大学で教えた学生で当地に在住の「状阡[じやうせん]」氏が将棋を指している。
《私は炬燵[こたつ]を横目に見て、端坐してゐる。将棋なぞ面白くもない。なぜと云ふに昨夜の飲み過ぎで、頭の奥とか胸の中とか、さう云ふ限られた所でなく、私の身のまはり一帯が陰鬱である。どつちが勝つてゐるのか、負けさうなのか知らないが、二人共六[む]づかしい顔をして、押し黙つてゐる。そこへ山系の迎への自動車が来たと知らせて来た。
 山系君があわてて支度をして出掛けた。管理局へ挨拶に行つたのである。その後で食ひさしの将棋を私がしやぶる事になつた。随分長い間掛かつて負けた。私が負けたのは、状阡が勝つただけの事だから構はないが、状阡が余り理詰めの手ばかり指すので、頭がこちこちになつて、座辺に揺曳[ようえい]する宿酔[ふつかゑひ]が凝固した様な気がした。
 ぢきに山系が帰つて来て、状阡が一先[ひとま]づ去つて、晩を待つ順序になつた。その間何も用事がないから、今日はお風呂へ這入[はひ]つた。尤[もつと]も用事がないと云ふのは、起きてから今迄だつて何も用事があつたわけでなく、これからもあるわけではないから、さう云つても意味はない。しかし用事がない間にも、まだもつと用事がないと云ふ境涯はある。「だからお風呂へ這入つた」と云ふ、その理詰めの考へ方がいけない。》pp26-7「雪中新潟阿房列車」

 感覚(宿酔)の言語化から、後半はどれほど理屈を遠ざけたいかという話にズレていくのがぜんぶ面白い。
 博多のホテルで朝食代わりにアイスクリームを食べるところは、観察と描写、感覚の言語化、「何してんだ」感そのほか、もろもろの要素が詰まって本書の白眉をなしている。
《暫[しば]らくしてボイが、珈琲とトーストと、別にアイスクリームを三人前運んで来た。その三つをみんな私の前に列[なら]べて、端のカツプから一匙ふくむ。大変うまい。昨夜もお酒の後でみんなで食べたが、昨夜のはクリーム・サンデエであつた。今朝のは、初めからボイに白いのを持つて来いと命じたから、三つ共白い。その色と、円く盛り上がつた肌が、朝の日をすがすがしくする。家にゐるとさう行かないが、旅行に出れば私はアイスクリームばかり食べてゐる。好きなのだらうと思ふけれど、どこがどういいのか、考へて見た事もない。味もよくわからない。味はひ分けたり、比較したりする事は丸で出来ない。ただ子供の時珍しかつた衛生元祖アイスクリン以来、いつでも、あれば食べたいと思ふ。
 一人前済まして、二つ目に掛かつた。もう大分口の中が冷たい。山系君はトーストをかじつてゐる。それに珈琲だけでは、彼はおなかがへらないかなと案じながら、二つ目の仕舞頃になつたら、少し口中が冷た過ぎて、もういいと思ひ出した。だから矢つ張り私が二つ、彼が一つで丁度よかつたのだが、食べないと云ふから仕方がない。そこで三つ目に匙を突つ込んだ。
 三つ目の半ば頃になると、口の中がしびれて、舌に感覚が無くなり、匙でしやくつて入れても、溶けて咽[のど]を流れるところしか感じない。味も解らず、特に冷たいと云ふ事もない。初めの内は冷たいのがすがすがしい気持であつたが、もう何ともない。さうして余りいい気持ではなくなつた。少し頭痛がする様でもある。
 […] 兎に角[とにかく]我慢して三つ目を綺麗に片づけた。第一、山系の前で残したりしては、沽券[こけん]にかかはる。冷え切つた口で煙草を吸ひ、暫らくさうしてゐたら、しびれが取れてもと通りになり、頭痛もなほつた。》pp102-3「春光山陽特別阿房列車」

 アイスクリームの見た目を描いて思い入れを語り、食べる際の感覚も巧みに言葉にしていった結果、山系氏のかじつてゐるトーストと珈琲まで大変おいしそうに見えてくるここのくだり、文章を使ったどんな技がかけられているのか何度読んでもよくわからない。ただ、読み返すたびトーストはいっそうカリカリに焼き上がり、熱くて黒い珈琲が鼻をくすぐるのである。百閒は、横目でも見ている。
 次は、横手の宿で大勢で楽しくお膳を囲んでいる最中、とつぜん猛烈な背中のかゆみに襲われるところ。手は届かない。まごの手までは持ってきていない。
《丁度その時、ここへ顔を出した宿の主人が、
「まごの手なら、帳場に御座います。今持つて来させませう」と云つた。
 大いによろこんで、流石[さすが]は横手の耆宿[きしゆく]だと云つたが、そんな宿があるものではない。だれにも解らなかつたから、いい工合にほつておいて、背中の痒[かゆ]い所が、まごの手の来るまで動かない様に、ひろがらない様に、丹田に力を入れて待つた。
 女中が来て、主人に何か云ふ。手に何も持つてゐない。主人が気の毒さうな顔をして、
「あつたのですけれど、ある筈なのですけれど、いくら探しても見つからないさうです」と云つた。
 それを聞いたら、さつきの倍の倍も痒くなつた。もう我慢が出来ない。どうしたらいいだらう。背中の真中に渦巻が出来て、ぐるぐる廻りながら、そこいらをくすぐる。
「駄目だ。もう、到底駄目だ」
 管理職の若いのが気の毒がつて、掻いて上げますと云ひ、すぐに手を突つ込んだ。宿屋のどてらだから、彼の手はらくに這入る。そこそこ、いやもつと奥の所と註文を出した。みんな杯の手を休めて、うまくそこへ行つたか知らと云ふ顔をして、見つめた。》p56「雪解横手阿房列車」

《背中の真中に渦巻が出来て、ぐるぐる廻りながら、そこいらをくすぐる。》にもほれぼれするんだけど、最後に《みんな杯の手を休めて、うまくそこへ行つたか知らと云ふ顔をして、見つめた。》と、みずからの感覚を見つめる自分の姿を見ている周囲の目まで視界に入っていることに舌を巻く。アイスクリームとトーストの関係に似ているかもしれない。
 周囲の目、というつながりで、京都-博多間を走る新急行に招待された際、広島駅での停車中に記者から受けたインタビューをぜんぶ書き写す。
《「大阪から乗られましたか」
「いや京都から」
「いかがです」
「何が」
「沿線の風景に就いて、感想を話して下さい」
「景色の感想と云ふと、どう云ふ事を話すのだらう」
「いいとか、悪いとか」
「いいね」
「しかしですね、今、日本は戦争か平和か、国会は解散かと云ふかう云ふ際に、この様な列車を走らせる事に就いては、どう思はれますか」
「そんな事の関聯で考へた事がないから、解らないね」
「更[あらた]めて考へて見て下さい」
「更めて考へたくない」
「国鉄のサアヸスに就いては、どうですか」
「サアヸスとは、どう云ふ意味で、そんな事を聞くのです」
「車内のサアヸスです」
「それは君、今日は普通の乗客でないのだから、いいさ」
「サアヸスはいいですか。いいと思はれますか」
「よくても、いいのが当たり前なんだ。よばれて来たお客様なのだから」
「広島へ行かれましたか」
「行つた」
「いつです」
「最近は一昨年」
「原爆塔を見られましたか」
「見た」
「その感想を話して下さい」
「僕は感想を持つてゐない」
「なぜです」
「あれを見たら、そんな気になつたからさ」
「その理由を話して下さい」
「さう云ふ分析がしたくないのだ。一昨年広島へ来た時の紀行文は書いたけれど、あの塔に就いては、一言半句も触れなかつた。触れてやるまいと思つてゐるから、触れなかつた」
「解りませんな」
「もういいでせう」
 漸く隣席から起ち上がつた。「お忙しい所を済みませんでした」と云つて向うへ行つた。》pp92-4「春光山陽特別阿房列車」

 原爆塔について《一言半句も触れなかつた。》は厳密には間違いじゃないかと思うが(前回、引用もした)、ここもあんまり予想から離れず、いかにも百閒ってこういう人であるよな、と納得させられるやり取りであるけれども、これはインタビュアーの書いた記事ではない。旅から帰ったあと、自宅の机で自分とまったく噛み合わない記者の質問のほうも百閒が書いていると考えると、いつもの自分を貫いているだけでなく、世間と自分の食い違いにも自覚的であることが(当たり前なんだけど、あらためて)よくわかる。『阿房列車』の書き出しを思い出してしまった――《阿房と云ふのは、人の思はくに調子を合はせてさう云ふだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考へてはゐない。》

 自他の区別が画然とあるし、自分が見る自分と他人が見る自分の両方が文章に入っていて、「それなのに」なのか、そもそも関連はないのか、随筆と小説の境界はあちこちで崩れる。というか両者は文章でつながっている。八代のお気に入りの宿で(「御当地さん」は女中のあだ名):
《明かるい内から始めて、いつ迄もお酒を飲んでゐた様だが、切り上げ時はよく解らない。山系君や御当地さんを相手に、何を論じてゐたかも記憶にない。ただ何だか知らないが、初めから仕舞までしやべり続けてゐた事だけは間違ひない。
 夜が更けてから、廊下のすぐ下の池の縁に、ちつとも動かない大きな螢が、いつ見ても同じ所でぴかりぴかり光つてゐるのが気になつた。螢の様な色で光るから螢だらうと思つたけれど、螢ではなかつたのか、それはわからない。親指の指の腹よりまだ大きかつた。かすかに赤味を帯びた緑色で、人の目を見返す様に光つた。後になつて、水伯[すゐはく]の目玉ではなかつたかと思ふ。》pp137-8「雷九州阿房列車」

 2度目の秋田県、横黒線沿線を眺めて:
《発車をするとぢきに山の間へ這入つた。積もつた雪の上に暗い雨が降つてゐる。一昨年の秋、一度往[い]つて返つただけの沿線の景色にすつかり馴染みが残つてゐる。山のたたずまひ、川の曲がり工合、一ぺん見ただけの所がこんなに記憶に残るものかと、不思議な気持がする。年が経てば、かう云ふのが夢の中の景色になつて、追つ掛けられると、この山のうしろへ逃げ込んだりするのだらう。今、うつつに見てゐる窓外の山の姿も、さう云へば夢の中の景色の様な気がしない事もない。
 黒沢近くの雪は、三米[メートル]、一丈と云ふ程の事はなかつたが、随分深い。駅に這入つて停まつたら今までの雨が霰[あられ]になつて、歩廊の踏みつけた雪の上に、小さな綺麗な玉が、ころころ転がつた。》pp58-9「 雪解横手阿房列車」

《年が経てば》と言うけど、この本よりもずっと若いころ、大正の終わりから昭和のはじめに書かれた『冥途・旅順入城式』所収の短篇の数かずで、わたしはこんな風景をいくつも読んだ気がする。
 若いうちから百閒じしんのなかにあり、ときどき小説のかたちで表現してもいた「夢に見るような風景」を、年を経てから自分の外に(実際の風景として)発見しているような気配があって、だとしたらこれは、創作する人にとって心象風景なるもののあり方は他人が考えるより入り組んでいることを示すのか、逆にずっと単純なことを示すのか、不思議な気持がする。

 趣味が引用であるため、これくらい引用しても、まだ付箋を貼った箇所の半分にもならない。ふつうの言葉でありながら百閒が使うと面白みが増す言葉がいくつかあって、そのひとつは「利口」だと思う。発車時刻よりだいぶ前に駅に着いたときには、こんな意見を述べている。
《かうして早手廻しにやつて来て、そのホーム迄出たけれど、実は行く所がない。行く所ではない、ゐる所がない。仕方がないから、帚[はうき]や塵取りを入れるらしい大きな木箱の蓋の上に手荷物を置き、それに靠[もた]れて煙草を吸つた。早からず遅からず、丁度いい工合に出て来ると云ふのは中中[なかなか][む]づかしいが、遅過ぎて乗り遅れたら万事休する。早過ぎて、居所がない方が安全である。しかしかう云ふ来方を、利口な人は余りしないと云ふ事を知つてゐる。汽車に乗り遅れる方の側に、利口な人が多い。p119「春光山陽特別阿房列車」

 謎すぎる断言だが、およそ待ち合わせに遅れたことがない(遅れることができない)わたしはこの考察に深く同意するものである。

 あとは百閒が故郷の岡山を書いているところをメモする。この『第二阿房列車』では2回、通過していた。
《空川[からかは]の百間川の鉄橋を過ぎ、旭川の鉄橋を渡つて、岡山へ著いた。いつでも岡山を通る時は、車外へ出て歩廊を歩いて見るのだが、今日は混雑しさうだから、よさうと思ふ。又新特急の処女運行だと云ふので、いろんな人が来てゐて、その中に知つた顔があると面倒である。座席にぢつとしてゐるに限る。さう思つてゐると、向うの窓をとんとん敲[たた]く者がある。大きな声で「栄あん、栄あん」と私の名を呼んでゐる。
 をさな友達の真さんがそこに起[た]つてゐる。
「わあ、ゐたゐた」
 しかし、この汽車に乗つてゐるのが、どうして解つたのか、解らない。
「そりや、あんた、こなひだ東京で会うた折、あんたがさう云うたがな」
 一緒にお酒を飲んだ時、さう云つたのだらう。しかし云つた覚えはない。
「覚えとらん。さう云うたかな」
「云うたから、知つとるんぢやがな。それ見られえ。ちやんと乗つて来とらあ。わつはは」
 これから博多、八代へ行くところなのに、東京へ持つて帰るお土産の大手饅頭を、箱入りと竹の皮包みと、私が時時夢に見る程好きな事を知つてゐるものだから、持ち重りがする位どつさり持つて来てくれた。饅頭に圧し潰されさうだが、大手饅頭なら潰されてもいい。昔の同じ町内で、私や真さんより少し歳下の保さんも来てくれた。歳下と云つても勿論大きなおやぢである。早咲きの桜の小枝を馬上杯に生けたのを持つて、車内へ這入り、私の座席の横に釣るしてくれた。桜の枝は博多のホテルまで持つて行き、馬上杯は東京へ持つて帰つた。
 三分停車で十一時四十七分、岡山を発車した。》pp90-1「春光山陽特別阿房列車」

《小さなテーブルの上の銀器や杯がいやに明かるくなつた頃、窓の外はもう暗かつた。岐阜大垣を過ぎて、いつ通つても雨が降つてゐる関ケ原、醒ケ井の辺りに今夜は雨が降つてゐたか、どうかも知らなかつた。
 いつ頃切り上げたのか覚えてゐないが、美しい雨滴の中に、京都駅の電燈が白く光つてゐるのを、カアテンをしぼつて眺めた事を考へると、その時はもうコムパアトに帰つてゐたのだらう。
 いつ、どの辺りで寝たかも判然しない。随分走つてから、しんとしたので目がさめた。汽車が停まつた儘[まま]、底の方へ沈んでいく様な気持がする。岡山であつた。深更一時半、ぢきに発車して、もとの通り走り出したら、又寝入つた。》pp133-4「雷九州阿房列車」

 たまたまなんだろうけど、にぎやかな岡山と、静かな岡山があった。そのどちらの場合も、百閒は汽車から降りることはしないのだけど。

 最後の最後に、この本でもっとも好きなところを引用して終わる。こんなに引用し、引用しきれなかったところもまだまだあるくせに、「もっとも好き」なものが選べるのかとわれながら思うが、それは迷いなく選べるのである。

《肉感の中で一番すがすがしい快感は空腹感である。その空腹感を味はひながら、晩のお膳を待つ。一日に一ぺん位お膳に向かつても、天を恐れざる所業ではないだらう。そこで成る可く[なるべく]御馳走が食べたい。それを楽しみに夕方の時を過ごす。》p34「雪中新潟阿房列車」

 ここを読むたび、次に自分が空腹になるときが楽しみになってしまう。たかだか100字ちょっとでこちらの肉体感覚のとらえ方を変えてしまう文章が、たしかにあるのだった。次は『第三阿房列車』です。


■ 旺文社文庫『第二阿房列車』(1979)目次:
雪中新潟阿房列車
 上野 新潟
雪解横手阿房列車
 上野 横手 横黒線 大荒沢
春光山陽特別阿房列車
 東京 京都 博多 八代
雷九州阿房列車 前章
 東京 八代
雷九州阿房列車 後章
 八代 熊本 豊肥線 大分
 別符 日豊線 小倉 門司

附録・鉄道唱歌
解説――遠回りの文学 長部日出雄
「第二阿房列車」雑記 平山三郎


*新潮文庫の『第二阿房列車』は、仮名づかい以外はこの旺文社文庫の本篇と同じものが入っているはず。この表紙はうらやましい。

第二阿房列車 (新潮文庫)
内田 百けん
新潮社
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2019/06/18

内田百閒『阿房列車』(1952)

旺文社文庫(1979)


 完璧な絶望が存在するのかどうかは知らないが、完璧な文章、とりわけ完璧な書き出しはたしかに存在し、そのようなものを前にしてはそれが小説なのか小説でないのかはどうでもよくなって、繰り返し何度も読み直すだけである。あと、ぼそぼそ音読して口と耳にも体験させるだけである。それから、手を動かして書き写すだけである。けっこうやることはある。
《阿房[あはう]と云ふのは、人の思はくに調子を合はせてさう云ふだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考へてはゐない。用事がなければどこへも行つてはいけないと云ふわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つて来ようと思ふ。
 用事がないのに出かけるのだから、三等や二等には乗りたくない。汽車の中では一等が一番いい。私は五十になつた時分から、これからは一等でなければ乗らないときめた。さうきめても、お金がなくて用事が出来れば止むを得ないから、三等に乗るかも知れない。しかしどつちつかずの曖昧な二等には乗りたくない。二等に乗つてゐる人の顔附きは嫌ひである。》p7「特別阿房列車」

 鉄道に乗るためだけに鉄道に乗るこの旅が始まったのは昭和25年というから1950年の10月22日(日)らしい。でもそのような数字は本文には顔を出さない。これはそういう記録ではない。
《しかし用事がないと云ふ、そのいい境涯は片道しか味はへない。なぜと云ふに、行く時は用事はないけれど、向うへ著いたら、著きつ放しと云ふわけには行かないので、必ず帰つて来なければならないから、帰りの片道は冗談の旅行ではない。さう云ふ用事のある旅行なら、一等になんか乗らなくてもいいから三等で帰つて来ようと思ふ。》p8「特別阿房列車」

 はじめてここを読んだとき、わたしは、この内田百閒という人は冗談を言っているんだと思った。自分の旅行を(行きだけなら)冗談の旅行ととらえているように、この文章が冗談なのだと思った。
 冗談のような旅行を、百閒は大真面目に実行する。
 若い国鉄職員の通称ヒマラヤ山系氏ひとりをお供に連れて(そのネーミングもどうかしている)、東京駅から大阪まで行って帰る(特別阿房列車)。次のときには静岡まで行って帰る(区間阿房列車)。その次は大遠征で、博多、鹿児島からぐるりと八代まで行って帰り(鹿児島阿房列車)、さらに次の旅では盛岡、青森、秋田、山形と東北を回って帰る(東北本線阿房列車・奥羽本線阿房列車)、以上5本の阿房列車を収めたのがこの『阿房列車』で……と律儀に説明しようとすると何だか虚しくなる。そんな小さな真面目さは、こんな旅行を本当にやっている人の真面目さからしたら、線路の砂利の一粒にも及ばないからだ。人に合わせて阿房ということにしておくけれど、自分でも冗談の旅行と言うけれど、つまりそれだけ厳粛かつ真剣に「用事はない」のである。
 なにしろ最初の「特別阿房列車」は出発するまでが長い。旅行には金が要る、それは人から借りて工面する、すると借金についてひとしきり自説が述べられる。
《気を持たせない為に、すぐに云つておくが、この話しのお金は貸して貰ふ事が出来た。あんまり用のない金なので、貸す方も気がらくだらうと云ふ事は、借りる側に起[た]つてゐても解る。借りる側の都合から言へば、勿論借りたいから頼むのであるけれど、若[も]し貸して貰へなければ思ひ立つた大阪行をよすだけの事で、よして見たところで大阪にだれも待つてゐるわけではなし、もともとなんにもない用事に支障が起こる筈もない。
 そもそもお金の貸し借りと云ふのは六づかしいもので、元来は有る所から無い所へ移動させて貰ふだけの事なのだが、素人が下手をすると、後で自分で腹を立てて見たり、相手の気持をそこねたりする結果になる。友人に金を貸すと、金も友達も失ふと云ふ箴言なぞは、下手がお金をいぢくつた時の戒めに過ぎない。
 一番いけないのは、必要なお金を借りようとする事である。借りられなければ困るし、貸さなければ腹が立つ。又同じいる金でも、その必要になつた原因に色色あつて、道楽の挙げ句だとか、好きな女に入れ揚げた穴埋めなどと云ふのは性質[たち]のいい方で、地道な生活の結果脚が出て家賃が溜まり、米屋に払へないと云ふのは最もいけない。私が若い時暮らしに困り、借金しようとしてゐる時、友人がかう云つた。だれが君に貸すものか。放蕩したと云ふではなし、月給が少くて生活費がかさんだと云ふのでは、そんな金を借りたつて返せる見込は初めから有りやせん。
 そんなのに比べると、今度の旅費の借金は本筋である。こちらが思ひつめてゐないから、先方も気がらくで、何となく貸してくれる気がするであらう。ただ一ついけないのは、借りた金は返さなければならぬと云ふ事である。》

《お金が出来ていよいよ空想が実現する形勢である。このお金は私が春永に返した時に初めて私のお金であつた事を実証するので、今は私のお金ではない。いくら私が浪費家であつても、若しそれだけのお金を自分の懐に持つてゐたとすれば、それを出して、はたいて、丸で意味のない汽車旅行につかひ果たす事は思ひ立たないであらう。私の金でなければ人の金かと云ふに、さうでもない。貸してくれる方からは既に出発してゐるのでその人のお金でもない。丁度私の手で私の旅行に消費する様になつてゐる宙に浮かんだお金である。これをふところにして、威風堂堂と出かけようと思ふ。》pp13-4「特別阿房列車」*太字は引用者。以下同じ。

 しかつめらしい理屈のようなものが、しかつめらしい理屈なのか怪しいまま展開し、融通無碍なパンチラインを旧かなで続々と繰り出して進むこの文章が『阿房列車』の本体で、だから汽車がホームを離れる前からこのように旅は始まっているわけだけど、それでもやはり、いちばんの読みどころは車窓を流れ去る風景の描写だと思う。さっきのアナーキーな借金論を書いたのと同じ人が以下を書いている。
《ぼんやりして窓の外の景色を眺めてゐると、汽車が何だか止まりがつかなくなつた様に走つて行つて、さうして時間が立つ。遠くの野の果てに、見えないけれど荒い砂浜があつて、その先に遠州灘がひろがつてゐると思はれる見当の空に、どことなく夕[ゆふべ]の色が流れてゐる。》p31「特別阿房列車」

《次第に暮色が車窓に迫つて、間もなく外は何も見えなくなつた。男鹿半島の根もとにひろがつた八郎潟の風光を眺めたいと思つたけれど、その辺りを通る時分はすつかり暮れ果てて、ところどころの乏しい燈[とも]し火が、水に映つてゐるかと思ふと、透かして見る窓硝子の露が光つてゐたりして、到頭なんにも解らない内に、長かつた筈の沿岸を通り過ぎ、追分を過ぎ、車窓の両側に燈火の数が多くなつたと思ふと、秋田駅の構内に這入[はひ]つた。》pp210-1「奥羽本線阿房列車 前章」

《横手の駅を出て、線路がカアヴすると、もう目の前に暗い山が、通せん坊をした様に立ちはだかつてゐる。狭間を伝ひ、隧道を抜け、屋根と柵ばかりの小駅を二つ三つ過ぎた頃から、時雨で曇つた窓の向こうに、紅葉の色が的皪と映じた。
 紅葉に川は附き物の様である。目についた景色には、必ず清流が、横切つて走る汽車に向かつて流れて来た。山川だから幅が広くない。しかし水量は多いらしく、それは時雨の所為[せゐ]もあるか知れないが、深さうである。その迫つた両岸に絢爛の色が雨に濡れて、濡れた為に却つて燃え立つ様であつた。
 山と山との間の縦の谷を流れて来る川を、汽車が走つて行つて横に渡るのだから、さう云ふ景色はあつと云ふ間に、すぐ通り過ぎる。さうして遮二無二走つて隧道に這入つてしまふ。
 隧道を出ると、別の山が線路に迫つて来る。その山の横原は更紗の様に明かるい。降りつける雨の脚を山肌の色が染めて、色の雨が降るかと思はれる。ヒマラヤ山系君は、重たさうな瞼をして、見てゐるのか見てゐないのか、解らない。
「いい景色だねえ」
「はあ」
「貴君はさう思はないか」
「僕がですか」
「窓の外のあの色の配合を御覧なさい」
「見ました」
「そこへ時雨が降り灑[そそ]いでゐる」
「さうです」
「だからどうなのだ」
「はあ。別に」
 それで大荒沢へ著いた。》p218「奥羽本線阿房列車 後章」

 きれいな風景がきれいに描かれるだけでなく、夜でも、悪天候でも、そして何気ないものであっても、百閒の文章はその都度かたちを変えて自在に対象を写し取る。
 もっとも、百閒は車窓を通して風景を見たが、わたしは百閒の文章を通して風景を読んでいるわけなので、風景に文章が一致して見えるのは当然といえば当然、一致と騒ぐまでもなく、文章=風景の同語反復なんだろう。「風景を文章で描写する(先に存在している風景を、文章を使って表現する)」とふつう書くし、わたしだってこれからもそう書き続けるけど、本当は文章が風景を作っている。文章がそのままこれらの風景である。
 そう考えると、あの借金をめぐる話に(偏屈だし、屁理屈なのに)少しも強引さが感じられないのは、そんな偏屈な屁理屈が文章のかたちで好き放題に延びていく“そのまま”感のためだろう。「屁理屈を文章で書く」というのも、屁理屈が先にあってそれを言葉に置き換えていくのではなく、本当は文章がそのままあの屁理屈なのである。それで百閒の屁理屈は、固いのに流れる。流れるといえば、この1冊でも何ヶ所か出てくる川の描写のうちで、いちばん好きなところはここだった。
《鹿児島まで行くのだつたら、是非帰りは肥薩線に乗つて、球磨川を伝つて八代へお出なさいと勧めるから、ついその気になつた。
 その球磨川が車内の反対側の窓の下を流れるのだつたら甚だつまらない。何だか落ちつかなくなつてゐたら、その内に川が見え出した。矢つ張り左側である。万事休するかと思ふ内に、又もう一度鉄橋を渡つた。それで川が右側の、私の窓のすぐ下へ来た。
 宝石を溶かした様な水の色が、きらきらと光り、或はふくれ上がり、或は白波でおほはれ、目が離せない程変化する。対岸の繁みの中で啼く頬白[ほほじろ]の声が川波を伝つて、一節一節はつきり聞こえる。見馴れない形の釣り舟が舫[もや]つてゐたり中流に出てゐたり、中流の舟に突つ起つてゐた男が釣り竿を上げたら、魚が二匹、一どきに上がつてぴんぴん跳ねてゐる。鮎だらう。
 山系君がぢつと眺めてゐたが、こつちを向いて、「先生、まだお弁当を食べないのですか」と云つた。》p152「鹿児島阿房列車 後章」

 こんなにも変幻自在な文章の題材が、鉄道という、厳格なダイヤに従って運行される旅であるのがつくづく面白いと思う。それからたいへん当たり前のことだけれども、昭和25年の旅だから、目に映ったものを書き、連想されるものを書いていけば、戦争の跡をあちこちに残しながら、しかし用事のない旅ができるくらいまで復興した景色のスケッチになるのも面白い。
 大阪で一泊した旅館。
《朝起きて見ると縁側の障子がすつかり煤[すす]けてゐる。私の家の障子を張り替へたばかりで出て来たから、なほの事目立つのだらう。障子の外の縁側の両隅に防空演習の遮蔽幕がぶら下がつた儘[まま]になつてゐる。》p35「特別阿房列車」

 故郷の岡山に近づき、鉄橋を渡って岡山駅にいたるところ。
《汽車が旭川鉄橋に掛かつて、轟轟[ぐわうぐわう]と響きを立てる。川下の空に烏城[うじやう]の天主閣を探したが無い。ないのは承知してゐるが、つい見る気になつて、矢つ張り無いのが淋しい。空に締め括りがなくなつてゐる。昭和二十年六月晦日[みそか]空襲に焼かれたのであつて、三万三千戸あつた町家が、ぐるりの、町外れの三千戸を残して、みんな焼き払はれた晩に、子供の時から見馴れたお城も焼けてしまつた。
 森谷金峯先生は私の小学校の時の先生であつた。金峯先生の御長男は今岡山の学校の校長さんである。空襲の晩、校長森谷氏は火に追はれて、老婆を背中に負ぶつて、旭川の土手を鉄橋の方へ逃げた。そのうしろで炎上するお城の大きな火焰が天に冲[ちゆう]し、振り返れば焰の塊りになつた天主閣は、下を流れる旭川の淵に焼け落ちて、土手を伝つて逃げ延びる足許[あしもと]をその明かりが照らした事であらう。背中の老母は金峯先生の奥様である。よく覚えてゐないけれど、子供の時にお目に掛かつた事があるに違ひない。もう一度車窓から眺めて見ても、その辺りの空は白け返つてゐるばかりである。
 鉄橋を渡つたら、ぢきに岡山駅である。ちつとも帰つて行かない郷里ではあるが、郷里の土はなつかしい。停車の間、歩廊に出てその土を踏み、改札口の柵のこちらから駅前の様子を見たが、昔の古里の姿はなかつた。》p114「鹿児島阿房列車」

 岡山駅では改札から出なかったのに、広島は見物する。
《甘木君が説明役の若い人を連れて来た。その人が色色の事を教へてくれた。先[ま]づ比治山へ登つた。大変見晴らしがいい。向うに山があつて、川が流れてゐて、海が見える。山裾[やますそ]のどこかで犬が吠えてゐた。
 それから町中へ降りて、繁華な街を通り、太田川の相生橋の上で自動車を降りた。相生橋はT字形に架かつてゐて、こんな橋は見た事がない。橋の上に起[た]つて見る川の向うに、産業物産館の骸骨が起つてゐる。天辺[てつぺん]の円塔の鉄骨が空にささり、颱風の余波の千切れ雲がその向うを流れてゐる。物産館のうしろの方で、馬鹿に声の長い雞の鳴くのが聞こえる。又自動車へ乗つてそこいらを廻り、それから駅へ出た。》p122「鹿児島阿房列車」

 今回、引用したいところを厳選するつもりで貼っていった付箋の数をいまかぞえたら、あと14ヶ所ある。さすがにどうかと思うので、いくつか箇条書きにとどめる:


■ 「区間阿房列車」では、御殿場線の国府津駅で乗り換える予定になっていた。そこまで乗って来た列車が遅れて着いたのに、そこから乗り換えるほうは待たずに出るという。そんな馬鹿なことがあるものか。
《「あつ、発車する」と思つたら、階段の途中で一層むつとした。
 その音を聞いて、あわてて階段の残りを馳け登るのはいやである。人がまだその歩廊へ行き著かない内に、発車の汽笛を鳴らしたのが気に食はない。勝手に出ろとは思はない。乗り遅れては困るのだが、向うが悪いのだから、こちらに不利であつても、向うの間違つた処置に迎合するわけには行き兼ねる。》

《最後部が行つてしまつたので、私共の前が豁然[くわつぜん]と明かるく広くなつた。何となく目がぱちぱちする様な気持である。考へて見ると、面白くない。考へて見なくても面白くないにきまつてゐるのだが、かう云ふ目に遭ふと、後でその事を一応反芻して見た上でないと、自分の不愉快に纏まりがつかない。
「仕方がない」と私が云つた。「ベンチにでも掛けようか」
 だれもゐない歩廊の中程にあるベンチに二人で腰を下ろした。
「前の列車の、もつと前部の車に乗つてゐたら、間に合つたのですね」とヒマラヤ山が云つた。
 それはさうだけれど、そんな事で間に合ひたくない。だれが間に合つてやるものかと云ふ気持である。
 暫らくだまつてゐた。股の間に立てたステツキに頤[あご]を乗せて、向うの何でもない所を見つめて考へた。段段に不愉快がはつきりして来る。
「行つて、さう云つて来ようか」
 ベンチから起ち上がつて、歩廊の端に近い所にある駅長事務室へ歩いて行つた。》pp70-2「区間阿房列車」

 そして百閒は100パーセント正しい抗議を行なうのだが、その前に披瀝される心構えがたいへん立派だった。
[…] 私には第一に戦闘的精神が欠如してゐる。腹が立つ時には立つのだが、それを人に向かつてぶつけると云ふ気魄[きはく]に乏しい。次に、さうでありながら、又こんな事も考へる。こちらに理があつて相手に迫る場合、相手をのつぴきならぬ条件に置いて責めるのは、君子の、或は紳士の為す可[べ]き事でない。兎に角自分を優位に置いて考へる事の出来る側の為す可き事でない。為すをいさぎよしとせざる所である。》p73「区間阿房列車」

 駅員たちに言うことを言ったあと、次の列車が来るまでの2時間を、百閒はヒマラヤ山系氏とふたり、横並びに腰掛けたベンチで待つ。雨が降ってくる。することはもとより何もない。
《かうして二時間近くの間、雨垂れの水が足許へじやあじやあ落ちて来るベンチで、いい加減のおやぢと、薹[たう]の立つた若い者がぢつとしてゐる。する事がないから、ぼんやりしてゐる迄の事で、こちらは別に変つた事もないが、大体人が見たら、気違ひが養生してゐると思ふだらう。二人竝[なら]んで、同じ方に向いて、いつ迄も黙つてゐるのは、少しをかしい。さう云ふのは二人共をかしいのだが、或は隣りを刺戟すると後が悪いから、も一人の方がつき合つて、ぢつとしてゐるのかも知れない。その気違ひは私の方かと思つたが、さうでないとは云はないけれど、年頃から云ふと山系の方が気違ひに適してゐる。》pp78-9「区間阿房列車」

 そんな言葉を使うのはよした方がよいのでは、といまだったら心配になる表現をぽんぽん繰り返してまで自分たちの構図を《少しをかしい》と言い募る感覚は、いまにしても当時にしても、一般的なものなのだろうか。そんなことは確かめようもないが、この構図をとることよりも、この構図にこうまでこだわることのほうに、少しをかしい感じがする。この点は百閒自身の偏りなんじゃないだろうか。

■ 「奥羽本線阿房列車 後章」で、秋田県にあった横黒線という短い路線を雨の中、往復する。これには珍しく「紅葉を見るため」という目的があり、読者の胸に「それって“用事”じゃないのか」との疑いが兆す隙も与えず《紅葉を見に行く様では若い者になめられるに違ひない(p215)と苦い心情が漏らされるのだがそれはそれとして、その絶景の描写はすでに上のほうで引用した(線路が《カアヴ》するやつ)。帰りはいっそう寒く、雨もひどくなっている。
《すぐに発車したけれど、窓の外は已[すで]に薄明かりである。帰りも景色を眺めるつもりであつたが、やつと山と空の境目がわかる位で、紅葉の色はもう見えない。その薄明かりの山裾に白い道が見える。そつちを指差して山系が何か云つてゐる。
「何」
「人が通ります」
「どこに」
「そら向うの山裾の、あの道の曲がりかけた所」
 さう云へば、人影が見える。大きな番傘をさしてゐる。男か女かわからない。どこかへ帰つて行くのだらう。
「さうだ、歩いてゐる。しかし何が気になるの」
「気になるわけぢやありませんが、あすこだけ明かるいので」
 暗くなりかけた山裾を伝つて行く番傘のまはりが、ぼうつと白けた様に見える。
「変だね」と云ふ内に汽車がカアヴして、向きが変つた窓に、大粒の雨がばりばりと音を立てて敲[たた]きつけた。》pp220-1「奥羽本線阿房列車 後章」

 ヒマラヤ山系氏は実際にこの不思議な光景に気付いたのだろう。教えられた百閒も実際にこの通りのものを目にしたのだろう。しかし見たものがこのように文章化されると(このような文章で見たものがかたち作られると)、ありのままが幻想の気配を帯びて、なんだか、百閒の短篇を外側から眺めているようである。
 百閒の短篇と随筆との懸隔にわたしも戸惑った口だが、両者の違いは、同じものを内側から見るか外側から見るかの違いぐらいの距離まで近づくことがあると言えるのかもしれない。そんなことはないかもしれない。あんまりまとめようとするのはよくない。

■ それと関係するかどうかはともかく、わたしは百閒が書くものの中で「急に心配になる」「とつぜん不安に襲われる」箇所が気になっており、宿題としてそこは書き留めておきたい。
 最初の阿房列車の出発当日、家から東京駅に着いたところにもそれはあった:
[…] 釣り皮にぶら下がってぼんやりしてゐる内に、市ヶ谷駅からの三粁[キロ]半を夢の間に過ぎて、鉄路つつがなく東京駅に著いたが、歩廊に降り起つた途端、丁度その瞬間に切符が売り切れる様な気がし出した。発車にはまだ一時間半ぐらゐ間があるけれど、かうしてはゐられないと云ふ気がする。
 さう云ふ気持で歩くと、東京駅の歩廊は無意味に長い。》p17「特別阿房列車」



*最後に、こういうものが無いよりはあったほうがいいのじゃないかと自分で思うので、この旺文社文庫の目次を書き写しておく。次は『第二阿房列車』です。

■ 旺文社文庫『阿房列車』(1979)目次:
特別阿房列車
 東京 大阪
区間阿房列車
 国府津 御殿場線 沼津 由比 興津 静岡
鹿児島阿房列車 前章
 尾ノ道 呉線 廣島 博多
鹿児島阿房列車 後章
 鹿児島 肥薩線 八代
東北本線阿房列車
 福島 盛岡 浅蟲
奥羽本線阿房列車 前章
 青森 秋田
奥羽本線阿房列車 後章
 横手 横黒線 山形 仙山線 松島 

解説 平山三郎
 百鬼園先生年代記
 「阿房列車」雑記

   ○         ○         ○

■ いま手許にないためちゃんと確かめてないけど、この『阿房列車』に収録されているものは、ちくま文庫の『阿房列車 内田百閒集成1』にもぜんぶ入っていたはず。
■ これもちゃんと確かめてないが、新潮文庫の『第一阿房列車』はこの旺文社文庫版を新かなにしたものと考えていいと思う(きっと解説は除く)。

阿房列車―内田百けん集成〈1〉   ちくま文庫
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第一阿房列車 (新潮文庫)
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百閒は日本の古本屋に乗って

冥途―内田百けん集成〈3〉   ちくま文庫

 内田百閒が好きなのだけど、じつはそんなに読んでいない。そんなに読んでないのに好きだったという、要領を得ない話をこれから書く。

 2002年から刊行の始まった、ちくま文庫の内田百閒集成でわたしははじめて百閒の書くものに触れた。『阿房列車』を読み『立腹帖』を読み、真面目な顔で理屈を通しているうちに変なことになっていく調子と、簡素で鮮やかな状況描写が気に入って、これはいくらでも読めそうだし読みたいと思ったのに、そのあと『冥途』収録の短篇小説を読んで――具体的には「冥途」と「豹」、なにより「山高帽子」、そして「白子」の冒頭を読んで――あ、これでもういっぱいだと直覚した。この人の書くものをこれ以上読まなくても、もうこれで自分にとってこの人の文章が与えてくれるものは限度まで受け取った、と思った。「白子」の冒頭を引用する。
《私は誰とも議論をしたのではないのに、独[ひとり]で腹を立てていた。神がいると云う者と、いないと云う者との間には、そのいるとかいないとか云う言葉が、食い違っているんだ。自分が神はいないと云ったからって、それは神がいると云う者のつかったいると云う言葉を、否定にしたのではない。それが解らないのだから駄目だ、と思って一人でむしゃくしゃしながら、懐手をして道を歩いていた。》「白子」、『冥途 内田百閒集成3』(ちくま文庫)p66

 この数行で考えられている内容と、このことを考えて“むしゃくしゃしながら”道を歩いている“私”の両方が、直接わたしに入ってきて頭の中で鐘をチリンと鳴らした。それまでそんなものがそこに吊り下げられているとも知らなかった鐘が、予告もなく、赤の他人の文章によって無造作かつ的確に、チリンチリンと連打された。いま書き写していてもその鐘の音は響いてくる。
 この文章は、何なんだ。もっと読みたいというより、むしろ怖いもの見たさで『サラサーテの盤』をそっとめくり(薄目で見てもおそろしかった)、小説ではない『ノラや』なんかに手を伸ばし(なぜそこまで、と訝しんだ)、やはり思った通りにいっぱいだったようだと自分を観察しながら、5年くらいかかってちくま文庫の集成全24冊を3分の1くらいつまみ読みしたころ、古本屋で旺文社文庫の『冥途・旅順入城式』(1981)を手に取った。
 これが決定的だった。
 1979年から84年にかけて刊行された旺文社文庫の百閒作品は、ちくま文庫と違い、(漢字は新字体だが)かなづかいが旧かなである。新かなと旧かなの違いを、わたしはそれまでたいして意識していなかった。旧かなは脳内で新かなに変換するぶん手間がかかるから、あらかじめ新かなに直してくれているならそのほうがいい、だって読めればいっしょなんだし、くらいに思っていた気がする。それが百閒はどうだったか。「白子」の冒頭を引用する。
《私は誰とも議論をしたのではないのに、独[ひとり]で腹を立ててゐた。神がゐると云ふ者と、ゐないと云ふ者との間には、そのゐるとかゐないとか云ふ言葉が、食ひ違つてゐるんだ。自分が神はゐないと云つたからつて、それは神がゐると云ふ者のつかつたゐると云ふ言葉を、否定したのではない。それが解らないのだから駄目だ、と思つて一人でむしやくしやしながら、懐手をして道を歩いてゐた。それなら神を連れて来て見せるがいいと私は腹の中で叫んだ。よしんば連れて来て見せたところで、それは神がゐると思つてゐる者の神に過ぎないぢやないか、それが神はゐないと思ふ者の目に神と見えるかどうだか受け合はれたもんぢやない。それぢやしかし、かう考へたらどうする。それぢや神はゐないと云ふ者も、その否定する前に、一先づ自分の神を認めた事になつてしまふ。彼は否定する為の神を祀[まつ]つてるぢやないか、どうだと私は独[ひとり]で駄目を押して、益[ますます]むしやくしやして来た。
 町の中が何となく混雑してゐた。道を歩いてゐる人が、どちらへ向いて行つてるのだかよく解らない様な気がした。それから無暗[むやみ]に横町の澤山ある町だつた。横道はみんな狭くて、向うの方は薄暗く暮れかかつてゐた。》「白子」、『冥途・旅順入城式』(旺文社文庫)p88

 くねくねした「ゐ」は「い」で取り換えて済むものではまるでなく、「っ」でない「つ」、「じゃ」でない「ぢや」に何の抵抗もないのが意外だった。それらはどれも、脳内で新かなに変換するものではなかった。百閒の旧かなは、新かなよりも読みやすかった、というのではないが、新かなよりも文章が起伏とうねりを持って続いていく感じがはるかに強まっていた(なお、この感じは縦書きだといっそう強い)。
 旧かなのほうが滑らかに進むこと、その滑らかさがさらなる不気味さも運んでくること、そして/だから、こちらのほうが本来の道行きであったことが読むほどに体感されて、《益[ますます]むしやくしやして来た。》の次で《町の中が何となく混雑してゐた。》と跳ぶ呼吸が、なぜか完全に“わかる”と思った。
 これは大変なことになってきた。「山高帽子」から引用する。
《私は厠[かはや]から出て来て、書斎の机の前に坐つた。何も変つた事はないのに、何だか落ちつかなかつた。開け放つた窓の外に、夕方の近い曇つた空がかぶさつてゐた。大きな棗[なつめ]の枝に薄赤い実がなつてゐる。私はその実の数を数へながら、何となく頻[しき]りにそはそはした。今出て来た厠の中に、何人[だれ]かゐる様な気がした。何人かが私を待つてゐるらしく思はれた。
 家の中には私の外[ほか]に、誰もゐなかつた。みんな買物や使ひに出たきり、まだ帰つて来なかつた。近所の家から、何の物音も聞こえなかつた。日暮れが近いのに辺りは静まり返つてゐて、ただ遠くの方で、不揃ひに敲[たた]く法華の太鼓の音が聞こえるばかりであつた。私は淋しい様な、どこかが食ひ違つた様な気持で、頻りに厠の中を気にした。
 その時、窓の外の、庇[ひさし]を支へた柱を、家の猫が逆に爪を入れながら、がりがりと音をたてて下りて来た。さうして私の向かつてゐる窓の敷居に飛び下りて、こちらを見た。私がぢつとその顔を見てゐると、猫は暫らくそこに起[た]つたまま、私を見返して、それから、何か解らないけれども、意味のあるらしい表情をして、さうしてふと目を外[そ]らすと、そのまま開け放してある入口の方に行つた。私はその後姿を見て、いやな気持になつた。猫は短い尻尾を上げたり下ろしたりしながら、廊下を向うの方へ、のそのそと歩いて行つた。私は段段不安になつて、早くどうかしなければいけない様な気がし出した。猫はその廊下を突き当つて、左に曲がるらしい。曲がつた所に厠がある。
「一寸[ちよつと]待て」と云ふ声が、私の咽喉[のど]から出さうになつて、私は吃驚[びつくり]した。さうして、水を浴びた様な気がした。》「山高帽子」、『冥途・旅順入城式』(旺文社文庫)pp133-4

 この不穏さは何事か。最初にちくま文庫で読んだときから、この短篇もチリンチリンとわたしを鳴らした。まだ何も起きていないのに、まだ何も起きていないからこその形のない不安が、形がないのに言葉・文章という形ある媒体で捉えられている。そして、自分から遠いと思っていたこの旧かなのほうが、より自分に近く、より“わかる”ものとして入ってきた。
 奇妙で、はっきりしない感覚や気持、心のありようが、文章でこちらに手渡される。手渡されたわたしはそこではじめて「これ、自分も持っていた」と気付く。そんな受け取り方が“わかる”である。旺文社文庫で読み返したとき、この書き出しの一行一行、一語一語が、わたしには隅々まで“わかった”。遠くから法華の太鼓が聞こえる、というくだりを読んで、そこが目に入る前から、この文章の最初から、その太鼓の音はしていたじゃないか、と背後を振り返るようにおどろいた。ここで「私」が感じている《そはそは》や、《淋しい様な、どこかが食ひ違つた様な気持》、《段段不安になつて、早くどうかしなければいけない様な気》を、読んでいるわたしがそのまま感じ、「私」とわたしが二重になって、「一寸待て」という声はわたしの咽喉から出そうだった。

 すべてわたしの思い込みである。でも、すべてわたしの思い込みである。こんなふうに思い込んでしまったわたしは、これから百閒は旧かなで読もうと思った。つまりは旺文社文庫で読むということで、絶版とはいえ、よく行く古本屋を何軒か回ればいつでも数冊は置いてあるのが見つかった。バラならそれほど手に入れにくいものではないようだった。
 しかしいっぽう、わたしは「もういっぱい」になってもいるわけである。「白子」と「山高帽子」だけ、しかもその冒頭だけでも充分なのである。「件」や「豹」の結末なんて、見たことを忘れたいのに忘れられない悪い夢だった。
 であるからして、旺文社文庫を集めるのにもいまひとつ熱が入らず、実際に買うのはせいぜい年に1冊ぐらいで、それも5、6冊読んだところで停滞した。読んだ中では『東京焼盡』が圧倒的で(→感想)、あの平坦な迫力には随筆とも小説とも違うすごみがあったが、それはいっそう「もういっぱい」を強化した。ときどき本棚から『冥途・旅順入城式』を取り出しては数ページだけめくり、たまんないなと降参してまた本棚に戻すのを繰り返すばかりだった。

 百閒を好きだけどあまり読んでいない、という状態はこうやって生まれ、このように続いた。なんだか、かつて1回だけ訪れた観光地のことを折に触れ「あそこ好きなんだよね」と回想してみせる人間のようである。その後の移り変わりを見に行こうともしない、ものぐさで知ったかぶりのそんな人のことを、しかし、だれが「その土地を本当に好きとは言えない」と否定できるだろう。
 ちなみにこうしているあいだ、2017年の春に、たまたまの成りゆきでわたしは岡山県岡山市に引越した。すなわち百閒の故郷である。生家のあった辺りには記念碑があるのも知っているし、自分の家からそこまでの道順もわかっているが、好きだけどあまり読んでない、というのに似た気持が働いて、いまだに足を運んでいない。これからも行かないような気もする。

 ――だが、そのまま何もなかったら、わたしもこんな文章を長々と書いてはいないのである。変化は、あった。
 あれはいつごろだったか、今年になってからつい魔が差して、わたしは「日本の古本屋」を覗き、「まあ検索するだけだし」と、旺文社文庫の百閒を検索してしまった。そしてヒットした「内田百閒 旺文社文庫 全39冊+関連本5冊 計44冊揃い(カバーうっすらヤケ、僅かなスレの巻有)」を、「まあ買物かごに入れるだけだし」と、買物かごに入れてしまった。
 そこからあまり記憶がないのだが、どういうわけか数時間後には注文確認メールが届いていた。おそるべきは日本の古本屋である。ちくま文庫でのファーストコンタクトからここまで何年かかったか定かでないものの、確認メールのあと、文庫本のぎっしり詰まったダンボール箱が玄関に運ばれてくるまで2日しかかからなかった。


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 くすんだ百閒の塊を眺めながらしばらく暮らし、わたしは観念した。こうなったら(いっぱいでも)ぜんぶ読む。読むたびに1行でも2行でもここでメモをする。いまのこの文章は、そのために書いた第0回である。


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 44冊もあるというのに、よりにもよってぴったり『ノラや』の上から顔を出しているのはまったくの偶然で、本当にやめてほしい。思えば、前に『ノラや』を読んだとき、わたしの人生の猫経験値はゼロだった。だから、愛猫をめぐる百閒のあれやこれやを「なぜそこまで」と訝しんでいられたのだった→ご参考。いまの自分が『ノラや』を平静な心で読めるとは到底思えない。これから百閒を読んでいくのは期待半分、おそろしさ半分なのだが、これについてばっかりは気の重さが100パーセントなのだった。


   ○         ○         ○


■ 福武書店の『新輯 内田百閒全集』全33巻(1986-89)は旧字旧かなで、本来の文字遣いをどうこう言うなら集めるべきは当然こっちなんだろうが、それだと漢字が読めなさすぎるのと、価格の点で手が出ない。われながら残念な読者である。
■ 同じちくま文庫でも、「集成」より前に出た『私の「漱石」と「龍之介」』(1993)は新字旧かなだった。「集成」もそれでよかったじゃないか。
中公文庫の百閒は、旧かなの本と新かなの本が混じっていたと思う。ちゃんと確かめていない。講談社文芸文庫、岩波文庫、新潮文庫は見たことがなく不明。
■ 東京へ出たあとの内田百閒と岡山については、岡山県立図書館(立派)のレファレンスが質問に回答したこちらがわかりやすい。自転車で30分程度の場所にある記念碑はますます遠くなる。ただ、百閒が夢にまで見たという大手饅頭を、いまのわたしは毎日でも買うことができる。
2019/05/05

ロス・マクドナルド『象牙色の嘲笑』(1952)

象牙色の嘲笑〔新訳版〕(ハヤカワ・ミステリ文庫)
小鷹信光・松下祥子訳、ハヤカワ文庫(2016)


 私立探偵である主人公のオフィスに、高慢な女性がやって来る。彼女は自分のもとから去った若い黒人の娘を探すよう求めながら、事情を詳しく話すことは拒む。苛立ちつつ指示された街へ向かった探偵は目当ての娘をすぐに見つけて後を追う。9月、快晴の昼下がり。話はたいへんキビキビと進んでいる。

『ウィチャリー家の女』『さむけ』しか読んでいなかったロス・マクドナルドをもっと読んでみようという気になり、古本で積んでいた『動く標的』(原著1949、翻訳1966)『魔のプール』(原著1950、翻訳1967)と続けて読んだ最初の感想は「さすがに翻訳が古いよ」ということで、決して読みにくいわけではないものの、全篇が私立探偵の一人称というスタイルなのに、その一人称がところどころでズレたり語尾がべらんめえな調子に流れたりと文章がふらついてしまうのを、残念半分、微笑ましさ半分で読んだ。
 とはいえ、同じように初期の作品であってもこの『象牙色の嘲笑』はもっと安心して読めるだろうと思ったのは、ずっと最近の新訳であることと、それ以上に訳者の名前をあてにしてのことだった。が、しかし、ここまで格が違うとは予想していなかった。それは訳者の力なのか原作の力なのかと言ったら、もちろん両方だろう。分けられるものではない。
《そのブロックの半ばあたりに白い平屋があり、正面のコショウボクの陰になったドライヴウェイに、色褪せた緑色のフォードのクーペがとまっていた。黄色い水泳トランクスを穿いたニグロの若者がホースで洗車をしていた。大柄で、力の強そうな男だ。半ブロック離れていても、濡れた黒い両腕の筋肉がてらてらっているのが見てとれた。彼のほうへ娘は道を横切った。今までよりゆっくりした、優雅な歩きぶりになっていた。
 その姿に気づくと、男はにっこりして、ホースの水しぶきをピュッと女のほうに向けた。彼女はうまくかわし、見た目もかまわず、彼に向かって走った。男は笑い、水をまっすぐ木の高いところまで噴射したのが、目に見える形をとった笑い声のようだった。その声は半秒後に音として私の耳に届いた。女は靴を脱ぎ捨て、ミニチュアの雨に一歩先んじて車の反対側へ駆けた。男はホースを落とし、彼女を追いかけて走り出した。》p25

 下線を引いた喩えにびっくりして二度見した。読み直しても確かにそう書いてある。「え、これはこんな表現も出てくる小説だったのか」と、それこそホースで水をかけられたように勝手におどろいていると、探偵は近所の住人から情報を集めるべく、ラジオに関する調査員のふりをして隣の家のドアをノックする。
《家の中の声が奥の方から聞こえてきた。年老いて衰えてはいるものの、よく通る声で、詠唱のように響いた。「ホリー、あんたかい? いや、まだホリーの来る時間じゃない。ともかく、お入り、誰だか知らないけど。あたしの友達だろう。友達は部屋に来てくれる。今じゃ外へ出られないもんでね。だから入っておいで」
 声は息継ぎもなく続き、母音を伸ばす深南部特有の耳に快い訛りで単語と単語がつながっていた。道しるべの糸のような声に導かれて、居間を横切り、短い廊下を進み、台所を抜けて、その隣につながった部屋まで行った。》p28

 ここは、探偵が聞き込みをしている姿を読者に示すための、たいしたことのないシーンのはずだ。だから《道しるべの糸のような声に導かれて》なんて比喩からその声を幾通りか想像しつつも、この人物があとで再登場することはたぶんないんだろうとこちらは予想を組み立ててもいる。それなのに、続く会話をちょっと見てやってほしい。
《「動かないラジオなんか、家の中にあっちゃ場所ふさぎなだけでしょ。朝昼晩と聴いているけど、あんたがノックをする直前に消したんだ。あんたがいなくなったら、またつける。だけど急ぐことはない。入って、坐っておくれ。新しい友達ができるのはうれしいからさ」
 私は部屋にある唯一の椅子、ベッドの足元近くに置かれたロッキングチェアに坐った。そこから、隣の白い平屋の側面が見える。裏庭に向かって台所の窓が開いていた。
「あんたのお名前は?」
「リュウ・アーチャーです」
「リュウ・アーチャー」それが短く雄弁な詩であるかのように、彼女はゆっくり繰り返した。「ああ、きれいな名前だ、とってもきれいな名前だ。あたしはジョーンズ、最後の亭主の苗字でね。みんなにはおばちゃんと呼ばれてるけど。」》pp29-30*太字は引用者

 3回読み直した上で、わたしも声に出してゆっくり言ってみた(そうしないことができるだろうか?)。始まってまだ30ページだし、探偵が注視しているのは《隣の白い平屋》と《裏庭》なのだし、脇役でしかない脇役の一人であるというのに、主人公の名前をめぐってこれだけのやりとりが書き添えられる。最初に「格が違う」と書いた所以である。「本名、言っちゃうのかよ」というのも、考えてみればまた別の意味ですごい。探偵が、作者が、小説が、三位一体でこの老婆、もといおばちゃんを丁重に扱っている。
 すごい、すごいとメモしたくてここまで書いただけなので、この先の展開とかタイトルの意味とか触れないが、もう1ヶ所だけ引用する。探偵が発見した手紙を読む場面だ。
《 ルーシー
 仕事をなくしたそうでとてもざんねんです、あたしたちみんな、あんたはこれで一生だいじょぶだとおもったのに、でもつぎになにがあるかわかんないのが人生です、もちろん、かえってきてくれたらうれしいよ、ハニー、きしゃちんをだせるならね、わるいけど、あたしたちにはむりです。とうさんはまた失業して、またあたしがひとりで家族をささえているので、やりくりがたいへん。ねるばしょはいつでもあるし、たべるものもあるからね、ハニー、かえっておいで、くらしはだんだんよくなるよ。おとうとはまだ学校にいっていて、せいせきはいい、このてがみをかわりにかいてくれてます(やあ、ねえちゃん)。きしゃちんがなんとかなるといいね、道路をつかっちゃいけないよ。
                              母より
 ついしん――ねえちゃん、げんき? ぼくはげんき、だれだかわかるよね。》p63

(やあ、ねえちゃん)! まったく平易な、素朴すぎる言葉遣いのなかでも、こんなふうにひょっこり魔法が顔を出す。小説に出てくる“年少の弟が書いた手紙”として、これはサリンジャー『ナイン・ストーリーズ』(ただし野崎孝訳のほう)の一篇、「エズミに捧ぐ」で引用される一通に届く飛距離を出していると思った。
 こんな文章がもっと出てくるんだったら、ロス・マクドナルドはぜんぶ読みたい。あと、ロス・マクドナルドの比喩表現を集めて考察した論考とかあったら読んでみたい。現場からは以上です。


○     ○     ○

*いま知った。『動く標的』は1年前に新訳が出ていた(田口俊樹訳)。まずこれか。

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Magnus Mills "The Restraint of Beasts"(1998)

The Restraint of Beasts
Scribner Paperback Fiction(1999)

上の版は絶版みたいだが、まだ買える版はいろいろある模様。

「お前をタムとリッチーの監督にする」とドナルドが言った。「やつらだけでイングランドに行くのは無理だ」
「そうですね」
「何をしでかすかわかったもんじゃない」
「ええ」
「だから今日から監督だ」
「はい」(p1)

というわけで、自分の意志は一切考慮されることなく「僕」はタムとリッチーの監督になる。舞台はスコットランドにある、フェンスの設置を業務とする会社。『オリエント急行戦線異状なし』(1999)なんかで気になっている(後述)マグナス・ミルズのデビュー長篇ということで読んでみた。
 タムとリッチーにはぜんぜんやる気がない。働かないわけではないが、テキパキやるという意志がこれっぽっちもない。タムが煙草をくれと言い、リッチーはシャツのポケットから煙草の箱を取り出して渡す。それからジーンズのポケットに入っているライターをひっぱり出して渡す。そして一服。こんなやりとりが、不変の手順で日に何回も繰り返される。タムが煙草をくれと言い、リッチーはシャツのポケットから煙草の箱を取り出して渡す。それからジーンズのポケットに入っているライターをひっぱり出して渡す。そして一服。「同じポケットに入れておけよ!」と「僕」は思うが口には出さない。
 そんな3人がのろのろと働く。フェンスの設置は単調な仕事である。農場で家畜が逃げないように囲っておくための柵。地面に穴を掘る。支柱を立てて穴を埋める。杭を打つ。ワイヤーを張る。フェンスを取り付ける。地面に穴を掘る。支柱を立てて穴を埋める。杭を打つ。ワイヤーを張る。フェンスを取り付ける。日が暮れたら終わりにして、とくに達成感もないままパブに行く。ビールを飲む。そもそも達成感を求めていない。盛り上がらない会話。ビールを飲む。とくに楽しいわけでもない。同じパブにタムの父親と兄も来ている。ビールを飲む。帰って寝る。

 まったく冴えるところのない登場人物たちの地味で坦々とした労働の日々を、小説はまったく地味で坦々とした文章で描いていく。労働というより、たんに作業を続けているだけのように見える。
 語られている内容がおそろしいほど地味なのに、それを語る文章もおそろしいほどひねりがない。ひねりのなさこそがこの小説のひねりだと言えそうな気もするが、なんだかそれもはばかられる、だってひねりはないわけだし……などとブツブツ考えていると、引き続き坦々とした調子のまま、突如あっさり人が死ぬ。「僕」もタムもリッチーも「あっ」くらいは思う。思っただけで即、埋める。ひねりのない作業が続く。パブでビールを飲む。会話は盛り上がらない。
 なんなんだろう、これは。
 遠征用のトレーラーハウスを運転してはるばるイングランドまで行かされても、依頼されたフェンスが完成するまで何日も作業を続けるだけである。「ぼく」と2人の距離は多少縮まるが(トレーラーハウスが狭いため)、タムは自分のベッドを片付けない。リッチーとは今ひとつ話が通じない。仕事は遅れる。地元のパブまで行って居心地の悪い思いをする。雨が降ると仕事がやりにくい。用意された生活費が尽き、ドナルドに電話で前借りを頼む。依頼主が怒っている。また人が死ぬ。だれも悪くない。埋める。

 へんな小説である。笑えることを努めて無表情で語る、という部分もあるにはあるがそればかりではないし、重大なことをわざととぼけた口調で語る、という部分もあるにはあるがそればかりではない。ブラックユーモアの輪の中に片足くらい入っているのは間違いなくても、ブラックユーモアのためのブラックユーモア、つまり登場人物にあえてひどいことをさせている感じとは無縁である。なのに、次第に死体が増えていく。
 象徴のようなものを見つけられないわけでもない。依頼主と上司の命令に従い、動物を閉じ込める(the restraint of beasts)ためのフェンスを作るという単調な作業を続けているうちに、もっと生き生きとして活発だったはずのエネルギーが柵に囲われてしまい、抑えつけられている自覚もないまま人間性を抑えつけられて日々のルーチンを繰り返すだけになっている労働者階級の姿がここにはあるのかもしれない、とか。
 ――自分で書いたくせに、そういうことではないと思う。
 地味で平凡なことをひねりなく語りながら、じつは地味で平凡なことと踵を接しているのかもしれない非凡なこともひねりのないまま語ってしまう奇妙な文章が、まるでいばった様子も得意げなそぶりもなく、それこそ坦々と綴られていく。
 どこにも不思議さが宿らない簡単な文章で組み立てられていても、言葉じたいがデコボコしたものだから、長く続けていくうちにどうしても影のようなものは生まれ、朴訥とした文章のくぼみにできた影というのは平坦な道にあいた穴なのかもしれず、その穴に落っこちるのが登場人物の突然の死なのかもしれない。
 平凡と非凡がひねりのなさの中に同居した、これはたしかに非凡な作風だと思う。この作品でデビューしようとした作者本人と、この作品でデビューさせた出版社の両方に、やや呆れつつ、しかしたいへんに恐れ入った。

『オリエント急行戦線異状なし』の感想にも書いたが、わたしがこのマグナス・ミルズを知ったのは「モンキービジネス」vol.7(2009)に載っていた短篇で、ひねりのなさすぎる文章がかえってこちらの想像力を刺激しながらも、表面上はあくまでひねりのないまま進んで終わるというおかしなありかたに仰天したのだった。
 長篇は短篇より長いので(当たり前)、ひねりのない文章がどんどん続いておかしなことになっていく。このThe Restraint of Beasts『フェンス』の題で翻訳されている(たいらかずひと訳、DHC、2000)みたいだが、ほかの長篇の翻訳は止まっているようだ。
 この作家の書くものをぜんぶ読みたいと願ういっぽう、たまにポツポツ読むくらいがちょうどいいようにも思う。やっぱり地味に追いかけたい。

 なお、本作の最後のページの最後の1行だけは確実にこちらをギョッとさせる効果を狙って書かれており、実際ギョッとして妙な後味が残るが、あれがなくても全体の印象はそれほど変わらなかった気がするという、そのような点もこの作家の特質なのかもしれない。


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