2018/10/17

Magnus Mills "The Restraint of Beasts"(1998)

The Restraint of Beasts
Scribner Paperback Fiction(1999)

上の版は絶版みたいだが、まだ買える版はいろいろある模様。

「お前をタムとリッチーの監督にする」とドナルドが言った。「やつらだけでイングランドに行くのは無理だ」
「そうですね」
「何をしでかすかわかったもんじゃない」
「ええ」
「だから今日から監督だ」
「はい」(p1)

というわけで、自分の意志は一切考慮されることなく「僕」はタムとリッチーの監督になる。舞台はスコットランドにある、フェンスの設置を業務とする会社。『オリエント急行戦線異状なし』(1999)なんかで気になっている(後述)マグナス・ミルズのデビュー長篇ということで読んでみた。
 タムとリッチーにはぜんぜんやる気がない。働かないわけではないが、テキパキやるという意志がこれっぽっちもない。タムが煙草をくれと言い、リッチーはシャツのポケットから煙草の箱を取り出して渡す。それからジーンズのポケットに入っているライターをひっぱり出して渡す。そして一服。こんなやりとりが、不変の手順で日に何回も繰り返される。タムが煙草をくれと言い、リッチーはシャツのポケットから煙草の箱を取り出して渡す。それからジーンズのポケットに入っているライターをひっぱり出して渡す。そして一服。「同じポケットに入れておけよ!」と「僕」は思うが口には出さない。
 そんな3人がのろのろと働く。フェンスの設置は単調な仕事である。農場で家畜が逃げないように囲っておくための柵。地面に穴を掘る。支柱を立てて穴を埋める。杭を打つ。ワイヤーを張る。フェンスを取り付ける。地面に穴を掘る。支柱を立てて穴を埋める。杭を打つ。ワイヤーを張る。フェンスを取り付ける。日が暮れたら終わりにして、とくに達成感もないままパブに行く。ビールを飲む。そもそも達成感を求めていない。盛り上がらない会話。ビールを飲む。とくに楽しいわけでもない。同じパブにタムの父親と兄も来ている。ビールを飲む。帰って寝る。

 まったく冴えるところのない登場人物たちの地味で坦々とした労働の日々を、小説はまったく地味で坦々とした文章で描いていく。労働というより、たんに作業を続けているだけのように見える。
 語られている内容がおそろしいほど地味なのに、それを語る文章もおそろしいほどひねりがない。ひねりのなさこそがこの小説のひねりだと言えそうな気もするが、なんだかそれもはばかられる、だってひねりはないわけだし……などとブツブツ考えていると、引き続き坦々とした調子のまま、突如あっさり人が死ぬ。「僕」もタムもリッチーも「あっ」くらいは思う。思っただけで即、埋める。ひねりのない作業が続く。パブでビールを飲む。会話は盛り上がらない。
 なんなんだろう、これは。
 遠征用のトレーラーハウスを運転してはるばるイングランドまで行かされても、依頼されたフェンスが完成するまで何日も作業を続けるだけである。「ぼく」と2人の距離は多少縮まるが(トレーラーハウスが狭いため)、タムは自分のベッドを片付けない。リッチーとは今ひとつ話が通じない。仕事は遅れる。地元のパブまで行って居心地の悪い思いをする。雨が降ると仕事がやりにくい。用意された生活費が尽き、ドナルドに電話で前借りを頼む。依頼主が怒っている。また人が死ぬ。だれも悪くない。埋める。

 へんな小説である。笑えることを努めて無表情で語る、という部分もあるにはあるがそればかりではないし、重大なことをわざととぼけた口調で語る、という部分もあるにはあるがそればかりではない。ブラックユーモアの輪の中に片足くらい入っているのは間違いなくても、ブラックユーモアのためのブラックユーモア、つまり登場人物にあえてひどいことをさせている感じとは無縁である。なのに、次第に死体が増えていく。
 象徴のようなものを見つけられないわけでもない。依頼主と上司の命令に従い、動物を閉じ込める(the restraint of beasts)ためのフェンスを作るという単調な作業を続けているうちに、もっと生き生きとして活発だったはずのエネルギーが柵に囲われてしまい、抑えつけられている自覚もないまま人間性を抑えつけられて日々のルーチンを繰り返すだけになっている労働者階級の姿がここにはあるのかもしれない、とか。
 ――自分で書いたくせに、そういうことではないと思う。
 地味で平凡なことをひねりなく語りながら、じつは地味で平凡なことと踵を接しているのかもしれない非凡なこともひねりのないまま語ってしまう奇妙な文章が、まるでいばった様子も得意げなそぶりもなく、それこそ坦々と綴られていく。
 どこにも不思議さが宿らない簡単な文章で組み立てられていても、言葉じたいがデコボコしたものだから、長く続けていくうちにどうしても影のようなものは生まれ、朴訥とした文章のくぼみにできた影というのは平坦な道にあいた穴なのかもしれず、その穴に落っこちるのが登場人物の突然の死なのかもしれない。
 平凡と非凡がひねりのなさの中に同居した、これはたしかに非凡な作風だと思う。この作品でデビューしようとした作者本人と、この作品でデビューさせた出版社の両方に、やや呆れつつ、しかしたいへんに恐れ入った。

『オリエント急行戦線異状なし』の感想にも書いたが、わたしがこのマグナス・ミルズを知ったのは「モンキービジネス」vol.7(2009)に載っていた短篇で、ひねりのなさすぎる文章がかえってこちらの想像力を刺激しながらも、表面上はあくまでひねりのないまま進んで終わるというおかしなありかたに仰天したのだった。
 長篇は短篇より長いので(当たり前)、ひねりのない文章がどんどん続いておかしなことになっていく。このThe Restraint of Beasts『フェンス』の題で翻訳されている(たいらかずひと訳、DHC、2000)みたいだが、ほかの長篇の翻訳は止まっているようだ。
 この作家の書くものをぜんぶ読みたいと願ういっぽう、たまにポツポツ読むくらいがちょうどいいようにも思う。やっぱり地味に追いかけたい。

 なお、本作の最後のページの最後の1行だけは確実にこちらをギョッとさせる効果を狙って書かれており、実際ギョッとして妙な後味が残るが、あれがなくても全体の印象はそれほど変わらなかった気がするという、そのような点もこの作家の特質なのかもしれない。


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2018/08/20

リチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』メモ

舞踏会へ向かう三人の農夫

 2018年の8月、帰省のあいだ『舞踏会へ向かう三人の農夫』を再読しながら1章ごとに感想や引用をつぶやいていたのを以下にまとめてみた。
 わたしはどなたか他人がこういう連ツイをしているのを見るのが好きで、そういう実況がTLを流れて消えるのが惜しい・できることならまとめてほしい、と日頃から強く念じているため、だったら自分のぶんは残しておこうと思った。
「だったら」でつながるのか、そして性格が根本的にツイッターに向いてないんじゃないかと今さらの疑問をおぼえつつ、そういえばツイートをブログに埋め込むのは初めてだった。文字通り、間が抜けて見えるものだな。
*文中何度か出てくるように、みすず書房の単行本(2000年刊。2000年て)で読んだので、引用のページ数はそれに準じます。





「私」がデトロイト美術館で見る、ディエゴ・リベラの壁画ってこれか。あとここでもいろいろ見られた。たしかに、これこれを見せられたデトロイト市民の心中やいかに、と思わせるものがある。
「私」はこれらのあとにザンダーのあの写真を見たということ(メモ)。










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 あった。相応の理由、あった。




 何というかこの、“パワーズの小説には切れ者じゃない人間が出てこないように見える問題”については、それが問題と感じられなくなるには(翻訳されたものだと)『オルフェオ』(2014)まで待たないといけなかったとわたしは思っている。



 これ(ウィキペディア)とか、そこからリンクのあるこれ(英ウィキペディア)を眺めて「ほうほう」とうなる。18年前だとウィキペディアはなかったと思う。



















 このブログを探したら、件のトークイベントは2007年3月23日に青山ブックセンター本店で行なわれたものとわかった。11年前!! なんでも書いとくものである。
 上のツイートには記憶違いがあって、パワーズさんは「傲慢」とは言っていなかった(「偽善」)。なんでも書いとくものであると思うがゆえに、いまもこのまとめをまとめている。






























『囚人のジレンマ』が出たときに書いた文章、具体的なことを何ひとつ述べていないが、さすがに同意できる部分が多かった。《リチャード・パワーズの小説は、説得のために書かれているように思う。》





 このマメさ。河出書房新社さんには頭が下がる。今なら、河出文庫で、ぜひ。



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2018/03/27

ジョゼフ・チャプスキ『収容所のプルースト』(1987,2012)

収容所のプルースト (境界の文学)
岩津航訳、共和国(2018)

 これはもうまったくの記憶だけで書くのだけど、1996年の年末にペルーの日本大使公邸を武装グループが占拠して公人・民間人あわせて数十名が人質にされてからしばらくあと、膠着した状況をそれでも毎日伝えていた新聞のある日の記事にこんなのがあった――緊張は続くが、人質たちはおおむね規則正しい生活を送っている。最近では、外国語の授業をしたり、大きめの一室に集まって順番に自分の業務や専門分野に関する“講義”を行なって時間を過ごしている。その間、部屋の入口で監視していた武装グループの一員も興味深そうに様子をうかがっていたという。

 最後の一文には「ほんとかよ」と思ったし、なにしろ事件はまだ進行中だったから、人質の彼らがそんなことをしようと決めた動機については何も説明がない短い報道だったはずだが、全面的な武力衝突さえ厭わない集団に監禁され、これまた全面的な武力衝突さえ厭わないように思われる政府との交渉の道具としてのみ身の安全を確保されている日々があとどれだけ続くか見当もつかないという非日常すぎる状況のもとで、お互いに勉強をはじめた人たちがいるという事実は、当時十代だったわたしに20年経っても消えない印象を残した。ふつう圧倒的な速さと強さで「それどころじゃない」と断言されそうな時と場所でだって、じつは「それ」が役に立つこともあるんじゃないだろうか、とまで整理した言葉で受け取っていたかはおぼえていないけれども。

 1896年にポーランドの貴族の家に生まれたジョゼフ・チャプスキは、美術を志し、二十代の後半から滞在したパリで病気の療養中に腰をすえてプルーストの『失われた時を求めて』を読み、夢中になった。帰国後の1939年、将校になっていた彼は侵攻してきたソ連軍に捕えられ、ふたつの収容所で都合18ヶ月を生きのびたのち解放される。いっしょだった捕虜の多くは消息不明となった。戦後はフランスに住み、画家として、また評論家として活動するかたわら、捕虜虐殺事件の真相解明をライフワークにしたという。
 収容所での、文字通り明日の命もわからない日々、捕虜たちは《精神の衰弱と絶望を乗り越え、何もしないで頭脳が錆びつくのを防ぐために》、建築についてだったり、移民の歴史についてだったり、それぞれが詳しい分野を担当して講義を行なったといういきさつが、この本の「著者による序文(一九四四年)」に書いてある。
《プルーストに関するこのエッセイはもともと、一九四〇年から一九四一年にかけての冬のあいだ、ソ連のグリャーゾヴェツにあった元修道院の冷えきった食堂、すなわち捕虜収容所の食堂でもあった部屋において口述筆記されたものである。
 以下に読まれる文章が正確さを欠き、主観的であるとすれば、それは収容所に図書室がなく、自分のテーマに見合った本が手元に一冊もなく、最後にフランス語の本を読んだのが一九三九年九月だったということに、いくらかは起因する。わたしがなるべく正確に描こうとしたのは、プルーストの作品に関する記憶でしかない。だから、これは言葉の本当の意味では文学批評ではなく、わたしが多くを負っていた作品の思い出、私が二度と再び生きて読み直すことができるかもわからなかった作品についての思い出を提示したものである。》pp13-4

《わたしたちにはまだ思考し、そのときの状況と何の関係もない精神的な事柄に反応することができる、と証明してくれるような知的努力に従事するのは、ひとつの喜びであり、それは元修道院の食堂で過ごした奇妙な野外授業のあいだ、わたしたちには永遠に失われてしまったと思われた世界を生き直したあの時間を、薔薇色に染めてくれた。》pp17-8

 6ページしかないこの序文がまず全文引用したくなるくらいすばらしいけれども、続く講義の再現(筆記されたノートを元に、解放後のチャプスキが作成した本文)はもっとすごい。
 プルーストの人となりから語り起こし、時代背景やフランスの文学状況を概観しながらほかの多くの作家・思想家の言葉を紹介して、同時代の絵画なんかも引き合いに出しつつ講義を進めていくのだが、チャプスキはその該博な知識に照らしてあの大長篇の印象を大まかに述べるだけにはぜんぜんとどまらず、小説を語る際には、ごく小さな細部の“引用”をいくつもいくつも行うのである。
 大階段を掃除してじゃがいもの皮を剥いたあと、極寒の食堂に集った捕虜仲間を相手に具体的な場面を詳細に説明しながら、スノビズムについて(!)、貴族の自尊心のむなしさについて(!!)、講義が続けられる。《わたしたちにはまだ思考し、そのときの状況と何の関係もない精神的な事柄に反応することができる》。チャプスキはそのすべてを、記憶だけでやってのけるのである。
《コンサートが始まり、急にヴァントゥイユのソナタが鳴り響きます。ヴァイオリンのメインモチーフは、何よりも幸せだった恋の日々を思い出させました。彼がこの曲を初めて聞いたのは、毎日夜会に参加するために来ていたヴェルデュラン夫人のサロンでした。そこで彼は類まれな美しさを備えた現代曲を発見したのでした。彼がヴァントゥイユに心酔していることはヴェルデュラン家のサロンのみんなが知るところとなり、彼のためにこのモチーフが数え切れないほど演奏されることになりました。オデットのそばに座って、このモチーフを聞いていた彼は、彼女への愛に満たされて、二つの感情をひとつに結びつけてしまいました。無関心な社交界の聴衆に向かってヴァイオリンで演奏されるこのモチーフを聞いたいま、自分が逃れようとしていた幸福な過去が何であったかを、はっきりと具体的に理解します。心臓が痛むほど胸を掻きむしられながら、彼は永遠に失われた幸福を生き直すのです。》pp67-8

 この本への讃辞はすでにたくさんある。わたしのツイッターに流れてきただけでも、芳川泰久(週刊読書人ウェブ)高遠弘美(ALL REVIEWS)サンキュータツオ(朝日新聞)山本貴光(日本経済新聞)の各氏による評が読めて、どなたもチャプスキの記憶力に驚嘆している。それはもちろんそうである。訳者による懇切丁寧な注のおかげで、講義の中でなされた引用の多くは、『失われた時を求めて』の本文から(または、その他の作家のその他のテクストから)該当箇所が示されて、彼の記憶の正確さを裏打ちしてくれる。
 でもその上で、あくまでその上で、わたしがひときわ強く打たれたのは、それら記憶に基づく引用の、けっこうな数が間違っていることだった。そのことを教えてくれるのも、訳者の入念な注である。
《「一九二三年まで」はチャプスキの記憶違い。》p107

《チャプスキの記憶違い。『失われた時を求めて』にそのような人物は登場しない。》p111

《この論文にはチャプスキが述べている「ドイツ的要素の強調」は見当たらない。》p117

 そして何度も繰り返される、《このエピソードの出典は不詳》、《引用は出典不詳》、《出典不詳》…… さらには注の中で、チャプスキじしんのこんな言葉も引用されている。
《わたしは記憶で引用しているので、たぶんテクストを捏造しているはずだ。ロザノフは不正確で勝手に改変した引用について批判された際に、ふてくされて答えた。「正しく引用するほど簡単なことはない。ただ、本のなかを探せばいいのだから。だが、引用が自分のものになるほど血肉化され、自分のなかで置き換えられるようになるのは、はるかに難しい」。もしもわたしが引用文を改変しているとしたら、それは手元の本を探すことができないからであり、ロザノフのような天才的な作家と同じ権利も磊落さももたないからである》pp112-3*「ロザノフ」はロシアで革命前夜に大きな影響力を持った作家とのこと

 チャプスキはこのように謙遜しているが、はたしてそうだろうか。
 わたしが言いたいのは「チャプスキ、さすがに無謬ではなかった」という当たり前のことではない。そうではなくて、それが実際に行なわれた環境のあまりの特異さはもちろん、そのせいで必然的に混入したチャプスキの記憶違い・勘違いもまた、この連続講義の記録を特別なものにするのに大きな役割を果たしている、ということだ。
 ロザノフがふてくされているように正確な引用は1通りしかないが、間違った引用は引用者の数だけある。そして1つの引用ならともかく、3つ、4つ、5つの引用箇所をすべて同じように間違って引用する人間はこの世に2人と存在しない。間違い方のほうにオリジナリティはあり、それにより講義はいっそう唯一無二になった。
 これについては、巻末に訳者の見事な評言がある。わたしが付け足すことなんて本当は何もなかったんだけど、もう書いてしまった。
《二十代の頃に読んだ本が、四十代になって、ようやく意味がわかることがある(実際に、チャプスキは二十代の画家として読んだプルーストを、四十代の将校として回想した)。時間とともに開示される意味とは、プルーストの作品の主題そのものでもある。そう考えると、捕虜収容所内でチャプスキが想起したプルーストこそは、逆説的に、最も純粋な読書体験の記録と言えるかもしれない。解放後に講義を再現するにあたって、あえて原文を参照しなかったのは、彼にとって最も貴重なプルースト像を、正確さによって裏切りたくなかったからではないだろうか。》p184

 極限状態にあっても、まったく関係のない物事に没頭できること。しかも、没頭しながら間違って、行為をなおさら特別なものにできること。それくらい、人間は自由である。少なくとも、それくらい自由になることだってできるはずである。そのために必要なのは意志と教養と、あとやっぱり、意志と教養だと思った。
『収容所のプルースト』は、薄いけれども熱い本である。
2018/03/21

ポール・オースター『内面からの報告書』(2013)

内面からの報告書
柴田元幸訳、新潮社(2017)

 いくぶん潔癖症の気があるわたしは、これまであらゆるハンドクリームの類を「手がベトベトするのが気持悪いから」の一点張りで遠ざけ続けてきたのだったが、この冬の気候が去年までと何か違ったせいなのか、あるいはたんに加齢のせいなのか、1月の終わりには左右両方の手荒れが半端なく、詳述は避けるもののiPhoneの指紋認証がさっぱり利かなくなるなど生活に不都合をきたすまでになった。
 それで仕方なくドラッグストアで買い求めたクリームを平たい缶からひとすくい両手で手の平に伸ばし、手の甲に広げて指先にも塗り込んでいると、あれ、この感じ…とにわかにおかしな気分が生じ、神経を集中すること数秒、そうだ、こんな自分も幼稚園のころには毎日こうやってクリームを塗っていた……という記憶がよみがえり、あわせて当時のクリームが入っていた小さな容器の緑と黄緑でできた模様を思い出し、そばにあった居間のストーブの匂いが立ちのぼり、こたつには茶筒が載せられているのが見えて――と、頭と手の両方からいろんなものが忙しくあふれ出て、周囲の音が遠くなった。買ってきたクリームを前に、椅子に座ったいまの自分は、そこにいながらそこにいなかった。ベトついた両手で頭の中をかき回しているようだった。わたしはわざわざ声に出して「いったん落ち着こう」と言った。音が戻り、わたしも戻って来た。
 そんなことすっかり忘れていた。
 でも、クリームを塗るという動作と、手のベトつきという感触がきっかけになって思い出したんだから、頭の中にはあった。本当に忘れるというのは、頭の中からも消えて無くなることだろう。本当には消えておらず、忘れていなかった物事を指してわたしたちは「忘れていた」と言う。

(1)おぼえており、自分でもおぼえているとわかっているもの
(2)忘れたが、頭の中にはまだあるもの(じつはおぼえており、思い出せる)
(3)忘れて、完全に消えたもの(思い出せない)

 写真や録音録画そのほか、外部の記憶媒体は頼らずに自力で自分の過去を思い出す場合に限ると、「忘れていた!」と思い出さない限り、(2)は(3)と区別がつかない。でも、区別がつかない、という書き方にもウソがあるように思う。
 忘れている時点での(2)は(3)と似ているが、きっかけ次第で「思い出せる」以上、(3)とはぜんぜん違うものである。似ているのに違うと思うから区別を考えたくなるわけだが、でも、(1)だったものがやがて(2)になり、さらに、きっかけになるはずだったものによっても意識に浮上してこなくなったのが(3)である。(3)が(2)に戻る(忘れ去ったものが再び思い出される)ことはありえなくて、それはたんに、まだ(3)になっていなかった(2)だ。もはや自分ではどうやっても捉えられなくなって(2)は(3)になる。(3)になるというか、(3)は消える。
 (3)は(2)とどのように区別されるかされないかではなく、区別の俎上にあげることもできないのじゃないだろうか。(1)(2)(3)と並べたところから間違いで、頭の中には(1)と(2)しかない。もう無い(3)をまだある(1)(2)と比較するのは無理だ。
 だから本当に不思議な区別は(1)と(2)の間にあることになるような気がする。どうして、いったんは意識の吃水線より下に沈んだものを「思い出せる」のか。
 いや。いったん落ち着こう。そもそも、(1)を「おぼえており、自分でもおぼえているとわかっているもの」なんて書いたが、思い出さないことには「おぼえていた」ともわからないのだから、思い出す前から(1)と(2)を区別する、つまり「おぼえているとわかっているもの」と「おぼえているとわかっていない(忘れていると思っている)もの」を区別するのも、じつは無理だった気がしてきた。だが、(1)のつもりでいたものと、思い出してから(2)と判明するもののどちらも同じものである、とするのには強い抵抗をおぼえる。抵抗の方が実感に基づくウソなのか。そして、「忘れていたことを思い出す」のと、「“忘れていたこと”として、じつは起きていないことを思い出す(=記憶を捏造する)」の違いはどこにあるのか、ないのか。エトセトラ。
 こういうことについて書かれた脳科学や生理学の本は、自分でもついていけるものならもちろん面白いけれども、そういったものとはまた別の種類の言葉と文章で考える本も読みたいと、誤解をおそれながらわたしは思っている。というか、脳科学や生理学とはまた別の種類の言葉と文章で考えることの意味を考える本を、読みたいと思っている。

 ポール・オースターの『内面からの報告書』を読んだ。これはこないだ読んだ『冬の日誌』(2012)とセットになった回想録である。
《孤立した断片、つかのまの認識の閃きが、ランダムに、予期せず湧き上がってくる――大人の日々のいま・ここにある何かの匂い、何かに触った感触、光が何かに降り注ぐさまに刺激されて。少なくとも自分では思い出せるつもり、覚えている気でいるが、もしかしたら全然、思い出しているのではないのかもしれない。もしかしたら、いまやほとんど失われた遠い時間に自分が考えたと思うことをあとになって思い出したのを思い出しているだけかもしれない。》pp7-8

 最後の一文、《もしかしたら、いまやほとんど失われた遠い時間に自分が考えたと思うことをあとになって思い出したのを思い出しているだけかもしれない》。この疑いが、回想録にはぜったい必要だと思う。書く側だけでなく読む側も、握っておくべき杖みたいなもの。
 それはともかく、『冬の日誌』が自分の身体にまつわる思い出を綴っていった本だったのに対し、こちらでは自分のに焦点を当て、強く印象に残っている物事を回想する。それで内面からの報告。
 とはいえこの「身体/心」という分け方はそんなにはっきりしたものではない。記憶も回想も身体と連動した心の働きだろうから、『冬の日誌』のほうにも心の記述はたっぷりあった。“自分の心に衝撃を与えたけれども、そのとき身体はそんなに関係していなかったので『冬の日誌』には収められなかった思い出”を、あらためて記憶のなかから拾い集め、そのような作業についての考察も含めて文章にしたのがこの本、ということになる。
 徹頭徹尾パーソナルな書きものでありながら、自分のことを「君は」の二人称で書いていくのは『冬の日誌』から続いている。徹頭徹尾パーソナルな書きものだからこそ、外に開くためにそういうスタイルが選ばれたという事情もきっと共通しているだろう。
 全体は4つの章に分かれている。まずざっと並べると、いま上で書いたような、心が衝撃を受けた出来事を列挙する「内面からの報告書」(本の題と同じ)が1章め。2章めは「脳天に二発」といって、オースターに心底ショックを与えた2本の映画が細かく説明される。3章め「タイムカプセル」では、二十歳前後の数年間に書いて出した手紙がかなり珍しい経緯で返ってきたので、それを自分でセレクトして陳列する。4章めは「アルバム」と題され、文字通り、前の3章までに出てきた物事にまつわる写真やイラスト、記事などを集めた章になっている。以下、感想を順に書く。

 1章めの「内面からの報告書」は、十二歳までの思い出に限られる。発明王エジソンとの意外なつながり。野球。エドガー・アラン・ポーを九歳で読み、言葉の響きに魅了された(!)。それにまた、『冬の日誌』では幼いころにオシッコを漏らしたことについての記述があったが、こちらでは、少年オースターがサマーキャンプで寝て起きたらおねしょをしていたのに気付くという、想像するだに胃の縮こまる事件の顛末が語られたりもする。
 こういった回想の中核には「自分はよそ者である」という感覚があり、これは「自分はユダヤ人である」という深い認識ともつながっている――みたいな読みすじが「訳者あとがき」でさらりと触れられていた。なるほど、その目でもう一度読み直してみようかという気になる(柴田元幸の訳者あとがきはいつもそうなるのですごい。加えて、「それが正解ってわけじゃ全然ないからね」との念押しも行き届いている)。
 でもそのような、社会における自分のズレよりも、もっと個人的に、自分が自分からズレる・心が身体からはみ出る体験を詳細に描写している部分があって、これが面白かった。
《時おり、見たところ何の理由もなく、突然自分という存在の流れを見失うことがあった。それはあたかも、君の体の中に棲む人間が偽物に変わってしまったような、もっと厳密に言えば誰でもない存在に変わってしまったような感覚であり、自分というものが体から滴[したた]り出ていくのを感じながら君は呆然と解離状態で歩きまわり、いまが昨日なのか明日なのかもわからず、目の前の世界が現実なのか誰か他人の想像の産物なのかも定かでなかった。こうしたことが子供のころたびたび起きたので、君はこうした精神的遁走状態に名前を与えるまでに至っていた。放心[デイズ]だ、と君は胸の内で言ったものだった。僕は放心してるんだ[アイム・イン・ザ・デイズ]。そうした夢のような幕間はあくまで一時的なものであり、三、四分以上続くことはめったになかったが、自分がぽっかりくり抜かれたような奇妙な感覚はその後何時間も消えなかった。快い感情ではなかったが、さりとて怯えたり動転したりもしなかったし、君から見るかぎり特定可能な原因は何もなかった。たとえば疲労とか体を酷使したとかいったこともなく、発作の始まりや終わりにも何らパターンはなく、一人でいても他人と一緒でも起きるときには起きた。目を開けたまま眠りに落ちたかのような不気味な感覚だが、同時に全面的に目覚めていることも自覚していて、自分がどこにいるかも意識していたのに、なぜか君は全然そこにいなくて、自分の外を漂い、重さも実質もない亡霊になっていた。肉と骨で出来た誰も棲んでいない殻、人間ならざる人物。「放心」は子供時代を通してずっと続き、思春期に入ってからもしばらくは一、二か月に一度くらい――時にはもう少し頻繁に、時にはもう少し低い頻度で――訪れ、さらにはいまも、これほど年を取ったいまでも、四年か五年ごとにその感覚が戻ってきては、ほんの十五秒、二十秒程度持続する。自分が自分の意識から消えてしまうというこの性癖を、君は完全に卒業してはいないのだ。神秘的で、説明不能な、あのころの君の欠かせぬ一部分でありいまでも時おり一部分となる何か。あたかも別の次元に横滑りするかのように、時間と空間が新しく配列し直されたかのように、君はうつろな、無関心な目で自分の生を眺める。それとも君は、自分がいなくなったときに何が起きるかを学び、自分の死を予習しているのか。》pp40-1

 あるある。というか、あったあった。こういう意識のバグにわたしもけっこう見舞われた。心に受けた強い衝撃をおさらいするというコンセプトの回想録で、理不尽な叱責を受けた悲しみや、世間から不条理のパンチを喰らったいきさつだけでなく、この感覚のことも拾いあげるオースターは、変な言い方だが、とても頼もしい。
(もっとも、引用の最後でこの感覚を“死の予習”なんてものになぞらえてしまうのは強引すぎるというか、意味を与えすぎじゃないだろうか。でも、このような回想録を試みる動機が“年齢”だったのを考えると、そういうことも言いたくなるのかなとは思った)

 意識についてはもうひとつ、印象的な回想がある。
《六歳。ある土曜の朝、自分の部屋に立った君は、たったいま服も着て靴紐も結び終え(もう君は一人前、何でも自分でできる男の子だ)、さあ下に降りていって一日を始めるぞと張りきっていた。そして、早春の朝の光を浴びながら立っていると、幸福感に、何ものにも束縛されぬ恍惚感に君は浸され、次の瞬間胸の内で君は言っている、六歳であることほど素晴らしいことなんてない、どんな年齢より断然六歳の方がいいんだ、と。そう考えたということを、現在の君は、三秒前に考えたことと同じくらいはっきり覚えている。あの朝から五十九年経ったいまも、それは君の中で煌々と光を放っていて、くっきりした輪郭は少しもぼやけておらず、これまで貯えてきた数千、数百万、数千万の記憶のどれにも劣らず明るく光っている。いったい何が、これほどの圧倒的な思いをもたらしたのか? 答えは知る由もないが、おそらくは自意識の発生ということと関係があるのではないかと君は思っている。六歳前後に、子供の身に起きる、内なる声が目覚める瞬間。ある思いを思考し、その思いをいま自分は思考しているのだと自分に告げる能力の誕生。人生はその時点で新しい次元に入る。その瞬間を境に、人は己の物語を自らに向かって語る能力を獲得し、死ぬまで途切れなく続く物語を語り出すのだ。その朝まで、君はただいるだけだった。その朝、自分がいるということを君は知った。》pp15-6*下線は引用者

 さっきの、自分の意識が自分からズレて感じられるというのとはまた違い、いま2本引いた下線部の2本めのほうで思い出されているのは、自分がみずからを対象化できる段階に達した瞬間である。そのとき考えた内容(「どんな年齢より断然六歳の方がいいんだ」)をおぼえているだけでなく、そんな内容を自分が考えたということじたいをいまでもおぼえている、というのが1本めのほうの下線部だ。
 いつどこでどんなことを考えたかを、はっきりおぼえている――そういうことはよくある。無数といってもいいくらいある。ところで、それよりはずっと少ないかもしれないが、わたしが次に書くような、もう一段階まわりくどい形をした記憶もあると思う。こうだ:

・過去に何かを考えているときに、あわせて「いまの自分がこんなふうに考えたのを、何年か何十年か先の自分は『あのときあんなふうに考えたよな』と思い出すだろうな」と考えていたのを、いまでもおぼえている

 もうちょっとまとめるとこうなる:

・過去のあるときに「未来の自分はいまこのときのことをときどき思い出すだろうな」と考えていたのを、いまの自分がおぼえている

 このような記憶のあり方と思い出し方は、オースターが書いているような自意識の誕生と同じもの(側面のひとつ)なのだろうか。それとも、別の(次の?)段階なのだろうか。この微妙な疑問は微妙なままおぼえておきたいのでここにメモしておく。
(自分が自分からズレるとか、何かを考えている自分を自分が意識する、という話になると必ず思い出す漫画があって、それは榎本俊二の『ムーたち』だ。「唐突に“自分のことを外側から見ている自分”に気がつく」という複雑なはずの事態をおそろしく簡単な絵で描いてみせたこの漫画について、あとこの漫画から連想したことについて、わたしは10年も前にいろいろ書いていたのをおぼえている。しつこいわりに進歩がない)

『内面からの報告書』に戻り、2章め「脳天に二発」。
 オースターが最も衝撃を受けた映画とは、十歳のときに映画館で観た「縮みゆく人間」(1957)と、十四歳のときにテレビで観た「仮面の米国」(1932)の2本である。
 これ、この章を書くにあたって2本とも観直したのは間違いないだろうが、それにしたってこの人の、映画を文章で記述する技量に目を見張った。
 わたしはどちらも未見で、あんまり面白そうなのでそのうちぜひ観てみようという気になったけれども、近所のレンタル屋なり図書館のAVコーナーなりでそれらの実物を借りてきて再生したとして、しかしこの章で語られているほど面白い映画が始まりはしないだろうということもほとんど確信している。ストーリーだけでなく登場人物のふるまいや表情からうかがえる心の動きといった内面を報告する的確な文章の能力以前に、“映画にショックを受ける力”が思春期のオースターは卓越している。それがあってこその文章力なんだろう。
 映画でも本でも、自分が真に面白いと思った作品を、もしかしたら実物よりも面白く他人に語れるのは、当の作品にとっても当人にとってもいいことに違いない。

 そして3章め「タイムカプセル」。これがすごい。こんな章が書かれ、印刷されて広く公開されていることに目まいがする。
 もともとオースターの小説作品の熱心な読者でもないわたしが、それでもこの人を気にしているのは、記憶についていろいろ書いているから、ということのほかにもうひとつ、リディア・デイヴィスの元夫だからである。ゴシップ趣味と言われたら反論はできないかもしれない。
 前作『冬の日誌』を書きあげ、まさしくこの本に取りかかっている最中、そのリディア・デイヴィスから電話がかかってきた、とオースターは書く。作家であり翻訳家である彼女は、最近、自分の手元にあるさまざまな文書を後代の研究者のための資料として図書館に引き渡し、管理を任せることにした。で、その文書の中には若いころのオースターが恋人だった彼女に宛てて書いた手紙が、100通・500枚以上もあったという。書かれた言葉の“所有権”を持つあなたが公開を望まないものがあれば必要な手続きをするから目を通してほしいとリディア・デイヴィスは頼み、かくして、
《事務用の封筒が定期的に届くようになり、一度に二、三十枚手紙が入っていた。君がまだ十九歳だった一九六六年夏までさかのぼり、その後何年も、七〇年代後半に君たちの結婚が終わりを告げたあともまだ続いていた。というわけで、この本に取り組み、自分の少年時代の精神風景を探索するのと並行して、若者だった君自身の許を君は訪れ、ずっと昔に自分が書いた、ほとんど他人のもののように読める言葉を読みつづけた。》p154

 ということになって、ふつうありえない「40年以上前に自分が出した膨大な手紙の再読」という作業の結果、オースターは1966年から69年までの《初期の手紙が君には一番興味深い。》と判断し、以下、何通も何通も引用していくのである。その冷静さはいったい何なんだ。
《君には一番興味深い。》の「君」とは、上述の通り工夫された人称なのでオースターじしんのことだが、この瞬間は読んでいるこちらを指差されているようでどきりとした。コップ1杯のゴシップを求めてこっそりページをめくっていたら、向こうから洪水がやって来たみたいなもんである。それ、わたしなんかが読んじゃってよいのでしょうかとおそれながら押し流される。
《8月10日 君から手紙が届いて凄く嬉しかった――今朝8時半頃、階下の小さなカフェで朝のコーヒーを飲んでいたら宿の女将が、未だ目も開いていない僕の前に現れ、顎の下に手紙を突き付けて(顎の毛が逆立った)、音楽的とは言い難い声で「これを[ヴワラ]、ムッシュー。貴方宛です[プール・ヴ]」。本当に嬉しかった……》pp170-1

 もちろん、オースターはゴシップのつもりで書いてなどいない。「タイムカプセル」とは、パリとニューヨークのあいだで(またはニューヨークとロンドンのあいだで)取り交わされた、甘かったり苦かったりする恋愛模様のドキュメントではない。だいたい、リディア・デイヴィスからの返事がここにはないのだ。
 一方的な発信としてここに選ばれているのは、思春期後半から大人になりたての若者が書きつけた喜怒哀楽と焦りのないまぜになった生々しい声であり、一通一通のうしろにある当時の自分の状況や時代背景について、現時点のオースターは細かく説明するコメントを挟みながら、唯一残された《君の過去に直接通じる扉》として、《同じ一人の人物に、やがて君の最初の妻となる若い女性に宛てて書かれた数千数万の言葉》の一部を、読者のこちらと共同作業で点検のテーブルに載せるように紹介していくのである。
 ひとりで自省するより、だれか他人に、それもとくべつ親しい他人に向けて書いたもののほうが正直な告白になるという逆転があるのだろう、手紙の中のオースターは文学的な野心にあふれ、自分の創作プラン(長篇小説、詩の翻訳、シナリオ…)を語っては進捗具合を報告する。いくばくかの自信を示しながらその数倍の不安を打ち明ける。騒々しく冗談を連発した次の行で悩みを吐き出す。出会った人びと、遭遇した出来事。ベトナム戦争と徴兵について。社会を論じ、身のまわりの物事に憤る。自分たちの将来。そしてまた執筆を続ける。神経が弱って潰れかける。執筆を続ける。
『冬の日誌』には簡単な年譜として読める部分があった。その中の、こちらの時代に対応する記述と重ね合わせながら生の手紙とコメントを読んでいくと、青年オースターの姿がより立体的に浮かび上がるし、そうなればなるほど、見えないカウンターパートとしてのリディア・デイヴィスの存在も、見えないままでいっそう際立ってくる。
 だから、心理的にも距離的にも近づいたり離れたりを繰り返していたはずの関係を具体的にはほとんど書いていないこの「タイムカプセル」という章には、それでもやっぱり、甘かったり苦かったりする若い二人の姿がありありと焼き付けられていることになる。
《3月2日 君からの最新の手紙……もう一度君に言う、僕の事は心配しないで。僕は大丈夫だから、本当に。僕との関係において、君が自分を疑うには及ばない。現時点で解決しようが無いと判っている問題についてあれこれ思い悩むのはよそう。今はただ、君の生活が何から成り立っているにせよ、それを抱えて精一杯良く生きるよう努める事だ。人間は現在の中で生きる事によって最も永遠の感覚に近付けるのだと僕は思う……》p203

 手紙の引用が1969年8月のもので最後になるのは、おそらく次の月から二人はマンハッタンにあるキッチンのついた二部屋のアパートで同棲を始めるからで(『冬の日誌』による推測)、いっしょに暮らせば手紙を出す必要がなくなるという当然の事実の到来にもなんだか感じ入ってしまった。
 すべての手紙の先頭に律儀に記されていた日付よりずっと未来の世界において、本来の宛先だった自分が本来の書き手である元恋人・元夫に返送したばっかりに、私信であることを越えてあたらしく広い陽の目を浴びることになった過去の手紙のこんな“活用”法について、リディア・デイヴィスはどう思っているのか感想を聞いてみたい。
 オースターより十歳年長のトマス・ピンチョンは、若いころの自分が書いたものを見るなんて小切手のサインひとつでもまっぴらだと書いていたのを思い出すにつけ(『スロー・ラーナー』の序文)、作家というのは、書く作品だけでなく本人の性格もほんといろいろである。
 キャッチーな部分ばかり引用してしまったが、こういうことを書いていたオースターとは横から割り込んで握手できそうに思った。
《本当に上等の、深々とした笑いが望みなら、フラン・オブライエンの『スウィム・トゥー・バーズにて』を読み給え。自信を持って勧める。》p202

 最後にもうひとつ。1967年6月8日の日付がある手紙で、二十歳のオースターは十九歳のリディア・デイヴィスに、ペンギン社から出ている『フランス詩集』を、19世紀編と20世紀編の両方とも買うように勧めている。
《「[…] 20世紀編の方ではヴァレリー、ジャコブ、アポリネール、ルヴェルディ、エリュアール、ブルトン、アラゴン、ポンジュ、ミショー、デスノス、シャネール、ボンヌフォア。僕の意見ではフランス文学は小説よりも詩に貢献している――フロベールとプルーストは別だが」》p167

 この部分に、現在時点から次のような後日談が書き添えられている。事実を簡潔に記しているだけだが、ここには、やがて破局を迎えることになる二人がそんなことは知らずに二人でいた時代に胚胎し、それからの変化の中でも持ち続けられた意志によってなされ、二人の関係が終わったずっとあとに完成してからは二人の一生よりも長いあいた揺るぎなく残るに違いないそれぞれの仕事を、一人ながら二人ぶんとも誇らしく感じている気持がしっかり書き込まれていると思った。
大人になったリディアはフロベールの『ボヴァリー夫人』とプルーストの『スワン家の方へ』を翻訳するに至り、大人になったポールは二十世紀フランス詩アンソロジーを編纂するに至り、その中でリディアは翻訳者の一人として登場する。p167*太字は引用者

 あなたたちは、すごいよ。
 なお、これも「訳者あとがき」に書いてあることだけど、この手紙の時代(1966-69年)にオースターが取り組んでいて、何度となくリディア・デイヴィスにも進み具合を伝えていた散文作品の切れ端が、「MONKEY」vol.1 特集 青春のポール・オースター(2013)でいくつか訳出されている(「草稿と断片」)。それだけで読むと「こんなに思い詰めて書いていたら、そりゃ完成しないよな」と納得してしまう暗さと密度の連作群なのだが、「タイムカプセル」の手紙のうしろに置いてみると、たいへん場所を得た感じが生まれて、オースター像だけでなくそれらの作品も立体的になる。日本におけるオースターはとても恵まれていると思う。

 最後の4章め「アルバム」は、先述の通り(しかしわたし以外のだれがそれをおぼえているのか)これまでの1-3章で触れられた事物の写真だったり絵だったり新聞記事だったりが、短いコメントといっしょにまとめられている。好きだったアニメの画とか、野球選手の肖像、事件報道、映画のスチール写真(脳天に二発)などなど。
 個人的な写真類は1枚もなく、言ってみれば公的な資料がずらずら続くのだが、ひたすら個人的な回想と私信を読んできたあとでそれらを見ると、オースターの思い出が額縁になって、公的なものまで個人的なものに変わって映るのが面白かった。「思い出す」というのは、公さえも私にすることなのかもしれない。

『孤独の発明』(1982)『冬の日誌』(2012)、この『内面からの報告書』(2013)と、記憶と回想にまつわるポール・オースターの本を続けて読んできた。この人はほかにも同じようなコンセプトのものを書いているのだろうか。そして、似たようなことをやっている作家にはほかにどんな人がいるのだろうか。まずは積ん読本の中から探してみる。
2018/02/05

ポール・オースター『冬の日誌』(2012)

冬の日誌
柴田元幸訳、新潮社(2017)

《何といっても時間は終わりに近づいている。もしかしたらここは、 いつもの物語は脇へ置いて、生きていたことを思い出せる最初の日からいまこの日まで、この肉体の中で生きるのがどんな感じだったか、吟味してみるのも悪くないんじゃないか。》p3

 そんなこと言わないで! あ、いや、急すぎた。やり直す。
 せんじつ読んだ『孤独の発明』(1982)は、本格的に小説に向かう前のオースターが過去をふり返り、過去をふり返る行為についてあれこれ考えることでもって自分の足場を確かめようとする思弁的な本だった。それから30年後の『冬の日誌』では、60代の半ばにさしかかったこの作家がふたたび過去をふり返る。エッセイとしては長尺で、自伝としてはカジュアルなつくり。
 この2冊を続けて読むのはまったくオースターのあずかり知らないわたしのほうのめぐり合わせだが、せっかくなので比較すると、『孤独の発明』のとくに第二部「記憶の書」では、「実際に体験した自分の過去の話」と「それをもとに展開する思索」の分量の比が3:7くらいに感じられたのが、『冬の日誌』では9:1ぐらいになっている(どちらも体感)。この違いに、最初に引用した年齢からくる動機が直接反映していると言われたら、つい納得しかねない。
 エピソード重視であることと、わたしがオースターの熱心な読者ではぜんぜんないことを併せると、本書は“そんなに知らない作家が自分の半生を具体的に綴った文章の束”ということになる。それって面白く読めるのかハードルが高い気もするものの、かく言うわたしはSNS全盛の時代より前のブログ全盛の時代よりさらに前のウェブ日記全盛の時代から、夜な夜な、知り合いでもなんでもない赤の他人の日記を探してきては半年分まとめて読みふける数時間に無上の楽しみをおぼえていた人間なので、そんなハードルは下をくぐって通過していた。どなたかの参考になればと思う。
 半生のエピソードといっても時系列ではない。たとえば体に受けた傷の話であれば、子供のときからこんな怪我をした、こんな事故に遭ったなどの経験が、一見、思い出すままに語られる。選ばれる話題は雑多だが、いま例に挙げたような肉体的ダメージ・体にまつわる事柄が大まかな主題になっている。もちろん、体とはこの自分の体だから、体を語ることを通してみずからを語っていくのである。
《これこそ君の人生の物語である。道が二叉に分かれたところへ来るたびに、体が故障する。君の体は心が知らないことを知っているのであり、故障の仕方をどう選ぶにせよ(単核症、胃炎、パニック発作)、君の恐怖と内的葛藤の痛みをつねに体が引き受けてきたのであり、心が立ち向かえない――立ち向かおうとしない――殴打を体が受けてきたのだ。》pp63-4

 加えて、いまの引用に見られる通り、本書では語り手が「君は」の二人称で自分を指すスタイルが採られている。このことを、『孤独の発明』の第一部が「私は」の一人称、第二部が「彼は」の三人称を選んでいたことと考え合わせると面白い。
 自分を「君は」と呼べば、「私は」と呼ぶより距離ができるのでもっと詳しく“点検する”立場を取れるし、それでいて「彼は」と呼ぶより過去の自分を親密な態度で扱うこともできる。さらに同時に、「君は」「君は」と語られるたび、それはあくまでオースターのことだとわかっていても、読んでいるわたしがオースターから呼びかけられているような印象も毎回ほんの少しずつ残るため、積み重なるうち次第にこっちがオースター(語り手であり、語られる対象でもある)のほうに寄せられていく効果も感知された。100パーセント個人的な自分の話を他人に聞かせる・読ませるうえで、この人称遣いはとてもうまい。
 そんな巧みな語り口に乗せて、喧嘩のことや、スポーツのことなどなどが書かれていく。というか、思い出されていく。セクシャルな事柄も、初体験までのいきさつとか、いつどこでどんな娼婦を買ったかとか、かなり率直に綴っていくので「ほう」と思いながらついチラチラとGoogleで画像検索する誘惑に駆られるいっぽう、呑み込んでしまった鉛のように本書に沈んでいるのは2002年に亡くなった母親のことで、全篇を通し、あちらこちらで若かったころの母親の姿、老いてからの様子が都度都度のさまざまな感情とともに触れられている。
(これもまた、『孤独の発明』が実父の死から書かれたことと図らずも対照をなしている――などと捉えたらあんまり読者の勝手にすぎるだろうけれども)
[…] 病院に大急ぎで連れて行かれたことも頬を縫ってくれた医者のことも覚えていない。ほんとに上手なお医者さまだったのよ、と君の母親はいつも言っていた。初めての子供の顔半分が破りとられたのを見たトラウマは決して去らなかったから、母はそのことを何度も口にした。》pp8-9

《その朝のうちに君のブルックリンの家に電話してきた母の声は、恐怖の念に包まれていた。血がね、と母は君に言った。血が口から出ていて、血がそこら中にあったのよ。長年彼女を知ってきて初めて、母は正気を失っているように聞こえた。》p134

 とくべつ面白かったのは、生まれて以降、この本を書いている現在まで、自分が定住した場所を順に並べていった部分である。どんな場所でどんな暮らしをしていたかが、およそ50ページにわたって記述され、生家から学校の寮から粗末なアパートから次の粗末なアパートから何から何まで数え上げられて、暮らした住まいは22ヶ所に及ぶ。その多さにまずおどろくし(本はどうしたんだろう)、ひとつひとつの住居の間取りについて、周囲の環境について、そしてそこで起きた出来事と自分の心持について、引き出されてくる回想の鮮明さにもっとおどろかされた。
 ここの部分は本書では例外的に時系列でたどられており、これを簡単な年譜として押さえれば、『孤独の発明』で切れ切れに言及されるこの人のライフイベントもそれなりに整理して把握できそうだ。なにより、10代終わりからの10年あまりはリディア・デイヴィスが出たり引っ込んだりするので、オースターの自伝でありながらこの期間はダブル主人公ものとして読める(ただし、『孤独の発明』と同様、この本でもオースターは「リディア・デイヴィス」という名前は出していない。わたしの読み方が勝手なのである)。その七転八倒の生活が破綻したあとで出会い、再婚を決めた2番目の妻へのベタ惚れ具合も読みどころのひとつになっている。
《それまでずっと、君が女性に関して下した判断はすべて間違っていた。でもこの決断だけは間違っていなかった。》p181

 ほほえましい、すごくほほえましいけど、ちょっと今ここでリディア・デイヴィスに謝ってもらおうかとまた画像検索して言い聞かせたくなりながら、他人の人生をこうもたやすく物語として享受してしまうわたしのような人間がいるから時系列には危ういところがあるとあらためて思った。それから、悪いのは時系列ではなくわたしだと思った。

 いまの話を別にすると、この本を読んでいていちばん頻繁に、かついちばん強く感心するのは、「よくもそんなにたくさんのことを、そんなに細かくおぼえているよな」ということだった。
「よくそんなにおぼえているよな」は「よくそんなに思い出せるよな」と同じ意味である。でも、作者の思い出したことがそのままこちらの脳に注入されるわけはない。当たり前だがオースターは思い出しているだけでなく、思い出したことを書いている
 ここにある、「思い出す」と「書く」の関係がとても気になる。
 この本にぎっしり詰め込まれた、60年間のさまざまな風景の細部、出来事のディテール、人のことばの数々、感情の揺らぎのひとつひとつ、そういったすべての物事は、(1)まずオースターの頭の中にあって、(2)それが文章のかたちで表現されるという、一方通行のルートを経てページの上に印刷されているわけではないと思う。少なくとも、それだけではないと思う。
 おぼえていること・思い出したことを書く、というだけでなく、書くことによって思い出しているという逆のルート、書くことで、自分がおぼえているとは気付いていなかったことまで思い出すという相互関係もきっとあるはずだ。
 わたしが誰かに思い出ばなしをする場合を考えてみても、話しているうちにひとつの細部がほかの隠れていた細部を引き連れて立ち上がり、ぼんやりしていた部分に具体性が上塗りされて、あたかも話しはじめる前からそのままのかたちで頭の中にしまってあったと(そんなはずはないのに)錯覚しかねないことはしょっちゅうある。思い出は再現の過程で肉付けされ、肉付けされたあとでは元の姿は見えなくなる。
 ましてオースターは小説家である。実際に起きた、ありのままの事実を本人が思い出して文章にしているつもりでも、じつはそこに書く・語ることで思い出すというプロセスが含まれているのだとすれば、語りのプロの小説家であればこそ、書く側にとって、思い出を語ることと創作のあいだに、本人以外が想像するほどの違いはじつは無いのじゃないかということが気になるし、そこについてオースターじしんは何らかの自覚と企みを持っているのだろうかということも、さらにいっそう気になってくる。
[…] ピアノはもう何年も演奏されていなくて音程が狂っているので調律師に来てもらうことにした。翌日、盲目の男がやって来た(君はこれまで、盲目でないピアノ調律師にはまず出会ったことがない)。五十歳前後の太った人物で、顔はパン生地のように色白、目が上向きになって白目が露出していた。奇妙な人だ、と君は思ったがそれは目だけのせいではなかった。むしろその肌。漂白したような、ホコリタケを思わせる、ふわふわで押せば凹みそうな肌で、まるでどこか地下に棲んでいて顔にまったく光を当てていないかのように見えた。》pp64-3

《何分かが過ぎ、君の体も冷えてきておおむね正常な温度に下がったところで、タクシーが一台こっちへやって来るのが目に入ると同時に、一人の女性が歩いてくるのを君と君の妻は見た。若い、おそろしく背の高いアフリカ系の女性で、カラフルなアフリカの服に身を包み完璧に背筋の伸びた姿勢で歩き、胸に掛けたスリングの中では小さな赤ん坊が眠っていて、右手から重たい買物袋が下がり、左手からもうひとつ重い袋が下がり、三つ目の買物袋は何と頭に載っている。人間の優美さの具現化を自分が目のあたりにしていることを君は悟った。左右に揺れる腰のゆっくり滑らかな動き、その歩みのゆっくり滑らかな動き、一種の叡智と君には思える気品とともに荷を負っている女性、一つひとつの重さが均等に分配され、首と頭はまったく動かず、腕もまったく動かず、赤ん坊は母の胸ですやすや眠っている。一家の荷物をここまで運んでくるにあたり何とも見苦しい姿をさらしたばかりの君は、己のぶざまさを痛感し、自分には逆立ちしてもできっこないことに同じ人間がかくも見事に熟達しているのを見て畏怖の念を禁じえなかった。》pp160-1

 最初から頭にあったこと。書いているうちに思い出されたこと。思い出しているつもりで創作されたこと。創作するつもりで創作されたこと。どれもこれも、書かれてしまえば同じ文章なので読む側には区別がつかないが、それは文章表現の前提だから気にならない。繰り返すが、気になるのは、書く側にはどの程度区別がついているのか、そこを本人は意識できるのか、ということだ。
 なんとなれば、ある程度でも区別ができて意識もできるとしたら、その人はそのぶんだけ思い出をコントロールできることになるからで、思い出や記憶をコントロールできるなら、それはいまの自分をコントロールできることになるんじゃないかと思うからである。
 だが、そういうことについては『冬の日誌』には書かれていなかった。書かれていなかったが実践があった、とは言えるかもしれない。勝手すぎるかもしれない。

 最後にもうひとつ、この本をいちど読み終えてから発見があったので書いておく。
 たぶんオースターの愛読者なら「何をいまさら」なのだろうが、今回わたしが遅ればせながら気付き、気付けて本当によかったと思ったのは、“ポール・オースターが書いて柴田元幸が翻訳した文章は、朗読するととても気持がいい”ということである。
 もちろん、目で追っているだけでも文章がうまいのはわかる。能弁な回想を紡ぎ出す、観察の細やかさ。それを再現して伝える、作為は目立たないのに練りに練られた行文と、語彙の選択の確かさ。どれもしっかり、味わったつもりでいた。
 でも、『冬の日誌』のどこでもいい、ページを開いてひと掴みふた掴みのまとまりを声に出して読んでみると、次の言葉、次の行へとぐいぐい伸びていくピンと張った一本の筋が文章の内側からあらわれ、繊細な一文一文がたくましさをまとって自分の口から出てくる。ちょっと可笑しかったところを人に読んで聞かせようと軽いつもりで音読をはじめたのに、読み進めるうちに自分でびっくりした。
[…] そして、そう、君と君の恋人はその一年まさしくエストランジェだったのだが、パリの冷淡でピリピリした堅苦しさに較べればこの地方での暮らしは何と穏やかだったことか、南で暮らしたあいだみんな君たちにどれだけ温かく接してくれたことか、アシエ・ド・ポンピニョンなるありえない名前の堅苦しいブルジョワの夫婦ですら時おり隣り村のレギュスにある家に君たちを呼んでくれて一緒にテレビで映画を観たし、君たちの家から七キロ離れたオプスで知りあった人々もやはり友好的で、君たちはここへ週二度買い出しに行き、孤立した暮らしが何か月も続いてくるとこの人口三、四千の町がとてつもない大都会のように思えてきて、オプスには主だったカフェが二つしかなく一方は右翼カフェでもう一方は左翼カフェだったので君たちは左翼カフェに通い、社会主義者か共産主義者である常連の薄汚い農夫や機械工に歓迎され、この荒っぽくお喋りの地元民たちは若いアメリカ人エストランジェ二人をますます気に入ってくれて、君たちはそのカフェで彼らと一緒に一九七四年大統領選の結果もテレビで観て、ポンピドー死後のジスカール・デスタンとミッテランとの選挙戦に晩はいったん大いに盛り上がったものの最後は失望に終わり、誰もが酔っ払って喝采していたのが誰もが酔っ払って悪態をつき、加えてオプスには仲よくなった肉屋の息子がいて、君とほぼ同い歳で父親の店で働いていて行くゆくは家業を継ぐべく修行中だったが本人は写真にも熱心で腕もよく、その年はずっとダム建設で水中に埋もれる予定の小さな村の立ち退きと取り壊しを撮っていて、かくして悲痛な写真を撮る肉屋の息子と社会主義者/共産主義者カフェにたむろする酔っ払った男たちがいたわけだが、さらにはドラギニャンの歯科医もいて[…]pp74-5

[…] 数年前に、一家全員でオーロラを見に闇の中へわざわざ出ていったことがある。君がオーロラを見たのはあとにも先にもそのときだけで、それは忘れがたい、想像を絶する眺めだった。寒さの中に立ち、電気のような緑色の光を見上げる。夜の黒い壁を背に緑色にきらめく空の賑やかな眺めの壮大さには、それまでに見たどんな眺めも遠く及ばなかった。それにまた、雲のない澄んだ夜には、空一面に星がぎっしり、地平線から地平線まで並び、よそでは決して見られぬ無数の星がたがいに溶けあって濃密な水たまりを、頭上に浮かぶ白さの粥[ポリッジ]を形成する。そうした夜が明けると白い朝が、白い午後が続き、雪が降る――君の周りじゅうではてしなく雪が降り、君の膝まで達し、腰まで達し、小さかったころ君の母親の花壇にあって君の頭を越えたひまわりのようにますます高くなり、見たこともないほどたくさん雪が降って、突然君は九〇年代なかばのある瞬間を生き直している。君は妻と娘とともにクリスマス恒例のミネソタ巡礼に来ていて、吹雪の夜に車を運転中で、ミネアポリスにある妻の妹の家から、六十キロばかり離れたノースフィールドにある妻の両親の家へ向かっている。》pp186-7

 深く潜った記憶の中からこちらに向かって文章による回想をおこなう人たちが風景描写に秀でがちなのは、回想と風景に関係があるからなのか、あるとしたらどんな関係なのかについてはまたいつか考えたい。
 今度こそ本当に最後、もうひとつ書いておくと、時系列に従わない思い出の羅列のように見えるだけに、どうやって終わるのか予想がつかないこの『冬の日誌』は、これほどの言葉を操って文章を書ける人が、あるときある場所で――1978年12月の晩にマンハッタンの体育館で――およそまったく言葉が追いつかず、言葉で説明するのが不可能な出来事を目の当たりにし、しかしその言葉の無力を心底思い知らされたことによって書く人間として再生した体験を、かなり最後のほうに配置している。たいへん見事な構成だとおそれ入った。こう書いても何のことだかさっぱりだろうから、これは断じてネタバレではない。


*追記:
 上でも触れた、住居の変遷を順番に語ったあとで、移動についてもオースターは書いている。
《機内に乗り込むたびに君を包む、どこにもいないという不思議な感覚。時速八百キロで空間を運ばれていくことの非現実感。地面からあまりに離れているので、自分自身の現実性まで失われてくる気がする。あたかも自分が存在するという事実が、体から排出されていくように感じられるのだ。とはいえそれが家を離れる上で払う代価である。移動を続けるかぎり、家というここ[ヒア]とどこかよその場所というそこ[ゼア]のあいだに広がるどこでもないところ[ノーホエア]も、やはり君が住む場のひとつでありつづけるだろう。》pp104-5 *太字は引用者

 場所について、移動しているあいだの自分はここでもそこでもないどこでもないところにいる。これを場所ではなく、時間についても当てはめてみたらどうだろう。
 というのは、「思い出す」という行為の最中、記憶を呼び戻してしばらくその回想に浸っているあいだ、体はもちろんいまここにあっても、頭はここ(現在)でもなく、そこ(過去)でもない、やはりどこでもないところにいるかのように、頭の中がそういう場所になっているかのように、わたしは感じているからだ。
 自分が自由にあちこち歩き回れるような、現在でも過去でもない場所と時間をページの上に広げるために書かれた本として『冬の日誌』を読むことができると思う。

 さらにまた、話がずれるけど見つけたので書いておくと、ここそこをめぐる言葉は、『孤独の発明』の第一部でもオースターの父親について語られていた。
《自分がいまいる場所にいること、父にはそれがどうしてもできなかった。生涯にわたって、父はどこか別の場所にいた。ここそこのあいだのどこかに。ここにいることはけっしてなかった。そこにいることもけっしてなかった。》pp32-3

 ここそこ、およびどこでもないところに注目してオースターの小説作品を読んだらどんなことが言えたり言えなかったりするんだろうかと、読んでないくせに(読んでないからこそ)気になった。


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