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J.F.クーパー『モヒカン族の最後』(1826)
ラスト・オブ・モヒカン ディレクターズカット [Blu-ray]


 アメリカ映画「ラスト・オブ・モヒカン」が日本で公開されたのは、わたしたちが中学2年生のころだった。
 
 わたしたちの通っていた中学校は、1学年が1クラスしかない小さなところで、校舎は山の上にあった。毎朝、詰め襟の学生服に白い帆布の鞄を斜めにかけ、森を切り開いて延びる一本道をのぼって通い、同じ道を下って帰った。もちろん、夜は暗い。
 わたしは軟式テニス部に所属していた(男子は野球部か軟式テニス部のどちらかに入らなければならなかった。二択である)。部活を終えた帰り、学校の敷地を出てからの下り道にはろくに外灯もなく、人家の明かりもなく、昼よりも背が高くなったように見える黒い木々の枝が空を両側から狭め、月のない夜だといっしょに歩く友達の顔さえよく見えなかった。これは誇張ではない。
 さすがに舗装はしてあったが、歩道の脇からは羊歯植物の茂みが波打って迫り、どんな人外魔境に通じる道なのか(通学路だが)というくらいおそろしいあの夜道で、それでも生徒が車に轢かれる事故が起きなかったのは、そもそも、日が落ちてからそんなところを走る車がほとんどなかったからとしか考えようがない。 両方の拳を合わせたよりもなお大きいヒキガエルがたまに轢かれていて、遺骸は生きていたとき以上の存在感で何日もその場に残っていた。

 生まれたときからそのような環境を当然として育ったわたしたちは、特に不満の声をあげるでもなく、放課後になれば毎日ぎゃあぎゃあ騒ぎながらラケットを振り回し(部活に決まった活動曜日などなかった)、コートの柵を越えて広がる一面の低木林に消えたボールをひとり10個探して来いなどと先輩から無理難題を押しつけられ、だれかが持ち込んだ黄色い硬式のテニスボールを軟式のラケットで試し打ちしてガットを切ったりしつつ、ボールが見えなくなるまで練習し(部活に決まった終了時間などなかった)、毎日毎晩、空に星が現れてから、真っ暗な道を歩いて帰った。
「ラスト・オブ・モヒカン」が海を渡ってきたのは、そんなころだった。
 
 わたしがそうだったように、全員がテレビのCMで見た。この映画のタイトルが、田舎の中学生男子に与えたショックは計り知れないものだった。
 タイトルだけが、と言うべきだろう。だれひとり、映画の内容を話題にした者はなかった(いちばん近い映画館は自転車と電車を乗り継いで2時間の彼方にあり、そこまで行ってもこの映画は上映されていなかったはずだ)。インディアンにモヒカン族という部族があるらしい、ということぐらいはわかったが、「モヒカン」のイメージは北アメリカ大陸の原住民よりも、「北斗の拳」のザコキャラを思い起こさせた。その「モヒカン」に「ラスト・オブ」。まことに声に出して読みたい日本語だった。
 授業中に、あるいは給食の最中に、なるべく意味も脈絡もない状況で唐突に口にするだけで、確実にその場に波乱を起こすことができたこのタイトルは、わたしたちのあいだでひとしきり流行し、やがて変形された。それはこのような遊びになったのである:

 いつものように5、6人の集団で帰り道を歩いている途中、1人が先に走り出し、ほかの者たちの視界から消えたあたりで(なにしろ暗いからすぐ消える)、茂みに、あるいは森の木々のあいだに、身を潜める。どこに行ったのか捜すふりをしながら残りの連中が近づいていくと、潜んでいた者は奇声を発し、ラケットを振りかざして路上に躍り出る。そこで全員が毎回、声をそろえて叫ぶ。「モヒカンだ!」 そして全力で走って逃げる ――ここまでで1ターン。1日の帰宅路で3ターンほど繰り返したあたりで、比較的学校に近かったわたしは家に着くのだった。
 だれが駆け出して隠れる役になるのかに順番などはなく、場の雰囲気と全員のタイミングを計ったうえでの早いもの勝ちだったが、2回連続で走り出す(「モヒカンする」とわたしたちは言った)のは、はしたない真似として敬遠された。
 また、たとえだれかの隠れかたが下手で、夕闇の中にその姿が見えてしまっても、ほかの者は気付いていないふりをして近づくべしというルールも自然に生まれていた。校則でみんな頭は丸刈りだったが、なかなか紳士的だったと言える。わたし自身は、一見すると華やかな躍り出る側よりも、「毎回毎回、律儀におどろいたふりをする」側のほうがじつはバカバカしく感じられて好きだった。
 
 寄り道をする場所もない当時のわたしたちには、あれ以上に面白いものはなく、一連のアクションを表現するのに「モヒカン」以上に適切な言葉はなかった。
 すべてが緊密に結びつき、完全な調和を成していた14歳の中学生のころからはるかな年月を隔てて、先日、あの「ラスト・オブ・モヒカン」の原作である小説、180年前に書かれた『モヒカン族の最後』を読んでみた。ジェイムズ・フェニモア・クーパー著(犬飼和雄訳)、ハヤカワ文庫で上下巻。

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 舞台は1757年、まだ独立前のアメリカで、イギリスとフランスが植民地をめぐり戦争をしている。どちらの軍隊も、それぞれ別の部族の先住民インディアンを味方につけていた。小説はイギリス側のある少佐に視点を置き、彼が司令官の娘を護送することになるところから物語が動き出す。モヒカン族とは、その少佐の道案内をするインディアンのことだった。
 となるとこの小説が、モヒカン族最後の生き残りである誇り高い父子とイギリス人少佐との交流を描き、敵インディアン部族と戦う一大活劇の様相を呈するとしても、それはまったくの予想通りであって、途中で読むのをやめてもいいくらいのものである。
(司令官の娘は、何もそんな物騒な時期に移動しなくてもいいだろうと思われるが、もちろん敵インディアンにさらわれてしまう。大ピンチだ!)

 しかし何事も読んでみないとわからない。というのは、この小説、少佐や司令官をはじめとするイギリス人とインディアンとのあいだに、妙な登場人物が挟まれるのである。その名はホークアイ。白人の猟師でありながら、自然の中に暮らすこの男が、全篇を通してイギリス人とインディアンの仲立ちをする。生まれからしてインディアンではなく、かといって、白人の側に立つことも拒む。どっちつかずの中途半端なホークアイなしには、この小説では、イギリス人とモヒカン族は接することができない。そのせいで両者の関係は隔靴掻痒の感を生み、端的に言って、邪魔である。

 ものの本によると「アメリカ最初の大作家」とも称される作者のジェイムズ・フェニモア・クーパーは、20年近くかけて、このホークアイが登場する長篇を5つも書いているという。大地主の家に生まれ、封建的な土地私有にこだわったらしいクーパーがインディアンを描くには、クッションとしてホークアイが必要だったのは間違いない。
 ほかの4作は読んでいないが、『モヒカン族の最後』では、クーパーはホークアイを仲介役にして距離を置くことにより、「滅びゆくインディアンの悲壮なうつくしさ」みたいものを朗々と歌いあげている。そういう態度に「いい気なもんだ」と言うのはたやすいが、もしいま『モヒカン族の最後』を読む意義があるとしたら、それはこのクッションなしではインディアンを作品の中に呼び込めなかった作家の、不器用なりに正直な手つきを見ることができるから、ということのほかにない。これもまた間違いのないところである。感想はせいぜいそれくらいで、映画を見る気にはならなかった。

 あの中学校のわたしたちの学年では、高校に進学したあと、さらにわたしとSの2人だけが大学に進んで東京に出ていった。Sは最も熱狂的に「モヒカン」を繰り返した男だった。だれよりも大きい体で、しかし機敏に飛び出してくる彼のシルエットにはだれもが本気で身の危険を感じた。
 上京して最初の夏休み、ちょうど帰省した時期が重なって、Sとわたしは実家の2階で午後いっぱい話をした。何をそんなに喋ったかはおぼえていない。お互いの大学のこと、中学の思い出話、そんなところだっただろう。話はいくらでも続けられそうだったが、それが今のところ、彼と顔を合わせた最後になっている。
 卒業後もぐずぐずと東京に居残ったわたしとは違って、Sはすぐに地元に戻り、ただし実家からはずいぶん離れた地域の中学校で、教師をしているらしいと聞いた。だれに確かめたわけでもないが、きっとソフトテニス部――もう軟式テニスとは言わないのだ――の顧問になっているのだと思う。
ウィリアム・フォークナー「野生の棕櫚」(1939)
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 8月に読んだ小説を11月末になってもぐずぐず引きずっているのでメモしておく。

「野生の棕櫚」というタイトルをもち「野生の棕櫚」という章題からスタートするこの小説――文学全集の1巻で、「八月の光」(加島祥造訳)、「アブサロム、アブサロム!」(篠田一士訳)という大作ふたつのあとに収録されている――の始まりかたは、いかにも小説の中に“突入する”具合で面白い。
《気がねしていると同時に断乎としたものでもあるノックの音がもう一度聞えてきたときには、医師は階段を降りかかっていて、懐中電燈の光線が彼よりもさきに茶色に薄汚れた階段の側面や、階下のこれも茶色に薄汚れた実矧[さねはぎ]の箱のような玄関に突き刺さっていった。》p647

《気がねしていると同時に断乎としたものでもあるノックの音》っていったい、どんなだ。でもいい、そういう書きかたで行く、という意志の表明であると感じる。しかもそれが《もう一度聞えてきたときには》なので、すでに1回響きわたったあとの、もう始まっていた世界に読者は(小説は)いきなり入っている。

 そこから語り起こされるのは、この医師の所有になる海浜の別荘をレンタルして最近引っ越してきた若い男女の話で、はた目にも結婚はしていないのが明らかだというふたりの謎めいた姿である。
 男は慇懃無礼なようで、急に卑屈にもなれば、破れかぶれな面も見せる。何で生計を立ててきたのかはっきりしない。その男が絶対服従している様子の女のほうは、体調が悪いわりにずっと怒っているようだ。どういう関係で、何がどうなって、いまここに至っているのか。なぜいま、真夜中に医者を呼びに来たのか。すると章が変わる。

 次の「オールド・マン」と題された章では、1927年、ミシシッピ州の刑務所、と特定された舞台で別の話が始まる。
 焦点が合わせられるのは20代半ばの囚人で、彼が収監されたのは十代の終わり、お粗末な列車強盗未遂のためだった。彼を含む囚人たちが、大雨のせいでミシシッピ河が堤防を越えてしまったある真夜中に呼び出され、わけもわからないままトラックの荷台に載せられて出発する。章が変わる。

 そうやって、「野生の棕櫚」という章と「オールド・マン」という章が交互に進むという、この小説のつくりがわかってくる。
「野生の棕櫚」では、さっきの若い男と女の来歴が描かれる。
 苦学して医師免許を取る直前のインターンだったハリーが、人妻であり芸術家肌のシャーロットと出遭い、接近していく成りゆき。それぞれが、医師としての将来も、夫や子供との生活も捨てて出奔することになる経緯。それからどういう場所をめぐり、どういう人びとと交わって、ふたりの関係はどのように変わっていったのか。

「オールド・マン」では、労役にかり出されたさっきの若い囚人が、夜が明け雨がやんでも水がぜんぜん引かないせいで高所に取り残されている者たちを助けるよう命令されてボートで出発し、すぐに転覆する。
 溺死したと刑務所側から判断されてしまった彼は、じっさいにはなんとかボートに這い上がり、はからずも単独行動をとって、木の上に避難中だった若い女を助ける。ふたりは自分たちのいるのがどのあたりなのか皆目わからないまま、ミシシッピ河を流されていく。囚人は、女を安全なところまで届け、自分は刑務所に戻るためにオールを握る。“オールド・マン”とはミシシッピ河の俗称なんだそうである。

 読みながら、わりと早い段階で確信されるのは、ふたつの話は最後まで交わらないだろうということで、なぜそう思うかというと、場所も時間もズレている、ということ以上に、ふたつの話に相当くっきりした対比があるためで、「であるからには、ストーリーまで絡んだりしないよな」と予想できるからだった。

 どちらの章でも男女のペアが流される。「野生の棕櫚」では、社会の本流から外れることをみずから選んだふたりが、それでも生活していくため徐々に低い層へ、下流へと、比喩的に流されていき、「オールド・マン」では、見ず知らずだったボートのふたりが、ミシシッピ河という人間の力をはるかに越えた大河に、文字通り、なすすべもなく流されていく。
 そして「野生の棕櫚」のふたりには、いくつかの堕胎の問題がついて回り、「オールド・マン」では、そんな状況下で、出産が発生する。

 別々に進む2本のストーリーの対比によって1つの小説を提示する、というこの方法が、発表当時(1939年)どれくらいあたらしいものとして受けとめられたのかは、よくわからない。
 いま読んでみて感じるのは、「古い小説としてあたらしい」というのと、「古い小説としてやっぱり古い」という入り混じった印象だった。

 さっき“くっきりした”と書いた対比は、“あからさま”の域に達しているし、それを言うなら「オールド・マン」のほう、人間も建物も土地も何もかもを押し流していくミシシッピ河は、わざわざ書くまでもないくらいに“運命”として流れている。
 そして何より、堕胎にせよ出産にせよ、女性の女性性をそういった点からのみ眺めるものの見かたは、控えめに言っても黄色の信号が点灯してしまうというか、端的に、いかにも古くて、むかしの小説だ。
 しかしじっさい、これは古くてむかしの小説(1939年)なわけだから、現代のものさしを当てたときに予想通り計測されるそのような古さを越えてなお、いまに届くものがあるかというと――これはもう、ある。ありあまるほどに、ある。

 最初はベタな象徴のように映ったミシシッピ河は、流れる様子、流されるもの、静かで圧倒的な破壊の力が丹念に描かれるうちに、ページの上を滔々と流れくだる具体的な濁流になり、その具体性のあまり、細かすぎるディテールと大きすぎるスケールのあまり、象徴のひと言では片付けられない、何かの観念にまで至る。
「野生の棕櫚」での、よく考えたら俗も俗すぎる不倫のメロドラマ、嫌っても憎んでも離れられない関係のねちっこさがこれもまた丹念に描き出されていくにつれ、語りの声は、登場人物の口と心内語を借りて、記憶と肉体の結びつきを論じはじめる。そんな思弁的な語りは、痴情のもつれともつれあって切り離しようがないままで続く。
 フォークナーの豪腕は、この作品でも、ひたすら書きたいように書く。そういう書きかたで行く。古いことは古いが、これは恐竜のような大きさの小説だと思った。気候が変わり植生が変わり、もしかしたら生息地はなくなったかもしれないが、恐竜が恐竜であることには変わりがない。

 ――と、ここまで書いてきたこととは別につながりはないけれども、とくに印象に残った部分を両方の章から引用する。
 まず「野生の棕櫚」から。もはや街では仕事を見つけられなくなったふたりは、ハリーが医者として働ける場所を求めて鉱山にまで行く。行ってみてわかったのは、すでに採掘会社が倒産しており給料も出ないこと、それなのに、労働者のうち英語が通じないポーランド移民とその家族の一団だけは残っていることだった。
《「あの連中にはろくに事情がのみこめないんだよ。そりゃ聞くことはできる。イタリア人はあの連中とも話ができたのだから。イタリア人の一人が通訳をつとめていたのだよ。ところが、あの連中は奇妙な民族ときている。だまされるなんてことがあるとは思ってもいないのだ。イタリア人が話して聞かせようとしたときにも、人間が賃金をはらう気もないのに働かせ続けたりする道理がないと思ったのだろう。だから今では連中は超過勤務までしているしまつだ。いっさいの作業をやってのけてもいる。本来あの連中はトロッコ押しでもなければ、坑夫でもなく、ハッパ係なのだ。ポーランド人にはダイナマイト好きなところがあるらしいんだよ。あの音響のせいかもしれないがね。だが、今では何もかも自分たちでやっている。女房たちまでここへ連れてこようとした。」》p775(太字は引用者)

 通じる言葉を持たない一群の人間たちが無言でえんえん働き続けている、という状況の描かれかたからは若干のコミカルな気配さえ浮かび、リアルであるのと同時に非リアルでもある魔術めいた領域に踏み入っている。

「オールド・マン」のほうからは、主人公である若い囚人の性格をいちばんよくあらわしているエピソード。
《二年前に刑務所から模範囚にしてやろうという申し出があったのだった。模範囚になればもう畑を鋤いたり家畜に飼料をやったりする必要はなく、弾丸をこめた銃を手にして囚人たちについて行きさえすればいいのだということだったが、彼はことわった。「わたしはすでに一度よけいなことに銃を使おうとした人間なのですから、鋤にかじりついていようと思います」と彼はにこりともしないで答えたのだった》p760(太字は引用者)

 これはなんだか、大江健三郎の小説に、似たような登場人物の似たような状況か、似たような台詞があったような気がする。

この「野生の棕櫚」も、『八月の光』や『アブサロム、アブサロム!』のように、もっとあたらしい訳でも読んでみたい。岩波文庫か光文社古典新訳文庫に期待。



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マグナス・ミルズ『オリエント急行戦線異状なし』(1999)
オリエント急行戦線異状なし
風間賢二訳、DHC(2003)

《「どうして、いやと言えなかったのかな?」》p174

 舞台はイギリスの湖畔にあるキャンプ場。シーズンが過ぎ、主人公の青年「ぼく」以外の客がいなくなった翌日の朝から小説は始まる。

「ぼく」はもう1週間だけ滞在し、それから念願だったはるか東洋への旅に出発する計画を立てているが、そこにキャンプ場の地主であるパーカー氏が近づいてくる。もし暇なら、ゲートにペンキを塗ってくれないか。いいですよ、お安い御用です。お礼に滞在費をタダにしてやろう。わあ、いいんですか、ありがとうございます。
 そんなことをしているうちに、“雑用”は増えていく。流されてしまったボートを探すのを手伝ってくれんか。見つけたボートは岸にあげてもらいたい。この棧橋の板は、張りかえる必要があるな。
《人に用件を切り出すパーカー氏の口調は、とても丁重なので効果覿面だ。そのとき不意に悟った。ぼくは、いつのまにやら彼の召使になっていることを。》p64

 疑いなく地元の有力者で、押しが強く、怒ると怖そうなパーカー氏の言うことを聞いているうちに、東洋への出発は延びていく。
 このままではよくないような気がする。たぶんよくない。きっとよくないと思う。でも恩知らずにはなりたくないし、地元の人間だけが集まるパブでは自分のためにお気に入りのビールを入れてくれたし、宿題を教えてあげたパーカー氏の娘はとっても感謝してくれている。もうちょっといいかな、もうちょっとだけなら……

 ここに出てくるだれにも明確な悪意はないし、田舎の人たちが束になったときにたまさか生まれる狂気とも無縁だし、「ぼく」がどこかでとくだん決定的なミスを犯したわけでもない。
 それなのに気がつくと、“まだ引き返せる地点”は後方に去り、あとから“まだ引き返せたかもしれなかった地点”としてふり返り見られるだけである。
 それは「ここ」と指させる一点ではないし、何より、うしろを向いて反省するような暇がいまではなくなっている。だって、親切心から引き受けた仕事なのに進みが遅いのをなじられるし、小さな失敗でパブの連中から仲間はずれにされてしまったのを何とかしたいし、パーカー氏の娘はこちらが宿題を代わりにやってあげるのを当然だと思うようになっているのだから。忙しい、忙しい。それにもっと大がかりな“仕事”が、なんだか楽しげな音を立て、やり甲斐を積んで近づいてくるじゃないか。

 描かれる出来事はどれも地味で、展開はひたすらになだらかだ。そしていつのまにか、身動きできなくなっている。大きな事件はひとつだけ起こるが、その書きぶりはじつに何気なく、その何気なさに目をみはった。
 こんなにも地味で、こんなにもなだらかな成り行きであっても、まったく何気ない日常の出来事として、人は人に磨り減らされし、損なわれうる。
 この小説は、そういう事態を描いたブラックなコメディともいえるだろうが、そういうことはたしかに起こるしいまも起きているのだから、迫真のドキュメントでもある。生ぬるい地獄は、どれほど生ぬるくても、本人が気付いていなくても、地獄にちがいない。
 頼まれたら断れない人、期待されると嫌とは言えない人、「1回だけなら…」で意に染まない要求を呑んでしまう人、拒否するより引き受けたほうがストレスにならないと計算してしまう人、勝手に生じる義務感を他人に利用されている人、報酬を達成感ですり替えられていることに気付いてはいる人、結果的にこれでよかったんだとあとから正当化を繰り返している人、「次からはもっと強く出よう」と思うだけの人……
 これは、そんな人たちを連帯に導く、アンチヒーローの受難を描いた革命の書なのかもしれない。そんな革命は決して起こらないので、せめてこの小説を読み、ぞわぞわ肝を冷やす寒気と、うつくしい湖の底に引きずり込まれていく苦しさだけでも、ぜひ共有してほしい。

 文庫化されて、永続的に手に入る状態になっているべき1冊である。こんなのは他人事だと呆れられるならしあわせだと思う。心から、そう思う。



 ○  ○  ○

 作者マグナス・ミルズの名前をはじめて知ったのは、「モンキービジネス」vol.7(2009)に掲載された短篇「聞けみ使いたちの」だった(柴田元幸訳)。そのときの感想がここにあった。
 まったく地味な話でありながら、でも、裏ではぜんぜん別のことが起きているのかもしれないとなぜか感じさせる(そしてそう仮定しても表向きの地味さはちっとも減らない)おかしな作風は、その後、「MONKEY」vol.5(2015)に載った「からっぽの家」でもやっぱり共通していた(これも柴田訳)。
 これで長篇だったらどうなっているのだろうと気になった『オリエント急行戦線異状なし』は、これら短篇とは趣がちがっていて、ますますへんな作家である。地味に追いかけたい。
野木恵一『報復兵器V2』(1983)
報復兵器V2―世界初の弾道ミサイル開発物語 (光人社NF文庫)
光人社NF文庫(2000)

《A4が、垂直からゆっくりと傾き始めたのが見えた。それは予定どおり、東北東へと頭を向けつつあった。
「一九……二〇……二一……二二……」
 A4の傾きは目に見えて増し、離れて行き、速度も増加する一方なのが見てとれた。
「音速」
 スピーカーは、A4が音速を超えたことを知らせた。これからA4は、自身の発する轟音を後に置き去りにしつつ飛んで行くのである。》pp14-5

 この本を読んだきっかけも、読み直したきっかけも、トマス・ピンチョン『重力の虹』だった。
 数百人の人間があっちこっちと入り乱れるあのとっ散らかった小説の中で、飛んだり炸裂したり分解されたり組み立てられたりする事実上の主人公と言っていいA4ロケット、通称V2(Vergeltungswaffe 2、報復兵器二号)の「できるまで」と「その先」を描いたこのノンフィクションは、とても読みやすくて面白い。
 第一次大戦後のドイツで、再軍備をきびしく制限したヴェルサイユ条約がロケット兵器についてはザルだった(ロケットが兵器になるとは考えられていなかった)ことに活路を見出した弾道学博士のカルル・エミール・ベッカー大佐と、その部下であるヴァルター・ドルンベルガー大尉のもとで着手された、ロケット開発。
 おりしも、民間でも宇宙旅行への関心が高まっており、その夢は貴族の家柄に生まれたひとりの少年を魅了していた。
 この少年が大学生になり、当時会員を増やしていた「宇宙旅行協会(VfR)」に加入して、運命の歯車が噛み合いはじめる。それまでは、壮大な目標を共有する者だけでなく、なにかズレた者・ただの山師そのほかも在籍し、今ひとつうさん臭さが抜けなかったVfRの中でメキメキ頭角をあらわしていったその青年ことフォン・ブラウンに、軍が接触してきて歯車はもう一段階まわる。
《それからベッカーは、思ってもいなかった提案をしてきた。フォン・ブラウンに、陸軍兵器局砲術弾薬部の民間人技術者として働く気はないか、と言うのである。[…]
 ミイラ取りがミイラになったようなもので、戻って来たフォン・ブラウンの話を聞いたVfRの仲間たちは大いに驚いた。リベラルな信条の持ち主のリーデルは、軍がロケット研究に介入すること自体批判的であった。彼は、なかば公然と進められている再軍備とナツィスの躍進に、不吉なものを感じていた。[…]
 フォン・ブラウンとしては、ベッカーの提案を受け入れる方に傾いていた。この不況下に、ロケット研究を援助してくれる所と言えば、軍の他には考えられない。我々の最終目標は、あくまでも宇宙旅行である。そのことさえ忘れなければ、一時軍の力を借りることも許されるのではないか。》p80

 そうして、挑戦と失敗と再挑戦のプロジェクトXな年月が続いていく。刻々と変化する国内と国外の情勢の中で、科学者を利用したい軍人と、軍人を利用したい科学者が、決して皮肉な意味だけではなく手に手を取り合って、射程距離260キロ、弾頭重量1トンの飛翔体の開発に邁進する。
《フォン・ブラウンばかりでなく、リーデルもルドルフも、宇宙旅行実現の第一歩を築くという希望を持って、兵器実験部の研究に加わって来た者である。彼らの議論はともすると、当面の技術的課題から離れて、宇宙空間へとさまよい出て行く傾向があった。ドルンベルガーは、金星行き宇宙船の軌道を六桁の精度で計算するとか、火星行き宇宙船の熱制御とかの問題から彼らを引き離し、現実に目を向けさせねばならなかった。》p90

 彼ら開発者の肖像や、試作機・打ち上げ実験の記録写真もいろいろ入っているし、A4の機関部の構造図だったり、2個のジャイロを使った自動操縦装置の働きの解説、関連する施設の地図もあって、この1冊を読んでおくと『重力の虹』がいくらか身近に感じられるようになる、ありがたい本だった。

 加えて面白かったのは、ノンフィクションである本書に、ときおり、以下の引用部分の中で太字にしたような部分が挿まれることだった。まず1932年12月、初期の実験が行なわれた日のこと。
《最初の実験は、設備が完成して数日後の真夜中、凍えるような寒さの中で行なわれた。フォン・ブラウンが点火係を務めた。点火装置は、三・五メートルほどの棒の先にガソリンの入った小さな缶をくくりつけたものだった。ガソリンに火を付けて、ロケットのノズルの下に差し出すのが彼の役目である。
 計測室では、グレノウが推進剤加圧用の高圧窒素バルブの前に、リーデルが推進剤供給バルブの前に待機し、計器を注視していた。ドルンベルガーは、試験室の開け放たれたドアの外、一〇メートルほど離れた木の陰から、全てを監督していた。
 試験室の屋根は開放され、エンジンが明るい照明の下で銀色に光っていた。ドルンベルガーの合図で、フォン・ブラウンは棒の先のガソリンに火をつけた。試験室の入口に立ちながら、彼は寒さのあまり足踏みしていた。p86

 たくさんの資料に基づいて書かれた記念すべき場面なのだろうが、こんなことまで何かの記録に残っていたのだろうか。だれがそれを書いたのか、気になってしまう。
 次は10年以上のち、実験の舞台がドイツ東部海岸のペーネミュンデにある基地に移り、A4の実験も成功したあと、情報がイギリスにもれて空襲を受ける1943年8月17日深夜のところ。
[…] フォン・ブラウンは、ライチュを空軍の車の所まで送って行った。彼女が空軍施設へ戻るのを見送った後、フォン・ブラウンは自分の住居に帰った。彼はハウス30と呼ばれる独身寮に住んでいた。
 彼が眠ったか眠らないかのうちに、空襲警報が響きわたった。彼は飛び起きて着がえると、五〇〇メートルほど離れた空襲警戒所へと急いだ。しかし、警戒所でドルンベルガーと同じ説明を聞かされたフォン・ブラウンは、再び帰路についた。
 歩きながら目を空にやると、ペーネミュンデを空から隠すための煙幕発生装置が作動して、薄い霞が満月にかかりつつあった。
 宙空の一点に、赤い炎の塊が出現した。それは揺らめきながら、落下して来た。驚いて歩を止めた彼の視界の中に、クリスマス・ツリーの飾りつけのような、緑や黄色の美しい炎が次々に出現した。
 四発機の大編隊の重々しい爆音が、北西から近づいて来た。彼方で、高射砲や高射機関砲が炸裂し出した。突然、爆弾が風を切る音が耳に飛び込んで来た。フォン・ブラウンはあわてて地面に伏せた。》p241

 これもやっぱり、ノンフィクションというより小説のようである。
 このシーンに資料があるとしたら、フォン・ブラウンの日記・日誌・聞き書きの類にちがいないと思うのだけど、そうだったとして、日記・日誌・聞き書きの類(ノンフィクション)に基づいたからこそ小説に見えるのだとしたら、ノンフィクションっぽさが小説らしさを担保しているように感じられるしくみはどういうものなのかとか、また、「こういうの=小説的」と受け取るわたしの側の回路の働き具合だとか、そういうことを考えさせてくれる点でも面白い読みものだった。


 ○  ○  ○


追記:
 本書の“登場人物”中で、ドルンベルガーやフォン・ブラウンといった大物以外で印象に残ったのは、ルーマニアの一地方出身のヘルマン・オーベルトだった。
 1923年に『惑星間空間へのロケット』という先駆的な著作を発表してドイツのロケット熱に火をつけ、何より、少年時代のフォン・ブラウンをこの道に引き込んだ理論家でありながら、本人はいまひとつ実務の才能にも境遇にも恵まれず、やっとドイツからお呼びがかかったと思ったら、「役には立たないが、知りすぎた男」として故国に帰ることもできなくなってしまう。
 フォン・ブラウンはそんなオーベルトにずっと敬意を抱きつづけ、自分がトップになってからは彼に(なくてもいいような)仕事をあてがうのである。
 人間を月に送るというフォン・ブラウンの夢は、戦後、アメリカでサターンV型ロケットとして実現するが、1969年6月のその打ち上げの際にも、特別観覧席の一席はオーベルトのために用意されていたのだった。このふたりのことを扱った本があったらそれも読みたい。


追記2:
 そんなフォン・ブラウンやオーベルト、さらに前の世代のツィオルコフスキーやアメリカのゴダードといった、ロケット開発史の重要人物たちを小学生とからませた、あさりよしとお『まんがサイエンス 2』(学研)も面白いです。

まんがサイエンス (2) (ノーラコミックスDELUXE)
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「この人は、何なの?」

片岡義男.com」なんてものがあることを知ったので、のぞいてみた。 のぞいてみて、腰を抜かした。ここです。

 まず「エッセイ365」におどろく。過去に書かれたものなのにまるで過去のものに見えないエッセイが、毎日増えていく模様。「いいんですか」と疑いたい気持になった。
 これなんて、片岡義男が、リチャード・ブローティガン『アメリカの鱒釣り』に出会ったときの話である(「ホノルル・ブックストアへ歩くまでに」)。
《[…]なかを開いてみたぼくは、再び、非常にうれしいよろこびを体験した。ページのメイクアップが、ものすごくいいのだ。いい雰囲気を持ったデザインの活字の、ごく小さいのを使って、行間のスペースをすくなくして、つめこんである。

 鱒釣りの文章には区切りの部分がたくさんあるが、この区切りのところが、ページの余白として、思い切った広さにとってある。

 小さな活字のつまりぐあいと、この余白との、おたがいに呼応しあうありさまは、みごとなものだった。ペーパーバックのページ・メイクアップとしては、『アメリカの鱒釣り』は、いまでもぼくにとっては最高のものだ。しかし、現在の版にこの面影はない。

 この本を買いたい、という強い衝動にかられたぼくは、鱒釣りを二冊、そのとき買った。

 あまりにも軽やかで透明な感じがするため、一冊だけではぼくの手からするっと抜け出してどこかへいってしまうのではないのか、という印象があったからだ。[…]》

 このエッセイを読んで、自分の本棚から『アメリカの鱒釣り』の訳本を取り出してこないのは難しいだろう。それは片岡義男が手に取ったのとは版も言葉もまったく別の本だけど、それを通して、ここに説明されているペーパーバックを正確に想像することはできる。だからそれは、同じ本でもあるのだといいたい。

 それにまた、全作品を電子化するプロジェクトが進行しているという。どういうことなのかまだちゃんと理解できていないけれども、なんだかたいへんなことになるのがもう決まっているのはまちがいないと思う。
「片岡義男の書くものがすごいのはこれまでに読んだエッセイのほんの数冊でわかっているけど、小説は多すぎて、どれから読もうか手をつけかねている…」みたいな人間(わたし)には、これは福音なんじゃないだろうか。福音がすでに多すぎる気がしないでもない。

 編集をされている北條一浩さんの、このプロジェクトを語る「小説家はまだ目次を書いている ――片岡義男のタイトルを読む試み」という文章も、とても読みでがあって面白かった(これ)。
 充実した内容もさることながら、文章のはしばしから片岡義男へのゆるぎない敬意と(おそらくは)あこがれが、わたしみたいな生半可な片岡読者にも伝わってくる。
(リンクしたところの紹介文が1ヶ所、「小説家はまだ目次を読んでいる」になっているのも面白い)
《[…]だから短く、一言。
「作品が星の数ほどある」。
 その星の数のほんの一端でも、持続的に読んだ時間を持つ人なら、多くの人がタイトルに注意を向けるはずだ。そしてこれもまた、著しい特徴として一言で正確に表現できる。
「タイトルが長い」。
 片岡義男とは、星の数ほど作品を書き、タイトルの長い小説家である。この説明がたぶん、最強のはずだ。》

《[…]もっと手前の、というか、単純なことに驚いたほうがいい。

 タイトルというものは、言葉でできている。

 これだ。あたりまえすぎて誰も耳を貸さないようなその事実についてのみ、注意深くありたい。》


 ところで、1年くらい前にわたしは片岡義男の『自分と自分以外』(NHKブックス)という本を読んだ。2004年の刊行で、新刊書店ではもう売っていない。amazonのマーケットプレイスで、お駄賃みたいな値段で買った。
 ところによりエッセイふうの時評にも、時評ふうのエッセイにもなって、子供時代のことや仕事のこと、文房具のこと、猫を飼い始めたときのこと、スパムのいちばんおいしい食べかた、はたまた「生足」という日本語の分析などが続く。
 そこは入り組みこんがらがった迷路のはずなのに、どうしてこの人は壁をひょいひょいまたぎ越えるようにしてまっすぐ進めてしまうのか、とページごとに嘆息しながら読んでいった1冊の最後ちかくに次のような文章があらわれて、わたしはこの本が2004年の刊行であることを、もうわかっているのに何度もたしかめてしまった。だれかに伝えたかったがだれにも伝えていなかったから、いま、ここに書き写します。
《[…]国家がいろいろときめてくれたほうが、すべてはっきりするし自分は楽でいい、という考えかたをする圧倒的多数の人たちは、基本的人権が思いがけない方向からさまざまに浸食されていく現実に、じつは深く加担している。正しい理解のための、ほんのちょっとした思考すら面倒くさがる彼らは、急速度で進展していく事態という、さらにいっそう理解不可能な状況によって、包みこまれようとしている。
 戦前・戦中をへた日本が大敗戦へと到達した時代を背景ないしは前提のようにして、日本国憲法は組み上げられている。基本的人権などじつは誰も守りようがないという、半世紀前にはまったく想定外だったとんでもない状況に、いま日本はいくつも直面している。そのなかからほんの小さな例をひとつだけ拾うなら、原発の事故ないしは意図された爆発は、わかりやすくていいだろう。原発が爆発し、致命的な濃度の放射能を帯びた物質が日本列島の半分に降り注ぐ、といった事態が発生したとき、基本的人権は、どんなかたちと内容で、いったい誰によって守り得るものなのか。
 電力を豊かに供給されて文化的な生活を営むという、憲法で保障されている権利の保持が、おなじく憲法が保障する基本的人権を、半永久的に根こそぎにする事態を生み出す。だから憲法はそこではもはや無力なのかというと、けっしてそんなことはない。憲法が保障している文化的生活を営む権利というものを、国民は注意深く監視し、自ら厳しく制御すべきであり、そのためには、起こっては困る事態を起こさないよう、防御的武器としての憲法を、国民は自らに対して存分に使用しなければならないという、新たな性質の「不断の努力」を、憲法はいまも要求している。
 もはや取り返しのつきようもない、国家存亡の危機のなかを逃げまどいながら、無事に生きていく権利とはこのような危機を招かないよう、憲法が自分たちに保障する権利を、自らの手で何重にも厳しく監視し制御する義務であったかと、ようやく痛感するにいたる人の数はやはり少数にとどまるのか。そのような人たちに対しては、憲法は最初から徹底して無力だったことになる。》pp262-3

「不断の努力によって」というタイトルがついた3ページほどの文章からの、これは後半3分の2程度にあたる引用だが、全文はくだんの「片岡義男.com」で、「11月3日」のところに再録されている。このあとに、やはり「11月8日」に再録された「現実に引きずられる国」という文章が続き、それで『自分と自分以外』はおしまいになる。
 どちらも、クリックすればすぐ、読めてしまう。それもおどろくべきことだけど、この本は、少なくともマーケットプレイスからなくなるまで買って読まれていいと思う。それではあんまり「少なくとも」すぎるけれども。


自分と自分以外―戦後60年と今 (NHKブックス)
片岡 義男
日本放送出版協会
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