2018/02/05

ポール・オースター『冬の日誌』(2012)

冬の日誌
柴田元幸訳、新潮社(2017)

《何といっても時間は終わりに近づいている。もしかしたらここは、 いつもの物語は脇へ置いて、生きていたことを思い出せる最初の日からいまこの日まで、この肉体の中で生きるのがどんな感じだったか、吟味してみるのも悪くないんじゃないか。》p3

 そんなこと言わないで! あ、いや、急すぎた。やり直す。
 せんじつ読んだ『孤独の発明』(1982)は、本格的に小説に向かう前のオースターが過去をふり返り、過去をふり返る行為についてあれこれ考えることでもって自分の足場を確かめようとする思弁的な本だった。それから30年後の『冬の日誌』では、60代の半ばにさしかかったこの作家がふたたび過去をふり返る。エッセイとしては長尺で、自伝としてはカジュアルなつくり。
 この2冊を続けて読むのはまったくオースターのあずかり知らないわたしのほうのめぐり合わせだが、せっかくなので比較すると、『孤独の発明』のとくに第二部「記憶の書」では、「実際に体験した自分の過去の話」と「それをもとに展開する思索」の分量の比が3:7くらいに感じられたのが、『冬の日誌』では9:1ぐらいになっている(どちらも体感)。この違いに、最初に引用した年齢からくる動機が直接反映していると言われたら、つい納得しかねない。
 エピソード重視であることと、わたしがオースターの熱心な読者ではぜんぜんないことを併せると、本書は“そんなに知らない作家が自分の半生を具体的に綴った文章の束”ということになる。それって面白く読めるのかハードルが高い気もするものの、かく言うわたしはSNS全盛の時代より前のブログ全盛の時代よりさらに前のウェブ日記全盛の時代から、夜な夜な、知り合いでもなんでもない赤の他人の日記を探してきては半年分まとめて読みふける数時間に無上の楽しみをおぼえていた人間なので、そんなハードルは下をくぐって通過していた。どなたかの参考になればと思う。
 半生のエピソードといっても時系列ではない。たとえば体に受けた傷の話であれば、子供のときからこんな怪我をした、こんな事故に遭ったなどの経験が、一見、思い出すままに語られる。選ばれる話題は雑多だが、いま例に挙げたような肉体的ダメージ・体にまつわる事柄が大まかな主題になっている。もちろん、体とはこの自分の体だから、体を語ることを通してみずからを語っていくのである。
《これこそ君の人生の物語である。道が二叉に分かれたところへ来るたびに、体が故障する。君の体は心が知らないことを知っているのであり、故障の仕方をどう選ぶにせよ(単核症、胃炎、パニック発作)、君の恐怖と内的葛藤の痛みをつねに体が引き受けてきたのであり、心が立ち向かえない――立ち向かおうとしない――殴打を体が受けてきたのだ。》pp63-4

 加えて、いまの引用に見られる通り、本書では語り手が「君は」の二人称で自分を指すスタイルが採られている。このことを、『孤独の発明』の第一部が「私は」の一人称、第二部が「彼は」の三人称を選んでいたことと考え合わせると面白い。
 自分を「君は」と呼べば、「私は」と呼ぶより距離ができるのでもっと詳しく“点検する”立場を取れるし、それでいて「彼は」と呼ぶより過去の自分を親密な態度で扱うこともできる。さらに同時に、「君は」「君は」と語られるたび、それはあくまでオースターのことだとわかっていても、読んでいるわたしがオースターから呼びかけられているような印象も毎回ほんの少しずつ残るため、積み重なるうち次第にこっちがオースター(語り手であり、語られる対象でもある)のほうに寄せられていく効果も感知された。100パーセント個人的な自分の話を他人に聞かせる・読ませるうえで、この人称遣いはとてもうまい。
 そんな巧みな語り口に乗せて、喧嘩のことや、スポーツのことなどなどが書かれていく。というか、思い出されていく。セクシャルな事柄も、初体験までのいきさつとか、いつどこでどんな娼婦を買ったかとか、かなり率直に綴っていくので「ほう」と思いながらついチラチラとGoogleで画像検索する誘惑に駆られるいっぽう、呑み込んでしまった鉛のように本書に沈んでいるのは2002年に亡くなった母親のことで、全篇を通し、あちらこちらで若かったころの母親の姿、老いてからの様子が都度都度のさまざまな感情とともに触れられている。
(これもまた、『孤独の発明』が実父の死から書かれたことと図らずも対照をなしている――などと捉えたらあんまり読者の勝手にすぎるだろうけれども)
[…] 病院に大急ぎで連れて行かれたことも頬を縫ってくれた医者のことも覚えていない。ほんとに上手なお医者さまだったのよ、と君の母親はいつも言っていた。初めての子供の顔半分が破りとられたのを見たトラウマは決して去らなかったから、母はそのことを何度も口にした。》pp8-9

《その朝のうちに君のブルックリンの家に電話してきた母の声は、恐怖の念に包まれていた。血がね、と母は君に言った。血が口から出ていて、血がそこら中にあったのよ。長年彼女を知ってきて初めて、母は正気を失っているように聞こえた。》p134

 とくべつ面白かったのは、生まれて以降、この本を書いている現在まで、自分が定住した場所を順に並べていった部分である。どんな場所でどんな暮らしをしていたかが、およそ50ページにわたって記述され、生家から学校の寮から粗末なアパートから次の粗末なアパートから何から何まで数え上げられて、暮らした住まいは22ヶ所に及ぶ。その多さにまずおどろくし(本はどうしたんだろう)、ひとつひとつの住居の間取りについて、周囲の環境について、そしてそこで起きた出来事と自分の心持について、引き出されてくる回想の鮮明さにもっとおどろかされた。
 ここの部分は本書では例外的に時系列でたどられており、これを簡単な年譜として押さえれば、『孤独の発明』で切れ切れに言及されるこの人のライフイベントもそれなりに整理して把握できそうだ。なにより、20代はじめからの10年あまりはリディア・デイヴィスが出たり引っ込んだりするので、オースターの自伝でありながらこの期間はダブル主人公ものとして読める(ただし、『孤独の発明』と同様、この本でもオースターは「リディア・デイヴィス」という名前は出していない。わたしの読み方が勝手なのである)。その七転八倒の生活が破綻したあとで出会い、再婚を決めた2番目の妻へのベタ惚れ具合も読みどころのひとつになっている。
《それまでずっと、君が女性に関して下した判断はすべて間違っていた。でもこの決断だけは間違っていなかった。》p181

 ほほえましい、すごくほほえましいけど、ちょっと今ここでリディア・デイヴィスに謝ってもらおうかとまた画像検索して言い聞かせたくなりながら、他人の人生をこうもたやすく物語として享受してしまうわたしのような人間がいるから時系列には危ういところがあるとあらためて思った。それから、悪いのは時系列ではなくわたしだと思った。

 いまの話を別にすると、この本を読んでいていちばん頻繁に、かついちばん強く感心するのは、「よくもそんなにたくさんのことを、そんなに細かくおぼえているよな」ということだった。
「よくそんなにおぼえているよな」は「よくそんなに思い出せるよな」と同じ意味である。でも、作者の思い出したことがそのままこちらの脳に注入されるわけはない。当たり前だがオースターは思い出しているだけでなく、思い出したことを書いている
 ここにある、「思い出す」と「書く」の関係がとても気になる。
 この本にぎっしり詰め込まれた、60年間のさまざまな風景の細部、出来事のディテール、人のことばの数々、感情の揺らぎのひとつひとつ、そういったすべての物事は、(1)まずオースターの頭の中にあって、(2)それが文章のかたちで表現されるという、一方通行のルートを経てページの上に印刷されているわけではないと思う。少なくとも、それだけではないと思う。
 おぼえていること・思い出したことを書く、というだけでなく、書くことによって思い出しているという逆のルート、書くことで、自分がおぼえているとは気付いていなかったことまで思い出すという相互関係もきっとあるはずだ。
 わたしが誰かに思い出ばなしをする場合を考えてみても、話しているうちにひとつの細部がほかの隠れていた細部を引き連れて立ち上がり、ぼんやりしていた部分に具体性が上塗りされて、あたかも話しはじめる前からそのままのかたちで頭の中にしまってあったと(そんなはずはないのに)錯覚しかねないことはしょっちゅうある。思い出は再現の過程で肉付けされ、肉付けされたあとでは元の姿は見えなくなる。
 ましてオースターは小説家である。実際に起きた、ありのままの事実を本人が思い出して文章にしているつもりでも、じつはそこに書く・語ることで思い出すというプロセスが含まれているのだとすれば、語りのプロの小説家であればこそ、書く側にとって、思い出を語ることと創作のあいだに、本人以外が想像するほどの違いはじつは無いのじゃないかということが気になるし、そこについてオースターじしんは何らかの自覚と企みを持っているのだろうかということも、さらにいっそう気になってくる。
[…] ピアノはもう何年も演奏されていなくて音程が狂っているので調律師に来てもらうことにした。翌日、盲目の男がやって来た(君はこれまで、盲目でないピアノ調律師にはまず出会ったことがない)。五十歳前後の太った人物で、顔はパン生地のように色白、目が上向きになって白目が露出していた。奇妙な人だ、と君は思ったがそれは目だけのせいではなかった。むしろその肌。漂白したような、ホコリタケを思わせる、ふわふわで押せば凹みそうな肌で、まるでどこか地下に棲んでいて顔にまったく光を当てていないかのように見えた。》pp64-3

《何分かが過ぎ、君の体も冷えてきておおむね正常な温度に下がったところで、タクシーが一台こっちへやって来るのが目に入ると同時に、一人の女性が歩いてくるのを君と君の妻は見た。若い、おそろしく背の高いアフリカ系の女性で、カラフルなアフリカの服に身を包み完璧に背筋の伸びた姿勢で歩き、胸に掛けたスリングの中では小さな赤ん坊が眠っていて、右手から重たい買物袋が下がり、左手からもうひとつ重い袋が下がり、三つ目の買物袋は何と頭に載っている。人間の優美さの具現化を自分が目のあたりにしていることを君は悟った。左右に揺れる腰のゆっくり滑らかな動き、その歩みのゆっくり滑らかな動き、一種の叡智と君には思える気品とともに荷を負っている女性、一つひとつの重さが均等に分配され、首と頭はまったく動かず、腕もまったく動かず、赤ん坊は母の胸ですやすや眠っている。一家の荷物をここまで運んでくるにあたり何とも見苦しい姿をさらしたばかりの君は、己のぶざまさを痛感し、自分には逆立ちしてもできっこないことに同じ人間がかくも見事に熟達しているのを見て畏怖の念を禁じえなかった。》pp160-1

 最初から頭にあったこと。書いているうちに思い出されたこと。思い出しているつもりで創作されたこと。創作するつもりで創作されたこと。どれもこれも、書かれてしまえば同じ文章なので読む側には区別がつかないが、それは文章表現の前提だから気にならない。繰り返すが、気になるのは、書く側にはどの程度区別がついているのか、そこを本人は意識できるのか、ということだ。
 なんとなれば、ある程度でも区別ができて意識もできるとしたら、その人はそのぶんだけ思い出をコントロールできることになるからで、思い出や記憶をコントロールできるなら、それはいまの自分をコントロールできることになるんじゃないかと思うからである。
 だが、そういうことについては『冬の日誌』には書かれていなかった。書かれていなかったが実践があった、とは言えるかもしれない。勝手すぎるかもしれない。

 最後にもうひとつ、この本をいちど読み終えてから発見があったので書いておく。
 たぶんオースターの愛読者なら「何をいまさら」なのだろうが、今回わたしが遅ればせながら気付き、気付けて本当によかったと思ったのは、“ポール・オースターが書いて柴田元幸が翻訳した文章は、朗読するととても気持がいい”ということである。
 もちろん、目で追っているだけでも文章がうまいのはわかる。能弁な回想を紡ぎ出す、観察の細やかさ。それを再現して伝える、作為は目立たないのに練りに練られた行文と、語彙の選択の確かさ。どれもしっかり、味わったつもりでいた。
 でも、『冬の日誌』のどこでもいい、ページを開いてひと掴みふた掴みのまとまりを声に出して読んでみると、次の言葉、次の行へとぐいぐい伸びていくピンと張った一本の筋が文章の内側からあらわれ、繊細な一文一文がたくましさをまとって自分の口から出てくる。ちょっと可笑しかったところを人に読んで聞かせようと軽いつもりで音読をはじめたのに、読み進めるうちに自分でびっくりした。
[…] そして、そう、君と君の恋人はその一年まさしくエストランジェだったのだが、パリの冷淡でピリピリした堅苦しさに較べればこの地方での暮らしは何と穏やかだったことか、南で暮らしたあいだみんな君たちにどれだけ温かく接してくれたことか、アシエ・ド・ポンピニョンなるありえない名前の堅苦しいブルジョワの夫婦ですら時おり隣り村のレギュスにある家に君たちを呼んでくれて一緒にテレビで映画を観たし、君たちの家から七キロ離れたオプスで知りあった人々もやはり友好的で、君たちはここへ週二度買い出しに行き、孤立した暮らしが何か月も続いてくるとこの人口三、四千の町がとてつもない大都会のように思えてきて、オプスには主だったカフェが二つしかなく一方は右翼カフェでもう一方は左翼カフェだったので君たちは左翼カフェに通い、社会主義者か共産主義者である常連の薄汚い農夫や機械工に歓迎され、この荒っぽくお喋りの地元民たちは若いアメリカ人エストランジェ二人をますます気に入ってくれて、君たちはそのカフェで彼らと一緒に一九七四年大統領選の結果もテレビで観て、ポンピドー死後のジスカール・デスタンとミッテランとの選挙戦に晩はいったん大いに盛り上がったものの最後は失望に終わり、誰もが酔っ払って喝采していたのが誰もが酔っ払って悪態をつき、加えてオプスには仲よくなった肉屋の息子がいて、君とほぼ同い歳で父親の店で働いていて行くゆくは家業を継ぐべく修行中だったが本人は写真にも熱心で腕もよく、その年はずっとダム建設で水中に埋もれる予定の小さな村の立ち退きと取り壊しを撮っていて、かくして悲痛な写真を撮る肉屋の息子と社会主義者/共産主義者カフェにたむろする酔っ払った男たちがいたわけだが、さらにはドラギニャンの歯科医もいて[…]pp74-5

[…] 数年前に、一家全員でオーロラを見に闇の中へわざわざ出ていったことがある。君がオーロラを見たのはあとにも先にもそのときだけで、それは忘れがたい、想像を絶する眺めだった。寒さの中に立ち、電気のような緑色の光を見上げる。夜の黒い壁を背に緑色にきらめく空の賑やかな眺めの壮大さには、それまでに見たどんな眺めも遠く及ばなかった。それにまた、雲のない澄んだ夜には、空一面に星がぎっしり、地平線から地平線まで並び、よそでは決して見られぬ無数の星がたがいに溶けあって濃密な水たまりを、頭上に浮かぶ白さの粥[ポリッジ]を形成する。そうした夜が明けると白い朝が、白い午後が続き、雪が降る――君の周りじゅうではてしなく雪が降り、君の膝まで達し、腰まで達し、小さかったころ君の母親の花壇にあって君の頭を越えたひまわりのようにますます高くなり、見たこともないほどたくさん雪が降って、突然君は九〇年代なかばのある瞬間を生き直している。君は妻と娘とともにクリスマス恒例のミネソタ巡礼に来ていて、吹雪の夜に車を運転中で、ミネアポリスにある妻の妹の家から、六十キロばかり離れたノースフィールドにある妻の両親の家へ向かっている。》pp186-7

 深く潜った記憶の中からこちらに向かって文章による回想をおこなう人たちが風景描写に秀でがちなのは、回想と風景に関係があるからなのか、あるとしたらどんな関係なのかについてはまたいつか考えたい。
 今度こそ本当に最後、もうひとつ書いておくと、時系列に従わない思い出の羅列のように見えるだけに、どうやって終わるのか予想がつかないこの『冬の日誌』は、これほどの言葉を操って文章を書ける人が、あるときある場所で――1978年12月の晩にマンハッタンの体育館で――およそまったく言葉が追いつかず、言葉で説明するのが不可能な出来事を目の当たりにし、しかしその言葉の無力を心底思い知らされたことによって書く人間として再生した体験を、かなり最後のほうに配置している。たいへん見事な構成だとおそれ入った。こう書いても何のことだかさっぱりだろうから、これは断じてネタバレではない。


*追記:
 上でも触れた、住居の変遷を順番に語ったあとで、移動についてもオースターは書いている。
《機内に乗り込むたびに君を包む、どこにもいないという不思議な感覚。時速八百キロで空間を運ばれていくことの非現実感。地面からあまりに離れているので、自分自身の現実性まで失われてくる気がする。あたかも自分が存在するという事実が、体から排出されていくように感じられるのだ。とはいえそれが家を離れる上で払う代価である。移動を続けるかぎり、家というここ[ヒア]とどこかよその場所というそこ[ゼア]のあいだに広がるどこでもないところ[ノーホエア]も、やはり君が住む場のひとつでありつづけるだろう。》pp104-5 *太字は引用者

 場所について、移動しているあいだの自分はここでもそこでもないどこでもないところにいる。これを場所ではなく、時間についても当てはめてみたらどうだろう。
 というのは、「思い出す」という行為の最中、記憶を呼び戻してしばらくその回想に浸っているあいだ、体はもちろんいまここにあっても、頭はここ(現在)でもなく、そこ(過去)でもない、やはりどこでもないところにいるかのように、頭の中がそういう場所になっているかのように、わたしは感じているからだ。
 自分が自由にあちこち歩き回れるような、現在でも過去でもない場所と時間をページの上に広げるために書かれた本として『冬の日誌』を読むことができると思う。

 さらにまた、話がずれるけど見つけたので書いておくと、ここそこをめぐる言葉は、『孤独の発明』の第一部でもオースターの父親について語られていた。
《自分がいまいる場所にいること、父にはそれがどうしてもできなかった。生涯にわたって、父はどこか別の場所にいた。ここそこのあいだのどこかに。ここにいることはけっしてなかった。そこにいることもけっしてなかった。》pp32-3

 ここそこ、およびどこでもないところに注目してオースターの小説作品を読んだらどんなことが言えたり言えなかったりするんだろうかと、読んでないくせに(読んでないからこそ)気になった。


孤独の発明 (新潮文庫)
ポール オースター
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2018/01/28

ポール・オースター『孤独の発明』(1982)

孤独の発明 (新潮文庫)
柴田元幸訳、新潮文庫(1996)


『孤独の発明』のことを忘れたことがない。正確には、この本に書かれていた内容を大部分忘れていたあいだも、自分がこの本を読んでいた状況は忘れたことがない。
 それは進学で上京した年の5月で、同じく東京に出てきた高校以来の友達とあの有名な“神田の古本屋街”へ行ってみようじゃないかと相談し、晴れた日曜の昼下がり、待ち合わせに向かう電車の座席はあらかた埋まっていたから、ドアのそばのポールに寄りかかってこの黒っぽい表紙をした新潮文庫のページをめくりはじめたのだった。
 ちなみにその日は、古本屋街をめざしていながら山手線の神田駅で降りてしまうという、おびただしい数の先人が繰り返してきたとあとで知ることになる間違いをやっぱりわたしたちも犯したために古本屋を回るどころではなくなって(そもそも日曜日を選んだのも間違いである)、うろうろ迷った末にそこがどこなのかもわからないままたどり着いた書泉グランデでわたしは創元SF文庫のヴァン・ヴォークト『イシャーの武器店』と『武器製造業者』を買った。本来の目的をそうそうにあきらめていた友達は、途中にあった服屋の前で不意に「そうだ」と入っていってベルトを買い、「そうか」とわたしは妙な納得をした。そしてひとりになった帰りの電車でまた『孤独の発明』を取り出して読んだ。部屋に帰っても読み続けた。小説ではなく、エッセイというにも収まりの悪い、変な本だという印象だけが残った。

 こういうふうに、およそどんな意味でもビッグイベントではない過去の一部分ばかりをピンポイントでおぼえている(時にキモいと評されるが決して少数ではないはずの)人間のひとりであるわたしは、物書きのなかにはただ過去のことを書くだけでなく、それを記憶すること・記憶しているということ、さらには思い出すということ、といった頭の働きそれじたいについて考えをめぐらせ、その過程から文章を書き起こしていく人たちがいると知るにつれ、どんな人がどんなものを書いているのか気になり、そういうものをできるだけ読んでみたいという関心をずるずる引きずってきた。

 あのあと小説を4、5冊読み、どうやらそんなに好みではないような……と遠ざかってしまったために、わたしにとってポール・オースターは「たぶん、ミルハウザーやエリクソンよりずっと広い層に読まれ、売れているっぽい」、あと「すごいハンサム」、何より「あのリディア・デイヴィスの元夫」という情報を持った名前だけの存在になってしまっていたが、今回『孤独の発明』を読み直して思い知ったのは、小説よりも前に書かれ、作家オースターの出発点とされるこの本こそが、まさにわたしの気にしていた個人的な過去や記憶、回想といったものごとを扱った本だということだった。なんだ、そうだったのか。ずいぶん回り道した気持だよ。
《自分がいまいる場所にいること、父にはそれがどうしてもできなかった。生涯にわたって、父はどこか別の場所にいた。ここそこのあいだのどこかに。ここにいることはけっしてなかった。そこにいることもけっしてなかった。》p33

 本書は二部からなる。第一部「見えない人間の肖像」、第二部「記憶の書」。
「見えない人間」とは、「私」を名乗る書き手の父だ。家族とのコミュニケーションにどうにも問題があり、「私」が高校を終えるころに離婚して以降15年のあいだ独りで暮らしていた父が急死する。
 その3週間後から断片のかたちで書き始められる第一部では、「私」つまりオースターが父のことを思い出し、折々のエピソードを重ねてその正体を探しつつ、そういった作業を行なう意味を自問し続ける。他人への共感というものを根本的に欠いていた父。買物で複数の選択肢があれば、迷いなくいちばん安価なものを選んでいた父。回想の試みであり、回想の生まれる過程を追った擬似的なドキュメンタリーのようでもある。そして回想は失敗し続ける。
《この仕事をはじめたときは、言葉の方から勝手に出てきてくれるものと私は思っていた。神がかりのごとく、言葉がとめどなくあふれ出てくるだろうと。書きたいという欲求はこの上なく強かったから、物語はひとりでに書けてしまうだろうと思ったのだ。だが実際にやってみると、言葉はなかなか出てきてくれない。調子のいい日でも、一ページ、二ページ書くのがやっとだ。何かが私を妨げているような、呪いをかけているような気がする。書こうという気持ちはあるのに、どうにも集中できない。自分の思考が眼前の問題から離れていってしまうのを、私は何度も、なすすべもなく眺めてきた。ある事柄を思いついたとたん、それが別の事柄を喚起し、さらにまた別の事柄につながってゆく。やがてはおそろしく濃密なディテールの蓄積ができ上がり、ほとんど息が詰まりそうになる。考えることと書くことのあいだの裂け目を、これほど痛感させられたのははじめてだ。実際、ここ数日、自分が語ろうとしている物語は、実は言語とは両立しえないのではないか、そんな気さえしてきている。おそらく、物語が言語に抗えば抗うほど、それは私が何か大切なことを言いうる地点に近づいた証しにほかならない。だが、まさに唯一真に大切なことを(かりにそんなものがあるとして)言うべき瞬間に達したとき、私はそれを言うことはできないだろう――そんな気がするのである。》pp56-7

 家庭の外、仕事をする父の姿。家族ではない他人の目に映っていたであろう父の姿。手紙。伝聞。多面的な肖像を何枚描いても、それを貼り合わせる芯がない。
 父はなぜあのような人間だったのか。その大きな要因として「私」は父の両親にさかのぼり、隠されていた事件のあらましを細かく記述するが、そうしながら、これも決定打にはなりえないとわかっている。どれだけ材料を集めても、父は「見えない」。
 そんな不器用な回想は、いわゆる追悼であるとか、書き続けることじたいが喪の作業になるというような収まりのいいコースからも外れているとわたしは思う。
「私」は父を探すためにこれらの文章を綴っている。その動機は疑いようがない。それなのに、読者の側からすれば、見つからないからこれらの文章はいまここにある、という事態の奇妙さをずっと感じ続けることになる。無茶な仮定だけど、書いていくうちに納得できる父の正体を発見できていたら、オースターはその文章を発表しなかったんじゃないか。
《数日間何も書かず……
 心のなかであれこれと口実を並べてみたところで、実状を隠せはしない。すなわち私は、自分が言えることの終わりに近づけば近づくほど、何を言うのも気が重くなってきているのだ。終わりの瞬間を私は引きのばしたがっている。そうすることによって、自分はまだはじめたばかりなんだ、物語の大半はまだ先に控えているのだ、そう思いたいのである。これらの言葉がどんなに無意味に思えようとも、それらはいままで、私と、私を怯えさせつづける沈黙とのあいだに立ってきてくれた。私はいずれその沈黙のなかに足を踏み入れるだろう。そのとき父は、永久に消えてしまうだろう。》p111

 結局この第一部は、自分のをめぐる言葉を連ねながら、自分の息子に触れ、父としての自分を確かめることでいったん小さく着地してから、第二部へ続く。

「私は」という一人称で書かれた第一部に対し、第二部「記憶の書」では、「Aは」「彼は」といった三人称が選ばれている。
「A」はオースター(Auster)だろうから「私」の場合と指すものは同じだけれども、この転換を経ることで、書かれること・書かれ方は変わっていく。
「私は」の第一部では話題は父のことに限られていたのが、「彼は」の第二部では材料がもっと増える、と説明したら単純にすぎる。でもじっさい、何が書かれていたか思い出そうとしても「これ」とひとつにまとめられないくらい、雑多な材料がこちらでは集められている。
 記憶についての考察だと言うことはできると思う。
 タイトルでもある「記憶の書」という文章を「彼」は書いている。それを書こうとしている自分、すなわち「彼」の姿は、狭くて粗末な部屋に閉じこもり、テーブルに向かってペンを握る男として描かれる。自画像だが、「彼」という自画像だ。
《この部屋に長時間とどまることによって、たいていの場合彼は室内を自分の思考で満たすことができる。そしてそれが荒涼さを霧散させてくれるように思える。少なくとも荒涼さを忘れさせてはくれる。出かけるたびに、彼は自分の思考を一緒に持っていく。彼の不在中、部屋は彼がそこに住もうとする努力を徐々に除去していく。帰ってきたときには、作業をまた一からやり直さねばならない。それは労力を要する仕事である。本物の、精神的な労力を要する仕事である。》p124

 記憶について、記憶のあり方について、「彼」は書く。何度も何度も角度を変え、スケッチを繰り返すように文章を重ねる。そのとき使われるのは、祖父を看病した話や最初の妻と息子にまつわる話といった、自分の過去の体験であったり、人から聞いた話であったり、ヨナ書やピノキオや『千夜一夜物語』などの深く読み込んできた本であったりする。
 一人称から三人称への転換は、おそらく、自分を客体化することで書く内容に普遍性を持たせるために必要だったのではない。
「彼は」で語ることにより、書き手はすべてが自分に結びつく「私」から離れる。すると、ひとつの物事がほかにつながる連想や、さらには飛躍のはたらきがより活発になる。ある材料が別の材料を呼び寄せて、つまりは、「彼」というひとりの中で行なわれる考察が、「彼」というひとりの外へと広がっていく。こういう進め方を可能にするために必要とされたのが、三人称だったのではないかと思う。
《アンネ・フランクの誕生日が自分の息子と同じであることに気がついて、彼はひどく心を惹かれる。六月十二日。双子座生まれ。双子のイメージ。すべてが二重である世界、同じことがつねに二度起こる世界。
 記憶――物事が二度目に起きる空間。p134 *太字は引用者、以下同じ

 唐突だ。そしてスリリングでもある。書かれている内容だけでなく、書かれ方が面白い。これだけだとアフォリズムのようだが、ぜんぶがこうではない。たとえば次の引用だと、じっくり幅をとった考えの歩を進めるうちに、「彼」は部屋にいながら旅に出てしまう。
[…] 最初の一歩が不可避的に次の一歩につながっていくように、ひとつの思考もまた不可避的にその前の思考からつながっている。ひとつの思考が複数の思考を生み出す場合には(たとえば二つか三つの、関連性においてもたがいに同等の思考)、生み出された第一の思考を終わりまでたどるだけでは不十分である。第二の思考をたどるためには、それを生んだ最初の思考の地点まで立ちかえる必要がある。そして第三の思考をたどるためには、もう一度最初の……。といった具合に、我々の心のなかの過程をイメージ化するなら、経路のネットワークのようなものが立ちあらわれてくる。それは人体の血液経路のようでもあり(心臓、動脈、静脈、毛細血管)、地図のようでもある(都市の街路、なるべくなら大都市の街路図、あるいは道路地図でもいい、ガソリンスタンドで売っているような大陸全体に広がり交差し折れ曲がる幹線道路の地図)。したがって、都市を歩くとき我々が行なっているのは、実は思考すること、それもさまざまな思考がひとつの旅を形成するようなやり方で思考することではないだろうか。そしてこの旅こそが我々が歩む歩みにほかならないのであり、したがってつきつめて考えるなら、我々は旅をしてきたのだ、と言ってよいのである。たとえ部屋を出なくとも、それは旅だったのだ。我々はどこかへ行ってきたのだ、と言ってよいのである。たとえそれがどこなのかはわからなくても。》p200

 いまこうやって書き写した部分を眺めてみると「なぜそうなる?」という気持もなくはないが、書き写しているあいだは、そして本の中で読んでいるあいだは、この不思議なつながりをたしかにつながりとして追うことができてしまう。
 書く人間がひとりで考えていることを、読んでいる人間が追体験できるなら、それはもうひとりではないのじゃないか――というようなことも、たしかこの第二部の中に書いてあったと思う。書いてなかったかもしれない。でも、読んでそう思ったんならそう書いてあったのと同じだと言ってしまえる、この本はそんな本である。
 フランシス・ポンジュという詩人の挿話。この人と「彼」は、あるときある部屋で、ごく短時間だけ同席した。3年後に再会して話をすると、詩人はそのときの室内の様子を細部まで記憶していた。たいへんなことである。
《たった一度見ただけの、自分の人生とつかのまの以上のつながりがあったはずもない事物を、これほど精緻に覚えているなんて、ほとんど超能力のようではないか。彼は理解した。ポンジュにとっては、書く行為と見る行為のあいだに何の隔たりもないのだ。いかなる言葉もまず見られることなしには書かれえない。ページにたどり着く前に、それはまず身体の一部になっていなければならない。心臓や胃や脳を抱えて生きてきたのと同じように、まずはそれを物理的存在として抱えて生きなくてはならないのだ。だとすれば記憶というものも、我々のなかに包含された過去というより、むしろ現在における我々の生の証しになってくる。人間がおのれの環境のなかに真に現前しようと思うなら、自分のことではなく、自分が見ているもののことを考えねばならない。そこに存在するためには、自分を忘れなくてはならないのだ。そしてまさにその忘却から、記憶の力が湧き上がる。それは何ひとつ失われぬよう自分の生を生きる道なのだ。》pp227-8

 次の引用はさらにもっと長いが、長いといっても文庫本のせいぜい1ページ半で、ひとりの記憶が多数の記憶につながり、さらに、それを書く話にスライドしていくという、自在な流れ方をする。
《書いているあいだ、彼は自分が内側に(自分自身のなかへ)動いているのを感じ、と同時に外側に(世界に向かって)動いているのを感じる。一九七九年のクリスマスイブにヴァリック・ストリートの部屋に一人でいた、あの瞬間に彼が経験したのは、おそらく、たとえ一人でこの部屋の底知れない孤独のなかにいても、自分は一人ではないのだという突然の認識だったのだ。もっと正確にいうなら、その孤独について語りはじめようとしたその瞬間、彼は単に彼自身である以上の何ものかになったのだ。だとすれば記憶というものも、ただ単におのれの個人的過去を甦らせる行為というだけではなく、他者たちの過去のなか、すなわち歴史のなかにみずからを没入させる行為にもなってくる。自分がその参加者であると同時にその傍観者であるところの歴史、自分がその一部であると同時にそこから隔たっている歴史、そのなかにみずからを没入させること。したがってあらゆるものが彼の心のなかに同時に存在している。あたかもそれぞれの要素が他のあらゆる要素の光を反射し、と同時にそれ独自の、けっして消えることのない輝きを発しているかのように。もし彼がいまこの部屋にいるべき理由が何かあるとすれば、それは彼のなかの何かが、それらすべてを見たいと欲しているからだ。それらすべてが生み出す混沌を、生[き]のままの、張りつめた同時性において味わいたいと望んでいるからだ。けれども、それを語る行為は、必然的に緩慢たらざるをえない。それは、すでに思い出されたものをもう一度思い出そうとする微妙な作業である。記憶の空間において発見されたあらゆる言葉を書きとめるには、ペンの動くスピードは絶対に不十分である。あるものは永久に失われてしまっている。またあるものはいずれふたたび思い出されるだろう。そしてまた別のあるものは、失われ、見出され、ふたたび失われてしまっている。――こうしたことについて確信を得る手立ては何もない。》pp228-9

 こんな書き方を手に入れるために「彼」が必要だったとすれば、第一部で父は見つからなかったが、オースターは「彼」を見つけたことになるのかもしれない。孤独の発明とは、そのことだったのかもしれない。



*ついでに:
■ 第一部で、父の過去への入口として写真が1枚紹介される。破けたのをもういちど貼り直した家族写真で、この文庫版では言葉で説明されるだけだが、原書のKindle版だと、その実物も印刷されているのが「なか見!検索」から見ることができる。読んでから見ると、これは怖い。収録しなかった訳書を責める気にはちょっとなれない。

■ 第一部を書きあぐねる「私」の苦心を上で引用した。もういちど貼る。
《この仕事をはじめたときは、言葉の方から勝手に出てきてくれるものと私は思っていた。神がかりのごとく、言葉がとめどなくあふれ出てくるだろうと。書きたいという欲求はこの上なく強かったから、物語はひとりでに書けてしまうだろうと思ったのだ。だが実際にやってみると、言葉はなかなか出てきてくれない。調子のいい日でも、一ページ、二ページ書くのがやっとだ。何かが私を妨げているような、呪いをかけているような気がする。書こうという気持ちはあるのに、どうにも集中できない。自分の思考が眼前の問題から離れていってしまうのを、私は何度も、なすすべもなく眺めてきた。ある事柄を思いついたとたん、それが別の事柄を喚起し、さらにまた別の事柄につながってゆく。やがてはおそろしく濃密なディテールの蓄積ができ上がり、ほとんど息が詰まりそうになる。考えることと書くことのあいだの裂け目を、これほど痛感させられたのははじめてだ。実際、ここ数日、自分が語ろうとしている物語は、実は言語とは両立しえないのではないか、そんな気さえしてきている。おそらく、物語が言語に抗えば抗うほど、それは私が何か大切なことを言いうる地点に近づいた証しにほかならない。だが、まさに唯一真に大切なことを(かりにそんなものがあるとして)言うべき瞬間に達したとき、私はそれを言うことはできないだろう――そんな気がするのである。》pp56-7

 わたしは、ポール・オースターとリディア・デイヴィスが若いころの一時期、結婚していたのを知っている。知っているのを知らなかったことにはできないという、理由の大半はそんなところだろうが、上の引用なんかを読んでいると、わたしはリディア・デイヴィスの『話の終わり』(1995)を思い出す。書き手が、過去の恋愛の顛末を文章化しようと静かに七転八倒する長篇小説だ。
《何度書くのを中断しても結局また戻ってきたのは、自分はすでにこれがどんな話か知っているのだから何も考えなくても書けるはず、という気持ちがあったからだ。だがかける時間が長びけば長びくほど、どうやればいいのかわからなくなった。どの部分が重要なのかが自分では判断できなかった。どこを自分が面白いと思っているのかはわかったが、面白くない部分も含めて何もかも書かなければならないと思っていた。だから面白くない部分も何とか苦労して書き進め、面白い部分になったら思い切り楽しんで書こうと決めた。ところが実際には、面白い部分になってもいつもそうと気がつかずに通りすぎてしまい、ということは自分が面白いと思っていたほどには面白くなかったのかもしれず、そう思うと意欲がそがれた。》p57

《きのうは一時間ほど、どうすればいいのかわかったような気になっていた。こう思ったのだ――気に入らない部分は取ってしまえばいいんだ。そうすれば残ったものはすべていいものになるはずだ。ところがまた別の声がした。この声はしょっちゅう横から出てきては私を混乱させる。そんなに性急に書いたものを削るべきでない、とその声は言った。もしかしたら書き直せばすむだけなのかもしれないじゃないか。それとも別の場所に移動させるか。一つの文章を別の場所に移すだけですべてが変わることだってある。まずい文章の単語を一つ変えるだけで良くなることだってある。句読点一つで変わることだってあり得る。でもそうすると、と私は考えた。すべてのものを何度も移動させたり書き直したりしたあげく、これはこの小説には必要ないとはっきりするまで、何一つ捨てることができないということになりはしないか。
 だが、もしかしたらこの小説は解くのが難しいパズルのようなもので、必要でない要素など一つもないのかもしれない。私がもっと賢く忍耐力があれば、解くことができるものなのかもしれない。私は難しいクロスワードをやっても完成できたためしがなく、かといって、あとで答えが載ったときまで覚えていてそれを見るということもしない。このパズルはもうずいぶん長いことやっているので、最近ではふとこう思うことがある――もうそろそろ答えを見てしまおうか。まるで新聞のページをめくればそこに答えが書いてあるとでもいうように。翻訳で行き詰まっているときも、ときどき似たような苛立ちにとらわれ、こう思う――で、けっきょく答えは何なわけ? だが答えなどどこにもありはしない。あるにしても、たぶん後になって振り返ったときにふっと浮かんでくる類のものなのだろう。》pp99-100
岸本佐知子訳

 面白すぎて止められなくなった。ともあれ、『話の終わり』の書き手が書きあぐねている、むかしの恋愛の相手がオースターとは別の男なのははっきりしている。
 ポール・オースターはリディア・デイヴィスではないし、『話の終わり』は『孤独の発明』ではない。
 それはわかっているつもりでも、オースターが自分の過去をふり返れば不可避的に「元妻」が出てくるので――『孤独の発明』では「リディア・デイヴィス」という名前は一回も書かれないが――詩を志し、フランス語の翻訳者として生計を立て、自分の過去を材料にものを書こうとして、書きあぐねることじたいも作品に書き込んでいくスタイルを選んだというところまで共通点を持つこの2人の生活がどんなものだったのか、気になってしまうのはもう仕方のないことじゃないかと思う。何ものかに対する言い訳のようにそう思う。
2017/12/04

尾辻克彦『吾輩は猫の友だちである』(1983)

吾輩は猫の友だちである (中公文庫)
中公文庫(1993)

 10年くらい前に古本屋で見つけたときの、「人生の猫経験値がゼロだけど、まあ尾辻克彦だし赤瀬川原平だし、いちおう買っておこう」という気持をありありとおぼえているが、あれから時は流れ、いまやわたしも毎朝毎晩、にカリカリを出しトイレを片付けるのが日常である。ずっと住み続けたいと思っていた、あの古本屋のある街は530キロくらい彼方になった。本当に不思議。この本だってそろそろ読んでみてもいいのでは? と本棚から出してきた。こんなふうに始まる。
《うちにはチチヤスというアダ名の小学三年生の娘がいる。夕食で乾杯するとき大人はビールなのだけれど、娘はいつもチチヤスなのだ。チチヤスというのはヤクルトみたいな小さな容れ物にはいっている赤い飲物で、リンゴの味がする。娘は何だかこれが好きなのである。スーパーにいっしょに買物に行くと、いつもこれを籠に入れる。だから私は娘のことをチチヤスというアダ名で呼んでいる。》p7

 エッセイのような私小説のようなヒョウヒョウとした文章で、「私」と、娘の「チチヤス」と、私が再婚した妻の「桃子」と、私の母親「トヨ子」、この4人からなる生活が綴られていく。きっかけは友人から黒猫を1匹もらったことだったが、タイトルから想像されるような、猫どっぷりの猫猫した猫エッセイ、もしくは猫私小説、ではなかった。
「猫の様子を描いた文章」はたしかにあって、ペリーと名付けた小さく黒い生き物の様子やちょこまかした動きが的確に描かれるけれども(近所の猫たちもたびたび登場する)、それ以上に「猫と暮らすチチヤス、猫と暮らす妻」が書かれ、それは「チチヤスと私の関係、私と妻の関係、妻とチチヤスの関係、妻とチチヤスとトヨ子の関係」が書かれるということだから、つまり、わたしが読むのは「猫といっしょに暮らすことになった、この家庭」だった。

 人間の心の動き、関係の変化、といった微妙なものの、動いて変わっていく過程を、この人は文章で巧みにスケッチする。嫁姑問題からくる夫婦の不和、という湿って重そうな事態も、それがじめじめして息苦しいことを細かく丁寧に書く文章じたいはさらりと乾いており、たとえば、去勢手術の前後での猫の変化を書いていくのと構えは同じなのである。
 だから、エッセイのような私小説のような、と最初に書いたが、そのどちらとも言えそうなこの本は、猫を含んだ家族を見つめる観察記録だというのがいちばん近い。本来別々の存在である4人と1匹(1人と1人と1人と1人と1匹)が同居するというのはどういうことなのか、と。

 記録はふつう、正確さをめざす。この本もそうだ。ほとんど呆れるくらい感心したのは、巻末の解説(村松友視による)でも注目されている、この部分。
[…] うちには桃子というアダ名の妻がいる。桃子というとちゃんとした名前みたいだけど、これがアダ名なのだ。何故かというと、桃子は人間ではなく桃から生れた。桃太郎みたいに。いやホント。これは本当なのだ。前に小説に書いたこともある。いや小説に書いたからって、そうか、これは本当の証明にはならないかもしれないけれど、困ったなあ。だけど桃子はチチヤスと私が見ている前で、本当に桃の中から生れたのだ。ポンと。それがオギャアという赤ン坊かと思ったら、見るともうちゃんとした大人の体の女の人。驚いたね、二人とも。で、チチヤスは思わず、
「お母さん……」
 と呼んでしまった。》pp13-4

 ずっとうしろのほうでは、自分の母(チチヤスの祖母)についてもこんなことを書く。
《この話、おばあちゃんのクニヨシにも心当りがあるようである。(注――申し遅れたが、このところあまり話に出てこなかったおばあちゃんのトヨ子、久し振りに字に書いてみたらトヨ子ではどうも気分が出ないのでクニヨシに変えた)
 クニヨシは眼鏡のへりから目を出して上目づかいにこちらを見ながら、[…]pp235-6

 対象と自分との関係を正確に表現するために、それ以外の要素はなんでも自在に動かしてしまう、こんなアプローチでもってめざされる正確さというものがある、ということをメモしておきたい。
 そしてそういうものと並んで、もっと素直に猫を写し取った部分もあちこちに入っている、その同居ぐあいがこの本の読みどころだった。
《(だけど、ペリーはこれからどうするつもり?)
 という顔付きをしてみても、ペリーはまたゆっくりと目を閉じるだけで、
(……ボクは別に、ボクはちゃんと、息ぐらいはしてますよ……)
 というような、そんな目付きでこちらを見ている。どうもこの猫の視線というのは妙なもので、人間の視線と似ているようで、ちょっと違う。じっと床に丸まっているペリーの顔に視線を向けると、まるでその視線をまぶたで受けとめるように、ゆっくりといったん目を閉じて、それからまたそうっと開ける。それでもまだこちらが見つめていると、
(……んーもう。まだ見てる……)
 というような顔付きをして、また目を閉じて、それからまたそうっと開ける。それでもまだじーっと見つめていると、もうこらえきれずに口を開けて、
「にゃァオ……」
 と小さく声を出す。
(……いいじゃないかもう、そんなに見ていなくても。こっちはもう二回も目を閉じたんだから……)
 とでも言ってるようだ。》pp117-8

 ところで、娘のアダ名のもとになったチチヤス、《ヤクルトみたいな小さな容れ物にはいっている赤い飲物で、リンゴの味がする》のを、わたしもたしかに好んで飲んでいたおぼえがあるのだが、いまサイトで探してみても、それそのものはもう作っていないみたいである。
 チチヤスがなくても、尾辻克彦/赤瀬川原平の本はみんな新刊本屋で手に取れるようになってほしい。
2017/10/26

パトリシア・ハイスミス『見知らぬ乗客』(1950)

見知らぬ乗客 (河出文庫)
白石朗訳、河出文庫(2017)

《本人を見る前から、ミリアムがきらいだった。》p113

 先月、ヒッチコックの「見知らぬ乗客」(1951)をはじめて観たらたいへん面白く(当分忘れないだろう場面が少なくとも4つある)、たまたま今月になってその原作である長篇が新訳で出ると知り、こういうめぐり合わせは尊重しなくてはと買って読んだ。表紙もすごくいい。

 新進気鋭の建築家ガイ・ヘインズには悩みがあった。別居状態の妻ミリアムが金の無心を続けるばかりかほかの男の子供を宿し、そのくせ離婚には同意しないのだ。大きな仕事も受注できそうだし、すばらしく性格の良い恋人もできたのに、ただミリアムのせいですべてがおじゃんになりそうだ。ミリアムさえいなければ。ミリアムさえいなければ……
 そんなガイが、たまたま列車で乗り合わせた相手がアンソニー・ブルーノ。物腰は丁寧ながら妙に馴れ馴れしく、親の金で遊び暮らしているらしいこの男に、ガイはつい聞かれるままミリアムのことを話してしまう。
 ブルーノはブルーノで、自分を溺愛してくれる母親が大好きな反面、父親のことは心の底から憎んでいた。それでブルーノは持ちかける。ぼくはあなたのことがとても好きなんです。あなたがぼくの父親を殺してくれるなら、ぼくがミリアムを殺してあげましょう。殺す相手を交換してしまえば動機は見えなくなるから、これは完全犯罪になるはずです。
 ガイはもちろんこの誘いを一蹴し、偶然生まれた2人の関係は列車を降りた時点で終わったつもりでいた。しかしブルーノにはこれが始まりだった。彼は本気でミリアムの住所を調べ――

 これは怖い。やばい人につきまとわれる恐怖。しかもそのやばいブルーノは、自分の証言次第でガイの関与は明らかにできるとほのめかしつつ、約束を果たせと迫る。迫れば迫るほど、つまり2人の関係ができてしまえばしまうほど完全犯罪から遠くなるだろうに、ブルーノは最初は手紙で、やがて電話を使い、ついにはみずからやって来る。恋人はますます思いやりに溢れ、仕事の評判も高まっていくが、ガイの日常は急速にブルーノに取り憑かれて、だけど小説はまだ半分も進んでいない。

 100分くらいで終わる映画版は、ほとんどガイの側に立って異常者ブルーノにつきまとわれる不条理を描いていたけれども、ほぼ500ページあるこの原作では、ブルーノの側の書き込みも相当ある。
 それによって、正体不明の異常さは薄れるといえば薄れる。
 母親が好きで父親を殺したくなるんだから、いかにもなんとか・コンプレックスで説明されそうだし、母親に“自分を溺愛してくれる母親”のままでいてほしいあまり、よその男たちとあちこち遊び回る現実の彼女に対して生まれているはずの怒りを直接本人には向けられず、その鬱屈がたまたま示された噴出口を見つける経路なんかも、(登場人物じしんの言葉はともかく)読んでいるこちらにはかなりわかりやすく書いてある。しかしもっと怖いのは、ブルーノの行動がガイへの好意に基づいていることと、ガイがきっぱりブルーノを拒絶できない煮えきらなさだった。

 立派な仕事をこなすまっとうな善人。ブルーノからすると、ガイは自分からかけ離れた人物だ。自分にはぜったいなれない存在だからこそ、自分の裏面として、自分に取り込みたくなってしまう。この気持、わからなくはない。
 ガイからするとブルーノは、自分の中にあったことは否定できない願望を実行してしまった他人だが、そんな存在をすっぱり断ち切れないとなれば、そこにあるのはただの自己保身(警察に疑われたくない)を越えて、自分の願望を共有した人間はもう他人ではないという歪んだ自己愛のようなものになる。そしてこの気持だってわからなくはないという、そこがいちばんおそろしかった。
「実行しない/した」は、「自分/他人」と同じくらい確固とした区切りのはずなのに、どちらの境界もずるずる崩れていく。だけどあくまでガイはガイであり、ブルーノはブルーノという別々の体を持った2人である。このやりきれなさ(そう、こんな当たり前のことが次第にやりきれなくなるのである!)をぐりぐりえぐり出すように小説は進んでいき、最後まで飽きさせない。

 映画版とはガイの職業など設定がいろいろちがうし、あちらには出てこない登場人物が徐々に活躍を始める展開はまったく別物である。わたしみたいに映画を先に見ていても「こうなっていたのか、全然ちがう!」と面白かったし、この原作を先に読んでから映画を見てもやっぱり「こうなるのか、全然ちがう!」と楽しめると思う。2人を扱った2つの作品の両方をおすすめ。



 ところで、小説も後半の399ページで7行目にある「ガイ」は、前後から見て「ブルーノ」でないとおかしいと思うのだが、これは単純な誤記だろうか。じつはハイスミスが――というか小説が2人を混同したのならいっそう面白い、などと想像が膨らみました。
2017/08/01

大岡昇平『俘虜記』(1952)

俘虜記 (新潮文庫)
新潮文庫(2010)

[…] 日本の俘虜が米軍の温情を感傷的に理解するのは別に困難でなかったはずである。彼等を当惑さしたのはいわば米軍の過度の温情である。彼等は自分を不名誉な俘虜だと思っていたのに、米軍は彼等を人間として扱った。これが彼等を当惑さしたのである。》p102

『野火』は前に読んだけど、こちらは未読だったので読んでみた。上に貼ったamazonの書影だとちょっと手を伸ばしにくいが(個人の感想)、これは古い表紙で、いま売られているのだとこういうふうに変わっています。

 1945年1月、フィリピンのミンドロ島に送られていた35歳の大岡一等兵は米軍に捉えられ、以後11月までの10ヶ月近くを俘虜の一人として収容所で過ごす。
 マラリアにかかったために、移動する自分の部隊から置いていかれてしまい、熱にうかされながら山中をさまよっている最中、こちらに気付かないまま近くを通った米兵を自分が射たなかったのはなぜなのか――と考え続ける中篇「捉まるまで」に始まり、12の章にわたって捕虜生活のさまざまな面を書き継いでいった体験記のようなこの作品の全体に付いたタイトルが『俘虜記』だった(最後に附録として部隊の行動記録がついている)。
 そうすると、“捉まってから”が俘虜のはずなので、「捉まるまで」だけ浮いてるんじゃないかという屁理屈もありえて、いろんな方面から怒られそうな気もするが、いちばん緊張に満ち、主人公の極限体験が文章の力でギリギリと観念的に突き詰められていく、プレ『野火』としての「捉まるまで」は、この『俘虜記』をいちばん代表していない。
 じゃあこれはどんな本なのか。
 俘虜病院で恢復を待ち、収容所へ移されて、たくさんの同じ俘虜たちといっしょになり、そこでの生活が続くにつれて、大岡を含め日本兵たちはおどろきの変化を遂げていた。

 みんな退屈し、のんきになり、(作中の言葉でいえば)堕落していったのだという。

 まじか、と思うが、うんそうか、そうなるか…という納得が遅れてやってくる。
《米軍は俘虜に自国の兵士と同じ給与を与えたのを誇っている。即ち二千七百カロリーであるが、これは体軀の小なる我々日本人には稍々[やや]過多であり、もし役員や炊事員の横領がなかったら、残飯を出したであろう。》p286

 俘虜の扱いについての決まりをきちんと守る米軍の収容所にあっては、俘虜だからこそ身の危険はぜったいになく、食べるものにも不自由せず(彼らは太る)、求められるのはかたちだけの軽作業しかない(しかも、英語が話せた大岡は米兵との通訳のような役についたから特別扱いしてもらえた)。
 ドストエフスキー『死の家の記録』の囚人たちが聞いたらうらやましさで蜂起しそうなくらいにゆるい収容所の生活は、熱帯の気温と湿度のもとで、だらだらと続く。大岡は自分も一員であるそんな俘虜たちを眺めながらアメリカの本・雑誌をもらって読みあさり、シナリオを書き飛ばしては回し読みに供したりして、やっぱり弛緩していく。
 そうやって何をしていたのかというと、観察していた。観察して、分析していた。ただし、その観察にはちょっとクセがある。観察を組み合わせて何らかの主張をまとめると、いびつなものができてしまうようなクセが。

 集団生活である以上、役割や上下関係が作られる。すると見えるところでも隠れたところでも衝突が起こる。俘虜と俘虜のあいだだけでなく、俘虜と米兵のあいだにも、米兵と米兵のあいだにも、そんな摩擦や、媚びへつらいはうかがえる。ここまでは観察の範囲だ。
 それらを読んでいくうちに、観察から一歩進んで、さまざまな個性がさまざまな力関係に従ってうごめく収容所の生活が、まるでふつうの社会と同じものに見えてくる――みたいなことを言いたい気持がムズムズわいてくるのだけれども、これについては「あとがき」で、大岡昇平じしんが《俘虜収容所の事実を藉[か]りて、占領下の社会を風刺するのが、意図であった。》と書いており(p560)、すると「そんなふうに見えるのは、そんなふうに見えるように書いたからだ」という面も確実にあるようなので、このことをあまり発見のように言うのはなんだかはばかられてしまう。

 それに意図と言えばもうひとつ、これを書く大岡がみずからきびしく戒めていたのが“いわゆる小説っぽくしない”ということで、このことは『俘虜記』本篇の中で何度も、逡巡しながら(でもはっきりと)繰り返し述べられる。
《収容所においての私の倦怠の飾りであったこれらの人々を、私はいつも懐しく思っている。彼等が私の精神と感情の外辺に触れたままの姿で、残らず私の記録に載せたいのであるが、結局列挙によって、読者と私自身を退屈させてはつまらないという考慮から、私の筆はにぶる。
「典型を書けばいい」と批評家はいうかも知れない。しかし俘虜に典型などというものがあるだろうか。囚人には人間を型に刻む、あの行為というものがない。
 もし私が小説家であれば、種々の事件を設けることによって、人物を躍動せしめることが出来るであろう。しかし俘虜の間には行為がないに従って、本質的な意味での「事件」というものもない。俘虜の小説の事件は尽く[ことごとく]作りものか誇張である。
 あの鉄柵中の単調な日々を帰還まで、芸もなく時の順序に従って語り続ける私の記録に、彼等が全部現れる機会があれば倖せ[しあわせ]である。》pp331-2

 先に書いた理由から、収容所の中にあんまり社会を見つけるのは控えたいし、いま引用した姿勢から、小説的な展開はもともと無いようになっている。
 それではこの本には何があってどんなふうに読めるのかというと、わたしの場合はただ、個々の観察を読んでいた。
 暇にあかせて大岡はいろんな俘虜と語らい、米兵とも雑談にふけり、親しくなったり反目したり、ときには議論をふっかけられてはぐらかしたりしながら、周囲の人間の立ち居ふるまいをじっと観察する。
《収容所で一体農民出の俘虜はテントを異にする昔の僚友よりは、近所のベッドの新しい隣人と仲好くしていた。必要と便宜に敏感だからである。遠いテントから遥々[はるばる]昔馴染を訪ね合うのは俸給生活者上りの補充兵の習慣である》p158

 こういうことを見て取り、さらりと書いてしまう、この眼を通して観察された出来事がひとつひとつ集まって、結果的に500ページを軽く越える厚さの本になっている。
 収容所の施設の配置や、中隊・小隊ごとの組織図を説明するのと変わりない分析的な文章でもって、具体的な行動と発言から、人間が語られる。終戦時で二千人になる俘虜に対しても、同じように退屈している米兵に対しても、何より自分に対しても、こういう眼による観察と分析がひたすら続く。《鉄柵中の単調な日々を帰還まで、芸もなく時の順序に従っ》た、これはなんて面白い読みものだろうと思いながらページをめくった。

 例をあげていくときりがない。あと一人ぶんだけ引用する。
 秋山という若者が後半にちょっとだけ出てきた。京大の哲学科の学生で、学徒出陣した末に、いまは隣の俘虜中隊で書記をしている。
《彼はレイテ戦の末期、西海岸に上陸した増援部隊の兵士で、後山中で危く僚友に食われかかったそうであるが、その経験から別にさしたる結論も引き出してはいないらしい。》p358

 その秋山と大岡の会話。
《私は早くから哲学する習慣を捨てていたので、とても彼の話相手になることは出来なかったが、高等学校の時「直接経験」に関して抱いた疑問を御愛敬までに提出してみることにした。
「ここに煙草がある」といって私は机の上にPXのラッキー・ストライクをおいた。「我々は二人共これを見ている。我々の直接経験はそれぞれ異るが、どうやらこれは確かにラッキー・ストライクらしい。ところで認識の不思議は、我々の直接経験がめいめい勝手な発展をとげることではなく、一つの物に関する二つの直接経験がたしかにその一つの物に帰着することにあるんじゃないかね。ここにあるのは一体何だろう」
無です」と彼は静かに答えた。
 私は笑うのを忘れ、呆然と彼の顔を見続けた。彼の瞼[まぶた]は例の瞑想的な調子でのろのろと眼球を蔽おうとしているところであった。私の質問はいかにもふざけたものであったが、彼が現に眼の前にある綺麗なラッキー・ストライクを、「無」といいきったところには、一種の不幸が感じられた。要するに彼には喫煙の習慣がないということではないのか。》pp359-60、太字と下線は引用者

 これにはしばらく笑った。なんだろう、この筆致。
 観察、観察、と何回も書いてきた。観察というのは距離を保つことなので、記述は乾いたものになり、そこにはユーモアさえ生まれる。『野火』を書く人がその前にこういうものも書いていた、というよりも、こういうものを書く人だから『野火』が書けたということが、今さらながら少しわかった気がする。



*追記:
 この『俘虜記』ではなく、新潮文庫『野火』の巻末「解説」は吉田健一が書いており、そちらにも『俘虜記』について触れている部分があった。読み返してみると、ラディカルすぎて「解説」の床をあっさり踏み破っていると思う。謹んでメモ。
[…] 「俘虜記」は私小説でも、何小説でもない小説であり、この作品で既に大岡氏が他の作家達、殊にそれまでの作家というものとは違っていることがはっきり感じられる。私小説に馴れた読者でも、「俘虜記」が一人称で書いてあるということで、これを大岡氏の戦争中の体験記として受け取ることは出来ない筈[はず]なのである。》

《大岡氏は「俘虜記」で、フィリッピンの自然に対するのと同じ眼で主人公を見ている。これはフィリッピンの自然に対して大岡氏が抒情的になることを妨げないし、又、主人公を見ている大岡氏の眼が残酷だとか、客観的だとかということでもない。ただ大岡氏は、言葉で書かれたものは言葉が伝えることをしか伝えないことを知っている。ここにあるものはフィリッピンの自然でもないし、一人の、或は何人かの日本軍の敗残兵でもないので、あるのはただ大岡氏が書いた言葉と、それが描いている一つの世界だけなのである。
 それを実際にどこかにあった世界、或は少くも、我々が氏の作品を読んでいる間、我々の眼前にある世界と我々が感じる所にこの作品が成立している。我々が直接に受ける印象の問題なのであるから、そこには嘘や、作者の人気によるごまかしが入って来る余地はない。嘘と言えば、初めから一切が嘘なのであり、その嘘を支えているものは言葉の他に何もないのである。
 これがフィクションであり、小説というものの定義であって、小説にフィクションが必要であるかどうかなどという論議は正気の沙汰ではない。大岡氏は曾て[かつて]、それも今から十何年も前のことであるが、人生に起る出来事は偶然の寄せ集めであって、或る事件が次にどんな事件を生じるか知れたものではないが、文学では或る作品で一度何か起れば、もうその作品はそれが起ったことの結果から逃れることが出来ないと書いたことがある。
 一つの事件が次の事件を呼んで、それを免れ[まぬかれ]ないものと感じることが読者に書いてあることの真実に就て[ついて]納得させるというのが、小説というものの本道なのであって、大岡氏はそれを、「俘虜記」で試みて成功し、次に「武蔵野夫人」でそれが戦場という異常な環境を離れて我々の日常生活に応用されても、我々に同じ一つの充実した小説の世界を与えるに足るものであることを示した。「野火」は大岡氏がその次に作家として試みた冒険である。
「野火」の舞台が再びフィリッピンの戦場に戻っているのは、そうして得られるどぎつい材料で我々の好奇心を惹く為ではない。屍体や戦場というものが我々の日常の感受性にとっては異常であっても、それが現実となった時は、と言うのは、何よりもそれが小説の現実を作り出す作家の材料になった時は、最も平凡な事実の親しさを帯びることは、大岡氏が既に「俘虜記」で我々に明かにしてくれた所である。どんなに奇異な事実だろうと、我々が小説の世界を信じるという異常には及ばないのである。[…]『野火』「解説」pp178-80