2019/06/18

内田百閒『阿房列車』(1952)

旺文社文庫(1979)


 完璧な絶望が存在するのかどうかは知らないが、完璧な文章、とりわけ完璧な書き出しはたしかに存在し、そのようなものを前にしてはそれが小説なのか小説でないのかはどうでもよくなって、繰り返し何度も読み直すだけである。あと、ぼそぼそ音読して口と耳にも体験させるだけである。それから、手を動かして書き写すだけである。けっこうやることはある。
《阿房[あはう]と云ふのは、人の思はくに調子を合はせてさう云ふだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考へてはゐない。用事がなければどこへも行つてはいけないと云ふわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つて来ようと思ふ。
 用事がないのに出かけるのだから、三等や二等には乗りたくない。汽車の中では一等が一番いい。私は五十になつた時分から、これからは一等でなければ乗らないときめた。さうきめても、お金がなくて用事が出来れば止むを得ないから、三等に乗るかも知れない。しかしどつちつかずの曖昧な二等には乗りたくない。二等に乗つてゐる人の顔附きは嫌ひである。》p7「特別阿房列車」

 鉄道に乗るためだけに鉄道に乗るこの旅が始まったのは昭和25年というから1950年の10月22日(日)らしいが、そのような数字は本文には顔を出さない。これはそういう記録ではない。
《しかし用事がないと云ふ、そのいい境涯は片道しか味はへない。なぜと云ふに、行く時は用事はないけれど、向うへ著いたら、著きつ放しと云ふわけには行かないので、必ず帰つて来なければならないから、帰りの片道は冗談の旅行ではない。さう云ふ用事のある旅行なら、一等になんか乗らなくてもいいから三等で帰つて来ようと思ふ。》p8「特別阿房列車」

 はじめてここを読んだとき、わたしは、この内田百閒という人は冗談を言っているんだと思った。自分の旅行を(行きだけなら)冗談の旅行ととらえているように、この文章が冗談なのだと思った。
 冗談のような旅行を、百閒は大真面目に実行する。
 若い国鉄職員の通称ヒマラヤ山系氏ひとりをお供に連れて(そのネーミングもどうかしている)、東京駅から大阪まで行って帰る(特別阿房列車)。次のときには静岡まで行って帰る(区間阿房列車)。その次は大遠征で、博多、鹿児島からぐるりと八代まで行って帰り(鹿児島阿房列車)、さらに次の旅では盛岡、青森、秋田、山形と東北を回って帰る(東北本線阿房列車・奥羽本線阿房列車)、以上5本の阿房列車を収めたのがこの『阿房列車』で……と律儀に説明しようとすると何だか虚しくなる。そんな小さな真面目さは、こんな旅行を本当にやっている人の真面目さからしたら、線路の砂利の一粒にも及ばないからだ。人に合わせて阿房ということにしておくけれど、自分でも冗談の旅行と言うけれど、つまりそれだけ厳粛かつ真剣に「用事はない」のである。
 なにしろ最初の「特別阿房列車」は出発するまでが長い。旅行には金が要る、それは人から借りて工面する、すると借金についてひとしきり自説が述べられる。
《気を持たせない為に、すぐに云つておくが、この話しのお金は貸して貰ふ事が出来た。あんまり用のない金なので、貸す方も気がらくだらうと云ふ事は、借りる側に起[た]つてゐても解る。借りる側の都合から言へば、勿論借りたいから頼むのであるけれど、若[も]し貸して貰へなければ思ひ立つた大阪行をよすだけの事で、よして見たところで大阪にだれも待つてゐるわけではなし、もともとなんにもない用事に支障が起こる筈もない。
 そもそもお金の貸し借りと云ふのは六づかしいもので、元来は有る所から無い所へ移動させて貰ふだけの事なのだが、素人が下手をすると、後で自分で腹を立てて見たり、相手の気持をそこねたりする結果になる。友人に金を貸すと、金も友達も失ふと云ふ箴言なぞは、下手がお金をいぢくつた時の戒めに過ぎない。
 一番いけないのは、必要なお金を借りようとする事である。借りられなければ困るし、貸さなければ腹が立つ。又同じいる金でも、その必要になつた原因に色色あつて、道楽の挙げ句だとか、好きな女に入れ揚げた穴埋めなどと云ふのは性質[たち]のいい方で、地道な生活の結果脚が出て家賃が溜まり、米屋に払へないと云ふのは最もいけない。私が若い時暮らしに困り、借金しようとしてゐる時、友人がかう云つた。だれが君に貸すものか。放蕩したと云ふではなし、月給が少くて生活費がかさんだと云ふのでは、そんな金を借りたつて返せる見込は初めから有りやせん。
 そんなのに比べると、今度の旅費の借金は本筋である。こちらが思ひつめてゐないから、先方も気がらくで、何となく貸してくれる気がするであらう。ただ一ついけないのは、借りた金は返さなければならぬと云ふ事である。》

《お金が出来ていよいよ空想が実現する形勢である。このお金は私が春永に返した時に初めて私のお金であつた事を実証するので、今は私のお金ではない。いくら私が浪費家であつても、若しそれだけのお金を自分の懐に持つてゐたとすれば、それを出して、はたいて、丸で意味のない汽車旅行につかひ果たす事は思ひ立たないであらう。私の金でなければ人の金かと云ふに、さうでもない。貸してくれる方からは既に出発してゐるのでその人のお金でもない。丁度私の手で私の旅行に消費する様になつてゐる宙に浮かんだお金である。これをふところにして、威風堂堂と出かけようと思ふ。》pp13-4「特別阿房列車」*太字は引用者。以下同じ。

 しかつめらしい理屈のようなものが、しかつめらしい理屈なのか怪しいまま展開し、融通無碍なパンチラインを旧かなで続々と繰り出して進むこの文章が『阿房列車』の本体で、だから汽車がホームを離れる前からこのように旅は始まっているわけだけど、それでもやはり、いちばんの読みどころは車窓を流れ去る風景の描写だと思う。さっきのアナーキーな借金論を書いたのと同じ人が以下を書いている。
《ぼんやりして窓の外の景色を眺めてゐると、汽車が何だか止まりがつかなくなつた様に走つて行つて、さうして時間が立つ。遠くの野の果てに、見えないけれど荒い砂浜があつて、その先に遠州灘がひろがつてゐると思はれる見当の空に、どことなく夕[ゆふべ]の色が流れてゐる。》p31「特別阿房列車」

《次第に暮色が車窓に迫つて、間もなく外は何も見えなくなつた。男鹿半島の根もとにひろがつた八郎潟の風光を眺めたいと思つたけれど、その辺りを通る時分はすつかり暮れ果てて、ところどころの乏しい燈[とも]し火が、水に映つてゐるかと思ふと、透かして見る窓硝子の露が光つてゐたりして、到頭なんにも解らない内に、長かつた筈の沿岸を通り過ぎ、追分を過ぎ、車窓の両側に燈火の数が多くなつたと思ふと、秋田駅の構内に這入[はひ]つた。》pp210-1「奥羽本線阿房列車 前章」

《横手の駅を出て、線路がカアヴすると、もう目の前に暗い山が、通せん坊をした様に立ちはだかつてゐる。狭間を伝ひ、隧道を抜け、屋根と柵ばかりの小駅を二つ三つ過ぎた頃から、時雨で曇つた窓の向こうに、紅葉の色が的皪と映じた。
 紅葉に川は附き物の様である。目についた景色には、必ず清流が、横切つて走る汽車に向かつて流れて来た。山川だから幅が広くない。しかし水量は多いらしく、それは時雨の所為[せゐ]もあるか知れないが、深さうである。その迫つた両岸に絢爛の色が雨に濡れて、濡れた為に却つて燃え立つ様であつた。
 山と山との間の縦の谷を流れて来る川を、汽車が走つて行つて横に渡るのだから、さう云ふ景色はあつと云ふ間に、すぐ通り過ぎる。さうして遮二無二走つて隧道に這入つてしまふ。
 隧道を出ると、別の山が線路に迫つて来る。その山の横原は更紗の様に明かるい。降りつける雨の脚を山肌の色が染めて、色の雨が降るかと思はれる。ヒマラヤ山系君は、重たさうな瞼をして、見てゐるのか見てゐないのか、解らない。
「いい景色だねえ」
「はあ」
「貴君はさう思はないか」
「僕がですか」
「窓の外のあの色の配合を御覧なさい」
「見ました」
「そこへ時雨が降り灑[そそ]いでゐる」
「さうです」
「だからどうなのだ」
「はあ。別に」
 それで大荒沢へ著いた。》p218「奥羽本線阿房列車 後章」

 きれいな風景がきれいに描かれるだけでなく、夜でも、悪天候でも、そして何気ないものであっても、百閒の文章はその都度かたちを変えて自在に対象を写し取る。
 もっとも、百閒は車窓を通して風景を見たが、わたしは百閒の文章を通して風景を読んでいるわけなので、風景に文章が一致して見えるのは当然といえば当然、一致と騒ぐまでもなく、文章=風景の同語反復なんだろう。「風景を文章で描写する(先に存在している風景を、文章を使って表現する)」とふつう書くし、わたしだってこれからもそう書き続けるけど、本当は文章が風景を作っている。文章がそのままこれらの風景である。
 そう考えると、あの借金をめぐる話に(偏屈だし、屁理屈なのに)少しも強引さが感じられないのは、そんな偏屈な屁理屈が文章のかたちで好き放題に延びていく“そのまま”感のためだろう。「屁理屈を文章で書く」というのも、屁理屈が先にあってそれを言葉に置き換えていくのではなく、本当は文章がそのままあの屁理屈なのである。それで百閒の屁理屈は、固いのに流れる。流れるといえば、この1冊でも何ヶ所か出てくる川の描写のうちで、いちばん好きなところはここだった。
《鹿児島まで行くのだつたら、是非帰りは肥薩線に乗つて、球磨川を伝つて八代へお出なさいと勧めるから、ついその気になつた。
 その球磨川が車内の反対側の窓の下を流れるのだつたら甚だつまらない。何だか落ちつかなくなつてゐたら、その内に川が見え出した。矢つ張り左側である。万事休するかと思ふ内に、又もう一度鉄橋を渡つた。それで川が右側の、私の窓のすぐ下へ来た。
 宝石を溶かした様な水の色が、きらきらと光り、或はふくれ上がり、或は白波でおほはれ、目が離せない程変化する。対岸の繁みの中で啼く頬白[ほほじろ]の声が川波を伝つて、一節一節はつきり聞こえる。見馴れない形の釣り舟が舫[もや]つてゐたり中流に出てゐたり、中流の舟に突つ起つてゐた男が釣り竿を上げたら、魚が二匹、一どきに上がつてぴんぴん跳ねてゐる。鮎だらう。
 山系君がぢつと眺めてゐたが、こつちを向いて、「先生、まだお弁当を食べないのですか」と云つた。》p152「鹿児島阿房列車 後章」

 こんなにも変幻自在な文章の題材が、鉄道という、厳格なダイヤに従って運行される旅であるのがつくづく面白いと思う。それからたいへん当たり前のことだけれども、昭和25年の旅だから、目に映ったものを書き、連想されるものを書いていけば、戦争の跡をあちこちに残しながら、しかし用事のない旅ができるくらいまで復興した景色のスケッチになるのも面白い。
 大阪で一泊した旅館。
《朝起きて見ると縁側の障子がすつかり煤[すす]けてゐる。私の家の障子を張り替へたばかりで出て来たから、なほの事目立つのだらう。障子の外の縁側の両隅に防空演習の遮蔽幕がぶら下がつた儘[まま]になつてゐる。》p35「特別阿房列車」

 故郷の岡山に近づき、鉄橋を渡って岡山駅にいたるところ。
《汽車が旭川鉄橋に掛かつて、轟轟[ぐわうぐわう]と響きを立てる。川下の空に烏城[うじやう]の天主閣を探したが無い。ないのは承知してゐるが、つい見る気になつて、矢つ張り無いのが淋しい。空に締め括りがなくなつてゐる。昭和二十年六月晦日[みそか]空襲に焼かれたのであつて、三万三千戸あつた町家が、ぐるりの、町外れの三千戸を残して、みんな焼き払はれた晩に、子供の時から見馴れたお城も焼けてしまつた。
 森谷金峯先生は私の小学校の時の先生であつた。金峯先生の御長男は今岡山の学校の校長さんである。空襲の晩、校長森谷氏は火に追はれて、老婆を背中に負ぶつて、旭川の土手を鉄橋の方へ逃げた。そのうしろで炎上するお城の大きな火焰が天に冲[ちゆう]し、振り返れば焰の塊りになつた天主閣は、下を流れる旭川の淵に焼け落ちて、土手を伝つて逃げ延びる足許[あしもと]をその明かりが照らした事であらう。背中の老母は金峯先生の奥様である。よく覚えてゐないけれど、子供の時にお目に掛かつた事があるに違ひない。もう一度車窓から眺めて見ても、その辺りの空は白け返つてゐるばかりである。
 鉄橋を渡つたら、ぢきに岡山駅である。ちつとも帰つて行かない郷里ではあるが、郷里の土はなつかしい。停車の間、歩廊に出てその土を踏み、改札口の柵のこちらから駅前の様子を見たが、昔の古里の姿はなかつた。》p114「鹿児島阿房列車」

 岡山駅では改札から出なかったのに、広島は見物する。
《甘木君が説明役の若い人を連れて来た。その人が色色の事を教へてくれた。先[ま]づ比治山へ登つた。大変見晴らしがいい。向うに山があつて、川が流れてゐて、海が見える。山裾[やますそ]のどこかで犬が吠えてゐた。
 それから町中へ降りて、繁華な街を通り、太田川の相生橋の上で自動車を降りた。相生橋はT字形に架かつてゐて、こんな橋は見た事がない。橋の上に起[た]つて見る川の向うに、産業物産館の骸骨が起つてゐる。天辺[てつぺん]の円塔の鉄骨が空にささり、颱風の余波の千切れ雲がその向うを流れてゐる。物産館のうしろの方で、馬鹿に声の長い雞の鳴くのが聞こえる。又自動車へ乗つてそこいらを廻り、それから駅へ出た。》p122「鹿児島阿房列車」

 今回、引用したいところを厳選するつもりで貼っていった付箋の数をいまかぞえたら、あと14ヶ所ある。さすがにどうかと思うので、いくつか箇条書きにとどめる:


■ 「区間阿房列車」では、御殿場線の国府津駅で乗り換える予定になっていた。そこまで乗って来た列車が遅れて着いたのに、そこから乗り換えるほうは待たずに出るという。そんな馬鹿なことがあるものか。
《「あつ、発車する」と思つたら、階段の途中で一層むつとした。
 その音を聞いて、あわてて階段の残りを馳け登るのはいやである。人がまだその歩廊へ行き著かない内に、発車の汽笛を鳴らしたのが気に食はない。勝手に出ろとは思はない。乗り遅れては困るのだが、向うが悪いのだから、こちらに不利であつても、向うの間違つた処置に迎合するわけには行き兼ねる。》

《最後部が行つてしまつたので、私共の前が豁然[くわつぜん]と明かるく広くなつた。何となく目がぱちぱちする様な気持である。考へて見ると、面白くない。考へて見なくても面白くないにきまつてゐるのだが、かう云ふ目に遭ふと、後でその事を一応反芻して見た上でないと、自分の不愉快に纏まりがつかない。
「仕方がない」と私が云つた。「ベンチにでも掛けようか」
 だれもゐない歩廊の中程にあるベンチに二人で腰を下ろした。
「前の列車の、もつと前部の車に乗つてゐたら、間に合つたのですね」とヒマラヤ山が云つた。
 それはさうだけれど、そんな事で間に合ひたくない。だれが間に合つてやるものかと云ふ気持である。
 暫らくだまつてゐた。股の間に立てたステツキに頤[あご]を乗せて、向うの何でもない所を見つめて考へた。段段に不愉快がはつきりして来る。
「行つて、さう云つて来ようか」
 ベンチから起ち上がつて、歩廊の端に近い所にある駅長事務室へ歩いて行つた。》pp70-2「区間阿房列車」

 そして百閒は100パーセント正しい抗議を行なうのだが、その前に披瀝される心構えがたいへん立派だった。
[…] 私には第一に戦闘的精神が欠如してゐる。腹が立つ時には立つのだが、それを人に向かつてぶつけると云ふ気魄[きはく]に乏しい。次に、さうでありながら、又こんな事も考へる。こちらに理があつて相手に迫る場合、相手をのつぴきならぬ条件に置いて責めるのは、君子の、或は紳士の為す可[べ]き事でない。兎に角自分を優位に置いて考へる事の出来る側の為す可き事でない。為すをいさぎよしとせざる所である。》p73「区間阿房列車」

 駅員たちに言うことを言ったあと、次の列車が来るまでの2時間を、百閒はヒマラヤ山系氏とふたり、横並びに腰掛けたベンチで待つ。雨が降ってくる。することはもとより何もない。
《かうして二時間近くの間、雨垂れの水が足許へじやあじやあ落ちて来るベンチで、いい加減のおやぢと、薹[たう]の立つた若い者がぢつとしてゐる。する事がないから、ぼんやりしてゐる迄の事で、こちらは別に変つた事もないが、大体人が見たら、気違ひが養生してゐると思ふだらう。二人竝[なら]んで、同じ方に向いて、いつ迄も黙つてゐるのは、少しをかしい。さう云ふのは二人共をかしいのだが、或は隣りを刺戟すると後が悪いから、も一人の方がつき合つて、ぢつとしてゐるのかも知れない。その気違ひは私の方かと思つたが、さうでないとは云はないけれど、年頃から云ふと山系の方が気違ひに適してゐる。》pp78-9「区間阿房列車」

 そんな言葉を使うのはよした方がよいのでは、といまだったら心配になる表現をぽんぽん繰り返してまで自分たちの構図を《少しをかしい》と言い募る感覚は、いまにしても当時にしても、一般的なものなのだろうか。そんなことは確かめようもないが、この構図をとることよりも、この構図にこうまでこだわることのほうに、少しをかしい感じがする。この点は百閒自身の偏りなんじゃないだろうか。

■ 「奥羽本線阿房列車 後章」で、秋田県にあった横黒線という短い路線を雨の中、往復する。これには珍しく「紅葉を見るため」という目的があり、読者の胸に「それって“用事”じゃないのか」との疑いが兆す隙も与えず《紅葉を見に行く様では若い者になめられるに違ひない(p215)と苦い心情が漏らされるのだがそれはそれとして、その絶景の描写はすでに上のほうで引用した(線路が《カアヴ》するやつ)。帰りはいっそう寒く、雨もひどくなっている。
《すぐに発車したけれど、窓の外は已[すで]に薄明かりである。帰りも景色を眺めるつもりであつたが、やつと山と空の境目がわかる位で、紅葉の色はもう見えない。その薄明かりの山裾に白い道が見える。そつちを指差して山系が何か云つてゐる。
「何」
「人が通ります」
「どこに」
「そら向うの山裾の、あの道の曲がりかけた所」
 さう云へば、人影が見える。大きな番傘をさしてゐる。男か女かわからない。どこかへ帰つて行くのだらう。
「さうだ、歩いてゐる。しかし何が気になるの」
「気になるわけぢやありませんが、あすこだけ明かるいので」
 暗くなりかけた山裾を伝つて行く番傘のまはりが、ぼうつと白けた様に見える。
「変だね」と云ふ内に汽車がカアヴして、向きが変つた窓に、大粒の雨がばりばりと音を立てて敲[たた]きつけた。》pp220-1「奥羽本線阿房列車 後章」

 ヒマラヤ山系氏は実際にこの不思議な光景に気付いたのだろう。教えられた百閒も実際にこの通りのものを目にしたのだろう。しかし見たものがこのように文章化されると(このような文章で見たものがかたち作られると)、ありのままが幻想の気配を帯びて、なんだか、百閒の短篇を外側から眺めているようである。
 百閒の短篇と随筆との懸隔にわたしも戸惑った口だが、両者の違いは、同じものを内側から見るか外側から見るかの違いぐらいの距離まで近づくことがあると言えるのかもしれない。そんなことはないかもしれない。あんまりまとめようとするのはよくない。

■ それと関係するかどうかはともかく、わたしは百閒が書くものの中で「急に心配になる」「とつぜん不安に襲われる」箇所が気になっており、宿題としてそこは書き留めておきたい。
 最初の阿房列車の出発当日、家から東京駅に着いたところにもそれはあった:
[…] 釣り皮にぶら下がってぼんやりしてゐる内に、市ヶ谷駅からの三粁[キロ]半を夢の間に過ぎて、鉄路つつがなく東京駅に著いたが、歩廊に降り起つた途端、丁度その瞬間に切符が売り切れる様な気がし出した。発車にはまだ一時間半ぐらゐ間があるけれど、かうしてはゐられないと云ふ気がする。
 さう云ふ気持で歩くと、東京駅の歩廊は無意味に長い。》p17「特別阿房列車」



*最後に、こういうものが無いよりはあったほうがいいのじゃないかと自分で思うので、この旺文社文庫の目次を書き写しておく。次は『第二阿房列車』です。

■ 旺文社文庫『阿房列車』(1979)目次:
特別阿房列車
 東京 大阪
区間阿房列車
 国府津 御殿場線 沼津 由比 興津 静岡
鹿児島阿房列車 前章
 尾ノ道 呉線 廣島 博多
鹿児島阿房列車 後章
 鹿児島 肥薩線 八代
東北本線阿房列車
 福島 盛岡 浅蟲
奥羽本線阿房列車 前章
 青森 秋田
奥羽本線阿房列車 後章
 横手 横黒線 山形 仙山線 松島 

解説 平山三郎
 百鬼園先生年代記
 「阿房列車」雑記

   ○         ○         ○

■ いま手許にないためちゃんと確かめてないけど、この『阿房列車』に収録されているものは、ちくま文庫の『阿房列車 内田百閒集成1』にもぜんぶ入っていたはず。
■ これもちゃんと確かめてないが、新潮文庫の『第一阿房列車』はこの旺文社文庫版を新かなにしたものと考えていいと思う(きっと解説は除く)。

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第一阿房列車 (新潮文庫)
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百閒は日本の古本屋に乗って

冥途―内田百けん集成〈3〉   ちくま文庫

 内田百閒が好きなのだけど、じつはそんなに読んでいない。そんなに読んでないのに好きだったという、要領を得ない話をこれから書く。

 2002年から刊行の始まった、ちくま文庫の内田百閒集成でわたしははじめて百閒の書くものに触れた。『阿房列車』を読み『立腹帖』を読み、真面目な顔で理屈を通しているうちに変なことになっていく調子と、簡素で鮮やかな状況描写が気に入って、これはいくらでも読めそうだし読みたいと思ったのに、そのあと『冥途』収録の短篇小説を読んで――具体的には「冥途」と「豹」、なにより「山高帽子」、そして「白子」の冒頭を読んで――あ、これでもういっぱいだと直覚した。この人の書くものをこれ以上読まなくても、もうこれで自分にとってこの人の文章が与えてくれるものは限度まで受け取った、と思った。「白子」の冒頭を引用する。
《私は誰とも議論をしたのではないのに、独[ひとり]で腹を立てていた。神がいると云う者と、いないと云う者との間には、そのいるとかいないとか云う言葉が、食い違っているんだ。自分が神はいないと云ったからって、それは神がいると云う者のつかったいると云う言葉を、否定にしたのではない。それが解らないのだから駄目だ、と思って一人でむしゃくしゃしながら、懐手をして道を歩いていた。》「白子」、『冥途 内田百閒集成3』(ちくま文庫)p66

 この数行で考えられている内容と、このことを考えて“むしゃくしゃしながら”道を歩いている“私”の両方が、直接わたしに入ってきて頭の中で鐘をチリンと鳴らした。それまでそんなものがそこに吊り下げられているとも知らなかった鐘が、予告もなく、赤の他人の文章によって無造作かつ的確に、チリンチリンと連打された。いま書き写していてもその鐘の音は響いてくる。
 この文章は、何なんだ。もっと読みたいというより、むしろ怖いもの見たさで『サラサーテの盤』をそっとめくり(薄目で見てもおそろしかった)、小説ではない『ノラや』なんかに手を伸ばし(なぜそこまで、と訝しんだ)、やはり思った通りにいっぱいだったようだと自分を観察しながら、5年くらいかかってちくま文庫の集成全24冊を3分の1くらいつまみ読みしたころ、古本屋で旺文社文庫の『冥途・旅順入城式』(1981)を手に取った。
 これが決定的だった。
 1979年から84年にかけて刊行された旺文社文庫の百閒作品は、ちくま文庫と違い、(漢字は新字体だが)かなづかいが旧かなである。新かなと旧かなの違いを、わたしはそれまでたいして意識していなかった。旧かなは脳内で新かなに変換するぶん手間がかかるから、あらかじめ新かなに直してくれているならそのほうがいい、だって読めればいっしょなんだし、くらいに思っていた気がする。それが百閒はどうだったか。「白子」の冒頭を引用する。
《私は誰とも議論をしたのではないのに、独[ひとり]で腹を立ててゐた。神がゐると云ふ者と、ゐないと云ふ者との間には、そのゐるとかゐないとか云ふ言葉が、食ひ違つてゐるんだ。自分が神はゐないと云つたからつて、それは神がゐると云ふ者のつかつたゐると云ふ言葉を、否定したのではない。それが解らないのだから駄目だ、と思つて一人でむしやくしやしながら、懐手をして道を歩いてゐた。それなら神を連れて来て見せるがいいと私は腹の中で叫んだ。よしんば連れて来て見せたところで、それは神がゐると思つてゐる者の神に過ぎないぢやないか、それが神はゐないと思ふ者の目に神と見えるかどうだか受け合はれたもんぢやない。それぢやしかし、かう考へたらどうする。それぢや神はゐないと云ふ者も、その否定する前に、一先づ自分の神を認めた事になつてしまふ。彼は否定する為の神を祀[まつ]つてるぢやないか、どうだと私は独[ひとり]で駄目を押して、益[ますます]むしやくしやして来た。
 町の中が何となく混雑してゐた。道を歩いてゐる人が、どちらへ向いて行つてるのだかよく解らない様な気がした。それから無暗[むやみ]に横町の澤山ある町だつた。横道はみんな狭くて、向うの方は薄暗く暮れかかつてゐた。》「白子」、『冥途・旅順入城式』(旺文社文庫)p88

 くねくねした「ゐ」は「い」で取り換えて済むものではまるでなく、「っ」でない「つ」、「じゃ」でない「ぢや」に何の抵抗もないのが意外だった。それらはどれも、脳内で新かなに変換するものではなかった。百閒の旧かなは、新かなよりも読みやすかった、というのではないが、新かなよりも文章が起伏とうねりを持って続いていく感じがはるかに強まっていた(なお、この感じは縦書きだといっそう強い)。
 旧かなのほうが滑らかに進むこと、その滑らかさがさらなる不気味さも運んでくること、そして/だから、こちらのほうが本来の道行きであったことが読むほどに体感されて、《益[ますます]むしやくしやして来た。》の次で《町の中が何となく混雑してゐた。》と跳ぶ呼吸が、なぜか完全に“わかる”と思った。
 これは大変なことになってきた。「山高帽子」から引用する。
《私は厠[かはや]から出て来て、書斎の机の前に坐つた。何も変つた事はないのに、何だか落ちつかなかつた。開け放つた窓の外に、夕方の近い曇つた空がかぶさつてゐた。大きな棗[なつめ]の枝に薄赤い実がなつてゐる。私はその実の数を数へながら、何となく頻[しき]りにそはそはした。今出て来た厠の中に、何人[だれ]かゐる様な気がした。何人かが私を待つてゐるらしく思はれた。
 家の中には私の外[ほか]に、誰もゐなかつた。みんな買物や使ひに出たきり、まだ帰つて来なかつた。近所の家から、何の物音も聞こえなかつた。日暮れが近いのに辺りは静まり返つてゐて、ただ遠くの方で、不揃ひに敲[たた]く法華の太鼓の音が聞こえるばかりであつた。私は淋しい様な、どこかが食ひ違つた様な気持で、頻りに厠の中を気にした。
 その時、窓の外の、庇[ひさし]を支へた柱を、家の猫が逆に爪を入れながら、がりがりと音をたてて下りて来た。さうして私の向かつてゐる窓の敷居に飛び下りて、こちらを見た。私がぢつとその顔を見てゐると、猫は暫らくそこに起[た]つたまま、私を見返して、それから、何か解らないけれども、意味のあるらしい表情をして、さうしてふと目を外[そ]らすと、そのまま開け放してある入口の方に行つた。私はその後姿を見て、いやな気持になつた。猫は短い尻尾を上げたり下ろしたりしながら、廊下を向うの方へ、のそのそと歩いて行つた。私は段段不安になつて、早くどうかしなければいけない様な気がし出した。猫はその廊下を突き当つて、左に曲がるらしい。曲がつた所に厠がある。
「一寸[ちよつと]待て」と云ふ声が、私の咽喉[のど]から出さうになつて、私は吃驚[びつくり]した。さうして、水を浴びた様な気がした。》「山高帽子」、『冥途・旅順入城式』(旺文社文庫)pp133-4

 この不穏さは何事か。最初にちくま文庫で読んだときから、この短篇もチリンチリンとわたしを鳴らした。まだ何も起きていないのに、まだ何も起きていないからこその形のない不安が、形がないのに言葉・文章という形ある媒体で捉えられている。そして、自分から遠いと思っていたこの旧かなのほうが、より自分に近く、より“わかる”ものとして入ってきた。
 奇妙で、はっきりしない感覚や気持、心のありようが、文章でこちらに手渡される。手渡されたわたしはそこではじめて「これ、自分も持っていた」と気付く。そんな受け取り方が“わかる”である。旺文社文庫で読み返したとき、この書き出しの一行一行、一語一語が、わたしには隅々まで“わかった”。遠くから法華の太鼓が聞こえる、というくだりを読んで、そこが目に入る前から、この文章の最初から、その太鼓の音はしていたじゃないか、と背後を振り返るようにおどろいた。ここで「私」が感じている《そはそは》や、《淋しい様な、どこかが食ひ違つた様な気持》、《段段不安になつて、早くどうかしなければいけない様な気》を、読んでいるわたしがそのまま感じ、「私」とわたしが二重になって、「一寸待て」という声はわたしの咽喉から出そうだった。

 すべてわたしの思い込みである。でも、すべてわたしの思い込みである。こんなふうに思い込んでしまったわたしは、これから百閒は旧かなで読もうと思った。つまりは旺文社文庫で読むということで、絶版とはいえ、よく行く古本屋を何軒か回ればいつでも数冊は置いてあるのが見つかった。バラならそれほど手に入れにくいものではないようだった。
 しかしいっぽう、わたしは「もういっぱい」になってもいるわけである。「白子」と「山高帽子」だけ、しかもその冒頭だけでも充分なのである。「件」や「豹」の結末なんて、見たことを忘れたいのに忘れられない悪い夢だった。
 であるからして、旺文社文庫を集めるのにもいまひとつ熱が入らず、実際に買うのはせいぜい年に1冊ぐらいで、それも5、6冊読んだところで停滞した。読んだ中では『東京焼盡』が圧倒的で(→感想)、あの平坦な迫力には随筆とも小説とも違うすごみがあったが、それはいっそう「もういっぱい」を強化した。ときどき本棚から『冥途・旅順入城式』を取り出しては数ページだけめくり、たまんないなと降参してまた本棚に戻すのを繰り返すばかりだった。

 百閒を好きだけどあまり読んでいない、という状態はこうやって生まれ、このように続いた。なんだか、かつて1回だけ訪れた観光地のことを折に触れ「あそこ好きなんだよね」と回想してみせる人間のようである。その後の移り変わりを見に行こうともしない、ものぐさで知ったかぶりのそんな人のことを、しかし、だれが「その土地を本当に好きとは言えない」と否定できるだろう。
 ちなみにこうしているあいだ、2017年の春に、たまたまの成りゆきでわたしは岡山県岡山市に引越した。すなわち百閒の故郷である。生家のあった辺りには記念碑があるのも知っているし、自分の家からそこまでの道順もわかっているが、好きだけどあまり読んでない、というのに似た気持が働いて、いまだに足を運んでいない。これからも行かないような気もする。

 ――だが、そのまま何もなかったら、わたしもこんな文章を長々と書いてはいないのである。変化は、あった。
 あれはいつごろだったか、今年になってからつい魔が差して、わたしは「日本の古本屋」を覗き、「まあ検索するだけだし」と、旺文社文庫の百閒を検索してしまった。そしてヒットした「内田百閒 旺文社文庫 全39冊+関連本5冊 計44冊揃い(カバーうっすらヤケ、僅かなスレの巻有)」を、「まあ買物かごに入れるだけだし」と、買物かごに入れてしまった。
 そこからあまり記憶がないのだが、どういうわけか数時間後には注文確認メールが届いていた。おそるべきは日本の古本屋である。ちくま文庫でのファーストコンタクトからここまで何年かかったか定かでないものの、確認メールのあと、文庫本のぎっしり詰まったダンボール箱が玄関に運ばれてくるまで2日しかかからなかった。


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 くすんだ百閒の塊を眺めながらしばらく暮らし、わたしは観念した。こうなったら(いっぱいでも)ぜんぶ読む。読むたびに1行でも2行でもここでメモをする。いまのこの文章は、そのために書いた第0回である。


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 44冊もあるというのに、よりにもよってぴったり『ノラや』の上から顔を出しているのはまったくの偶然で、本当にやめてほしい。思えば、前に『ノラや』を読んだとき、わたしの人生の猫経験値はゼロだった。だから、愛猫をめぐる百閒のあれやこれやを「なぜそこまで」と訝しんでいられたのだった→ご参考。いまの自分が『ノラや』を平静な心で読めるとは到底思えない。これから百閒を読んでいくのは期待半分、おそろしさ半分なのだが、これについてばっかりは気の重さが100パーセントなのだった。


   ○         ○         ○


■ 福武書店の『新輯 内田百閒全集』全33巻(1986-89)は旧字旧かなで、本来の文字遣いをどうこう言うなら集めるべきは当然こっちなんだろうが、それだと漢字が読めなさすぎるのと、価格の点で手が出ない。われながら残念な読者である。
■ 同じちくま文庫でも、「集成」より前に出た『私の「漱石」と「龍之介」』(1993)は新字旧かなだった。「集成」もそれでよかったじゃないか。
中公文庫の百閒は、旧かなの本と新かなの本が混じっていたと思う。ちゃんと確かめていない。講談社文芸文庫、岩波文庫、新潮文庫は見たことがなく不明。
■ 東京へ出たあとの内田百閒と岡山については、岡山県立図書館(立派)のレファレンスが質問に回答したこちらがわかりやすい。自転車で30分程度の場所にある記念碑はますます遠くなる。ただ、百閒が夢にまで見たという大手饅頭を、いまのわたしは毎日でも買うことができる。
2019/05/05

ロス・マクドナルド『象牙色の嘲笑』(1952)

象牙色の嘲笑〔新訳版〕(ハヤカワ・ミステリ文庫)
小鷹信光・松下祥子訳、ハヤカワ文庫(2016)


 私立探偵である主人公のオフィスに、高慢な女性がやって来る。彼女は自分のもとから去った若い黒人の娘を探すよう求めながら、事情を詳しく話すことは拒む。苛立ちつつ指示された街へ向かった探偵は目当ての娘をすぐに見つけて後を追う。9月、快晴の昼下がり。話はたいへんキビキビと進んでいる。

『ウィチャリー家の女』『さむけ』しか読んでいなかったロス・マクドナルドをもっと読んでみようという気になり、古本で積んでいた『動く標的』(原著1949、翻訳1966)『魔のプール』(原著1950、翻訳1967)と続けて読んだ最初の感想は「さすがに翻訳が古いよ」ということで、決して読みにくいわけではないものの、全篇が私立探偵の一人称というスタイルなのに、その一人称がところどころでズレたり語尾がべらんめえな調子に流れたりと文章がふらついてしまうのを、残念半分、微笑ましさ半分で読んだ。
 とはいえ、同じように初期の作品であってもこの『象牙色の嘲笑』はもっと安心して読めるだろうと思ったのは、ずっと最近の新訳であることと、それ以上に訳者の名前をあてにしてのことだった。が、しかし、ここまで格が違うとは予想していなかった。それは訳者の力なのか原作の力なのかと言ったら、もちろん両方だろう。分けられるものではない。
《そのブロックの半ばあたりに白い平屋があり、正面のコショウボクの陰になったドライヴウェイに、色褪せた緑色のフォードのクーペがとまっていた。黄色い水泳トランクスを穿いたニグロの若者がホースで洗車をしていた。大柄で、力の強そうな男だ。半ブロック離れていても、濡れた黒い両腕の筋肉がてらてらっているのが見てとれた。彼のほうへ娘は道を横切った。今までよりゆっくりした、優雅な歩きぶりになっていた。
 その姿に気づくと、男はにっこりして、ホースの水しぶきをピュッと女のほうに向けた。彼女はうまくかわし、見た目もかまわず、彼に向かって走った。男は笑い、水をまっすぐ木の高いところまで噴射したのが、目に見える形をとった笑い声のようだった。その声は半秒後に音として私の耳に届いた。女は靴を脱ぎ捨て、ミニチュアの雨に一歩先んじて車の反対側へ駆けた。男はホースを落とし、彼女を追いかけて走り出した。》p25

 下線を引いた喩えにびっくりして二度見した。読み直しても確かにそう書いてある。「え、これはこんな表現も出てくる小説だったのか」と、それこそホースで水をかけられたように勝手におどろいていると、探偵は近所の住人から情報を集めるべく、ラジオに関する調査員のふりをして隣の家のドアをノックする。
《家の中の声が奥の方から聞こえてきた。年老いて衰えてはいるものの、よく通る声で、詠唱のように響いた。「ホリー、あんたかい? いや、まだホリーの来る時間じゃない。ともかく、お入り、誰だか知らないけど。あたしの友達だろう。友達は部屋に来てくれる。今じゃ外へ出られないもんでね。だから入っておいで」
 声は息継ぎもなく続き、母音を伸ばす深南部特有の耳に快い訛りで単語と単語がつながっていた。道しるべの糸のような声に導かれて、居間を横切り、短い廊下を進み、台所を抜けて、その隣につながった部屋まで行った。》p28

 ここは、探偵が聞き込みをしている姿を読者に示すための、たいしたことのないシーンのはずだ。だから《道しるべの糸のような声に導かれて》なんて比喩からその声を幾通りか想像しつつも、この人物があとで再登場することはたぶんないんだろうとこちらは予想を組み立ててもいる。それなのに、続く会話をちょっと見てやってほしい。
《「動かないラジオなんか、家の中にあっちゃ場所ふさぎなだけでしょ。朝昼晩と聴いているけど、あんたがノックをする直前に消したんだ。あんたがいなくなったら、またつける。だけど急ぐことはない。入って、坐っておくれ。新しい友達ができるのはうれしいからさ」
 私は部屋にある唯一の椅子、ベッドの足元近くに置かれたロッキングチェアに坐った。そこから、隣の白い平屋の側面が見える。裏庭に向かって台所の窓が開いていた。
「あんたのお名前は?」
「リュウ・アーチャーです」
「リュウ・アーチャー」それが短く雄弁な詩であるかのように、彼女はゆっくり繰り返した。「ああ、きれいな名前だ、とってもきれいな名前だ。あたしはジョーンズ、最後の亭主の苗字でね。みんなにはおばちゃんと呼ばれてるけど。」》pp29-30*太字は引用者

 3回読み直した上で、わたしも声に出してゆっくり言ってみた(そうしないことができるだろうか?)。始まってまだ30ページだし、探偵が注視しているのは《隣の白い平屋》と《裏庭》なのだし、脇役でしかない脇役の一人であるというのに、主人公の名前をめぐってこれだけのやりとりが書き添えられる。最初に「格が違う」と書いた所以である。「本名、言っちゃうのかよ」というのも、考えてみればまた別の意味ですごい。探偵が、作者が、小説が、三位一体でこの老婆、もといおばちゃんを丁重に扱っている。
 すごい、すごいとメモしたくてここまで書いただけなので、この先の展開とかタイトルの意味とか触れないが、もう1ヶ所だけ引用する。探偵が発見した手紙を読む場面だ。
《 ルーシー
 仕事をなくしたそうでとてもざんねんです、あたしたちみんな、あんたはこれで一生だいじょぶだとおもったのに、でもつぎになにがあるかわかんないのが人生です、もちろん、かえってきてくれたらうれしいよ、ハニー、きしゃちんをだせるならね、わるいけど、あたしたちにはむりです。とうさんはまた失業して、またあたしがひとりで家族をささえているので、やりくりがたいへん。ねるばしょはいつでもあるし、たべるものもあるからね、ハニー、かえっておいで、くらしはだんだんよくなるよ。おとうとはまだ学校にいっていて、せいせきはいい、このてがみをかわりにかいてくれてます(やあ、ねえちゃん)。きしゃちんがなんとかなるといいね、道路をつかっちゃいけないよ。
                              母より
 ついしん――ねえちゃん、げんき? ぼくはげんき、だれだかわかるよね。》p63

(やあ、ねえちゃん)! まったく平易な、素朴すぎる言葉遣いのなかでも、こんなふうにひょっこり魔法が顔を出す。小説に出てくる“年少の弟が書いた手紙”として、これはサリンジャー『ナイン・ストーリーズ』(ただし野崎孝訳のほう)の一篇、「エズミに捧ぐ」で引用される一通に届く飛距離を出していると思った。
 こんな文章がもっと出てくるんだったら、ロス・マクドナルドはぜんぶ読みたい。あと、ロス・マクドナルドの比喩表現を集めて考察した論考とかあったら読んでみたい。現場からは以上です。


○     ○     ○

*いま知った。『動く標的』は1年前に新訳が出ていた(田口俊樹訳)。まずこれか。

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Magnus Mills "The Restraint of Beasts"(1998)

The Restraint of Beasts
Scribner Paperback Fiction(1999)

上の版は絶版みたいだが、まだ買える版はいろいろある模様。

「お前をタムとリッチーの監督にする」とドナルドが言った。「やつらだけでイングランドに行くのは無理だ」
「そうですね」
「何をしでかすかわかったもんじゃない」
「ええ」
「だから今日から監督だ」
「はい」(p1)

というわけで、自分の意志は一切考慮されることなく「僕」はタムとリッチーの監督になる。舞台はスコットランドにある、フェンスの設置を業務とする会社。『オリエント急行戦線異状なし』(1999)なんかで気になっている(後述)マグナス・ミルズのデビュー長篇ということで読んでみた。
 タムとリッチーにはぜんぜんやる気がない。働かないわけではないが、テキパキやるという意志がこれっぽっちもない。タムが煙草をくれと言い、リッチーはシャツのポケットから煙草の箱を取り出して渡す。それからジーンズのポケットに入っているライターをひっぱり出して渡す。そして一服。こんなやりとりが、不変の手順で日に何回も繰り返される。タムが煙草をくれと言い、リッチーはシャツのポケットから煙草の箱を取り出して渡す。それからジーンズのポケットに入っているライターをひっぱり出して渡す。そして一服。「同じポケットに入れておけよ!」と「僕」は思うが口には出さない。
 そんな3人がのろのろと働く。フェンスの設置は単調な仕事である。農場で家畜が逃げないように囲っておくための柵。地面に穴を掘る。支柱を立てて穴を埋める。杭を打つ。ワイヤーを張る。フェンスを取り付ける。地面に穴を掘る。支柱を立てて穴を埋める。杭を打つ。ワイヤーを張る。フェンスを取り付ける。日が暮れたら終わりにして、とくに達成感もないままパブに行く。ビールを飲む。そもそも達成感を求めていない。盛り上がらない会話。ビールを飲む。とくに楽しいわけでもない。同じパブにタムの父親と兄も来ている。ビールを飲む。帰って寝る。

 まったく冴えるところのない登場人物たちの地味で坦々とした労働の日々を、小説はまったく地味で坦々とした文章で描いていく。労働というより、たんに作業を続けているだけのように見える。
 語られている内容がおそろしいほど地味なのに、それを語る文章もおそろしいほどひねりがない。ひねりのなさこそがこの小説のひねりだと言えそうな気もするが、なんだかそれもはばかられる、だってひねりはないわけだし……などとブツブツ考えていると、引き続き坦々とした調子のまま、突如あっさり人が死ぬ。「僕」もタムもリッチーも「あっ」くらいは思う。思っただけで即、埋める。ひねりのない作業が続く。パブでビールを飲む。会話は盛り上がらない。
 なんなんだろう、これは。
 遠征用のトレーラーハウスを運転してはるばるイングランドまで行かされても、依頼されたフェンスが完成するまで何日も作業を続けるだけである。「ぼく」と2人の距離は多少縮まるが(トレーラーハウスが狭いため)、タムは自分のベッドを片付けない。リッチーとは今ひとつ話が通じない。仕事は遅れる。地元のパブまで行って居心地の悪い思いをする。雨が降ると仕事がやりにくい。用意された生活費が尽き、ドナルドに電話で前借りを頼む。依頼主が怒っている。また人が死ぬ。だれも悪くない。埋める。

 へんな小説である。笑えることを努めて無表情で語る、という部分もあるにはあるがそればかりではないし、重大なことをわざととぼけた口調で語る、という部分もあるにはあるがそればかりではない。ブラックユーモアの輪の中に片足くらい入っているのは間違いなくても、ブラックユーモアのためのブラックユーモア、つまり登場人物にあえてひどいことをさせている感じとは無縁である。なのに、次第に死体が増えていく。
 象徴のようなものを見つけられないわけでもない。依頼主と上司の命令に従い、動物を閉じ込める(the restraint of beasts)ためのフェンスを作るという単調な作業を続けているうちに、もっと生き生きとして活発だったはずのエネルギーが柵に囲われてしまい、抑えつけられている自覚もないまま人間性を抑えつけられて日々のルーチンを繰り返すだけになっている労働者階級の姿がここにはあるのかもしれない、とか。
 ――自分で書いたくせに、そういうことではないと思う。
 地味で平凡なことをひねりなく語りながら、じつは地味で平凡なことと踵を接しているのかもしれない非凡なこともひねりのないまま語ってしまう奇妙な文章が、まるでいばった様子も得意げなそぶりもなく、それこそ坦々と綴られていく。
 どこにも不思議さが宿らない簡単な文章で組み立てられていても、言葉じたいがデコボコしたものだから、長く続けていくうちにどうしても影のようなものは生まれ、朴訥とした文章のくぼみにできた影というのは平坦な道にあいた穴なのかもしれず、その穴に落っこちるのが登場人物の突然の死なのかもしれない。
 平凡と非凡がひねりのなさの中に同居した、これはたしかに非凡な作風だと思う。この作品でデビューしようとした作者本人と、この作品でデビューさせた出版社の両方に、やや呆れつつ、しかしたいへんに恐れ入った。

『オリエント急行戦線異状なし』の感想にも書いたが、わたしがこのマグナス・ミルズを知ったのは「モンキービジネス」vol.7(2009)に載っていた短篇で、ひねりのなさすぎる文章がかえってこちらの想像力を刺激しながらも、表面上はあくまでひねりのないまま進んで終わるというおかしなありかたに仰天したのだった。
 長篇は短篇より長いので(当たり前)、ひねりのない文章がどんどん続いておかしなことになっていく。このThe Restraint of Beasts『フェンス』の題で翻訳されている(たいらかずひと訳、DHC、2000)みたいだが、ほかの長篇の翻訳は止まっているようだ。
 この作家の書くものをぜんぶ読みたいと願ういっぽう、たまにポツポツ読むくらいがちょうどいいようにも思う。やっぱり地味に追いかけたい。

 なお、本作の最後のページの最後の1行だけは確実にこちらをギョッとさせる効果を狙って書かれており、実際ギョッとして妙な後味が残るが、あれがなくても全体の印象はそれほど変わらなかった気がするという、そのような点もこの作家の特質なのかもしれない。


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リチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』メモ

舞踏会へ向かう三人の農夫

 2018年の8月、帰省のあいだ『舞踏会へ向かう三人の農夫』を再読しながら1章ごとに感想や引用をつぶやいていたのを以下にまとめてみた。
 わたしはどなたか他人がこういう連ツイをしているのを見るのが好きで、そういう実況がTLを流れて消えるのが惜しい・できることならまとめてほしい、と日頃から強く念じているため、だったら自分のぶんは残しておこうと思った。
「だったら」でつながるのか、そして性格が根本的にツイッターに向いてないんじゃないかと今さらの疑問をおぼえつつ、そういえばツイートをブログに埋め込むのは初めてだった。文字通り、間が抜けて見えるものだな。
*文中何度か出てくるように、みすず書房の単行本(2000年刊。2000年て)で読んだので、引用のページ数はそれに準じます。





「私」がデトロイト美術館で見る、ディエゴ・リベラの壁画ってこれか。あとここでもいろいろ見られた。たしかに、これこれを見せられたデトロイト市民の心中やいかに、と思わせるものがある。
「私」はこれらのあとにザンダーのあの写真を見たということ(メモ)。










  舞踏会へ向かう三人の農夫 上 (河出文庫)   舞踏会へ向かう三人の農夫 下 (河出文庫)







 あった。相応の理由、あった。




 何というかこの、“パワーズの小説には切れ者じゃない人間が出てこないように見える問題”については、それが問題と感じられなくなるには(翻訳されたものだと)『オルフェオ』(2014)まで待たないといけなかったとわたしは思っている。



 これ(ウィキペディア)とか、そこからリンクのあるこれ(英ウィキペディア)を眺めて「ほうほう」とうなる。18年前だとウィキペディアはなかったと思う。



















 このブログを探したら、件のトークイベントは2007年3月23日に青山ブックセンター本店で行なわれたものとわかった。11年前!! なんでも書いとくものである。
 上のツイートには記憶違いがあって、パワーズさんは「傲慢」とは言っていなかった(「偽善」)。なんでも書いとくものであると思うがゆえに、いまもこのまとめをまとめている。






























『囚人のジレンマ』が出たときに書いた文章、具体的なことを何ひとつ述べていないが、さすがに同意できる部分が多かった。《リチャード・パワーズの小説は、説得のために書かれているように思う。》





 このマメさ。河出書房新社さんには頭が下がる。今なら、河出文庫で、ぜひ。



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