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2015/10/31(土)


 整骨院を出ると5時を過ぎて暗くなっていた。やや寒くもあり、昼ごはんも抜いたままだったので、ラーメンを食べて帰ることにした。
 そこはわたしが半年前まで10年以上住んでいた町だから、ラーメン屋はいくつも知っている。何度も行ったことのある店を第一候補に路地を歩いていくと、そこはまだ「準備中」だった。すぐ近くにもほかの店があり、そちらはそれこそ10年くらい前に1回しか入ったことがなかった。空腹を感じる。そこに決めた。
 そのラーメン屋は2階建てで、1階はカウンター席が5つしかない。たしか10年前は2階に上がったはずだが、いまはひとりも客がおらず店主も暇そうだったから、カウンターの真ん中の席に着いた。腰を下ろして気がついた。入口が路地に向けて全開なので、ここだけだと屋根のある屋台みたいである。周囲の飲み屋や回転寿司はすでに賑わい、焼き鳥屋は店の前にまで卓を出していて、そこに座る客はマフラーを巻き毛糸の帽子までかぶっていた。親子連れがにぎやかに通りすぎる。

 卓上に立てるタイプの簡素なお品書きからワンタン麺を頼むと、店主は「はいワンタンね」と言って調理を始めた。少しして、ジャンパーをはおった中年男性が入ってきて、わたしの右の椅子を引きながら「中華そばね」と声をかけると、店主は手を休めず「はい中華そば」と答えた。男性はスマホを取り出しいじり始める。とつぜん子供の声が喋り出した。卒業式か何かの学校行事で、代表の挨拶を述べている、硬い声だ。続いて司会の大人が式を進めるアナウンス。子供の小学校の卒業式(であることがアナウンスから確定した)を撮った動画を再生している。10月の終わりに、ラーメン屋のカウンター席で。

 また別の男性がやってきて、わたしのうしろを通り、店の奥、カウンターの左端の席に座った。その人がメニューをしばらく眺めてから小声で「チャーシューワンタン麺、ください」と注文すると、店主はのぼる湯気の向こうで「はいワンタンね」と答えた。客のほうに目をやりもしない。
 おや、と思った。わたしのワンタン麺と、左の客のチャーシューワンタン麺に、区別はついているのだろうか。立ち働く店主の様子をうかがうが、カウンターの前に貼られた雑誌記事の切り抜きにある昭和56年創業という紹介に過不足なく釣り合ったその表情からは何も読み取れない。堀内恒夫に似ていることだけわかった。
 左の客に、チャーシューワンタン麺を頼んだのにワンタン麺が出てきたら、他人事ながら悲しい。いやちがう。チャーシューワンタン麺を頼んだのにワンタン麺が出てきて、でもそれにもチャーシューが乗っているために、これがチャーシューワンタン麺だと思って食べるのだったら、悲しい。仮にワンタン麺が出てきても、「いや、おれが頼んだのはチャーシューワンタン麺だよ」と気付いて指摘できればいい。でもその場合は店主が悲しい。チャーシューワンタン麺を頼んで、ワンタン麺が出てきたのに、それをチャーシューワンタン麺だと思って食べ、会計時に店主の間違いがあらわになるのだったら、双方が悲しさの全部乗せだ。どうしたって悲しくなる公算が高い。
 左をチラ見すると、チャーシューワンタン麺を頼んだのは浅黒い顔をした若い男だ。そして奥の壁にはメニュー一品一品の写真が貼ってあった。どれも厚めのビニールで覆ってあり、それが曇っているのでよく見えないものの、チャーシュー麺なら麺を隠すくらいにチャーシューが乗っているのはわかる。ワンタン麺の上にはワンタンではない何かも乗っているのだが、照明の光が反射していて判別できない。問題のチャーシューワンタン麺の写真は、チャーシューワンタン麺を頼んだ客の体に隠れていた。不意に子供の合唱が大音量で流れ出す。右の男性のスマホである。次の卒業式まで半年もない。

 チャーシューワンタン麺を注文したのにワンタン麺が出てきた、と気付けるかどうかは、ワンタン麺の上に乗っているワンタンではない何かがチャーシューなのかどうかによるだろう。大丈夫だろうか。あなたがワンタン麺でなくチャーシューワンタン麺を頼んだことを、わたしは知っている。わたしが知っていてもどうにもできない。真面目な声の合唱が続く。
「どうぞー」と店主の声がして、わたしの上方にどんぶりが差し出された。受け取ってカウンターに置くと、ワンタンと、チャーシューが2枚乗っていた。
 割り箸を取って食べ始める。わたしはワンタン麺を頼んだ。ワンタン麺の標準装備としてワンタンのほかにチャーシューが2枚乗っているのか(写真でよく見えない「ワンタンではない何か」はこのチャーシューなのか)、左の客のチャーシューワンタン麺に引っぱられて、店主の頭の中でわたしの注文がワンタン麺からチャーシューワンタン麺に改変されてしまったのか、あるいは取り違えが起きて、わたしにチャーシューワンタン麺、左の客にワンタン麺が行ってしまうのか、それともこれはたしかにワンタン麺で、かつ、左の客にも同じワンタン麺が出される(「はいワンタンね」「はいワンタンね」)ことになるのか。創業、昭和56年。

 自分の食べているこれが、注文したワンタン麺でなくチャーシューワンタン麺であったとしたら、黙ってチャーシューワンタン麺ぶんの代金を払うのは、ぜんぜん構わない。構わないが、メニューを見直すとワンタン麺は770円でチャーシューワンタン麺は1070円である。
 食べ終えたわたしがワンタン麺代として1000円札を渡したとして、店主の中で「この客はチャーシューワンタン麺」となっていたら、「足りません」とわたしに言わなけらばならない。そんなことを言わせるのも、言われるのも嫌である。かといって、自分の食べたものをチャーシューワンタン麺だとしてあらかじめ1100円を出し、でもこれが正確にワンタン麺だったら店主のほうに「この客はどういうつもりなのか」と疑念を生むことになる。それも嫌だ。堀内恒夫はむかし悪太郎と呼ばれていたという。
「どうぞー」とまた店主の声がする。卒業式の動画を見ていた右の男性がどんぶりを受け取り、そのスマホでラーメン(中華そば)の写真をカシャッと撮ると、スマホをカウンターに立てかけて食べ始めた。卒業式は式次第に沿って進んでいるだろう。音量はいっそう大きくなったようだった。
 わたしも食べ続ける。熱いスープをすする。鍋の縁でゆで卵を割る店主の額にうっすら汗が光る。カウンターの上に目をやると、低い天井に届くくらいの位置にサイン色紙が4枚、ラップに包まれて飾ってあった。ひとつも読み取れない。だれのサインなのか。堀内恒夫?箸とレンゲを動かし続けるわたしが咀嚼しているのは何なのか。昭和56年。左の客には何が供されるのだろう。外から風が吹き込む。どうしてこの店は扉が全開なのか。悪太郎って。わたしは無力だった。ワンタンを口に含み、声だけが響く卒業式の只中で、わたしは無力だった。

 食べ終えてしまった。スープも掬える限り掬って飲み干した。店主の頭の中で何が起きていたのか、解答となる左の客にラーメンが出されるまで待っている理由はもうなかった。
「ごちそうさまです」と声をかけて、どんぶりをカウンターの上の段に乗せる。店主は答えた、「どうも、770円です」
 入口のそばのレジでお釣りを受け取るとき、カウンターの向こう、客から見えない店主の側に小型のテレビが置いてあり、卒業式はそこで進行していたのが目に入った。店を出た。ラーメンの味は何も記憶にない。今日はハロウィンだった。
アンポンタンと私

 ◇ これの続き:


 大正生まれの私の祖父は、記憶に登場する最初のころから腰は曲がっていたが、70歳を越えても毎日車を運転するいかしたジジイであった。そして私と姉を、幼稚園から小学校低学年ぐらいまで、面白がって騙し続けたジジイでもあった。
 いわく、「町に行くたび食べるおいしい食べ物があって、それは“アンポンタン”というんだ」「あんぽんたん!!」

     ○

 それはどんな食べ物なのか。話を聞くたび、答えは違った。
「ほかほかしている」「やわらかい」「ひとつでおなかいっぱいになる」。
 いっこうに像を結ばない“アンポンタン”は、私と姉の頭の中でおおいに膨らんだ。

     ○    ○

 祖父はアンポンタンの味も様々に形容したが、今から思えば、そこにはひとかけらの具体性もなかった。
「おいしすぎてほっぺたが落ちる。というか、落ちた。医者でほっぺをつけ直してもらって帰ってきた」。
 さすがにそれは嘘だとわかった。でも、それ以外はすべて信じた。

     ○    ○    ○

 どうかアンポンタンをお土産に買ってきてほしい、とせがむ孫ふたりを、祖父は「ああ、今日は忘れた」「店が休みだった」と、のらりくらりかわし続けた。あげく、「せっかく買ったのに、おなかがすいて車の中でふたつとも食べちゃった」などと言う。私と姉はアンポンタンに焦がれた。

 文字をおぼえたての私は、家にあった小さい国語辞典で“アンポンタン”を引くことを思いついた。それは素晴らしいアイディアに見えた。
 しかし、“あんこ”と“あんみつ”はあっても、その間にあるべき“アンポンタン”はなかった。ページを示して不服を述べているのに、「これはだめな辞書だなあ」と笑う祖父が解せなかった。

     ○     ○   ○

 今なら、祖父の気持は想像できなくもない。

     ○       ○ ○

 祖父の車に乗せられて町へ行った回数は数え切れないが、アンポンタンを信じていた当時の1回のドライブが強く印象に残っている。
 町は夕方で薄暗かった。一軒の、広いガラス戸を通して内側まで見通せる建物の前を通った。灯りはついておらず、がらんとしていた。畳敷きで、もとは呉服屋か何かだったのだと思う。ハンドルを握る祖父は小声で言った。「昔はここでアンポンタンも売っていた」。

 そのとき以外のアンポンタンの思い出は、すべて明るいものだった。
「アンポンタンって、どんなの」。私と姉は、繰り返しそう訊ねては珍回答をもらって喜んだ。しかし、祖父もいいかげん嘘をひねり出すのが面倒になっていったのだと思う。
「おいしい食べ物があるだろう。それをアンポンタンと言うんだ」。
 答えはときに哲学的だった。

     ○     ○   ○

 そんなある日のこと。いっしょに遊んでいた姉が唐突に言った。
「あたし、きのうアンポンタン食べたんだー」。
 衝撃だった。3つの歳の差という越えがたい壁の上に、姉は涼しい顔をして立っていた。姉は、祖父とアンポンタンの世界を二重の意味でひと足先に卒業したのだった。私はいっそう頑なになった。

     ○  ○      ○

 それでも時間は流れる。やがて私も小学校に入り、徐々にアンポンタンの実在に疑いをおぼえるようになった。そんなとき、外から帰ってきた祖父が鞄から取り出したのは、ラップに包まれた特大の蒸しパンだった。「ほら、アンポンタンだぞ」。

 あれは祖父からの、“そろそろ手打ちにしよう”という歩み寄りだったのかもしれない。私は「これは蒸しパンだもん。アンポンタンじゃない」と言った。祖父は「そうだそうだ、これはアンポンタンじゃない」と答えた。
 ラップの中で汗をかいていた蒸しパンはまだ温かく、甘かった。おいしかったので2個食べた。夕飯が食べられず母親に怒られた。

     ○○      ○

 祖父とアンポンタン。
 さっき、“そふとあんぽんたん”で変換したら、“ソフトアンポンタン”になった。そんな製品は祖父だって開発していない。

     ○       ○

 流しの上の棚に手が届くようになったり、給食をなんとか人並みの早さで食べられるようになったりしていくなかで、いつのまにか“アンポンタン”は過去のものになっていったが、祖父に向かってはっきり「あれは嘘だったんだよね」と迫ったことはない。この点に関してなら、私は自分を誉めてやってもいいと思っている。

      ○    ○

 小学4年生の秋だったはず。祖父が、三省堂の『大辞林』を買ってきて、茶の間のテレビ台の中に置いた。その存在感は圧倒的だった。
 祖父のほうで、かつての国語辞典の件をおぼえていたかどうかはわからない。私はおぼえていたので、知っているかぎりの神話の登場人物の名前を引いたあと、また探してみた。大辞林には載っていた。
あんぽんたん: 愚か者。あほう。ばか。多く、人をののしって
           いう語。「この、――め」

 いつか、三省堂が「大辞林と私」作文コンクール、みたいなものを開催したら、この話を書いて応募しようと私はひそかに決めていた。
 そんなコンクールはなかったから、この話を書くのはいまが初めてである。

       ○ ○

 アンポンタンについておぼえていることは、これでぜんぶだ。せっかくなので、iPhoneの大辞林アプリはダウンロードしようと思う。

         ○

 祖父に関して。
 本当の記憶のはずはないのに、どうしても夢とは思えない鮮明さで目に焼き付いている光景、すなわち、「祖父と一緒にダムを見下ろす管理小屋へ入る。宇宙戦艦ヤマトみたいな円形のハンドルを祖父がぐるぐる回すと水門がゴゴゴゴと開き、水が瀑布となってどーっと流れ出す」については、またいずれ書くかもしれない。
2011年7月29日(金)

 今回もまた、1ヶ月以上も更新をせずに放置していたせいで出っぱなしになっていた、スポンサー広告を消すためだけの更新になってしまう。
 広告。前回の更新からこっち、“発毛法”に替わって印象に残った広告は、きれいめの女の人が微笑みながら“これでダメならFXやめろ!”というものであった。思えば80年代は遠くなった。知らんけど。

 さて、2010年の9月から実家に帰り、6月の後半になって東京に戻ってきた私を待っていたのは、 『ダールグレン』 駅前のスーパーで98円棚に並んだ、ウィルキンソンジンジャエールの500mlペットボトルだった。
 即座に6本つかみ取り、照明の落とされたレジを通る間ももどかしく部屋に帰って、震える手でキャップを回しグラスに注いで飲んでみると、記憶にあるよりずっと炭酸がきつかった。私はいま、自分が本当に実家にいないのだと知った。
 以来、このペットボトルを毎日毎晩、複数本ずつ買って帰り、複数本ずつ飲むのが日課になった。部屋とジンジャエールと私。ウィルキンソンと私の蜜月時代である。
 しかし、ひと晩に4本飲むとさすがにお腹を壊すということもわかってきた7月半ば、98円棚の宿命で、かのペットボトルは一夜にして忽然と姿を消した。同じ棚には、それまで見たことのないスポーツドリンクが並ぶようになった(今日もあった)。
 ことここに至って、私は観念した。酒屋に行こう。酒屋で透明な緑の瓶に入った、ウィルキンソンジンジャエールを買おう。

 それでこれまでに何度も前を通っていたカクヤスに初めて入り、初めて買い物をした。えっと、瓶のジンジャエールを。ええ、ドライじゃないほうで。
 24本入りの1ケースを部屋まで配達してもらい、受け取りにサインする間ももどかしくドアを閉めて、震える手で蓋を外しグラスに注いで飲んでみると、ペットボトル入りのものよりずっとおいしかった
 おどろいて3本続けて飲んでみたが、気のせいでは明らかにない。瓶のほうがおいしい。
 では、半月ほどのあいだに私がスーパーから部屋に運び込んでは飲んだ、あの何十本かのペットボトルはなんだったんだ。蜜月時代はただの激辛時代だったのか。
 まだ6月だったころ、友達から「ペットボトルの味はどう?」とメールで訊かれ、「やっぱ瓶じゃないとねー、と言いたいところですが、おれには違いがわかりません」と謙虚なふうな返信をしていたことが炭酸の泡とともに思い出される。味は確かに違った。そして私は間違った。
 実家のお店で店番していたときに、「コカコーラは350の缶より250の細缶のほうが絶対にうまい、あれは中身が違う」と主張して譲らなかったおっさんの揺るぎなさに思いを致しつつ、今晩も2本めのジンジャエールを空けるのだった。
ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』の読書ノートは一応続いています
2011年6月5日(日)

 このFC2ブログというものは、1ヶ月以上「新しい記事」を書かずに放置していると、先頭にスポンサーサイトの広告が表示されるようになっている。
 5月の私は『競売ナンバー49の叫び』の読書日記をカメの歩みで書いていたのだが、なにせ内容がぜんぜんまとまっていないだけに、場所くらいはまとめてあったほうがまだしもましだろうと思ったので、記事はぜんぶ日付をいじり、過去ログに付け足すやり方で更新していた。今後もそうするつもりでいる。 目次
 
 ところがそういう小細工をしたばっかりに、それらは「新規投稿」とは認めてもらえず、きのうこのブログを見たら、妙に大きな発毛法の広告がトップを飾っていた。そしてどのページに移っても、先頭にはでかでかと同じ広告が貼り付けられていた。
 月に30本以上も新記事をアップしたのはこれまでになく、おそらくこれからもないと思われるのに、その結果は発毛法であった。釈然としない。ものすごく、釈然としない。
 なので、発毛法に罪はないが(むしろ恩恵としてとらえる日が遠からず来るのかもしれないが)、「広告を消す」というただそれだけの目的で、いまこの記事を書いている。なんだか申し訳ない。取って付けると、下はうちの裏の風景である。
      20110605
     
 今年はいろいろあったために、例年より2週間遅れで田植えが行われたそうである。こういうのどかな場所に住んでいる人たちはみんな性格がおおらかで優しくて――なんてことは絶対になく、どこに住んでいても人間は人間なのだった。って、べつにそんなことを言うつもりはなかった。
 しかし、これはこれで発毛法の広告写真になりえるのではないだろうか、と、そんなことを言うつもりもなかったのである。
not卒業

 たぶんおそらく、小学1年生が進級を重ねて中学生になってしまうくらいのあいだ放置していた、トマス・ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』(1966)の読書日記を再開しました。→「目次

 このブログを書いている人間は、いまだにピンチョン小学校で留年を続けている感じです。
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