2012/02/19

アンポンタンと私


 ◇ これの続き:


 大正生まれの私の祖父は、記憶に登場する最初のころから腰は曲がっていたが、70歳を越えても毎日車を運転するいかしたジジイであった。そして私と姉を、幼稚園から小学校低学年ぐらいまで、面白がって騙し続けたジジイでもあった。
 いわく、「町に行くたび食べるおいしい食べ物があって、それは“アンポンタン”というんだ」「あんぽんたん!!」

     ○

 それはどんな食べ物なのか。話を聞くたび、答えは違った。
「ほかほかしている」「やわらかい」「ひとつでおなかいっぱいになる」。
 いっこうに像を結ばない“アンポンタン”は、私と姉の頭の中でおおいに膨らんだ。

     ○    ○

 祖父はアンポンタンの味も様々に形容したが、今から思えば、そこにはひとかけらの具体性もなかった。
「おいしすぎてほっぺたが落ちる。というか、落ちた。医者でほっぺをつけ直してもらって帰ってきた」。
 さすがにそれは嘘だとわかった。でも、それ以外はすべて信じた。

     ○    ○    ○

 どうかアンポンタンをお土産に買ってきてほしい、とせがむ孫ふたりを、祖父は「ああ、今日は忘れた」「店が休みだった」と、のらりくらりかわし続けた。あげく、「せっかく買ったのに、おなかがすいて車の中でふたつとも食べちゃった」などと言う。私と姉はアンポンタンに焦がれた。

 文字をおぼえたての私は、家にあった小さい国語辞典で“アンポンタン”を引くことを思いついた。それは素晴らしいアイディアに見えた。
 しかし、“あんこ”と“あんみつ”はあっても、その間にあるべき“アンポンタン”はなかった。ページを示して不服を述べているのに、「これはだめな辞書だなあ」と笑う祖父が解せなかった。

     ○     ○   ○

 今なら、祖父の気持は想像できなくもない。

     ○       ○ ○

 祖父の車に乗せられて町へ行った回数は数え切れないが、アンポンタンを信じていた当時の1回のドライブが強く印象に残っている。
 町は夕方で薄暗かった。一軒の、広いガラス戸を通して内側まで見通せる建物の前を通った。灯りはついておらず、がらんとしていた。畳敷きで、もとは呉服屋か何かだったのだと思う。ハンドルを握る祖父は小声で言った。「昔はここでアンポンタンも売っていた」。

 そのとき以外のアンポンタンの思い出は、すべて明るいものだった。
「アンポンタンって、どんなの」。私と姉は、繰り返しそう訊ねては珍回答をもらって喜んだ。しかし、祖父もいいかげん嘘をひねり出すのが面倒になっていったのだと思う。
「おいしい食べ物があるだろう。それをアンポンタンと言うんだ」。
 答えはときに哲学的だった。

     ○     ○   ○

 そんなある日のこと。いっしょに遊んでいた姉が唐突に言った。
「あたし、きのうアンポンタン食べたんだー」。
 衝撃だった。3つの歳の差という越えがたい壁の上に、姉は涼しい顔をして立っていた。姉は、祖父とアンポンタンの世界を二重の意味でひと足先に卒業したのだった。私はいっそう頑なになった。

     ○  ○      ○

 それでも時間は流れる。やがて私も小学校に入り、徐々にアンポンタンの実在に疑いをおぼえるようになった。そんなとき、外から帰ってきた祖父が鞄から取り出したのは、ラップに包まれた特大の蒸しパンだった。「ほら、アンポンタンだぞ」。

 あれは祖父からの、“そろそろ手打ちにしよう”という歩み寄りだったのかもしれない。私は「これは蒸しパンだもん。アンポンタンじゃない」と言った。祖父は「そうだそうだ、これはアンポンタンじゃない」と答えた。
 ラップの中で汗をかいていた蒸しパンはまだ温かく、甘かった。おいしかったので2個食べた。夕飯が食べられず母親に怒られた。

     ○○      ○

 祖父とアンポンタン。
 さっき、“そふとあんぽんたん”で変換したら、“ソフトアンポンタン”になった。そんな製品は祖父だって開発していない。

     ○       ○

 流しの上の棚に手が届くようになったり、給食をなんとか人並みの早さで食べられるようになったりしていくなかで、いつのまにか“アンポンタン”は過去のものになっていったが、祖父に向かってはっきり「あれは嘘だったんだよね」と迫ったことはない。この点に関してなら、私は自分を誉めてやってもいいと思っている。

      ○    ○

 小学4年生の秋だったはず。祖父が、三省堂の『大辞林』を買ってきて、茶の間のテレビ台の中に置いた。その存在感は圧倒的だった。
 祖父のほうで、かつての国語辞典の件をおぼえていたかどうかはわからない。私はおぼえていたので、知っているかぎりの神話の登場人物の名前を引いたあと、また探してみた。大辞林には載っていた。
あんぽんたん: 愚か者。あほう。ばか。多く、人をののしって
           いう語。「この、――め」

 いつか、三省堂が「大辞林と私」作文コンクール、みたいなものを開催したら、この話を書いて応募しようと私はひそかに決めていた。
 そんなコンクールはなかったから、この話を書くのはいまが初めてである。

       ○ ○

 アンポンタンについておぼえていることは、これでぜんぶだ。せっかくなので、iPhoneの大辞林アプリはダウンロードしようと思う。

         ○

 祖父に関して。
 本当の記憶のはずはないのに、どうしても夢とは思えない鮮明さで目に焼き付いている光景、すなわち、「祖父と一緒にダムを見下ろす管理小屋へ入る。宇宙戦艦ヤマトみたいな円形のハンドルを祖父がぐるぐる回すと水門がゴゴゴゴと開き、水が瀑布となってどーっと流れ出す」については、またいずれ書くかもしれない。

コメント

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いつも楽しく拝読させていただいています。
おじいさんとの思い出、最高の散文でした。
あんぽんたん、みんなで僕も食べたいです。

>最初にコメントいただいたかた

どうもありがとうございます。
こういうことを書いたり話したり、思い出したりするたびに、
祖父が(まだ)いると実感します。
それでいいのじゃないかと、私は思うようにしています。

>あおしゅんさん

この話、3人目の登場人物であるはずの私の姉は、
アンポンタンを「ほとんどおぼえていない」というところにも痺れます。
(そんなこと言われても)

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何度読んでも味わい深いお話です。
ないものだけど、「あんぽんたん」を食べた気になります。続きを楽しみに待っています。

もしかしてお祖父様は農家で水路の管理をされていたのでは?
文章を読ませていただき、うちの祖父が排水の操作をしている光景を思い出しました
操作室は外観はともかく内側はコクピットみたいでした
操作室があるのはダムではなくて川でしたけどね