2018/10/17

Magnus Mills "The Restraint of Beasts"(1998)

The Restraint of Beasts
Scribner Paperback Fiction(1999)

上の版は絶版みたいだが、まだ買える版はいろいろある模様。

「お前をタムとリッチーの監督にする」とドナルドが言った。「やつらだけでイングランドに行くのは無理だ」
「そうですね」
「何をしでかすかわかったもんじゃない」
「ええ」
「だから今日から監督だ」
「はい」(p1)

というわけで、自分の意志は一切考慮されることなく「僕」はタムとリッチーの監督になる。舞台はスコットランドにある、フェンスの設置を業務とする会社。『オリエント急行戦線異状なし』(1999)なんかで気になっている(後述)マグナス・ミルズのデビュー長篇ということで読んでみた。
 タムとリッチーにはぜんぜんやる気がない。働かないわけではないが、テキパキやるという意志がこれっぽっちもない。タムが煙草をくれと言い、リッチーはシャツのポケットから煙草の箱を取り出して渡す。それからジーンズのポケットに入っているライターをひっぱり出して渡す。そして一服。こんなやりとりが、不変の手順で日に何回も繰り返される。タムが煙草をくれと言い、リッチーはシャツのポケットから煙草の箱を取り出して渡す。それからジーンズのポケットに入っているライターをひっぱり出して渡す。そして一服。「同じポケットに入れておけよ!」と「僕」は思うが口には出さない。
 そんな3人がのろのろと働く。フェンスの設置は単調な仕事である。農場で家畜が逃げないように囲っておくための柵。地面に穴を掘る。支柱を立てて穴を埋める。杭を打つ。ワイヤーを張る。フェンスを取り付ける。地面に穴を掘る。支柱を立てて穴を埋める。杭を打つ。ワイヤーを張る。フェンスを取り付ける。日が暮れたら終わりにして、とくに達成感もないままパブに行く。ビールを飲む。そもそも達成感を求めていない。盛り上がらない会話。ビールを飲む。とくに楽しいわけでもない。同じパブにタムの父親と兄も来ている。ビールを飲む。帰って寝る。

 まったく冴えるところのない登場人物たちの地味で坦々とした労働の日々を、小説はまったく地味で坦々とした文章で描いていく。労働というより、たんに作業を続けているだけのように見える。
 語られている内容がおそろしいほど地味なのに、それを語る文章もおそろしいほどひねりがない。ひねりのなさこそがこの小説のひねりだと言えそうな気もするが、なんだかそれもはばかられる、だってひねりはないわけだし……などとブツブツ考えていると、引き続き坦々とした調子のまま、突如あっさり人が死ぬ。「僕」もタムもリッチーも「あっ」くらいは思う。思っただけで即、埋める。ひねりのない作業が続く。パブでビールを飲む。会話は盛り上がらない。
 なんなんだろう、これは。
 遠征用のトレーラーハウスを運転してはるばるイングランドまで行かされても、依頼されたフェンスが完成するまで何日も作業を続けるだけである。「ぼく」と2人の距離は多少縮まるが(トレーラーハウスが狭いため)、タムは自分のベッドを片付けない。リッチーとは今ひとつ話が通じない。仕事は遅れる。地元のパブまで行って居心地の悪い思いをする。雨が降ると仕事がやりにくい。用意された生活費が尽き、ドナルドに電話で前借りを頼む。依頼主が怒っている。また人が死ぬ。だれも悪くない。埋める。

 へんな小説である。笑えることを努めて無表情で語る、という部分もあるにはあるがそればかりではないし、重大なことをわざととぼけた口調で語る、という部分もあるにはあるがそればかりではない。ブラックユーモアの輪の中に片足くらい入っているのは間違いなくても、ブラックユーモアのためのブラックユーモア、つまり登場人物にあえてひどいことをさせている感じとは無縁である。なのに、次第に死体が増えていく。
 象徴のようなものを見つけられないわけでもない。依頼主と上司の命令に従い、動物を閉じ込める(the restraint of beasts)ためのフェンスを作るという単調な作業を続けているうちに、もっと生き生きとして活発だったはずのエネルギーが柵に囲われてしまい、抑えつけられている自覚もないまま人間性を抑えつけられて日々のルーチンを繰り返すだけになっている労働者階級の姿がここにはあるのかもしれない、とか。
 ――自分で書いたくせに、そういうことではないと思う。
 地味で平凡なことをひねりなく語りながら、じつは地味で平凡なことと踵を接しているのかもしれない非凡なこともひねりのないまま語ってしまう奇妙な文章が、まるでいばった様子も得意げなそぶりもなく、それこそ坦々と綴られていく。
 どこにも不思議さが宿らない簡単な文章で組み立てられていても、言葉じたいがデコボコしたものだから、長く続けていくうちにどうしても影のようなものは生まれ、朴訥とした文章のくぼみにできた影というのは平坦な道にあいた穴なのかもしれず、その穴に落っこちるのが登場人物の突然の死なのかもしれない。
 平凡と非凡がひねりのなさの中に同居した、これはたしかに非凡な作風だと思う。この作品でデビューしようとした作者本人と、この作品でデビューさせた出版社の両方に、やや呆れつつ、しかしたいへんに恐れ入った。

『オリエント急行戦線異状なし』の感想にも書いたが、わたしがこのマグナス・ミルズを知ったのは「モンキービジネス」vol.7(2009)に載っていた短篇で、ひねりのなさすぎる文章がかえってこちらの想像力を刺激しながらも、表面上はあくまでひねりのないまま進んで終わるというおかしなありかたに仰天したのだった。
 長篇は短篇より長いので(当たり前)、ひねりのない文章がどんどん続いておかしなことになっていく。このThe Restraint of Beasts『フェンス』の題で翻訳されている(たいらかずひと訳、DHC、2000)みたいだが、ほかの長篇の翻訳は止まっているようだ。
 この作家の書くものをぜんぶ読みたいと願ういっぽう、たまにポツポツ読むくらいがちょうどいいようにも思う。やっぱり地味に追いかけたい。

 なお、本作の最後のページの最後の1行だけは確実にこちらをギョッとさせる効果を狙って書かれており、実際ギョッとして妙な後味が残るが、あれがなくても全体の印象はそれほど変わらなかった気がするという、そのような点もこの作家の特質なのかもしれない。


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2018/08/20

リチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』メモ

舞踏会へ向かう三人の農夫

 2018年の8月、帰省のあいだ『舞踏会へ向かう三人の農夫』を再読しながら1章ごとに感想や引用をつぶやいていたのを以下にまとめてみた。
 わたしはどなたか他人がこういう連ツイをしているのを見るのが好きで、そういう実況がTLを流れて消えるのが惜しい・できることならまとめてほしい、と日頃から強く念じているため、だったら自分のぶんは残しておこうと思った。
「だったら」でつながるのか、そして性格が根本的にツイッターに向いてないんじゃないかと今さらの疑問をおぼえつつ、そういえばツイートをブログに埋め込むのは初めてだった。文字通り、間が抜けて見えるものだな。
*文中何度か出てくるように、みすず書房の単行本(2000年刊。2000年て)で読んだので、引用のページ数はそれに準じます。





「私」がデトロイト美術館で見る、ディエゴ・リベラの壁画ってこれか。あとここでもいろいろ見られた。たしかに、これこれを見せられたデトロイト市民の心中やいかに、と思わせるものがある。
「私」はこれらのあとにザンダーのあの写真を見たということ(メモ)。










  舞踏会へ向かう三人の農夫 上 (河出文庫)   舞踏会へ向かう三人の農夫 下 (河出文庫)







 あった。相応の理由、あった。




 何というかこの、“パワーズの小説には切れ者じゃない人間が出てこないように見える問題”については、それが問題と感じられなくなるには(翻訳されたものだと)『オルフェオ』(2014)まで待たないといけなかったとわたしは思っている。



 これ(ウィキペディア)とか、そこからリンクのあるこれ(英ウィキペディア)を眺めて「ほうほう」とうなる。18年前だとウィキペディアはなかったと思う。



















 このブログを探したら、件のトークイベントは2007年3月23日に青山ブックセンター本店で行なわれたものとわかった。11年前!! なんでも書いとくものである。
 上のツイートには記憶違いがあって、パワーズさんは「傲慢」とは言っていなかった(「偽善」)。なんでも書いとくものであると思うがゆえに、いまもこのまとめをまとめている。






























『囚人のジレンマ』が出たときに書いた文章、具体的なことを何ひとつ述べていないが、さすがに同意できる部分が多かった。《リチャード・パワーズの小説は、説得のために書かれているように思う。》





 このマメさ。河出書房新社さんには頭が下がる。今なら、河出文庫で、ぜひ。



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2018/03/27

ジョゼフ・チャプスキ『収容所のプルースト』(1987,2012)

収容所のプルースト (境界の文学)
岩津航訳、共和国(2018)

 これはもうまったくの記憶だけで書くのだけど、1996年の年末にペルーの日本大使公邸を武装グループが占拠して公人・民間人あわせて数十名が人質にされてからしばらくあと、膠着した状況をそれでも毎日伝えていた新聞のある日の記事にこんなのがあった――緊張は続くが、人質たちはおおむね規則正しい生活を送っている。最近では、外国語の授業をしたり、大きめの一室に集まって順番に自分の業務や専門分野に関する“講義”を行なって時間を過ごしている。その間、部屋の入口で監視していた武装グループの一員も興味深そうに様子をうかがっていたという。

 最後の一文には「ほんとかよ」と思ったし、なにしろ事件はまだ進行中だったから、人質の彼らがそんなことをしようと決めた動機については何も説明がない短い報道だったはずだが、全面的な武力衝突さえ厭わない集団に監禁され、これまた全面的な武力衝突さえ厭わないように思われる政府との交渉の道具としてのみ身の安全を確保されている日々があとどれだけ続くか見当もつかないという非日常すぎる状況のもとで、お互いに勉強をはじめた人たちがいるという事実は、当時十代だったわたしに20年経っても消えない印象を残した。ふつう圧倒的な速さと強さで「それどころじゃない」と断言されそうな時と場所でだって、じつは「それ」が役に立つこともあるんじゃないだろうか、とまで整理した言葉で受け取っていたかはおぼえていないけれども。

 1896年にポーランドの貴族の家に生まれたジョゼフ・チャプスキは、美術を志し、二十代の後半から滞在したパリで病気の療養中に腰をすえてプルーストの『失われた時を求めて』を読み、夢中になった。帰国後の1939年、将校になっていた彼は侵攻してきたソ連軍に捕えられ、ふたつの収容所で都合18ヶ月を生きのびたのち解放される。いっしょだった捕虜の多くは消息不明となった。戦後はフランスに住み、画家として、また評論家として活動するかたわら、捕虜虐殺事件の真相解明をライフワークにしたという。
 収容所での、文字通り明日の命もわからない日々、捕虜たちは《精神の衰弱と絶望を乗り越え、何もしないで頭脳が錆びつくのを防ぐために》、建築についてだったり、移民の歴史についてだったり、それぞれが詳しい分野を担当して講義を行なったといういきさつが、この本の「著者による序文(一九四四年)」に書いてある。
《プルーストに関するこのエッセイはもともと、一九四〇年から一九四一年にかけての冬のあいだ、ソ連のグリャーゾヴェツにあった元修道院の冷えきった食堂、すなわち捕虜収容所の食堂でもあった部屋において口述筆記されたものである。
 以下に読まれる文章が正確さを欠き、主観的であるとすれば、それは収容所に図書室がなく、自分のテーマに見合った本が手元に一冊もなく、最後にフランス語の本を読んだのが一九三九年九月だったということに、いくらかは起因する。わたしがなるべく正確に描こうとしたのは、プルーストの作品に関する記憶でしかない。だから、これは言葉の本当の意味では文学批評ではなく、わたしが多くを負っていた作品の思い出、私が二度と再び生きて読み直すことができるかもわからなかった作品についての思い出を提示したものである。》pp13-4

《わたしたちにはまだ思考し、そのときの状況と何の関係もない精神的な事柄に反応することができる、と証明してくれるような知的努力に従事するのは、ひとつの喜びであり、それは元修道院の食堂で過ごした奇妙な野外授業のあいだ、わたしたちには永遠に失われてしまったと思われた世界を生き直したあの時間を、薔薇色に染めてくれた。》pp17-8

 6ページしかないこの序文がまず全文引用したくなるくらいすばらしいけれども、続く講義の再現(筆記されたノートを元に、解放後のチャプスキが作成した本文)はもっとすごい。
 プルーストの人となりから語り起こし、時代背景やフランスの文学状況を概観しながらほかの多くの作家・思想家の言葉を紹介して、同時代の絵画なんかも引き合いに出しつつ講義を進めていくのだが、チャプスキはその該博な知識に照らしてあの大長篇の印象を大まかに述べるだけにはぜんぜんとどまらず、小説を語る際には、ごく小さな細部の“引用”をいくつもいくつも行うのである。
 大階段を掃除してじゃがいもの皮を剥いたあと、極寒の食堂に集った捕虜仲間を相手に具体的な場面を詳細に説明しながら、スノビズムについて(!)、貴族の自尊心のむなしさについて(!!)、講義が続けられる。《わたしたちにはまだ思考し、そのときの状況と何の関係もない精神的な事柄に反応することができる》。チャプスキはそのすべてを、記憶だけでやってのけるのである。
《コンサートが始まり、急にヴァントゥイユのソナタが鳴り響きます。ヴァイオリンのメインモチーフは、何よりも幸せだった恋の日々を思い出させました。彼がこの曲を初めて聞いたのは、毎日夜会に参加するために来ていたヴェルデュラン夫人のサロンでした。そこで彼は類まれな美しさを備えた現代曲を発見したのでした。彼がヴァントゥイユに心酔していることはヴェルデュラン家のサロンのみんなが知るところとなり、彼のためにこのモチーフが数え切れないほど演奏されることになりました。オデットのそばに座って、このモチーフを聞いていた彼は、彼女への愛に満たされて、二つの感情をひとつに結びつけてしまいました。無関心な社交界の聴衆に向かってヴァイオリンで演奏されるこのモチーフを聞いたいま、自分が逃れようとしていた幸福な過去が何であったかを、はっきりと具体的に理解します。心臓が痛むほど胸を掻きむしられながら、彼は永遠に失われた幸福を生き直すのです。》pp67-8

 この本への讃辞はすでにたくさんある。わたしのツイッターに流れてきただけでも、芳川泰久(週刊読書人ウェブ)高遠弘美(ALL REVIEWS)サンキュータツオ(朝日新聞)山本貴光(日本経済新聞)の各氏による評が読めて、どなたもチャプスキの記憶力に驚嘆している。それはもちろんそうである。訳者による懇切丁寧な注のおかげで、講義の中でなされた引用の多くは、『失われた時を求めて』の本文から(または、その他の作家のその他のテクストから)該当箇所が示されて、彼の記憶の正確さを裏打ちしてくれる。
 でもその上で、あくまでその上で、わたしがひときわ強く打たれたのは、それら記憶に基づく引用の、けっこうな数が間違っていることだった。そのことを教えてくれるのも、訳者の入念な注である。
《「一九二三年まで」はチャプスキの記憶違い。》p107

《チャプスキの記憶違い。『失われた時を求めて』にそのような人物は登場しない。》p111

《この論文にはチャプスキが述べている「ドイツ的要素の強調」は見当たらない。》p117

 そして何度も繰り返される、《このエピソードの出典は不詳》、《引用は出典不詳》、《出典不詳》…… さらには注の中で、チャプスキじしんのこんな言葉も引用されている。
《わたしは記憶で引用しているので、たぶんテクストを捏造しているはずだ。ロザノフは不正確で勝手に改変した引用について批判された際に、ふてくされて答えた。「正しく引用するほど簡単なことはない。ただ、本のなかを探せばいいのだから。だが、引用が自分のものになるほど血肉化され、自分のなかで置き換えられるようになるのは、はるかに難しい」。もしもわたしが引用文を改変しているとしたら、それは手元の本を探すことができないからであり、ロザノフのような天才的な作家と同じ権利も磊落さももたないからである》pp112-3*「ロザノフ」はロシアで革命前夜に大きな影響力を持った作家とのこと

 チャプスキはこのように謙遜しているが、はたしてそうだろうか。
 わたしが言いたいのは「チャプスキ、さすがに無謬ではなかった」という当たり前のことではない。そうではなくて、それが実際に行なわれた環境のあまりの特異さはもちろん、そのせいで必然的に混入したチャプスキの記憶違い・勘違いもまた、この連続講義の記録を特別なものにするのに大きな役割を果たしている、ということだ。
 ロザノフがふてくされているように正確な引用は1通りしかないが、間違った引用は引用者の数だけある。そして1つの引用ならともかく、3つ、4つ、5つの引用箇所をすべて同じように間違って引用する人間はこの世に2人と存在しない。間違い方のほうにオリジナリティはあり、それにより講義はいっそう唯一無二になった。
 これについては、巻末に訳者の見事な評言がある。わたしが付け足すことなんて本当は何もなかったんだけど、もう書いてしまった。
《二十代の頃に読んだ本が、四十代になって、ようやく意味がわかることがある(実際に、チャプスキは二十代の画家として読んだプルーストを、四十代の将校として回想した)。時間とともに開示される意味とは、プルーストの作品の主題そのものでもある。そう考えると、捕虜収容所内でチャプスキが想起したプルーストこそは、逆説的に、最も純粋な読書体験の記録と言えるかもしれない。解放後に講義を再現するにあたって、あえて原文を参照しなかったのは、彼にとって最も貴重なプルースト像を、正確さによって裏切りたくなかったからではないだろうか。》p184

 極限状態にあっても、まったく関係のない物事に没頭できること。しかも、没頭しながら間違って、行為をなおさら特別なものにできること。それくらい、人間は自由である。少なくとも、それくらい自由になることだってできるはずである。そのために必要なのは意志と教養と、あとやっぱり、意志と教養だと思った。
『収容所のプルースト』は、薄いけれども熱い本である。