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2019/01/23

2019

nausicaa20190101

 日は昇り、日は落ち、また1年が経って、またナウシカを読んだのでtogetterのまとめを更新しました。

 正月の漫画のナウシカ:2010-2019
 https://togetter.com/li/294814

 ツイッターでつぶやきながら読むのは今年で10回めになる。
 最初に3回ぶんをまとめたとき、何の気なしに自分で《こういうものは10年ぶんくらい重ねて、もっとゴチャゴチャにしないと味が出ないのかもしれない。》と書いたのをわたしはおぼえているのだが(そういう人間だからこういうことをやっているのだが)、本当に10年ぶんを重ねることになろうとは、当時、思ってもいなかった。かといって、そのうちやめちゃうんだろうと予想していたわけでもなかった。何も考えていなかった。もう数年したらツイッターというサービスも下火になって、次の何かに移るんだろうなと思っていたのはおぼえている。自分が思うことなんて、何の当てにもならないものである。
 それにしても、2010年の元日に「これから10年ぶん続けよう」と決心して始めた(なぜ?)り、「これから10回続けるように」と言われて始めた(だれに?)のだったら、まずぜったい、続いていなかったにちがいない。そしてその場合、「続かなくなった」イコール「挫折した」ということになる。
 じっさいには、今年もやった、今年もやった、を繰り返しているうちに10回やっていただけで、目標も計画もない以上、「続けた」「続いている」感じも特にない。だからやめても「挫折」にさえならない。
 何をどうするつもりもない状態で、始まりから結末まですべての展開を知っている漫画を読み直すという作業。それにより1年を惰性で/惰性から始める――でもほんとうにそれだけだったら、いま書いているこの言い訳みたいな文章も必要ないように思うが、自分が思うことなんて、何の当てにもならないものである(2回め)。
 2010年の1月後半、土曜か日曜かの寒い夜、10人くらいで連れ立って高田馬場の駅前の横断歩道を渡っているときに、わざわざ「あのナウシカ実況は面白かった」と声をかけてくれた先輩には、こんなことになってしまって申し訳ない気持でいっぱいだ。

■ リアルタイムで進行していく現実の出来事や、決まった時間で流れていく映像作品はおのずと「実況」を生むけれども、個々人が個々人のペースで読み進めていく小説とか漫画でも、「あたまから順に、えんえんと書いていく」という感想の述べ方も「ある」のじゃないかと思う。自分1人が読むことだって、リアルタイムで現実の出来事なのだから。

■ 毎年、帰省している正月は、実家に置いてある宮崎駿の漫画版『風の谷のナウシカ』(徳間書店)をはじめから終わりまでぜんぶ読み返すことにしている。いつから始めたかも思い出せない、年に一度の恒例行事。2010年からは、読みながら感想をツイートするという誰にも頼まれていない行動に出ており、それでつぶやいてきたこれまでの分を一本に統合するとどんなものになるのかという興味から、自分でまとめてみた。
 最初、2012年までの3年分をひとつにしたときには、いかにもスカスカしていた。それから毎年追加していくうちにどうなったか。

 繰り返しが多くなった。

 いちおう「去年までとは別のことが言えたら言おう」というつもりがないわけではないものの、去年までにつぶやいた分はとっくにおぼえていられない量になっている(ツイートしている最中にこのまとめを確認するようなおそろしいことはしていない)。
 加えて、こちらのほうが深刻だが、同じ自分が同じ漫画を読む以上、どうしても触れたい場面や台詞がたくさんある。あるどころか、増えている。
「風の谷の私が 王蟲の染めてくれた土鬼の服を着て トルメキアの船で出かけるのよ」、「お前が私の死か…」、「ヒヒヒ…スゲエ」。あるいは、「オジルというイヤな奴」、「焼きしめたパン」、「ルンペン剣士」。風の谷を発つナウシカが城を見下ろす。無数の人馬がページの上を縦横無尽に疾駆するサパタの戦闘シーン。清浄の地へ行って帰るルートの不可思議さ。
 こういった自分にとっての名場面・名台詞は、読むたびに何度でも、何かしら言ってしまう。これらに「何か言う」ことが「読み返す」ことなので、これはどうしようもない。
 結果として、多弁なわりに多様ではない、長いけれど深くはないまとめになっている。この漫画への理解が向上したとか、実のある話にはぜんぜんなっていないが、そもそも、そういうことを目指しているわけでもなかったのは上述の通り。
 それでも、同じ人間が同じ漫画を繰り返し読むうちに、「つぶやく感想を持つところとまだ持たないところがある」だとか、「同じところへの感想でも、前とは変わる場合と依然として変わらないままの場合がある」とかいった、自分がひとつの作品を受け取る、その受け取り方にムラができていく、たいていは無自覚なまま起きているのだろう変化の過程をちょっとだけでも写し取れているようで、それは予期していなかった意外な収穫と言えば言えるのかも――と、後付けでいま思った。そのほか思ったことは、その都度ぜんぶ、書き込んである。 (…続き)



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2018/10/17

Magnus Mills "The Restraint of Beasts"(1998)

The Restraint of Beasts
Scribner Paperback Fiction(1999)

上の版は絶版みたいだが、まだ買える版はいろいろある模様。

「お前をタムとリッチーの監督にする」とドナルドが言った。「やつらだけでイングランドに行くのは無理だ」
「そうですね」
「何をしでかすかわかったもんじゃない」
「ええ」
「だから今日から監督だ」
「はい」(p1)

というわけで、自分の意志は一切考慮されることなく「僕」はタムとリッチーの監督になる。舞台はスコットランドにある、フェンスの設置を業務とする会社。『オリエント急行戦線異状なし』(1999)なんかで気になっている(後述)マグナス・ミルズのデビュー長篇ということで読んでみた。
 タムとリッチーにはぜんぜんやる気がない。働かないわけではないが、テキパキやるという意志がこれっぽっちもない。タムが煙草をくれと言い、リッチーはシャツのポケットから煙草の箱を取り出して渡す。それからジーンズのポケットに入っているライターをひっぱり出して渡す。そして一服。こんなやりとりが、不変の手順で日に何回も繰り返される。タムが煙草をくれと言い、リッチーはシャツのポケットから煙草の箱を取り出して渡す。それからジーンズのポケットに入っているライターをひっぱり出して渡す。そして一服。「同じポケットに入れておけよ!」と「僕」は思うが口には出さない。
 そんな3人がのろのろと働く。フェンスの設置は単調な仕事である。農場で家畜が逃げないように囲っておくための柵。地面に穴を掘る。支柱を立てて穴を埋める。杭を打つ。ワイヤーを張る。フェンスを取り付ける。地面に穴を掘る。支柱を立てて穴を埋める。杭を打つ。ワイヤーを張る。フェンスを取り付ける。日が暮れたら終わりにして、とくに達成感もないままパブに行く。ビールを飲む。そもそも達成感を求めていない。盛り上がらない会話。ビールを飲む。とくに楽しいわけでもない。同じパブにタムの父親と兄も来ている。ビールを飲む。帰って寝る。

 まったく冴えるところのない登場人物たちの地味で坦々とした労働の日々を、小説はまったく地味で坦々とした文章で描いていく。労働というより、たんに作業を続けているだけのように見える。
 語られている内容がおそろしいほど地味なのに、それを語る文章もおそろしいほどひねりがない。ひねりのなさこそがこの小説のひねりだと言えそうな気もするが、なんだかそれもはばかられる、だってひねりはないわけだし……などとブツブツ考えていると、引き続き坦々とした調子のまま、突如あっさり人が死ぬ。「僕」もタムもリッチーも「あっ」くらいは思う。思っただけで即、埋める。ひねりのない作業が続く。パブでビールを飲む。会話は盛り上がらない。
 なんなんだろう、これは。
 遠征用のトレーラーハウスを運転してはるばるイングランドまで行かされても、依頼されたフェンスが完成するまで何日も作業を続けるだけである。「ぼく」と2人の距離は多少縮まるが(トレーラーハウスが狭いため)、タムは自分のベッドを片付けない。リッチーとは今ひとつ話が通じない。仕事は遅れる。地元のパブまで行って居心地の悪い思いをする。雨が降ると仕事がやりにくい。用意された生活費が尽き、ドナルドに電話で前借りを頼む。依頼主が怒っている。また人が死ぬ。だれも悪くない。埋める。

 へんな小説である。笑えることを努めて無表情で語る、という部分もあるにはあるがそればかりではないし、重大なことをわざととぼけた口調で語る、という部分もあるにはあるがそればかりではない。ブラックユーモアの輪の中に片足くらい入っているのは間違いなくても、ブラックユーモアのためのブラックユーモア、つまり登場人物にあえてひどいことをさせている感じとは無縁である。なのに、次第に死体が増えていく。
 象徴のようなものを見つけられないわけでもない。依頼主と上司の命令に従い、動物を閉じ込める(the restraint of beasts)ためのフェンスを作るという単調な作業を続けているうちに、もっと生き生きとして活発だったはずのエネルギーが柵に囲われてしまい、抑えつけられている自覚もないまま人間性を抑えつけられて日々のルーチンを繰り返すだけになっている労働者階級の姿がここにはあるのかもしれない、とか。
 ――自分で書いたくせに、そういうことではないと思う。
 地味で平凡なことをひねりなく語りながら、じつは地味で平凡なことと踵を接しているのかもしれない非凡なこともひねりのないまま語ってしまう奇妙な文章が、まるでいばった様子も得意げなそぶりもなく、それこそ坦々と綴られていく。
 どこにも不思議さが宿らない簡単な文章で組み立てられていても、言葉じたいがデコボコしたものだから、長く続けていくうちにどうしても影のようなものは生まれ、朴訥とした文章のくぼみにできた影というのは平坦な道にあいた穴なのかもしれず、その穴に落っこちるのが登場人物の突然の死なのかもしれない。
 平凡と非凡がひねりのなさの中に同居した、これはたしかに非凡な作風だと思う。この作品でデビューしようとした作者本人と、この作品でデビューさせた出版社の両方に、やや呆れつつ、しかしたいへんに恐れ入った。

『オリエント急行戦線異状なし』の感想にも書いたが、わたしがこのマグナス・ミルズを知ったのは「モンキービジネス」vol.7(2009)に載っていた短篇で、ひねりのなさすぎる文章がかえってこちらの想像力を刺激しながらも、表面上はあくまでひねりのないまま進んで終わるというおかしなありかたに仰天したのだった。
 長篇は短篇より長いので(当たり前)、ひねりのない文章がどんどん続いておかしなことになっていく。このThe Restraint of Beasts『フェンス』の題で翻訳されている(たいらかずひと訳、DHC、2000)みたいだが、ほかの長篇の翻訳は止まっているようだ。
 この作家の書くものをぜんぶ読みたいと願ういっぽう、たまにポツポツ読むくらいがちょうどいいようにも思う。やっぱり地味に追いかけたい。

 なお、本作の最後のページの最後の1行だけは確実にこちらをギョッとさせる効果を狙って書かれており、実際ギョッとして妙な後味が残るが、あれがなくても全体の印象はそれほど変わらなかった気がするという、そのような点もこの作家の特質なのかもしれない。


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2018/08/20

リチャード・パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』メモ

舞踏会へ向かう三人の農夫

 2018年の8月、帰省のあいだ『舞踏会へ向かう三人の農夫』を再読しながら1章ごとに感想や引用をつぶやいていたのを以下にまとめてみた。
 わたしはどなたか他人がこういう連ツイをしているのを見るのが好きで、そういう実況がTLを流れて消えるのが惜しい・できることならまとめてほしい、と日頃から強く念じているため、だったら自分のぶんは残しておこうと思った。
「だったら」でつながるのか、そして性格が根本的にツイッターに向いてないんじゃないかと今さらの疑問をおぼえつつ、そういえばツイートをブログに埋め込むのは初めてだった。文字通り、間が抜けて見えるものだな。
*文中何度か出てくるように、みすず書房の単行本(2000年刊。2000年て)で読んだので、引用のページ数はそれに準じます。





「私」がデトロイト美術館で見る、ディエゴ・リベラの壁画ってこれか。あとここでもいろいろ見られた。たしかに、これこれを見せられたデトロイト市民の心中やいかに、と思わせるものがある。
「私」はこれらのあとにザンダーのあの写真を見たということ(メモ)。










  舞踏会へ向かう三人の農夫 上 (河出文庫)   舞踏会へ向かう三人の農夫 下 (河出文庫)







 あった。相応の理由、あった。




 何というかこの、“パワーズの小説には切れ者じゃない人間が出てこないように見える問題”については、それが問題と感じられなくなるには(翻訳されたものだと)『オルフェオ』(2014)まで待たないといけなかったとわたしは思っている。



 これ(ウィキペディア)とか、そこからリンクのあるこれ(英ウィキペディア)を眺めて「ほうほう」とうなる。18年前だとウィキペディアはなかったと思う。



















 このブログを探したら、件のトークイベントは2007年3月23日に青山ブックセンター本店で行なわれたものとわかった。11年前!! なんでも書いとくものである。
 上のツイートには記憶違いがあって、パワーズさんは「傲慢」とは言っていなかった(「偽善」)。なんでも書いとくものであると思うがゆえに、いまもこのまとめをまとめている。






























『囚人のジレンマ』が出たときに書いた文章、具体的なことを何ひとつ述べていないが、さすがに同意できる部分が多かった。《リチャード・パワーズの小説は、説得のために書かれているように思う。》





 このマメさ。河出書房新社さんには頭が下がる。今なら、河出文庫で、ぜひ。



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