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たのしいタイムライン
alios

「なんともない日々の わたしたちのタイムライン」

 福島県のいわき市にあるいわき芸術文化交流館アリオスというところで上演されたミュージカル、「タイムライン」を見てきた。
 2016年4月3日(日)の13時からの回で、市内の実家に前日1泊し、これを見てからスーパーひたちで帰京した。同じ日の夜にもう1回やっていたほかは、前の週の3月26日(土)に福島県文化センターで2回やっただけ。いまのところ再演されるかもわからない。これ以上記憶が薄れてしまう前に感想を。
(わりと直前まで、上演は中通りの県文化センターでしか予定されておらず、「いや、できれば浜通りのアリオスでもやったほうが…!」と勝手に念じていたので実現してよかったが、その話はあとで書きます)

 作・演出:藤田貴大、音楽:大友良英、振付:酒井幸菜、写真・映像:石川直樹といった方々が製作に携わり、舞台の上でじっさいに演じたのは、募集に応じた福島県の中学生と高校生。
 というのは、これがパフォーミングアーツプロジェクトという県の事業によるものだからで、つまり、このミュージカルができたのは「2011年の震災があったから」ということになるのだと思う。

 震災があって、できた演劇。
 そう考えると大人は(わたしは)なにか構えてしまうけれども、はじめに書いておくと、出てくる十代の面々にはだれひとり、いっさい・まったく・これっぽっちも、そういうところはなかった。彼ら彼女らにはほかにやることがたくさんある。中高生は忙しい。そういう演劇だった

 どういう演劇だったか。客席から一段高い横長の舞台は、左右を切って幅を奥行と合わせた正方形にして使われ、余った左右のスペースにも椅子を並べて客席にしてある。
 舞台の正面奥には上演中に楽器を演奏する人たちのスペースがあり、その背後の壁はスクリーンになっている。小道具は学校によくある椅子くらいしかない。いたってシンプル。
(ほんとうはスクリーンを除いた三方から舞台を囲み、見下ろすように客席が配置されるのが理想だったのかもしれない。なぜかというと、べつにどこが正面でもいいように作られた劇だったからというのと、正方形の中には何本も線が引かれ、地図のような模様になっているのが、舞台から一段低いふつうの客席の、特にまだ傾斜のついてない前のほうの席からだと見えにくいような気がしたからだ。それでわたしは舞台すぐ横のパイプ椅子を選んだ)

 さて、ええと。
 震災があり、それに「対して」というのではなくても、それを「受けて」何かをつくるとしたら、それは日常を扱うものになると思う。生活を描くものになると思う。
 震災というのは、非日常的な出来事というか非日常そのものであるため、その反対語は「日常」の「生活」だろうから。でも、劇的ではないのが日常なので、それを舞台の上に乗せる(=劇にする)には、どうしたって、日常に構成の手を入れる必要がある。いつもの平凡な日常をもとにして、「いつもの」も「日常」も手放さずに、平凡から離れる必要が。

 1日の始まりと同じく、朝から演劇は始まる。まだ薄暗い舞台の正方形の中に、たくさんの人間が横になっている。女子が多い。彼女らは数人ずつばらばらに立ち上がり、家族の声なんかが挿まれるなか、口々に歌うような「オハヨー」という声が呼び交わされて、それは半分はあいさつだけど、半分は劇の台詞で、短い歌だった。
 こういった、もともとは日常のふるまいでありながら、その半分を演劇の身ぶりに変えられた声や体の動きが、舞台を組み立てる。
「タイムライン」が90分を通して行なっていたのは、生活のなかの題材を用いて別のかたちをつくる、このような変換作業であるように見えた。
「なんともない日々の わたしたちのタイムライン」

 舞台の全員が見えるようになると、男子は1人だけであとは女子だった。衣装は統一されていても、身長も体格も、声の大きさもさまざまな人たちが、数えていくと20人を越えるくらいいる。
 彼女らが登校したことになって、ホームルールから順番に、1日の進行に沿って劇は進む。時間割で区切られた時間はどれも変換されている。何に?というと、ゲームになっている。
 たとえば最初のホームルーム、出欠確認の場面では、全員が輪になって1人ずつジャンプ→1周したら2人ずつジャンプ→3人ずつジャンプ、4人ずつジャンプ…、と続いて、途中で失敗したら最初からやり直す。
 次の国語の授業だと、何らかの規則(よくわからない)に従って接続語を言い合ったり、というふうに、ひとつひとつの場面でやることがルールとして決まっていて、ただし本番ではそれこそぶっつけ本番として、20人超がそのゲームに挑戦する姿を見ることになる。
(挑戦というと実際以上に真剣な感じになってしまう。真剣は真剣だったが、彼女らは真剣に遊んでいた)
 それから英語・数学・社会・給食・掃除・体育・音楽、と続いていく1コマ1コマで、日常のふるまいから取り出された動きが拡大され、反復されて、ダンスになり歌になる。クイズになる時間まであった。
 たぶん最初は小さかっただろうあれこれの動きを作り、取り出し、組み合わせて大きくしたのを練習して練習して、本番ではあらためて即興でやっている、そういうプロセスのぜんぶが舞台の上に見えていた気がする。

 なかでも、曲に乗せて台詞を歌うのではなく、日常で発される言葉を歌のように聞こえさせるという点で、この「タイムライン」はミュージカルを見慣れないわたしにも珍しいかたちに見える、ミュージカルだった。
 終わりに近づくにつれて何度も何度も繰り返し歌われ、徐々に高揚を巻き起こしていくフレーズが
ふゆがたのきあつはいち つよめのかんき かんき かんき
(冬型の気圧配置 強めの寒気 寒気 寒気)」

だったのには、「そんなのありか」とびっくりした。ありだった。ありどころか、これ以上のものはないと思った。どの年のどの冬のどの日でも、その配置はありうる。これまでも、これからも、ある。
(そうそう、うしろで楽器を演奏している人たちも出演者なのを忘れてはいけない。どうしても目は役者として演じている人たちを見るけど、音楽もずっとかっこよかったし、うしろのスクリーンには、写ルンですで撮った日常の写真が流れ続ける)
「なんともない日々の わたしたちのタイムライン」

 ふつうのものしか出てこない。でもそういったものも、舞台の上ではふつうであるだけではない。
 数字でしかない数字、出演者の年齢もそうだ。中学生と高校生ということだから、単純に最年少が13歳で最年長が18歳だったとすれば、いま2016年に18歳の人が、2011年には13歳だったことになる。
 目の前の正方形の中を縦横に走り回って飛び跳ねる、いちばん幼そうな顔といちばん大人びた顔に目をとめて、そのあいだに見える幅がちょうど5年という長さだと考えると、舞台の上に5年の時間が乗っている。そういう時間の示しかたもある。
 具体的なものを使って、別のものもあらわす。こんなふうにして劇に変換された日常として、わたしは「タイムライン」というミュージカルを見た。

 劇中、たしか2ヶ所だけ、海についての言葉があった。「私の部屋からは海が見える」みたいな台詞と、学校のあと、夜に何人かで連れ立って「海を見に行く」やりとり。この県で海が見えるのだったら、それは北から相馬・双葉・いわきと続く浜通りの、それも海べりの地域しかありえない(福島県はとても広い)。
 けれども「タイムライン」が扱うのは、地震でも津波でもなかった。震災を指さしているように聞こえた台詞(歌詞)は「やっぱりあの日も 朝は訪れた」だけだったが、それだって、そのように聞いてもそのように聞かなくても変わらないように響いた。どの日常だって非日常から直接つながってきたし、それを言うならどんな非日常だって日常につながっていく。

 じゃあ、どこがいちばん劇だったのか。演じている――というか、舞台の上に出ている――30人ちょっとがずっとたのしそう、というところ。その一点を動力にして、タイムラインは流れている。


 そしてこれが、アリオスという場所で上演されたことの意味を、舞台で広がる「なんともない日々」に、勝手に重ねてしまう。
 いわき市に実家があるわたしは、2011年の3月をはさむ前後の1年弱を、たまたまそちらで暮らしていた。だから、この「芸術」「文化」のために作られた大きな劇場施設が、地震と津波のあと長いあいだ、避難所のひとつになっていたことや、建物じたいもダメージを受けて、劇場としての再開まで半年以上かかったことを知っている。ここは非日常の現場だった
 そのような場所で、5年経ったあとに「なんともない日々」を劇にした「タイムライン」が上演されたのは、とても健全だと思う。健全というのは、まっとうなことがまっとうになされたこと、つまり、いちばんふつうであることを言うのかもしれない。ふつうのことがよかったと言いたくてここまで書いた。
 3月26日の福島市での公演を見た細馬宏通さんの耳をお借りすると、わたしが「これ以上のものはない」と思ったあの歌詞は、このようにも聞き取れるという。
「冬型の気圧配置 強めの寒気 喚起 歓喜」
「この人は、何なの?」

片岡義男.com」なんてものがあることを知ったので、のぞいてみた。 のぞいてみて、腰を抜かした。ここです。

 まず「エッセイ365」におどろく。過去に書かれたものなのにまるで過去のものに見えないエッセイが、毎日増えていく模様。「いいんですか」と疑いたい気持になった。
 これなんて、片岡義男が、リチャード・ブローティガン『アメリカの鱒釣り』に出会ったときの話である(「ホノルル・ブックストアへ歩くまでに」)。
《[…]なかを開いてみたぼくは、再び、非常にうれしいよろこびを体験した。ページのメイクアップが、ものすごくいいのだ。いい雰囲気を持ったデザインの活字の、ごく小さいのを使って、行間のスペースをすくなくして、つめこんである。

 鱒釣りの文章には区切りの部分がたくさんあるが、この区切りのところが、ページの余白として、思い切った広さにとってある。

 小さな活字のつまりぐあいと、この余白との、おたがいに呼応しあうありさまは、みごとなものだった。ペーパーバックのページ・メイクアップとしては、『アメリカの鱒釣り』は、いまでもぼくにとっては最高のものだ。しかし、現在の版にこの面影はない。

 この本を買いたい、という強い衝動にかられたぼくは、鱒釣りを二冊、そのとき買った。

 あまりにも軽やかで透明な感じがするため、一冊だけではぼくの手からするっと抜け出してどこかへいってしまうのではないのか、という印象があったからだ。[…]》

 このエッセイを読んで、自分の本棚から『アメリカの鱒釣り』の訳本を取り出してこないのは難しいだろう。それは片岡義男が手に取ったのとは版も言葉もまったく別の本だけど、それを通して、ここに説明されているペーパーバックを正確に想像することはできる。だからそれは、同じ本でもあるのだといいたい。

 それにまた、全作品を電子化するプロジェクトが進行しているという。どういうことなのかまだちゃんと理解できていないけれども、なんだかたいへんなことになるのがもう決まっているのはまちがいないと思う。
「片岡義男の書くものがすごいのはこれまでに読んだエッセイのほんの数冊でわかっているけど、小説は多すぎて、どれから読もうか手をつけかねている…」みたいな人間(わたし)には、これは福音なんじゃないだろうか。福音がすでに多すぎる気がしないでもない。

 編集をされている北條一浩さんの、このプロジェクトを語る「小説家はまだ目次を書いている ――片岡義男のタイトルを読む試み」という文章も、とても読みでがあって面白かった(これ)。
 充実した内容もさることながら、文章のはしばしから片岡義男へのゆるぎない敬意と(おそらくは)あこがれが、わたしみたいな生半可な片岡読者にも伝わってくる。
(リンクしたところの紹介文が1ヶ所、「小説家はまだ目次を読んでいる」になっているのも面白い)
《[…]だから短く、一言。
「作品が星の数ほどある」。
 その星の数のほんの一端でも、持続的に読んだ時間を持つ人なら、多くの人がタイトルに注意を向けるはずだ。そしてこれもまた、著しい特徴として一言で正確に表現できる。
「タイトルが長い」。
 片岡義男とは、星の数ほど作品を書き、タイトルの長い小説家である。この説明がたぶん、最強のはずだ。》

《[…]もっと手前の、というか、単純なことに驚いたほうがいい。

 タイトルというものは、言葉でできている。

 これだ。あたりまえすぎて誰も耳を貸さないようなその事実についてのみ、注意深くありたい。》


 ところで、1年くらい前にわたしは片岡義男の『自分と自分以外』(NHKブックス)という本を読んだ。2004年の刊行で、新刊書店ではもう売っていない。amazonのマーケットプレイスで、お駄賃みたいな値段で買った。
 ところによりエッセイふうの時評にも、時評ふうのエッセイにもなって、子供時代のことや仕事のこと、文房具のこと、猫を飼い始めたときのこと、スパムのいちばんおいしい食べかた、はたまた「生足」という日本語の分析などが続く。
 そこは入り組みこんがらがった迷路のはずなのに、どうしてこの人は壁をひょいひょいまたぎ越えるようにしてまっすぐ進めてしまうのか、とページごとに嘆息しながら読んでいった1冊の最後ちかくに次のような文章があらわれて、わたしはこの本が2004年の刊行であることを、もうわかっているのに何度もたしかめてしまった。だれかに伝えたかったがだれにも伝えていなかったから、いま、ここに書き写します。
《[…]国家がいろいろときめてくれたほうが、すべてはっきりするし自分は楽でいい、という考えかたをする圧倒的多数の人たちは、基本的人権が思いがけない方向からさまざまに浸食されていく現実に、じつは深く加担している。正しい理解のための、ほんのちょっとした思考すら面倒くさがる彼らは、急速度で進展していく事態という、さらにいっそう理解不可能な状況によって、包みこまれようとしている。
 戦前・戦中をへた日本が大敗戦へと到達した時代を背景ないしは前提のようにして、日本国憲法は組み上げられている。基本的人権などじつは誰も守りようがないという、半世紀前にはまったく想定外だったとんでもない状況に、いま日本はいくつも直面している。そのなかからほんの小さな例をひとつだけ拾うなら、原発の事故ないしは意図された爆発は、わかりやすくていいだろう。原発が爆発し、致命的な濃度の放射能を帯びた物質が日本列島の半分に降り注ぐ、といった事態が発生したとき、基本的人権は、どんなかたちと内容で、いったい誰によって守り得るものなのか。
 電力を豊かに供給されて文化的な生活を営むという、憲法で保障されている権利の保持が、おなじく憲法が保障する基本的人権を、半永久的に根こそぎにする事態を生み出す。だから憲法はそこではもはや無力なのかというと、けっしてそんなことはない。憲法が保障している文化的生活を営む権利というものを、国民は注意深く監視し、自ら厳しく制御すべきであり、そのためには、起こっては困る事態を起こさないよう、防御的武器としての憲法を、国民は自らに対して存分に使用しなければならないという、新たな性質の「不断の努力」を、憲法はいまも要求している。
 もはや取り返しのつきようもない、国家存亡の危機のなかを逃げまどいながら、無事に生きていく権利とはこのような危機を招かないよう、憲法が自分たちに保障する権利を、自らの手で何重にも厳しく監視し制御する義務であったかと、ようやく痛感するにいたる人の数はやはり少数にとどまるのか。そのような人たちに対しては、憲法は最初から徹底して無力だったことになる。》pp262-3

「不断の努力によって」というタイトルがついた3ページほどの文章からの、これは後半3分の2程度にあたる引用だが、全文はくだんの「片岡義男.com」で、「11月3日」のところに再録されている。このあとに、やはり「11月8日」に再録された「現実に引きずられる国」という文章が続き、それで『自分と自分以外』はおしまいになる。
 どちらも、クリックすればすぐ、読めてしまう。それもおどろくべきことだけど、この本は、少なくともマーケットプレイスからなくなるまで買って読まれていいと思う。それではあんまり「少なくとも」すぎるけれども。


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 整骨院を出ると5時を過ぎて暗くなっていた。やや寒くもあり、昼ごはんも抜いたままだったので、ラーメンを食べて帰ることにした。
 そこはわたしが半年前まで10年以上住んでいた町だから、ラーメン屋はいくつも知っている。何度も行ったことのある店を第一候補に路地を歩いていくと、そこはまだ「準備中」だった。すぐ近くにもほかの店があり、そちらはそれこそ10年くらい前に1回しか入ったことがなかった。空腹を感じる。そこに決めた。
 そのラーメン屋は2階建てで、1階はカウンター席が5つしかない。たしか10年前は2階に上がったはずだが、いまはひとりも客がおらず店主も暇そうだったから、カウンターの真ん中の席に着いた。腰を下ろして気がついた。入口が路地に向けて全開なので、ここだけだと屋根のある屋台みたいである。周囲の飲み屋や回転寿司はすでに賑わい、焼き鳥屋は店の前にまで卓を出していて、そこに座る客はマフラーを巻き毛糸の帽子までかぶっていた。親子連れがにぎやかに通りすぎる。

 卓上に立てるタイプの簡素なお品書きからワンタン麺を頼むと、店主は「はいワンタンね」と言って調理を始めた。少しして、ジャンパーをはおった中年男性が入ってきて、わたしの右の椅子を引きながら「中華そばね」と声をかけると、店主は手を休めず「はい中華そば」と答えた。男性はスマホを取り出しいじり始める。とつぜん子供の声が喋り出した。卒業式か何かの学校行事で、代表の挨拶を述べている、硬い声だ。続いて司会の大人が式を進めるアナウンス。子供の小学校の卒業式(であることがアナウンスから確定した)を撮った動画を再生している。10月の終わりに、ラーメン屋のカウンター席で。

 また別の男性がやってきて、わたしのうしろを通り、店の奥、カウンターの左端の席に座った。その人がメニューをしばらく眺めてから小声で「チャーシューワンタン麺、ください」と注文すると、店主はのぼる湯気の向こうで「はいワンタンね」と答えた。客のほうに目をやりもしない。
 おや、と思った。わたしのワンタン麺と、左の客のチャーシューワンタン麺に、区別はついているのだろうか。立ち働く店主の様子をうかがうが、カウンターの前に貼られた雑誌記事の切り抜きにある昭和56年創業という紹介に過不足なく釣り合ったその表情からは何も読み取れない。堀内恒夫に似ていることだけわかった。
 左の客に、チャーシューワンタン麺を頼んだのにワンタン麺が出てきたら、他人事ながら悲しい。いやちがう。チャーシューワンタン麺を頼んだのにワンタン麺が出てきて、でもそれにもチャーシューが乗っているために、これがチャーシューワンタン麺だと思って食べるのだったら、悲しい。仮にワンタン麺が出てきても、「いや、おれが頼んだのはチャーシューワンタン麺だよ」と気付いて指摘できればいい。でもその場合は店主が悲しい。チャーシューワンタン麺を頼んで、ワンタン麺が出てきたのに、それをチャーシューワンタン麺だと思って食べ、会計時に店主の間違いがあらわになるのだったら、双方が悲しさの全部乗せだ。どうしたって悲しくなる公算が高い。
 左をチラ見すると、チャーシューワンタン麺を頼んだのは浅黒い顔をした若い男だ。そして奥の壁にはメニュー一品一品の写真が貼ってあった。どれも厚めのビニールで覆ってあり、それが曇っているのでよく見えないものの、チャーシュー麺なら麺を隠すくらいにチャーシューが乗っているのはわかる。ワンタン麺の上にはワンタンではない何かも乗っているのだが、照明の光が反射していて判別できない。問題のチャーシューワンタン麺の写真は、チャーシューワンタン麺を頼んだ客の体に隠れていた。不意に子供の合唱が大音量で流れ出す。右の男性のスマホである。次の卒業式まで半年もない。

 チャーシューワンタン麺を注文したのにワンタン麺が出てきた、と気付けるかどうかは、ワンタン麺の上に乗っているワンタンではない何かがチャーシューなのかどうかによるだろう。大丈夫だろうか。あなたがワンタン麺でなくチャーシューワンタン麺を頼んだことを、わたしは知っている。わたしが知っていてもどうにもできない。真面目な声の合唱が続く。
「どうぞー」と店主の声がして、わたしの上方にどんぶりが差し出された。受け取ってカウンターに置くと、ワンタンと、チャーシューが2枚乗っていた。
 割り箸を取って食べ始める。わたしはワンタン麺を頼んだ。ワンタン麺の標準装備としてワンタンのほかにチャーシューが2枚乗っているのか(写真でよく見えない「ワンタンではない何か」はこのチャーシューなのか)、左の客のチャーシューワンタン麺に引っぱられて、店主の頭の中でわたしの注文がワンタン麺からチャーシューワンタン麺に改変されてしまったのか、あるいは取り違えが起きて、わたしにチャーシューワンタン麺、左の客にワンタン麺が行ってしまうのか、それともこれはたしかにワンタン麺で、かつ、左の客にも同じワンタン麺が出される(「はいワンタンね」「はいワンタンね」)ことになるのか。創業、昭和56年。

 自分の食べているこれが、注文したワンタン麺でなくチャーシューワンタン麺であったとしたら、黙ってチャーシューワンタン麺ぶんの代金を払うのは、ぜんぜん構わない。構わないが、メニューを見直すとワンタン麺は770円でチャーシューワンタン麺は1070円である。
 食べ終えたわたしがワンタン麺代として1000円札を渡したとして、店主の中で「この客はチャーシューワンタン麺」となっていたら、「足りません」とわたしに言わなけらばならない。そんなことを言わせるのも、言われるのも嫌である。かといって、自分の食べたものをチャーシューワンタン麺だとしてあらかじめ1100円を出し、でもこれが正確にワンタン麺だったら店主のほうに「この客はどういうつもりなのか」と疑念を生むことになる。それも嫌だ。堀内恒夫はむかし悪太郎と呼ばれていたという。
「どうぞー」とまた店主の声がする。卒業式の動画を見ていた右の男性がどんぶりを受け取り、そのスマホでラーメン(中華そば)の写真をカシャッと撮ると、スマホをカウンターに立てかけて食べ始めた。卒業式は式次第に沿って進んでいるだろう。音量はいっそう大きくなったようだった。
 わたしも食べ続ける。熱いスープをすする。鍋の縁でゆで卵を割る店主の額にうっすら汗が光る。カウンターの上に目をやると、低い天井に届くくらいの位置にサイン色紙が4枚、ラップに包まれて飾ってあった。ひとつも読み取れない。だれのサインなのか。堀内恒夫?箸とレンゲを動かし続けるわたしが咀嚼しているのは何なのか。昭和56年。左の客には何が供されるのだろう。外から風が吹き込む。どうしてこの店は扉が全開なのか。悪太郎って。わたしは無力だった。ワンタンを口に含み、声だけが響く卒業式の只中で、わたしは無力だった。

 食べ終えてしまった。スープも掬える限り掬って飲み干した。店主の頭の中で何が起きていたのか、解答となる左の客にラーメンが出されるまで待っている理由はもうなかった。
「ごちそうさまです」と声をかけて、どんぶりをカウンターの上の段に乗せる。店主は答えた、「どうも、770円です」
 入口のそばのレジでお釣りを受け取るとき、カウンターの向こう、客から見えない店主の側に小型のテレビが置いてあり、卒業式はそこで進行していたのが目に入った。店を出た。ラーメンの味は何も記憶にない。今日はハロウィンだった。
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